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下記に移転しました。 さくらのブログ http://kanazawa.ichinokai.info/ このブログを書き始めたのは、兵庫県福崎町から大阪に鍼灸院を移して以来だから、もう7年くらいになります。 愛着もあるのですが、公序良俗に反する語が含まれていると表示されるが、どこがいけないのか分からない。 表示文字列の制限など、使い勝手がよくわからなくなってしまいました。 楽天ブログで交流して頂きました、皆さま。ありがとうございました。 宜しければ以下のブログを覗いてください。 http://kanazawa.ichinokai.info/ ありがとうございました。
2014年01月15日
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いよいよ上古天真論2段目です。 これまでは、主に養生法について述べられていました。 ここからは、人の成長と老化の過程について述べられているのですが、臨床的にも非常に大切な所でもあります。 女性は7の倍数、男子は8の倍数で変化していくと説かれています。確か養命酒のCMにも用いられた部分です。 読み進めて頂くと、総じて女性は男性に比べて早熟ではある代わりに早く老いていくことが分かります。 この成長と老化の要となるのが、腎の臓の充実度です。前回書きました親から受け継いだ「精神」を宿すところが東洋医学の腎の臓です。 腎の臓について、少し解説します。 臓腑の概念の基本形は、東洋医学の臓腑≠西洋医学の臓腑です。 詳しくはこちらを参照してください。 → 臓象学とは 腎の臓は、図-1のように人体を鍋に例えると、マキと火に相当します。 図ー1炎は腎の陽気に、燃料のマキは腎の精に相当します。 燃料は、消化器を通じて食べ物で補われ、日常活動で余ったものが先天の精と一緒に腎の臓に蓄えられます。そして親から受け継いだ火種は食べ物で補われた精を燃やして大きくなり、全身を温め代謝エネルギーの大本となります。 さらにこの腎の臓をコントロールしているのが、心の臓と肺の臓なのです。東洋医学の心肺は、いわば原子炉の制御室に相当します。 人の成長過程では、図―2のように陽気が先行して陰気がバランスを取ろうとします。そうすることによって陰陽の場、そのものが大きくなるというように説明します。 図ー2 陽気が盛んである子供は、ジッとしておとなしくしておれないのは、当然のことなのです。 腎の陰陽の気が調和した状態が図―3になります。調和するので、ここで成長が止まります。そして図―2の逆をたどって陰陽の場が小さくなり、次第に衰えていくわけです。 図-3 上古天真論の第1段までは、この腎の陰陽の気を損なわず、充実させるために主に、心神のあるべき姿が説かれており、第2段では、生物的な成長・老化の一般的経過が説かれています。 長文になりますので、今回は女性の成長と老化の過程を意訳して参ります。 黄帝がおっしゃるのには、人が年老いて子供を授かることが出来ないのは、精力が尽きてしまったからなのか、それとも自然の摂理であるのか、と。 それに対して岐伯が次のように答えた。 女子は7歳にして腎気が盛んになり、歯が生え換わって髪の毛も長く伸びるようになってくる。 二七、14歳になると自然と体の前の正中線を通る任脈という経絡が通じるようになり、精血(せいけつ)を蓄えることが出来、体の深部を通る太衝脈(たいしょうみゃく)がいよいよ充実してくる。従って定期的に月経が来るようになるので、子供を産むことができるようになる。 三七、21歳になると腎の精気と陽気の調和がとれるようになるので、永久歯は生えそろって身長も極まってくるので最も高くなる。 四七、28歳で女性として肉体の最盛期を迎えるので、筋骨はがっちりとして髪の毛の伸び方も極まってくる。 五七、35歳になると顔面部を養っている陽明の経絡が衰え始めてくるので、顔面部が少しずつやつれるようになり、髪の毛も抜け始めるようになってくる。 六七、42歳では、いよいよ3本の陽経がまず頭顔面部から衰えるので、顔に皺が増え、白髪が生じ始めてくる。 七七、49歳になると、任脈は勢いをなくし太衝脈も衰えてくるので、いよいよ閉経を迎えます。当然のことながら体の輪郭もぼんやりとして子供を産むこともできなくなります。 以下原文と読み下し。帝曰.人年老而無子者.材力盡邪.將天數然也.帝曰く。人年老いて子無き者は、材力の盡(つ)きたるや、はた天數の然(しから)しむるや。岐伯曰.女子七歳.腎氣盛.齒更髮長岐伯曰く、女子七歳.腎氣盛ん、齒更わり髮長し。二七而天癸至.任脉通.太衝脉盛.月事以時下.故有子.二七にして天癸至り、任脉通じ、太衝の脉盛ん、月事は時を以って下り、故に子有り。三七腎氣平均.故眞牙生而長極.三七は腎氣平均す。故に眞牙生じて長極まる。四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.四七は筋骨堅く、髮の長(た)け極まり身體は盛壯たり。五七陽明脉衰.面始焦.髮始墮.五七は陽明の脉衰え、面焦げ始め、髮墮ち始める。六七三陽脉衰於上.面皆焦.髮始白.六七は三陽の脉、上に衰え、面皆焦げ、髮白くなり始める。七七任脉虚.太衝脉衰少.天癸竭.地道不通.故形壞而無子也.七七は任脉虚し、太衝脉は衰少し、天癸は竭き、地道は通ぜず。故に形壞れて子無きなり。
2014年01月04日
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今回は、精神について。 現代では、精神と言えば「精神科」が思い浮かぶように、心の動きとかバランスというイメージが定着しています。ところが、実はこの精神という言葉。元は東洋医学用語で、もっと奥の深い意味を持っています。 ひとつは肉体と、肉体を維持している「気」を同時に表現したものです。 太極である人間を精と神、つまり陰陽で表現したものです。 もうひとつは、親から子へと伝える根源的なものという意味があります。言わば、オリンピックの聖火リレーのたいまつ(精)と炎(神)のようなものです。 そもそも精とは、人間の根源的な物質的基盤を意味しており、生まれてからは主に大地の気。つまり食物によって補われる。 そして神とは、一個の人間として形づくる気=エネルギーを意味しており、生まれてからは主に天の気。つまり空気によって補われる。 この精神を良好状態にするには、まず自然の陰陽に法った生活が最も大切で、さらに心を平安に保ち、肉体的には疲れ切るとことの無いようにと、大昔を例えにして述べています。 もう少し詳しく解説します。 心の動きというのは、覚醒している日中絶えず動いて来ます。動くためには物質的な精が必要です。 写真のろうそくはその例えです。 心が激しく動揺したり、不安になると炎が大きくなります。するとロウの部分が早く消費されてしまい、早く老けてしまいます。 現代人は大量の情報に触れるので、心も激しく・早く反応します。加えて、現代は消費への圧力が高い時代です。 原文と読み下しは、最後に記しています。意訳しましたので、じっくりと読んでみてください。 大昔の聖人は、以下のように人々にお教えになられた。 太古の人々は、人を害する季節外れの風(例:春は東風以外の方向からの風)を避け、心にはこだわりがなく穏やかで、さらに貪ったり損得に心を煩わせたりするようなことはなかった。であればこそ、肉体と心はしっかりと内側から守っていたのである。このような心持で生活するのであれば、どうして病気になど罹ることがあろうか。 したがって当時の人々は、心を制御して欲に任せるようなことをしなかったので、心はいつも安らかで恐れるものもなく、身体がぐったりとなるまで労働することもなかった。だから元気は停滞することなく全身を循っていたのである。 欲に任せることなく少欲だった人々は、欲しいと願うものは簡単に手にすることができていたので、心はいつも満たされていたのである。 目の前の食を美味しいと感じ、今来ているものを心地よく思い、世間の風習を楽しんで、しかも地位の高低をうらやむこともなかった。この当時の民は至って純朴であった。 万事このようであったから、嗜好に目がくらむこともなく、ひつこくいやらしい邪気もその心を惑わすことが出来なかった。そして賢い人も愚鈍な人も、ものごとに恐れるということがなかった。だから自然と養生の法則に適っていたのである。 これらが、上古において、人々がみんな100歳を超えても動作が衰えなかった理由である。また、真直ぐな心と生活態度であったからこそ、病気になって生命の危機を迎えるようなこともなかったのである。夫上古聖人之教下也.皆謂之虚邪賊風.避之有時.それ上古聖人の教え下さるや、みなこれを謂う。虚邪賊風、これを避けるに時有りと。恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順恬惔虚無なれば眞氣これに従い、精神は内を守り、病いずくんぞ従い来たらんや。是を以て志、閑にして欲少く、心安んじて懼(おそ)れず、形を勞して倦まず。気は從い以って順ず。各從其欲.皆得所願.故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.おのおの其の欲に從がいて、皆願う所を得る。故に其の食を美(うま)しとし、其の服を任じ、其の俗を樂しみ、高下は相慕(した)わず。其の民、故に朴と曰く。是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.是を以って嗜欲は其の目を勞すること能わず、淫邪は其の心を惑わすこと能わず、愚智賢不肖は物に懼(おそ)れず、故に道に合す。所以能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.能く年、皆百歳を度えて、しかも動作衰えざる所以の者は、其の徳を以て全うすれば危うからざるなり。
2013年12月28日
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前回の内容を、もう少し詳しく解説したいと思います。 素問は、81篇にまとめられているのですが、この上古天真論の内容を説明したいがゆえに残りの篇があると言っても過言ではない。つまり上古天真論に始まって上古天真論にまた還って終わるのである。僕はそのように考えます。 当時(800年ごろ)、中国全土に散逸していたこの書を集め、編纂した王冰(おうひょう)が上古天真論を巻頭に持ってきたのは、達見であったと言わざるを得ない。 前置きはこのくらいにして、順次説いて参ります。 まず、「道」について。 「タオ」として世界的に知られている言葉であるが、一言で表せば、「自然界の法則」である。 そして「自然界の法則」=「道」の認識論が陰陽論となる。 認識される以前を「混沌」=太極であるとし、一円で表される。 図1-太極 (一円相)太極は認識以前であるから、訳のわからない世界であるからこれを陰陽両義、二つに分けて認識しようとする訳です。 図2- 陰陽両義 一般的には、韓国国旗の中心にある二つの勾玉が互いに抱き合ったような図と言えばイメージが湧くと思います。 この極めて単純なモデルを用いて、あらゆる事象を認識しようと試みて作られたものが易経で、中国文化の基礎中の基礎。根本中の根本であるわけです。医学もまた、その例外ではありません。 東洋医学を標榜するのであれば、易学は必須の科目です。 このように豪語しておきながら、我ながら心もとない状態ではありますが、浅学を露呈しながら進めて参ります。 陰陽の使い方の一つに「消長」という認識方法があります。陽が増えると陰が減り、陰が増えると陽が減るというように交互に増減するという認識です。 図3- 陽長陰消 図3は、赤の陽気が次第に伸びて、青の陰気が沈んで行く様子を示しています。一日の内では、朝から昼にかけて。一年の内では春から夏にかけての陰陽の消長を現したものです。 図4-陰長陽消 今度は反対です。 赤の陽気が衰え、青の陰気が盛んになり、昼から夜へ、そして夏から冬へと向かう様子を示しています。 自然界の陰陽の気は、このように消長を繰り返しながら循環しています。ミクロコスモスである人間もまた、同じように消長します。 朝目が覚めると、陽気が次第に増えてくるので頭がはっきりとしてきます。ボーっとする人は陽気が昇ってこないというわけです。そして朝の準備をしながら、心も体も陽に向かって忙しく動くようになります。 正午を過ぎて、自然界に陽気が傾き陰気が覆うようになってくると、人は次第に動きを穏やかにし夜の陰気の深まりとともに心も体も動きを止めて陰に向かって眠るわけです。 一年間の春夏秋冬も同様です。 原文の「上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術数に和し、飲食に節有り、起居に常有り、妄りに労を作さず。」 とは、まさにこの陽気・陰気の消長に調和することが、生活の基本であると説いているのです。 さらに細かく解説します。 睡眠は、何時間寝たかということよりも、何時に就寝するかが大切です。陰気の最も深まるのは午前12時には、熟睡の状態であることが自然の理に適っている訳です。 夜は、自然界の陰気と共に、人間の心身も陰に入り最も大切な至宝である「精」=生命現象の物質的な基盤を養う時期です。一年では、冬の時期に相当するので冬至のころには一息ついて穏やかに過ごすことが肝要です。 飲食もまたしかり。食事を摂る時間。季節の気を受けた旬の食材。そして量の過不足。 そして労働。労は勞。力を入れた様に、うかんむりの上に火が二つ乗っています。上半身に陽気が集まる様で動くのが労働ですね。 欲や思いを遂げようとして陰陽の消長を無視したような働き方を戒めているのですね。 ちなみに、陰陽の消長が真逆に入れ替わる時を「極まる」と表現し、陰陽が入れ替わることを表現します。これを「陰陽の転化」というのですが、この概念の応用範囲は広くて便利なのでいずれ書きます。 まだまだ奥が深いです。 もうしばらく上古天真論(じょうこてんしんろん)第1段前篇の解説を続けます。 つづく
