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ここで注意しなければならないのは、日本国憲法第1条は、伝統的存在たる天皇を規定したものであるから、抽象的な意味合いで読まなければならないということだ。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
当たり前だが、天皇が<日本国の象徴であり日本国民統合の象徴>であるのは、憲法がこのように規定しているからではない。憲法で規定しているからといって天皇が日本国民を統合できるわけではない。天皇が日本国民を統合できるのは、天皇が「権威」を有すればこそだ。
ではどうして天皇に権威が宿るのか。これも当たり前だが、主権者たる国民が憲法によって天皇に権威を附与したからではない。権威は誰かに付与されることによって身に纏(まと)えるようなものではない。権威は、歴史伝統の積み重ねによって付帯されるものなのだ。その意味で、権威は、権力者の恣意(しい)から免れている。
権威を纏った天皇は、一般国民とは住む世界の異なる存在である。つまり、天皇は、超越的存在だ。言い換えれば、天皇は、観念の世界における「神」ということになる。勿論、ここで言う「神」とは、一神教における「ゴッド」とは異なり、一般人とは異なった超越的な力を有する存在という意味だ。天皇は<日本国の象徴であり日本国民統合の象徴>なのだから当然のことだ。
天皇が神だというのは抽象的次元における話である。このことは、天皇陛下を抽象的次元における神としての天皇と、具体的次元における人としての陛下に便宜的に分けて考えると分かり易いだろう。詳しくは、拙著『天皇論入門』に譲るが、要は天皇は半分「神」であり半分「人」である「半神半人」( demigod )と考えるべき存在なのだ。
また、1条に言うところの「国民」は、天皇の地位に関する限りにおいて、伝統的なものであり、「死者をも含めた国民」でなければならない。伝統とは、チェスタトン言うところの「死者の民主主義」なのだ。死者は、生者よりも圧倒的多数派である。であれば、死者の意見を最大限慮(おもんぱか)ることが必要となるのだ。それは伝統を尊重するということだ。皇室の伝統について考える際、生者が自分たちの意見や考えを死者に押し付ける、すなわち、伝統を軽視するということは避けなければならないということだ。
ついでに言えば、 1 条における主権在民ないしは国民主権も抽象的次元で捉えるべきものであって、今を生きる国民が主権という絶対権力をもっているなどと考えることは慎まねばならない。国民を死者を含めて考え、死者を含めた国民に主権があるということは、生者は日本の歴史伝統を尊重しなければならないということを意味するのだ。【続】
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