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《判例や学説は、基本的人権の中でも表現の自由をひときわ重視し、刑事罰で制限することには極めて慎重であり続けてきた》(2025年11月24日付朝日新聞社説)
が、どうして司法や法学者が表現の自由を重視しているのか、刑事罰で制限することに何故慎重なのかについて踏み込まなければ、ただの法曹界の太鼓持ちにしかならない。
基本的人権の中で表現の自由が重視されているというのと、歴史伝統的に表現の自由が国民の権利として認められているというのとでは表現の自由に対する考え方が大きく異なる。今の日本は、敗戦によって歴史が寸断されてしまったために、観念的に表現の自由を考える傾向が強いと言えるだろう。問題は、どこまでその自由を認めるのかということであるが、憲法にあるように「公共の福祉」に反さない限り自由は認められるとせざるを得ない。 つまり、日の丸を傷付けるのは公共の福祉に反するのでその自由は認められないという話になる。
これは当然「公共の福祉」とは何かという問題に帰着する。が、「公共の福祉」とは何かを具体的に定義することはできず、日の丸を傷付けることは、罰則を設けなければならないほど公共の福祉に反するとまで断定することもまた難しいだろう。だから、法学的には国旗損壊罪には慎重にならざるを得ないのだ。
《民主主義を深めるには、自由に考え、それぞれの意見を交わすことが何より欠かせない》(同)
民主主義命の人達はこのようなことを言うけれども、個々人が自由に考えれば考えが深まるわけではないし、それぞれの意見を交わせば問題が平和的解決を見るわけでもない。むしろ、自由に考えれば考えるほど、それぞれの意見を交わせば交わすほど、民主主義に対する疑念や不信が高まるということも十分有り得ることだ。
《政府が国民を統合するシンボルとして国旗を使おうとすれば、その反作用として、特に少数者の側から、政府への異議申し立ての手段として国旗を使おうとする動きが出ても不思議ではない。それを抑圧する方法をとるのでは、強権的とのそしりを免れない》(同)
が、政府は国民を統合するシンボルとして国旗を使おうなどとしていない。また、政府への異議申し立ての手段として国旗を傷付けるわけでもない。日の丸は、政府ではなく日本の歴史文化を象徴するものだからだ。
《民主政治を健全に保つには人々の自由を最大限保障することが重要だ》(同)
「最大限」とはどの程度のことを指すのか、どのようにしてその判断を行うのか、そのことが問われるのであって、<自由を最大限保障することが重要だ>などとただ抽象的なことを言って修まっているようでは何の批判にもなっていない。【続】
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