2013年12月22日
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黄帝内経(こうていだいけい)は、伝説上の黄帝と岐伯(ぎはく)を筆頭に、幾人かの臣下との対話形式で書かれている。 本篇は、主に3段に分かれていて、1段では、元気で天寿を全うするにはどうすればよいのか。2段は、人の成長と老化の過程を。3段では、人間の目指すべき在り様が説かれている。 まずは第一段の前半部分から、ご案内いたしましょう。 「大昔の人は、100歳を過ぎても動作が衰えなかったと聞いている。ところが最近の人は、50歳を過ぎるともうヨボヨボしているのは一体どういう訳だろう。その原因は、時代背景にあるのだろうか、それとも人々の過ちにあるのだろうか。」 とまあ、黄帝が臣下であり医学の師匠でもある岐伯に尋ねるところから、話は始まるわけです。 それに対して岐伯が言うのには、「大昔においては、大自然の法則に沿うような意識と生活をしており、食べ過ぎたり飲みすぎたりせず、夜更かしなどの乱れた生活をすることなく、さらに自分の欲を満たそうとして動き回って疲れきるということもなかった。当然身体と精神状態は、両立してともに健全な状態であったので、みんな天寿である100歳を過ぎてからこの世を去っていた。」 と答えています。 ここでは、飲食の節度と生活リズム、過労の戒めを簡潔に述べてさらに当時の現状を描写しています。 さらに岐伯が続けて言ってます。 「今の人は、太古の時代とはまったく異なってしまっています。お酒を飲料のようにガバガバと飲み、就寝・起床もでたらめで、あげくに酒に酔って性関係に及んでとことん精力を使い果たそうとし、身体の元気を段々と擦り減らしてしまうような生活をしている。だから身体が充実するという感覚も薄れ、心の精神状態も自分で制御できなくなっている。そして、目先の快楽ばかりに目を奪われ、人として本来の生きている喜びを感じるような生活に反するような態度であり、夜更かしをしたり立ち振る舞いにも節度がないので、50歳になるともう衰えを感じるようになるのである。」 とまあ、こんなことを申されておられる訳ですね。 元気で過ごすには肉体だけではなく、欲に任せず心も穏やかで落ち着いている必要がある訳です。 飲食や起き臥しの誤り、過労などは心の状態にまで影響し、自分の心でありながら自分で制御できなくなると説いているのです。 心身の関係は、肉体という物質的な基盤の上に精神作用は起こり、精神作用によって物質的な肉体は形作られるのです。 もう少し先になるのですが、精神疾患のように見えても、実は肉体の病であり、肉体の病のように見えても精神の病であることなどが記載されているのですが、いずれまたご紹介の機会が出てきます。 原文では天寿を全うするには、「能(よ)く形と神を倶(そな)え、しかして盡(ことごと)く其(そ)の天年を終え、百歳を度(こ)えて乃(すなわ)ち去る。」と言っている訳です。参考までに、原文と読み下し文を掲載しておきます。昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天. 昔、黄帝在り。生じて神靈、弱にして能く言い、幼にして徇齊、長じて敦敏 成りて登天す。 廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰. 廼ち天師に問うて曰く。余は聞くに上古の人、春秋みな百歳を度えて、しかも動作は衰えずと。 今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶. 今時の人、年百半ばにして、動作みな衰ろうものは、 時世の異なるや、人はた、これを失するや。 岐伯對曰. 岐伯對えて曰く 上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞. 故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去. 上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術數に和し 食飮に節有り、起居に常有り、 妄りに勞を作さず。故に能く形と神を倶え、而して盡く其の天年を終え、百歳を度えて乃ち去る。
2013年12月21日
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これから折に触れて、東洋医学の世界観や健康に生きていくための考え方を古典に基づいて紹介していこうと思う。 東洋の世界観・人体観を元にして現わされた中国最古の医学書に黄帝内経(こうていだいけい)という書物が伝わっているが、なんと鍼灸医学書である。 この黄帝内経、素問(そもん)と霊枢(れいすう)それぞれ9巻81篇に分かれており、鍼灸家はもちろんのこと、湯液家(とうえきか=漢方薬)の医師も必読の書である。 前漢(紀元前紀元前206年 - 8年)に著されたものであると推測されているが、一旦散逸してしまったものを、唐代(762年)に王冰(おうひょう)によってまとめられたものが、幾度の変遷を経て現代に伝わってきているのだが、原本は伝わっていないようである。 この黄帝内経(こうていだいけい)、とりわけ素問(そもん)においては、人間が健康で生きていくためには何が大切かを前半において詳しく記載されいる。 それは単なる健康法という底の浅いものではない。これから、おいおい紐解いていきますが・・・ マンガ黄帝内経も世には出ているが、当時の人間に自然がどのように映っていたのかを読み取ることこそが重要なポイントである。 古代人は人間をどのように捉えていたのか。 この問いに対しては、自然観を認識すると見えてくる。 自然観は、人間と自然との関わを、西洋と比較して見るとわかりやすい。 北緯45度以北に位置するヨーロッパに目を止めると、目の前の自然がどのように映っていたのかは、一目瞭然だ。 約1万年前の氷河期の終わりから、地球は一貫して温暖化に向かっているが、ヨーロッパはやはり寒く、農業よりも牧畜に向いた気候は、人々にとっては厳しいものであったのだろう。 一方、アジアは氷河期も比較的温暖であったことが知られている。山野に入れば、人々が生活しているだけの実りがあったことであろう。 西洋の大航海時代は、他国の征服と収奪を世界規模で開始した時でもある。この流れは、現代も変わっていない。 近代日本は、植民地化の世界的規模の嵐の中で、この寒い地域の人々によって生み出された思想・文化を国の中心に据えてしまったのだ。 中国哲学の中心的存在である易学は、太陽と北極星を観察して自然界の気の変動を観察することから始まっているが、まず暦を作ることの必要性は、農業が主体であったことを物語っていると考えても、無理はないだろう。 西洋は、自然に働きかけ自分たちが過ごしやすい環境を作り出す必要があるために、自然とは対立的であり、一方東洋は、自然の気の変化に合わせて生活・生産活動をすれば良いので、自然とは調和的発想になるのは、当然と言えば当然である。 日本庭園と西洋の庭園を思い浮かべて見て欲しい。 日本庭園は、限られた場の中に大自然を表現しようとするのに対して、西洋庭園は幾何学的に表現しようとする。 どちらも美しいのだが、日本に慣れ親しんだ感覚ではやはり日本庭園が落ち着きと趣を感じる。 実は、東洋医学もこのような感覚で成り立っているのだ。 部分には、全体が表現されているという発想から、手相や観相などの占いも発達してきたのだが、実は鍼灸医学に源がある。
2013年12月17日
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暗い朝、なんとなく時間の感覚がずれる。 22日の冬至までは、昼の時間が短くなるので、それもしかたないか。 黄帝内経・素問の四気調神大論では、日光を待ってから起き出すように言ってるが、当時と違って暖房設備の整った現代では、まだ少々暗いうちから起き出しても問題はないだろうと思う。 問題は、心持だ。 欲しいものややりたいことがあっても、すでに手に入っているかのように、すでにやり遂げたかのように過ごして、内面を穏やかにひそやかにと説いている。 自然界において冬は、寒気の支配する時期なので、人間は陽気を漏らして寒気に破られないことを促すものだが、紀元前に書かれた当時と現代とでは、時代背景が異なるのでそのまま現代に当てはめるのは無理ではあるが、一点の真理はある。 冬に暖をとろうとして、サウナや岩盤浴に入り過ぎると身体は一転冷えやすくなる。 汗=体液+陽気 であるからだ。 また心の動きは陽気の働きであるから、年末であわただしく忙しい心は、気血を消耗する。 冬は、「種」を意識するのが好いだろう。 春に芽を出すべき時期が来るまで、じっと「保つ」という忍耐が必要な時期。 この時期、「種」の中身が、スカスカにならないように。 芽を出す力が不足すると、うつ病などの症状が出やすくなる。
2013年12月15日
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健康・食べ物・レジャー・旅行・スピリチュアル。次々と循環しながら現れては消え、消えては現れる。 東洋医学も、その例外ではない。 低俗としか思えないような、誰にでも簡単に受け入れてもらえるテーマを次々と循環させ、目先だけを変えて世間を幻惑する。 それに便乗して、数多くのペテン師や東洋医学を語る、にわか仕立ての治療家も雨後のたけのこのように現れる。 自己努力・根気のいる作業・地味で質素な生活を勧めるものなど、内省的で努力の必要なものは、一顧だにされない現代。 安易でインスタントな開運グッズやお守り・護符、健康食品や健康法を煽りたててブームになり、仕掛け役のマスコミ・出版社、それに連なる人たちが一服すると、次の目先に誘導する。 来り返し来り返し、循環しながら巡って来るこの仕掛けられたブームと、それに乗り遅れまいという人たち。 もうちょっと、賢くなってもいいんじゃないかと思う。 豊かさ・健康・充実・安心・喜び・・・ お金を出して、相手に何かをしてもらうことでしか、手に入らないと思ってませんか? 電車内で、人工授精の広告とか、よく目にするけど、妊娠・出産ってそんなに難しくって危険なものなの? だったら、野生の動物の方がよほど進化してることになる。 自分で生きるより、何かにコントロールされてる方が、オートマチックな人生を送ることが出来るのは確かですね。 あっという間に人生は過ぎ、バブルは必ずはじけ、また生じる。
2013年11月27日
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日常の診療で、水を摂りすぎないようにと指導すると、「1日なんCCだと良いのですか?」と聞いてくる人が少なからずいる。 その人自身が持っている、「飲みたい」感覚と、「もういい」という感覚を頼りにする他はない。その日の気温や運動量によって、必要とする水分は変わって来るのですから。 無理してでも1日2リットル飲みなさいなんて、愚の骨頂です。誰かの利益のためですよ。 自分の感覚を信じないで、外の尺度に自分を合わせようとする。万事このような世の中である、病気にならない方がおかしいと思いませんか。 自分の有り様を、世の価値観に合わせようとするからおかしくなる。子供も、学校に過度に適応しようとする、いわゆる「まじめ」な子がおかしくなってるんです。 先祖供養も、自分の気持より方法や作法にに心を配るから続かないのです。先祖供養なんて必要ない。 要は、繋がってる命に手を合わせる心があれば良いだけの話。墓も仏壇も、方便、気持ちを形にしただけのもので、必要ない人には無駄なこと。それぞれの人の有り様によって自由であればよい。 欲と生きていこうとする意欲=生命力は、比例する。 力強く生きていくためには、強く大きな欲が必要。 欲が悪いなんてだれが言い出したのだろう。 ただ、過ぎた欲は自分の身を滅ぼす。 では、過ぎているかどうかは、どこで判断するのか。 「これくらいはいいよね?」って、誰に投げかけるのかが大事。 自分の感覚に、自分に問うのが当然の理。人に投げかけるべきじゃない。 たとえば、食べる量を例にとると、茶碗一杯で満足する人と3杯で満足する人がいたとする。 それぞれ器というものがあって、それを越えて食べると調子が崩れるのである。ちょうど良いかどうか、自分に尋ねないで誰に尋ねるのだろう。 成人の1日摂取カロリーを計算して、その通りに実行すれば、病気にならない方がおかしいくらいだ。 もっと、自分の感性を信じて欲しい。 自分の感性が信じられない・・・ 安心を求めて、人に・外の尺度で自分を計ろうとすると、自分を明け渡すことになり、安心が手に入らないばかりか混乱を極めることに繋がります。そればかりか、外に判断を求めることは、人間としての尊厳を自ら手放すことに繋がる。 自分を外にゆだねると、家畜化される。
2013年11月20日
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身体を総合的に捉えようとする動きが、西洋医学にも起きている。 心身二元論の反省からなのだろうが、精神医学といっても所詮は薬物投与=物質で解決しようとしているので、やはり二元論の枠からは出ることが出来ないようだ。 大体からして、生命の本質がなんであるかを明らかにしないまま、中枢を「脳」にあるとしていること自体が誤りである。 西洋医学批判が目的ではないので、このあたりにしておくが、では、東洋医学では身体をどのように捉えているのだろうか。 身体は、意識と無意識を含む霊的な「気」が、物質という形で表現されたものであると捉える。 この身体を形作っている「気」こそが、生命の本質である。 鍼灸医学では、「神気」と呼ぶ。 この意識と無意識を含む霊的なものが身体を動かし眠らせ、食事をし、会話をする。 病気とは、この霊的混乱からまず生じることを覚えて欲しい。 癌であれアレルギーであれ、すべては霊的状態の反映であるということを。
2013年11月15日
