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今年もあと4日です。また新しいカンバスが立ち現れますね。そこにはどんな自己像をかいてもよいのです。持ち時間は365日。ポジティブかつアグレッシブな印象のイケメンやプリティーウーマン風にしてもOK。ネクラでふくれっ面でワガママでブサイク。そんなネガティブ自己像でもノー・クレーム。そう、365日の使い方は完璧に私たちの手に委ねられているのです。1年後のあなたのみごとな大作の完成を、心より祈念します。
December 28, 2013
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長いブランクでした。もう、当時の読者さんはおられないでしょう。いろんなことがありました。一言では語れませんが、50年の人生が根っこからひっくり返るような時間でした。家庭崩壊の危機を乗り越えました。家族で憎しみあい、事態の解決に向けて戦いました。一人で生きていくことも考えました。死ぬことも選択肢のひとつでした。でも、この家族を守り抜くことを決め、生き直すことにしました。以前は”癒し”をテーマに書いていましたが、じつは、私自身が癒しをいちばん必要としていたのかもしれません。長男と次男は自立し、家を離れました。つい最近、次男坊がこんなことを言ったのです。「お父さんのDNA、オレ、ちゃんと受け継いでいるからね…」私は、勇気をもらいました。もう一度、見つめ直して、しっかり前を見て生きていこうと思います。これから、私自身の物語を書いてみます。
September 22, 2009
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長~~いブランクをブレイクします!以前に交流してくださっていた方々、お元気ですか?これからおつきあいしてくださる方々、どうぞヨロシクです^^肩の力を抜いて、時間がとれる時だけ書いてみますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同僚の女性Sさんは、この3月いっぱいで退職されます。私と机を並べている人で、じつは、1年前の4月に入られた新人さんです。なので、彼女は新人1年生で辞めてしまう、ということになります。親子ほども年齢が違うので、いつもそばにいて仕事を教えることに。いわば”教育係”みたいなもので、常にペアで仕事をしてきました。バイリンガルに育った女性で、いつもニコニコ。慌てるとついつい英語が出るらしく、急ぎのメモには”食堂でticketをbuyして・・”といった具合に日本語と英語がチャンポンになっておりました。ドジっていろいろとやらかしてくれましたが、気だてのよい子でした。その彼女、もっと英語を生かせる仕事をしたいということで、安定した職を辞して航空会社のカウンター業務の仕事を探す、というのです。いくらでもやり直しのきく20代ですから、いろいろとチャレンジしてほしいものです。ところで、40代も終盤にさしかかった私ですが、あと1年ほどで職を辞す予定です。50歳・早期自主退職、みたいなものです。何かと思うところがあって、数年ほど前から考えておりました。でも、家庭や何やと、いろいろとしがらみもあり、容易ではありません。このごろ、人生の時間を真剣に考えます。あと30年ほどでしょうか?やりたいことをやって死んでいきたいものです。そのための準備も少しづつ整えています。なんと言ってもまずは経済的な裏付けですが。。。もう少しです。この文章を読んでくださっている皆さんはいかがですか?とくに40代の方のご意見や感想などお聞きしたいものです。ぜひ、コメント下さいね。”時間って、寿命と引き替えにしてるんですよね!”Sさんの言葉が、ポンと背中を押してくれた気もします。
March 20, 2007
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いつの間にか、半年以上が経過しています。3月に最終記事を書いて以来です。その間、いろんなことがありました。詳細は省きますが、個人的な事情です。何かをじっくり考える余裕がない状態でした。また、1歩づつ、歩を進めてみたいと思います。よかったら、またお付き合い下さい。これまでの「生き方」や「書物による癒し」のテーマに加えて、「健康」という視点でも書いてみたいと思います。最近では、アンチ・エイジング(若返り)に興味があります。毎日は無理ですが、ちょっとづつ、ちょっとづつ・・・
