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そこで三谷くんへの指示をいくつか。
1.鍼灸学校や普段やっている勉強道具は、持っていかないこと。
2.宿泊所のテレビは見ないこと。
3.スマホもメールの確認以外はしないこと。
要するに、教習所の学習以外は、何もしないでヒマを持て余すことが指示の内容です。あとやっていいのは坐禅のみ。
宿泊所も、人里離れた山の中にあるらしく、好い環境です。
これはどういう事かと言うと、日常の一切から離れて、ぽつんとただ過ごすことが、人によるとは思うのですが苦痛なんです。何もしない、何もすることがないということは、心の飢餓感を生じさせます。
かつて僕がまだ若かりし頃、師匠の指示で、10日間テントを持って山中に籠ったことが事があります。書籍・ラジオ等の一切を持たず、ただ10日分の食料をだけを持って。
あらゆる面で飢えるということは、現代人にとって必要なことだと思う。
飢えることによって、人恋しさや勉強すること・仕事することがあることへの喜び、食べることの有り難さを実感することが出来るんです。
考えてみてください、普段人間関係で悩んでいても、山中でひとり籠っていてたまたま通りがかった登山者に出会った時、どれだけ人とふれあうことで喜びと安心が生まれるか。
人間という文字が示すように、人は孤独という心の飢餓には耐えがたいんですね。
鍼の勉強も、肝腎のところは教えない。ある程度の勉強の道筋はつける。真っ直ぐにやってると、必ず「わからん!」ってところが出てくるんです。そこを簡単には教えないんです。
飢えて飢えて、う~ん!ってなった頃合いを計って、ちょっと教えると、あたかも砂が水を吸うように入っていくのです。
与えられたり、強制されたりしてする勉強なんて本物じゃない。
飢えて求めて求めて、やっと手に入れたものだからこそ自分の宝になるのです。
何かを求めてやまない人、何か満たされないものを感じておられる人。それがなんであろうが、生きているからこそ、もっと素晴らしい人生を実現したい、そんな自分の深い魂の欲求でもあるんです。
飢餓と豊かさは、陰陽表裏の関係で、さらに突き詰めれば、ひとつのもの。
絶対的貧困はもはや存在しないこの国に住んでいるからこそ、言えることだと思います。
この国においては、飢えることって豊かさに直結するんですよ。