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「いま」、自分の目の前に見えている世界は、自分が見たいように見ている。 「見ている」ことと、「見させられている」との違いは、ちょっとした意識の違いですが、天と地の差に匹敵するくらい、大きな違いがあります。 これは、自分がこの世に生れて来た目的・理由、生きることの意味にも関わるからです。 そう、それは自ら創造することです。 創造は、自分の内なる力、内なる世界、存在感を確かなものにし、喜びを生みます。みんな、本当はそれを体験したいんです。 みなさん、それぞれ見えている・見たい世界は異なっていても、喜びを体験したいんです、創造するという。 「見させられている」意識は、受け身なんです。 ここは、重要なポイントです。 「見させられている」という心の感覚は、被害者意識に繋がって行きます。 「見させられている」という受け身は、自分で自分の力を滅ぼしていることに等しい。 本当は、みんな自分が見たいように見ているだけなのですが・・・誰に強制されているのでもないのです。 「見させられている」という意識は、心は木の葉のように翻弄され、無力感と不安感をさらに大きく育てます。 このような状態の人にとって、教祖や医療、恋人などの救いの手は、神様に映ります。 幻想なのですが、そのような関わりからもたらされる安心は、一時のものであり、そればかりかさらに大きな不安と混乱を招きます。 「救ってください。」と、藁にもすがるような気持ち。 だれだって、そんな気持ちになる時はあります。 そんな時に限って差しだされる救いの手には、特別な注意が必要。 人の弱みに付け込む絶好のチャンス。宗教、金融、医療・・・ 食いものにされるか、依存症という中毒に陥るか。 不安を煽り、依存させることで成り立っている現代の医療。その最たるものが健康診断。 自分の身体なのですから、まずは自分が信じられるような意識で生活しましょうよ。 よしんば、病気になったとしても、それでも悔いが無いって言いきれるくらいに。 小さな子供が転んで手を貸すことは大切。安心と信頼が生まれます。 でも、起き上がる力がある子供に簡単に手を出すと、子供から力を奪うことになりませんか。 病気で苦しんでおられる方は、今受けている治療で安心と信頼を見つけてください。 医療と関わって、不安になる方は勇気を持って、自分の力を信じて離れた方がよろしいですよ。 治療者は、導いてあげるだけで、良いんですよ。 治療者は、見極めが大事。
2013年11月13日
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自分の考えや感覚を信じないで、人の考えや感覚を信じる。 病気になると、自分の感覚より数字やCT、MRの画像を見て納得する。 自分が今の状態になったことを、ちょっと振り返ればいいものを。 自分を捨てて、人の教えに従うと、自分を見失って不安がやって来る。 病気は治してもらうより、自分で治す気持ちが大切。 そもそも、自分で自分のことが分からなくなったからこそ、医療機関を訪れたはず。 今の状態と、ここに至るまでの経緯を生活実感を伴って説くのが、本当の医療人。 病気の本当の原因は、生活の中で何を食べ、どんな気持ちで、どのようなことを望んで活きているかにある。 数字や写真を簡単に信じちゃあ、ダメ。そんなものは、あなたのホンの断片的な一面を示しているにすぎない。 移り変わる瞬間のデーターより、あなたの歴史が大事なんですよ。 簡単に、自分を明け渡してはいけませんよ。
2013年11月12日
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先日、「ある苦悩」と題して書いたブログの高齢者の方の実子が、お昼休みの治療所に訪ねてこられた。 親の意向に沿って、病院での治療を止め、全てを僕に委ねることで親戚一同がまとまったとのこと。 それにしても、自分の親はもうあれ以上良くなることがないのか?と尋ねられる。子として老いゆく親を慕う気持ちに、胸が熱くなった。 老いを受け入れることは、本人だけでなく肉親にとっても辛いこと。 誰もが、死に向かって生きているという厳然とした事実は、誰も止めることはできない。 そんな話をしていると、涙を落される。 しかし、話しておくべきことは、しっかり話しておかなくてはならない。 これから先、良くなることよりも、いかに自然に枯れていくような最期を迎えることができるか、ということに心を用いること。 自宅で親にもしものことがあった場合は刑事事件になるので、医師とは関わっておくべきこと。 緊急で危篤の場合、医師に連絡すること。その際、安楽な最期を希望されるならできるだけ延命治療を受けないこと。これは、何よりの親孝行になりますよと、僕からのアドバイス。 あれから僕も色々と考えたが、「主たる介護者」に対して、僕が気の毒に思えていた事も伝えた。 「主たる介護者」は、患者を病院に連れて行かないこと=放置するという感覚になっておられたこと。 「主たる介護者」は、他の身内に何と思われるかに、とても心を遣っている。 そのあたりの事情をお話し、「主たる介護者」に深い理解をしてあげて欲しい旨を伝えた。 術者は、往診に行って、治療をすればなにがしらの謝礼をもらえるなどと、軽く考えて手を出すべきではない。 当初は、善根を施す気持ちであっても、悪因を自ら作ってしまうのが、呪術としての一面を持つ鍼術だからだ。 このことは、過去ブログ「鍼術とはー内なる自然」に書いているので、鍼灸師は一読してみられたらよいと思う。 自分の心に、しっくりと来る治療をすることだ。
2013年10月17日
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漢方エキス製剤が、保険適用になってから漢方薬は随分と一般化した。 保険適応になって、安価に服用ができるようになった半面、その弊害も無視できないものがある。 一つには、西洋医学的感覚で漢方処方を出すことによるものだ。 風邪の予防のためにと、葛根湯を処方。花粉症治療のためにと言っては、小青竜湯を処方。 どちらの処方も、発汗を促し気を発散させる。漫然と服用すると、徐々に気を消耗する。 結果、冷えっぽい体になり、病気にかかりやすくなる。 患者も医師も気がつかない。 誠に嘆くべき状況だ。 これはほんの一例・・・数え上げればキリがない。 もう一つは、腕のある実費治療の漢方薬局が激減したこと。効果がないと、高価なお薬を服用しませんでしょう? 実費で高価であるからこそ、患者も医療者もより互いに真剣に対峙するという面がある。 安易な関わりが、無くなると言うことだ。 東洋医学をしっかりと学ばれている医師もいらっしゃるが、まだまだ少数。 かつて小柴胡湯を投与したことで間質性肺炎で8名の死亡者が出たが、新聞では漢方の副作用との報道がなされた。東洋医学には、西洋医学のような副作用は無い。 あるのは誤治のみ。 莫大な費用を投じて、原因を様々な角度から研究しているが、実に馬鹿げたことだ。 問題の本質的な原因は、医療原理の違う漢方を、西洋医学的に用いたことによって生じた事故であるということだ。実に、簡単なことだ。 解決には、一銭も費用はかからない。 東洋医学的に、身体が表現しているものを、的確に捉え処方すれば、副作用は一切ない。 もう一度言う。 あるのは誤治のみ。 その点は、鍼も漢方も同じ。
2013年10月15日
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僕は自分で、伝統医術の継承者を名のっている。 誠におこがましい限りだが、自負するところがある。 継承される中身は、文字や言葉で伝えられる技術だけではない。 もちろん、それも大切だが師匠と場を共有することで得られる、肌で体得する言外の知である。 その1本の鍼が、初心者の目には奇跡に映る。 見たことの無いものは、できないのだ。 人は、知っていること、見たことのあることでしか認識できないからだ。 師匠が下す1本の鍼。そこに込められている世界は宇宙だ。 生命の本質は、分析や理論では決して捉えることはできない。 生命の本質は、直観的に感じ捉えるものだ。 『一』を捉える事ができればいいのだ。 そこから様々な、森羅万象が起こる。 これを不思議と言わずして、なんと言うのか。 これを神といい、生命という。 伝統医学を標榜しておきながら、自分がどこで、誰に就いて、どのような勉強をしてきたかを明らかにしない者がいる。 師匠を明らかにできずして、一体何を継承したのか。 伝統は、この継承によって可能となる。 系譜がどれだけ大切なものか。それは古代より累々と継承してきた先人と、つながっている自分全てを愛することだ。 そしてさらに、自ら継承者として名のり、師匠連の名を明かすことは、道を誤らないための戒めでもあるのだ。
2013年10月14日
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漢方は、生薬を使っているので身体にやさしい。 長く服用して、じんわりと効く。 鍼も漢方も、そんなぬるいもんじゃない。 毒だからこそ、強く激しい作用を起こすのだ。 生姜やナツメなどの食品に使われているものはどうなのか? 身の肥やしにはなる。 それを、毒になるように組み合わせたのが、漢方=湯液の処方なのだ。 東洋医学は、死に瀕した人々を、救ってきた歴史と実績がある。 ただ、本当の継承者が少ないだけだ。 本来の東洋医学と、かけ離れた情報がひとり歩きしている状況は、誠に残念。
2013年10月12日
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なんと早朝4時に目が覚めてしまった。 すっきりとしない、心の引っかかり。なんとも、やりきれない気持。 そう、昨日の往診だ。 絶対的な信頼を寄せてくださり、5年余りの間ピッチリ定期的に受診下さってた、ある高齢者の方。 昨年から、度々転倒しておられる。 昨日もお伺いすると、顔に青あざ。 どうしたの?と聞くと、また転倒したとのこと。 おかしいと思ったので、聞いてみるとどうやらパーキンソン治療に使われる脳神経に作用する薬を服用しておられる。 近くに住む、主たる介護者の方に来て頂いて話を聞くと、様々な検査を受けた結果、ある種の認知症だと分かり服薬させているとのこと。 これで分かった。いくら患者本人に薬をやめるように言っても止めなかった理由が。 病院の医師からは、「転倒と薬の副作用とは関係ない」との説明を受けたとのこと。 ここで怒りが爆発しそうになったのを抑えに抑えて、ゆっくりと話す。 高齢になると、機能が衰えるのは自然なこと。 こういった自然現象に、外部からお薬で介入すると様々な弊害が出てくること。 服薬を開始してから、期待した症状の改善が見られないのに、漠然と服薬を続けていることの危険性も話したが、逆に病院での治療と鍼灸治療の併用は出来ないのかと言われる始末。そんな患者さんはいらっしゃらないのかと問われる。 確かに人工透析を受けながらとかインシュリンの投与を受けながらというケースはある。またステロイドなどのホルモン剤や精神薬の離脱を目標に治療していることもあるが、それぞれ差し迫った命にかかわるような状態だからだ。 身体の正気が弱っているから、ちょっとしたことで興奮して手が震えているのに、治療薬で緩めると、正気の弱りが前面に出てくるから転倒して当然と、いくら説明しても埒が明かない。 次第に分かってきたことは、主たる介護者として、他の身内に対しても、何もしないで放置することに抵抗があるのだなということ。 このエネルギーが僕には、強烈に堪えた。 人としての温かみが感じられないのだ。 主たる介護者の方自身、2重、3重にご自身を守っているように感じたので、気の毒と言えば気の毒なのだが、話が通じない相手だと分かったので、場を辞することに。 患者さま本人は、今後病院を受診しないし服薬も止めるので、今まで通り鍼治療をしてくれと懇願されたが、断った。 好きな恋人に別れを告げるような気持だった。 患者本人は良いとしても、本人が世話にならないと生活していけない、ある意味で実権者の[主たる介護者]の意識が邪魔して治療にならないからだ。 そんなエネルギーの場に、入っていけない。 ご家族、ご親戚でよく話し合われて、病院での治療を中止するのであればお引き受けする。 ただし、鍼灸治療を続けたからと言って、著しい症状の改善は期待できない、ただ、人間らしく穏やかな最期を迎えることは可能だとだけ伝えて、その場を辞した。 我々鍼灸師は、医師の治療を妨げてはならないと法で決められている。服薬を中止するよう指導することは法に反する。 また、鍼灸師には診断権がなく、死亡診断書を書くことができないので、最後は医師にかからざるを得ない。 苦しんでいる場合は別として、なにもせず、ただ命の行く末を見守るような医師はなかなか見つけがたい現状がある。 いくら鍼灸治療をしていても、医師にかかっていなくて死亡した場合は、不審死として扱われる場合がある。 そんな医療制度の中にあって、病気が治せる鍼灸師はリスクも大きい。 それでも挑んでますよ。 信頼してくださる患者さんに支えられて。
2013年10月11日
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鍼は、体表に刺激することで得られる反応を利用したもの。 西洋・東洋医学も、自律神経か経絡・経穴の違いだけで、大体こんな説明。 ばか言っちゃいかん、鍼術というものを、まったく分かってない。 しっかりとした術を持っている者なら分かるはず。 鍼をかざしただけで、いや、発した言葉や、投げかけたまなざしで、もうすでに脈や腹部・顔色に様々な変化があることが。 刺激していないのに、なぜ変化が起きるのか。 鍼を刺激と言う者には、わからんだろう。 患者自身が意識していない、もう一つの存在があるからだ。 時に、患者が表現することよりも、もう一つの存在が真実を語ることが少なくない。 鍼術を行うものは、もうひとつの存在と対話しながら術を施すのだ。 鍼は、刺激などという、底の浅いものではない。
2013年10月10日
