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教会の暦では先週から新しい年が始まりました。
御降誕のお祝い(クリスマス)を待つ 待降節 (アドベント)第一週がお正月なのです。
さて、今日の聖書深読の場所はマルコ1章1~8節でした。
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
とっても興味惹かれる始まりです。ちなみに、他の福音書の始まりを開いてみると
マタイ「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」
ルカ「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。」
ヨハネ「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」
4人とも全く違った形ではじめています。
私の印象からすれば、
人間イエスキリストの出所を証するところから始めるマタイ、
キリストと共に生きた人々の目、ことばを通して語りかけようとするルカ、
まず神を語り始めるヨハネ、
そしてダイレクトに「神の子イエスキリストの福音の初め」と書き記したマルコ、
なんて面白いんだろう 同じようにキリストとキリストのもたらしたものを語ろうとする時、こんな風に始まりが違っている。
私、けっこうこのマルコの始め方は好きです。
飾りも格好つけも全く何もないけれど、だからこそ確信に満ちているスマートな誠実さを感じるのです。
神の子であること、イエスキリストの存在、彼が福音(良き知らせ)であること、そして「福音の初め」という言葉
「 初め
」は初めてその時にそのことに出会ったということなのかしら・・・?歴史上初めてもたらされた福音?
どうしてこの「初め」という言葉を日本語に訳すときに使われたのか、とても気になります。
こんな風にその後に書かれていることを冒頭の一行で言いきることができるなんて、 ほんと素晴らしい!!
今日の深読ではまずこの一行にやられました!!![]()
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