浜松中納言物語 0
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「平安時代の法制の書物」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十八段の一決まった赴任する国を持たない名目だけの揚名介(ようめいのすけ)の、国司次官であるだけではなく、名目だけの国司役人である揚名目もある。政事要略という平安時代の法制についての書物に載っている。揚名介(ようめいのすけ/職掌及び給付のない名誉職としての国司の次官)百九十九段の一比叡山延暦寺にある横川(よかわ)で修行していた行宣法印(ぎょうせんほういん)が申したのは、中国は雅楽の呂旋法(りょせんぽう/宮・商・角・徴ち・羽うの五声に変徴・変宮の2音を加えた呂の七声のこと)の国であり、律の音階がない。日本は、律旋法(りつせんぽう)で雅楽の演奏国で、呂の音階がない。二百段の一中国産の呉竹(くれたけ)は葉が細く、日本産の河竹(かわたけ)は葉が広い。宮中の庭にある溝に近いのは河竹で、仁寿殿(じじゅうでん/内裏の中央にあり、紫宸殿の北、承香殿の南、清涼殿の東に位置する)に近い場所に、植えられているのは呉竹である。
2023.10.05
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「武家の家柄が知るところ」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十六段の二神輿の行列に付き添う土御門相国(源定実)が、大将の源通基に神社の前で、このような威圧的な警護は如何なものかと申し上げたが、通基は神を送る作法は、武家の家柄が知るところのものと得意そうに答えるだけであった。後になり源通基(久我内大臣)が話した事は、あの人(源定実)は、北山抄は、読んでいたが、西宮の説を知らず、神輿につきまとう眷属の悪鬼・悪神を恐れる為に、神社でも人を追い払う道理があるのだという事だった。百九十七段の一決まった給与で雇われる定額僧と呼ばれる者は諸寺の僧侶だけではなく、延喜式にも定額の女孺(雑事に従事した下級女官)という言葉があるのを見た。定額というのは、定員が定まったすべての役人の通称とすべきではないか。
2023.10.04
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「地蔵を田んぼの水に浸し」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十五段の一ある人が久我縄手の通り(京都の鳥羽から大山崎に至る道筋)を歩いていて、小袖に大口という下着姿の人が、木製の地蔵を田んぼの水に浸しながら、何をしているのかと不審に思って見ているうちに、丁寧に洗っていた。貴族の着る狩衣を着た男が二、三人出て来て、ここにおられましたかと、言うなり、地蔵を洗っていた男を連れて去ってしまい、その人こそ、久我内大臣殿(源通基)だったが、正気だった時は、頭もしっかりして、身分の高い高貴な方だった。百九十六段の一初めは奈良・東大寺の手向山八幡宮の御神体を、京都・東寺の若宮八幡宮の御神体にしていたが、その神輿を奈良の東大寺にまで帰座させた事があった。この時に、八幡宮を氏神とする源氏の公卿達が神輿の警護を務めたが、その大将源通基は家来に命じ声を出させ前を行く人達を人払いした。
2023.10.03
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「事実がはっきりしない間」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十四段の二事が終わった後で、特にいつもと異なる様子もなかったと、手を打って笑うような人もいる。また、虚言だと分かってそれを知ってるとも言わずに、事実がはっきりしない間は、知らない人と同じようにして静かに過ごす人もいる。また、この虚言の本意を初めから心得ていて、真剣に陰謀の首謀者と、同じ気持ちになって力を合わせる協力者もいる。こんな愚か者の戯れですら、物事を良く知った達人の前では、言葉から顔色から全てが隠す事もできずに、知られてしまう。このような達人が、判断に迷う我等を見る目は、手のひらに載せた物を、見るようなものである。ただし、達人であろうとも、このような推測だけで、仏法までも虚言と見なしてしまうべきではないだろう。仏法には、衆生救済、解脱を目指すために嘘も方便ということがあるのだから。
2023.10.02
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「素直に本当だと信じて言う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十四段の一物事の道理を知った達人の人間性を見る目には、少しも誤りがない。ある人が、世間に陰謀を企てて、人をだまそうとすると、素直に本当だと、信じて言うがままに騙される人もあれば、余りに深く信じ過ぎて、更に、煩わしくも虚言に自分の印象を付け加えてしまう者もある。また、何とも思わないで、虚言を心にもかけない人もいる。また、何でもない、くだらない話と思っても、信じるでもなく信じないでもなく思い悩む人もいる。また、本当だとは思えないけれど、人の言う事であればそんなこともあるのかと、そこで考えを止めてしまう人もいる。また、さまざまな推測をして心得たような振りをして、賢そうに頷きつつ、微笑んでいるが、はっきりとは知らない人もいる。また、虚言を推し測って、嘘の真相に気づきながらも、自分に誤りがあるかもしれないと疑う人もいる。
2023.10.01
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「まったく当たる筈がない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十二段の一神社の神・寺院の仏には、人が詣でる事のない日、神社の祭日や寺院の行事などが無い日の夜に参るのが良い。百九十三段の一知力のない道理に暗く愚かな人が他人を推測して、その知性を評価しても、まったく当たるはずがなく、知力の乏しい人が自分が碁を巧みに打てると、碁の技芸には劣っている賢い人を見て、自分よりも知力が劣ると決め付ける。それぞれの道に通じた専門家(職人)が、他人が自分の専門分野の事を知らないのを見て、自分の方が優れていると思い込むのは大きな誤りである。経典・文字専門の法師、座禅・瞑想に通じた禅師が、お互いに相手の知力を、推測して、自分には及ばないと思ったりもするが、これは共に間違っている。