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鍼はなぜ効くか。 人体にとって、有害だからだ。 先端が鋭いものは、本能的に害するもの、との生物的な感覚があるからだ。 鍼は怖い。 そう、世間の認識は正しい。 怖いから効く。 それを応用したのが鍼術。 こう書いても、誤解は怖れない。 それが真実だ。
2013年10月09日
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意識しなくても動いている心臓や胃腸たち。 自律神経の働きという認識をすると、そこから神秘性や驚きの感覚が失せる。 これを内なる自然の働き。内なる神々の働きと捉えた人々がいた。 太古のシャーマンだ。 鍼医は、このシャーマンを源流とする。 患者が知らず知らずに犯してきた過去の過ちを、自らの身に引き受け、自分の事として大自然と対峙して癒す。 時代が下がると、患者の内なる自然=神と、意識のかけ橋となった。 医は、患者の過去の過ちをチャラにする。 そう、清算し、無かったことにするのがその役目であった。 だからこそ、医は、人々から最も尊敬に値する存在であった。 鍼術は、その範疇に医学を含むが、呪術師でもある。 こんにち、鍼を行う者でさえ、そのことが忘れ去られている。 誠に、恐ろしいことだ。 鍼を施す側の人間の欲は、それが隙となって様々なものを受け、自分だけでなく家族、末代にまで影響が及ぶ。 術者は、斎戒沐浴が、必要のないくらいの透明さが必要なのだ。 現代に生きる自分にとっても、切実な問題である。
2013年10月08日
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現代人にとって「気滞」の問題は、避けて通れない複雑多岐の問題があります。 約2500年前には存在したといわれている、我々鍼灸医学の原典である『黄帝内経』(こうていだいけい)には、すでにそのことについて深く言及している。 そこには、自然と自分との関係、そして意識される自分と、意識されない自然と言う自分との関係の重要性が説かれている。 『黄帝内経』のはるか以前の太古の時代は、人間と自然が感性で一体となって繋がっていた。 1本の木を切るのにも、森全体との繋がりが意識されており、日本においても家を建てる時に奏上される地鎮祭の祝詞の中に、かつての自然と人間の関係の名残が見てとれます。 地鎮祭祝詞 時代と伴に自然と人間とを取り持つシャーマンは姿を消し、自然と人間は感性的に切り離されるようになってきました。 自然と切り離された人間は、そのまま個人の思考と内なる自然との関係に反映されます。 このような大きな流れの中で、思考と内なる自然がずれるようになり、一致させることが難しくなってきました。 元々『ひとつ』であったものが『ふたつ』に分かれ、さらに細かく分裂して本来性まで失ってしまった。 帰る道さえ忘れてしまった現代人。 ここに気滞の問題が生じ、病となる原点があります。 身体や感性は、極めて自然に反応します。 更年期障害は、その年齢に至るまでの、『おんな』としての生き方を問われることなくホルモンバランスの問題として扱われ、 癌は本来の成因を自覚することなく切り取られ、再発にただ恐々として最後の日が来るまで過ごし、 精神病は真にその背景を探ることなく脳内物質を外から入れ、見た目だけはかろうじて生きているように見え、 不妊症と病名をつけられると、性の営みの喜びを感じることより、子供が出来ないことを悩みとしてしまう。 様々な病気に潜む本源的なことを、誰が眼前に見せてくれ、解決してくれるというのだろう。 医療は、その場その場の解決に手を貸しながら、益々自らの必要性をアピールし、病気になる不安を煽る。 誰でもが安価に医療を受けることが、幸せなのじゃない。 出来る限り医療を必要としない生き方の延長に、本当の幸せがあるのだ。
2013年09月15日
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気滞とは、何らかの原因によって「気」が正常に機能しなくなった状態を指し、主に精神的素因によって生じる病因のことである。 と、まあいきなり難しく書いてしまいましたが、東洋医学では気持ちがすっきりしないと病気になりますよと、紀元前からすでに説いています。 何となくすっきりとしない感覚は、心の感覚、身体の感覚、そして思考の三要素がバラバラになって繋がっていないことによって生じます。 心や身体で感じていることと頭で考えていること・話していることが一致せずに過ごしていると、気の停滞を来してすぐに疲れてしまうばかりではなく、病気にもなりやすい。 「~するべき」「~であるべき」という思考や信念は、時として心や身体で感じていることを無視することになり、本来の自然な気の流れを阻んで気滞を生じるようになります。 すると次第に生き生きさが無くなり、顔の表情にも現れます。 また自分が自分に禁じて我慢していることを、他人が平気で行っていると怒りが生じます。これは気の停滞が生じている上に感情の抑鬱によって生じる内熱と相まって、より一層深刻な状態に陥ります。 現代は、ストレス社会と言われていますが、ストレスと言ってしまえばそれで解決したかのように思ってしまう人も多いのではないでしょうか。 ストレスの中身は、緊張と葛藤です。 病気が悩みの種であったり、ストレスだと感じている人もいると思います。 病気そのものに焦点を合わせるのではなく、病気に至った自分の生活習慣や心に緊張と葛藤を生じた自分自身の有り様にこそ焦点を合わせることが大切です。 もちろん、程度を越えた苦痛状態は例外です。医療で一旦落ち着いたとしても、振り返ることはとても重要です。 心と身体と思考が一致して調和していると、人は楽しいと感じ大きな力を生じます。 そのような状態であれば、そうそう重い病気になどにはならないものです。 気滞は、自分で気がつかないうちに徐々に停滞を来します。 いち早く現れるのは、呼吸です。 呼吸が浅くなったり、深呼吸をしても満足感の無い時は、すでに気滞の程度がかなり進んでいます。 そうなると、本当に疲れやすくなりますし、休息をとっても回復しがたくなってきます。 自分の呼吸を通じて様々なことに気づき、そして解決していくための呼吸瞑想会を「いおり いちの会」で毎月一回行っていますので、ご興味のある方は是非ご参加ください。 江戸時代に著された、夢分流打鍼術の鍼道秘訣集の中では、 貧欲心(むさぼりおもうこころ) 嗔恚心(いかるこころ) 愚癡心(おろかなるこころ) これらを心の三毒とし、月を暗くする悪雲のようなもで、すべての禍の大元であると述べています。 なかなか含蓄がある内容なのですが、別に改めて書きたいと思います。
2013年08月24日
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身体が湿邪に犯された症状や兆候は、すでに書きましたので、対処の仕方について少し書いてみます。1.飲食 飲食の乱れは、もはや年代を越えた問題です。 イメージとしてベトベトしたもの。 油もの・甘いもの・お餅・もち米製品などは、できるだけ控えるようにするのが賢明です。 また、牛乳・チーズ・ヨーグルトなどの乳製品は、乾燥した地域の食べ物で、身体を潤す作用があり、高温多湿の日本ではあまり口にすべきではありません。 さらに健康的イメージの生野菜・果物もまた、身体を冷やし保湿の作用があり、日常的に摂るべきではありません。 米食を中心とした伝統的な和食を心がけたいものです。 またジュースやアルコール類もまた、身体に湿邪を生みやすいので飲み過ぎないように留意してください。 2.適度な運動・・・乾かすと言ったイメージ 適度に運動をした後に、気持ちの良い空腹感を感じたりご飯が美味しく感じられた経験をお持ちの方も数多くいらっしゃると思います。 東洋医学では、手足の状態と胃腸とは連動・密接な関係があります。手足を動かすと、胃腸がよく動き、新陳代謝も活発になります。 適度に運動をすると、汗をかいたり小便もよく出たりと、水分の代謝が良くなります。 夏場には、あまり冷たい飲食物を取り過ぎないように気を付けてください。 飲食の過不足や誤りによって胃腸機能が衰えると、手足が重だるく感じられるようになり、気分もすっきりしなくなります。3.服装と住居 日本の伝統的な着物や日本家屋は、冬の寒さよりも夏の湿気を意識して作られているため、風通しを良くしてうっとおしさが無いように工夫されています。 また、クーラーが普及しているため、夏場でもあまり汗をかかなくなっているため、体内に湿邪をためやすくなっていますのでご配慮ください。4.気滞・・・精神情緒的素因 気滞とは、感情の過不足や精神的素因によって生じる気の停滞を指す言葉です。 気滞が胃腸機能に影響した場合、ちゃんとした飲食物を摂っていたとしても湿邪は生じてきます。 日常生活においては、誰にでも葛藤や緊張などの状態になることがあります。問題になるのは、指摘しても自覚できないことが多いということです。これはなかなか由々しきことなんです。 病気との関係において、この気滞の問題は特に重要な重要な意味を持っています。これから改めて書いて参ります。
2013年08月10日
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このところ、暑気も盛り返しつつありますが、とにかく湿気が多いですね。空気が重く感じます。 湿気が人体に影響して、様々な病気・症状を生じるようになると「湿邪」という邪気に変化します。 ここで「湿邪」の性質を整理しましょう。1.陰邪であり、人体の下部を襲いやすい。 おりものの増加、陰部湿疹や足のむくみ、水虫などが現れやすくなります。 また、陰の性質であることから冷えを受けやすい。2.湿邪は、モワ~っとしているので、はっきりとしない「なんとなく・・・」といった症状を呈しやすい。 なんとなく身体や手足が重い・だるい、頭に雲がかかったようにボーっとしたりぼんやりとしてはっきりとしない、腰や関節に何かがへばりついているようで動かしにくい、何をするにも気分が乗らない・重い、などと言った症状が現れます。 うつ病などの精神疾患には、常見の邪気です。3.ベトベトした粘性であり、胃腸機能を損ないやすい。 消化の過程では、固形物と水分を分ける必要があります。消化器の機能が損なわれると、痛みや不快症状に先行して、まず水分代謝の異常が現れます。東洋医学では、胃腸が行う水分代謝を、特に重要視します。このことは重要ですので、是非ともご記憶ください。 さて、胃腸の機能低下の現れとしては、軟便・泥状便~下痢、普通便であってもねっとりとして便器が汚れやすい、汗がべとつく、口の中が粘る、小便の量が少ないなどの些細な水分代謝異常から、食欲が無い・痞えやすい、消化不良、浮腫、胸が苦しく感じる、傷から滲出液が多い、湿疹やあせもができやすいなどのはっきりとした症状までが現れます。 その他、粘性であるため気の流れを阻みやすく、他の邪気と結び付きやすいのであらゆる病気に見られます。 当然、自然界に湿気が増えると、その影響を受けて上記のような「なんとなく、おかしい・・・」といった状態が現れます。 次回、対処方のまとめに続きます。
2013年08月02日
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7月22日の催しました、「いおり いちの会」 にご参加下さいました皆さま、ありがとうございました。 今回は、ちょうど猛暑の真っ最中で、食欲が低下しておられる方もいらっしゃいましたので、そのメカニズムと対処の仕方について簡単に解説しました。 また、きちっとした呼吸が心身にどれほど影響を与えるのか、どうして健康法として世間で大きく取り上げられないのかということもお話しています。 大多数の方が、呼吸瞑想の前後で、身体や心がすっきりとしたと感じてくださいました。 当日の模様を、動画としてアップしましたので、どうぞご覧になってお役立てください。 ※瞑想呼吸法の実際に関しては、プライバシーに配慮して割愛しております。 またレジュメをダウンロードできるようにしていますが、レジュメの内容に沿ってお話はしておりません。 どうかご了承ください。 以下をクリックしてください。 第63回 いおり いちの会 レジュメ
2013年07月29日
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前回に引き続いて湿気について書きます。 湿気が多いのは、日本の気候の特徴です。 この湿気が人体に影響して、様々な病気を生じるようになると「湿邪」という邪気に変化します。 治療に際しては、この湿邪の捌き方の上手・下手が大きく治療結果に現れます。 さて、この湿邪。自然界の湿気=外湿と体内に生じる湿気=内湿とに分けて考えます。 雨の前後や湿気が多い日・梅雨時期などに症状が悪化したり、体調や精神状態が思わしくないとおっしゃる方は、外湿の影響を受けておられるのです。 外湿の影響を受けやすい人は、実はすでに体内の内湿が盛んであることが多いのです。 身体が冷えっぽい人は、冬など寒気の盛んな時期に体調を崩したり風邪をひいたりするのと同じことです。 これを専門用語では、「同気相求む」と称します。内湿は外湿と相まって、気の流れを停滞させて発病させます。 内湿が盛んになる大きな原因の一つには、食生活の欧米化、いや多国籍化があることは、これまで書いてきた通りです。 もうひとつの原因に、服装があります。 日本の着物は、袖口を脇が大きく開いていて風の通りが良いようにできています。 また、下駄、雪駄、草履など、陰邪である湿邪は下に降りて大小便の二便として排出される一方、足元からも発汗という形で排出されます。 僕も、夏場はできるだけ裸足で、治療所では雪駄を使用しています。 街で見かけるビジネスマンを見るたびに、とても気の毒な気持ちになります。 真夏でもネクタイにスーツ。そして靴。 気温の低いヨーロッパでは、理に適った服装でも、日本では拷問に均しいように思えます。体調にも大きな影響を与えます。 一方、露出度の高い服装の女性を見ると、羨ましく思えるのですが、エアコンの効いた電車内で見ると健康面が心配です。 湿気は陰邪なので、時間と伴に下半身に下って行き、しかも陽気を阻みやすいので容易に冷え症を形成するだけでなく、瘀血と呼ばれる病理産物も生じます。 この瘀血、女性でしたらお分かりになると思いますが、生理出血に混じる黒い血の塊がそうです。この瘀血、癌などの疾患形成には必須の邪気です。 なにも服装だけで生じる訳では在りませんが、エアコンの風が直接体幹部に当たらないようにする配慮は、是非とも必要です。
