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日記「60分行えれば、80分いけるかも」 最近、有酸素運動がけっこう辛くなってきた。それでも、基本的には「1日80分」は何とか継続している。前にも書いているかもしれないが、同じマシンを使って80分有酸素運動をすることはない。必ず2種類のマシンを用いる。理由は…。おそらく気分転換だと思う。時には3種類用いることもある。 昨日も、最初にステアクライマーを30分行い、次にトレッドミルに移った。50分の予定である。しかし、最初の20分で早くも辛くなってきた。「今日は50分は無理かもしれないな~。とりあえず30分行えば合計60分になるので…」と何とか30分を目標に続けた。 目標の30分を過ぎると少し気持ちが楽になり、「後5分」を繰り返して何とか予定通りの80分を達成した次第である。何となく「60分行えれば、80分はいけるかも」というような感じが出来上がりつつあるような気がする。下半身などに「痛み」などを覚える場合は無理はできないが、そう言う場合はマインの種類を変えると続けられる場合もある。 どのマシンも、決して「より早く」という気持ちはないのだが、一番の目標は「脂肪燃焼」にあるので、心拍数120を一つの目安としている。だから、こまめに心拍数はマシンに設置された計測器で測るようにする。ただ、マシンによっては「あきらかにこんな数字はないだろう!」という場合や、全く数字が表示されない場合もある。正しく表示するものは、それぞれのマシンごとにだいたい頭の中に入っているので、それを使うようにはしているが…。
2012.03.31
旅に出よう(国内・自転車旅行)「大阪まで」 浜松の次は名古屋に宿泊している。ここでもユースホステルを利用した。写真はないが、名古屋城、テレビ塔、そして東山動物園あたりを観光したような気がする。(それにしても1枚くらい写真があっても良さそうな気がしないでもないが…) 名古屋の後は、ひたすら紀伊半島を海岸線に沿って走っている。大阪までどこかで数泊していると思うが、その記録がない。 さて、ユースホステルに宿泊する場合、いつも食事をつけるので夕食と朝食の心配をする必要はない。問題は昼食である。まあ、現地の食道を利用することも多少はあったが、スーパーなどで弁当やおにぎりを買ったり、インスタントラーメンを作ることの方が多かった。 理由は、もちろん費用面であるが、食事の費用ではない。ビールなのである。まず、最初に断っておきたいのだが、お酒(そのほとんどがビール、正確に言うと現在では「発泡酒」)は大好きだが、さすがに休みの日でも昼間から飲むという習慣はほとんどない。まあ、陽が沈まないうちから飲むのは、冠婚葬祭があれば別だが、正月くらいのものである。 ただ、この自転車旅行の時は昼食と共に飲むビールの味は最高であった。汗をかいた後のビール、これほど美味しいものはない。当時は、記憶違いではないと思うが、まだ「発泡酒」なるものが世に出回っていなかったと思う。販売されていれば、経済的な面からそちらを飲んでいたはずだ。 それで、私の場合、必ず「食べながら」でなければならない。だから、自転車を漕いでいて「うわ~、ノド渇いた!」と自販機などでビールだけを飲むということはなかった。必ず昼食が付いていたのである。 逆に、昼食時にはビールが脇にないとその宴?が半減した。よって、食堂などを利用すると、へたをすると食事の金額とビールの金額が変わらないということもあったわけである。それでは少し大変なので、できうる限りビールは酒屋や自販機などで購入し、昼食を別に用意した次第である。 旅行中は多少は簡単なものが作れるようにと、キャンピング用のガスバーナーと煮炊きできるようにコッヘルを携帯していた。まあ、「簡単なものが作れる」といっても結局はインスタントラーメンなのである。これであれば1種類のコッヘルで済むし、わざわざ食器に移して食べる必要もない。 この出来たてのラーメンと冷えたビールの組み合わせが最高なのである。さすがに麺だけでは味気がないので、ときにはキャベツなどの野菜は買っていた。 ラーメンが出来上がると、ガスバーナーの火を止めコッヘルを下に下ろすが、取っ手が非常に熱い場合があるので注意しなければならない。ときにはハンカチを取っ手に巻いてやる。コッヘルを下におろすとランチタイムの開始となる。フーフーやりながら熱々の麺とキャベツを箸でつかんで口の中に運び、ズルズルズルと吸い上げ、何回か噛んだ後に飲み込むが、そこでビールの出番である。ゴクゴクと喉を鳴らしながら麺が胃に落ちていくのを加速させてやるのである。「うっひゃ~、うめ~!」と思わず心の中で叫び、幸福感を感じずにはいられなかった。 通常は大瓶1本だが、「いや~、今日は汗をかいたな!」というときは大瓶2本となる。食事の後、しばらく「食った!食った!」と休んでいると、心地よい睡魔が襲ってきて30分ほど昼寝をするのだが、起きたときには「さあ、もう一走りするか!」と新たなるエネルギーに満ち溢れていた。 さて、大阪では、高校卒業時と大学時代に行ったバイクのツーリングでお世話になった叔母の家にまたまたお世話になってしまった。私よりも10歳以上は年上なのだが、いとこがいて、大阪万博の跡地の公園や通天閣などを案内してもらい、非常に気を使わせてしまった。ありがとうございました。
2012.03.30
日記「ちょっと嫌な予感がする」 最初に痛みを覚えたのは何歳くらいのことだろうか?おそらく20代後半あたりまもしれない。朝起きると背中(真ん中あたりから首にかけて)が痛む。「あれっ、なんでだろう?何か特別なことでもしたかな…」と原因が良く分からなかった。前日は身体を動かしているが、内容は特別なものでもなく「確かに首のトレーニングはしたが、いつもやっているものだし…」と首をかしげざるを得なかった。 1日安静にして様子を見たが、痛みはますます強くなっていったので、近くの整骨院に診てもらった次第である。先生曰く「筋肉がパンパンに張っているぞ!」とのこと。1週間ほど通って、電気を掛けてもらったりマッサージをしてもらうと自然と痛みもなくなっていった。 それから3、4年ほどして、再び同じような痛みに襲われた。2回目に同じような痛みが出たときに「きっと治療してもらわなくても治るのでは」と思い、前回みたいに整骨院には通わなかったが、予想通り1週間ほどで痛みは治まったのである。 しかし、それ以来、3、4年ごとに同じような痛みに襲われるようになった。部位的には常に背中で、腰に近い部分であったり、あるいは背中全体であったり、または首に近い部分に出ることもあった。そして、必ずと言っていいほど、どちらか背骨の片側なのである。「両側が同じように痛む」というのは記憶にない。 発症、治癒のパターンは常に一緒であった。つまり、原因が全く分からないことと1週間もすると痛みは自然になくなっていった。自然には治ったものの「痛み」はかなり激しいものであった。「寝違えた」ときの感覚に似ていた。おかしなもので、安静にしているよりは適度に身体を動かしている方が楽であった。安静にしていると筋肉が硬直していって痛みが増していったのである。 ゆえに何が辛いかと言うと、就寝中に寝返りを打つ時と、床から起き上がる時が最も痛みが激しかった。寝ているということは身体を動かしていないということなので、痛む部分の筋肉が硬直しきってしまったのだろう。 特に、床から置き上がるときは痛みはピークに達した。何回か深呼吸をして「よし、置き上がるぞ!置き上がるぞ!」と自分に気合を入れ、「よっしゃ!」と言いながら置き上がるのだが、それでも「痛て~!」と悲鳴を上げてしまうほどである。 それでもここ数年は「そう言えば最近あの痛みは起きていないな~」と思うほど、発症する間隔は広くなっていった。「いつものが来たかな?」と思うことがあっても、2日目にはかなり楽になり、痛みが増していくようなことはなくなっていった。 さて、今日、起きてみると背中の上部の左の首がかなり痛む。ちょっと嫌な予感がしないでもないが、ここ最近のように「不発」に終わってくれればよいのだが…。
2012.03.29
旅に出よう(国内・自転車旅行)「ひたすら海岸線を南下」■ 不思議な体験をした ■ おそらく伊豆半島を走っていた時のことだと思う。海岸線には道路を通すためにトンネルも結構あるが、長さ的にはそれほどでもないように思われる。よって、内陸部だと思うのだが、長さ的にはトンネルの入り口にさしかかった時に出口が奥の方にポツンと見えたので400~500mはあっただろうか。(もしかしたら天城トンネルという可能性も無きにしも非ずであるが、そうすると伊豆半島を海岸線に走ったということは全くの私の勘違いになる恐れがある。河津七滝ループ今日から北上した可能性も大きい)山間のトンネルで、自動車の通行など全くなくトンネルを走っているのは私ひとりであった。 中に入ってしばらくすると、子供たちの遊び声が聞こえてきた。最初は「トンネルの出口付近で何人かの子供たちが遊んでいるのだな」くらいにした考えていなかった。声はだんだんと大きくなっていったが、しばらくすると聞こえなくなってしまった。それほど気にすることもなく走り続けた。トンネル何には照明などはなかったように記憶している。唯一、明りと言えば出口から入ってくる光だけであった。走る分にはそれで十分であたので、ライトをつけることもなかった。走っているうちに前方の出口もだんだんと大きくなり、出口を出て「やっと抜けたか!」と解放感に浸ったのだが、「あれっ、そう言えばあの子供たちはどこへいったのだろう?」とふと思わずにはいられなかった。 道の右側は谷になり、左側は山の斜面が続いていたので、隠れるところは一つもなかったし、車に乗り込んで走り去った様子もなかったのである。 ■ ひたすら南下 ■ 伊豆半島を一周してからはひたすら海岸線に沿うようにして南下していった。静岡県の掛川では大学時代の友人の家にお世話になった。また、浜名湖では浜名湖ユースホステルに宿泊した。 恐らく、当初からこのユースホステルに宿泊するつもりでいたと思う。今でもよく覚えているのだが、この日は小雨混じりの天気で気温もかなり低かった。身体も冷やしてしまい、「早く暖を取りたい!」という気持ちでユースホステルに到着し受付を済ませた。 それで何が一番印象に残っているかと言うと、ここのユースホステルには暖炉があった。それも、壁の中に埋め込まれたものではなく、円形の独立したものであった。2階の自分の部屋に行き荷物を整理して1階に戻ると、暖炉には火が起こされていて、冷えた身体を温めたのが忘れられない。 そして、そのすぐ脇には大きなテレビがあり、ビデオだったのかレーザーディスクあたりであったのかは定かではないのだが、BGMにするとちょうどよいくらいの心地よい音楽とシルクロードあたりの映像が流れていて、身体を温めながらその映像を鑑賞することはとても心が落ち着いたことをよく覚えている。 「ユースホステルの正確な位置はどこだっただろう?」とネットで調べてみたが、どうやら2008年に施設の老朽化などが原因で閉鎖され、建物も壊されて現在は更地になっているようだ。非常に残念ではある。
2012.03.28
日記「拾得物(その2)」 「何だろう?」と漕ぐのをやめ自転車から下りて確認してみると、なんと数枚の硬貨が落ちているのである。500円玉、100円玉、50円玉、そして10円玉とざっと1,000円近くは落ちているようであった。 「こんなところに」と思ってふと横のちょっと小高い丘を形成しているゲロピーに目をやると、なんと頂上近くに1,000円札が1枚乗っているのである。そしてよくよく見ると、そのふもと付近にも2枚ほど落ちている。 「酔っ払ってタクシーに乗ってここで降り、気分が悪くなって吐いてしまい、タクシー代を支払った際のお釣りを落とした」ということは名探偵でない私でも容易に想像ができた。頂上のお札は真ん中あたりがゲロピーウイルスの感染を受けているようであった。そしてふもとにある2枚はその端が感染していたが、十分に治癒できる程度のもので、ゾンビ化するようなものではなかった。 私は、まず頂上のものに手を伸ばそうとして、ちょっとちゅうちょした。一抹の不安があったからである。それは「私がお札に触れるのと同時に、周りがパッと明るくなり、一人の男性がキョロキョロしている私のもとにプラカードを持って近づいてくるのである。そしてそのプラカードにはなんと「どっきりカメラ」と書いてある」ということを想像してしまったからだ。 「そのような可能性がこんなところであるであろうか?」「絶対ナイとは言い切れない!」と心の中で葛藤が起きた。それでも誘惑には勝てず「そうなったらそうなっただ!」と頂上の1枚を取ったが、辺りは静寂を保っていた。 私はホッと胸をなでおろし、残りのものを拾ってその場を立ち去った次第である。お札に関しては、念のために抗ウイルス剤を注入してから使用した。いずれにしても、共に別の形のものになって私の胃の中に消えていった。 さて、こんなことここで誓っても仕方がないのだが、お財布や、まあ可能性は非常に少ないと思うが、紙袋に入った札束などを拾った場合は必ず警察に届ける。しかし、上記の例もあるように、1,000札を拾ったからと言って届けることはないだろう。 じゃあ、「5,000円だったらどうだろうか?」「1万円では?」などと、どうでもいいことを考える自分がいるわけである。
2012.03.27
