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【送料無料】チューリップ おいしい曲すべて 1972-2006 Young Days〜/チューリップ[CD]【返品種別A】価格:3,349円(税込、送料無料) (2024/2/22時点)楽天で購入吉田さんがチューリップをやめた後はどこで何をしているのかさっぱりわからなかった。今ならネットで検索すればすぐに何かしらの情報がつかめるのだろうが、当時は雑誌くらいしか、そういった情報を得る手段がなく、まったくわからなかったのだが、チューリップがよみうりランドでライブをやった時に、関係者がトークコーナーで「吉田さんは六本木でコーヒー屋をやっている」と話しているのを聞いた。それでは、と大学のチューリップ仲間と六本木の喫茶店を一軒ずつ回ってみた。六本木の交差点(アマンドのあるところ)を中心に半径1キロくらいを歩いたのだがその時は見つからなかった。のちに、店の場所は乃木坂であることがわかり、ついに店をみつけることができた。最初に店に入った時は緊張した。なんといっても、目の前にチューリップのメンバーがいるのだ。元メンバーか現メンバーかは関係ない。とにかくチューリップに関したものに接するときは緊張する。私が大学生の時だからもう30年以上も前のことになる。その後何回か店に行ったが、チューリップのことを話すことはできなかった。コーヒーや、おすすめメニューだった自家製ヨーグルトの話しかしなかった。チューリップの話をして嫌がられたらいやだな、と思った。何回か店に行ったことのある友人に聞いたら、そんなことはなく、音楽の話も普通にしていたそうだ。ちょっと損をした気になった。一度店に傘を忘れたことがあった。何日か経って店に行ったときに、すぐに店の奥から傘を持ってきてくれて驚いたことがある。気にかけていて、今度来たらすぐに渡そう、と思っていたような対応だったので。
2024年02月22日
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上田さんのXで吉田彰さんが亡くなったことを知った。静かなショックを受けた。チューリップは私の青春のすべて、といってもいい。いや、青春という言葉はノスタルジックな響きがして好きではない。私の人生のすべてと言ってもいいかもしれない。小学6年生の時に「心の旅」を聞いてファンになってから、常に私の人生のかたわらにいた、といった表現が一番適切だろう。今も毎日のようにピアノやギターで何と言わず、楽譜を広げて歌っている。そのチューリップの草創期のオリジナルメンバーである吉田彰さん。私が高校3年生の時にチューリップをやめたときは、え、なんで、と思った。もちろん、宮城さんもとてもいいのだが、第一期からのファンにとってはやはりチューリップのベース、コーラスは吉田さんだ。財津さんとの確執もいろいろあったようだが、再結成ライブでは必ず上田さんが「早くおいで」を歌っていたので、ああ、吉田さんのことも考えているんだな、と少しうれしかった。ヤフーニュースに出ていた。コメントも200弱載っていた。皆、いろいろな思い出があるんだな、と思い、私もいろいろ思い出した。これから改めて書いていこうと思う。
2024年02月20日
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KAN/NO-NO-YESMAN 【CD】価格:1,831円(税込、送料別) (2023/11/23時点)楽天で購入私が最初に聞いたKANのアルバム。今でも一番のお気に入りだ。
2023年11月23日
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KAN / テレビの中に [CD]価格:1,654円(税込、送料別) (2023/11/21時点)楽天で購入先日紹介した、KANのデビューアルバム。
2023年11月21日
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CD / KAN / GIRL TO LOVE / UFWT-1003価格:2,200円(税込、送料無料) (2023/11/20時点)楽天で購入「愛は勝つ」もいいけれど、ぜひ、これも聴いてみてください。
2023年11月20日
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KANさんが亡くなったことが公表されて二日。12日に亡くなったということなので、亡くなった日からちょうど1週間。いろいろなミュージシャンからコメントが寄せられている。一通りネットで見られるものは見た。皆、それぞれ早すぎる訃報に無念をにじませた内容で、彼の人となり、活躍ぶりが感じられるいい内容だった。中でも、ASUKAさんのコメントが、お互いの子供のころのエピソードも交えて、心のこもったものだった。本当に残念だ。名もなき一ファンの一人として私なりの思いを書きたくて書く。以下、敬称は略させていただく。私がはじめてKANを見た、聴いたのは1987年のある深夜のテレビ番組だった。かなり前のことなので詳細は定かでないが、確か12時を過ぎたくらいの時間の、あまり視聴率の高くない時間帯だったと思う。たまたまテレビを見ていて、ピアノを弾きながら歌うデビューしたばかりでまだほとんど知られていないKANを見た。長袖のTシャツにジーンズのような服装だったと思う。そう、デビューアルバムの「テレビの中に」のジャケット写真のような。そして、一瞬で釘付けになった。曲は「BRACKET」。2枚目のシングルだ。こんなにしゃれたかっこいい曲をピアノで歌うことができるんだ、と衝撃を受けた。当時、私もかなり音楽に傾倒していて、自分で曲を作り、ピアノを弾いてリズムマシン、DX7で多重録音してコンテストに応募したりしていた。同じくらいの年齢のミュージシャンのカッコよさに、これはレベルが違う、と思い知らされた。すぐにCDを買った。「NO-NO-YESMAN」。どの曲もしゃれていて毎日のように聴きまくった。特に好きだった、いや、今でも好きなのは「今夜は返さない」「STYLISTIC」そして、タイトル曲の「NO-NO-YESMAN」。当時流行っていた打ち込みをとても効果的に使っていて、とにかくしゃれていた。デビューアルバム「テレビの中に」もすぐに買って聴いた。このアルバムがまた、例外なくどの曲もよかった。しいてあげれば、中でもよく聴いたのは「セルロイドシティも日が暮れて」「テレビの中に」「TOP SECRET」「FAIRY TALE」。秋の少し冷え込んできたころの夕方に原宿の表参道あたりを歩きながら聴くとぴったりくる、そんな感じのセンスのいいメロディ、アレンジにすっかりまいってしまった。3枚目の「GIRL TO LOVE」もよく聴いた。このアルバムの中で好きなのはまず「適齢期LOVE STORY」。スピード感がすごい。そして「君はうるさい」。私はチューリップが好きで、チューリップを手本として音楽をやっていた。財津和夫の歌詞はとても落ち着いた大人っぽい世界観を持っている。たとえて言うなら20代後半くらいの大人の男性と、20代半ばくらいのOLのラブストーリー。それと比べると、KANの書く詞の世界は高校生のカップルという感じか。とても新鮮だった。実は初期のKANは作詞は別の人という曲が多い。2曲目のシングル「BRACKET」も作詞は別の人だ。それでも出来上がる曲は同じ世界観を持っているのが不思議だ。3枚目のシングルになった「だいじょうぶI’M ALL RIGHT」も秀逸。当時人気のあった大江千里の作る曲に雰囲気が似ている。ひょっとして何か意識するものがあったのだろうか。「恋はTONIN’」などはKANにしか作れない曲だと思う。あえてあげれば、根本要あたりの作る曲にこんな感じのものがあるかもしれない。しかし、曲が同じでも根本要が歌ったんではKANのこのようなポップな世界は表現できそうもない。そして、なんといっても素晴らしいのが4年後にシングルカットされた「言えずのI LOVE YOU」。歌詞も、メロディも、アレンジも。と、この後のアルバムももちろんいいのだが、私はデビューからの3作にKANのすべてが詰まっていると思う。なので、「愛は勝つ」がヒットしたときは、正直に言って「えっ、これが売れるの?もっといい曲があるのに」と思った。もちろん「愛は勝つ」は名曲だ。直球勝負の歌詞、覚えやすいメロディ、とヒットする名曲の要素を十二分に持っている。こうした曲も作れる、歌える、というのもKANの魅力だが、私は個人的にはやはり初期の3作品がベストだと思う。また、ある時、KANがテレビで自分の音楽のルーツを語るのを見た。「愛は勝つ」が売れた後、今から20年くらい前だったと思う。その時、初めてピアノで弾いたクラシックの曲が「人形の夢と目覚め」で、初めて弾いたポップスの曲は「あの、ゆるやかな日々」だと話しながら、目の前のピアノを弾いた。驚いた。「人形の夢と目覚めは」私もピアノ発表会で弾いた記憶があるが、習い始めの子どもがバイエルやツェルニーのような練習曲ではなく、タイトルのついている曲で最初に弾く曲の定番だ。そして、「あの、ゆるやかな日々」。チューリップのアルバム「TAKE OFF」に収録されている曲だ。小曲だが、名曲だ。私は今でもピアノの前に座るとまずこの曲を弾く。家族からは「いつもおんなじだね」と言われながらも。驚いた。KANもチューリップファンだったんだ、と。考えてみれば、チューリップのメンバーと同じ福岡出身。年齢も私とほぼ同じ(調べてみたら学年は一つ下だった)。好きな音楽もなんとなく似ている…。こうして点から考えて、チューリップが好きだったとしても不思議はない。KANの今年の3月のツイッターに「ドラムの上田さんに、TAKE OFFのCDにサインしてもらった」と喜んでいる書き込みがあった。あれだけの実績を挙げているミュージシャンでも好きなミュージシャンのサインをもらって喜ぶんだ、と私もうれしくなった。3月に「洒落にならない御報告」を見て、えっ、と思ったのだが、最近はがんも結構治る人が多いので、楽観していた。入院したりしながらも、ラジオ番組にも出ていたりしていたので、こんなに急に亡くなるとは全く思っていなかった。とにかく、いろいろな意味でショッキングな訃報だった。
2023年11月19日
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KANが亡くなった。チューリップが好き、年齢が同じ、というだけで一方的に親近感を覚えていた。がんで闘病というのは知っていたが、こんなに早く亡くなるとは。 Windows の メール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986> から送信
2023年11月17日
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ジャニーズ問題に関して言えば、誤解を恐れずに言うならば、極論であることも承知で、ジャニーズには、ジャニー喜多川氏が性加害を繰り返していた、ということ以外に責めるべき点はないように思う。自分たちの不祥事を隠そうとするのはどの企業でも行うことだし、マスコミに対して報道規制を要請することも理解できる。一番罪深く、理解しがたいのはこれまでのマスコミの対応だ。特に民放テレビ。 再発防止特別チームが、「マスメディアがしっかりと報道しなかったことが原因」と指摘しているのに、相変わらず「重く受け止めます」としかコメントできない体たらく(例えば日本テレビの「zero」)。重く受け止めるのは当たり前で、なぜ、これまでジャニーズの不祥事が明るみになった時点でしっかりと報道できなかったか、の説明をしないままでは何の反省もしていないことになるし、まさに一番やってはいけない「二重基準」の報道姿勢だったということになる。なぜ「ジャニーズのタレントを使えなくなるのが怖くて報道を控えていました」と正直に言えないのか。そうした態度であったことを素直に認めて、ジャニーズのタレントにたよらない番組作りをすることから始めなければ何の解決にもならないことは明白だ。 Windows の メール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986> から送信
