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なんと早朝4時に目が覚めてしまった。
すっきりとしない、心の引っかかり。なんとも、やりきれない気持。
そう、昨日の往診だ。
絶対的な信頼を寄せてくださり、5年余りの間ピッチリ定期的に受診下さってた、ある高齢者の方。
昨年から、度々転倒しておられる。
昨日もお伺いすると、顔に青あざ。
どうしたの?と聞くと、また転倒したとのこと。
おかしいと思ったので、聞いてみるとどうやらパーキンソン治療に使われる脳神経に作用する薬を服用しておられる。
近くに住む、主たる介護者の方に来て頂いて話を聞くと、様々な検査を受けた結果、ある種の認知症だと分かり服薬させているとのこと。
これで分かった。いくら患者本人に薬をやめるように言っても止めなかった理由が。
病院の医師からは、「転倒と薬の副作用とは関係ない」との説明を受けたとのこと。
ここで怒りが爆発しそうになったのを抑えに抑えて、ゆっくりと話す。
高齢になると、機能が衰えるのは自然なこと。
こういった自然現象に、外部からお薬で介入すると様々な弊害が出てくること。
服薬を開始してから、期待した症状の改善が見られないのに、漠然と服薬を続けていることの危険性も話したが、逆に病院での治療と鍼灸治療の併用は出来ないのかと言われる始末。そんな患者さんはいらっしゃらないのかと問われる。
確かに人工透析を受けながらとかインシュリンの投与を受けながらというケースはある。またステロイドなどのホルモン剤や精神薬の離脱を目標に治療していることもあるが、それぞれ差し迫った命にかかわるような状態だからだ。
身体の正気が弱っているから、ちょっとしたことで興奮して手が震えているのに、治療薬で緩めると、正気の弱りが前面に出てくるから転倒して当然と、いくら説明しても埒が明かない。
次第に分かってきたことは、主たる介護者として、他の身内に対しても、何もしないで放置することに抵抗があるのだなということ。
このエネルギーが僕には、強烈に堪えた。 人としての温かみが感じられないのだ。
主たる介護者の方自身、2重、3重にご自身を守っているように感じたので、気の毒と言えば気の毒なのだが、話が通じない相手だと分かったので、場を辞することに。
患者さま本人は、今後病院を受診しないし服薬も止めるので、今まで通り鍼治療をしてくれと懇願されたが、断った。
好きな恋人に別れを告げるような気持だった。
患者本人は良いとしても、本人が世話にならないと生活していけない、ある意味で実権者の[主たる介護者]の意識が邪魔して治療にならないからだ。
そんなエネルギーの場に、入っていけない。
ご家族、ご親戚でよく話し合われて、病院での治療を中止するのであればお引き受けする。
ただし、鍼灸治療を続けたからと言って、著しい症状の改善は期待できない、ただ、人間らしく穏やかな最期を迎えることは可能だとだけ伝えて、その場を辞した。
我々鍼灸師は、医師の治療を妨げてはならないと法で決められている。服薬を中止するよう指導することは法に反する。
また、鍼灸師には診断権がなく、死亡診断書を書くことができないので、最後は医師にかからざるを得ない。
苦しんでいる場合は別として、なにもせず、ただ命の行く末を見守るような医師はなかなか見つけがたい現状がある。
いくら鍼灸治療をしていても、医師にかかっていなくて死亡した場合は、不審死として扱われる場合がある。
そんな医療制度の中にあって、病気が治せる鍼灸師はリスクも大きい。
それでも挑んでますよ。
信頼してくださる患者さんに支えられて。