旅に出よう(国内・自転車旅行)「伊豆半島一周」 今回の旅行中には1日ごとにノートも取っているだろうし、白地図を用いてその日走ったルートを赤ペンで塗っていると思うのだが、それがどうしても見つからない。よって、ルートは多少正確性に欠ける部分はあるとは思うが、大きくは外れていないはず。 さて、2日目は、昨日通って来た道をそのまま南下し、山中湖を過ぎたあたりから御殿場を目指した。そして、御殿場からは国道ではなく県道の足軽街道を走り、足柄峠を超えて小田原市に入っている。それからはひたすら伊豆半島を海岸線に沿って走っている。 実は2日目、午後あたりから少し寒気がしてきた。「旅のしょっぱなからまいったな~」と思いながら、「長旅なので無理しても…」と近場のユースホステルを探した。もう、場所がどこなのかも覚えていないのだが、2点ほど印象に残っていることがある。 まず1つ目、そのユースはお寺であったこと。そして、住職の奥さんはアメリカ人(アクセントが米語であった)ことである。ちょっとこんなことを書くと不謹慎かもしれないが、非常に日本人好みの人であった。というのは、顔立ちは、目もブルーで鼻筋も通ってチャーミングだったし、身長はアメリカ人にしては低く、おそらく160センチ前後くらいだったように記憶している。あまり高すぎるとね…。 私は、ちょっと具合が悪いので早めにチェックインしたい旨を伝えると、快諾してくれた。そして、荷物を部屋に運ぶと、念のために近場の内科の病院を受診した。 「旅をしているので早めに治したい」と先生に伝えると、これも今でもはっきりと覚えているのだが、「じゃあ、注射をしておきましょう。注射は大丈夫ですか?」と聞かれたので、「ええ、大丈夫です。」と即答をした。 小学生くらいのときに、抜歯をするので歯茎に注射を打ってもらって気分が悪くなった経験はあるが、それ以外は特に注射で気分を悪くした記憶がなかった。献血だって率先して行っていた方だ。 先生は看護婦さんに「じゃあ、…の注射を用意して」と声を掛け、しばらくすると看護婦さんが「はい、先生」と言う感じで先生に差し出した注射器を見て呼吸が止まってしまった。 「なんなんだこの太さは!これは人間用ではなく馬用なのでは?」と思ってしまうほど今までに見たこともないような太さの注射器なのである。今さら、「先生、ちょっと待ってください」とも言えないので、無抵抗のまま腕の静脈に針が刺されたが、とても直視できる状況ではなかった。 先生が「はい、終わりました」というので、「ありがとうございました!」と立ちあがったのだが、血の気が引いていくのがはっきりと分かった。それでも、何とか会計を済ませ病院から外に出たのだが、どうしても横になりたくしばらく近くにあったベンチに横にならざるを得なかった。誠に情けない次第である。 その甲斐があってか、翌日にはかなり体調も回復していたので再びサドルにまたがった。その日も海岸線に近いユースに宿泊しているが、どこのユースに泊まったのかは全く記憶にない。ただ、一つだけ覚えているのは、お風呂はそのユースのではなく、入浴券をもらって海岸に近いところにある温泉を利用した。 「今でもあるのかな?」とちょっとネットで調べてみたが、それらしきものは両方とも検索できなかった。
2012.03.26
日記「拾得物(その1)」 ときどき会員になっているフィットネスクラブで運動をしていると、コインが落ちているのに気が付いたりすることがある。それはベンチの下であったり、トレッドミルに附属しているドリンク入れの底だったりする。もちろん何枚も落ちているのではなく、ほとんどの場合は1枚で、多くても2枚がせいぜいである。だいたい10円玉か50円玉で、100円玉というのは経験がない。 近くをスタッフが通りがかると「お金が落ちているよ!」と声を掛けたり、または自分で拾ってスタッフに届けたりする。「誰に見られているか分からないし…」ということで間違っても「ラッキー!」と思って自分のポケットに入れることはない。 かと言って、そういうケースに全てその施設を管理しているスタッフに届けていないのも事実である。例えば、最近はほとんど行っていないが、2年ほど前は週に1回、運動の方を完全休養する金曜日は、自転車で10分ちょっとのところにある都会型の温泉施設を利用していた。 施設の入り口のところにある下駄箱や脱衣所のロッカーを利用するときは100玉を投入する必要があった。使い終わると後で戻ってくるタイプである。2、3回ほどだが、帰りの下駄箱で戻って来た100円玉を取り忘れているのを発見したことがある。 こんな時はまさに「ラッキー!」である。わざわざスタッフに届けたりはしない。「ムフフ」と言いながら小銭入れの中に奉納する。そうなると「他にも…」とキョロキョロしてしまうわけだが、「一体何をしているのだ!」と自分自身をたしなめたりするわけである。 さて、もう10年以上も前に仙台にいたときのことである。夜、自転車を、住宅街のちょっとした上り坂を漕いでいるときのことであった。辺りは街灯がぽつんぽつんとある程度で、それ以外は各住宅から漏れてくる光はとても弱く薄暗い場所であった。 上り坂の頂上近くになるとある程度の勾配もあったので、サドルにはお尻をつけず立ち漕ぎの状態になっていた。ふと街灯の明りで照らされている道路を見ると、明らかにゲロビーと分かる物体を発見したのである。「仕方がないな~、こんなところでしやがって…」くらいに思って通り過ぎようとしたのだが、そのすぐ脇に、街灯の光に反射してキラキラと光るものがあった。(つづく)
2012.03.26
旅に出よう(国内・自転車旅行)「初日からこれだ」 さて、出発初日である。ハンドルの前のキャリアにフロントバックを乗せ、自転車の前輪の左右のキャリアにサイドバックを付け、そして後ろのキャリアにリュックを乗せてサドルにまたがり、家族に「じゃあいてきます!」と言って実家を後にし、甲州街道を目指した。 府中市に高校時代の友達がいるので彼のところに顔を出し「出発するから」と挨拶をした。彼も「気をつけてな!」と見送ってくれた。私はUターンしようと思って自転車を傾けたのだが、その重さに耐えきれなくコケてしまったのである。 ただ、それだけれあれば良かったのだが、何と初日でライトを破損してしまった。彼はその光景を見て、腹を抱えて大笑いしやがった。「お前、「おい、大丈夫か!」と心配するのが親友だろう!」とも思ったが、あまりにも自分が無様なだけだったのであろう。誠に情けない…。 もちろん、「やーめた!」などと言うわけにはいかないので、気を取り戻して「じゃあ、今度こそ!」と彼に手を振り甲州街道に出た。 甲州街道は交通量が多くてとても車道を走れるものではない。歩道をゆっくりと八王子方面に向かった。八王子の市街地を超える頃、ようやく車道を走れるようになった。 そのまま甲州街道を高尾に向かった。左右に山並みを眺める頃には空気も澄み、少しヒヤッとするぐらいである。そして、大垂水峠に続く上り坂となる。バイクに乗っていたころはよく来ていたので風景自体は見慣れたものだったが、今回は「アクセル開けてブーン」というわけにはいかない。自分の足で漕いで登っていかなければならない。ギアを軽いものにしても荷物が重いためかなり辛い。 それでも何とか峠まで来ると、後は相模湖までのご褒美の下り坂が待っている。これがとても気持ちがいい。漕ぐ必要は全くなく、バイクの時の機械的なエンジン音もない、聞こえてくるのはかすかなタイヤ摩擦音と風を切る音だけである。 しばらくすると、眼下に相模湖が見えてきた。甲州街道から相模湖の方に下りる道に入り、湖畔の公園で休憩を取った。ここからは今まで走って来た甲州街道には戻らず道志村に通じる道を走ることになる。休憩所を出発すると再び上りとなる。そろそろ相模湖も完全に見えなくなってきた頃、後輪に違和感を感じた。漕ぐのを止め、タイヤを覗き込むとかなり空気が減っているのが分かった。 「かなり上り坂を上って来たし…」と携行していた空気入れで空気を入れて再び出発したのだが、10分も経たないうちに後輪がゴツゴツというようになった。パンクである。「うわ~、初日からついていない!」と道端でパンク修理をするハメになってしまった。 修理には詳しくないのだが、さすがにパンクくらい自分で修理ができないようだと長距離は走れない。バックから工具を取りだし慣れない手つきで修理をしていると1台の車が停まり、ドライバーが身を乗り出して「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。もちろん間違っても「ちょっと自信が…」などとは言えないので、「済みません。大丈夫です!」を答えると、「じゃあ、気をつけて!」と去って行った。 時間はかかったものの何とか修理も無事に終わり、再びサドルに腰を下ろした。当初の予定では、その日はどこまで走る予定だったのかは分からないのだが、しばらく漕いでいると、道志村のあたりで「民宿」が見えたので、聞いてみると「泊まれます」との返事なのでお世話になることにした。宿泊客は私一人であった。しかし、初日からこれだと先が思いやられる。
2012.03.25
日記「ゴリマッチョ系を目指すのであれば…」 人それぞれ理想の体型というのは異なる。男女間では当然異なってくるし、同じ男性でも一様ではないはずだ。 ただ、男性の場合は程度の差こそあれ、とりあえず「筋肉思考」があるのではないだろうかと思っている。つまり、「筋肉をつけたい!」というのは、ほぼ共通した考え方のはずだ。「オレ、筋肉なんて全然必要ないから」なんていう人はほぼゼロに近いのではないかと勝手に考えている。 まあ、中には「筋肉よりは柔軟性が欲しい」とか「筋肉よりは心肺持久力をつけたい」と言う人はいるだろうが、それは「筋肉は全く必要ない」と言うことではないと思う。 それで、「どれくらいつけるか」はやはり個人差が大きい。ボディビルダーのように「ゴリマッチョ」を理想としている人もいれば、最近はやりの「細マッチョ」を目指している人も多いと思う。 そこで「ゴリマッチョ」を目指している人に私なりのアドバイスがある。これは、私の個人的な価値観によるものなので、その点に関してはご理解いただきたい。 どうもゴリマッチョ思考のある人には、もちろん全ての人ではないが、「自分を大きく見せよう」と考えている人が多いような気がする。 つまり、それはボディビルダーがポーズを取るほど大袈裟なものではないが、鏡の前などで肩関節を水平に内転させて(前に出すような感じ)少し上半身を大きく見せようとする傾向がある。しかし、そういう意識が強いと、無意識のうちにそう言うポーズを取るようになってしまい、それでトレーニングをして筋肉をつけてしまうと身体がその状態で固まってしまう。 前から見ている分にはたくましく見えるのだが、横から見ると肩が前に出て決して整った身体とは言えない。前からだけでなく横から見ても均整のとれた身体が「カッコイイ」と思うのだが…。
2012.03.24
日記「ヤフー知恵袋」 取り立ててヤフーの宣伝をするつもりはないのだが、そのときどきで「知恵袋」には大変お世話になっている。利用したことがある人も結構いると思うが、「知恵袋」とは、簡単に言ってしまうと「質問、疑問・解決サイト」である。 ある人が疑問に思ったことや分からないことをサイトに投稿し、それらの質問に対して答えが分かる人が回答をするというシステムになっている。その質問内容はハウツーものから恋愛ものまで多岐にわたる。また、同じようなものに「教えてgoo」や「Okwave」などがある。 今回も、「旅に出よう!」の項を作成するにあたり、昔のことなので写真を見ても「これ一体どこで撮ったのであろう?」というものが結構出てきたのでお世話になった次第である。 例えば、右の写真を添付しこういう質問をしてみた。「フランス、パリ、コンコルド広場近くで撮っていると思うのですが、この建物は何でしょうか?20年以上も前に撮っているので思い出せません。自分でも調べてみたのですが、ルーヴル宮殿ではないですよね?!よろしくお願いします。」 それに対して以下のような回答を得た。「リュクサンブール公園の中に建っている、リュクサンブール美術館です。十七世紀に時のフランス王妃マリー・ド・メディシスが建設させたもので、元はリュクサンブール宮殿と呼ばれていましたが、その後美術館となりました。フランスで最初の公立美術館なのだそうです。 元老院に経営が委託されたため元老院美術館とも呼ばれますが、写真の反対側にまわると美術館に入るための入り口があって、評判の良い美術展が開催されます。よく外にまで並ぶ列が出来ていますよ。 美術館の入り口に向かって左側にはサロン・ド・テがありますが、右側には夏になるとそのサロン・ド・テのテラスがしつらえられ、屋外に座って飲み物を楽しむことも出来ます。花が咲いているところをみると、良い季節に行かれたのですね」 単に場所名だけでなく、その他にいろいろと解説文なども添えてあったので「感謝」以外の何物でもない。 この1カ月で上記のような場所や建物名について23の質問をし、その内18が解決したので非常に助かった。質問のいくつかに関してはまだ回答が寄せられないものもあったが、もう1週間以上も経っているので諦めていた。しかし、昨日、その内の一つに回答が付いていたので見てみると「いった本人がわからない物を 他人がわかるとお思いですか?」 という内容であった。「世の中には色々な人がいるな~」と改めて感じた次第である。
2012.03.23
旅に出よう(国内・自転車旅行)「はじめに」 「30歳の時、1年間暇ができてしまった」と書くと、「一体、この人何をしている人なの?」などと思う人は多いと思う。「プータロー?」「自由業?」、それとも「どこかいいところのおぼっちゃん?」とあれこれ想像をめぐらす人もいるかもしれないが、間違っても「どこかいいところのおぼっちゃん?」のわけがない。まあ、その辺のところは想像にお任せするが、「自由業」というよりは「自由人」という言葉が私には合っているかもしれない。 そうすると「さて、どこへ行こうか?」ということになる。まだ海外はヨーロッパの数カ国しか訪問していないが、とりあえず1年間あるのだから大雑把に「国内 ⇒ 海外、それぞれ半年ずつ」と計画を立てた。 国内旅行にしても、バイクで駆け足で回っただけでゆっくりと見るような旅ではなかった。「半年あれば、多少はゆっくり回ることができるだろう」と思い、当然、「さて、どうやって回るか?」ということになる。もうこの頃はバイクは所有していなかったので、「電車でゆっくり」と最初に頭に浮かんだのだが、「半年も電車で旅などしていたら身体がなまってしまわないだろうか?」という不安も感じられた。かといって、とても歩いて旅をするという気にはなれなかった。 そうすると選択しは1つしかない。そう、自転車である。社会人を数年過ごすと体力不足を感じ、市営の体育館のトレーニングセンターに通った。そこで知り合った人から自転車の面白さを教わったのである。 知り合った人と言っても、父親に当たるくらいの年齢の人で、その人のロードバイクを譲ってもらい何回か一緒に青梅や奥多摩の方に足を運んでいる。歳の差はあるが、ベテランなのでついていくのがやっとであった。平坦な道は良いのだが、坂道となると「腰に来て辛い」という感覚は今でもよく覚えている。 そのことも手伝ったのかもしれない。ただ、そのロードバイクでたくさんの荷物を携行して旅行をするわけにはいかない。そこでツーリング用の自転車をオーダーメイドした次第である。値段の方は、あまり定かでないのだが、自転車本体と前後に専用のキャリア、それに取り付けるバッグの一式で20万円ほどかかったような記憶がある。 出発の1ヶ月くらい前には完成し、遠出とまではいかないがちょこまかと乗りまわし慣らしていた。 そして、今回は日本縦断の旅を計画した。最初は南下し沖縄まで行く、そこからフェリーを利用し大阪まで戻り、京都の日本海側まで出て再びフェリーを利用して北海道に渡り、後は東京まで南下する計画を立てた。 宿泊場所は、例によって親戚、知人、そしてユースホステル、それに加えてテントも用意した。さて、どのような旅になるのであろう?楽しみだ!
