司馬遼太郎の「義経」に源頼朝が蛭ヶ小島のながされていた頃の暮らしぶりが書かれている箇所があったので紹介します。
そのうえ日常は物静かで、読経にあけくれていた。その声律の清らかさは、僧も及ばない。
僧も及ばぬといえば、この流人の読経の量であった。毎日、心経十九巻、観音経一巻、寿命経一巻、毘沙門経三巻、薬師呪二十一反、尊勝陀羅尼七反、毘沙門綬八反、それに南無阿弥陀仏の念仏を千百ぺん唱え続けている。
人に聞かれると、
「亡父亡臣のためである」
と答えた。とくに念仏の千べんは亡父義朝菩提のため、あとの百ぺんは義朝と最後を共にした鎌田正清のためだというのである。父はともかく亡臣の菩提のために十数年のあいだ毎日百ぺんの南無阿弥陀仏をとなえつづけるというのは尋常なことではない。
呼吸も自然に臍下丹田法になり、酸素は体の隅々まで行き渡り気力も充実したと思います。
蛭ヶ小島は頼朝にとっては最高のイヤシロチだったんでしよう
その結果平家滅亡の夢を達成したんですね。鎌倉幕府を起こしたのはその結果であり、平家滅亡させることが頼朝の本来の目的であったと私は思います。強く思いつづけていると世の中はなるようになるもんですね。
私の朝の般若心経十回読み(今朝で二九,八二〇回)は頼朝の足元にも及びませんが、なるようになるのを願って今後も唱え続けます。
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