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大阪市では 学力テストの平均点を校長判断で保護者などに公開できるようになると言うような記事が書かれていた学校選択制を前に市○の「橋○」さんが求めていたことらしい…公開しない学校はそれだけで学力が低い学校と保護者に言われるんだろうこの「学力」はほとんど知識や技能考える問題もあるという話も聞いたことはあるが 一度このような問題を解いていれば「知識や技能」になってしまう心の教育はどうなったんだろう?体力は学力じゃないのだろうか?いじめを助長するような人が国に関わってくるのかもしれないと思うと怖いなぁ~
2012年12月16日
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先日 世界の理数のテストの結果が新聞に掲載されていましたそこには「このテストは授業時数が増えると点数がよくなるようになっているから日本の点数は上がったのだろう」というコメントが書かれていましたしかし「好きかという問いについては 思いっきり低かったそうです」日本の数学は高校までに微分積分が済むことを基準に教育課程が考えられている」というお話を聞いたことがありますお偉い学者さんたちが 自分の教科「が」大切だと言い張り 自分がやってきた学問が否定されることを嫌い そのような人の多くが教育審議会の委員を務めている間は 変わらないんだろうなぁ~と思いますそれなら いっそのこと「俺は昔落ちこぼれでさぁ~」みたいな人が入った方が よっぽど人生について何が必要かを決められる会議になると思います
2012年12月16日
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ある高校生が この夏 アメリカに短期留学したそうですすると高校生が大統領選挙について毎日のように議論をしていたそうですこの留学生が「なぜ投票権がないのに議論をしているのか」と聞くと「この国の将来を決める大切な選挙に年齢は関係ない」という答えが返ってきたそうですこのコラムには「答えを覚えることに莫大な時間を求められる日本の教育と違い生徒の数だけ答えがあるという教育の差かもしれない」と書かれていました全ては頷けませんが それは大いにあると思いますまずはここまで
2012年12月16日
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先日新聞を読んでいたら 「お任せ民主主義」の話が載っていた元内閣府参与の湯浅誠しの著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」に書かれていることに触れていた作家の雨宮処凜(あめみやかりん)さんが寄稿していた文章の中にあった「さっさと誰か決めてくれ、ただし自分の思い通りに」というような思考停止の蔓延。しかし、それが裏切られる願いだと言うことを、私たちは経験してきたはず。特に小泉政権以降、その傾向はより顕著であるが「強いリーダー」に「変化」をのぞんでも、その方向は人がの思っているものとは全く違う可能性もある。と言うような内容だった私は投票率が落ちるのは困るから 投票に行きます…が「私たちが本気になったら いつでもあなたたちの首は替えられるんですよ」という意思表示として棄権票を投じています棄権票が全投票の数十パーセントを占めるようになったら コネ使いをして票を集める政治でなく 別の方向でがんばる政治家が出てくるかもしれません
2012年12月16日
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知人が東北を回ってきたと話していた。「俺たちにできる事って、向こうに行って金を落とすことぐらいだろ。」正解のようであり正解でない気がした。このことに関していくつか感じたことなど…この間、みやげ物屋さんに行った時のことを思い出した。東北支援のことなどが書かれたTシャツや手ぬぐいなどのグッズが売られていた。私が見たものは作成されている場所は書かれていなかった。これは、果たして東北で被災した人地が作ったものだろうか。職を失った方たちのまずはとしての仕事の場として提供されたりしているのだろうか。売り上げの何割かは、被災地への寄付などに当てられるのだろうか。頭をよぎったのは、よく聞かれる「便乗商法」だった。あの被災地で火事場泥棒のような事をした事実も伝えられている中、支援・寄付など、そのようなことが明記されていないと、疑いたくなってしまう。それでも、とりあえず、みやげ物屋さんなどにはお金は落ちるのだろうし、飲食店は売り上げが上がるのだろう。新聞に駅前の巨船をどうするかという記事が載っていた。ここで写真を撮っていく人などもいるから残すと言う人もいるようだが、市民の8割の方たちは反対だそうだ。「あの日」の記憶が、3.11が蘇るから。写真を撮っていく人がどのような気持ちで取っていくのか。知人が被災について調べた資料を見せてくれた。その被災地を調べることについてでさえ賛否両論だったそうだ。そのための配慮「無駄な減速はしない」「居住地には近づかない」など。そして、有事の時の対応も配慮されている。その中に「風化させてはいけないのだ」と書かれている部分があった。「後世に伝えること」「世に真実として伝える」事として写真を撮っていくのはよいだろう。しかし、巨船をバックに記念写真を撮っている人はいないのだろうか。