2012.03.22
日記「それ以来…」 私が会員になっているフィットネスクラブでは、まあほとんどのスポーツ関係の施設ではそうだと思われるが、施設の清掃などに関しては専門の業者に委託している。つまり、私たちが気持よく施設を利用できるように、汗水流して頑張ってくれている人がいるわけである。 ときおり、まだ20代くらいの若い人も見かけたりするが、その多くはは50代以上で、中には「もしかしたら70を超えているのでは…」という方も見かけたりする。夜だけ働いている人の中には、昼間の別の仕事を終え、掛け持ちでいわゆるアルバイト的に働いている人や定年を迎えてから働き始めた人もいるようだ。 男性のロッカールームやお風呂場の清掃をしている人は、男性の場合もあれば少し年配の女性が行っている場合もある。もう、3、4年前のことであろうか、年齢的には60半ばくらいの女性が働いていた時があった。会うとと挨拶くらいはしていたし、時には「今日は暑いですね」とか「雨が降ってきましたよ」くらいの簡単な会話をすることもあった。 ある日、運動後にお風呂に入り、すぐ隣の脱衣所で身体を拭き自分のロッカーに戻ろうと脱衣所の扉を開けると、ちょうどその人も脱衣所に入ってこようとして目の前に立っていたのである。私は一糸まとわぬ姿で、それを見てその女性は「きゃ~」と言って顔を両手で覆ったのである。 私は、「あっ、済みません!」と慌てて手に持っていたバスタオルで前の部分をかくし、少しモジモジ状態となってしまった。 着替えながら「でもな~」とよくよく考えてみると、「シチュエーション的に不自然な格好ではなかったし、同じような状態の人は他にもいたはずだ。タイミングが悪かったのだろうか…」少し首をかしげてしまったわけである。 もうその方は辞められてしまったが、それ以来、そのことがタイガーホースとなって、「タイガーホース?」いや、トラウマとなって特に脱衣所を出る時や風呂場の中では「お掃除のおばさんはいないよな」と変に気を使うようになってしまった。
2012.03.22
旅に出よう(海外、その2)「旅の終わりに」 アルバムより「今回の旅行では、モロッコが最も物価が安く印象に残った。ヨーロッパ(フランス、スペインなど)を歩いていると、それぞれの国によって異なる文化を有してはいて、サグラダ・ファミリアやコロッセオのように巨大でかなり特長のあるものであれば別だが、それ以外の教会やその他の歴史的建造物に関しては、それほど歴史に興味がないものにしてみると、同じような感じに見え飽きてきてしまう。 しかしモロッコは、スペインからフェリーで2時間というごく近いところにも関わらず、その景色や文化は一変してしまう。海で隔てられているというのは大きいようだ。 歴史上、フランスやスペインなどの占領下にあり、それらの国の影響は受けているにしてもその違いを感じざるを得ない。 気候は、むしろスペインよりも日差しはそれほど強くなかった。確かにヨーロッパなどに比べると物乞いは多く、ケンカなどのもめごとは日常茶飯事である。カサブランカでは映画で見るようなケンカを見た。イスラム教のため、基本的には人々は酒を口にしない。しかし、ビールやワインなどはちょっとしたカフェにも置いてありそんなには厳しくないようだ。(パキスタンでは全くダメだそうだ) その代わりかどうかは分からないが、タバコは小学生くらいから吸っている。一般に、人々は甘いものが好きだが、その甘さは日本の比ではない。1回、現地の人たちがよく飲んでいるミントの葉を煮詰めたミントティーをカフェで注文してみた。ほんの上澄みの方だけを口にしたが、とても甘くて飲める代物ではなかった。また、果物の種類は豊富で、日本で見かけるものはほとんどありとても安い。 ヨーロッパに飽きてきたらモロッコをお勧めする。」 ケンカのことは全く記憶に残っていないのだが、ミントティーの味は甦って来た。今となっては嫌なこともよい思い出となっている。さて、次はどこへ行くのだろか?
2012.03.22
日記「ちょっと別の見方をすると」「オリンピックベンチプレス」という器具がある。主にベンチプレスをするためのもので、ある程度ウエイトトレーニング用の設備がそろっているフィットネスクラブであれば見ることができるはずである。 あえてここで説明する必要もないと思うが、ベンチプレスとは主に胸の筋肉を鍛えるので、特に男性には好まれるトレーニングで、「メリハリボディを作りたい!」と思っているのであれば必須のエクササイズ。 よって、この「オリンピックベンチプレス」という器具を用いるのは、そのほとんどが男性で、この器具に使われるバー自体が20キロあるので、よっぽど「力には自信がある!」という女性でなければ使いづらいかもしれない。 さて、「主に男性」と書いたが、その使用するウエイトの重さは様々で、初心者であれば40キロくらいから始める人もいれば、ベテランの人であれば100キロ以上の重さになる場合もある。まあ、ボディビルダー系の人であれば、場合によっては200キロ前後を持ち上げたりすることもあるのかもしれないが、私が会員になっているフィットネスクラブはそれほどガチガチのビルダー系の人はいないので、重い場合でも120~130キロあたりであろうか…。 それで、ウエイトがあまり重いと、場合によっては持ち上げられなく(よく「潰れる」という表現を用いる)なることもある。私も、トレーニング初心者の時には1回ほど経験があり、近くにいたスタッフに助けてもらったことがる。最近は自分が上げられる重さも分かってきているので、そのようなこともない。まあ、若い時のように「挑戦してやろう!」という気持ちも少し薄れているためかもしれないが…。 私のホームにしているフィットネスクラブでも、ときどき初心者の人が潰れたりしているのを見かけたりすることがある。そばにいる場合は、私が助けてあげたり、他の人が助けたりするのを見かけたりする。ちょっと危なっかしいと、一応、注意して見ていることにはしている。「え~、それ、後1回はちょっと無理じゃないの」と思っていると、案の定潰れる。 夜の時間帯であれば、会社帰りに利用している人が多いので、潰れてもそばに助けてくれる人がいるが、午前中とか昼間であれば、夜ほどは利用者が多くないので助けてくれる人がいなくて怪我をする原因にもなりかねない。 まあ、それは自業自得にはなるが、それでも運営する側としては利用者が怪我をするのは好ましくないので、よく「オリンピックベンチプレス」の近くには次のような掲示を目にすることがある。「ベンチをご利用の際には、カラーでウエイトを固定し、万が一のために補助スタンドを用いて下さい。ご協力、宜しくお願いします。」 カラーとはバーにプレート状のウエイトを固定するもので、補助スタンドは、万が一潰れたときでもバーの重さが身体にかからないようにするものになる。 私のホームでも最近になって補助スタンドが導入された。カラーは「オリンピックベンチプレス」がある場合は、もちろん必ずあるはずである。 それで、最近はあまり目にしないが、ちょっと前までは、カラーを使用しないでベンチプレスをしている人を見かけると「ご使用にご協力ください!」と、スタッフが直接声を掛けていた。初心者であれば「あっ、使わなければならないんだ」と自覚するが、使用していないのはベテランの人に多い。 スタッフも何回も同じ人に声を掛けたくないだろうし、声を掛けられる人の中には「何回もしつこいな!俺はなくても大丈夫なんだから…」くらいに思っている人もいるかもしれない。例えば、マックスで120キロくらい持ち上げられる人が、その半分の60キロで潰れることは考えづらいので、そう言う場合はいついつそう思ってしまうのであろう。 でも、ちょっと別の見方をすると、怪我の防止が最優先なのだが、掲示の最期の文章の「ご協力、宜しくお願いします。」とあるように、「この人は協力してくれる人なのか、それともそうでないのか」を聞いている掲示なのではないかと言う気がしてならない。ベテランの人が軽いウエイトでも、しっかりと万が一のことを考えてカラーや補助スタンドを使っていれば、初心者が「使わなければいけないんだ」と思いそのお手本となるはずなのである…。
2012.03.21
日記「一会員の勝手な意見だとは思うのだが」 私が会員になっているフィットネスクラブでは、メンバーにいろいろとマナーを守ってもらおうと、壁やマシンにいろいろと掲示物が張りつけてある。 例えば、「マシンを使用した後は汗を拭き取りましょう」とか「ダンベルなどをフロアになげつけないようにしましょう」など、どれも至極当然なものばかりである。 ただ、個人的には「ちょっとそれは…」というのが一つだけある。それは「インターバルはマシンから離れて取りましょう」というものだ。「インターバル」とは「休憩」のことで、多くの場合、マシンやフリーウエイトなどでウエイトレーニンングを行う時、「インターバル」を入れて行う。 例えば、ある人がチェストプレスのマシンを用いてトレーニングするとしよう。最初にどれくらいの重さで始めるかはもちろん人それぞれになるが、ここでは60キロで始めたとしよう。回数もひとそれぞれだが、1セット10回を目安にする場合が多いと思う。 そこで、ここでは60キロにセットしたウエイトでまず10回ほど行うとしよう。多くの場合は「はい、おしまい!」とマシンを離れることはなく、何セットか繰り返す場合が多い。同じ重さで行う人もいれば、少しずつウエイトを重くしていく人も多い。 それで、ほとんどの場合はセットとセットの間にインターバルを入れて筋肉を休める。その間に水分補給をする人もいるだろう。インターバルの長さも、これも個人差があるので何とも言えないが、数秒で終える人はほとんどいないと思う。 しかし、一会員の勝手な意見だとは思うが、「その間にマシンから離れる」というのはちょっと難しい。そもそも「何のためにマシンから離れるのか?」ということになる。おそらく運営する側からすると、「座って休んでいるのなら他の人に譲ってほしい」ということだとは思うのだが、仮にマシンから離れるのであれば、マナーとしては汗は拭きとらなければならない。 仮にそうしたとしよう。60キロのチェストプレスを10回ほど行い、汗を拭きとってインターバルのためにマシンから離れる。当然、他の人でチェストプレスのマシンを使いたい人がいれば、「ああ、あの人終わったのだな」と使われてしまうだろう。それを「ちょっとインターバルを取っているだけですから」と言うのもどうかと思う。そうなると、それはあまりにも非効率的なトレーニングとなってしまう。 また、マシーンから離れると言っても、すぐマシンの前に立っていた場合、それを見て他の人から「もうおしまいですか?」と聞かれた場合、「ちょっとインターバルを取っているだけですから」と答えれば、その人はそのマシンを使うことはないであろう。 それで誠に身勝手な提案をしてみたいと思う。マシンに新たなる機能を付加してはどうだろうか?それはどのようなものかと言うと、マシンのシートに人の着座が感じられ、ある程度の時間マシンの使用がないと感じた場合、マシンの上に付けた赤いサイレンが「早く運動しろ!」鳴るのはどうだろうか? いや、もっと過激なものでもよいかもしれない。マシンの方である程度の時間、使用が感知できなければ、スタンガンのように高圧の電流が流れるという方がインパクトがあるかもしれない。のんびりスマホなどをいじって座っていたメンバーの身体に「早くドケ!」と高圧の電気が「バッチ!」と流れれば、否が応でもどかざるを得ないはずだ。その場合は、手に持っていたスマホもダメになる可能性は十分にある。う~む、かなり過激なフィットネスクラブになりそうだ。
