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現実世界を生きていますと、他人は自分の鏡だということに気づく瞬間があります。
たとえば職場などでの人とのかかわりなどからです。
同じことを言うのでも、人によってずいぶんと言い方が違ったりしますよね。
友人なら嫌なら付き合わなければいいだけですが、職場での付き合いはそうもいきません。
でも、よくよく見てみると、自分自身の反応が、自分が嫌だと感じる現実を引き寄せている場合があります。
つまり、人との話の中で、互いに相手の嫌な部分を相手の中に見出し、嫌な現実を共同創造します。
相手があってこその人間関係ですから、自分一人では成り立ちませんからね。
そういった意味では、確かに我々は「現実を他人と共同創造している」といった側面はあります。
ただ、あくまでどのような現実として「体験するか」は、自分自身がどのように認識(反応)するかという選択にかかっているのだという部分もあります。
自分自身の認識(反応)は、相手の反応にも影響し、自分の認識を変えるだけで実際に共同創造する現実が変わってきます。
その意味では、確かに、「現実は自分自身で作り上げている」という側面も持ち合わせています。
人間の出会いは、意識と意識の交流によっても成り立っていきますから、自分の感情も含めて、様々な影響を与えあっているのです。
そうやって私達は、自分が日々直面する現実を瞬間瞬間に創造し続けているんでしょうね。
現実を日々自ら共同創造しているという側面はさておき、自分が今ここにいられるだけで幸せなのだと心から思えたとき、他人との関係でどんなに嫌なことがあったとしても、そんなものは些細なことに思えてきて、悩み・苦しみなど吹き飛んでしまいます。
これは、人生においてとても意義深いことだと思います。
命を与えられて、存在できるだけで幸せなのだと気づけた時、それまでのつらさ・苦しさなど微々たるものに思えてきて、それらに煩わされなくなります。
その時、本当の自分と向き合うことができます。
自分自身の内にある、小我(エゴ)によらない、それとは独立した真実の自分です。
エゴによって作られたちっぽけな自分ではなく、生きる喜びそのものを身にまとった生命力そのものとしての自分自身です。
そして、現実世界が実像だけでなく虚像としての側面を持ち合わせているのだということに気づいた時、実は我々のものの認識というのは、あらゆる場面において反転している可能性があることにも気づいてきます。
ですが、それは、虚像としての現実世界に没入して初めて見えてくる真実です。
現実世界から逃避していては、いつまでたっても真の実像には到達できないように感じます。
対象に没入してはじめて、対象そのものから見えてくる真実。
そして、自分自身を見つめること、それはある意味、自分の外的環境を見つめることに他なりません。
真実が常に自分の内側にあるのだという主張の源はここにあります。
大いに現実世界での体験を楽しみましょう。
(Creative Commons: some rights reserved by Alaskan Dude)