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2020年01月24日
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テーマ: 精神の世界(126)
カテゴリ: 宗教
【ニーチェの偉大さ】

前回は「永遠の命」の観点から、ニーチェの「神は死んだ」という発言が世にもたらす影響を考慮した批判を語ったが、ニーチェ自身の心の世界を考慮する場合には、また当然異なった判断をしなくてはならない。

そうすれば、ニーチェの「大地の意義」は、イエスが此の世で実践した救済活動、即ち「神の愛」と同じ意義を持つものと認識して良いと思われる。

そうするとニーチェの「神は死んだ」の意味は、「神は大地を愛するが故に、大地の意義の為に己を死んだ」というものになり、著書『ツァラトゥストラはこう言った』に説かれている精神は、その実質的な面から捉えると、イエスが実践した「神の愛」と同質のものになる。

このようにニーチェの思想を、その実質的な面から捉えると、ニーチェ自身が自己評価して「私は二千年に一度世に現れる天才である」(少しオーバーだとは思うが)と語った言葉も、あながち否定することも出来ないとも云える。

そうであれば、ニーチェは単に言葉遣いを誤っただけだろうかという疑問も生じるが、この問題については前回にも述べたように、「上に求めても無、下に求めても無」という真理の捉え方の問題なのだ。何故ならここでもう一歩前進して一転の開示が出来れば、イエスと同格になり、仏教が説く如来身に達することが出来たからである。

従って、このような言語表現上の矛盾となって現れている箇所を補いつつ読み取れば、ニーチェの著書を「神の愛としての世界」として読み取ることもできる良書としても読めるし、或いはまた読者各自が現世を生きる道の参考にも成り得る副読本としての価値も生まれるものと思われるのです。





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最終更新日  2020年01月24日 07時33分15秒
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