2023年08月30日
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今日の新聞を見てアストラッド・ジルベルトが亡くなったことを知った。かなり好きな歌手だったので非常に残念。 初めて知ったのは大学生の時だったろうか。もう40年くらい前になる。トロンボーンが好きだったので、向井滋春をよく聴いていた。向井滋春とアストラッド・ジルベルトがアルバムを作る、というニュースをどこからか知って、さらにそれがデジタルリマスターだったか、音がとてもいいレコードだということだったので、すぐに買った。確かに音はよかった。そして、それ以上に、アストラッド・ジルベルトがよかった。あの透明感のある声。どんな暑い夏の午後でもあの声を聞いていると涼しくなるような気がした。ゲッツ&ジルベルトを聞いたのはそのあとだったと思う。ボサノバも好きになったので、小野リサも聞くようになった。
2023年06月08日
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今年もはや一か月が過ぎた。この間夏が過ぎ、秋が来たと思ったらあっという間に冬になり、年が改まった。と思う間もなく一月が過ぎた。これからもこの感じで過ぎていくのだろう。日常が、仕事も含めてルーティーンになっている。何か新しいことを始めれば少し違うのかもしれない。 Windows の メール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986> から送信
2023年01月30日
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とにかくショック、としかいいようがない。今の日本でこのようなことが起こるとは。いや、よく考えると今の日本だからこそかもしれない。 私の人生の中の過去の出来事に例えるとジョン・レノンが殺されたときの感情と似ている。ビートルズが終わり、ショーン君の子育てもひと段落し、これからまたミュージシャンとして活動を再開しよう、という矢先だった。40歳。 安倍さんも、首相の職を全うし、派閥の領袖となり、これから自分のペースで自分の信条を実行していこうという矢先だったと思う。まだ、60代。特に大病しなければあと10年は十分に活動できただろう。 そして、演説中の襲撃、という状況から浅沼稲次郎を思い出したのは私だけだろうか。1960年のことだから私も生まれていないが、写真などで見たイメージとどうにも今回に事件が重なってしまう。犯人の山上徹也という名前…、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢と微妙に似ている。
2022年07月09日
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いい季節になってきた。 昨年還暦を迎え、もう一度人生をやり直すつもりで心機一転、いろいろなことをやりたいと思っている。 といっても、まったく新しいことは難しいので、今までやっていたことの中で、やっていなかったことをやってみたい。例えば、音楽で言えば、今までは好きな曲をコピーして歌ってそれを録音して聴いて満足していたのだが、それはそれとして、ピアノをもっと弾けるようになりたいと思っている。ジャズのアドリブなど。そのためにスケールを覚え、いろいろなフレーズを試してみたり。 Windows の メール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986> から送信
2022年05月11日
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エミット・ローズが亡くなっていた。今年7月に…。 45年前にチューリップがデビューしたときに、さかんに、エミット・ローズに似ている…、といったことが言われていた。ふーん、エミット・ローズっていう人がいるんだ、チューリップに似ている、ということはビートルズにも似ているということか。と思っていたが、特に聞いてみるということはせずにそのままだった。 で、今年に入って、なんかのきっかけで、ふとエミット・ローズを思い出し、Spotifyで聴いてみた。驚いた。ポールでしょ、これは、という感じで。特に「Somebody made for me」「With my face on the floor」「Fresh as a Daisy」「She’s such a beauty」などは、ポールよりもポールらしい。 ということで、最近はずっとエミット・ローズばかり聴いていた。ただ、日本語のウィキペディアはなかったので、あまり日本では知られていないのだろう。などと思っていた矢先、ふと、またネットで調べてみたら、なんと、7月19日に亡くなっていた…。70歳。まだ若い。もっと早く聞くべきだった。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2020年08月26日
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「よい子のみなさんへ コロナウィルスがいなくなるまでは、だいがくにはあそびにこないでね」という張り紙が名古屋市立大学に貼ってあったということで、大学生を子ども扱いしている、という意見があったそうだ。東大の三四郎池では近所の子どもが釣りをしているし、東工大のウッドデッキでは近所の若いお母さんが子どもと一緒にお弁当を食べたりしているという様子を知らないのだろう。大学、特に国公立大学は地域の人との関わりを大切に考えている。大学の担当者が「特別なこととは思わないので反応に驚いている」とコメントしたのももっともだ。こんなところから誤解が生じて、いらぬ詮索が始まり、誹謗中傷につながっていくのだろう、と思った。
2020年06月09日
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もはや、コロナウイルスに対する対策、という視点はとっくにどっかへ行ってしまって、「コロナウイルスに対する対策への対策」にもっぱら終始する毎日…。昨夜、クローズアップ現代でニッセイ基礎研究所の斎藤太郎さんがコメントしていた。「命か経済か、ではない。コロナ感染を防げても経済が止まって自殺者が増えれば意味がない」という趣旨だったと思うが、まったく同感。感染症の専門家の意見ばかり聞いていると自殺者が増えることになりかねない。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2020年04月22日
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「なつぞら」を毎朝楽しみに見ている。 坂場さんが、なっちゃんといっしょにテレビアニメの制作へ異動になることに対して、不満をぶちまけていたのだが、そんなに漫画映画と漫画テレビは違うのだろうか。50年以上前の話だから、今の尺度では測れないのだろうが、フルアニメだろうが、なんだろうが、子どもたちは面白ければいいのでは、という仲さんの言葉の方が説得力があるような気がした。 実際、私は、鉄腕アトムを子どものころテレビで見ていて、その動きに何の違和感も感じなかった。が、大人になって見た時に、「なんで、こんなストップモーションのようなマンガを見て面白がっていたのか」と、あまりにおおざっぱな動きに驚いた、という記憶もある。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2019年07月23日
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遅ればせながら、先日ボヘミアンラプソディを見た。 素晴らしい。なぜ、もっと早く見なかったのか…。今さらクイーン?という気持ちがあってあまり気にしていなかったのだが、見て感動した。 クイーンの曲は前から好きだったし、持っているアルバムは、ベスト盤以外では「Made in heaven」とフレディのソロアルバム「Mr. Bad Guy」だけだが。良さは知っているつもりだった。しかし、改めて良さを再認識した。映画としての完成度が高いことが感動を与える一番の理由だろうが、スタジオワークなどの再現シーンを見て、クイーンサウンドの素晴らしさが伝わってきた。アカデミー賞を4部門も取ったのも道理だ。 映画を観てからクイーンの曲ばかり聴いている。ライブエイドの映像も改めて見た。自分でピアノで弾いてみたりもした。難しかった…。いつもはクイーンといっしょにキッスやローリングストーンズなども聴いているのだが、クイーンのあとにほかのバンドを聴く気がしない。なぜ、今までクイーンの良さに気づかなかったのだろう。 高校生の時に初めて聞いて、いいとは思ったが、ビートルズの方が好きだったし、なんか、クラシックの雰囲気が漂っていて中途半端なロック、という感じがしていた。フレディ・マーキュリーが亡くなった時はかなり衝撃的だったし、ブライアン・メイが博士号を取ったとか、本田美奈子と共演したとか、たまに話題になると、へえ、という感じで気にはなっていたが、それだけで終わっていた。が、今回はちょっと違う。 とりあえず、もう1回観たい。
2019年03月04日
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昨日の朝日新聞の社説が、典型的ないつもの朝日新聞の社説だったのがおもしろい。 出入獄管理法の改正案が昨日から衆議院で審議入りしたことについての社説なのだが、相変わらず自分たちの意見は何も述べず手続き論に終始している。 今の人手不足の状況で、ある程度外国人を受け入れることは与野党とも認めている。立憲民主党なども外国人受け入れそのものは賛成だが、政府の改正案はがらんどうだ、と批判している。であるならば、どうすればいいのかを考え、提案するのが野党の務めだと思うが、長妻さんなども立憲民主党の対応は議論中だという。これでは話し合いのしようがないではないか。政治というのは相反する利益の調整をするのが一番の役目のはずだ。明らかに正しいやり方、皆が得するようなやり方が存在するようなことに政治の出番はない。そこが難しいわけだが、難しいからと言ってそのままにしておいてはいけないことを前に進めるために、案を出し、議論をする。それをただ、やり方がおかしいというだけの批判に終始するならば、問題を棚上げにしなさいと言っているに等しい。 で、昨日の朝日新聞の社説だ。冒頭から、「社会にいかなる影響が及ぶのか。外国人の人権をどうやって守り、安心して働いてもらうのか。幅広い観点から丁寧な検討が求められる」と書いているように、朝日の視点は、気仙沼の水産加工業者のように外国人の手を借りないとやっていけない、人手不足に悩んでいる中小企業のためというよりも、日本で就業したい外国人のためとなっているようだ。ということは、やはり外国人の受け入れは必要だということなのだろうか。まずそのあたりをはっきりとさせていないことがあざとい。日ごろから、多様性を重視した社会を、と言っている手前、外国人を排斥するようなことは言えない、かといって、外国人を積極的に受け入れようとしている政府の案には与したくない、といった意図が透けて見える。 なので、手続き論に終始するしかなくなるわけだ。全体を通して読むと、詳細は省令で決める、となっていることが気に入らないようだ。法律で決めたことの細部を政令、省令で定めるというのは別に悪いことではないはずだが、それを悪いというのなら、どの部分が良くないのかを明示してほしいと思う。 朝日新聞に優秀な人が集まっていることは間違いない。私が某全国紙の記者をしていた時に出会った朝日新聞の記者たちは皆優秀な人たちだった。仕事ぶりも見事だった。政府の改正案のどこに不備があるのかは把握していると思う。にも拘わらず、手続き論に終始するのはいったいなぜなのだろうか。反論すべき点がないので、内容については触れないのではないだろうかと勘繰りたくもなる。 社説には、「改正法案の目的は「外国人の在留の公正な管理を図る」こととされ、共生や支援といった理念は掲げられていない。この姿勢が、法案の随所にあらわれていると見るべきではないか」とも書かかれている。朝日は外国人との共生、外国人に対する支援を推し進めたいのだろう。であるならば、その視点から、こうした方がいい、という提案を是非してほしいと思う。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2018年11月14日