2012.03.20
旅に出よう(海外、その2)「9月24日 帰国」この「海外(その2)」の項の「8月16日 出発」のページで「成田-パリ間の往復の航空券を購入」と書いているが、ギリシャからパリに戻っている記憶が全くない。どうも「往復の航空券」は私の勘違いのようで、帰りはギリシャから直接、帰国の途についているようだ。 9月24日、とりあえず無事に帰国しているが、当初の予定では23日であった。なぜ1日遅れたかと言うと…。「ご搭乗中のお客様にお知らせします。先程、成田空港より連絡が入りました。どうも空港内に爆弾が仕掛けられた可能性があるとのことです。よって、当機はこのまま直接成田には向かわず、パキスタンのカラチのジンナー国際空港に着陸を致します。」と機内にアナウンスが流れた。 機内は一瞬どよめいたが、「まあ、この飛行機に仕掛けられたわけでないし…」とすぐに落ち着きを取り戻した。何人かの乗客とフライトアテンダントとの間で「何時間くらいカラチに滞在しなければならないのですか?」などのやり取りはあったが、フライトアテンダントのほうも「今のところ何とも…」としか答えようがなかったようだった。 機がカラチに着くと、滞在用にホテルが用意してあるとのことで、日本人の乗客同士で集まりいくつかのグループに分かれてタクシーでホテルに行くことになった。 私は60歳前後のご夫婦と一緒にタクシーに乗り込んだのだが、このタクシーでひと悶着あった。3人が乗り込んで走り出しても、タクシーの運転手は一向にメーターを下げようとはしないのである。「メーターを下ろさないのだったら停めろ!」と言ってもゴチャゴチャ言って一向にメーターに手を持っていこうとしないので、「警察に連絡をするぞ!」と言うとシブシブメーターを下ろした。 20分ほどでタクシーはホテルに到着したが、メーターの数字が何となくおかしいような気がしたのでホテルのフロントドアのところに立っているボーイを呼んで、「空港から乗って来たんだけど、この数字正しいの?」と聞くと、ボーイも数字を見てちょっと首をかしげている。そして、「メーターの数字はちょっと良く分からないけど、空港からだったらだいたいい~くらいなので、~を払えばいいです」とのアドバイスをもらったので、その金額を運転手に手渡した。運転手は「こんな金額じゃやってられないよ!」と言うような感じのジェスチャーをしながら受け取り、走り去って行った。 ホテルではタクシーごとに部屋があてがわれた。その時点で、爆弾騒ぎはただの出まかせだと分かり、8時間後には私たちが乗っていた機は再び成田に向かうということが告げられた。約6時間ほどホテルで過ごすこととなったが、それだけあればカラチ市内を多少観光することができるので、希望者はホテル側が用意したバスに乗って市内観光ができるということ。「せっかくだから」と私は市内観光組に入った。中にはホテルの部屋で休む人もいたし、また中には「ちょっと市場を見に行きたい」と個人行動を取る人もいたようだ。 アテネからの機とカラチからの機が同じものだったのかどうかは記憶も定かでないのだが、座席が違っていたことだけは覚えている。カラチからの機では私の座席は一番前部となり、右隣の席は空席となっていた。あと、2、3時間で成田に着くというところまで来たときに、今まで空席となっていた右隣の席に一人の女性が腰を下ろした。 「あれっ、この人どこから来たのだろう?」とチラ見していると、今までフライトアテンダントをしていた日本人の女性であった。 「旅行ですか?」くらいのほんのささやかな会話を交わした程度で盛り上がったわけではないのだが、「コクピット見てみます?」と言ってくるではないか。「ええ~、いいんですか?」というと「大丈夫ですよ!」ということで、パキスタン人と思われる別のフライトアテンダントさんに声を掛けてくれた。 その人に導かれて飛行機の最前部に行き、コックピットに通じるドアをノックして開けてくれるた。目の前には青空が広がっていてまぶしいほどであった。どちらが正操縦士でどちらが副操縦士だったのかは分からなかったが、一人が振り返ってくれたので「ハロー」と挨拶をした次第である。 その後、どのような会話をしたのかは覚えていないが、「いた」といっても1分もいなかったと思う。それでも貴重な体験をさせてもらい、お礼を言って自分の席に戻った。 それから2時間ほどで何事もなく機は成田に到着し、無事帰国の運びとなった。
2012.03.19
日記「何気ないちょっとした動作で…」 基本的にはフィットネスクラブでの人間関係には利害関係がない。みな平等である。まあ、場合によっては、取引先の会社の人や会社の先輩がメンバーになっていることもあるかもしれないが…。 つまり、まあ異性で気に入った人などができてしまえば別だが、会社での人間関係のように「気にいられよう」などと「自分を作る」必要があまりない。 それで、これは私の持論というか、私だけが勝手に思い込んでしまっているのかもしれないが、何気ないちょっとした動作でその人の性格を垣間見ることができるものである。 それは、ほんとに何気ない、つまり会話などではなく、例えば「ドアを開ける」や「ものを置く」など日常あまり意識しないで行っている動作である。「意識していない」だけに性格が出てしまうのかもしれない。 年齢にして30代半ばまでは行っていないような男性がいる。いつも仕事帰りにフィットネスクラブに寄っているようだ。スーツ姿で、ブランド品なのかどうかは私には分からないが、小奇麗な格好をしている。これは私の本当に勝手な想像以外何物でもないのだが、「名のある企業に勤め、場合によっては役職などもあり、年収もそこそこある」ような感じがした。 彼は、ほとんんどプールだけの利用で、ジムエリアで見た記憶がない。私は最近では滅多にプールエリアに行くことがないので、顔を合わせる場合は、ロッカールーム、風呂場、そしてドライヤーなどが置いてあるパウダールームくらいである。よって時間にしたらほんの短いものだ。 何かの挙動からなのか、単に彼の表情からなのか、何でそう思ったのかは記憶にないのだが、「あまり人のことを思いやられる人」ではないような感じがしていた。 ある日、お風呂から上がって、すぐ隣にある脱衣室で汗を拭きとっていた時のことである。その脱衣室は、広さ的には2畳あるかないかほどの狭いスペースで、片隅には脱水機と壁にはよく小学校にある下駄箱のよう四角いものを入れる棚が取り付けられていた。 全ての棚にタオルや着替えが入れられ埋まっていたので、私はその棚の上にドリンクのペットボトルや身体を洗う化繊のタオルを置いて汗をぬぐっていた。 すると、例の彼がプールからその脱衣場に入って来たのである、手に持っていたタオルなどを入れる場所を探したのだが、空いているスペースがないと分かると、私が置いていたペットボトルやタオルをずっと脇にどけて自分のものをそこに置いたのである。 もちろん私はそれを見て「それ、私のものなんだけど!」などと主張するつもりはさらさらなく、彼がそのまま風呂場に入っていく後姿を見届けた次第である。私の勝手な想像はそれほどは外れていなかったようだ。
2012.03.19
旅に出よう(海外、その2)「ギリシャへ」 さて、イタリアはローマだけを訪れ、次はギリシャのアテネに入っている。実は、アルバムにはローマ以降の写真は貼ってはあるのだが、説明文が全く見当たらない。それで、ローマからアテネにどうやって移動しているのかが全く記憶にない。 ただ、何となくだが飛行機は利用していないように思う。「バックパッカーだったらなるべく安く」などと思ったりもしているわで…。そこで、どのようなルートがあるのかネットで少し調べてみると、「バックパッカーに人気があるルート」ということで以下のようなルートが紹介されていた。 1. ローマ→イタリア ブリンデシ(電車 約4時間) 2. ブリンデシ港→ギリシャ パトラ?港(船 約15時間) 3. パトラ→アテネ(バス 約4時間) 調べていくうちに、何となくだが船に乗った記憶が甦って来たので、恐らく上記のルートあたりを利用したのではないかと思う。 さて、ギリシャだが、最近、「ヨーロッパの債務問題」ということでよくニュースなどで取り上げられている。我々日本人にしてみても、決して「対岸の火事」とのん気に眺めている状況ではないはずだ。 今回の旅は38日間だったのだが、モロッコを出たあたりから「早く終わらないかな」と、気持ちも乗らなくなってきている。もちろん帰りの便は決まっていてチケットも購入していた。もしかしたら変更することもできたのかもしれないが「とりあえず決めたことだから」と旅を続けた次第である。 ただ、そう言う気持ちは観光などで出てしまう。まったく観光をしなかったわけではないが、「いろいろなところを見てやろう!」という積極的な気持ちがないと、足も止まってしまう。かといってホテルの部屋に引きこもっていたわけでもない。街中をブラブラと当てもなく歩くことも多かったと思う。まあ、それはそれで旅の楽しみ方の一つではあると思うが…。 今回の旅では親戚はもちろん大学のクラブの同輩や後輩やら色々な人たちから餞別を頂いた。もちろんそれに対して「お土産」という形でお返しをしなければならない。これがまた一苦労である。足を出すわけにはいかなし、個人個人の趣味や嗜好を考えて選ぶのは不可能に近い。それでクラブ関係の人たちには、素焼きのお皿に「いかにもギリシャ」という簡単な絵柄が描かれているものを購入した。「ギリシャ、お土産、お皿」でネットで画像検索したが似たようなものは引っかからなかった。もう売られていないのだろうか…?
2012.03.18
日記「ちょっと固定化させてしまったかな?」 肘の痛みは少しずつだがやわらいできている。ただ、左肩に関しては変化が感じられない。筋トレなどで使っているから仕方がないのだろう…。 様子を見て去年の秋口あたりからヨガとボクササイズのスタジオレッスンを受けない。「無理しなければ大丈夫かな?」とも思ったりするのだが、レッスンを受けてしまうとアドレナリンが出てしまう方なので少しためらっている次第である。 その代わりと言っては何だが、マシンを使った有酸素運動を少し頑張って行っている。でも、よくよく考えてみると、最近のエクササイズは「有酸素運動+筋トレ」の形で「ちょっと固定化させてしまったかな?」という感じがしないでもない。 先日、「最近、バランストレーニングを行っていないな…」ということで、フィットネスクラブのフリースペースでバランスボールやバランスディスクを使ってバランストレーニングをしてみたのだが、やはり以前、週1回くらいで定期的に行っていた頃よりはできなくなっている。 バランスボールでのスクワットも、以前は20回~30回くらいは安定してできていたが、今回はフラフラしながら10回くらいがやっとであった。「いろいろな刺激を身体に与えるべし!」を座右の銘にしている私にとってはこのままではまずい。改めよう!