2023.09.30
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「夜の時間帯の方が素晴らしい」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十一段の二人の気配にしても夜の火影のもとなら、美しい人はさらに美しく見えるし、話している声も、暗い場所で聞いていると、声をひそめる気配りしており、心引かれるものがある。匂いも声も、夜の時間帯のほうがひときわ素晴らしい。取り立てて何という事もない夜、夜更けに参上した人が、とても清らかな、すっきりした顔をしているのが良い。若い者同士でお互いを注意して見る時、時間の区別もなくなってしまうものだが、特に打ち解けあう機会には、ハレとケの区別もせずに身だしなみを整えていて欲しいものだ。ハレは祭礼、年中行事、通過儀 礼、冠婚葬祭などの非日常な祝祭に対し、ケは日常生活、ふだんの労働を指しており、身分のある男が、日が暮れて、髪を洗い、女も夜更けに廊下を静かに滑るように退席し、鏡を取って顔を、つくろってから男の前に再び出る、こういった場面に情趣があるのである。
2023.09.29
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「嫌われつつも一緒にいて」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十段の二どんな女であっても、朝から晩まで毎日見ていれば、酷く気に食わない所が出てきて憎くなってしまう。女にとっても、嫌われつつも一緒にいて世話をしなければならない、そんな結婚は中途半端なものになってしまう。他の場所から時々通い住むという通い婚こそ、年月を経ても絶えない男女の仲になるのではないか。不意に男がやって来て、そのまま一泊して帰るのは、きっと女にとっても新鮮な関係になるだろう。百九十一段の一夜になると、物の見映えがしないと言う人は、全く残念な美意識の持ち主だ。全てのものの美しさ・装飾・色合いなども、夜こそが素晴らしい。昼なんかは、簡素で地味な姿でいても良く、夜は、煌びやかで華やかな装束が似合って良い。
2023.09.28
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「独り者でと言われるのは」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十段の一妻というのは、持つべきものではない。いつまでも独り者でと言われるのは心憎いものであるが、誰それの婿になったとか、また、こういった女を家に連れ込んで、一緒に住んでいるとか聞くと、その男をやたらと見下げてしまうような気持ちになる。格別の魅力がない女を素晴らしいと思い込んだ上で一緒になったと、無責任にも周囲から推測され、良い女であれば可愛がって自分の守り本尊のように崇め奉ってしまう(尻に敷かれてしまう)。妻を持つ事をその程度のものだと思う。更に、家を守って家政を司る女は、非常につまらない人生となる。子どもが出来れば、妻は大切に世話し可愛がるが、これも気分が沈み、夫が亡くなれば、貞節を通して尼となり年を重ねる。男というのは、死んでも妻に干渉するのがあさましくて興醒めである。
2023.09.27
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「登蓮法師は雨の中を駆け出して」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の五登蓮法師は雨の中を駆け出して、渡辺の聖にススキの事を習いに行ったと、伝えられ、立派な即断であり、なかなか出来ないことでもある。論語に、敏き時は即ち功あり(すぐに行えば、すぐに良い結果が得られる)とある。ススキを不審に思ってすぐに知ろうとした登蓮法師のように、乗馬・早歌の道に逸れた法師も、一大事の因縁(機縁と仏道の精進)を思うべきであった。百八十九段の一今日はあの事をやろうと考えていたら、思わぬ急用が出来てそれに紛れて時間を過ごし、待っていた人は用事で来れなくなり、期待していない人が来たりもするが、期待していた方面は駄目になり、思いがけない方面の事柄だけが思い通りになってしまったりもする。 面倒だと思ってきた事は何でもなくて、簡単に終わるはずだった事には苦労する。一年というのはこんなものだ。一生という時間もこんな風に過ぎていくだろう。かねてからの予定は、全て計画と食い違ってしまうかと思えば、たまには予定通り行く事もあるから、いよいよ物事というのは定めにくいものだ。予定なんて不定(未定)と考えていれば、実際の現実と大きく異なることはない。
2023.09.26
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「他の事が失敗しても」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の四一つの事を必ず成そうと思うならば、他の事が失敗しても落ち込むのではなく、他人の嘲りを受けても恥じてはいけない。全ての事柄と引き換えにしなければ、一番の大事が成るはずなどない。 大勢の人がいる中である人がこう言った。ますほのススキ(穂が赤みを帯びた薄)、まそほのススキなどと言うことがある。渡辺の聖は、このススキについて何か知っているということだと。その場にいた登蓮法師はそれを聞いて、雨が降っていたのにも関わらず、笠と蓑はありますか。あれば貸して下さい。そのススキの事を習いに、今から渡辺の聖のところへ行って参りますと言った。あまりにもせっかちですね。雨がやんでからでいいでしょうと周りの人が、言ったのだが、とんでもない事を言わないで下さい。人の命が雨の晴れ間をも待つものでしょうか。私が死んで、聖も死ねば、誰が教える事ができるんですか。
2023.09.25
