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マルコの1章1~8節には 洗礼者ヨハネ
のことが出ています。
駱駝のけごろもをまとって革のベルトをし、イナゴと野蜜を食べて荒野で一人で暮らしていました。
このように書いてあるということはきっと当時としても、こんな生活をする人はまずいなかったのでしょうね。
人々から離れて、お金ではなく自分の手で採ったり作ったりしたもので生活していたのです。
そんな彼の所に、イスラエル全土から、エルサレムの町の人々皆が集まって、彼に罪の許しを請い水による洗礼をいただきました。
今のようにインターネットがあるわけではないのに、どうやって人々は彼のことを知りそして信じたのでしょうね。
ヨハネにはすごい力があったんだと思います。
しかもその力は神さまから頂いたものだと、彼はよ~~く知っていました。
これからやってくる方(神の子イエス・キリスト)の 履物のひもを結ぶ値打も自分にはない、と言っているからです。
シスターがおっしゃるには履物のひもを結ぶ仕事は当時の奴隷の仕事だったとのこと。奴隷よりも価値のないものだと、自分のことを表現したのですね。
こんな風に自分のことを小さな小さなものとして位置付けることができるのは、きっと
生かされている自分
ということに本当に気付いているからだ思いました。
ついつい私のしたいことは何?
そのためには・・・と考えてしまいがちだけれど、生きているというだけで、そこには生かされている私が既にいて、 そしてきっとやるべきこともただ目の前の私ができることをする、
に違いない。
そこから自然に私の歴史がつくられていくんだなぁ、
それ以上のものはどこにもないはずだと思いました。
洗礼者ヨハネのことなんて今までほとんど心に留めたことはなかったけれど・・・ 不思議ですね![]()
高2のSの将来は?と心に引っ掛かるんだけれど、 やっぱり「やりたい!」だけではだめだよ、 という気がしてきた!!
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