照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2026.05.16
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カテゴリ: 時事問題

《刑法は犯罪を防ぎ、個人や社会、国家の利益を守るためにある。ほかの手段では利益を守れない時にのみ刑罰を用いるのが基本的な考え方だ。

 外国国章損壊等罪は、日本の外交上の利益を守るためにあるとの考えが有力だ。「国交に関する罪」の章にあり、外国政府の請求を要件としている。これらを踏まえれば、同罪があるからといって日本国旗の損壊罪が必要との理屈には首をかしげる。なぜ改正が必要なのか、守る利益は何か、どちらも腑(ふ)に落ちない》(2025年11月24日付朝日新聞社説)

 <利益>という言葉が引っ掛かるが、取り敢えずこの言葉を使えば、個人の利益と社会ないしは国家の利益が衝突する場合、どう折り合いをつけるのかが問題なのだ。表現の自由が過剰となれば、社会秩序が掻き乱されかねない。だとすれば、どこまで表現の自由が社会的に認められるのかということが問題となる。が、今、日の丸が傷付けられることを法律で抑え込まねばならないほど社会が混乱しているとは思われない。つまり、法律で国旗損壊を抑え込もうとするのは、社会秩序の問題というよりも、そのことが気に入らないという個人の感情の問題ではないかと疑われるのだ。事左様(ことさよう)に個人の感情の問題だとすれば、日の丸が傷付けることを法律で禁じるだけの法源を有していることなのかとの疑問が湧く。

《政府に抗議するため、国旗を燃やしたり、やぶったりする行為は繰り返されてきた。そうしたやむにやまれぬ市民の叫びを刑罰で抑え込むことは、表現の自由の重みに照らせば許されることではない》(同)

 が、政府に抗議するために日の丸を傷付けるという話も疑問だ。政府の政策に問題があるのであれば、別の抗議の仕方があるだろう。やはり国旗を傷付けるのは、政府というよりも日本の歴史や文化を否定したい心象の表れであろうと思われる。それは、<やむにやまれぬ市民の叫び>などというものではなく、個人の心の中に湧き上がるどす黒い悪感情のようなものなのではないかとも思われる。

 が、私は、道徳的にはこのような感情表現は慎むべきであるとは思うけれども、これを法律によって抑え込むことには反対の立場である。公然と日の丸を傷付ければ道徳的な非難に晒(さら)されざるを得ない。が、それでいいのだ。それは社会を浄化する切っ掛けを与えてくれる。国旗を大切にすべきだとの意識を国民に喚起することにもなるし、何より、日本のどういうところが気に入らないのかが明らかにされることで、日本をよりよくするための契機とも成り得るからである。これは受け取り方の問題である。日の丸が傷付けられたからといって、その行為を感情的に否定しているだけでは何の問題の解決にもならないということだ。【続】






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Last updated  2026.05.16 10:00:05 コメントを書く


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