照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2026.05.19
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カテゴリ: 時事問題

特定の物事に異様な執着を示すことを「フェチ」(fetishism)と言うが、国旗損壊罪に異様な執着を示しているのもまた1つのフェチなのではなかろうか。否、そもそも日の丸を傷付けることを異様に嫌悪すること自体がフェチなのではないか。

 日の丸を傷付けることぐらいでがたがた言わなくてもいいじゃないかと言いたいのではない。私も日の丸を尊重すべきだと思うことにおいては人後に落ちないつもりだし、日の丸を傷付けられるのを見れば心は痛む。が、今国旗損壊罪を創設し、罰則を規定しなければならないような状況にあるとはとても思えないのに、国旗損壊罪創設に慎重論を唱える人を非国民であるかのように罵倒するのを見れば、そこに「国旗フェティシズム」とでも呼べるような何か精神的な倒錯でもあるのではないかと疑ってしまうのだ。

 かつて、2009年の政権交代の後、鳩山由紀夫首相と各閣僚の計18人が、9月16日に首相官邸で行った記者会見で、会見場に設置された国旗に一礼したのは7人だった。礼をしたのは首相、福島瑞穂消費者・少子化担当相らで、亀井静香郵政改革・金融相、岡田克也外相ら11人は国旗前を素通りして登壇したということがあった。慣例からすれば、国旗に一礼するのが礼儀である。が、慣例は絶対的なものではない。国旗に一礼しなかったからと言って、罵声を浴びせかけるというのもどうかと思うのだ。

 また、慣例を破ったことと、国旗への一礼の要不要の問題とごっちゃにして議論すべきではない。政権交代となったのだから、自民党政権の慣例を引き継ぐ必要はないとして、1つの政治的パフォーマンスとして国旗前を素通りしたとも言えるのかもしれないが、このような態度は、やや大人げないようなところもあって、あまり行儀のよいことではないように思われる。

 が、一方で、国旗に一礼しないとは何事だ、失礼にもほどがあるなどと言われても、ちょっとまってくれ、国旗に一礼することがどうして必要なのかその理由を述べてほしいと思わず言いたくなってしまうのだ。国旗は日本国の象徴であるとしばしば言われるが、国旗は国の識別として日本国を表すものではあっても、必ずしも日本の文化や歴史伝統を表しているわけではない。国旗に深い意味合いをもたせようとするのは、ある種のフェティシズムだろう。国旗にどれほどの意味を持たせるのかは人それぞれと言うしかない。だとすれば、国旗に一礼しなかったことをもって不敬と言うのは言い過ぎであろうと思われるのだ。つまり、国旗に一礼することが絶対的なものではない、私はそう思っている。

 国旗フェチの人にとっては、私のような意見は決して受け入れられないのだろう。が、私にとっては、国旗という「物」に一礼を強要するフェティシズムは決して受け入れられないということだ。【了】






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Last updated  2026.05.19 10:00:04 コメントを書く


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