そのように考えると被災された方たちの気持ちを一番に考えたい。 「向こうで金を落とす。」物見遊山でよいのだろうか。観光でよいのだろうか。見学でよいのだろうか。そんな疑問がふつふつとわいてくる。いただいた資料からは、そのような事実や気持ちが伝わってくる。3.11の日、私はテレビで逃げる人たちを見た。その光景を停電だった現地の方たちは見られていない。私はその放送ですら、恐ろしいと感じた。鉄道がすべて止まった。不便だった。でも、そんなものではないのだ。わたしたちで「さえ」こうなのに、目の前に津波が来ていた人はどうなのだろう。流される人を見てきた人はどうなのだろう。 今だから、原爆ドームは観光地となっている。それですら「思い出す」方たちもいるのだ。それを考えると、まだ1年9カ月という期間しか経過して いず、復興も済んでおらず、そのような現地を私たちが訪れるには、それなりの知識、装備、覚悟、心を携えて行かなければいけないのだと私は思った。前回もそうだったが 今回も写真をアップする気になれなかった。この写真は、子どもたちに真実として伝えるときにだけ使いたい。
2012年12月11日
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被災地 石巻を垣間見て…12月1日から3日まで2日の宮城県オープン大会を中心に宮城県に行ってきました。「3日によければ被災地を少しでも見に行きませんか」と、素晴らしい提案を総監督からいただき、愛好会会長と総監督、総監督のおっかぁ、総監督のいとこと連れて行っていただきました。その日の前行程は省きます。だんだん被災地だったところに近づくと、赤茶けた水がたまったところが…。塩水でさびた鉄の色の水でした。田んぼだったと思われる所も雑草が生えていました。「生い茂る」ことができないのは、塩害のせいのようです。当然、稲は育たないでしょう。しばらく行くと復興も始まって大きな工場もありましたが…。「体力のある工場はいいんですよ。」確かに従業員が多いところには早めにお金を落とすでしょうし、銀行もお金を貸してくれるんだろうなぁと感じました。小さい「こうば」みたいなところは、ほとんど見当たりませんでした。そして、雑草がいくらか見えるところには、家の基礎部分だけが残っています。元の住宅街でした。ところどころにぽつりと家が立っています。「新しい家?」と思うと家の中の1階は、外壁や柱があるだけでサッシや玄関、家具などは何もありませんでした。1階の一部が無くなり、2階の3分の1ほどが空中に浮いている家もありました。同様に3階建てのマンションだったのかな?と思われる建物は、一見、そのままに見えますが、1、2階のサッシの代わりにベニヤ板がはめ込まれていて2階まで津波が来たことが分かりました。工場の中を抜けていくと元は鉄骨で支えられていたコンクリート壁だったのだろうと思われる所の鉄骨が斜めに捻じ曲げられ、コンクリートが壊れたままになっていました。水圧の恐ろしさが分かります。火事で焼けた小学校の前に車を停めてくれました。校門は流され跡かたもなくなっていました。学校の周りも住宅街だったそうですが家は1軒もありませんでした。そのうちの1軒の基礎には、ぐにゃりと曲がったピンクの幼児用の補助付き自転車が、置かれていました。そこから見える「コンビニだったところ」は、周りの鉄骨のみがあり、コンビニのレントゲン図のようでした。あちこちに3階建てに近いようながれきが積み重ねられている山がありました。また、車が積み重ねられて置いてあるところもいくつも目に飛び込んできました。津波で流された人の中には、そのまま奥へ流されて助かった方もいれば、流された津波が堤防などにぶつかり、海に持っていかれて亡くなった方もいるそうです。大きな橋がかかっていますが、夜にはライトが消され通行止めになるそうです。また、トンネルもそのようになっているところがあるそうです。夜 警察に「人を轢いてしまった」と電話がかかってくるのですが行くと轢かれた人がいない。そのような電話がたくさんかかってくるそうです。ノイローゼになってしまったタクシーなどの運転手さんもいるそうです。しかし、これは、まだ津波被災の入口に近く、1時間ぐらい北に行くともっとすごい被害になっているとのことでした。車の中の話では、放射能による農作物の風評被害もすごいそうです。舞茸を作っていらっしゃるところでは、栽培用のおが屑が東北などでは放射線量が心配というのでわざわざ埼玉県の秩父から往復900kmを自分ひとりでトラックで往復して手に入れてくるそうです。そのおが屑も見せていただきました。そのようなことまでしている方たちに対して「噂」で、判断する人たちにもっと正しい情報を知ってほしいと思いました。百聞は一見に如かず。やはり、実際に見てくると違うものを感じました。1年9カ月もたってこの様子と言うことは、震災当時のすごさが想像できます。帰りのお土産屋さんに東北を応援するようなTシャツ、トレーナー、手ぬぐいなどが並んでいました。文字はそう書かれています。はたしてこれは東北の人の手にお金が落ちるのだろうか。被災した方々を中心に作成している方の生計のためになるのだろうか。それとも、売り上げの一部が復興に使われるのだろうか。東北のある人に聞いてみたら、首をかしげていました。私が今できること。小さいことかもしれないけれど、具体的に役立つことへ向かう方向を考えて、もう少し動いてみたいと思いました。
2012年12月11日
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