October 29, 2005
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普段の生活の中で、「後悔」をすることは多いと思います。A:「う~~む、前もってチラシ・チェックしておけば安く買えたかも?」B:「つい口が滑ってあんなこと言って、あの人傷ついたかな?」C:「ちゃんと勉強しておけば、試験に落ちなくて済んだのに…」D:「忙しさにかまけてカミさんを放っといたから離婚に。おれはなんてバカだったんだ!!」いろんなレベルの「後悔」がありますが、概ね、A→Dの順にその程度が強い感じ?ちょっとしたミスから来る後悔もあれば、決定的な判断ミスを犯した自分自身への自責の念も。いずれにせよ、終わったことを後で悔いるのですから、過去の適切でない言動・判断への自覚と反省が「後悔」の実体ということになります。まさに <後悔、先に立たず> というわけです。じつは、ここ数日間、私はあることを秘かに後悔しています。そして、「自分はなんて鈍感な人間だったのか」と、こっそり自分を責めてもおります。それをこういったページでディスクローズするのですから、これはある種の懺悔です。この前の土曜の夜でした。友人数人で4食事に行った帰り道、その人に出会ったのでした。その夜、でリンガーハットのチャンポンを食べに行こうということになりました。楽しい食事が終わって、車で帰っていた時です。誰かが横断歩道の真ん中に立っているような気がしました。「エッ?!」車の多い、夜の国道です。誰かが目の前の信号の交差点の途中に、突っ立っている様子が見て取れました。「こんなところで、何やってるんだろう???」視力が弱いので、夜はよく見えなかったということもあります。なぜそんなことをしているのか、分かりませんでした。その光景の意味が、俄には理解できなかったのです。そして、交差点を右折しようとしたとき、その情景がリアルに分かりました。目の見えない人が、横断を躊躇して、横断歩道の真ん中あたりで1歩づつ、恐る恐る渡っていたのです。「大丈夫かな?」通りしな、そんな心配でいっぱいになりました。でも、それ以上のことをしようとは思いつかなかったのでした。。。連れがいて、次に行く場所が決まっている、ということもありました。ここ数日、自責の念に取り憑かれております。「なぜ、あのとき、車を止めてその人を助けてやらなかったのか、、、」何とも言えない後悔の気持ちでいっぱいになりました。他のドライバーも同じといえばそうです。しかし、そんなことを言っても何にもならないですね。人が後悔することは、終わってしまったことに対してです。自分自身のことを客観的に振り返るようになるからでしょう。今ハッキリ分かるのは、結局、目の見えない人の不安や恐怖感、そして、どうしてよいか分からずに泣きたいような気持ちでいたはずのあの時の目の見えない人の気持ちに、思いを致すことが出来なかった、そういう自分自身の状態です。「その人の気持ちが、まったく分かっていなかった、、、」皆さんは、こういったこと、経験したことがありますか?日を追うごとに、後悔の気持ちが募ります。
March 31, 2005
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私は昭和30年代、長崎県の片田舎で幼少期を過ごしました。地域差もあるでしょうが、あの頃はまだ「戦後日本」がたくさん残っていたようです。考えてみると、戦争が終わって15年弱。平成に入ってまる16年と比較しても、そう遠い記憶ではなかったはずです。戦前の残滓があっても何ら不思議のないことでしょう。もちろん、当時はそういう意識はまったくないまま生きておりました。しかし、今思い起こしてみれば、、、身体に戦地で被った弾丸の傷跡が残っているという噂の先生がいたり、原爆を被爆したため、生涯子どもを産めなくなった近所のおばさんがいたり、酔っぱらった親父が日の丸特攻隊で帰らぬ人となった竹馬の友の話をクドクドしたり、そういった「戦争の名残」が、あちらこちらに点々と残っていたことです。それはともかく、今にしてみれば奇跡と言ってよいような暮らしをしていたようです。空気と水は異常にきれいで、川の水でさえ、きっと飲料にOKじゃなかったかと思われます。当然ながら、家では井戸水を常用していましたが、水道水が「毒」のように感じました。当時「アルプスの天然水」を売る会社があったら、間違いなく倒産だったでしょうね。小果実系は基本的に自家栽培で、子どもは勝手に採って食べていました。