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>この世に生まれそれぞれ役割分担があるのならば、身近な例で私の妹は結婚してからいろいろとトラブルが多く、妹が仮に被害者でご主人が加害者としたら妹は過去においてこのご主人と逆に妹が加害者の立場であったかも?と考えられますが加害者の役割がいまひとつ分かりません。(加害者が以前は善人から逆になるのも・・・?)加害者(例~殺人者など)は承諾してこの世に生まれてきているのでしょうか?
まず、加害者の役割がわからないということですが、例として出されている状況、すなわち、妹さんが被害者でそのご主人が加害者の場合に、過去生において妹さんが加害者でご主人が被害者だったかもしれないという状況も、他のありうる可能性のうちの一つにすぎず、絶対的なものではありません。
その上で、加害者・被害者の役割ですが、これはセットとして把握されるのが通常ではないでしょうか。
両方の気持ちが理解できて初めて深い理解が得られるというような。
そういった意味では、加害者であろうと被害者であろうと、ある程度避けられない状況ならば、生まれる前から承諾して生まれてきている可能性はあるように思います。
ただそれも絶対的というわけではなく、我々には常に自由意思がありますから、その状況を努力次第で避けられるという可能性はあります。
ですが、それもまた絶対ではなく、たとえば加害者・被害者という関係が生じうることが、どの確率的偶然の世界を考えても避けられないという場合もないとは言えません。
状況次第ということなんでしょうね。
ですから、一般論としてこうだとは一概に言えないわけです。
>ただこの解決方法の私の考え方は実際はなかなか出来ないですが、おそらく許すことだと。それが出来ないと来世も同じ課題が繰り返されるのではと思っています。
離婚等によってその状況が避けられない場合、その状況を受け入れるという手段しかないわけですが、その場合には、おっしゃるように、許すという作業しかないように思います。
この場合の許す対象は、何度か申し上げているように、相手ではなく、自分自身です。
傷ついた(と自分が感じている)自分自身を体ごと許していくという作業を繰り返し行っていくことになります。
以前お話したように、言霊の力を使ったり、ヒーリングをしたりですね。
>この世の悪として生まれて来ているは人はF21で何を学んでいるのでしょうか?
まず、F21というのは、いわゆる三途の川と呼ばれているところでして、死者がここに長期間とどまることはないようです。
幽界(F23、F24~26)あるいは、霊界(F27~35)と呼ばれる領域に移行します。
この世で悪と呼ばれるような人が死後世界に帰って行った場合、基本的には自分自身で自分自身をさばくとされています。
「なんて俺はひどいことをしたんだろう。」といった具合に。
いわゆる地獄のようなところは存在せず、閻魔様もいません。
あるのは、内在神による良心の導きだけです。
自分で自分をさばくんです。
自分のしてきた悪行に対してさいなまれている場合には、F23か信念体系領域(F24~26)にとどまります。
それがある意味、その人にとっての地獄のようなものです。
しかし、多次元的にみれば、善、悪というのは幻想であり、それらは一種の同意に基づいた役割分担のような側面を持っていますから、良心がどれだけさばいても、最終的に自分自身を許すのも、自分以外にはいません。
ある時、自分の良心が自分を許すという決断をした時、自分自身をそれまで縛り付けていた想念から解放され、初めて上の領域に進むことが許されます。
状況にもよりますが、たとえばそれはF27であったり、信念体系領域にいた場合には、より振動数が上のレベルへと進む場合もあるようです。一気にF27に向かうのではなく。
そのような判断というのは、最終的には広い意味での「自分」がするわけですが、パーソナリティにもより進化した「自分」がガイドとして常に付き添っていますから、より進化した「自分」との対話によって、自分自身で進化の道程を選択する余地が間接的に与えられていくように思います。
今の私に言えることは、次のことです。
生前、悪と呼ばれた人が死後世界で最終的に学ぶことは、自分自身を解放へと向かう作業なのではないかということです。
それらはすべて、内在神(良心)の導きによって、自分自身で決めてなされていきます。
トータルセルフにはすべての事象が手に取るように見えていますが、当の犯罪等を犯したパーソナリティには見えていません。ですが、良心がありますし、死後人間は生前どんなに悪い人でも純粋な魂の面が強くなってきますから、良心の呵責にさいなまれます。
その過程を一つ一つの場面においてきちんと向き合ったうえで、一つ一つ想念を解放していく作業をすると思われます。そういったプロセスが進化のためには必要なのです。
同じことを、もしかしたら被害者の立場でもやるかもしれません。死後、被害者の自分が開放すべき想念について、同様に一つ一つの場面と向き合いながら解放していきます。それが、被害者の自分にとって必要だからです。
それらすべてを経ることが、より大きな「自分」全体の進化を促進させることになっていきます。
以上のようなところが、現段階の私の考えです。