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「十の石を捨て十一の石を取る」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の三碁の名人が一手も無駄にせず、相手に先立って小を捨て大につくようなもの。三つの石を捨てて十の石を取るのは簡単だ。だが、十の石を捨てて、十一の石を取るのは難しい。一つでも多く石を得て勝つ手を取るべきだが、石が十個までなるとそれを失うのが惜しく思えて、多く石を取れる手には、換えがたくなってしまう。これを捨てたくない、あれは取りたいと思う心では、あれも得られないし、これも失ってしまう最悪の手になる。京に住む人が東山に急用ができ、既に東山に行き着いていたとしても、西山に東山よりも勝る利益がある事に、思い至ったならば、すぐに門から出て西山に急ぐべきなのだ。ここまで来たのだから、まずこの用事を済まそう。日時の決まった事でもなく、西山の事は家に帰ってからまた考えようと思ってしまい、一時の怠りと緩みがそのまま一生の懈怠になってしまう。このことこそを、恐れるべきだ。
2023.09.24
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「大いなる目的をも達成」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の二若いうちは何につけても、まずは身を立て、大いなる目的をも達成し、技芸を、身につけて、学問を修めようと、長い将来をあれこれと計画しているものだ。だが、まだまだ人生は長いと思ってやるべき事を怠けていると、差し迫った、目の前の仕事に紛れて月日を送り、何事も達成できないまま身は老いてしまう。 最後には、何の道にも精通せず、思い通りに出世することもできず、それを、悔いたところで取り返しのつかない年齢になっており、ただ坂道を転がる車輪のように衰えていくだけである。一生のうち、あれもこれもと、望む事の中から、どれが勝るかをよく思い比べて第一の事を決定し、その他は思い切って捨てて、一つの事に励むのが良いのだ。一日のうち、僅かな時間の間にも数多くのやることがあるが、その中から、少しでも自分に利益のある事を行い、その他のことを打ち捨てて、大切な大事こそ急ぐべきだ。やりたいこと全てを捨てまいとして、心に持っていては、一つの大事も成し遂げることはできない。
2023.09.23
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「世を渡るための支え」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の一ある人が、自分の息子を法師にしようと、仏の道を学んで因果の理を知り、学んだ内容を説経して、世を渡るための支えとせよと言った。息子は親の、教えのままに、説経師になることに決め、最初に乗馬を習うことにした。大きな寺の僧侶のように牛車・輿に乗れる身分でもないので、法事の導師として、招かれて馬で迎えに来られた時に、桃尻で落馬したら恥ずかしい思いをすると、心配になったからである。次に、法事の後で、酒など勧められた時に芸の一つも、披露できないと、檀那がつまらなく思うだろうと思い早歌を習った。乗馬・早歌の二つが徐々に熟練の域に達して、いよいよその道が面白くなって、懸命に練習しているうちに、本来の目的だった仏教の説経を習う暇(時間)も、ないままに年寄りになってしまった。この法師だけではなく世間の人は、誰でもこんなものだ。
2023.09.22
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「馬に敵う筈もない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十六段の一吉田という馬乗りが申す事は、馬はどの馬も手強く、馬に敵う筈もないと、知るべきだろう。乗る馬をよく見て、長所や短所を知らなければならない。次に、くつわや鞍などの馬具に危険はないかを見て、心に引っ掛かる事が、あれば、馬を走らせるべきではない。この用意を忘れない者を真の馬乗りと言い、これが、馬に乗る秘訣なのだ。と言った。百八十七段の一それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で、上手な人と、並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが、自分の生きる道(天職)であると思い、その技芸や知識を慎んで訓練して、軽々しく扱わない事と、素人が自由気ままに練習して上達を、目指すこととの違いである。芸能や儀礼の所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。技術が優れているからといって好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。
2023.09.21
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「全て貼り替えようとは思う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十四段の二障子は一気に全部貼り替える方がはるかに簡単で、それに、そのやり方だと、新しい所と古い所でマダラになってしまうので、見苦しくありませんかと、義景が申し上げた。尼も、後にはさっぱりと全て貼り替えようとは思うが、今日ばかりはわざとこうしているのだ。物は、壊れた所だけを修理して用いると、若い人に見習わせて覚えさせる為で、松下禅尼はお答えになったが、とてもありがたい言葉である。世を治める道は、倹約を基本としている。松下禅尼は女性といえども、聖人の心に通じている。やはり、天下を保つほどの人(北条時頼)を子として産んだだけのことはある。本当に並の人間ではない。百八十五段の一陸奥守泰盛(安達城介義景)は、比類のない馬乗りで、馬を引き出させる時に、足を揃えて敷居をゆらりと超える馬を見て、これは勇み馬だと言い、鞍を、置き換えさせ、次の馬が足を伸ばして敷居にひずめを蹴り当てるのを見て、この馬は鈍くて、怪我するかもしれないと言って乗らなかった。乗馬の道に精通していない人は、こんなにも恐れないだろう。
2023.09.20
