Happybirthday!より愛を込めて

父の癌と私の戦い



 家族の了解のないまま80歳の父にストレートに。
 ”下咽頭癌ステージ4 頸部リンパ節転移ステージ2、、、”と

 以下、家族(私だけ出席)の告知の時の会話です。

 根治を目的としない治療。(私/延命ですか?治療ですか?)
 これから行うことは 治るための治療ではありません。
 とりあえず33回放射線をあてましょう。
 多分最後までできないと思いますけどね。必ずこの癌で死にます。
 癌との共存はありえせん。必ず 遅かれ、早かれ死にます。

 ***死際をきれいにするためやるのです。(のどの癌は血膿が滲む)          

 ステージ4です。5はありません。(本人には5段の4だと説明)

 80歳を過ぎていても手術は可能です。(医者は手術がしたい)
 やってみますか?ただし声帯も切除しますよ。
 ぼけられたら放射線治療はとりやめです。(動くから)

 この癌に放射線は効き目はありません。(それでもやる?) 

 これが医師から受けた説明でした。
 医師は最後の最後までなんとかしてくれようと思っていたのでしょうか?
 誠意はみじんも感じられませんでした。

 良いですか?1ケ月以内に決めて下さい。手術を受けるかどうか。

 その後はなにがあっても知りませんよ
    リンパ節廓清は必要です。

 本人の免疫力を高めたいという私の考えは全く否定されました。

 手術を断わったら以後の診察は、担当は20代の若い医師に変わりまし 
 た。病院の紹介では今年医師になったニューフェイスだそうです。

 手術の祭 声帯もとるので、声が出なくなります。話すことができなく 
 る。

 (急に長期の入院となることになったので一度家に返して下さい。やりの
 越したことがあると思います。整理する時間を与えて下さい)

 あの年齢の方にそんなのないですよ。(何それ?)

 放射線科の医師との会話/25回目の時治療をやめさせてもらおうと思っ 
 た時の会話。
 100年の臨床データーがある放射線です。
 あなたの”免疫力向上”とやらは、テータ-が揃っているのですか?

 途中で放射線をやめたら全て水の泡です。無駄になります。
    でもこれ以上はやりません(これ以上やると死ぬからですよね。)

 最後は苦しんでお亡くなりになるでしょう。下咽頭癌は苦しみます。
    その時はモルヒネを使いましょう。

 素晴らしいドクター方へ
    あなたは、この治療を身内にできますか?
     愛する子供にできますか?
       愛する妻に同じように伝えられますか?

         あなたは人ですか?
           。。。と思いました

  ここで、医師とは関わらずに父を助けたい!と思いました。

**以下これからの日記は抜粋ではないので前後全く関係ないおめでたい事が書かれていますが、笑って見過ごして下さい。一気に入力するので誤字脱字もたくさん 笑えます。当時は癌日記にならないよう少しでも明るく書きました。**

 しばらく日記をとめていたわけ/父の癌宣告

平成15年12月嫌な予感それって癌ですか?


一月、明日父が入院します


入院<生活馴染まないa/>


”癌ですか?”電話では お答えできません。

診断書受け取る。一枚のファックス書かれた文字。ステージ4下咽頭がん

検査尽くめの入院生活

この間図書館の癌の本、三大癌治療の本、免疫学の本、ネットでの検索。扱く立願センターのホームページ調べまくる。ほぼ絶望的と知る。
癌掲示板に思う事,

放射線治療の為の抜歯。毎日2本歯を抜かれる苦しみ.虐待です

抜歯はやめて下さい!いらつく看護士の対応

介護帰省パスの申請。お父さん待ってね

父の誕生日 病院にて”おめでとう”80歳


携帯フォーマを2台購入。テレビ電話で(隠れて病院で)孫の顔を見せてあげました。心の満足は免疫力をあげます。
父の遺言を傍らでききました。私は故郷後にして、

眠れない日が続きます

退院させて下さい。病院にお願いする。ボケが心配

やはり家が一番久しぶりの元気な父の声。よかった!!
外来放射線治療始まる。いとこ夫婦に御世話になります

つらい治療。発熱、痛み、食欲不振。長い冬


この治療は死際をきれいにするため根治はあり得ません。。癌との共存もあり得ません!必ずこれで死にます。、、、医者の言葉忘れない

帰省/放射線医師と会う、実際治療を行なっているのは意志ではなくレントゲン技師


代替療法はないのか、免疫力を高めたい。 ハーブの力にすがろう。neways

残されれた免疫力,創られる免疫力を信じて


代替療法、母の迷い、限界”あんたは医者なの?”


