全3件 (3件中 1-3件目)
1

フリッツ・ライナー生誕120年にあたる今年、何か企画がないのだろうかと思っていたところ、ようやく出ました。SHM-XRCD。 第1弾はベートーヴェンの交響曲第7番と「フィデリオ」序曲です。ずいぶん前に買った普通のCDと聴き比べをしてみました。なるほど、各パートが鮮明に聞こえてきます。例えば、第4楽章開始後1分過ぎのところで、トランペットの和音があるのですが、普段聞き流してしまうような小さな動きにハッとさせられました。 「音質がいい」と一言で言っても、いろいろあると思います。SHM-CDは音をクリアにする音質の良さだと思いました。一方、SACDは聴き心地のよい音質の良さだと思います。 これからSHM-XRCDでフリッツ・ライナーの名盤が次々登場するようなので、ますます楽しみです。これによって、もっと日本での評価が高まればいいなあ、と感じます。個人的には、SACD盤でもっと発売してほしいのですが。
2008年09月26日
コメント(0)
ずっと気になっていたのですが、ようやくディーパック・チョプラ氏の著書に触れることができました。 その中でアインシュタインの名が出てきたので、かみさんに「アインシュタイン知ってる?」と聞いてみました。すると、「あのベロ(舌)を出している人のことでしょ。」との答え。意外なことを知ってるなあ、と思いましたが、実はコマーシャルに出ていたんですね。知りませんでした。 しかし、この本の内容にはしっくりこない部分もありました。 『The Spontaneous Fulfillment of Desire』~興味深い部分を抜粋させていただきます。 すべてのものが情報とエネルギーから成り立っているのが第二の存在レベルです。量子の領域と呼ばれているこのレベルに存在するものには、すべて実体がありません。すなわち、五感で知覚することはできません。ふつう「自己」だと考えている精神、思考、自我などのあなたの一部はすべてこの量子の領域に含まれているのです。精神や思考に形はありませんが、現実に存在していることを疑う人はいません。この領域は、精神という観点から考えると、いちばん理解しやすいでしょう。しかし、この領域にはそれだけでは語りつくせない多くの要素が含まれています。実は、宇宙に存在している形あるものはすべて、量子の領域のエネルギーと情報が形となって現れてきたものにほかならないのです。 物理的な世界に存在するすべてのものが、実際には情報とエネルギーで成り立っていることを説明する方法があります。有名なアインシュタインのE=mc2の公式です。わたしたちは、ここからエネルギー(E)が、質量(m)×光の速度(c)の2乗に等しいことを学びました。すなわち、物質(質量)とエネルギーは、形が違うだけで実は同じものなのです。 学校の授業では、固体はすべて分子から成り立ち、この分子はさらに小さな原子と呼ばれる単位で構成されていると教えられます。今、わたしが座っている椅子は堅そうに見えますが、実は高倍率の顕微鏡でやっと目にできる、非常に小さな原子からできているのです。授業がさらに進むと、原子は電子・陽子・中性子などから構成されていることを学びます。そして、これらはまさしく情報やエネルギーの束(または波動)なのです。第二の存在レベルの観点からみれば、あなたが座っている椅子は、まさしくエネルギーや情報からできているといえるでしょう。(中略) フットボールの競技場の真ん中に置いてあるピーナッツを想像してください。ピーナッツは原子核で、競技場はその核の周囲を取り巻く電子の雲です。「モノに触れる」とは、電子の雲にぶつかることであり、人間はそれを「固体」だと認識します。しかしそれは、人間の知覚が鈍感だからなのです。人間の目は、物体を三次元の固体として見るようにプログラムされていますし、末梢神経も、物体を三次元の固体として感じるように設計されているのです。前述したとおり、量子の領域には固体は存在していません。しかも、ふたつの電子の雲がぶつかると、両者の一部が溶けていくのです!あなたのエネルギーの場(電子の雲)が何かに触れると、その場のわずかな部分が溶け出していきます。自分ではまったく変わっていないと思っていても、あなたのエネルギーは触れた物体にほんの少し奪われます。かわりに、あなたもその物体から少量のエネルギーを受け取っています。このようにあらゆる出合いで、情報とエネルギーの交換が行われ、わずかな変化が起きているのです。すべての人間が、エネルギーの場の一部をたえず分け合っているのです。 量子の領域を覗ける目をもっていたら、世の中はどう映るでしょう?そこでは、物理的な世界で固体だと思っていたすべてのものが、光の速さで無限の空間に現れては、消えていきます。宇宙では、ものが現れては消えているのです。「世界は継続的で、固体で形成されている」という考えは、エネルギーと情報を識別できない人間の感覚がつくり上げた想像です。実際、人間もつねに現れては、消えています。感覚を微調整できたなら、自分のなかに隙間があるのが実際に見えることでしょう。今、ここにいても、次の瞬間には消えて、たちまち舞い戻ってくるのです。 この理論にまつわるたとえ話があります。カタツムリが光を認識するには約3秒かかります。そのカタツムリがわたしを見ていたとします。わたしが部屋を離れ、銀行を襲撃し、3秒後に戻ってきたとすると、カタツムリは一度もわたしが部屋を出たのを見ていないことになります。裁判所に連れていけば、わたしの完全なアリバイを証言してくれるでしょう。カタツムリにとって、わたしが部屋から消えていた時間は、映画のコマとコマの間の隙間の時間です。カタツムリはこの間隙(かんげき)をまったく認識できないでしょう。 こんな禅問答もあります。ふたりの僧が、風に揺れている旗を見ていました。ひとりの僧が「揺れているのは旗だ」と言いました。するともうひとりの僧が「いや、揺れているのは風だ」と強く反論しました。そこに、僧たちの師がやってきました。そこでふたりは「いったい、どちらの意見が正しいか教えてください」と尋ねました。すると師は、「どちらも間違いだ。揺れているのは意識にほかならない」と答えたのです。(中略) わたしの墓の前で、泣いたりなんてしないでください そこにわたしはいません 眠ってなんかいないのです わたしは千の風になって、空に吹いています ダイヤモンドのようなきらめきになって、雪の上に照り輝いています 暖かい日差しになって、実った穀物に降りそそいでいます 秋の雨になって、やさしく地面をぬらしています 鳥になって、やわらかい朝の光の静けさのなかを かろやかに飛んでいます わたしの墓の前で、泣いたりなんてしないでください そこにわたしはいません わたしは死んでなんかいません ネイティヴ・インディアンの言葉、作者不詳 邦題『迷ったときは運命を信じなさい』 (訳)住友進
2008年09月14日
コメント(0)

久しぶりに鳥取県の大山に登ってきました。 9:20 南光河原駐車場(大山寺橋をわたってすぐ)発 9:50頃 休憩(4合目付近)10:20 6合目着10:30 6合目発11:05 大山山頂(弥山みせん1711m)着 縦走路は崩壊が激しく通行禁止のため、現在行ける最高地点です。 11:15 山頂発12:35 駐車場着 今回は夏山登山道を利用して、往復3時間15分(休憩込み)かかりました。同行者がいたので、自分としてはゆっくりのペースでした。他に、行者谷コースもあります。 六合目避難小屋 6合目付近から金網で覆われた階段状の道が多くなります。所々壊れていて危険ですが、徐々に木の崩れ止めに換えているようです。 8合目からは歩きやすい木道になります。 ガスっていることが多く、時折ふもとの景色が見える程度でした。残念! 南光河原から望む大山。下山してからようやく天気がよくなりました。 昔の眺海荘が改装されて、モンベルのお店になっていました。
2008年09月08日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