2012.03.17
旅に出よう(海外、その2)「ローマ、観光」 アルバムより「ローマのテルミニ駅に着いたのは、夜の9時を少し過ぎていた。駅構内の銀行はすでにどこも閉まっている。その前で右往左往していたところ、イタリア人のおじさんが「両替か?」と近寄って来た。最初は少し警戒したが、とりあえず現地の通貨がないと始まらないので、率は悪かったが両替をしてもらった。「こうやって生計を立てている?人もいるんだな~」と思った。そして、両替をしてからがまた一苦労であった。空腹の中でのホテル探し、1軒目は満員、2軒目も同じく、3軒目も…。重いバックパックを背負いながら見知らぬ街での夜道を歩くのは辛い。「泊まれないのでは?」という不安がよぎる。それでも何とか5軒目にしてようやく開いているベッドが見つかった。1つの部屋に5つのベッドが並べられていて8000リラ。(約1600円)」 ローマでは以下のようなところを訪れている。・コロッセオ ローマを代表する歴史的建造物の一つで、1度くらいは写真などで目にしている人も多いと思う。ローマ帝政期に建造された円形の闘技場である。映画「グラディエーター」を思い出す。ここで多くの人の命が落とされ、それを見て人々は熱狂したのだろう。スペインの闘牛場と重なってしまう。収容人数は45,000人とのことで、ほぼ東京ドームと同じのようだ。 ・フォロ・ロマーノ コロッセオのすぐ脇にある古代ローマ時代の遺跡。 ・スペイン坂 今の若い子は「オードリーヘプバーン」と聞いても「オードリーって、お笑い系の?」と知らない人も多いと思うが、彼女が出演した「ローマの休日」という映画でこの坂が一躍有名になった。ヘプバーン扮するアン王女がこの坂でジェラートを食べるシーンが撮影された。(写真)それがなければ全く人々に印象を与えないごく普通の階段である。 ・トレヴィの泉 以下、ウィキペディアより(途中省略)「ローマにある最も巨大なバロック時代の泉で、ローマでも有数の観光名所として賑わっている。「トレビの泉」「トレドの泉」とも呼称される。 後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数によって願いが異なる。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができる。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りである。このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付される。」 さて、コインを投げ入れたのであろうか?「もったいないから…」と投げ入れていない可能性も十分にある。 ・カピトリーノ美術館 以下、ウィキペディアからの抜粋文「ローマの7つの丘の1つ、カピトリーノの丘に建つこの美術館は、一般市民に公開された美術館としては世界最古のものと言われている。」 ・エマニエル2世記念堂 以下、ウィキペディアからの抜粋文「イタリア・ローマのヴェネツィア広場に面しカンピドリオを背にして建つ、1870年のイタリア統一の立役者、初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂」 アルバムより「ピザパイ、スパゲッティーについて 両方とも、私たちが日本で口にするものは味は変わらない。ピザパイは円形のものもあるが、50センチ四方の正方形のものもあり、自分の好きな大きさに切ってもらえる。スパゲッティーは、それ単独で食べるよりは、ディナーとして、その他にスープやメインの肉などと一緒に食べることの方が多いようだ」
2012.03.16
日記「1日15分で構わない」この日記を読んでいただいている人の年齢には、結構幅があるのではないかと思っている。そして、サイト名が「フィットネスの勧め」なので、訪問者の多くの人は「身体を動かすことに興味を持った人なのかな?」などと勝手に想像しているわけである。 中には学生さんで部活などで身体を動かしている人もいるだろうし、社会人でフィットネスクラブに行ったり、または特別な運動施設にはいかずに自宅の回りをジョギングしたり、はたまたダンベルやベンチなどを買いそろえて、自宅に「マイジム」を用意して身体を動かしている人もいるかもしれない。 まあ、中には「まずいな~」とは思いながらも全く身体を動かしていない人がいてもおかしくはない。40歳代に突入すればかなり体力の低下を感じ、50歳代になれば「何とかしないとダメだとは分かっているが…」などとまだ多少なりとも可能性を残し、60代にもなると「もう還暦を迎えたのだから」と少し納得してしまってはいないだろうか? 2010年度の日本人女性の平均寿命は86.4歳、男性が79.6歳で、「人生80歳」を迎えている。それで言うと「60歳なんて人生まだまだこれから」ということになる。例えば、60歳で何か新しいことを始めたとしよう。趣味的なパソコン、絵画、写真など何でも構わない。または、語学でもいいし、経済や医学、または栄養学など新しい知識を入れるのもよいだろう。それを80歳まで行ったとしたら20年間続けていることになる。これはもう「エキスパート」の領域に入っているのではないだろうか?もしかしたら、それで多少なりとも収入を得ることができるかもしれない。素晴らしいことだと思う。 それには、まずは健康な身体を作っていかなければならない。その1つの大きな要素として身体を動かすことがある。公共の体育館やフィットネスクラブに行くのが手っ取り早いとは思うのだが、近所になかったり、経済的に通うのが難しい場合あるかもしれない。 そのような場合、「1日15分で構わないから自宅で身体を動かしてほしい」と言いたい。特別な道具など必要ない。自重トレーニングで十分である。下半身5分、体幹(腹筋、背筋)5分、上半身5分、合計15分である。有酸素運動にはならないので、これで脂肪を減らすことは難しいが、毎日続けていればかなりの筋力低下は防ぐことができるはずである。あとは本人の意識の問題である。80歳になったときの自分を想像してみよう。
2012.03.16
旅に出よう(海外、その2)「ローマへ」イタリアのローマに行くに当たっては、モロッコから一度バルセロナに戻っている。 アルバムより「9月15日、午後9時頃ローマのテルミニ駅着、バルセロナから列車で25時間かかった。苦痛そのものである。」 今でも、まあところどころあやふやなところはあるが、そのときのことはかなり記憶に残っている。確か6人掛けのコンパートメントが満席だったと思う。私以外は、20代のイタリア人の女性が2人で、一緒に旅行をしていたと思う。同じように20代と見られるイタリア人の男性が2人。あとは60歳前後くらいの西洋人の男性でイタリア人かどうかは不明であった。 とくに全員で話が盛り上がるようなことはなかった。私が日本人だと分かると、そのイタリア人の女性の一人が「私、日本に行ったことあるのよ。ほら、その時撮った写真があるわ!」と日本に旅行したときの写真を何枚か見せてくれた。その中の1枚に鎌倉の大仏の前で撮られたものがあったが、あとはどこだったろう…? そして、列車がバルセロナを出発して2、3時間経つが経たないかしたころ、そのイタリア人の女性と、その隣に座っていたイタリア人の男性がいい雰囲気になりだした。 もう夜もいい時間だったので就寝のためにコンパートメントの明りも弱くなっていったのだが、今度はその即席カップルがいちゃいちゃし、チュチュし始めたのである。 私は「もう、勘弁してくれよ!」と言う感じで、窓際のカーテンにもたれかかり、なるべくこころを無にして寝ようと試みたが、寝台車だってそう眠れるものではないのに、座席に座りながらだから眠れるわけがない。夜が明けてからもほとんど一晩中眠れなかったということもあり、私は同じような姿勢を取ってなるべく眠りにつこうと努めた。 それを見て、例のイタリア人の女性は私に「寝てばかりね!」と声を掛けてきたが、「そもそもの原因は君たちが…」などとは言えるわけがなかった。そのようなローマまでの25時間は苦痛以外の何物でもなかった。 あるテレビ番組で、「イタリア人の男性はよく女性に声を掛ける」ということを話題にしていた。そして、現地の特派員なのか、それともリポーターがわざわざイタリアまで赴いたのは分からないが、そのことに関してイタリア人の男性にインタビューしている場面があった。 リポーター:「済みません。ちょっといいですか?」 男性:「はい。構いませんよ」 リポーター:「あの~、イタリア人の男性はよく女性に声を掛けると聞いているのですが、本当ですか?」 男性:「ええ、イタリア人の男性はよく女性に声を掛けますよ」 リポーター:「そうすると、イタリア人の男性は女性好きの方がそんなに多いのでしょうか?」 男性:「僕たちが好きで声を掛けているわけではありませんよ」 リポーター:「どういうことですか?」 男性:「女性のためにやっているのですよ。だって、男性に声を掛けられればうれしいでしょ?!」 う~む、ものは考えようである…。
2012.03.15
日記「自転車も一時停止を」 自動車の運転は月に1、2回ほどであるが、自転車は毎日のように乗っている。自転車と言ってもロードバイクのような洒落たものではなく、いわゆるママチャリである。 自転車に乗る時、私は交通ルールはなるべく守るようにしているが、残念ながら全ての交通ルールを順守しているわけではない。例えば、夜遅い時間など、明らかに自動車の存在が確認できない場合、信号無視をして通りを横断してしまうことはある。また、最近、道路交通法が改正され、自転車の歩道の通行がかなり厳しく制限されているが、「おそらくここでは車道を走らなければいけないのだろう」と思っても、車道の自動車の通行が多ければそのまま歩道を走ってしまうことがある。 よって偉そうに私が言えることでもないのだが、私なりに「こだわり」はある。まず、「スピードは出さない」。ママチャリだからそれほど速くは走れないだろうが、それでも必死になって漕げばそこそこのスピードは出るだろう。ただ、早く漕いでもろくなことはない。ゆっくり漕ぐようにしている。たまに、アシスト付きの自転車に乗っているおばあちゃんに抜かれるくらいだ。 あとは「一時停止」である。左右の確認ができない場合は、必ず片足をついて一時停止をしている。また、ある程度見通しが良い場合は、それでも止まるか止まらないかくらいまで速度を落としている。 最近思うのだが、とにかく一時停止など完全に無視する自転車が多い。多いというか、「気にしていない人がほとんどなのでは?」と思ってしまうほどである。だから、怖い思いも幾度となくしている。若いお母さんが、子供を前後に乗せて一時停止を無視するときなど「一体何を考えているのだろう?」と思ってしまう。子供たちが大きくなって自分たちで自転車を乗るようになれば、当然母親のまねをしてしまうに決まっている。 ぶつかれば、当然、「一時停止を無視した方が悪い」となるが、それでもどちらが良い悪いではなく、なるべくそうならないように心がけているつもりである。つまり、こちらが一時停止をする必要がない交差点でも、常に「一時停止を無視して自転車が曲がってくるのでは」くらいの心つもりで交差点を通過するようにしている。こちらで「交差点」と認識できる場合は良いのだが、ものすごい狭い路地から飛びだされるのが一番ヒヤッとする。「自転車も一時停止を!」と声を大にして言いたい。
2012.03.15
日記「あれから1年が経つ(その3)」 1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。実はこの時、私は仙台に3年半ほど住んでいて、そこで震災のことを知ったのである。それもたまたま通りがかった電気屋さんの前に置いてあったテレビの画面で…。 私の仙台での生活は、新聞は取らない、テレビも所有しないというものであった。もちろん、当時はインターネットは今ほどは普及していなかったし、パソコンなどは所有していなかったので、情報はいつも人づてとなっていた。 「寅さん、死んだの知っている?」とか「ダイアナ妃が交通事故で死んだんだよ」などと聞いて「そうなんだ…」と思っていたが、まあ、どれも「生活していくの必要」というものではなかった。 1月17日、仙台の繁華街に出て、電気屋さんの前を通った時のことである。何気なくお店の前に並べられたテレビの画面を見ると、火災が起きている町の映像が流れていた。しかも、火災は1ヶ所だけでなく、町のあっちこっちから火の手が上がっている。 最初は、「どこの映像だろう?日本なの?」としばらく見入っていると、兵庫県の神戸市であることが分かった。そして、その内、倒壊した高速道路が映し出され、大きな地震による被害であることが分かった次第である。その後も、前述した生活環境のため入ってくる情報は断片的であった。 しかし、今回は、もちろん当時とは全く異なった環境にいるし、直接的な被害こそなかったが、地震による「揺れ」の恐ろしさは体験済みである。 阪神・淡路大震災から11年が過ぎ、科学技術の進歩もあって、当時に比べると映像を記録する機器が身近なところに浸透している。 その筆頭が携帯電話で、おそらくそのほとんどのものにカメラ機能が付いているのではないだろうか。それからデジカメで、持ち運びに便利なようにかなりコンパクト化も進み、画質も向上している。また、静止画のみならず動画機能が付加されたものもかなりあり、ハイビジョン画質で撮れるものもある。そして、ビデオカメラである。こちらもコンパクト化、高画質化が進み、価格も求めやすいものになり、一家に一台あってもおかしくない時代になっている。 阪神・淡路大震災の場合は、その画像による記録のほとんどは発生後の被害の写真であるが、今回の東日本大震災は、発生した時刻が昼間と言うこともあって多くの動画が記録として残っている。地震の揺れを撮ったもの、迫りくる津波を撮ったものなど「現在進行形」のものが多い。 動画は静止画に比べると、比べ物にならないほどの情報量を含んでいるので、見た人に与えるインパクトも大きい。今回のこれらの映像は「地震や津波の恐ろしさ」伝えるために確実に後世に残されていくはずである。
2012.03.14