2013年07月27日
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甘味は、気の動きをゆっくりにしますので、代謝の速度が遅くなります。 水分の補給を目的としたスポーツドリンクには、大量の糖分が含まれていることは、前回のブログで記したとおりです。 そして甘味で問題になるのが、体液の循環不全です。 身体に浮腫が現れれば、それとすぐに分かるのですが胃腸内の体液の異常には気がつきにくいものです。 たとえば、お腹を軽く叩いたりちょっと走ったりすると、お腹からチャポチャポと水の音が聞こえたり、大便がしっかりと固まらずに軟らかくなったりすると、その弊害はいずれ何らかの症状として身体は表現します。 花粉症で大量の透明な鼻水の出る方などは、上腹部を軽く叩くとチャポチャポと音の出る方が多いですし、ある種の喘息の人にも見られる現象です。 東洋医学では、水邪と称するのですが、それまでに身体に湿気が多い方も結構いらっしゃいます。 身体に湿気?って、不思議に思われると思いますが、水と湿気とは液体と気体の違いだけで本質は同じもので連続しています。 自然界の湿気をイメージして下さい。 モワーっとした感じで、空気も重く感じませんでしょうか。 身体に湿気が多いと、身体の皮膚はベトベトしますし、大便もまたベトベトします。 そして現れる症状は、雨の前後に体調や症状が悪化する、何となく頭に雲がかかったようにぼんやりとする、身体と気持ちがなんとなく重い、関節(腰・膝・膝・手首・手指等)に何かがべっとりと張り付いたかのようで違和感があるなど、大したことではないのだけれど、「なんとなく・・・」という程度の異常から始まります。 東洋医学では、このような「なんとなく・・・」と言った症状に対して治療をすることができ、病気になる前に手をうつことができます。 しかし病院では、検査を受けて、はっきりとした異常が見つからないと治療の対象にはなりません。 身体にとって適度な湿気は、潤いとして必要なものですが、程度を越えて人体に悪影響を及ぼすようになると「湿邪」と称します。 そしてこの「湿邪」は、アトピーや喘息、癌、精神病、運動器疾患、泌尿器・生殖器疾患など、あらゆる疾患に広く見ることができます。 「湿邪」は、なにも甘味だけで生じるのではありません。 味の濃いもの、刺身・生野菜などの生もの、肉・油脂、ヨーグルトやチーズ・牛乳などの乳製品、おかきや煎餅などのもち米製品などを日常的に食べ過ぎていると「湿邪」が生じやすくなります。 加えて日本の気候風土として高温多湿であるため、衣食住は、この湿気を意識して形成されています。 日常の食生活は、和食を心がけたいものですね。
2013年07月20日
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スポーツドリンクに限らず、ジュース類には大量の砂糖が使われています。 ところで、甘味によって人体の気の流れがどのようになるか、ご存知でしょうか 甘味というのは、気を緩めたり、気の流れをゆっくりにする作用があります。 甘味の作用に関しては、漢方薬の考えが参考になります。 漢方薬でもっとも頻繁に使われる薬種に、甘草があります。 この甘草には、急を緩める作用があります。 急を緩めるとは、気の流れを緩める=ゆっくりにするということです。 激しい葛藤や緊張があると、甘い物が欲しくなるのはこのためです。 この甘草だけを濃く煎じて服用すると、身体に浮腫が起きることは医学界では、広く知られていることです。 甘草は、気の流れを低下させ体液の異常が現れやすくなります。 体液が停滞しやすくなったその結果、どのようなことが起きるかと言うと、浮腫以外にまず大便の不調が現れます。水分の代謝が良くないので、大便がベトベトしたり、排泄後がすっきりとせず何度もトイレに行くようになります。激しいと軟便・下痢を起こすようになります。 ことはそれだけでは治まりません。汗がベトベトするようになり、湿気の多いこの季節ではさらに発汗がしにくくなります。そのことによりさらに体液が気の流れを阻むので、身体が重い・気持ちがモヤモヤとしてすっきりとしない、頭がぼんやりとして何をするのもおっくう、少しのことがプレッシャーになる等々、ここに書ききれないほどの症状や、何となくおかしい・不調などの感覚が、身体と精神状態にまで及びます。 これらの事は、誇張でもなんでもありません。日常の臨床で度々遭遇することです。 これって恐るべきことだと思うのですが、皆さんはどのように思われますでしょうか。
2013年07月05日
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梅雨空から一転好天気。 気温も上がりそうですね。 何度も繰り返し書いてることですが、世間では熱中症予防に水分をこまめに摂るように言われていますが、身体の声を聞いて頭で考えて摂りすぎないようにしてください。 この時期、いつも思うのはスポーツドリンクの害。身体に良いと思ってませんか? 無理もないです、もっともらしく繰り返しCMで流れ、医師によっては勧める人もいらっしゃるのですから。 電解質やミネラルは、通常の食事をしていれば不足することなんてまずありません。 それよりも、たとえばポカリスエット100ml中、炭水化物6.7gと表示されているのをご存知でしょうか。 炭水化物とういのは、果糖・ブドウ糖・砂糖のことです。。 500ミリリットルに換算すると33.5gの糖分が含まれていることになります。 角砂糖1個を約3gとすると、500mlのペットボトル1本に角砂糖11個も入っていることになります。大きなスプーンだと6~7杯にもなります。酢豚にだってこんなに砂糖を使わないはずです。このように見ると、実はとんでもなく濃い砂糖水であると思いませんでしょうか?では、こんなに大量の砂糖が入っているのに、なぜそんなに甘いと感じずに、すんなりと飲むことができるのでしょうか。 答えは、まず大抵冷やして飲むために味覚が鈍麻して甘いと感じないこと。そして酸味を加えているので、さらに甘味の感覚が分からなくなるからです。 砂糖は脳の栄養などと、まことしやかに言われていますが、生理学でも急激な血中の糖分上昇に伴って大量のホルモンが分泌され、リバウンドのように低血糖になると科学的に証明しています。 血糖の急激な上下動は、身体の恒常性(ホメオスタシス)を狂わせるだけでなく、イライラ・切れやすい・落ち着きがないなどの精神状態にまでその影響が及ぶと警告している研究も存在しています。東洋医学からの見地も同じです。 では、100%果汁なら、蜂蜜なら、黒糖なら良いのかというと、答えは同じです。東洋医学は「気」の医学なので、味は「気」の動きや働きに影響を与えます。 したがって特定の味のものが過剰になると、大きく気が一方に偏り、やはり害があると考えるのです。次回に続く
2013年06月29日
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この時期に気をつけることは、身体の水はけ。 外気温が低くしかも湿度が高かったり、またエアコンの中に長時間居るとあまり発汗しません。加えて冷飲食をダイレクトに身体の内部に入れると、徐々に水分代謝が悪くなり、前回のブログに書いたようにまず排泄物にその兆候が現れます。 身体が冷えてるなと思われる方は「生姜ごはん」をお試しください。生姜は、漢方でも使われています。 生姜の辛味は、発散に働きしかも胃気を降ろす作用があるので、とりわけ食欲がいまひとつ・・・と感じておられる方に最適です。 また、身体が火照ったり小便の出ようが少ないように感じ、小便の色も黄色くてちょっと濃い感じがする時は、体内の熱を小便に出す「小豆・ハト麦ごはん」が良いですね。 「生姜ごはん」と「小豆ご飯」のレシピは、下記ホームページに載せていますのでご参考にしてください。 いおり流 健康レシピ ↓ http://www.iori-hermitage.jp/column/recipe/index.html
2013年06月27日
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昨日、講義のために出向いた学校に早く着いたので、近くのドトールコーヒーに入って一息。 お昼時ということもあって、席は満席。ふと見ると皆さん全員が氷のたくさん入ったアイスコーヒー。びっくりしましたよ。うどん屋さんに入っても、ザルうどんやそばを食べてる人を多く目にします。これじゃ花粉症が増えるのも無理はないなと思いました。(理由は、花粉症のカテゴリーに詳しく書いています) このところ暑いといってもそれほど苦痛に感じるほどではなく、朝晩は反って肌寒い日が続いているのにアイスとは・・・と思ってしまう。 冷たいものは代謝を低下させるので、すぐに症状として出てこなくても後々、様々な形で表出してきます。 最も影響を受けるのが胃腸機能なのですが、腹痛とか食欲低下に至るまでに注意して自分の身体を観察すると必ず何らかの兆候があります。 その最たるものが大便の状態です。 健康な大便は、太くて1本につながり、トイレットペーパーが必要ないほどすっきりと排便します。 胃腸の機能が衰えると、大便が軟らかくなったり一度に排泄できないで何度もトイレに行くことになったり、また残便感やなんとなくすっきりとしないなどの兆候が現れます。 また、大便がベトベトしていたり、水で流してもこびりついて便器が汚れやすかったりします。こうなると要注意。食生活を改める必要があります。 先日も、小さな子供が高熱を出していた事例があったのですが、あまりおしっこも出ていない上に、軟らかくべとついた大便しか出ていませんでした。 代謝に異常が起こり、停滞すると気の出入りが阻害されて熱が体内にこもり、発熱するようになっているのです。 この子の場合、常温のスイカを食べてもらい、利尿することで解決しました。水分が水邪となって代謝を妨げていたからです。この子に限らず、この時期に手や足がほてったり、胸やみぞおちの辺りがモヤモヤとしてなんとなく落ち着かない・重苦しいという方も結構いらっしゃいます。 この時期、出来るだけ果物・生野菜・刺身など身体を冷やすものを避けて、適度に身体を動かして代謝を促すことが大切です。 また、甘いものや油ものなどは、体液がベトベトするので反って身体が重くだるく感じるようになりますので、皆さまくれぐれもご養生ください。
2013年06月26日
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6月15日(土)に開催致しました、「いおり いちの会」の動画をアップしました。 今回は、テーマを「梅雨の過ごし方」から「夏の過ごし方」に変更いたしました。 とはいえ台風の影響で、湿度が高くなり不快指数も高くなっています。このような時に最も影響を受けるのは消化器です。 下痢・嘔吐などのように激しい症状から、軟便・排便後の不快感までそれぞれの人の体質により様々ですが、この時期を上手く過ごすと、秋に病気にかかりにくくなります。 とりわけ、ポピュラーな秋の花粉症などは、夏の過ごし方で簡単に治ってしまいます。 この時期、無理に水分を取る必要などないんです。自分の身体の欲求こそが理屈を超えて正しいことが多いのです。 反対に、妙に身体が火照ったり冷たいものが異様に欲しい時には、体内に熱が籠っている場合が多いのです。 外食やファーストフード、スナック菓子などは、味が濃いため内熱を助長して水分を欲っするようになります。 また肉・油もの・お酒などを過ごした上に、クーラーの中で長時間過ごしていても内熱は盛んになります。 汗はかきすぎると、気不足になりますが、全く汗をかかないと内熱もこもりますし、胃腸が水浸しとなって様々な不調が現れます。 現代は、いろんなものが出回っています。最近ではミネラル補給とかで塩アメなるものが各社一斉に売り出したとか。 確かな目を培い、ご自身の身体で実感・確認できるものを選択してください。「いおり いちの会」 前半 動画 約23分 ↓http://www.youtube.com/watch?v=tg14Pf-xbxg&feature=em-upload_owner後半 動画 約21分 ↓http://www.youtube.com/watch?v=fag7yYsraNU&feature=em-upload_owner レジュメ ↓夏のすごし方.pdf
2013年06月19日
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妊娠中からずっと、ケアのために来院してくださっていた妊婦さんから、無事出産のメールをいただきました。 実は、金曜日に予定日を1週間過ぎても陣痛が起らないため、主治医から陣痛促進剤を使用すると言われての来院。 出産は、お母さんの身体の状態と、赤ん坊の準備が整った絶妙のタイミングで起きるものです。 そのような極めて自然の営みである出産に、第3者が介入すべきではありません。 僕も迷いに迷いましたが、陣痛促進剤の使用による事故の危険が大きいと判断して決断。 出産時に出血が止まらなくなる危険を考慮しながら、3穴に8番鍼で瀉法の処置。 処置後間もなくお母さんの下腹部が微かに痛み出し、翌日早朝に破水、陣痛が始まりました。そして日付が変わるころに元気な赤ん坊を出産。 母子ともに順調であること、そして初めて母になる喜びと一緒に、授乳の様子がメールにしたためられていました。 今、僕もとても幸せな気持ちです。 新しい命は、これからどのような人生を描くのでしょうか?