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私はジャズ、クラシック、ロックを問わず、あらゆる音楽が好きなのだが、その中でも特に好きなミュージシャンというのがもちろんある。仮にCDを5枚以上持っているアーティストがお気に入りのアーティストだと定義すると、ジャズで言えば、マイルス・デイビス、クリフォード・ブラウン、小曽根真など、クラシックで言えば、だれが演奏しているかは別にして作曲家で言えばモーツァルト、バッハ。ロック、ポップスで言えば、ビートルズ、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、KAN、チューリップ、財津和夫ソロ、オールウェイズ、スターダスト・レビュー(スタレビ)…。今まで、チューリップと、スタレビは同時期のミュージシャンであってもあまり接点はないと思っていた。スタレビはどちらかといえばサウンド重視。同じ系統で言えば、山下達郎、はっぴいえんど、センチメンタル・シティ・ロマンス、さらに言えば、角松敏生、崎谷健次郎など。ボーカルはあるが、歌詞も含めた「歌」というよりは、コード進行、アレンジ、リズムなどに凝った音作りをするサウンド重視。ボーカルセンスは並みだが、各メンバーの楽器演奏技術は高い。一方、チューリップはあくまでも「歌」が中心で、歌詞が作る世界を重視し、コーラスワークには凝るが、リズム、アレンジも含めてオーソドックス。歌はうまいが、各メンバーの楽器演奏技術は平均的。例えばオフコース、松任谷由実、キンモクセイ、ミスチル、スピッツ、いきものがかり…。そして、さらにメッセージ色が強くなって音楽よりも歌詞重視になると、浜田省吾、長渕剛、さだまさし、中島みゆき…。ちなみに、私はスタレビグループもチューリップグループも好きだ。浜田省吾グループはほとんど聞かない。ざっとこんなイメージを持っていて、それぞれのグループはあまり交流はないのではないかと勝手に思っていた。が、今回、スタレビのニューアルバム「還暦少年」についての制作秘話などを掲載した雑誌を見ていて驚いた。中の1曲が、チューリップトリビュートの曲だと明記されていた。そして、さらに、安部俊幸を模倣したのだと。根本さんが弾くギターはギブソンのES335。そこまで徹底している。すぐに買って聴いた。本当にチューリップだった。ここでは、あえて、何曲目の何、は記載しないので、興味を持ったチューリップファンは先入観なしに聞いてほしい。すぐに、この曲か!とわかるはずだ。根本さんがチューリップをどのように聴いていたのか、財津さんがスタレビをどう思っていたのか、是非、是非、尋ねてみたい。
2018年07月23日
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厚生労働省東京労働局の勝田局長が、「何なら皆さんのところへ行って是正勧告してもいいんだけど」と記者団に語った問題。たしかに、不適切な発言だと思う。 新聞社が、ある意味ブラック企業であることは本人たちも周りもよく知っている。かつて新聞記者をやっていた私の経験からも間違いない。しかし、皆、「社会の木鐸」たらんと仕事に邁進している。本来仕事というのはそういうものだろう。ボランティアではないのだから、きちんと給料が払われなければ仕事をすることはできないし、健康で働くためには適度な休養も必要だ。しかし、二言目には残業代が支払われない、休みが少ない、有休が取れないなどと話す人間とは一緒に仕事をしたくないし、いつでも有休が取れて、1分たりとも時間外労働がないなどという仕事とはどんな仕事だろうと思う。 勝田局長に、マスコミを恫喝したり、牽制したりという意図はなかったと思うし、新聞社はもっとおおらかに構えていればいいと思う。そして、自分たちは社会的に貢献度の高い仕事をしているのだから、多少は仕事がきつくてもがんばっていやっているのだ、世の中にはそういう仕事もあるのだ、くらいに考え、いちいち他の業種の労働環境を糾弾するような記事を書かないようにしてもらいたい。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2018年04月02日
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ビックリニュースが飛び込んできた。財津さんに大腸がんが見つかり、このあと予定されていた4公演が中止になるという。ホームページに、5月27日の公演が中止になったとは書いてあった。そこには腸閉塞と書いてあったが、その検査、治療をしていて見つかったらしい。まあ、今、大腸がんは治る病気なので問題はないだろう。コメントにもあったように、来年また、ツアーをやってくれることを期待している。4月23日のNHKホールのステージを家族4人で見に行ったが、いつもと変わらず元気だったと思う。そのあと、東北や北海道で3公演やっているが、ひょっとしたら、私が見たコンサートの時にも多少体調は悪かったのかもしれない。それよりも驚いたのは、テレビのニュースで財津さんの大腸がんが取り上げられたこと。民放のニュースでも、NHKでも扱っていた。小学6年生の時からのファンで、大学生の時には青山にあるファンクラブの事務所に押しかけていって無理やり「何かできることはないですか」などと無理難題をふっかけ、財津さんが開いた喫茶店でアルバイトをしていた私としてはもうすでに財津さんが世間でどのように認知されていて、どのくらい関心を持たれている存在なのかは想像しえない。なので、こうしたニュースの扱いで財津さんがどの程度知られているのかを知ることになる。NHKのニュース番組で、藤井聡太さんの20連勝、出生数が100万人を切ったというニュースの次に紹介されていたので、おそらく、その二つのニュースと同じくらい重要だと考えられていると言っていいだろう。すごい、藤井聡太四段の連勝と同じくらいの扱いとは…。明日の新聞にどの程度載っているか楽しみだ。
2017年06月03日
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今日で連休も終わりだ。新聞の社説を読み返していて感じたことがあった。 5月3日からの憲法70年特集社説を読んだ。が、相変わらず朝日新聞の社説は説得力が ない…。 朝日の社説の一番読みにくい点、読んでいて納得できない点は、自分たちの考えが一 番正しいのだから自分たちの意見に同調しないのはお前たちの知識、理解力が足りな いのだ、という俗にいう上から目線の論調になっていることだ。 まず、5月3日の社説。どうして安倍首相の考えが先人の考えた立憲主義の理想からは ずれている、ということになるのか。改憲を主張しているからか。「個人」と「人」 の違いを例に出して安倍首相を批判しているが、どうもご都合主義にしか聞こえな い。改憲は文字通り、単に憲法を変えるだけであって、そこには立憲主義か非立憲主 義かという判断は入ってこようはずがない。そもそも、憲法に書かれている条文に 従って改憲をすることがなぜいけないのか。内容を吟味するのならまだしも、改憲そ のものを否定するという根拠がよくわからない。 次に、5月4日の社説。北朝鮮による軍事的挑発に対して、どのように日本を守ってい けばいいのか、と、問題提起をしておきながら、9条を守ればいいという。中学生の 作文のようにしか読めない。 中学生に時事問題を考えさせることがよくある。世界各地で戦闘状態になっている地 域について考えることも当然ある。生徒にどうしたら平和な世の中になると思うか、 という意見を求めると十中八九「よく話し合えばいい」という答えが返ってくる。確 かにその通りで、何の間違いもない、ある意味正答だろう。しかし、実際の世の中は 話し合いで解決できないことがあるから軍事的な対立になるのであって、私は生徒に は、もっと深く現実を知って、もっと深く物事を考えてほしいと思っている。話し合 えばいい、という思考ではそれ以上先に進むべくもない。もとより、軍事力には軍事 力を、ではエスカレートする一方でそのうち暴発するであろうことは目に見えてい る。だから、時には強い姿勢で、軍事力を背景に当事国にメッセージを送ることもあ るし、他国と共同で経済制裁を行うふりをしたり、実際に行ったりするわけだ。この 複雑な現実社会を目の当たりにして、ただ「9条を守っていればいい」という主張す るだけでは、いったい本気で考えているのか疑いたくなる。 おまけに、国民に広く支持されている自衛隊の存在を憲法条文に書き込むだけならな ぜそんなに政治的エネルギーを費やすのか、と疑問を投げかける。まさに、朝日新聞 が正体を現わしたという文章だ。自衛隊の存在を憲法条文に書き込むことを、たかが それしきのこと、というのであればすぐに改憲に賛成すべきであろう。いざという時 には命を賭してでも職務を全うする気構えの自衛隊がこれまで左翼勢力の人たちのた めにどれだけ肩身の狭い思いをしてきたのか知らないのだろうか。いや知ろうともし ないのだろう。たしか、以前、自衛隊のことを殺人集団とか言った政治家もいた。落 合恵子さんなどはいまだに自衛隊は違憲だ、と主張しているがこれはこれで立派だと 思う。私には想像できないが、自衛隊が存在しなくてもいい世の中を作るために尽力 してほしいと思う。だれが読んでも憲法9条と自衛隊は矛盾している。しかし、たい ていの左翼勢力もいまは諦念なのか、「自衛隊、ああ、いいんじゃない」という考え になっているように思う。 私は以前、「いずも」の一般公開を見に行った時、実際に乗り込んでみて一瞬寒気を 感じたことがある。「ああ、これがいざという時に出動して、場合によっては銃を撃 ち合うのか」と考えて、絶対にそんなことになってはいけない、と思った。しかし、 実際には「いずも」のような護衛艦は必要だろう。自衛隊が必要だということは朝日 新聞も認めている。ならば、きちんと憲法にも記載しようと思うのが自然な思考だと 思うが、そのところをどう考えているか。 そして、9条のおかげで自衛隊は一人も殺していないし、一人も殺されていない、と 主張する。これはいったい自衛隊の活動の正しさを証明したり、9条の効用をうたう ことと関係があるのだろうか。たしかに自衛隊員からは死者は出ていないが、1993年 にはカンボジアで選挙の監視にあたっていた中田厚仁さんと、警察官の高田晴行さん が殺害されている。どんなに、私たちは平和的な活動をしに行っているんです、と いっても被害に遭うこともあるのが現実だ。そうした現実に対しては朝日の社説は何 も答えていない。自分たちが、自分たちのルールだけを守っていれば世界は平和にな るはずだ、そうでなければそれは周りがおかしいのだ、と主張しているようにしか読 めない。冒頭に、北朝鮮の挑発にどう対応すればいいのか、と問題提起をしておきな がらこの結論では普通にニュースを読んでいる大人の思考力を持った人を説得するこ とは難しいと言わざるを得ない。
2017年05月07日