旅に出よう(海外、その2)「ジャマ・エル・フナ広場」 バスターミナルがあるのは新市街で、そこから旧市街を目指した。行き方などは「地球の歩き方」を持っているので全く問題ない。 旧市街に移動した理由は「ジャマ・エル・フナ広場」があるからだ。この広場は、別名「気違い広場」とも呼ばれ、コブラ使いや猿回しなどの大道芸や飲食を扱う多くの屋台が立つ。マラケシュを訪れる観光客のほとんどは、このジャマ・エル・フナ広場の見物を目的としていると言っても過言ではないくらい有名な場所である。 さすがにユースホステルはなく、私はこの広場に面したホテルに宿泊をした。アルバムを見ると「ホテル代、シングルで20ディルハイム(約800円)」とある。 ウィキペディアには次のような記述がある。「古くからモロッコの観光名所の一つとなっているが、近年、治安が極端に悪化。観光客への安全を考慮し、広場に面したレストランなどから風景を眺める形式を採るツアーも増えつつある。」 私が訪れたときも、大道芸人にカメラを向けるとお金をせがまれたり、麻薬である「ハシシ」をしつこく売りつけてきて煩わしい思いはたびたびしたが、さすがに「レストランから見るだけではつまらないのでは?」と思ってしまうが、このような文もある。「2011年4月28日正午前にフナ広場で爆発事故が発生し、フランス人8名を含む17名が死亡、20名以上が負傷した。当初は屋台が用いていたガスボンベの爆発によるものと思われていたが、その後の捜査により遠隔操作の爆弾によるテロであることが判明した。」 でも、テロとなってしまうとな…。 マラケシュの次は再びスペインに戻るために、バスを乗り継いでタンジェの港を目指している。途中でのバスターミナルでのこと、いつものようにバックパックは屋根の上に乗せるのだが、どうみても年齢的には小学生くらいの男の子がバスの屋根の上で荷物の整理をしているのである。しかも、くわえタバコをしながら…。 彼は私に「荷物をよこしてくれ!」と手招きしているので、背負っていたバックパックを下ろし、彼でも取れるように持ちあげた。すると彼は、パックパックのアルミのフレームを両手でしっかりとつかみ、少し自分の体重を掛けるようにして引き寄せ、すでに乗せられた荷物の横に置いてくれた。 私はポケットの中に手を入れ、無造作に入れられたコインをつかんでその中から1ディルハイム硬貨をチップとして彼に渡そうとしたのだが、首を横に振って受け取ろうとしない。「おおっ、格好付けやがって!」とは思ったが、「Thank you」と言ってバスの内に乗り込んだ。
2012.03.13
「あれから1年が経つ(その2)」昨日が「去年の東日本大震災から1年」ということで、ここ1週間ほど各テレビ局でいろいろと特別番組を放送していたようである。 震災を機に倒産した企業は多数に上る。もちろん、被災地において、店舗や工場が直接的な被害を受けてしまえばその可能性は非常に高いのだが、被災地ではなくても、震災後、経営がうまくいかなくなり倒産に陥る企業も多いようだ。 あるテレビ番組では、そのような企業から出る大量の衣類などの在庫品や、飲食店を閉めるときの厨房機器の買い取りをする会社を紹介していた。 金額など詳しくは覚えていないと思うのだが…。 Aさんの場合 年齢:28歳、女性 オークションでの衣類の販売 最初はお小遣い稼ぎで細々と行っていたようだが、少しずつ売れるようになり出したため、アパートの1室を借り大量に仕入れをして行うようになった。多い月で80万円(の売上?利益?)があったとのこと。 しかし、震災以降は急激に売り上げが落ち、今ではアパートの家賃を払うのにも苦労しているので、とにかく大量に売れ残っている在庫を処分してアパートを引き払いたいとのことで、引き取り業者を呼んだ次第。部屋の中は靴下からワンピースまでの衣類でいっぱいであった。その数、およそ数千点。仕入れ値は、確か100万前後かかっているようなことを言っていたように思うのだが…。 それで、業者の買い取り価格は35,000円くらいだったと思う。その女性はその金額に「安いけど、このまま家賃を支払い続けるわけにはいかないし…」とビジネス成立。 Bさんの場合 年齢:35歳(?)、男性 吉祥寺でタイ焼き屋を経営 確か、震災の半年くらい前からだったと記憶している。吉祥寺駅の近くでタイ焼き屋をオープンし、多い時で月200万(の売上?利益?)があったとのこと。でも、震災後、売り上げが激減。秋口くらいには元に戻ることを期待したが、それもままならぬ状況になったので店舗を占めることを決意。タイ焼きを焼く機械など、確か300万くらいで購入したものを15万円で売却。その男性は「震災の影響がこれほど影を引くとは全く予想していませんでした」とのコメント。 上記はほんの一例だと思うが、震災による「買い控え」の影響でそれまで営んでいたビジネスがうまくいかなくなった例である。このほか、この番組では紹介はしていなかったが、観光業などもかなりの打撃を受けていると思う。 しかし、私のサイトは物を販売するサイトではないのだが、それでも震災の影響は受けている。去年の1月の1日あたりのサイトへの訪問者の平均は651、2月は649だが、震災のあった3月は515まで落ちている。そして、4月は558、5月になってやっと689まで持ち直した次第である。 ただ、この1年訪問者の伸びは鈍化している。残念ながら、更新の頻度が高いほど伸びていくというものではない。さてどうしたものか…。
2012.03.13
旅に出よう(海外、その2)「マラケシュへ」私は、カサブランカからは内陸にあるマラケシュという町に向かった。移動手段はバスである。バスターミナルでチケットを購入し自分の乗るバスを探すのだが、目的地はアラビア語で書いてあるので全く何て書いてあるのか理解できず、運転手に「マラケシュ?」と聞くと「NO」と首を横に振り、ちょっと離れたバスを指さしている。その指した方に駐車しているバスの運転手に同じように尋ねると、すぐ前のバスを指さしたのでとりあえず乗るバスは分かった。 大きなバックパックは車内に持ち込むことはできず、屋根の上の荷台に乗せることになる。デイパックだけを持ちこみ適当な座席に腰を下ろした。 エンジンがかかりいよいよ出発するというときに、一人の、年齢にすると50前後くらいであろうか、男性が乗り込んできて運転席の横でなにやら大声で乗客に向かって話し始めた。アラビア語だったので全く理解はできなかったが、最後に行った言葉だけは分かった。それは「ボン・ヴォヤージュ(Bon Voyage)!」であった。フランス語で「良い旅を!」という意味だ。きっとバス会社の人か何かであったのであろう。彼が下りると、運転手はギアを入れハンドルを大きく右に切った。 車窓から見える風景はカサブランカの町を抜けると一変した。「タンジェ-カサブランカ」間の風景とも様相を異にしていた。片側1車線の道路の両側には荒涼とした大地が広がっていたのである。ただ、いわゆる「サハラ砂漠」のような砂地ではなく。少し大きめの岩がゴロゴロと転がっているような乾燥地帯で、比較的平坦な部分もあったが、小高い丘が続くような場所も多かった。 ときおり民家らしきものも目にしたが、家屋と周りの大地の色が同じだったので、注意してみていないと分からないほど周りの景色に溶け込んでいた。 私の座席の近くで、「ドン!」と大きな音がしたので、「何事だ?」と外を見まわしてみると、なんと道端にいる小学校低学年くらいのガキがバスめがけて石を投げ、当たって大はしゃぎしている。なんて危険な遊びをするガキどもだ! これも今でもはっきりと覚えているのだが、私の前の座席には小学校低学年くらいの男の子とその母親が座っていた。その男の子がバス酔いをしてしまったのであろう、いきなりバスのフロアに吐いてしまったのである。当然、すぐに匂って来る。母親は立ち上がり、辺りを見回すように大きな声で話している。もちろん、何を言っているかは分からなかったが、「みなさん、ゴメンナサイ!この子が吐いてしまって…」くらいの内容だったことは容易に想像ができる。 そして、バスがブレーキをかけたり、加速するたびにその汁は拡散していった。もちろん、エアコンなどはついていなかったのでどこの窓も大きく開け放たれていたが、それでも匂って来るものである。母親は少しでも臭いを消そうと、バックから香水を取り出し大量にフロアにまいたので、バスの中は香水の甘い匂いとお汁の酸っぱい匂いが入り混じり、こっちまで気分が悪くなってきてしまった。それでも何とか5時間ほどの乗車で、バスは無事にマラケシュのバスターミナルに到着した。
2012.03.12
旅に出よう(海外、その2)「カサブランカへ」 後味悪くタンジェの街を離れ、カサブランカへ移動する。モロッコは鉄道よりはバスの路線網が発達しているため、旅行中は全てバスを利用した。 アルバムより「9月4日、5:30am カサブランカ着。 タンジェから約7時間かかった。料金は50ディルハイムで日本円にして約2,000円ほど」 「カサブランカ」という地名は、中年と言われる年齢以上の人であれば1度くらいは耳にしていると思う。その理由は同名の映画があるからだ。ちょっと調べてみたのだが、1943年にアメリカで公開され、日本ではその3年後の1946年に公開されている。 もちろん私が生まれるはるか前なので、劇場に足を運んでいるわけがない。「あれ、観たことあるのかな?」などと首をかしげてしまうのだが、ときどき過去の名作を取り扱ったテレビの番組などでも話題になる映画なのでそれで知っているのだと思う。 あと、日本の歌謡曲の題名あたりでも「カサブランカ」を用いたものがあったような気がしたので、これもちょっと調べてみると、「哀愁のカサブランカ」(郷ひろみ)や「カサブランカ・ダンディ」(沢田研二)などがあった。「抱きしめ~るといつも君は~♪♪洗~った髪の匂いがしたよ~♪♪」 さて、グラナダから一緒に旅をしている相方だが、カサブランカで体調を崩してしまいベッドから起き上がることができなかった。なんとか食欲は多少あったので、私が体調が悪くても喉を通るような食べ物や飲み物を外に買いに行ってあげていた。そのためかどうかは分からないが、カサブランカで観光をした記憶がほとんどないし、写真も町並を撮ったものばかりで、観光地は訪れていないのかもしれない。 旅の疲れが出たのだろう。幸いにも2日ほどでかなり体調の方も回復してきた。ただ、ここからは別々の行動を取ることになった。私は内陸部のマラケシュを目指し、彼の方は、ちょっとこの辺の記憶は曖昧なのだが、スペインに戻っているはずだ。 もう名前すら思い出せないのだが、確か住まいは神奈川の湘南の方だったと思う。そして中華料理店で働いているようなことを言っていたと記憶している。別れ際、「世話になったね。帰国したらぜひ店の方に遊びに来てくれ。好きなものをごちそうするよ!」と声を掛けてくれたが、それ以来彼とは再会はしていない。
2012.03.10
日記「握力だけ見てもダメなのだ!」なんかどこかで「握力が強いほど長生きする傾向がある」というような文章を目にしているような感じはあったが、それほど興味を引くようなものではなかったので特に気にしていなかった。しかし、ちょっと触れる機会を与えてもらったので私なりの「独断と偏見ワールド」を展開して行こうと思う。 以下は「YOMIURI ONLINE」の記事である。 「握力が強いほど長生きする傾向があることが、厚生労働省研究班(研究代表者=熊谷秋三・九州大教授)の約20年間にわたる追跡調査で明らかになった。 死亡リスクだけでなく、心臓病や脳卒中といった循環器病の発症リスクも下がっていた。健康状態を表す指標として、握力が使える可能性があるという。 調べたのは、福岡県久山町在住の2527人(男性1064人、女性1463人)。男女別に握力が弱い順から人数が均等になるように各4組に分け、年齢や飲酒状況などを補正し、死亡原因との関係を調べた。握力の最も弱い組(男性35キロ・グラム未満、女性19キロ・グラム未満)を基準に各組を比べたところ、男女とも握力が強いほど死亡リスクが下がる傾向があった。最も握力の強い組(男性47キロ・グラム以上、女性28キロ・グラム以上)の死亡リスクは、最も弱い組より約4割も低かった。」 この文章を読んで「じゃあ長生きするには握力を鍛えればいいのか!」となりそうだが、そう単純にはいかない。「なぜ握力に差があるのか」を考えていかなければならないと思う。 この調査では男女とも握力別に4つのグループに分けている。例えば、男性の一番握力の弱いグループは35キロ未満で、最も強いグループは47キロ以上でかなりの差が出ている。では、なぜこのような差が付いてしまったかと言うと、もちろん体格差などもあるだろうが、私は「身体を動かしていないグル―プ」と「身体を動かしているグループ」の差だと思っている。 まあ「身体を動かす」にもいろいろある。いわゆるエクササイズ系の動かし方や、仕事をするうえで身体を動かしているということもあるだろうし、または、家庭菜園や庭の手入れ等で身体を動かす場合も十分に考えられる。 「全員が」とは言わないが、積極的に身体を動かしているグループでは、あまり身体を動かさないグループに比べると、握力に関係する前腕の筋肉群も発達していると思う。 つまり、今回は「握力」という数字で追跡調査が行われ、「握力が強いほど長生きする傾向がある」という結果が導き出されたが、結局は「身体を動かすほど長生きする傾向がある」ということだと私は見ている。つまり、「長生きしたいのであれば積極的に身体を動かしていきましょう!」と前々から言われていることなのだ。「握力だけみてもなダメなのだ!」と言いたい。
2012.03.09
