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小林 p. 59 )
唯物史観とは、カール・マルクスが提唱した「進歩史観」である。社会は、生産手段の発展に伴って発展するという考え方だ。が、ここには、実際に時代を生きた人々の声がない。関心があるのは「物」だけである。このような歴史観が一面的なものであることは言うまでもない。
林 君は歴史教育は日本勤王史をやるべきだと言つたさうではないか。
小林 歴史の初等教育や、中等教育で、日本史を上古から現代までならしにして浅薄に教へてはいかぬといふのだ、事件とか時代とかに目安を置いて一貫した風景の鎖を教へ込まうとしては駄目だ、と言ふのだ。さういふ方法で歴史といふものは、国民思想的なものだ。国民道徳的のものであると学生に納得させる事は非常に難かしい。(同)
例えば、1333年に鎌倉幕府が滅び、翌年後醍醐天皇が建武の中興を始める。が、1338年足利尊氏が室町幕府を立て、後醍醐天皇は追われて吉野に南朝を開く、などといった年代記を身に着けることはそれなりに大切なのであるけれども、それだけでは、国の歴史の奥底に流れる思想や精神というものが見えてはこない。それでは、日本の「伝統」も分からないし、日本人としての帰属性も高まらない。歴史は、受験に必要な知識でしかない。
さういふ風な方法で日本歴史を一と通り覚え込ませれば、いゝかね、覚え込ませれば、だよ、学生は国体観念といふものを理解するだらうと考へる。実にお目出度い考へだ。国体観念といふものは、覚え込ませるのではない、感得させるものだ。だから感得させる様に歴史を教へねばならない。(同)
何年に何が起こった、誰が何をしたのかという年代記には、「国体」というものがない。日本という国がどのような国なのか、その「国柄」を知れるような歴史教育が必要だということだ。
それには、歴史に教へるべき重点を置き、例へば建武の中興とか明治維新とかいふ処をくはしく教へるのだ、暗記しようと思つても、暗記出来ない程くはしく教へて、学生の興味といふものを喚起するのだ。興味を喚起するといふ事が一番大切なのだ。学生が面白くてたまらぬ様な話は、慥(こしら)へなくても歴史の上にあり余るほどあるではないか。(同、 pp. 59-60 )
教育は受験のためにあるのではない。受験のための歴史教育によって、歴史は、表面をなぞっただけの歴史に矮小(わいしょう)化されてしまっている。
実際に学生がほんたうに虚心坦懐に歴史に対して最も興味があるものは何と言っても美談或は人間的なエピソードといふものだよ、不確実な美談であつても心を唆(そそ)らぬ正確な史実といふ様なものより勝る事万々だ。心を唆られるといふ処に、歴史のほんとうのセンスが生れるのだ。だから、僕に言はせると、初等の歴史教育では、歴史なぞ教へる必要はない、歴史に対する正しいセンス、正しい情操を教へよ、と言ふのだ。それが出来ないから、歴史についていかに精(くわ)しくなつてもをかしな事になるだけなのだ。(同、 p. 60 )
歴史をただ過去の出来事として見るのではなく、その時代を生きた人々の心にまで入り込まこまなければ、歴史に流れる「精神」に触れることは出来ないということだ。【同】
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