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「人を突く牛は角を切る」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十三段の一人を突く牛は角を切り、人を咬む馬は耳を切って、危険な家畜の印とする。印をつけずに人を傷つければ、家畜の主人の落ち度となる。人を咬む犬は飼ってはならない。これらはみな罪になる。これらは、王朝政治の礎となる律令の『律』で定められた禁令である。百八十四段の一鎌倉幕府第五代執権・相模守時頼(北条時頼)の母は、松下禅尼と言う尼僧で、その松下禅尼の家に、息子の相模守を招待なされる事があり、家の者で、その準備をしていた時、松下禅尼は手に小刀を持って、障子紙を切りながら、香の煙で煤(すす)けた障子の破れた所だけを切り貼りしていた。松下禅尼の兄・城介義景が、その日の世話役として控えていて、その様子を見て、その障子貼りのお仕事をいただいて他の者にやらせます。そのような事を、心得た男がおりますのでといった。だが、その男の細工はよもや尼の細工に、勝りますまいと松下禅尼は答えて、更に障子の破れを一間ずつ張り替え続けた。
2023.09.19
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「色々投げ入れて燃やす」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十段の一家の前のかがり火に色々なものを投げ入れて燃やす、左義長(さぎちょう)の、行事では、正月に使った毬杖(毬を打つ杖)を真言院から出して、神泉苑で、焼き上げる。法成就の池にこそ、弘法大師の奇跡に対する褒め言葉と、囃す(はやす/歌曲の調子をとる)のは、神泉苑の池の事を言う。百八十一段の一ふれふれこゆき、丹波のこゆきという童謡で、粉雪というのは米をついた粉を、振るっている時の様子に似ているからである。たんばのは誤りであり、たんまれ粉雪というのが正しい。その後は、垣や木の股にと歌っていくのだと、ある物知りが言っていた。昔から謡われている歌なのか、讃岐典侍の日記には、鳥羽天皇の幼い頃、雪の降る日にこの歌を謡っていたと書いている。百八十二段の一四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを天皇の食卓にお届けしたのだが、こんなあやしい魚を、天皇の御前にお出しするわけにはいかないと人に、言われたのを聞いて、四条大納言は、鮭という魚が天皇へお出しできないと、いうことはないだろう。鮭の乾したものに何か問題があるのだろうか、鮎の白乾しはお出しできないのかと言い返された。
2023.09.18
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「仲間同士で語り合っている」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十八段の一ある貴人の邸に仕える従者どもが、内侍所で行われた御神楽を見物して、三種の神器の宝剣を、あの人が持たれていると仲間同士で語り合っていると、近くの御簾の中にいた女房が、別殿の行幸の時は、三種の神器の草薙の剣ではなく、昼御座(ひのござ)の御剣と教えて心憎い事で、その女房は典侍(ないしのすけ)で、律令制における官職。内侍司(後宮)の次官(女官)である。百七十九段の一宋で仏教を学んで帰国した僧侶の道眼上人は、一切経を持ち帰り京都の、六波羅の辺りの、やけ野という所に経を安置し、首楞厳経(しゅりょう)を、講義して、その地に建てた寺を那蘭陀寺(ならんだじ)と呼んだ。道眼上人が、天竺(インド)の那蘭陀寺の大門は北向きだと、江帥の説として、伝え聞いているが、玄奘三蔵(三蔵法師)の西域伝や法顕上人の法顕伝などには、その記述がなく、更に他の文献でも見当たらない。江帥はどういう根拠で、北向きだと言ったのかが分からない。唐の西明寺は、勿論北向きと語っていた。
2023.09.17
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「黒戸の御所と呼ばれる」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十六段の一清涼殿の北廊の西向きの戸は黒戸の御所と呼ばれ小松の御門(光孝天皇)が、即位される以前、ただの人であった時には、御自分で料理をされていた。即位されてからも以前のように料理をして、薪の煤(すす)で扉は黒く、汚れることになり、黒戸の御所と言われるようになった。百七十七段の一鎌倉の中書王(後嵯峨天皇の第二皇子・宗尊親王)の御所で蹴鞠が催された時、雨が降った後で庭がまだ乾いてなく、どうしようかと話し合っていると、佐々木隠岐入道が鋸で引いたおがくずを車一杯に積んで現れ、おがくずを、庭に敷き詰めたので、泥水や泥土の心配は無くなった。泥水や泥土の為におがくずを用意しているのは有難いと、人々は甚く感動した。この鎌倉での出来事を吉田中納言に語ると、乾いた砂の用意はなかったと言われ恥ずかしい思いをした。素晴らしいと思ったおがくずは、身分の低い者の、適当な対処で、京都では異様な事で、貴人の庭の管理をする人は、雨・泥に、備えて乾いた砂を用意しておくというのが、昔からの儀礼である。
2023.09.16
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「隔てのない親しい相手」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の六あまり親しくない貴人の正妻から、果物や酒などを優雅な様子で、差し出されるのも、とても良いものだが、冬に、狭い家の中で煎り物を、つまみにして、隔てのない親しい相手と向き合い、多く酒を飲むのは、楽しく、旅の仮屋や野山で、肴になるものは何かないかなどと言い合う。芝の上で酒を飲むのも愉快で、飲めない人が無理強いされ少しだけ飲むのも、中々良いと思う。高貴な方からお酌をして貰い、もう一杯どうですか。まだ飲み足りないと酒を勧められるのも嬉しく、お近づきになりたかった人が、酒が飲める上戸で、飲むうちに段々と打ち解けるのも、また嬉しいものだ。上戸の酒飲みは面白く罪のない者たちで、酔い潰れて引き戸にもたれ、朝寝をしてると、主人が戸を引き開けて焦って戸惑い、寝ぼけ顔で烏帽子もかぶらず、髻(もとどり)を出して、着物の裾をたくし上げ、帯を引きずり逃げようとする。その後姿は、毛が生えた細脛の辺りが可笑しく感じられ、上戸に似つかわしい。
2023.09.15