プーケット四方山話「痛くて首が回せない」 今日は2007年の2月2日である。去年の年末あたりから、特に座ってパソコンの作業をしていると、肩にこりを覚えるようになっていた。今までも、肩コリは激しいほうではなく、たまに「ちょっと、肩がこっているかな。」というくらいで、1日もすると忘れてしまう程度のものであった。 しかし、年末に感じた肩こりは違っていた。一向にこりが取れなかった。このようなことは経験したことがなく、全く原因が分からなかった。そして、そのまま年を越すことになる。 新年を向かえ、私の通っているフィットネスクラブは4日が初日となったが、年末年始で休みのときも、努めて他のスポーツクラブへビジターで通うようにした。 13日くらいの筋持久力系の45分のスタジオレッスンを受けていたときのことである。去年の12月からの新しい「振り」にもそろそろ慣れてきていたので、肩のエクササイズのショルダープレスのときに、今までよりも一番小さいプレートを1つ足して重くしたのだが、エクササイズの最後のほうでは、だんだんとウエイトを上げるのもしんどくなってきて、「最後までもつかな?」という不安があったが、何とかもってくれた。それは良かったのだが、最後の最後にウエイトを頭上に上げたときに、首に「グキッ」と痛みを感じたのである。 そのときは「ちょっとムリしてしまったかな。」くらいに軽く考えていたのだが、その翌日、「ちょっと」ではすまないほどの「痛み」になってしまった。 首が痛くて回せない。寝ているときは、痛くて寝返りが打てないのである。実は、この手の「痛み」は初めてではなく、今までに何回か経験している。首だけではなく、腰、背中と出ていて、次のような特長がある。 ・原因が分からない。 今回はショルダープレスがたまたま「引き金」になったのであろう。それがなくて も、いづれは出ていたに違いない。過去に、腰、背中と痛みが出たときも、全くの 原因不明で、無理をしたという覚えが一切ない。 ・1週間から10日で自然消滅する。 不思議と1週間から10日間くらいで自然に消えていくのである。その間、医者に行く わけでもなく。薬を飲むわけでもない。※シップ薬くらいは張ったりするが。 ・「痛み」のピークは2日から3日目 痛み出してから2日目から3日目にピークを迎える。何が辛いかというと、安静にし ている(寝ている)のが一番辛いのである。その辺が普通の「痛み」と違うところで、 非常に不思議である。 もちろん、痛いところを無理しては動かせないが、痛いからといって動かさないでいると、その痛んでいる周辺の筋肉が硬直して、痛みが一層増してくる。つまり、寝ていると、カチカチになり、痛くて寝返りが打てなくなってしまう。 そして、もっとも辛いのが、寝床から「起き上がる」ときなのだ。「よし、起きるぞ!起きるぞ!」と気合を入れ、「ウリャッ!」とか「オッシャ!」と言葉を発しながらでないと、とても起き上がることができない。失敗でもしようものなら、地獄だ。だから、失敗は許されない。一発で決めないといけないのである。 ということで、幸か不幸か、「痛み」の経過パターンを把握していたのである。しかし、「よりによって何で今ごろ…」という思いがないでもなかった。数日後には、バンコクに向けて出発しなければならなかったからである。 そして今回は、「痛み」の経過パターンがいつもと違っていたのである。ピークは、痛みが出て2,3日で治まったが、1週間、10日過ぎても、痛みが完全に消えてくれない。ずっと引きずっていて、悪いことにプーケットで再発してしまった。今、またピークは通り越したが、後ろを振り向いたり、下を向いたりするときに、首の右の部分に痛みを覚えて、多少なりとも不自由さを感じている。 しかし、この痛みに限らず、エクササイズなどである程度身体に負荷をかけていれば、どこかしら傷めているものではないだろうか?その辺のところを、他の人と話す機会はあまり持たないが、トレーニングをしていて「痛いところは全くない」という人はいるのであろうか? もし、そういう人がいたら、うらやましい限りであるが、私の場合は、上記の痛み以外にも、いろいろと痛めている。 左肩を痛め、1年近く60kgのベンチプレスさえもできないときもあったし、右ひじを痛めたときは、4、5kgのダンベルでも、痛くて肩の高さより腕を上に持ち上げることができなく、4、5ヶ月は続いた。 もちろん、痛い部分を無理して動かすことはできないが、痛いからといって全く動かさないということもしない。そうすると、いつの間にか「痛み」は消えているのである。 これからも、身体を動かしている以上はあっちこっち痛めるに違いないが、うまく「お付き合い」をしていかなければと思うのである。 この首の痛みも、いつのまにか消えていてくれると良いのだが…。
2012.03.08

ヨガ・こんなポーズを取ってみました「猫のポーズ」Bidalasana読み方バイダラアーサナ(?)英名Cat Pose和名猫のポーズ 「猫のポーズ」のうちの一つで、ストレッチなどにもよく取り入れられているポーズです。レッスンの中でもよく出できます。肩甲骨を左右にしっかりと開き、1の背中を筋肉をストレッチしていきます。背中に意識が集中しがちですが、2のお腹が出ないように腹筋を締めておくことも忘れてはいけません。私のポーズですが、これでもかなり頑張って背中を曲げているつもりなのですが、Mr. ヨーギーの柔らかさにはかないません。
2012.03.07
旅に出よう(海外、その2)「モロッコヘ」・タンジェへ・臆病者の自分がいたわけである ■ タンジェへ ■ スペインのグラナダからアルヘシラスに下り、そこからフェリーでジブラルタル海峡を渡りモロッコのタンジェに入っている。およそ2時間の乗船となる。グラナダでだと思うが、そこで出会った日本人が、やはりモロッコに行くというので行動を共にしている。ただ、アルバムには彼が写っている写真は1枚も貼っていない。 アルヘシラスでフェリーを待っている間、別の日本人が話しかけてきた。彼もモロッコに行くというので、「じゃあ、一緒に行きましょう!」と言うことになった。異国の地で、乗船時間の2時間なんてあっという間である。フェリーがタンジェの港に到着すると、我々外国人旅行者にまず入国手続きを済まさなければならない。 私も、グラナダから行動を共にしている日本人も問題なく入国できたのだが、アルヘシラスで話しかけてきた人は管理官となにやらもめているようだ。私たちは入国してしまったので、もう彼と話すことはできなかったのだが、彼のパスポートは我々の持っているもの(赤色)とは異なっていた。 想像するに在日の人だったに違いない。恐らく北朝鮮国籍だったのではないだろうか。国交がないということで入国することができなかったのであろう。 ■ 臆病者の自分がいたわけである ■ さて、入国をし、両替をしてから最初に行わなければならないのが、その日の宿探しである。記憶も曖昧なのだが、「地球の歩き方」のモロッコ編は持ち歩いているはずである。それを頼りに宿探しをしていると、しつこく「オレが安い宿を紹介してやる」と現地の人が付きまとって来る。「ガイドブックを持っているから大丈夫だ!」と言ってもそう簡単に諦める輩ではない。 いろいろと話しかけてくるが、こういうときは無視するのが一番。しかし、そんな輩の中の一人が執拗についてくる。ガイドブックの評判の良さそうなホテルがあったので入ろうとすると、「このホテルを紹介しようと思っていたんだ!」と言うではないか。「いい加減にしてくれ!」と言いたい。 受付で「泊まれますか?」と尋ねると、ツインの部屋が空いているということなので、チェックインすることにした。しかし、あの輩はしつこく部屋までついてくる始末である。私たちは荷をといていると、「観光ガイドをしてやる」「おいしいレストランを紹介してやる」といろいろと話しかけてくるが、とにかく相手にしないのが一番である。 彼もこれ以上言っても無駄だと思ったのか、最後にこう言いだしたのである。「ここまでのガイド料を払え!」と…。「はっ?」とあっけにとらわれたが、ベッドに横になり無視をしていた。そうすると、「俺はカラテが得意だ!」とか「仲間を呼んでくるぞ!」と、今度は脅しにかかってきた。 もちろんただのはったりであったと思うのだが、私は旅の疲れも多少出ていたし、だんだん不安を覚えるようになってきた。横のベットに横になっている彼に「どうする?」と聞いたが、「絶対に払わないから!」との返事。「そうだよな…」とも思ったが、例の輩は一向に消える気配はない。 私はたまりかねて「いくらだ?」と聞いてしまった。そうすると「27ドルだ」との返事。少し落ち着いて食事などもしたいという気持ちもあり、ベッドで横になっている彼に「オレ、17払うから」と提案してしまったのである。彼の方も、「仕方がないな…」と折れてくれた。何とも情けない話である。 輩に27ドルを手渡すと、「悪いな!」と満面の笑みを浮かべて部屋を出ていった。私は「助かった!これで落ち着ける」という安堵の気持ちがこみ上げてきた。 翌日、ホテルの近くの市場を観光していると「ヘイ!」と声を掛けてくるものがいるので振り返ると、例の輩がカフェで友達何人かと食事をしているところであった。もちろん私たちは無視をして通り過ぎたが、きっとあの27ドルで友達にカフェで御馳走していたに違いない。そして、私たちを見かけたときは、友達に「あれが、例のカモの日本人だぜ!」とでも話していたのだろう。それを思うと、安堵の気持ちよりは「後悔」の念の方のが強くなり、情けないが「臆病者の自分がいたわけである」以外の何物でもない。「日本人はカモになる」という前例を作ってしまったのであれば、後の旅行者に誠に申し訳ない限りだ。
2012.03.07
日記「久しぶりの体組成測定」 久しぶりに会員になっているフィットネスクラブで体脂肪などの体組成の測定を行った。前回行ったのが12月10日なので測定しない期間は2カ月を優に超えている。無料で測定してもらえるので「1週間に1回くらは測定してもらわなと…」と最初は目標を立ててしばらくは続いていたのだが、最期に測定してもらってから体重が増加傾向にあったので「ちょっと今測定してもな~」と避けていた次第である。 ただ、ここにきて体重が減少傾向にある。多分、1ヶ月前と比べると1キロくらいは違うのではないだろうか。摂取カロリーはほとんど変わっていないので、有酸素運動の効果が出ているためだと思う。ダイエットを決意したとき、「有酸素運動、1日60分」という目標を立てたが、最近ではプラスαとして20分前後行う日が続いている。 それで、一番気になる体脂肪は13.3%であった。前回は14.4%なので1%ちょっと減少したことになる。13%台の前半となると、「12%台もムリではないか?」などと思ってしまうが、「とにかく少なければいい」という発想は止めておこう。13%台の前半であれば、私にとっては十分だ。 本来なら体重が増加したときにもしっかりと体組成を測定しておかなければならないところ。まだまだ修行が足りないようだ。しかし、「有酸素80分+筋トレ60分」、もちろん日によってはどちらかを削ってスタジオプログラムを受けることもあるが、それをコンスタントに続けていくのはなかなか大変である。いつまで続くことやら…。
2012.03.07
旅に出よう(海外、その2)「スペイン(グラナダ)」 アルバムより「9月1日、朝8時20分、グラナダ着。マドリッドから夜行で約10時間。1つのコンパートメントに2人だけであった。ラッキー!」これも今となっては全く記憶に残っていないのだが、トレドから一度マドリッドに戻ってグラナダに行っている。まあ、路線の関係なのだろう。 1492年、約800年続けてイベリア半島を支配していたイスラム勢力は、最後の砦となったグラナダがカトリックの勢力によって陥落し終焉を迎える。 イスラム勢力全盛期に建築されたのがアルハンブラ宮殿である。「グラナダ=アルハンブラ宮殿」と言っても過言ではない。「イスラム建築の傑作」と評価されている。 アルバムには次のように記されている。(一応、ガイドブック等を参考にしていると思うのだが…) 「アルハンブラ宮殿は次の4つに分かれる。 1.アルカサバ(城塞) 2.カサ・レアル(王宮) 3.パルタルの庭(庭園) 4.ヘネラリフェ(離宮)」 アルバムより「宮殿を見ようと訪れる日本人の観光客は多い。グラナダでは同じホテルに2泊する。ホテルのおばさんは英語は全くと言ってよいほど話せないが、だいたいは身振り手振りで何とかなるもの。それも旅の楽しみの一つである。」「スペインに入ってから。物乞いが目立つようになる。道路の脇で小さな子供を抱えて座っているもの。(消極タイプ)手を差し伸べてよって来るもの。(積極タイプ)あるいは、年配の人が泣きながら歩き回っている場合もある。一般的にはジプシーが多いようだ。」(※「ジプシー」は現在、差別用語として扱われている模様)「アルハンブラ宮殿はちょっとした丘の上にあり、そこへ通じている道は狭い。私は歩いて登ったが、途中で一人の小太りのおばさんが道の脇に立ち、片手に握ったしなびかけているカーネーションを道行く車に売ろうとしている。帰路には女性の数は6、7人に増えていて、道路の真ん中を陣取り、通る車の前に立ちはだかり無理やり車を停めて片手のヨレヨレのカーネーションを売りつけようとしていた。」 ■ ジプシー ■(以下、「はてなキーワード」からの抜粋となる」「インド北西部が発祥の地であるとされ、6世紀頃から移動を開始し、14世紀頃にはヨーロッパに到達して、その後全欧州的に広がったとされる。民族的には家族単位での移動生活を旨としており、ためにノマド*3が放浪者と表す語として用いられたように、ジプシーも放浪者を指す語としてしばしば用いられてきた。」
2012.03.06

