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ちょっと難しいご質問をミクシィの方からいただきました。
>我々パーソナリティから見ると、トータルセルフは上位の意識体と感ぜられるのですが、アチラでは、パーソナリティも、トータルセルフを自分自身だと感ぜられるようになるのでしょうか?
下位のパーソナリティと上位のト-タルセルフには、意識情報のヒエラルキーから来るある種の断絶があるように思えるのです。
つまり上位意識は、いつでも下位意識を把握していますが、その逆は、上意識の裁量の範囲内でしか行えないのではないでしょうか?
そのような状態に置かれたパーソナリティには、トータルセルフを上位の上司的な他者と感ぜられるのではないかとも思えます。
>下位のパーソナリティと上位のト-タルセルフには、意識情報のヒエラルキーから来るある種の断絶があるように思えるのです。
まず、これについては、そのような断絶が仮にあるとすれば、それは他でもない、下位のパーソナリティ自身が作り出した幻想だということです。
セスがそのように述べています。
I/Tメンバーという枠組みが存在していること(「私」と「私」以外のI/TメンバーがI/There内に存在していること)も幻想だというのです。
つまり、I/There内における自分だと認識しているパーソナリティとそれ以外の他人という区別です。
そういった狭い意味での自分という境界は存在しないというのです。
ですから、上のご質問へのお答えとしましては、断絶などというものは存在しない、こういうことになると思います。
>つまり上位意識は、いつでも下位意識を把握していますが、その逆は、上意識の裁量の範囲内でしか行えないのではないでしょうか?
上位・下位という区別は上の考え方からすれば存在しないように思いますが、仮にあるとしても、上位意識の裁量というより、下位意識の進化の程度によるということになるように思います。
つまり、同じI/Tメンバーでも進化の程度は様々ですから、パーソナリティの中にはトータルセルフの存在に気づいているものもいるでしょうし、気づいていない者もいると思います。
すでに信念体系領域から抜け出ている場合には、フォーカス27という輪廻転生の中継地点にいるとされていますから、そこで様々な活動をしたり、許された範囲で様々な情報に接することができるでしょうから、より大きな自分であるトータルセルフの存在に気づけるものもいるように思います。
死後は、我々のように自在に様々な非物質的領域に行けるわけではないらしいのです。
行けるのは、自分の生前の行いに応じて形成された振動数にふさわしい領域だけであるとされています。
ですから、フォーカス27にいる存在程度では、まだトータルセルフの全貌までは到底わからないように思われます。
まさにセスが我々に「すべてなるもの」の存在を知るには、直観的に感じ取る以外にないと言うように、死んで向こうに行ってからも、進化の程度が低ければ、トータルセルフの存在を知るためには直観力を駆使して感じ取る以外にないのではないでしょうか。
>そのような状態に置かれたパーソナリティには、トータルセルフを上位の上司的な他者と感ぜられるのではないかとも思えます。
これは、我々の今の感覚にわりと近いかもしれません。すなわち、我々が高次の存在に対して感じる感覚です。
私の場合、その存在にもよりますが、上司というよりは、尊敬すべき賢者という感覚に近いかもしれません。
セスなんかの場合は、まずそばに近寄るだけで心の底から尊敬の念が生じてきます。サナンダなんかもそうかもしれません。
そこまで行かなくても、トータルセルフは1人の自分(パーソナリティ)よりはるかに進化した存在ですから、尊敬の気持ちが生じるかもしれませんね。
今の私にはそれぐらいしかわかりません。少なくとも単なる友人のような感覚ではない気がします。
>我々パーソナリティから見ると、トータルセルフは上位の意識体と感ぜられるのですが、アチラでは、パーソナリティも、トータルセルフを自分自身だと感ぜられるようになるのでしょうか?
これは進化の程度によると思います。
感じられるパーソナリティもいれば感じられないパーソナリティもいると思います。
それぞれが独立した存在を保ちつつ独自の進化をつづけていきますから。
死んでからどこかで今我々が自分だと感じている意識がなくなるわけではないんですね。
死んだ後は、今の我々のようにあらゆる領域を自由には行けなくなるとされてはいますが、テレパシーなどの感覚的な能力は我々以上に発達しますから、ガイドとの連携も今まで以上に強化されていきます(死んだ後にもちゃんとガイドがいるらしいです)。
そういったガイド的存在から、もっと上の事情などについても知る機会が得られるでしょうし、死んだ後に訪れるとされる学校のようなところでも、そういったより高次の自分について学ぶ機会はあるように思います。
我々の感覚でいうと、死んだあとはただのエネルギー体だけになってしまって、今のような生活はできないと考えがちですが、そうではないみたいです。
死後の世界も我々の世界と同様のリアルさを持って存在するのだということは、多数の報告があります。
(死んだ後に非物質界からコンタクトをとってきて報告をしている存在がいます。作家のコナン・ドイルなんかもそうですし( http://members.at.infoseek.co.jp/akyonn/konan10.htm
)、他にも多数います。)
正直、ここまでの記述はなんとか書いてきましたが、偶然にも上でコナン・ドイルのことを思い出した時、コナン・ドイルの霊界通信を紹介した上記URLと出会い、しばし読みふけっていました。
上でご紹介したURLを開くと、中ほどに、トータルセルフに非常に近い意識状態をパーソナリティが体感していく様子が描かれています。
コナン・ドイルによれば、それはかなりの進化を待たなければならないようです。
コナンドイルの説明に従えば、死後は原則として、生前の行い等によって到達した意識レベルによって明確なレベル分けがなされ、それにふさわしい世界へと移行します。
ですが、死後世界でも、進化が進むに従ってより直観的洞察力が高まったり、霊的知識が高まったりして、より多くの情報がもたらされるようになるみたいです。
おそらくは、ヘミシンク的にはフォーカス35まで到達してようやくパーソナリティは、自分が全体の一部であることに気づくのだと思います。
それまでは、当該パーソナリティのみが自分という認識です。
それほど、進化の壁に遮られているがゆえの真実の「歪み」が生じている、こういうことなんだと思います。
ですから、先日お話したマイケル・ニュートンの退行催眠で被験者が間違った「自分」のとらえ方をしていたとしても、仕方がないことですし、むしろ当然だと思います。
ですがやはり、コナン・ドイルの説明からしても、セス達のいうトータルセルフとパーソナリティの説明は高次からみた霊的真実をより多く体現していると言っていいように思います。
ですから、結論としましては、こうなると思います。
パーソナリティにもトータルセルフが自分だと感じられるようになりますが、それはその存在の到達できた進化の程度によるのだと。