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ラジオでチューリップの曲が流れた。 今日の新聞を何気なく見ていたら、ラジオ欄に「チューリップの名盤」という文字が 見えた。チューリップの名盤?ラジオで?ならばやはりチューリップの曲がかかるの だろうか。まさか「咲いた咲いた…」のチューリップの名演奏をかけるということは ないだろうし…。 気になったのだが、1時から会議があるので、12時から3時までの番組を聞くことはで きない。うーん、と考えてラジコのタイムフリーを思い出した。夜、仕事が終わった 後にじっくり聞こう。会議の直前にラジコでこっそり聞いて、やはりチューリップの 曲がかかるんだ、ということは確認した。TAKEOFFのB面をかけていた。 で、仕事から帰ってきて、さっき、ラジコのライムフリーで聞いた。というより、 今、聞きながらこの文章を書いている。今、「あの、ゆるやかな日々」がかかってい る。うーん、やはり名曲だ。最後に、ピアノのイントロ部分を1オクターブ上げて弾 いて終わるのだが、その部分は省略されて「ハートせつなく」にうつった。曲が終わ るか終わらないかのうちに、この番組のジングルのような一言が入って、すぐに「青 春の影」にうつった。 曲はすべてCDで持っているわけだから、聞きたければそれを聞けばいいのだが、ラジ オでかかる、ということの意味は大きい。どのように紹介されるのか、なぜ、かかる のか…。 「愛は不思議なもの」がかかっていたのだが、途中でフェイドアウトしてしまって、 「悲しみはいつも」が始まった。「ぼくは陽気なのんきもの」になった。 オリジナルアルバムの3作目、海外録音、脱アイドルを図って「青春の影」を収録し た、といった紹介の後に曲がかけられた。どうも、この番組には80年代ころの曲を たっぷり聞かせる、といったコーナーがあるようだ。 中学生のころには、LPがなかなか買えず、新しいアルバムが出るとラジオにかじりつ いてチューリップの曲を聞いた。そのころは結構しょっちゅう何かしらかかってい た。あちこちのライブもちょこちょこ放送していたのだが、ライブ演奏ではなくてレ コードの曲がかかるのを期待していた。なので、ライブ演奏をカセットテープに録音 したものもあったのだが、LPを買った時点ですべて消した…。今思えばなんて馬鹿な ことをしたんだろうと思う。逆だろう、普通は。ラジオで放送された曲でもライブ演 奏はとっておいて、あとからレコードを買えば聞ける演奏は消すべきだろう。本当に バカだった。 しかし、今頃になってラジオでチューリップの曲を聴けるとは。一気に中学生の頃に 戻った気分になった。
2017年01月24日
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新年になって早2週間。年末から新年にかけてばたばたと過ごすのは例年通りだが、 年を追って薄くなっていく気がするのが新年感″。50を過ぎて、どうやって正月気 分に浸れというのだろうか。初詣、おせち、箱根駅伝、など定番行事をこなしていく ことで、忘れそうになっている正月気分をなんとか維持しているという感じだ。そし て、その正月気分ももう抜けたが、いまだに気になっていることが一つある。 なぜ、マスコミは渡辺和子さんの訃報にクールなのか…。 渡辺さんは「置かれた場所で咲きなさい」の著者として有名だ。二・二六事件で殺さ れた渡辺錠太郎教育総監の娘でもある。12月30日に亡くなったということで、確かに 年末の忙しい時で、新聞も扱いに困ったことだろう。しかし、同時期に亡くなった俳 優の根津甚八さんはかなりスペースを割いて報道されていた。どの新聞にもきちんと した訃報は載っていなかったような気がする。マスメディアの、渡辺さんに対する評 価というのはこの程度ということなのか。または何か扱うことができない理由でも あったのだろうか。不思議だ。
2017年01月15日
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今日の産経新聞の社説に「電通の過労自殺」という社説が掲載されていた。マスメディアで報道されている以上の細かい状況はわからないし、いろいろな意見があると思うが、何か問題の核心から逃げている気がする。亡くなった電通社員は本当に大変な思いをして仕事をし、精神的にも肉体的にも追い詰められていたことは間違いなさそうだし、このようなことはこれで最後にしてほしいと思わざるを得ない。また、彼女の母親の「労災認定されても娘は戻ってこない」という言葉は重い。あまりに重すぎる。この一言に今回の問題は集約されていると思うが、それでもなおかついくつかの疑問がある。まず、社説の最後は「今回の問題は長時間労働が広がっている産業界全体への警鐘である」という表現でまとめられていたが、”お前が言うな”の典型だろう。新聞記者の長時間労働ぶりは、おそらく古今東西ナンバーワンではないだろうか。私が某全国紙で新聞記者をしていた時は、朝8時に家を出て、担当している最寄りの警察を回り、夕刊向けの記事を書き、午後は街ネタを取材して4時ごろ支局に行き、朝刊向けの記事をいくつか書き、ゲラを読んで記事の校正が終わって、また警察署に行ってネタを探し、帰宅するのは12時ごろという生活だった。今考えてもどこまでが正規の就業時間で、どこからが残業時間なのかよくわからないが、長時間労働であることには変わりない。1日8時間を基準に考えると、当時は毎日15時間くらい拘束されていたわけだから、休憩を2時間くらいとったとしても毎日5時間、月に直すと100時間くらい残業をしている計算になる。実際、先輩社員たちは例外なく、その支局に勤務している間に一度は健康を損ねて入院していた。私が新聞記者をやっていたのはもう20年以上前の話だが、勤務実態がそんなに変化したとは思えない。新聞の社説は百歩譲っても長時間労働を論じる資格はないと思う。そして、誤解を恐れず、今回の電通社員のこととは直接関係ない個人的な意見として私見を述べるならば、残業時間の多い少ないだけで過労死、または過労自殺につながると考えるのはいささか短絡的ではないかと思う。おそらく、世のヤリ手と言われる人たちは365日、24時間働いていると思う。もちろん、睡眠もとらず、食事もせずにという意味ではない。常に仕事のことを考え、常に仕事のことを優先しているだろうという意味だ。経営者でも、サラリーマンでも同じで、著しい成果を上げている人は残業100時間どころではないと思う。それでも彼らが過労死したり、過労自殺したりという話はほとんど聞かない。この違いは何か。いうまでもなく、仕事の中身と、本人の取り組む姿勢の違いだろう。入社して数年の社員は、自分のやっていることが会社全体の中でどのような意味を持っているのかまではほとんど理解していないだろう。大きな会社ほどその傾向は強い。それに対して、経営者やカリスマサラリーマンといわれるような人たちは自分で仕事を見つけ、自分で判断し、実行している。そこには残業を何時間したか、という判断は入り込む余地はない。すべて自分の判断だからだ。電通社員の場合、体力的なつらさよりも、自分のしている仕事が評価されていない、自分が必要とされていないという精神的なつらさが大きかったのではないか。逆に言えば、理解のある上司、同僚の下で自らの判断を中心にして仕事に取り組めており、それがきちんと評価されていたのなら、同じ残業時間だったとしても、少なくとも自殺という最悪のケースは避けられたのではないかと思う。長時間労働にばかり言及している新聞の社説を見てそんな疑問を感じた。付け加えると、新聞記者の先輩たちは皆、入院経験があったが、つらい、と言っている人は一人もいなかった。みな、自分なりの夢を持って生き生きと働いていた。新聞記者とはそんな仕事だと思う。
2016年10月15日
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チューリップのステージを見てきた。見たのは10日前だが、ブログに感想を書くべきか、悩んで今になってしまった。これから書く内容は、具体的な個人名、曲名は明示しませんが、見る人が見たらネタバレになってしまう可能性もありますので、これからチューリップのコンサートに行く予定の人で、まったくの白紙の状態で見たい、という人は読まないほうがいいかもしれません。☆☆☆☆☆まず、第一印象。よかった。これなら同じステージを何回でも見たい。私が予想していた内容と半分は同じであり、半分は異なっていた。ある程度メンバーが安部さんの分をカバーし、なおかつサポートメンバーにも手伝ってもらう。よかったと思う。非常にチューリップらしい。考えてみれば、この形しかなかったと、今になって思う。クィーンがフレディ・マーキュリーの代わりにアダム・ランバードを加えてツアーをやっているが、チューリップにはこういう形は似合わないということだろう。私はこのクィーンのような形もあるのではないか、と少し考えていたのだが。詳細はツアーが終わってからまた書こうと思う。
2016年10月13日
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明日、10月2日、前橋にチューリップを見に行ってくる。すでにツアーは始まっているので、4人(?)のチューリップがどんなステージを見せてくれるのか、調べればわかるのだが、当然のことながら、知らないまま見に行く。おそらく、「えー、こんなんだったら見に来るんじゃなかった」となるか、「えー、こんな方法もあるんだあ、すごいなあこれは」となるかどちらかだと思う。つまり、中途半端はないと思う。なんといっても安部さんがいないのだ。この事実はいかんともしがたい。いったい、どうするつもりなのか。私は安部さんが亡くなった時点でもうチューリップの再々再々?結成はないと思っていた。それなのに、亡くなってから2年しかたっていないのにコンサートツアーをやるとは…。よほどの秘策を考え付いたにちがいない。私がそうだが、ファンというのは身勝手で保守的なものだ。「チューリップはこうでなくちゃいけない」という”チューリップ像”というものがある。それに当てはまらないとみる気がしなくなるのがファンである。もし、とってつけたような昔の安部さんの映像を流し、それに他のメンバーが合わせて演奏するという程度のものだったらやらないほうがましだ。財津さんが歌う曲は姫野さんがリードギターをやり、姫野さんが歌う曲は姫野さんがベースを弾き、宮城さんがリードギターをやるというのならいい。許せる。私個人としては、吉田さんがベースに復活して、宮城さんがリードギターというのも見てみたい。チューリップのメンバーだったからといって、丹野義昭がキーボードを弾いて参加するというのはあまり見たくはない。楽器の担当を替えるというのは、その人にとってそれなりの負担を強いることになるだろうから、あまり現実的ではないような気がする。とすれば、サポートメンバーか。補充するとしたらやはりギタリストだろうが、リードギターを弾ける人となると…。まあ、系統としてはBOXの田上正和、ピカデリーサーカスの橋本哲、山本圭右あたりだろうが、ネームバリューが今一つなので、ないだろう。鈴木康博とか根本要といったレベルの人がやってくれたらそれなりに盛り上がるだろうが、それもないだろう。うーん、見てのお楽しみということでもう寝るとする。
2016年10月02日
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TBSラジオの、荒川強啓デイキャッチという番組を聞いた。午後4時から放送されている番組でニュースをわかりやすく伝えてくれる貴重な番組だ。しかし、今日の放送を聞いてかなり失望した。デイキャッチャーズボイス拡大版とかいうことで、憲法9条をめぐる議論をしていた。出演者は荒川氏のほかに、どうも金曜日はレギュラーでコメントしているらしい宮台真司氏。そしてゲストとして来ていた東浩紀氏と小林よしのり氏。失望した部分のみを書く。声ではよくわからなかったが、おそらく、宮台氏が(この際東氏でもどちらでもいい)「護憲派は解釈護憲をやって、護憲の先にある自衛隊の存在についてや日本の安全保障などは何も考えずに満足している」という発言に荒川氏は「へえー、解釈護憲とは初めて聞いた」と驚いていた。私も解釈護憲という言葉は初めて聞いたが、今までの憲法9条を守ろうなどと言っている人たちの意見は、じゃあ、日本の安全をどう守ればいいんだということには全く言及せず、ただ戦争反対だけを叫んでいることはだれでも知っていることだと思っていた。そうした人たちは挙句の果てには、日本は憲法9条があったから戦争をしなくてすんでいたということを言い出す。宮台氏もあきれていたが、日米安保を結んでいる日本がある意味、アメリカのいいなりになって戦争に加担していることはだれがどう考えても明白だ。そもそも日本だけが戦争をしない、と言っていれば戦争が防げると思っていることが浅薄だ。それはそれとして、今の日米関係を白紙にして日本が自主防衛の道を歩むのか、それとも何があっても丸腰で相手の言いなりになるのかという究極の選択をどこかかでしないといけないということを我々はきちんと考えるべきだ、というのが宮台氏、東氏の趣旨だったと思う。荒川氏はそういった状況を理解していないようだった。たぶん、荒川氏自身がいわゆる解釈護憲派であり、安保法制は戦争をするための法律だ、などと本気で信じている人なのだろう。ラジオ番組のパーソナリティをやっているのであれば、是非は別にして、安倍さんは戦争をしないために安保法制を定めた、ということは理解してほしいと思う。そうでないと誰の意見を聞いても、どんな出来事を見ても、正しい判断ができなくなる。安倍的改憲派でもなく、盲目的護憲派でもなく、まともな改憲派が改憲案を作って、選挙のたびにぶれることなくきちんと政党を組み、政治活動をすることが必要だ、と宮台氏が番組をまとめていたが、全くその通りで、私も高坂正尭氏の薫陶を受けた前原氏などはかなり期待していた。つまらぬ政権取りにこだわり民主党を腐らせてしまい、その中から抜け出せないでいる。非常に残念だ。