ノニの力?。


放射線治療のただれがひどい、病院からはステロイド剤がでました。とても不信感

 医学効果はないというけど、栄養をつけて、免疫力を高めたい

ことくらいしか 心のたよりはない。他にどうすれば?。何かあれば教えてほしいと思う。



手術はできない。抗がん剤も無理。放射線は決められた回数だけ。 癌難民です。
身体の抵抗力をつけたい。ただ、それしかないかな、、、と。

**ちなみに、放射線治療は、咽頭癌、リンパ節がんには効果ないと言われたのです。それが、こういう結果になりました***
残り13回
付き添って。放射線治療,やめて下さい

西洋医学の限界を感じる。限界までやりたい医師.

これ以上の治療をやめて下さい。


とうとうおこった放射線治療の自己報告/朝日新聞


かなりきつい放射線治療。最後までがんばると言う父

放射線をやめさせたいけど、、、3/13
源発の癌が消滅しました。なのに医者は、転移したリンパ節廓清の手術をすすめます。ちょっと良くなったら医師は、手術をしたがるのです。それが西洋医学の癌治療ですか?手術をしていたら今の父はいません。父の気力がもたせたのか、 私の治したいという気持ちが通じたのか、、、。

偉いお医者様代替え療法の理解を!!父の近況


5月の帰省、春を迎えられたね。釧路の遅い桜満開

父と美術館。奇跡です

夏に会おうね!約束


一日一日に感謝。母も同じです。母もサプリをつまみ食いしていたおかげでとっても元気、プラシーボ、気休めでも なにか身体にいい物をとっているという安心感でしょうか。介護申請も要支援に変わりました。でも相変わらず外出はしません。
夏休み、孫とドライブ


9月 父は元気です。一日一日の老化はしょうがない。二人寄り
  添って暮らしています。おかげで私も毎月の帰省が間隔を開けられるよ
  うになりました。

10月 特に変わったことはない。今月も帰省はいらないようだ。常に、
   従姉妹に連絡を取り様子を伺う。今のところ大丈夫。。

H16,11,6 父が歯痛を訴え近所の歯科へ。
  歯槽骨が、溶けているということで口腔外科を紹介される。
   あとで電話で状況をきく。歯骨、顎の骨に異常が。事情を説明し
   た。。。
 ”放射線性骨髄炎”と診断された。

  **1年前に 癌の再発を考えて顎の骨に放射線をあてるので顎の骨が 
  溶けますよ。と医者が言ったいた。(日記を見て思い出した)でも、1 
  年も命はないでしょうから、心配することないでしょう。(ひどい)

  今ちゃんと生きているじゃない!医療ミスか?

  口腔外科の医師は全身麻酔で全て抜歯しなくてはならないと。

  末期の癌患者に手術を伴う治療は、無理。その他の簡単な治療もできな  
  いと間接的にいわれる。

  口腔外科の医師も”余命は長くないでしょう。今、骨髄炎が問題
  ではなく確実に100パーセント転移するでしょう。治療はできません
  痛みや熱がでたら入院して点滴をしましょう”敗血症か。。


 骨髄炎か。。。 

11/22、再度口腔外科の医師に説明を聞くため。帰郷

  (口外)医師は、話すことは特にないと仰る。電話で説明した通りです
  治療はできません。茨城からこのためにわざわざ来ているのに!
   耳鼻咽喉科の医師と連絡を取り合ったに違いない。電話では良い方  
  だったのに、実際会いに言ったら全く待遇が違った。一本だけ残った前
  歯は切ってあげますと言ったのに。。

  この日、突然父の体調(胃と心臓)が悪くなり予定外の入院
  食べ物が通らない前兆はあったが、様子がおかしい。
  いろいろな検査をする。水1滴さえ飲み込めなくなった。何故?

  絶食(水分はいっさいダメ)(皮膚から吸収させよう)、

  隠れて舌下と皮膚に塗るといいと言われたけど?。 たとえ気休めのサプリでも絶つことに 
  強い不安。**実は夫に頼み、長男礼服を作ってもらう。私も覚悟。 

11/23、入院に伴って母が9ケ月振りに外出。父のお見舞いの為。母が 
  外に出るというのは快挙。記録しておこう
  絶食。造影剤をいれ胃、食道部、CT検査。冠動脈カテーテル検査は中止     
  一抹の不安がよぎる。点滴の中身に
  ちょっと力不足を感じた。生命維持だけ。。これじゃ免疫力は減ってい
  くと感じた。

11/24、できることは、皮膚から入れること。唇にぬってなめてもらう
  と。舌下に落とし吸収すること。たくさんたくさんくり返す。
  父も、まだ生きたいと言う気持があるらしく、頑張る。がんばって。


11/25、検査の結果 血液は総べて正常値。
  骨髄炎の様子はないとのこと。癌の転移も源発のあともみられないとの 
  こと

  循環器の医師が驚く。
  サプリの事を医師からわざわざ自宅に電話して下さり訪ねて下さっ
  た。

11/27 まだ父は入院。点滴もはずされ25日以来、薬の投与もなく
  しばらく入院 手持の栄養サプリで補充
   ただ、ドクターが感心しても、 医学的根拠、データはない。
  ”お父さんにはこれが一番あうようですね”
   こんなお医者様始めて!始めて!うれしい!