2013年06月09日
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5月18日に行いました「いおり いちの会」。今回は機器のトラブルでDVDでの配信が出来なくなってしまいましたので、当日の内容を何回かに分けて書き記しています。 自分の心身に起きていることは、自分と繋がっている、ありとあらゆるものとの関係性の上で起きています。 たとえば月の満ち欠けと、女性の生理周期や動物界の産卵時期などの関係は広く知られている事柄です。遠く離れた月や太陽と、私たちの心身は繋がっているのです。 そのような視点に立つと、ひとりの人間の身体と精神の状態は自分でありながら、自分以外のものの影響で起きていることでもあります。 私たちの観念や価値観、意識は、生まれ育った外部の環境から受け継いだものです。 今、自分が見ている世界がどのように映っているのかは、その受け継いだ観念や価値観、意識状態によります。 しかし、身体の良し悪しといった状態もまた、目の前の現実がどのように映っているのかに、大きく影響することを忘れてはなりません。 たとえば、飲食の不適切でお腹の調子を崩し、お腹が張ったような感じで排便もすっきりとしない。なにかモヤモヤとして不快感を感じていると、そのモヤモヤとしたすっきりとしない不快感と、目の前の世界が重なって心に映るのです。 つまり、身体感覚が直面している現実世界の印象と結び付いて目に映るのです。 身体の調子が悪いと、現実世界もまた面白くない・辛いものと感じてしまうのです。 精神世界の人は、身体が心に状態に影響する視点がすっぽりと抜け落ちており、医学世界の人は、精神状態が身体影響するという視点が同じく抜け落ちているのです。 『心身一如』 心と身体はひとつのものであることを端的に述べた言葉です。 自分の心と身体に起きていることを知るには、まずはじっくりと自分の身体と心を感じてみること。 そのためには、瞑想と呼吸法が最適です。 瞑想と呼吸法は、費用がかからず簡易で場所を選ばす、しかも確実に効果が現れます。 これまで、便秘や肩こり、腰痛などの不快症状が無くなった。ぐっすりと眠れて朝が気持ちよくなった。自分のパターンに気づいて少しずつ行動や反応を変えて行くことが出来たとおっしゃる方は、たくさんおられます。
2013年06月01日
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18日に行いました「いおり いちの会」。今回は機器のトラブルでDVDでの配信が出来なくなってしまいましたので、当日の内容を何回かに分けて書き記しています。 宇宙のすべての存在は、目に見えるものと、見えないもので創られています。 形の有るものは、形の無い「気」によって創られています。 形の無い「気」は、必ず形に現れます。 スピリチュアルな話ではありません。誰でもが、すでに知っていることです。 例を挙げると、気象情報とは、天気の状態のことですよね。 象とは具体的な「かたち」のこと。「気」とは、その象(かたち)を作っている作用のことです。 夏の雲と秋の雲とは明らかに違います。この雲を作っているのは「気」温の状態です。 雨と水蒸気も同じです。寒「気」が雨を降らせ、熱「気」が水蒸気として再び昇らせ、寒気と熱気が相まって雲を成し、寒気が勝ると雨を降らせます。 液体から気体に、気体から液体へと姿・形を変えるのはすべて直接目には見えない寒熱の気の作用によってもたらされています。 このように「気」は、必ず具体的な象(かたち)を伴います。ですから具体的な象(かたち)から目に見えない 気の働きを捉えることが出来る訳です。 人の表情や顔つきを見て、直観的にその人の感情や体調、気持ちなどを瞬間的・直観的に察知できるのは、誰でもが経験的に知っていることです。 東洋医学では、具体的な身体を通じて「気」の状態を捉える方法=術が高度に発達しています。 直接身体に触れることにより、肉体的な生理機能の状態だけでなく、その人の意識・無意識状態などすべてを察知することが出来るのです。 東洋医学からの視点では、身体が関係性のすべてを表現しているからです。そんな中で、今の自分の状態を自分で自覚するのに最も適しているのが、呼吸です。 「いちの会」の後半は、無意識に行っている呼吸に意識を向け、自分と向き合うことから始めます。
2013年05月28日
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18日に行いました「いおり いちの会」。今回は機器のトラブルでDVDでの配信が出来なくなってしまいましたので、当日の内容を何回かに分けて書き記します。 今回のテーマは『心身の統合』です。 まずは存在することと密接な『関係性』について。 会場にご参加頂いた方々に「ひと粒のお米に何か見えますか?」と問いました。 それぞれの方が「太陽」、「水」、「固いもの」、「風」・・・と思いつくままに。中には「天照大神」とお答えくださった方もいらっしゃいました。大いなるお働きという意味ですね。 「ひと粒のお米」は、無限のつながりによって目の前にあるのだということは、皆様が理解されていることです。 『一即多』。 つまり、ひとつのものは、それ以外の多くのもので出来ているということを現わしています。 一の中にあらゆるものを観ることが出来るのは、唯一人間だけです。 わたしたちは、『万物の霊長』と自らそう称するのに値する存在なのです。 人間ひとりと「ひと粒のお米」が存在することは、同じことです。 累々と連なるご先祖さま、自然の空気や水、太陽。家族や友人、食べ物やそれを作り運んできてくれる人、社会の通念や観念、言葉・・・無限のつながりによって「わたし」は存在しています。そのような目で周囲を見る時、「お陰様」の無い人など、どこにも存在しません。わたしたちが健康に生きたいと願う時、この関係性を無視しては成り立ちません。 「わたし」は、関係するあらゆるものの総体であるからです。「わたし」は、「わたし」以外のたくさんのもので出来ているのです。 それは、周囲を無視して、自分ひとりだけが健康になることなど出来ないということでもあります。このような視点に立つと、自分が健康に生きていこうとする時、自分を取り巻く環境や関係性のすべての影響を受けるのことが明白になります。 それと同時に、忘れてならないのは、「わたし」は限りなく広範囲に影響を与えている存在でもあるということです。 それは身近な人と人との関係であったり、水や空気などの自然環境、生活の場となる身の回りの状態の影響を受けながらも、また自ら影響を与えている存在であることです。 このような存在の根源を無視して、◎◎健康法や健康食品、無農薬・有機栽培の野菜、菜食主義・食養生などをいくら一生懸命に、しかも完璧に行ったとしても、自分ひとりだけが健康に生きていくことには無理があります。 あなたは、ご自身の中に何が見えますでしょうか?
2013年05月24日
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日本では、各地方に郷土料理が存在します。 その土地特有の気候に適った食材を、最も美味しくしかも身体にも良いように、数えきれないご先祖の知恵と体験に培われたのが郷土料理=伝統料理です。 世界を見渡すと、炎暑の地域では体を涼しくする果物。 乾燥する地域では体を潤す牛乳・チーズなどの乳製品。 寒い地域では体を温める肉類などの料理が、それぞれ気候風土と密接に関わる形で今も存在しています。 明治以後、西洋列強に対抗するための富国強兵政策がとられ中央から欧米化が進められました。 それでもまだこの国の伝統の基軸は残っていました。 一変したのは、今次大戦後。 アメリカから大量の物資が流入してきたのと同時に、本格的な文化の崩壊が始まりました。 人々の価値観も食生活も住居も服装も、あらゆる分野でそれは始まりました。 戦争に負けるということは、本当に恐ろしいことだと思います。 とりわけ各家庭の食卓は、昭和30年代に入ってから一変しました。カレーライスに牛乳・チーズ。インスタントラーメン、スナック菓子の登場もこの頃です。 同時に、肝炎の増加、成人病という言葉が使われ始め、雨の前後に子供の様子がなんとなくおかしいと言われ始めたのもこの頃と同時期だと言われています。 当時に比べて、医学が発達して誰でもが安価に医療を受けることができ、しかも上下水道の完備などによって社会的衛生状態も飛躍的に向上し、かつての感染症は撲滅したかに思えました。 が、ここに至って結核の集団感染、O157、インフルエンザなどが流行しています。 そして国民の健康状態は、悪化の一途をたどり、医療保険料の支払い負担が国にも国民にも重い負担となっているこの現状。 さらに花粉症やアトピーなどのアレルギー疾患はもはや国民病と呼ぶにふさわしい状態、癌は誰が罹っても不思議とは感じないほど当たり前の病気になっています。 何かがおかしい・・・と感じませんでしょうか。 病の背景には、気候風土を無視した伝統文化の崩壊が挙げられます。 それは、自然の理に反した狭い考えや生活。 人体という小自然(ミクロコスモス)は、大自然(マクロコスモス)の大きな気の流れと不即不離です。 東洋医学には、天人合一(てんじんごういつ)思想があります。 それは、自然界も身体も同じ「気」の原理で生々流転していると説いています。 本来あるべき生活スタイルは、どこに求めればいいのでしょうか。 やはり、伝統という歴史に学び正していくことが大切だと考えます。 そして、本来の自分自身の自然性を探してみようではありませんか。 健康に生きる秘訣は、そんなところにあります。 手本は、大自然です!