2016年06月17日
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大袈裟ではあるが、書斎で音楽が作れるように少し模様替えをした。以前からギター、キーボード、リズムマシン、リバーブマシン、MTRを自分の部屋に置いたらいつでも気兼ねなく多重録音ができるな、とは思っていた。が、面倒くさいのと、スペースの確保が難しいことからそのままになっていた。なので、オリジナル曲だろうが、コピーだろうが、何か曲を録音したいと思ったときは和室の一角を一時的に占拠してやっていた。作業が途中だからそのままにしておく、というわけにはいかず、使える時間に制約があり、非常にやりにくかった。そこで、今回コンパクトな多重録音ができるレコーダーを買った。JVCから出ている「レッスンマスター」というやつだ。これが優れもので、楽器のチューナーにもなるし、メトロノームもついているし、録音した楽器の調を変えることもできるし、ラジオも聞けるし、というマルチなレコーダーで、加えてとてもコンパクト。机の隅にちょこんとおいて使える。今まで持っていたMTRはトラックごとに音量や音質を変えられるし、左右に自由に定位させることもできる本格的なものだったのだが、録音ソースがMDという特殊なものだったし、何より大きかった。机をひとつ占拠するほどだったので、DX7と並べて私の書斎に置くことは不可能だった。「レッスンマスター」はただ、重ねて録音できるというだけなので、一度録ったら音量も左右のバランスもそのままだが、なにより常に横に置いておいてすぐに使えるのがいい。まだ、買ってひと月も経っていないので、これからじっくりといろいろ試してみようと思う。
2016年05月22日
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「生活と自治」という雑誌がある。生活クラブ生協が発行している。その中に「日々の一滴」というコラムがあり、作家であり写真家である藤原新也氏が「メディアの冬」というタイトルで文章を書いていた。この雑誌は毎号読んでいるはずなのだが、毎回藤原氏が執筆しているのかは知らない。今回たまたま読んでちょっと思ったことがある。藤原氏について、日ごろどのような言動をとっている人なのかについてはよく知らないが、このコラムを読む限りにおいては、いかにも生活クラブ生協が好むような、つまり朝日新聞、毎日新聞と同じような思考回路を持っている人であることがよくわかる。このコラムで、藤原氏は古館伊知郎氏や国谷裕子氏は政府に批判的なコメントをしたからキャスターを降ろされた、といった趣旨のことを書いている。初めから結論ありきで先入観を持って物事を見る人はそういう見方をするのだろうと思う。そして、朝日新聞の慰安婦報道のように、自分の考えにあったように取材をし、情報を取捨選択し記事を書くという間違いを犯す。古館氏が批判されていたのは、政府に批判的なコメントをしたからではなく、何事も主観的に、そして、政府や大企業は常に悪者であるという先入観を持って報道していたからであるということに気づいていない。政府に批判的、という点からいえば産経新聞などはかなり批判的であるということにどれだけの人が気づいているだろうか。産経新聞の社説をきちんと読んでみるといい。おそらく朝日新聞を読んでいる人は産経や読売はの社説など読んでいないのではないだろうか。そして、古館氏がキャスターを降板したのはいかにも政府に批判的だったから圧力がかかって降ろされたかのように書く。もちろん、批判されれば誰だって面白くないだろうし、反論もするだろう。しかし、今時そんなことで言論を弾圧できるなどとは誰も考えていないだろう。そんな考えはそれこそマスメディアへの冒涜といえるのではないだろうか。TBSやテレビ朝日はそのような姿勢で報道を行っているのだろうか。そんなことはないだろう。二言目には国民の声を聴け、大勢の意見を聞け、と言っておきながら、正当な選挙で選ばれた与党を何かクーデターでも起こして政権についた独裁政権のように扱う報道姿勢が問題なのだ。マスメディアの役目は時の政権を倒したり、ある政党を政権つけようとすることではないだろう。あくまでも政策面での矛盾を突く、法案でいえば法の不備を指摘するということであろう。そのような姿勢で物事を判断しないから、民主党政権下で与党として総務副大臣が電波を停止すると発言した時は不問に付したのに、自民党が発言すると大問題であるかのような態度をとるという矛盾した言動になる。藤原氏は民主党が与党の時も、このコラムで書いたように、民主党の平岡総務副大臣が行った電波停止発言を「言論統制の総仕上げ」といった表現で批判をしたのだろうか。大日本帝国憲法下の時代の日本ならいざ知らず、今の時代、インターネットの普及の度合いからいっても政府や時の権力者を批判することを統制することなど不可能といってもいいだろう。にもかかわらず、そのことをもって政府を批判するというのはそれこそ予断をもって物事を見ているということの証といえる。
2016年04月03日
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新聞で、2年前に亡くなった中学3年生が実は自殺だった、という記事を見た。新聞、テレビの報道をまとめると、この生徒は、第1志望は公立高校で、第2志望の私立高校を志願するにあたって、万引きをしたことがあるという間違った情報のせいで学校長の推薦をけることができず、その私立高校を受験することができず、そのことを悲観して自殺したのではないかということだった。いろいろな疑問がある。万引きをしていないにもかかわらず、間違った情報を先生が持っていたということはミスというにはあまりにもずさんなミスだが、それはミスだ。であるならば、ほかの高校を第2志望として受けるという選択肢はなかったのだろうか。広島県の受験指導のセオリー、選抜制度の情報が不足している。私の住んでいる神奈川県では、公立高校を第一志望とする場合、併願受験としてほぼ例外なく私立高校を受験する。その場合、学校の成績による基準があり、その基準をクリアしていれば、入学試験を受ける前に事実上合格が決まり、生徒は行く高校がなくなる、という心配をせずに第一志望の公立高校を受験することができる。そして、それは「併願」という。今回の報道で、推薦、専願、併願という言葉が入り混じっていたが、神奈川県の場合で言えば、私立高校の場合「推薦受験」は学校から推薦されてその高校を受験することで、条件を満たしていて推薦されることが決まればほかの高校は一切受験することはできない。その高校へ行くことになる。いわゆる入学試験を受けることもない。面接があるくらいだ。そして、「専願」または「単願」という受験は、やはり条件を満たしていれば入学試験は受けなくてはいけないが合格は間違いなく、ほかの高校を受けることはできない。「推薦受験」との違いは入学試験を受けるかどうかということくらいだ。そして「併願」は第一志望の公立高校が不合格だった場合はその高校へ進学する、ということと、学校の成績の基準を満たしていることが条件で受験する形式のことで、入試は受けるが、不合格になることはまずない。そして、通常ほかの私立高校を受験することはできない。おそらく、受験用語の意味は県によって異なると思われるので、広島の場合は神奈川とは併願、専願、推薦の意味が異なるようだ。であるならば、新聞、テレビではそのあたりの言葉の意味をもう少しきちんと説明してほしいと思う。広島県の高校受験の制度がわからないとその生徒が学校の指導に対してどう考えていたのかがまったく見えてこない。もう一つの疑問は、やはり先生の対応だ。何回か面談をして、その中で、万引きの履歴のせいで私立高校を受験できないことを家の人に話しなさいと言った、と出ていたが、そのような大事な話を生徒としか情報交換しておらず、生徒本人から親に伝えさせるというのはどうにも理解できない。普通は、電話でもいいと思うが、必ず親に確認をするだろう。12月8日の面談でその話をするつもりで、その8日に生徒は面談に出席せず自殺していたということだが、あまりに遅すぎると思う。広島の高校選抜制度がわからないので何とも言えないが、12月8日といえば、もう受験する高校を決定しなくてはいけない時期だと思う。その時までそんな大事な情報を親に伝えていないというのはあまりにも無責任であろう。そして、面談は廊下で行っていたともいう。私は塾で面談するときは必ず空いている教室を使う。どの高校を受験するといった情報は生徒によっては友だちにも知られたくないということもあるからだ。簡単な確認や連絡程度なら廊下に呼んでちょこっと話すということもあるが、今回の事例を見てみると、廊下で話す内容だとは思われない。不幸にも自ら命を絶ってしまった生徒、そして、日々生徒指導、進路指導で苦労されているであろう先生たちのためにも的確な情報を伝え、冷静な報道をするように各メディアにはお願いしたいと思う。
2016年03月09日
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実際にジェットコースターに乗ったわけではない。日曜、月曜の二日間がジェトコースターに乗ったようだった。日曜は県民ホールで「財津和夫&姫野達也」コンサートを見てきた。形は財津さんのソロコンサートなのだが、姫野さんがゲストで出るということなので、だいたいどんな感じになるかは想像できる。チューリップの曲をたくさんやってくれて満足。チューリップ以外の曲、いわゆるスタンダードナンバーも多かった。それもビートルズ以外で。チューリップの曲で、あまり意外な曲はなかった。私がへえ、と思ったのは1曲だけ。「えっ、こんな曲をやるんだ」というびっくりももう少し欲しかった気はする。「そんな時君がいれば」とか「私から年老いたあなた方へ」とか「別れはいつもものわかりがいい」などをやってくれたらうれしいのだけれど。40年以上も前の曲を40年前と同じようにコンサートで聴くことができるということがどんなに幸せなことか、改めて感じた。チューリップが好きで良かったと思う。で、月曜日。神奈川県の公立高校の合格発表日。毎年のことだが、全員第一志望に合格とはなかなかならない。がんばって、がんばって、がんばって行きたい高校を受けるわけだから、合格間違いなしという高校ばかりを受けるとは限らないからだが、それがわかっていても、自分の教えた生徒だけは皆受かってほしいと思う。しかし、現実は厳しい。世の中とはそういうものだ。これからも子どもたちにとってはそういった試練は続く。それはわかっている。いつも生徒にもそう話しているのだが、それでもつらい。この時だけは、「いっそ、行きたい高校などと考えず、必ず受かる高校ばかりを受けるように勧めようか」などと考えたりもする。そして、思い直す。「今の中学2年生、1年生にもっと力をつけさせればいいんだ」と。かくして新たな1年が始まる。
2016年03月01日