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「酒は百薬の長とは言うが」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の五この世には過ちが多くて、酒で財産を失ったり、病いを患ったりしてしまう。酒は百薬の長とは言うが、病いの多くは酒が原因である。酒でこの世の憂さを、忘れるとは言っても、酔った人は過ぎた嫌なことも思い出して泣いている。酒は人の知恵を奪って、徳を積み善根を焼くことは火のようなものであり、悪を増長させて、全ての戒めを破る事にもつながり来世では地獄に堕ちる。酒を手にとって人に飲ませた者は、五百回も六道の迷界で生まれかわり、手のない者に生まれ変わると、仏様も説かれている。酒はこのように疎ましい物ではあるが、時には捨て難いという時もある。月の夜や雪の朝、桜の木の下で心のどかに語り合い、傍らに酒の盃がある。あらゆる事物に興趣を添える業(わざ)というべきもので、手持ち無沙汰で、退屈な日に、思いのほか友人がやって来て、盃を交わすのも心が慰められる。
2023.09.14
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「ある者は酔って泣きだし」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の四ある者は、自分がどんなに高貴で凄いかという事を、恥ずかしげも無く他人に言い聞かせ、ある者は酔って泣きだし、身分の低い従者達は、怒鳴り合って、争っているのだが、その様子はあさましくて恐ろしい。酔っぱらいは、恥ずかしくて心配になるような事ばかりをしでかして、最後は、他人の物を取り合って、縁側から落ちたり、馬や車から落ちて怪我をするし、車に乗らない人は、大路をよろよろとして歩いて帰り、垣根・門の下に向けて、立小便をやってしまう。年老いて袈裟をかけ先ほどまで踊っていた法師が、小童の肩を抑えながら、誰に聞かせるでもなく何かを言いながらよろめくのもとても見苦しいものだ。こんな情けない行為をしても、飲酒がこの世でも後の世でも利益のある事ならば、どうだろうかとは思うが実際には何の利益もない。
2023.09.13
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「奥ゆかしく見えた人でも」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の三人ごとだと思って見ていても、酔っている者は心配である。思慮深そうで、奥ゆかしく見えた人でも、酒を飲むと物事を考える事もなく笑って罵ったりする。言葉が多くなり、烏帽子は歪んで、紐を外して、脛を高く上げて股間が、丸見えとなる準備のない様子は、日頃の思慮深き人とも思えない。清楚に見える女性も、酒を飲めば髪をかきやって額を晴れやかに皆に披露し、恥ずかしげもなく顔を晒し、大口を開けて笑い出し、男の盃を持つ手に、取り付いたり、更に慎みのない人は肴を取って男の口にまで持っていき、それを逆の端から自分も飲んだりするので、行儀はとても悪い。酔っぱらいは、声の限りを出して、みんなで歌い踊るのだが、やがて、年老いた法師も召し出されてきて、黒く汚い上半身を晒して身をよじりながら歌い踊る。とても見られたような見せ物ではないが、こんなものを喜んで見ている人さえ、疎ましく憎らしく感じてしまう。
2023.09.12
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「酒飲みはあと少しと引き止め」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の二酒宴から抜け出そうとするのを、酒飲みはあと少しと引き止め、むやみに、飲ませるのだが、きちんとした礼儀正しい人でも、たちまち狂人となって、馬鹿な振舞いを始めてしまう。健康な人であっても、飲めない酒を飲めば、重症の病人のようになってしまい前後不覚になって倒れてしまう。祝うべき日の宴なども、酒の飲めない人にとってはひどいものである。明くる日まで頭が痛くなって、物も食わずにうめいて倒れ、まるで生まれ変わったかのように昨日のことを何も覚えていない。公私の大事な、仕事があっても欠席してしまい、他人に迷惑を掛ける。酒は人をこんなつらい目に遭わせるものであり、慈悲もなければ、礼儀というものもない。こんな辛い目に遭わされた下戸の人は、酒も宴も、忌ま忌ましく、恨めしいものになるのではないか。異国にはこんな飲酒の、風習があると、飲酒の風習がない国の人が伝え聞いたならば、何とも異様で不思議な話だと思うだろう。
2023.09.11
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「はっきりした事が分からない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十三段の一平安初期(9世紀)の六歌仙の一人である小野小町という女性の事は、全く、はっきりとした事が分からない。小野小町の美貌が衰微していく様子が、玉造という書物に書かれている。この玉造という書物は、三善清行(みよしきよゆき)が、書いたという説があり、高野山の弘法大師(空海)の著作の目録にも、玉造という書名が、掲載されているが、弘法大師は承和二年(835年)に亡くなっている。その頃の小町はまだ、十代の子どもだったと推測され、小町の美貌や、才能が開花して、盛りになったのは大師が亡くなった後の事になり、小野小町の事跡についてははっきりしない。
2023.09.09
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「百年生きられる筈の身を損なう」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十二段の二色欲にふけって、情愛に流される事で行いを清廉潔白にすれば、百年生きられる筈の身を損なってしまう。命を失うことすら、願うような素振りで、自分が長生きする存在だとも思わずに、好きな方に心を惹きつけられて、長く語られる物語にもなる。身を誤ることは、若いからである。老いた人は精神力が衰えて、欲望も淡く世俗にも疎くなっており、物事に敏感に、感じて動くという事もない。心は必然的に静かになり、無益な事はしない。自分の身を大切にして健康の悩みを減らすように努め、他人に迷惑を、掛けないようにしようと思う。老いた人は生きる知恵において、若い人に、勝っているが、それは若い人が外見的な容姿やスタイルにおいて、老人に勝っているのと同じである。
2023.09.08