2013年05月18日
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人は何かの目的や結果を期待して行動します。 ところがあまりに結果ばかりに目が囚われてしまうと、疲弊してしまうことがあります。 自分で自分にプレッシャーをかけ過ぎてしまうんですね。 一生懸命に努力して、事が達成できるかどうかは、実は自分以外の要因で決まってしまうことが多い。 たとえば、有名歌手。ほんの一握りの人しか望みは叶いません。 ある人が、一生懸命に努力して有名になることが出来たとします。 はたして、本人の努力だけで実ったのでしょうか? もちろん、本人の意思と努力が大きな要因ですが、ご縁であったりタイミングが良かったりなど、本人以外の要因が大きく関与します。 それを端的に表現したのが、『お陰さまで』と言う言葉です。 同じように、努力したにも関わらず、自分以外の要因で事が成らないこともあります。 これもまた、『お陰さま』です。 どちらも、人知を超えた大きな「おはからい」があるように思えます。 事が成らなければ、自分の努力が足りないと思い込み、ただがむしゃらに取り組んで疲れてしまったり、動けなくなってしまったり。さては自己嫌悪に陥ったり、自分や周囲を恨んでみたり・・・ 結果、心身が疲弊してしまい、数々の病気になるケースを多く見受けます。 受験、恋愛、事業・・・ このような意識・無意識の状態が、病の背景として大きく関わることも多いのです。
2013年05月12日
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これまで、自然界の気の変化と人間の心身の状態はリンクしていることを書いて来ました。 季節の食べ物にも同じことが言えます。 四季が明確な日本では、四季それぞれの風情をとても大切にしてきました。「旬の食べ物」もその一つ。 大雑把にみると、春は自然界に陽気が生じ、それに応じて伸び伸びとした菜の花、小松菜、春菊など緑の葉物がたくさん採れます。葉物は気持ちをのびやかにします。 夏の炎暑季節に採れるスイカ・キュウリ・トマト・桃・梨などの果菜は体を涼しくさせます。 秋は陽気が衰え次第に寒気が忍び寄ってきます。秋の引き締まった気に応じてクリ、大豆、お米など種実がたくさん採れます。種子は植物の卵。秋の収穫物は冬の寒さに向けて体を準備します。 冬は寒気が盛んな季節なのでヤマイモ、ユリ根、大根、など身体を温める根菜といったイメージでしょうか。 それぞれ季節の気に応じた性質を持った野菜が、人体の気のバランスを維持します。 江戸期の医師、貝原益軒が著した「養生訓」には季節のはしりのもの。いわゆる「はつもの」は珍しいが、避けた方が良いと説いています。 「ハウスもの」が当たり前になった今では、季節感が薄れてきただけでなく、季節外れのものが1年を通じて手にすることが出来きますが、やはり注意が必要です。 ちなみに、「ハウスもの」は、工業製品であるとの認識が必要です。 かつては、真夏にしか売っていなかったアイスも、年中口にすることが出来ます。これでは病気にならないのがおかしいくらいです。 現代栄養学は、体を構成する炭水化物や脂質・タンパク質と生理機能に関係するビタミンやミネラルを重視していますが、このような自然界の法則が全く欠如していることが最大の欠点です。 毎日の食事を、どのようなものを、どこで、誰と、どのようにして頂くのかという、「気」の概念が全くありません。 カロリーさえ、ビタミン・ミネラルさえ摂っていれば、体の細胞と機能は健全に運営されると考えるのは、あまりにも狭い捉え方です。 ご自身の実体験を通じて、このように感じておられる方も多くいらっしゃるのではと思います。 四季は四気。自然界の気の変化と人間は不即不離の関係。 自然界の法則を無視(欠落)した考えや生活が、現代病の背景にはあるのです。 5月はサツキ、近くの公園で。
2013年05月06日
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先日行いました第60回、『いおり 健康教室』の動画をアップしました。 今回のサブタイトルは、『理屈だけでは越えられない壁がある』です。 頭で分かっていても体が・気持ちがついてこないといった時は、ちょっとしたことでもかなり疲労してしまいます。 思考と心、身体感覚がマッチングしたときこそ大きな力が発揮できます。 また、身体の状態がそのまま目の前の世界であるということ。 たとえば、排便がすっきりとせずなんとなく不快だなと感じていると、その身体的な不快感と一緒に目の前の現実が映るので、目の前の世界はなんとなく不快に感じてしまうのです。 『こころ』の状態が、身体や目の前の世界に現れることは、精神世界の人によって様々に言われています。 ところが、『からだ』の状態が、『こころ』にそのまま現れるという事実が、見事に欠けています。 イメージしたり気持ちだけでは、どうにもならないことがあるのもまた現実です。 『こころ』と『からだ』の関係は、「鶏と卵のどちらが先か」という問題に相通じるものがありますが、これを思考で解決するのではなく、自分の『こころ』と『からだ』の感覚で捉えるしかありません。 自転車を運転している時が、まさにそうではないでしょうか。 今回の動画、スタッフの三谷くんの力作です。字幕と音楽を挿入してくれました。 皆さまのお役になれば幸いです。 動画 下記をクリックしてください。 ↓ http://www.youtube.com/watch?v=8uj_gCcKrqg 今回使用しましたレジュメ。 下記をクリックしてください。 ↓ 第60回いおり健康教室 レジュメ.pdf
2013年05月02日
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先日、保育所に通う幼い子供を持つお母さんから、最近特に思い当たることが無いのに子供の体調が悪いとのご相談。 お母さん自身も、子供と接している時に症状が悪化するという。 色々と尋ねると、おもちゃを買って欲しい・あれが食べたいというので、買い与えても遊ばない・食べないという。 これです。子供が本当に欲しいものは、お母さんの注意。意識をもっと自分に向けて欲しいという子供からのサイン。 お母さんが忙しくって、気持ちにも体的にも疲れて来た時に限って子供からこんなサインが出る。 お母さんにとっては、ダブルで堪える。 母親って、体力勝負。本当に大変だなってつくづく思う。 さらにこの子、とても聞き分けの良い子だという。 お母さんの事情をちゃんと理解して、駄々をこねないんだそうです。 さびしさや、我慢が限度に達すると、怒りやあきらめになってしまうことがあります。 皮膚病や喘息といった病には、大抵こういった類の怒りが背景になっていることが多い。 あきらめになると、顔から表情が次第に消えてきます。 このお母さん、まずはご自身のために治療に来られています。 人縁・地縁から切り離されて核家族化した都市生活者。 とりわけ子育て中のお母さんには、サポートが必要だなと思う。
2013年04月27日
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癲癇(1)の続きです。申しおくれましたが、大意は損なっていませんが、プライバシー保護のために僕が取り扱った事例に脚色を施した架空の物語であることをご了承ください。 いつも学校から帰って来るとぐったりとしていた。そんな彼女が祖母の畑の手伝いも出来るようになってきた頃から、僕の問いかけに、ボツボツと応えてくれるようになってきた。初診から1年は過ぎていたように思う。 祖父母と両親と姉の6人家族。「私の本当の気持ちを分かってくれるのは、おばあちゃんだけや。」 本人のつぶやきのような一言がきっかけだった。 次第に分かってきたことは、家庭内で父親は支配的で、「私は奴隷」 と言う。 ショックだったのは、姉もまた彼女に布団をかぶせて動けなくしたうえで、大した理由もなく、殴る・蹴るの暴行を加えていたことだ。 母親にそのことを訴えると、逆に自分の非を説教される始末。次第に何を言っても無駄なのだと諦めに変わって行った。 母親は、ケンカ両成敗でどちらにも味方しない姿勢を貫いていたが、起きてる事の重大さの認識が欠けていた。結果として傍観者になってしまっていた。 かつて姉も治療したことがあり、屈託のない明るくかわいい表情を見せる子だったが、そんな彼女にも人に見せられない闇を持っていることを知って、なんともいえないまんじりとした気持ちになった。 何度か母親と話す機会はあったが、解決には至らなかった。 父親は、何故か僕と接点を持つことを極度に避け、最後まで一度も話す機会はなかった。 その分、母親は淡々と毎週娘をつれて通院を続けてくれた。今思えば、母親が出来る精一杯のことだったのだろうと思う。 そして本人が中学生にあがった頃、遅い反抗期が訪れた。切れるようになってきたのだ。 あれだけお母さんのことが大好きと言ってた子が、お母さんに対して暴れる。 幸いなことにお母さんは、戸惑いと動揺の中、起きてることに理解を示して、しっかり受け止めることができた。 学校では、好き!嫌い!と、はっきり感情と意思を表現することが出来るようになり、かつて彼女を無視したリーダー格の同級生が、逆に彼女に仲直りを申し出てきたことなど、今までと状況が大きく変わってきた。 そのころには、右に大きく側弯していた背骨もほぼ真直ぐになっていた。 そして彼女が高校に合格したころ、ついに喜びと共に僕から離れて行った。足かけ5年の濃い関係だった。 幼い子は、親になにがしらの問題があっても、大切な親のマイナス面を人に知られたくない気持ちからか、親をかばう傾向にある。やはり親は自分のよりどころなのだ。 現実をありのままに受け取るにはあまりに辛いと、背骨を曲げてでも感覚を閉ざしてしまう。 そして幼いながらに、自尊心も持ち合わせている。 自分の辛い状況を訴えることは、自分のみじめさを感じることになるからだろうか、自分ひとりの中に抱え込んでしまうことがある。みじめと感じている自分自身を誰にも知られたくないのだ。 病の背景には、本人を取り巻いている環境にその問題の根があることが往々にして存在する。 このケースの場合、父親の権威的・支配的な圧力への反発が、末っ子の彼女で行き止まって出口が無かったことによるのだと思えた。こういったケースは、度々遭遇してきた。 また幼いながらも、自尊心が傷つくのを恐れるあまり、一切口を閉じてしまったり、本当に自分で自分の事が分からなくなってしまっている子供に何度も出会った。 こちらが心を砕いて接しても、子供に激しく拒否をされて治療関係が終わってしまうことも1度や2度ではなかったことも、ここに付けくわえておきます。 僕も手探りだったのです、あの頃も今も。
2013年04月25日
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抗てんかん薬を服用しているにも関わらず、癲癇発作が起きてしまうとのことで来院した当時小学5年生の女の子。脳波にも、はっきりと異常が現れているという。 脳の異常(脳波の異常)は、結果であり原因ではない。 ここを履き違えて、結果だけに着眼して医療介入すると、解決しないばかりか薬を飲み続けることになり、体も人生も益々混乱するようになる。更年期障害などは、その最たるものだ。 身体を診ると、背部の背骨が大きく右に側弯している。加えてみずおちのところが、大きく盛り上がっている。 本人もまた、服を着ていてもそれと分かるので、コンプレックスに感じているという。 以前、耳下腺炎で高熱と腫れ上がって痛む頬が、一度の鍼治療で良くなっている経緯があり、母子ともに信頼のまなざしを向けてくれるので、意志の疎通が取りやすいはず。 だがいまひとつ病の背景が見えてこない。 背骨とみずおちについて、少し解説します。 鍼灸医学では、最も重要な全身の陽気の通り道を督脉(とくみゃく)と称し、背骨は、ちょうどその督脉のルートにあたる。 その背骨が、大きく側弯しているということは、何らかの事情によって気の流れを大きく堰き止める必要があると理解される。 みずおちの部分は、心下と称してこの部分に邪気が詰まると、病の種類がなんであろうが意識障害を起こす。場合によっては、落命することもあるので鍼灸家にとっては一心の目の付けどころとなることが多い。武道の当身も、この部位である。 主に感情・無意識領域の抑圧、食べ物の誤り、劣悪な生活環境、過度の疲労などによって生じることが多い。 日常生活で変わったことがないか、母親に聞くと最近不登校気味だとのこと。 いつものことながら、本人に何を聞いても分からないと反ってくる。 毎週1回の通院。治療のたびに、たわいもない話をするのだが、僕には病の背景を掴みたい意図がある。 治療を加えると、みぞおちの盛り上がりが次第に取れて来る。 幸いにも、治療経過の中で一度もてんかん発作が起きなかったことが、さらに母子の信頼に繋がり、毎週きっちりと通院してくれる。 通院半年過ぎたあたりから、次第に分かってきたことの第一は、集団登校時に下級生の面倒を見ているのだが、誰もが好き勝手し放題。 本人なりに苦労して学校までたどりついてやれやれとした思いでいるのに、誰からも感謝されない。このことに腹が立っていたこと。 そして学級内のグループのリーダー格の子から無視されていることなどが次第に分かってきた。 その後、あることがきっかけで下級生に怒ることが出来るようになり、ほぼ同時期に無視されていたグループから別のグループにタイミング良く入ることができ、無視されることが苦痛でなくなったと話す。 しかし、事は、それだけではなかった。