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シャープがなぜ、台湾の企業の支援を受ける羽目になったのかの原因を論ずる知識はない。が、あれだけブランド力の高かった企業が、新興の家電メーカーの傘下に入るというニュースを見て思うところはある。シャープは、かなり好きな企業だった。私の持っているMDプレーヤーはシャープだ。MDはなんだかんだでいまだに1000枚くらい持っているのでMDプレーヤーも使っている。MDの聴けるオーディオが今は入手不可能になっているのでこのプレーヤーは貴重だ。思えばMDも短命だった。出た時はCDとカセットテープのメリットを足して2で割ったような理想的なパッケージソフトだと思ったが、足して2で割ったようなところが中途半端だったのかもしれない。今でもMDは優れたオーディオだと思っているが、これだけ世の中から駆逐されてしまうと個人ではいかんともしがたい。生活の中で音楽を聴くのはもっぱらiPodなどのデジタルオーディオプレーヤーになってしまっている。しかし、圧縮された音源と比べればMDの方が音質はいい。で、シャープだが、私は今でも7年ほど前に買った携帯電話、いわゆるガラケーを使っているが、これがシャープ製だ。すこぶる使い勝手がいい。大きさ、色、デザイン、キーの打ち易さ、付属のソフト(万歩計がついているのがうれしい)、どれをとっても文句のつけようがない。さすがにシャープだと思う。もちろん、電池の持ちもいいので、普通に使っていれば充電は1週間に2回で済む。パソコンはダイナブックとヒューレット・パッカードを使っているが、メビウスは一度は使ってみたいといつも思っていた。昭和40年代から50年代かけて販売のトヨタ、技術の日産と言われていたが、日産は凋落した。そのころ国内3番手をホンダ、三菱と争っていたマツダはロータリーがあるから大丈夫などといっていたがフォードの傘下に入った。もっともその後、ロータリーから離れてV字回復をして今ではフォードの助けを借りていないが。シャープも、技術力の高さはいったん忘れてやり直す必要があるような気がする。
2016年02月26日
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最近、気に入っている人が亡くなる、と、おととい書いたが、村田和人さんとほぼ同時に訃報を知ったのが代ゼミの日本史の講師の伊達日角先生。これで名前は「かずみ」と読む。代ゼミの先生はどの先生もわかりやすく、個性的で人気があるのだが、伊達先生の日本史はその中でも特筆ものだった。代ゼミの講師は個性的な人が多い、ということは好き嫌いが分かれやすいともいえる。それは話すスピードであったり、話す内容の違いであったりするわけだが、伊達先生は個性的ではあるが、万人向けだった。日本史を必要とする生徒にはいつも伊達先生を勧めていたのだが、これからどうしようか。
2016年02月25日
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昨日に引き続き村田和人の音楽について 「太陽の季節」というアルバムを聴いていて、あれっと思った。3曲目の「GetAround The Night」を聴いていると途中から根本さんの声が聞こえてくる。あわててCDのクレジットを見てみたが、どこにも根本要の文字はない。とすれば、声も歌い方も似ているが別人か。いや、スタ☆レビのCDはほぼすべて持っているし、コンサートにも何回も行っている。聞き違えるはずはない。自分が好きなミュージシャン同士が仲が良かったり、コラボしていたりすると「ほら、やっぱり、俺が好きなミュージシャンは皆つながっているんだ」などと、見当違いの優越感に浸ったりする。「ひとかけらの夏」では、センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆さんが参加している曲がある。これもひそかにうれしかった。それにしても、このころのミュージシャンの音楽は音楽的にレベルが高いものが多いと改めて思う。きちんとメロディが作られていて、そこにきちんと歌詞がのっかっている。そして、必ず二声または三声のハーモニーがつけられている。今、そんな曲は滅多に耳にしない。flumpoolやBump of chickenもいいと思うし、ゲスの極み乙女なんか最高に格好いいと思う。しかし、何か物足りないものを感じるし、すぐに聞き飽きる曲が多い。やたらと速い符割りで複雑なリズムに言葉を無理やり乗せるのでメロディが覚えにくい(年を取って頭が悪くなっていることを差し引いても)上に、リードボーカルが一人で一気に歌いまくるので単調にならざるを得ない。強引な転調が多いのも特徴だろう。
2016年02月24日
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村田和人さんが亡くなった。62歳だった。最近私が特に気に入っている人が若くして亡くなることが多い。私が村田和人(あえて敬称略で書かせていただきます)を知ったのは多くの人と同じように「一本の音楽」からだった。たしかマクセルのカセットテープのコマーシャルソングだったと思う。声に艶と伸びがあり生ギターのカッティングがカッコよかった。ごくごくオーソドックスな8ビートなのにこんなに格好いい曲になるんだ、と感動した。一番好きな曲は、アルバム「ひとかけらの夏」に入っている「So Long,Mrs」。山下達郎の弾くギターのカッティングがやたらにカッコよく、そして歌詞に感動した。昔の彼女に偶然出会った、という設定に妙に胸がドキドキした。こんな場面っていかにもありそうだなあ、と思った。よく言えば若々しい、悪く言えば子供っぽい、幼い、貫録がない、と自分で自分のことをそのころ思っていたので、「ネクタイが似合わない 髪は今も長いし」という歌詞に自分を重ねた。一番好きなアルバムは「ボーイズ・ライフ」。今まで何回聞いたことか。夏には必ず聞いていた。どの曲のどれがいい、ということではなく、全部が好きだった。曲が好きだからいい、というのではなく、村田和人だからいい、という感じで聞いていた。NHKの音楽講座で講師をしていたこともあった。かなり音楽理論にも長けた人だなということを知って少し驚いた。あらためて彼のCDを引っ張り出してみた。21というグループの「グリーティング」なんていうのも出てきた。齋藤誠、重実徹らと作ったアルバムだ。いかにも玄人受けしそうな地味なアルバムだが、肩の力を抜いて気楽に聞ける秀作だと思う。最近はやや過去の人という感じで私もたまに聞く程度だったが、改めてブログなどを見てみると精力的にライブは行っていたらしい。残念としかいいようがない。ご冥福をお祈りいたします。
2016年02月23日
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「Mr.サンデー」という番組を初めて見た。そして、竹田圭吾さんの追悼コーナーを見た。私は竹田圭吾さんについては、一人ひそかに尊敬していたのだが、彼がレギュラーで出ているマスメディアはラジオの「ジャム・ザ・ワールド」と平日のフジテレビの「特ダネ」しか知らなかった。「Mr.サンデー」にも出ているというのは、昨年末ごろに初めて知った。それでもこの番組を見ることはなかったので、今回初めて見たことになる。番組で放送された部分の前後の竹田さんの様子なども紹介されていて、本当に最後の最後までがんばった人だったということを改めて感じた。宮根さんのコメントもやさしさにあふれた素敵なコメントだったし、木村さんのコメントもややぶっきらぼうな感じがしたが、竹田さんの人となりをよく表していたと思った。そして、出演者の中で特に印象的だったのが「特ダネ」でもいっしょだった中江有里さん。女優であり、脚本家でもある人だが、女優をやっているくらいだから美人には違いないのだが、私は今まで、正直に言って特別美しい人だなと思ったことはなかった。しかし、今日は違った。おそらく、話しているうちに、竹田さんの病魔に苦しむ姿がオーバーラップしたのだと思うが、悲しみをこらえきれないという様子で涙を流しながらコメントする姿が、たとえようもなく美しく見えた。彼女も、番組でのコメントなどを聞いていると、とても冷静で教養を感じさせる話を聞かせてくれるのだが、かなり正確に竹田さんという人の偉大さを理解していたのだと思う。本当に悲しんでいる様子が伝わってきた。11日放送のJ‐WAVE「ジャム・ザ・ワールド」は、全体が竹田さんの追悼特集になっていて、竹田さんのそれまでのコメントなどを交えながら、聴取者からのコメントを津田大介さんが紹介していたのだが、番組の最後で、「今日のナビゲーターは津田大介でした」と締めくくった後「竹田圭吾でした」と竹田さんの声が流れたときは思わず落涙した。今日のMr.サンデーでも宮根さんが最後に竹田さんのことについて話した後「来週あたりきてくれないかな」と締めくくっていたが、しょうもないことを言ってるな、と思いながらも、ちょっとほろっと来た。
2016年01月17日
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今年に入っていきなり驚くようなことが起こっている。サウジアラビアとイランの国交断絶にまず驚いた。100年前の帝国主義華やかなりしころとは全く状況は異なるが、今でも国と国との外交においてはあっさりと平和的な解決が困難な状況になりうるんだということを再認識させられた。そして、北朝鮮の水爆実験。世界中の国から非難されることがわかっていてもなぜこんなことをやるのか。もっとも、金正恩の考えも理解はできる。安保理の常任理事国が核兵器を所有することが許されていてなぜ自分たちは認められないのか、当然自分たちも自衛のために核兵器を持つ権利はあるはずだ、ということだろう。オバマ大統領のように、核のない世界を作るとか言ってノーベル賞をもらっておきながらいっこうに核を放棄しない人もいるのだから、北朝鮮の言い分を一概に否定はできない。リビアのカダフィやイラクのフセインのようにはなりたくない、というのが本音だろう。核兵器を持っていれば自分の立場は安泰だと思ったとしても不思議はない。これ以上増長させるような宥和策でもなく、まかり間違って戦争にもなりかねないような強硬策でもない効果的な方法はないのだろうか。ないのだとしたら、我々はどう考え、次の選挙でどういう国会議員を選ばねばならないのか。いろいろと考えることの多い10日間だった。そして、なんといっても竹田圭吾さんの訃報。残念極まりない。あのやせ方からしてかなり病気が進行しているらしいことはわかったし、いずれそうなるだろうことは予想していたが、つい最近までFMラジオでも竹田さんの番組を聞いていたし、急すぎる、という感じは否めない。テレビのワイドショーなどでコメントする人はたいていバイアスがかかっていて、この人はこの出来事にはこういうコメントをするだろう、ということがわかる場合が多い。そしてたいてい、聞くに値しないコメントであることが多い。しかし、竹田さんのコメントは常にニュートラルで、冷静で、実に参考になることが多かった。一言で言えば、先入観や偏見がないということだと思う。もちろん、その人なりの知識、経験をもとに発言するわけだから、部分的に言葉足りずのこともあるかと思うが、少なくともお茶を濁すような意味不明のコメントはなかったように思う。たとえば、最悪のコメントとして、昨日のサンデーモーニングでの、北朝鮮水爆実験を受けてのある人の発言を挙げたいと思う。「われわれ日本人は唯一の被爆国として核廃絶を訴えていかなければなりません。そして、戦後、ずっと憲法9条の中で平和に過ごしてきたということを今一度考えねばならないでしょう」といった内容だった。いったい何を言いたいのだろう。言っていることに誤謬はない。しかし、だからあなたはどうしたいの、という内容がまったくない。現状の分析もない。したり顔でこんなコメントしか出せないような人がテレビでいかにも専門家のようにコメントし、それを「なるほど」などと思って聞いている人がいると思うと日本の将来が心配になってしまう。竹田さんなら、おそらく、「北朝鮮の行動は非難されるべきだが、戦後の世界のパワーバランスを考えたうえで、東アジアの安定のために何が一番得策かを考えるべきでしょう。隣国である中国や韓国の出方をまずは見極め、安保理での制裁を実行可能なものにすることが大事だと思います」くらいのことは言ったと思う。竹田さんは慶応の文学部で歴史を学んでいる。歴史は別に大学へ行かずとも自分でその気になれば学ぶことのできる学問分野だと思うが、歴史をある程度体系的に学んだということで、高度なバランス感覚が磨かれたのではないかと思っている。まだまだ竹田さんの鋭いコメントを聞きたかった。
2016年01月11日