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「病気の治癒を神仏に訴える」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十一段内政を慎まずに軽んじて、みだりに為政者のほしいままにするなら、遠い国が、陰謀を用いて反乱を起こす日が必ず来る。病気がちの人間が冷たい風に吹かれて、湿気の多い布団で寝て、病気の治癒を神仏に訴えるのは愚かな人のやる事であると医書で言われているようなものである。自分自身の養生や予防をせずに、病気を治すことなどはできないのだ。為政者は、まず目の前にいる人々の悩みを止めて、恵沢(けいたく/めぐみ)を施し、道を正しくすれば、その良い影響が遠くの地域にまで広がっていくという統治のやり方を知らないのだろうか。古代中国の聖王である禹(う/中国古代の帝で、夏朝の創始者)が異民族の三苗を征服した時のように大規模な軍勢を引き返させ、武力を用いない徳政を敷くことには及ばないのである。百七十二段の一若い時は内面の血気が盛んであり、心が物に動かされて異性に対する情欲も多い。自分の身を危なくして無謀に砕けやすい事は、斜面で玉を転がす事にも似ている。美しいものを好んで金銭を費やし、或いは金銭を捨て苔の麓で身をやつし、勇ましい心を高ぶらせ他者と争い、恥ずかしがったり羨んだりして、好む相手や場所もなかなか定まらない。
2023.09.07
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「人の袖の陰から膝の下まで」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十一段の一貝覆(かいおおい)という貝を用いたカルタ遊びをする人で、自分の目の前にある貝を、さしおいて、よそを見渡し、人の袖の陰から膝の下まで目を配っている間に、目の前にある貝を人に取られてしまう。貝覆の上手な人は、よその貝まで無理に、取らないが、手近な貝は必ず取り、結果として最も多くの貝を取る。 はまぐりのような二枚貝。おはじき遊びをする時にも、碁盤の隅に石を置いて弾こうとして、目標の石ばかり、見守っていてもなかなか当たらない。自分の手もとをよく見て、ここだという目安をつけて直線にして弾くなら、狙っている石に必ず当たるはずである。全ての事は、外に向かって答えを求めてはならず、ただ自分自身を正せば良い。11世紀の宋の名臣である清献公は、今の自分に出来る善行を実践して、将来の事を問うてはならないと言い、世の中の秩序を保つ政治も、そのようなものではないだろうか。
2023.09.06
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「向き合いたいと思う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十段の二迷惑そうにして相手と話しているのも悪い。相手と話す事に気乗りがしない時、むしろその理由を言ってしまった方が良い。自分も同じ気持ち(関心)を持って、向き合いたいと思う相手が、手持ち無沙汰で暇していて、もう暫く居て下さい。今日は心静かに語り合いましょうなどと言う時には、この限りではない。晋の時代の竹林の七賢の一人である阮籍(三国時代の魏の思想家)のように、青い目と白い目を使い分けることができ、俗っぽい人物と会う時には白い目を、使っていたそうで、客人を歓迎する青い眼をすることは誰にでもあることだ。特に用事もなくて、知人が訪ねてきて、のんびり話してから帰るというのは、嬉しいことであり、また、手紙でも、久しくお手紙を差し上げていませんなどと、書いてあるだけで、とても嬉しいものである。
2023.09.05
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「最近になり使われ始めた言葉」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十九段の一何とか式という言い方は、後嵯峨天皇の時代までは使われなかった表現であり、最近になり使われ始めた言葉だとある人が話していた。しかし、平清盛の娘の建礼門院・平徳子に仕えた右京大夫という女房が、平家滅亡後の後鳥羽院の世に宮中に仕えた時、世の式には何も変わりはないのにと書き残している。百七十段の一大した用事もないのに、他人の家に行くのは良くないことである。用事があって行ったとしても、用事が済んだら早く帰ったほうが良い。長居されるというのは、とても厄介で迷惑なことだ。他人と向き合っていると、余計な言葉が多くなり、身体もくたびれて、心も静かに落ち着かなく、様々な事柄に支障が起こりやるべき事もできず、時間ばかりが、流れてしまい、お互いのために何の役にも立たない。
2023.09.04
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「生き続けるのも無駄ではない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十八段の一年老いた人が、優れた一事に関する才能があって、この人が死んだ後には、誰にこの事について聞けば良いのだろうかなどと言われるのであれば、老人にとっての味方とも言うべき人物であって、生き続けているのも無駄ではない。だが、その専門について衰退している所がないという。この老人の、一生は全てこの事だけのために費やされてきたんだと、つまらない人生のように思えてしまう。だから、今はもう自分の専門については、忘れてしまったよと言ってしまうのもありだろう。大まかには知っていても、やたらに言い散らすのは、それ程の才能が無いようにみえるし、自然としゃべり散らす中で誤りも出てくるだろう。その事については、はっきりとは確実に知らないがなどと言っていれば、本当に、その道の全てを、大まかに知り尽くした先生のように思われる。まして、老人が知らない事をしたり顔で、大人しく物事を良く知らない若者に、言い聞かせているのを見て、そうではない。老人の言う事は間違っているなど思いながら聞いているのは、とてもやりきれないものである。
2023.09.03