プーケット四方山話「小僧でもおじさんは容赦せんぞ!(その2)」 さて、目的の場所に着いた。向こうは日々、何百人という観光客を相手にしているので、当然、私の顔など覚えているわけもない。私のほうも、前回、金額を聞いたのは男性だったことは記憶しているが、どのような男性だったのか全く覚えていないような状況であった。 商品の前で、腰を低くして品定めをしていると、「どうですか?」と声をかけられたので、見上げると、高校生ほどの男の子だった。 「いくつか欲しいのだけど、この一番小さいものでいくら?」と聞くと 「一番小さいものは100バーツで、これが150、それからこれが200で…」との説明に、前回聞いたのと同じ金額かなという印象を持った。まー、とにかく、同じ商品を扱っている3軒の中で一番安いのは確かなようである。 ガラス製品ばかりを扱っていたが、私が欲しい「ヤドカリ君」は、各サイズ合わせて全部で20個ほどであった。 その中でも、お気に入りの「小」は半分ほどであったが、商品の中にはガラスの足が取れているものや、貝殻の一部が欠けているものもあったので、そんなに選択肢があるわけではなかった。 「小」を4つ、「中」を1つと、ガラスだけでできたハリセンボンを1つ選び、「いくら?」と彼に尋ねた。 彼は電卓片手に計算を始めた。「小が100で、それが5つだから500、あとそれに150の中が1つで、全部で650」という感じで、私に電卓ではじいた数字を見せたのである。 一つ一つの金額は分かっていたので、電卓がなくてもそのくらいの足し算は私にもでき、私の頭の中の「650」という数字と一致した。 さー、問題はここからである。向こうが提示したそのままの金額で買うのは、あまりにもバカバカしいし、そういう行為は相手に対しても大変失礼なことで、「値引き交渉」という「ゲーム」をしないといけない。向こうもそれを期待しているのである。 「オジサンは、相手が小僧だからといって容赦はせんぞ!」と意気込み、副腎皮質から出るアドレナリンの分泌量も徐々に増え、臨戦態勢を徐々に取りつつあった。 でも、待てよ。あまり、感情的になっても大人気ないし、「日本人っていうのは…」という印象を若いうちから持たれても、日タイの友好関係にヒビが入りかねないので、深呼吸を何度か試み、呼吸を落ち着かせた。 はなから無理な数字を提示するのも常識に欠けるので、「500で行こう。そうだ、500がよい。すると、向こうは一応Noと言ってきて、600と言うに違いない。そこで、私もNoと言って550と言って、向こうもちょっと迷ったような振りをして、しようがないなー、みたいな感じで、OKサインを出してくるはずだ。」と自分なりにシミュレーションをしてみた。 彼が持っている電卓を手に取り、650の数字をクリアし500と打って、彼に見せ、彼がどう出てくるか身構えた。 すると、特に躊躇する様子もなく「OK!」とうなずいている。 「あら?」いう感じで、一気にアドレナリンの分泌はゼロになった。しかも、うれしいことではあるのだが、「もう一つおまけに、小さいのサービスね。」とか言って、小さなヤドカリ君を差し出すではないか。 「小僧、この日本から来たオジサンを馬鹿にしているのか?!」とまでは言わなかったが、あまりにも予想していた事態とは違っていた。 しかし、そうなってくると「初めからもっと安く言っておけばよかったかな?」という思いが浮かんでくるが、いくらなんでも私が提示した金額で「OK」と言っているのに、そこから「いや、400しろ!」とかは口が裂けても言えない。明らかなルール違反である。国際ルールに反する。 かくして、私は、ヤドカリ君の小を5つと、中を1つ、それとハリセンボンを1つ、割れないように細かくシュレッダーされた新聞紙の入っているダンボール箱に入れてもらって、宿に向かうのであった。 ガラス細工のおみやげ。ただガラスだけでできたものもあったが、私のお気に入りは本物の貝殻つきの「ヤドカリ」である。 私がお土産に買った「ヤドカリ君」たちです。一番右は、ガラスだけでできたハリセンボン。 石鹸を花形にカービングして色をつけたもの。バンコクの露店でも売っているのを良く見かける。売っている人がその場で削っていたり、色を付けていたりすることもある。
2012.03.06
プーケット四方山話「小僧でもおじさんは容赦せんぞ!(その1)」 バンコクでもここプーケットのカタビーチでも、お土産を扱う露店はいくらでも目にすることができる。Tシャツや水着などの衣類から、民芸品、貝細工、皮革製品、ロウ細工、ぬいぐるみ、サングラス、時計、ナイフなど、その種類も豊富である。 ただ、その土地特有というものがあまりない。つまり、バンコクもプーケットも同じようなものを扱っているのである。 プーケット到着初日の夜に、夕食を済ませ、通りを散策しているときに、目に留まったのがあった。ガラス製品である。以前、訪タイしたときにも同じものを買ったのを思い出した。たぶん、前回はバンコク(プーケットは今回が初めてだが、前回はチェンマイに行っている。)で購入したと思うのだが、記憶が定かではない。 今回、プーケットに来る前にバンコクにしばらくいたが、同じガラス製品を扱った露店は1件も目にしなかった。 そのガラス製品の中でも、本当の貝殻を使ってヤドカリを模したものがお気に入りであった。小、中、大、特大と4種類くらい大きさがある中で、一番小さいものがかわいらしい感じがした。 値段を聞くと、一番小さいもので100バーツ、続いて150、200、250とのこと。プーケットにはまだ数日滞在する予定なので、慌てて購入する必要は全くなく、そのときは適当に聞き流して、翌日になると、聞いた金額すらあやふやであった。 別の場所で同じ硝子細工を扱っているところがあり、金額を聞いたところ、一番小さいもので150と言われた。明らかに高い。 また、別の場所でも見つけたので、たずねると120との返事だったので「一番最初のところが一番安かったかな?」という印象があったので、プーケットを出発する前日の夜に、買うことを目的に一番最初のお店に再び向かったのである。 そこは、夜になると数件のみやげもの店が現れる、両側をレストランで囲まれた広場であった。
2012.03.05
日記「オレってエコだな、と思うときがある(第2弾)」 去年の10月24日の第1弾に続くもの。 ■ 使い尽くす ■ これはどのくらいの割合で同じようなことをやっている人がいるのかどうかは分からないが、行わない場合、けっこうまだまだたくさん残っているものを無駄に捨てている可能性は非常に高い。 「ハミガキ」は使い尽くすようにしている。当然、通常の状態では使い尽くすことはできないので、通常の状態でなかなか出てこなくなったら解体作業が始まる。特に出口付近にはたっぷりと残っている。 使い尽くしたら「お役目御免」となる。オレってエコだな! ■ 究極のエコ暖房 ■ 現在、デスク上のデジタル時計の温度の表示は9°となっている。特に暖房はつけていないが、身体はヌクヌクである。えっ、「なぜか?」って、胸から下は寝袋に包まれ、胸から上はダウンジャケットに包まれているからである。 これぞ究極のエコ暖房!オレって、エコだな!※最近、「ダウンジャケットは家の中で着るもの」という感覚が生まれてきた。ここ2、3年、外では来ていないような気がする…。
2012.03.04
旅に出よう(海外、その2)「スペイン(トレド)」 マドリッドの次に列車で1時間15分ほどの位置にあるトレドを訪れた。中世においてはイスラム教、キリスト教、そしてユダヤ教の3つの宗教が交錯した地である。タホ川に囲まれた旧市街は、町全体が博物館となっていて世界遺産にも登録されている。 アルバムより「トレドの駅を出ると50歳くらいのおじさんがとことこと寄ってきて何気なく話しかけてくる。町の説明をした後、結局、彼の土産物屋に連れていかれる。その店は通りからは離れたところなので、観光客の目にもほとんど留まらず中もシーンとしていた。ご主人自ら客を引いてこないと食べていけないみたいだ。」 基本的にはまだまだこれから旅は続くので、途中でバックパックの中身を増やしたくない。つまり、お土産は最後に買うようにしている。なので、彼の店ではお土産は買っていないと思うのだが、一つだけスペインで購入したものがある。(彼の店かどうかは不明) それは皮革製の水筒で、旅の記念に自分のために購入した。帰国後、しばらくは部屋に飾っておいたが、いつの間にか押し入れの中へ。たしか、30歳前後だと思うが、しばらくフリーマーケットに凝ったときがあって「何か売るものはないか?」と押し入れから引っ張り出し、「売れなければ売れないで構わないや」とその水筒を都内で行われたフリーマーケットに持って行った。 このときは車ではなくバックパックにいろいろと詰めて電車で開催地まで行ったので、移動がとても辛かったのは覚えている。与えられたスペースにシートを敷き、バックパックから荷物を取りだして並べ、自分は持参した折り畳み式のいすに腰を掛けた。 しばらくすると、例の水筒を手に取る男性がいる。年齢にして60歳は過ぎていたと思う、背が高く細身で、髪の毛は肩にかかるほどの長さだが、頭頂部はかなり薄い。「なんかどこかで見たことがあるような人だな~」と思っていると、分かった。仮面ライダーで「死神博士」役をした俳優の天本英世(あまもとひでよ)さんであった。 「この水筒もらおうかな」と言ってきた。私は「ありがとうございます。でも、それ使えないと思いますよ」というと「いや、これはまだまだ使える!」というので、確か500円前後くらいで売ったはずである。彼はスペインに堪能で、その著書に「スペイン巡礼」や「スペイン回想」などがある。きっと、自宅にもいくつか同じような水筒があったに違いない。そんな彼も2003年、享年77歳で逝去されている。ご冥福をお祈りします。
2012.03.03
プーケット四方山話「商魂たくましきインド人たち」 「Hello, my friend. How are you?」彼の店の前を通ると必ずこう言われ握手を求めて来る。彼はインド系タイ人の洋服の仕立て屋だ。しかし、バンコクでもここプーケットでも、なぜかインド系の人は「仕立て屋」なのだ。非常に不思議である。インド系の人はそんなに裁縫が好きなのだろうかと思ってしまうほど、「仕立て屋=インド系」である。 最初に声をかけられた時はこんな感じであった。 「やあ、どこから来たの?」 「日本からだよ。」 「ナイスボディをしているじゃないか?映画か何かを作っているのか?」 私は最初、彼が使ったpicture(映画)という単語の意味が分からなくて、「pictureって?」と聞き返したら 「ほら、ジャッキーチェンとかが出ている、アクションの…」と言ってきたので理解ができたが、ゴマスリスリ状態である。「ここまでゴマをスリスリされるとどうなんでしょうね?」などど思いながらも、悪い気はしないものである。その心理状況を彼らは巧みに利用しているのだ。インド系タイ人、あなどれん! 「どうだ、プーケットに来た記念にスーツのオーダーをしないか?」 とセールスをしてくる。「プーケットに来た記念=スーツ」の組み合わせが理解できないが、そんなことは彼らにとってどうでもいいことで、とにかく売れればよいのだ。 しかし、こんな暑いプーケットに来て、スーツをオーダーする人がいるのだろう。非常に理解に苦しむ。 毎日のように彼の店の前を通っていた。そのたびに、声をかけてくるので 「商売の方は順調なのか?」 と聞いてみたら 「とってもうまく行っているよ。」 との返事だったが、お客さんが入っているのを見たことがない。 この手の店では、その前を通るたびに声をかけられた。もちろん、それは私に特に興味を示したわけではなく、道行く人に片っ端から声をかけているのである。商売になれば、別に誰でも良いのだ。 別の店で 「ちょっと、ちょっと、2分ほど時間くれないか。聞きたいことがあるんだ、セールスなんかしないからさ。」 と声をかけられた。別に急いでいるわけでもなかったので 「別に構わないけど…。」 と話を聞いていると、何のことはない、たわいもない話をしたかと思うと 「シャツをオーダーしないか?」 とすぐセールスが始まる。 まー、そんなに目くじらを立てるほどでもない。ついでに彼に 「なんで、君たちインド人は仕立て屋なのだ?」 と言うと 「オレはパキスタン人だ!」 との答えだった。さすがに、インド人とパキスタン人の区別はできない。「Sorry!」と言い「なぜパキスタン人は…」とまでは聞けなかった。 最後まで店内に入ることはなかったが、今頃も道行く人に「Hello, my friend!」と声をかけているに違いない。
2012.03.02
日記「やっぱり身体は動かさないと!」 あまり記憶は定かでないのだが、先週の土曜日あたりであったろうか。会員になっているフィットネスクラブのトレッドミルでテレビを見ながら走っていたときのことである。「何か面白そうな番組はあるかな?」と適当にチャンネルを変えていると「盲導犬」を取り上げた番組があった。北海道の盲導犬協会を取材していたのである。 「なんか、ちょっと面白そうだな!」とチャンネルを固定した。盲導犬協会の役目として、メインは盲導犬の育成にあると思うのだが、もう一つ大事なこととして(全ての盲導犬協会がそうしているかどうかは定かでないのだが)、引退した盲導犬を面倒の見ることもあるようだ。 実は数年前、多分、同じ北海道の盲導犬協会だと思うのだが、やはり引退した盲導犬の映像を見たことがあった。盲導犬として立派に人に尽し、余生をその協会の一室で過ごしていたのだが、まともに歩ける犬はいなかったように記憶している。足を引きずりながらでも人間にシッポを振って歩み寄る姿をほんの数秒間だけでも見て、涙が込み上げてきたことは忘れられない。 今回も、番組では、役目を終えて静かに余生を送っている元盲導犬たちの姿を映していた。そんな中の一匹に、私の記憶違いでなければ、おん年17歳になる元盲導犬がいた。ほとんど寝たきりの状態で、特に後ろ足はピクピクと動かす程度であった。 そんな彼?彼女?のために歩行するための補助器をつけて人の手を借りることなく歩行させようという内容であった。いわゆる、上から吊るして身体を支え、弱っている後ろ足でも何とか歩行させるという器具である。体重の接足にかかる負担がかなり軽くなるので、極端なことを言えば、前足だけでも前に進むことができる器具である。 音声は拾っていなかったのでどれくらいの間それを使って歩いたのかは分からないのだが、一通り運動をさせその歩行器を外すと、今までからは想像もできないのであるが、自力で歩けるようになっているのである。部屋の中をあちこちと歩き回ることができるようになっている。 さて、私は専門家ではないのでここからは私の独断と偏見の世界になるのだが、弱った筋肉がその数分間の間に回復することはなかなか考え難い。私は「神経」ではないかと見ている。もちろん、敢えてここで説明することではないと思うが、脳からの命令が神経を伝わって筋肉に届くことによって筋肉は収縮をする。つまり筋肉を動かすことができるわけである。その一連の流れを、私たちは普段、ほとんど意識しないで行っているわけである。 それでこの犬の場合は、補助器で吊るして通常の歩く状態にし実際に歩かせたことによって、脳からの「歩け」という命令が、今までより神経を通ってスムーズに流れたことによって自分の足でも歩けるようになったのだと思っている。 これは私たちへのメッセージである。怪我などをして痛みがあるのを我慢して身体を動かせばもっと悪い部分は悪化するが、ある個所が痛いからと言って身体全体を休めてしまっては支障がない部分の機能まで衰えてしまう。支障がない部分は積極的に動かしていくべきなのだ。そうすれば、支障がある部分の回復も早いはず。「やっぱり身体は動かさないと!」を改めて実感させられた次第である。
2012.03.01
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