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22日付の読売新聞の社説を見てがっかりした。読売巨人軍の選手3人が野球賭博に関わっていたことを書いているのだが、まったくの他人事のように書かれている。私はネットで読んでいて思わず「あれ、これって読売新聞の社説だよな」と確認し直してしまった。新聞社と球団の間にどの程度のつながりがあるのか詳しくは知らないが、親会社であることは間違いないのだから、他人のふりはできないだろう。しかし、この社説ではどこをどう読んでも当事者意識は感じられない。汚職事件や政治献金の処理の問題などで追及された政治家が「私は知りませんでした」と秘書にせいにして涼しい顔をしているのと何ら変わりない。もし、経営上、そして会社の運営上、本当に何も関係がないなら、あえて社説にしなかった方がいい。普通は名前からしても無関係であるとは思えないので、社説にする以上、何らかの当事者としてのコメントがあるだろうと期待する。それなのに、あの程度の内容とは。ジャイアンツはファンも多いだろうが、アンチも多い。私は野球そのものが好きなのでどの球団に対しても好き嫌いは特にないのだが、金で各球団の4番打者を買ってきて飼い殺しにするようなジャイアンツのやり方は好きではない。あんな社説を臆面もなく書いているようではアンチ巨人が増える一方だろう。
2015年10月23日
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私はかなりコアなチューリップファンではあるが、チューリップのすべての好きなわけではない。具体的に言えば、いわゆる第3期チューリップはほとんど評価していない。というより、安部俊幸、姫野達也が抜けた時点でもうチューリップというバンドは消滅したと言った方が正しい。これは最初からのチューリップファンにとってはおそらく共通の見解だと確信している。もちろん、第3期チューリップの曲のクオリティが低い、駄曲ばかり、といっているわけではない。いい曲はたくさんある。しかし、もはやチューリップの曲とは言えない。まあ、それはそれとして、そうはいっても今でも第3期チューリップの曲はたまに聞く。発売当時はそんな理由でほとんど聴いていなかったので、今聞いても意外と新鮮に聞けるので新しい発見があったりしてそれはそれで楽しかったりする。で、「2015年世界旅行」。何気なく聞いていて、「えっ、これって今年じゃん」とちょっと驚いた。この曲が収録されている「プライメリー・カラー」というアルバムが発売されたのが1987年。28年前だ。その時私は26歳。まだ結婚してなかった。自分の28年後なんてまったく想像できなかった。自分がそれまで生きてきた年月よりも先のことなんて誰が想像できるだろう。今、55年以上先を想像するのと同じだ。もっとも、今から55年後は容易に想像できる。間違いなくこの世にはいないだろう。で、2015年だが、自分でも驚くほど変わっていない。28年前と比べて。もちろん年は取ったし、年相応にしわが増えたり、結婚して子どもがもう大学生になり、といった変化はある。しかし、いまだにチューリップ、ビートルズを聞き、ピアノやギターを弾いて歌っている。それも同じ曲ばかりを。つまりピアノもギターも28年前から上達していない。これは考えて見れば恐ろしいことだ。28年間、何も進歩していない…。この間で新しく身につけたスキルといえばパソコン操作ぐらいか。英語がペラペラになったということもない。何かを成したということもない。財を成したということもない。50歳を過ぎるころになればそれなりに余裕もできて、防音装置付きの部屋でも作って、100万円くらいのオーディオを揃え、夜中でも好きな音楽を聴けるような身分になっているだろうかと思ったりもしたが、いまだにiPod用のイヤフォンを買う時に数千円の違いでどっちを買おうか何時間も店頭で悩んでしまうレベルの可処分所得しかない。ということで、第3期チューリップの曲は今でも好きになれないが、それなりに楽しんでいる自分に気づいてまあ、幸せな人生を歩んできているのかな、とも思っている。
2015年10月18日
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先日、朝日新聞の報道姿勢について書いたが、早速、今日の社説が朝日らしかった。選挙に勝てば何でも決められる。そんな「数の力」が政治の基本原理であるかのような国会が続いている。このままでは、若者の政治参加への意欲も育ちようがない。これが今日の朝日の社説の最後の一文。まず、「選挙に勝てば何でも決められる」というのは、正しいともいえるし、間違っているともいえる。民主主義の世の中で、国民の意志を表明する一番大きな場は言うまでもなく投票だ。特別に意思を表明する手段を持たない一般国民から言えば最大にして唯一と言ってもいい。そこで最も多くの当選者を出した政党が議会において最も大きな力を持つことは何ら問題ない。当たり前のことだ。さらに言えば、衆議院で3分の2以上の議席を与党が得れば、参議院が反対しようと、議案を可決させることができることも憲法の規定にのっとっている。その場合、与党だけで法案を可決することが可能だ。であるならば、「数の力」が政治の基本原理であるという表現に何ら矛盾はない。しかし、実際には、国会での審議を経なければ法案が可決されない以上、野党の声を無視することはできない。過去に衆議院での再議決で成立した法案は42例あるが、与党がその気になればおそらく、もっと多くの法案成立させることはできたはずだ。法案成立率は最近の通常国会を見てみると6割くらいだろうか。そう考えれば、「何でも決められる」というのは正しくない。決められないことも実際には多い。若者の政治参加への意欲が低いのは与党が数を頼りに法案を通そうとしているからではない。マスコミの責任だろう。多くの国民にとって政治の実態を知る機会はテレビや新聞のニュースを通じてしかない。直接国会議員や地方議員の活動を知ることのできる人がどれほどいるだろうか。そう考えると、マスメディアの影響は大きいと言わざるを得ない。その実態を脇に置いて、政治家の責任にするとは無責任のそしりは免れないだろう。そうした視点から見ると、残念ながら朝毎読産経、どの社説を見ても主権者としての教育が大切だ、といった論調ばかりで、マスメディアとしての責任に触れていた社説はなかった。
2015年06月18日
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世間では朝日新聞が批判を浴びることが多い。理由としてはいくつかあるだろう。大きな影響を持つ大新聞であるが故のねたみ、嫉み、上から目線の物言い、時代遅れともいえる左翼進歩思想、物事をはっきりとさせない事なかれ主義の社説、天声人語など。 私は一番問題なのは、主義主張の中身ではなく、その主張方法にあると思っている。よくいわれるダブルスタンダードがマスメディにとっては致命的だ。 どんなに荒唐無稽であろうと、非現実的であろうと、集団的自衛権は違憲だと唱えるのはそれはそれでいいと思う。集団的自衛権を行使する、といったことをアナウンスせずに国が守れればそれに越したことはないからだ。ただ、国民の声を聴くことが大切だ、といった主張をする一方で、自民党が大量の当選者を出し、国会で第一党になったにもかかわらず、国会での決議に対して数の横暴だ、といったご都合主義の批判をすることは見苦しい。 その点で朝日は信用できないのだが、今日の新聞を見ると、産経がそれをやっている。 憲法学者が国会で、集団的自衛権の行使は違憲だと述べたことが話題になっているが、なんと産経は「学者見解は絶対か」と見出しを掲げ、憲法学者の意見に基づいて攻勢を強めている民主党などのやり方に疑義を唱えている。 まったくのダブルスタンダードといっていいだろう。いったい、なぜ、今になってこのようなことを言うのか。それなら、国会に憲法学者を呼ぶ前に言うべきであろう。自社の主張と異なる見解が出されたからといって、急に学者見解は絶対か、などと言いだす新聞の主張にどれほど耳を傾ける人がいるだろうか。はたして、3人の学者が皆、集団的自衛権の行使は合憲です、と言ったらどう反応しただろう。おそらく、学者もこう言っているのになぜ民主党は反対するのか、といった主張を載せるに違いない。ご都合主義としか言いようがない。 もとより、学者見解が絶対ではありえないのは当然である。国の安全保障は学者が決めるのではなく、政治家が決めるというのも正論だ。しかし、それを今言ってはいけない。学者の見解を参考にするな、というのなら国会に呼ぶ前に言わなければ。 ワンアウト、ランナー一塁のチャンスにヒットエンドランのサインを出したら5-4-3のゲッツーになってあっという間にチャンスがつぶれたからといって、あとから送りバントにするべきでしたね、などと言う解説者がいたとしたらどう思うだろうか。 自分たちの主張と異なる見解を持つ学者を参考人として呼ぶ与党も情けないが、それを鬼の首でも取ったように振りかざして攻撃する野党も底が浅い。もっと本質的なところで議論してほしい。そんな時こそ、マスメディアは冷静に、国民の参考になることを、一般の人とは異なる視点から報道してほしいのに、ちょっと残念な今日の産経だった。
2015年06月12日
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朝、8時ごろ起きて、朝食のあとは新聞を読んだりテレビを見たりして午前中は終わり。昼食の後はアタック25を見て、普段はそのあとから本屋へ行ったり、仕事をしたりするのだが、今日はたまたまNHKにチャンネルを合わせたらNHKアーカイブスで「おかあさんといっしょ」をやっていたのでつい、見てしまった。自分が幼児の頃に見ていた番組であり、今は大学生になった娘、息子も小さい時に見ていたという長寿番組だ(娘、息子は番組に出演もした)。で、3時。それから歩いて5分ほどの駅前に出て、本屋、電気屋などを歩いた。お金もないのでもっぱら立ち読み。そのあとコジマに寄っていろいろ見た。デジカメ、パソコンなどを見て(全く買う予定はない)、イヤフォン売り場に行ったら、いくつか安く売っているのに気付いた。つい最近買ったイヤフォンがそれなりにいい音がするのだが、どうも低音が響きすぎていて聞きにくいと感じていたし(視聴したにもかかわらず実際に使ってみて相性の悪さに気づいた)、外出用に持ち歩いているイヤフォンが断線してしまった、ということもあり一つ買いたいと思っていたところだった。5000円以上する高いものは視聴できるようになっているので、自分のiPodをつないで試してみた。やはり高いのはそれなりにいい音がする。しかし、音には好みもあるし、その製品の特徴(低音重視、高音重視など)もあるので、一概に高いからいい、安いから悪いともいえない。棚に、980円の値札でいくつか並んでいるのを見つけた。これは安い。そのうえ、私の好きなオーディオテクニカ。しかし、安い製品だからか視聴はできない。見た感じは値段の割には結構高級感がある。980円の値札をめくってみると、1880円となっていた。もともと2000円くらいで売っていものならそれなりの音はするだろうし、持ち歩き用のつもりだったのでならそんなにひどい音でなければいいか、と思い、買った。オーディオテクニカのATH-CK323M。色は10色から選べるようになっていた。黒や白や赤はちょっとありきたりなのでグリーンを選んだ。で、家に帰って聴いてみたら、これが意外にいい音がする。低音から高音までバランスがいい。ロックばかり聴いていた以前なら低音重視で良かったのだが、最近はジャズ4割、ロック3割、クラシック3割くらいの頻度で聴いているので、あまり低音が強すぎるのもちょっと…。ネットでほかの人のレビューを読んでみたが、皆おおむねいい評価だった。もともとは2500円くらいで売られていたものらしいが、3000円以下の値段でこの音はない、とか、コストパフォーマンス最高とか、デザインがいい、とか。価格コムで見ても、最安価格は1000円を超えていたが、在庫処分のようでかなり安く買えたし、いい買い物だった。先日買ったイヤフォンは5000円くらいのもので、それを3500円くらいで買った。視聴して買ったはずなのに、どうも低音が強すぎて聴きにくかった。買い物とは難しいものだ。ポイント10倍セール 05/19 10:00-05/21 09:59までインナーイヤーヘッドホン ATH-CK323M BL:オー...