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「自分の長所・美点を誇らず」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十七段の二自分の知らない専門の道について羨ましく思うなら、羨ましいことだ。どうしてこの道を選ばなかったのだろうと言っておけばいいのだ。 自分の知識教養を出して人と争うのは、角ある獣が角を傾け、牙がある獣が牙で咬み合うのと同じ類のことなのである。人は、自分の長所・美点を、あえて誇らず、何物とも争わないことを、徳とするものだ。他者より優れている事があるなら、それが欠点ともなる。気品の高さでも、教養・才知の優秀さでも、先祖の名誉でも、人より自分は、優れていると思った人は、例え口に出さなくても、心の中に多くの罪や、過ちが生まれてしまう。自分の長所・自慢など慎んで忘れた方がいい。馬鹿のように見られ、人から自分の発言を訂正されて、災禍を招く原因は、この慢心からなのである。本当に一つの道に精通した者は、自分で明らかに自分の欠点を知っているが故に、いつまでも自分の理想の志が、満たされる事がない。だから、他者に自分の自慢をする事もないのだ。
2023.09.02
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「金銀・珠玉(宝石)の飾りつけ」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十六段の一世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に、雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を、建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろうか。人の生命は長いと思っていても、下から消えていく生命は雪のように、儚いものである。間もなく人は死んでしまうというのに、それなのに、一生懸命に働き続けて、その成果を長く待っているような人が多い。百六十七段の一ある専門の道に従事する人が、違う専門の道の会合に出席して、これが自分の、専門の集まりであれば、何も言わずに傍観するだけではなかったのにと言った。こういった事を思うのはよくある事だが、もし専門外の事に間違った反論をしてしまえば、酷く下らない人間だと思われてしまうだろう。
2023.09.01
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「日本の陰陽道の始祖」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十三段の一太衝(陰陽道でいう9月のこと)の太の字は、太と点を打つのか大と点なしで、良いのかという事で、陰陽に関係する人たちの間で論争になったことがあった。盛親入道が申し上げたのは、日本の陰陽道の始祖の安倍晴明の息子の安倍吉平が、占文の裏に書いた自筆文書が近衛関白の邸宅に残されていた。それには太衝の太の字には点が打たれていたということである。百六十四段の一世の人が会う時には、少しの間も沈黙していることがない。必ずそこには雑談、世間話の言葉がある。その話を聞いていると、多くは無益な雑談である。世間に流布している根拠のない噂話・評判、他人の良い事と悪い事についての雑談、自分と相手にとって失うものばかり多くて、得るものは少なく、こういう世間話の時には、お互いの心に無益・無意味な話をしている自覚がない。百六十五段の一東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派と、異なる修行(勤行)をする。自分が属している生活圏の風習から外れた人つまり、本来自分が居るべき場所にいない人というのは、どこか見苦しいものだ。
2023.08.31
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「立春の日より七十五日後」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百六十一段の一桜の花の盛りは、冬至の日より百五十日後とも、春分の日の二日後に、訪れる時正の日から七日後とも言うけど、立春の日より七十五日後でも、桜の花の盛りということでは大きな違いはない。百六十二段の一遍照寺の雑役・労務をしていた法師が、池に来る鳥を日頃から飼いならして、堂の中にまで餌を撒いていた。戸を一つ開けているだけで、数えられないほど、多くの鳥が餌を求めて堂の内部に入ってくる。そこへ法師は自分も入っていき、戸を閉じて、池の鳥を捕えては殺していて、その殺生の様子が外まですさまじく聞こえてくるので、草を刈って聞き咎めて、人に報告した。村の男たちが集まり遍照寺の御堂に入ると、大きな雁が慌てふためきながら逃げまどう中に法師が交じっていて、その雁を、打ち伏せてはねじ殺している有様である。 村の男達は法師を捕まえて、検非違使庁(律令制下の令外官)に、つき出した。その法師は殺した鳥を首に掛けられて、牢獄に投獄された。基俊大納言が別当(検非違使庁の長官)の時の事でかなり昔の話である。
2023.08.30
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「糸を結び重ねた様子」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十九段の一蜷(みな)結びというのは、糸を結び重ねた様子が、蜷貝に似てるから、そう呼ぶのだと、ある身分の高い貴人が話しておられた。なので、蜷貝を『にながい』というのは間違いなのである。百六十段の一門に額を飾るのを、額を打つと言うのは正しい言い方なのか。書道の師家の勘解由小路二品禅門(藤原経尹)は、額を懸けると話された。見物の時の桟敷を、打つという言い方も良いのであろうか。普通、天幕を打つとは言う。しかし、桟敷を構えるという言い方もある。護摩を焚くと言うのも良くない。護摩という言葉自体に護摩を焚くという意味が、含まれているので、護摩を焚くとは言わないのでは。修するや護摩するなどと、言うほうが正しいだろう。行法は、法の字を濁音無しで、ギョウホウと言うのは、悪く、濁音できちんと、ギョウボウと言うべきだと、清閑寺の僧正が語った。いつも使う言葉であっても、このような間違った使い方が多いものである。
2023.08.29