2013年04月23日
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20年近く前、お母さんに連れられて来院した小学生の男の子。 授業中、落ち着きが無く、しかも突然奇声と共に教室から出て行っていなくなり、学校中が騒然となることが続いているという。 家庭内で変わったことと言えば、とにかくお風呂に入らない。入れようとすると泣き出して暴れると言う。 治療を求めて、遠く県外にまで足を運んだが良くならず、知り合いの紹介で僕の所に来院したという経緯。 ベットに仰向けに寝てもらって、目を閉じるように言うと、まぶたが細かく動いている。一瞥して気が昂っていることが分かる。体に触れると、どこもかしこもカチカチに堅い。とりわけお腹は、炭火のように熱く堅い。 「なにか我慢してるの?」って聞くと素直にうなずく。 どうやら習い事が嫌でたまらないらしい。 4人兄弟の末っ子で、毎日が習い事。お兄ちゃん達が、親の期待以上に出来ていることも、どうやら負担になっているよう。 本人に、「どうして我慢しているの?」って聞くと、泣き始める。 ピーンと来ました。この子は、お母さんが大好きだからです。 治療を終えて、お母さんの前で一緒に、「この子はとても我慢していますよ。なにも言わなかったのは、お母さんが大好きだからなんだよね。」って話すと、この子は「コクリ」とうなずいたその時、小豆のような大きな涙粒がうなだれたお母さんの目から落ちた。見ていた僕には、ボトボトって音が聞こえてきそうなくらい。 そしてお母さんが、「主人が、人さまの目につく仕事をしているので、子供たちにはそれなりの振る舞いが出来るようにと教育していました。」 「でももういいです、全部やめてもいいです。」 と言ったその瞬間の、男の子の安堵とうれしそうな顔。 熱くなった鍋のフタがパカパカ音を立てて動くように、気が鬱滞して熱になると、落ち着きが無く衝動的な行動をとるようになります。お風呂に入りたがらないのも、当然のことです。 この子の場合、この1回の治療で治りました。 母子ともに、深い愛情で結ばれている。ただ、掛け違いがあっただけ。 病の背景には、このようなこともあるのです。
2013年04月20日
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昨日、あるお母さんからたまたま子供の夜尿症についての相談を受けた。 過去10人に満たない数しか診ていないが、9割以上解決している。共通していることは心理的要因がかなりの割合を占めている。 鍼灸治療を行うことで、すぐによくなる子。よくなったり悪化したりを繰り返しながら、次第に良くなっていった子。ほとんどは後者だった。 夜間におしっこが出てしまう理由は、2つある。 ひとつは、体が十分に出来ていないので、水分をキープしておくことが出来ずに漏れてしまうタイプ。 ひとつには、何らかの心理的負担によって体の上下の気のバランスが崩れ、お臍から下が冷えておしっこが出てしまうタイプがある。 前者であれば、鍼灸治療が問題なく抜群に奏功する。後者は、鍼灸治療で上下の気のバランスを計りながら、夜尿症という現象を起こしている背景を母親と一緒に探し、解決の道を探る。その際、母親からの情報がとても重要になって来る。 治療の経過の中で、悪化した時にこそ病の背景を探るチャンスとなる。これはなにも夜尿症に限らない。 その際、気をつけなければならないこと、これまた2点 ひとつはお母さん。母親が自分のせいでなっていると責めないように配慮すること。真面目なお母さんほど罪悪感を持ってしまう。そして、焦らないで、叱らないでゆっくりみてあげること。 ひとつは本人。小学生にもなると、ちゃんと表現しなくても自分で恥ずかしいという感覚を必ず持っています。そこに叱責や周囲が騒いだり焦ると、益々心理的負担が大きくなって病を長引かせる。 20年くらい前になるが、ひとり記憶に残る子がいる。いつも治療所に来ると「怖い、怖い」と言ってた当時小学3年生の男の子。何が怖いのか本人にもお母さんにも分からない。 お父さんが突然の事故で亡くなられ、家を引き払ってあるところでお世話になっておられた。やはりそれなりの事情があった。 この子は3人兄弟の末っ子。ある時、やっと上の兄弟から暴力を受けていることを話してくれた。 それ以来、その子は来なくなった。 今思えば、きっと上の兄弟たちも、やり場のない思いでいっぱいだったのだろう。その時の僕は、何もできなかった。
2013年04月18日
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ブログ友達のアンクルガーデナーさんが、確か昨年家庭菜園で自然薯を植え付けしてたのを見て、いつか僕もと思っていたところ、先日帰省した実家の畑を手入れしてると自然薯の種イモが見つかった。 早速自宅に持ち帰り植え付け。 このイモは10年くらい前に、天然の自然薯を頂いたときに一部を切り取って植えつけていたもの。 写真では分かりづらいですが小指くらいの大きさなので、これは多分「むかご」が落ちて根付いたものでしょう。 この種イモを塩ビパイプにメッシュでフタをして土を入れて植え付けます。 これ、僕の独創ではなくアンクルガーデナーさんのペットボトルを組み合わせて使ったものをヒントに作ったものです。 植え付け完了。 芽が出てきたらベランダにつるして、メッシュの下にペットボトルの水タンクを装着して終了です。 どのくらいで食べることが出来るようになるかは分からないのですが、成長を見るのが楽しみであります。 今年は、例年以上に忙しくなりそうなので、ガーデニングどうしようかな~って思ってましたが、規模は少々縮小しますが、やはり今年もやります。 これから何かと楽しみ事が多い♪
2013年04月15日
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春夏秋冬の気の変化は、朝・昼・夕・夜にも当てはまる。 朝はゆっくりと動き始め、昼は活発。夕方からはテンションを次第に落とし、夜は動きを止めて安静にして休む。 これが自然界の理、法則です。絶対不変。皆さまの一日を振り返ってみてください。 昼は活動・緊張・解放。 夜は安静・弛緩・守り。 こんなイメージです。 朝、ゆっくりと動き始めるには、夜気持ちを落ち着けて早い目に寝て早起きすること。 夜が遅いと言っても、せめて自然界の陰気が最も深まる12時までには就寝する。 たったこれだけの事でも、現代人には難しかったりする。 仕事、テレビ、パソコン・・・ 夜の時間の延長は、じわりと心身に影響する。 睡眠時間の不足は、知らず知らずの間に人をイライラ、興奮気味にさせる。 イライラは、本人だけではなく、周囲にも悪影響を与える。 であれば、少しの事でも出来ることから始めましょう。 1.家に帰ったら、パブリックな自分からプライベートな自分に気持ちを切り替える。 2.夜遅くに飲食をしない。とりわけ就寝直前の冷たいものを止める。 3.心を忙しくさせるような、テレビ、パソコンをひかえる。 4.明日の事を今考えて煩わない。 等々、夜は冬の季節をイメージしてそれぞれの日常生活に取り入れてください。 少しずつ、何かが変わってきます。 「早寝・早起きは三文の得(徳)」ということわざがありますが、三文(わずかな)どころか積もり積もれば知らない間に大金になります。 ちなみに得=徳と理解されているようですが、徳という文字は、真っ直ぐな心を意味します。 早起きすると、心が真っ直ぐになる-心の鏡に、当たり前の事が当たり前に映るようになる。
2013年04月14日
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前回のブログで『秋から極寒の冬にかけては、どちらかと言うと保守的。春から酷暑の夏までは解放・革新的』と書きました。 自然界のすべての生き物は、季節の移ろい(気の変化)とリンクする。 植物は、春は芽を出し、夏は花を咲かせ、秋には実をつけ、そして葉を落とし冬に備える。 動物も人間も同じ。 秋から冬にかけては、気持ちを落ち着け、体の体温(陽気)を体内に温存するのが自然の理に合った生活。 種子が、冬の間は固く殻に閉じこもり春に芽を出すように。 過剰な暖房は、春季の状態になるので人体の気も外・上に向かう。 上に向かうとのぼせて落ち着かず、イライラする。そしてなんとなく眠りも浅くなる。 気が外に向かうと体内の内臓の陽気が不足気味になる。 さらにそれだけではなくて、生野菜・アイス、ジュースやビールで体内を冷やす。 するとなんとなく便が柔らかいか便の出が少ないようになる。 大きな異常は感じないまでも、排泄機能は低下している。 そして本当の春がやって来る。 種子の中身がスカスカで芽が出ない。 低下した排泄機能で、ため込んだ邪(本来排泄されるべきもの)が体の上半身、体の表面に出ようとしてくる。 体調が狂ったり、病気が出てくるのは当然。 この状態が現代人。 阿嘉島の空 花粉症・喘息(上半身)、アトピー性皮膚炎(体の表面)、精神情緒の異常(神気の異常)等々・・・ 病の原因は、生活の中にこそあります。
2013年04月08日
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気がつけばもう4月。サクラの見ごろも今日まででしょうか。 昨日、往診に行ってる道中で少し汗ばんで来ました。一週間とか1ヶ月と言った短い期間でも、変化の大きい時期です。 当然のごとく、自然界の変化の影響を受けて、自分の気分や体調、行動も変わってきます。 秋から極寒の冬にかけては、どちらかと言うと保守的。春から酷暑の夏までは解放・革新的。 冬の寒さ、夏の暑さを当たり前のように受け入れるから春・秋を楽しめる。(夏がうれしい、冬が好いという人もいるでしょうが) このギャップと変化こそが、実は人生を豊かに彩どる。 冬は暖房、夏はクーラー。現代人にとって、無くてはならないもの。 だが快適さは、変化とギャップを感じなくさせる。 夏の暑さも、冬の寒さも、本来は受け入れるしかない。 夏に涼を取り、冬に暖を取る。自然な人間の営み。 快適さは、誰もが求めること。 だが、どっぷりと人工的な環境に浸ってしまうと、病弱になるのは当然の理。 現代病は、このような背景を持っている。
2013年04月06日
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今日から弟子の三谷くん、約2週間の自動車教習所の合宿に参加します。 そこで三谷くんへの指示をいくつか。 1.鍼灸学校や普段やっている勉強道具は、持っていかないこと。 2.宿泊所のテレビは見ないこと。 3.スマホもメールの確認以外はしないこと。 要するに、教習所の学習以外は、何もしないでヒマを持て余すことが指示の内容です。あとやっていいのは坐禅のみ。 宿泊所も、人里離れた山の中にあるらしく、好い環境です。 これはどういう事かと言うと、日常の一切から離れて、ぽつんとただ過ごすことが、人によるとは思うのですが苦痛なんです。何もしない、何もすることがないということは、心の飢餓感を生じさせます。 かつて僕がまだ若かりし頃、師匠の指示で、10日間テントを持って山中に籠ったことが事があります。書籍・ラジオ等の一切を持たず、ただ10日分の食料をだけを持って。 あらゆる面で飢えるということは、現代人にとって必要なことだと思う。 飢えることによって、人恋しさや勉強すること・仕事することがあることへの喜び、食べることの有り難さを実感することが出来るんです。 考えてみてください、普段人間関係で悩んでいても、山中でひとり籠っていてたまたま通りがかった登山者に出会った時、どれだけ人とふれあうことで喜びと安心が生まれるか。 人間という文字が示すように、人は孤独という心の飢餓には耐えがたいんですね。 鍼の勉強も、肝腎のところは教えない。ある程度の勉強の道筋はつける。真っ直ぐにやってると、必ず「わからん!」ってところが出てくるんです。そこを簡単には教えないんです。 飢えて飢えて、う~ん!ってなった頃合いを計って、ちょっと教えると、あたかも砂が水を吸うように入っていくのです。 与えられたり、強制されたりしてする勉強なんて本物じゃない。 飢えて求めて求めて、やっと手に入れたものだからこそ自分の宝になるのです。 何かを求めてやまない人、何か満たされないものを感じておられる人。それがなんであろうが、生きているからこそ、もっと素晴らしい人生を実現したい、そんな自分の深い魂の欲求でもあるんです。 飢餓と豊かさは、陰陽表裏の関係で、さらに突き詰めれば、ひとつのもの。 絶対的貧困はもはや存在しないこの国に住んでいるからこそ、言えることだと思います。 この国においては、飢えることって豊かさに直結するんですよ。 ハーベストの丘にて
2013年03月23日
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