  もはやここまで、、、、と覚悟していたがなんとかピンチは去ったよう
  だ。御正月が迎えられるかな。

  御自分の臨床データーのないものを扱って下さったドクターに感謝。そ
 れも入院しているのに本当にありがたいこと。ドクターの立ち場を考える 
 と本当に感謝。

  実際世の中には民間療法でも良くなっている方がたくさん入ることを
  混合治療として認めて欲しい。

このようなお医者様なら多くの患者さんを人として扱いすくって下さるのではと思った。父が心から慕っている先生である。今回いつもお名前だけだったけど、いつか御世話になっているお礼を言いたいと思っていた。まさか予定外の入院でこのようなことで御縁ができるとは思わなかった。
今までに出会った素晴らしいお医者様の独りだ。

1人は静岡の、渋谷直樹先生(脳外科、東洋医学、気巧他独得の活動されて
              いる。著書も興味深い。全国で講演)
   東京の、萩野仁先生(耳鼻咽喉科、とても温厚な方。サプリメント、  
       等に詳しい。治療方法等をホムペで紹介し、患者さんの質問  
      にも答えて下さる。芸術家。奥様は高校の時の私の同級生)
そして、釧路医師会病院循環器科、中村先生(父が信頼している)

大正12年1月30日生まれ。
旧制中学を卒業後、国鉄職員として勤務。
退職の最後の仕事は、青函トンネル開通の企画の仕事。
剣道7段。若い頃アイスホッケーのゴールキーパー、野球などスポーツで身体を鍛える。79歳まで寒い釧路の寒稽古で身体を鍛えていた。70才で大腸癌の大手術、
79歳で黄班変性で右目を完全に失明。

とても優しい父。年をとってから母と二人ラブラブ。
母は現在足が悪く全く外出をしない。母と父の二人暮し。週に一度ヘルパーさんが来てくれる。今は元気で毎日母のかわりに買い物に行く。晩酌は毎晩ビールをひと缶、日本酒を2合。しつこいほど娘にいわれてしぶしぶnewaysのサプリを飲んでいる。 

12月ヘルパーさんにお願いしたこと。
父の介護保険30分を利用して母の訪問のあと、
栄養補給のため父のサプリ詰めをお願いしたのです。朝昼夜とジッパー付きの小袋にいれてもらうのです。そして曜日を書いた大きめのジッパー付きの入れ物にいれてもらうのです。

母はそれを曜日にあわせて父に出すのです。

父は飲むだけです。以前は母が出さなければ全く忘れたように飲まないのです。二人とも年ですから。。。。

12月10日
二日に一度電話しています。今のところ元気。風邪ひかないでね。
完治とは、思っていない。癌は常に再発の危険を感じている。
ちょっと胃がやられてしまいました。

H17、1、1
元気よく?正月を迎えた。年賀状を手書きで500枚書いたと言う。
右目が見えないのにね。おいしいお酒を飲んでね.

最後のフライト父を看取る覚悟の帰省 8月4日 その後退職。 


H18,8,26

父死去

父の脈が消えたのをこの指先で確認。母と私と従姉妹に看取られ 静かにこの世をさりました。
最後に聞いた言葉が何だったか記憶にありません。
ドクター、ナースにお礼をいい病院の裏から去ったのを覚えています。
一人っ子である私が全ての葬儀の段取りをしました。母にはそういう気力も知力もなかったので。
悲しみを悲しみとしてとらえる時間もなく9月1日初7日に納骨。

家の中の物をほとんど処分して 母を連れて9月3日茨城へ。
いろんな思い出の品も全部捨ててしまいました。

9月4日から何も無かったかのように私は職場復帰。
母もこちらの生活を始めました。残暑が厳しく心配でしたが、母の順応性が高かった事が
不幸中の幸い。
認知症が進まない事を祈り、生活を始めました。

H19年 3月
母が骨折で入院。6月退院。そのあと、順調に快復だけど
足腰がかなり弱くなっている。記憶力もかなり低下。この先心配。/11月記録


   以上  これは 人に進めるものでもなく 4年間の流れを記録したものです。

父は助かりませんでした。
ほんとうに 癌は恐ろしい。 
見つかった時には 余命2,3ヶ月でしたから。
本当に早期発見早期治療が必須です。

うちの場合は どの治療も間に合わなかったので こういう結果をとりました。

薬事法などいろいろ厳しい法律があります。
その一方 各社サプリメントの効果も 捨てられないものもあります。(癌ではなく)
学者ではないので データももっていません。 営利主義ではなく正直な製品を作ってほしいです。何が良くて何が悪いのか情報が多すぎてわかりません。
もっと 自由な治療があっても いいとおもいます。

命にかかわることですから、決して 私の真似をしないでください。

癌は治りません。


自分の健康は自分が守る時代がすぐそこまで来ていそうです。


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