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「自然に仏の教えが身につく」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十七段の二経典を開き誤りに気付き、物事に触れる事による利益である。信心が起こらなくても、仏の前に座り、数珠を取って経を開いていれば、怠けていても自然に仏の教えが身につくものだ。また、気を散らしながらでも、縄の座椅子に座って座禅を組んでいれば、意図しなくても禅定の悟りの境地に達する事もある。事象と真理というものは、初めから二つが別々のものではない。外見の相や、言葉が道理に反していなければ、必ず自己の内面も悟りに向かい成熟する。無理に不信を言い立てる必要はない。外見だけでも良いので、仏を、仰ぎ見て尊重していれば良いのである。百五十八段の一盃の底に残る酒を捨ててから、人に盃を回す風習をどう思うかと、ある人が、尋ねた。その作法は凝当(ぎょうどう)と言い、底に凝り固まった酒を、捨てるからとある人が答えていたが、凝当ではなく魚道(ぎょどう)と言うと、酒の流れを残して、口がついた部分をゆすいでいるとある人は話していた。
2023.08.28
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「然るべき所を申し請け」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十六段の一大臣に任命された人が開催する宴会は、然るべき所を申し請けて行うのが世の常。宇治左大臣殿(1156年の保元の乱で崇徳上皇側に付き戦死した藤原頼長)は、東三条殿に人を集めて宴を開いた。ここは天皇の内裏であったが、大臣から、申請があって天皇は他所へ移動された。大層な縁故がなくても、皇后陛下の、御所なども大臣がお借りすることがあるが、古来からの儀式・慣例・習慣である。百五十七段の一筆を持てば何か書きたいと思い、楽器を手に取れば音を出したいと思う。盃を持てば酒の事を思い、サイコロを見れば博打を思う。心は必ず外部の物事に、触れて動く。仮であっても、不善を為す事に繋がる戯れをしてはいけない。気が向いた時に、仏教の経典を広げてその一句を見れば、何となくその前後の文も見えてしまう。その偶然に見えた文によって、突然、長年の誤り気付く事もある。もし、経典を開かなかったら、この誤りには気づかなかっただろう。
2023.08.27
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「初春を迎える新芽の気」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十五段の三枯れ葉が落ちるというのも、葉が落ちてから芽をつけるのではなく、木々で、兆している新芽に堪えきれずに葉が落ちるのだ。 初春を迎える新芽の気を、内部に蓄えているが故に、枯れ葉はあっという間に落ちてしまう。『生・老・病・死』が移り変わることも、この自然の推移と似ている。四季には定まった順序がある。だが、死期は順序を待つということもない。死は、必ずしも前より来るのではなく、いつも背後に迫っているのだ。人は皆、死ぬ事を知ってはいるが、死は急には来ないものと思い込んでいる。死はいつの間にか予期していない時に後ろから迫る。沖の干潟は遥か、彼方にあるけれど、潮は磯のほうから満ちてくるのである。
2023.08.26
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「人の生命・住居・差異・消滅」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十五段の二病気をすること、子どもを出産すること、死ぬということは、時機を上手く図ることもできず、順序が悪いからといって止まるという事もない。人の生命・住居・差異・消滅などが移り変わっていくが、これらの大事は、激しい流れの川が勢い良く流れていくようなものだ。僅かの間も流れが滞ることはなく、あっという間に流れ去っていく。なので、仏道修行でも俗世間での行為でも、必ず成し遂げようと思う事であれば、時機ということは関係がない。あれこれの準備は必要なく、足を止めない事だ。春が終わって夏になり、夏が終わって秋が来るというのではない。春は既に、夏の気配を感じさせ、夏は既に秋へと通じ、秋はすぐに寒くなり、十月は、小春日和の肌寒い天気となり、すぐに草は青くなり、梅の蕾も出来てくる。
2023.08.25
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「鉢に植えられた木々」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十四段の二障害者を見ていて、やがてはその興味も消えて、見るに堪えなくなり不快に、思われてきた。ただ素直な珍しくもない身体には及ばないと思って、家に、帰った後、自分が趣味で好んでいた盆栽を見て、枝や幹の異様な曲がり具合を、求めて楽しんでいたのは、あの障害者を愛でていたのと同じ事だと思い、急に興味が失せ、鉢に植えられた木々を、全て土ごと捨ててしまったという。当然のことである。当時の身体障害者(不具ゆえ貧しい)に対する貴族階級の、差別意識が反映された段であるが、当然ながら、差別を禁ずる人権思想が、発生するには18世紀のヨーロッパ(フランス)の啓蒙主義やフランス革命を、待たなければならず、日本では20世紀半ばまで、不具・奇形等の身体障害に、対する根強い社会的な差別意識が、なくならないで残っていた。百五十五段の一世間に従う人は、まず物事が上手くいく時機を知らなければならない。順序を、間違うという事は、人の耳に逆らい、相手の心にも逆らうことになり、その事は、成し遂げられないだろう。物事が上手くいく時節を心得なければならない。
2023.08.24
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「鎌倉幕府追討の陰謀に参加」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百五十三段の一為兼(ためかね/京極)大納言入道が、鎌倉幕府への謀略の疑いで召し捕えられた。武士どもが取り囲んで六波羅探題の幕府による京都の監視機関に連行する様子を、資朝卿は一条の辺りで見ていて、この世に生きたという思い出で羨ましい。為兼大納言入道のような生き方こそ望ましいと言っていた。後醍醐天皇の側近の日野資朝は、鎌倉幕府追討の陰謀に参加したが、佐渡ヶ島に、配流され、1332年6月、元弘の乱の際に佐渡ヶ島で処刑された。百五十四段の一資朝卿が東寺の門に雨宿りしたところ、体に障害を持つ者たちが門の下に、群れ集まっていたが、手足は捻じ曲がっていて、いずれも不具な異形をして、それぞれが類稀な曲者であった。面白いと思ってその様子を見守っていた。
2023.08.23
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