2015年05月24日
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ポールが来た。そして、コンサートを行って帰っていった。 昨年はチケットを手に入れ、国立競技場まで行ったにもかかわらずポールの急病で見 られず、今年は仕事があっていける日がなく見られず…。普通の仕事であれば有休を とって行くということもできるのだろうが、私の仕事ではそれもかなわず切なかっ た。大学生の娘と息子が行ってきた。一昨年から今年にかけてのポールのツアーで一 回も見ることができず、失意の日々を過ごしていたが、たかがコンサート、別に見ら れなくてもいいじゃないか、と自分に言い聞かせていた。しかし、こうしてポールの 公演が終わってみると、やはり切ない思いが募る。 武道館公演は特にセットリストがビートルズ寄りで、ぜひ見たかった。 いまだにキーを変えずに、3時間に及ぶステージを一部構成でやってしまうポール。 まだまだできそうなので、また来年来ることを願うばかりだ。そして、その時はわた しの仕事の休みの日にやってほしい。
2015年04月30日
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報道ステーションの騒動には少し驚いた。 この番組はちょうど仕事が終わって帰宅するころに始まるので、食事をしながら見る ことも多いのだが、あまりに報道の仕方が偏っているのでニュース番組とは言えず、 最近はあまり見ることもなかった。27日の放送も見なかったが、ネットでは大変な騒 ぎになっていた。YouTubeで見た。 ごく簡単にまとめると、番組途中で古賀氏が、自分が降板することについてのいきさ つを突然話し出し、それに古舘氏が異議を唱えた、というものだ。 そもそもニュース番組という看板を掲げていながら、あれだけ政府を批判(あれは批 判と言うより誹謗中傷だろう)するというのも解せないし、それに圧力をかける官房 長官も解せないし、それでコメンテーターを降板させる番組スタッフも解せないし、 それを番組で暴露することも解せないし、その暴露コメントを必死に否定するのも解 せない。 私は朝日や毎日の、責任を取りたくないがために物事を遠くから眺めているだけでき ちんと解決しようとしないように見える報道姿勢も、読売や産経の、現実主義路線に 乗っているがゆえにわかりやすく説得力がある反面、弊害をあえて示そうとしない姿 勢にも疑問を持っている。 なぜ、マスコミはニュートラルに報道することができないのだろうか。いや、報道に 主義、主張があってもいい。その方がわかりやすいこともある。しかし、時の政権を 倒そうという意図が見え見えの報道となればそれは報道ではなく、政治活動だろう。 といった側面は百歩譲ってそれも一つの番組作りだ、と言ってもいいかもしれない が、あの場面で古賀氏に反論する古舘氏は大人げなかった。あそこはさらっと受け流 すところだろう。必死に反論すればするほど、圧力があった、そしてそれを公にした くない、自分のイメージを悪くしたくない、と考えているように思えてしまう。
2015年03月29日
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昨年はショックな訃報が多かったが、今年も年が明けてまだひと月ちょっとだが、残念な訃報に接した。中山康樹氏。まだ62歳だ。私が彼のことを知ったのは何が最初だったろう。たぶん、ジャズを特集している雑誌か何かだったと思う。10年位前になる。面白い文章を書く人だな、といった印象しかなかった。その後、スウィングジャーナルの編集長だったことを知り、マイルス・デイビスのファン(というより研究家と言ったほうがいいかもしれない)であることを知り、単行本やら新書やらで彼の著書を2、3冊買って読んだ。私は音楽は何でも聞くが、ひそかに自信を持っていることがあって、クラシックファンよりはジャズやロックのことと、ジャズファンよりはクラシックやロックのことを、ロックファンよりはクラシックやジャズのことを知っていると思っている。幼い時にクラシックピアノを習い、中学生になってからはビートルズを知ってロックバンドを組みギターを弾き始め、高校では吹奏楽部に入りユーフォニューム吹き、大学生になってからはFMのエアチェックでカセットテープ約1000本分の音楽を聴きためたという節操のない音楽体験ゆえだが、言い換えればどの分野も中途半端だということでもある。しかし、中山康樹氏の本を読んで驚いた。”俺よりジャズに詳しいのは当然としてもビートルズについても俺より詳しいかも”ジャズとビートルズにこれほど精通しているとは…。世の中にはこんな人もいるんだと思った。彼が書いたビートルズの本も数冊買った。「これがビートルズだ」(講談社現代新書)はビートルズの曲を聴くたびに開いている。もう何回読んだことか。とにかく文章が面白い。一ファンとしての無責任な態度と、評論家としてのプロフェッショナルな視点が微妙に混在していて、読んでいて思わずニヤリとしてしまう。それにしても若い。まだ62歳。悪性リンパ腫と新聞には書いてあった。残念でしかたない。まだまだ彼の書いた音楽評論を読みたかった。書店ではぜひ彼の著作特集をやってほしいものだ。
2015年02月07日
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ポールが来るらしい。昨年の5月はチケットを手に入れ、国立競技場まで行ったのに中止になってしまって悲しかった。今度こそは、と言いたいところだが、公演予定の日程を見たらすべて平日だったので、行けそうもない。なぜ日曜日にやらないのか。
2015年01月29日
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安部さんが亡くなったと聞いてから、あまりチューリップを聴く気にもなれずにいたが、さっき、テレビを見ていたら、財津さんの歌が流れてきた。パナソニックのリフォームのCMだった。最初、少し歌があり、あとはほとんどインストゥルメンタルなのだが、別に見ようと思ってみていたわけではないので、歌の部分は聞き逃した。が、しかしどうも曲がいい感じに気になるので、少し注意して見ていたら、最後に「作詞:Panasonicリリフォーム 作曲:財津和夫」と出た。やはり財津さんか、と思い、早速ホームページで見て、3パターンのCMを見てみた。ベースラインとかコード進行がいかにもという感じで、腑に落ちた。今夜はチューリップを久し振りに聴いてみようか。
2014年12月28日
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またも、残念な訃報。クリームのジャック・ブルースが亡くなった。今朝、新聞を見て驚いた。さっき、報道ステーションでも取り上げていた。クリームのアルバムを聴きながら書いている。今、「spoonful」が始まった。私は恥ずかしながら、10年位前までクリームというバンドを知らなかった。エリック・クラプトンは知っていたし、60年代、70年代のロックグループは、その存在くらいはたいてい知っていたのだが、クリームを知ったのはだいぶ後だった。で、最初に聞いたとき、ガツーンときた。頭に浮かんだのは「なんで俺はこんなすごい音楽を今まで知らなかったのだろう」という後悔。遅ればせながら知ることができてよかった。もっとも、60年代(ということは私は小学生)に聞いていてもそのすごさは分からなかったと思う。ビートルズでさえ、中学生になって初めて知ったくらいだし、こういうブルースっぽい音楽はある程度の年齢にならないとその良さが理解できないだろう。そして、岡崎久彦氏。保守派の論客として、産経や読売ではよくインタビューなどが掲載されていた。外交問題や国際情勢についてはリアリスティックであり、イデオロギーにこだわることのない冷静な分析が印象に残っている。数か月前に読売新聞の「時代の証言者」という企画モノの記事にその生い立ちが掲載されていたが、それはそれは優秀な人物だったことが改めてわかった。まだまだ意見をいろいろと聞きたいと思っていたのでとても残念だ。
2014年10月27日
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やはりどうしても安部俊幸の訃報は受け入れがたい。肉親の死であればどんなに信じがたいと思っていても、お通夜、告別式と順を追って進んでいくうちに無理やり納得させられるものだが、安部俊幸の場合はそれがない。9日にニュースで知って以来、私の頭の中には「もうチューリップの再結成は永遠になくなってしまったんだ」ということばかりが渦巻いている。昨年の5月に見たばっかりだというのに。ということで毎日チューリップのCDを発売順に聴いていたが、「I like Party」まで聞いたところでその先のアルバムは聴く気がなくなった。安部俊幸がいないチューリップはやはりチューリップではない。ということで、ALWAYSを聴いている。デビューアルバムの「ALWAYS BE TRUE」。初めてこのアルバムを聴いたときは、「これだ!俺が聴きたかったのは!」と思った。このころのチューリップに欠けていたポップ、キャッチ―、メロディアスといった要素がいっぱい詰まったアルバムだった。オールウェイズは結構ライブハウスのような小さなステージで演奏してくれたので、大ホールとはまた違う臨場感のあるライブを楽しめた。
2014年09月26日
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