野菜類も似たようなもので、そういえば、地元に八百屋は1軒もなかったですね。果物屋も八百屋も、間違いなく半年で廃業するでしょう。ただ、育ち盛りの子どもとしては、毎日の”おやつ”には飢えていました。とくに菓子類は貴重で、学校帰りの駄菓子屋さんの寄り道は、小学生時代のいい思い出です。そのおじさんは、忘れた頃に、不意に現れるのでした。私たち子どもは「ポン菓子」と呼んでいたのですが、米をコーンフレーク状に、ザラメといっしょに甘く炒るのです。ポン菓子屋のおじさんが出現すると、子どもたちはこぞって集まります。炒ってもらう分だけの米を抱えて、並びます。それから薪も。燃料です。おじさんは、ある特殊な「器具」を用意していて、日永、お喋りしながら炒るのです。ニコニコして日焼けしたその笑顔を、今でもよく覚えています。密閉された長丸い、ラグビーボール状の調理器具を回転させながら、熱します。あたりには、香ばしくも甘ったるい、何とも言えずよい匂いがただよいます。そして、ついに、そのワクワクの瞬間がやってくるのでした。「は~い、ポーンと鳴らしますよ~~」「ドッカーン!!」圧縮された空気が一気に解放され、強烈な爆発音を発します。調理器具には、待ち受け用の細長い布製の袋がつながれています。瞬時にして、ライス・フレークは膨張した熱風とともに、この袋へ放り込まれるのです。「ポン菓子」というより「ドッカ~ン菓子」のネーミングが相応しい。子どもたちの歓声があがります。「いっちょ、あがり!!」娯楽の少なかった当時、これはある意味、一種のイベントでもあったんですね。今の子どもにとって、こんなのは、つまらない昔話かも知れませんね。コンビニに行けば簡単に、いくらでもお菓子は手にはいるし、ゲームやパソコンをいじっていれば遊びには事欠かないですからね。「ポン菓子おじさん」の話は、もちろんノスタルジーです。でも、欠乏感は幸福感の源です。待ち焦がれる思いは、最高の味付けとなり、奇跡の菓子をプレゼントしたのです。あれほど美味しいお菓子を食べたことは、後にも先にも記憶にない。文字通り、甘美な思い出として残っているのです。あなたは、数ヶ月も待ち焦がれるようなお菓子を食べたことがありますか?
March 27, 2005
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▽▲ かぐや姫は罪人だった ▽▲ 『竹取物語』の最後の辺りに、次のような記述が登場します。● かぐや姫は月の都で罪を犯したため、この地上に降りてこられたのです。つまり、罪人であるかぐや姫は、いわば流罪として地球にやって来たんですね。時々このことはテレビでも触れることがあるので、それ自体はさほど珍しいことではありません。でも、竹の中の光り輝く黄金とともに出来した冒頭部、それ以降の数々の求婚譚からすれば、いかにも唐突な”明かし”に、つい「?」マークでいっぱいになってしまいます。どうしたことでしょう?これは、いわゆる「貴種流離譚」の系譜の上に竹取伝説があったということです。【 貴種流離譚:高貴な血筋の者がある「罪」を犯す。 その結果、流離(流浪)して艱難辛苦の旅を経て復活する話型。 】現存最古の物語である『竹取』は、もともと民間の伝説の複合体として記述されたと思われます。黄金伝説であったり、求婚譚であったり、あるいは貴種流離譚であったり、そういった様々な民間伝説の複合話として、この物語は成立しているのでしょう。『竹取』以前の物語は現時点では不明ですが、語りの世界ではおそらく、少なからざるバリエーションがあったんでしょう。少なくとも、これ以降も脈々と受け継がれて、貴種流離譚は物語を支えてる強固なバックボーンでした。『源氏物語』では光源氏が、義母である藤壺の女御と不義の関係に陥り、須磨明石をさすらい都に復活。これは、物語の骨格として、所与の約束事項になっていたのです。平安朝物語の世界を通しての大きな枠組みであったのですが、遠く時代を下った江戸時代まで、その影響は続いていったのです。文学史を語るのがメインテーマではないので、詳述は避けますが、「不倫」や「犯し」が変わらずに背景にあったことは、興味深いことです。現実に繰り返された近親間での犯し、じつはその辺りが隠しテーマかも知れません。。。
March 18, 2005
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▽▲ 生類憐れみの令で、江戸からペットが消えた! ▽▲動物愛護に燃える将軍綱吉が巨大な「犬小屋」を作ったことは、有名です。それ自体は、史実。いち度目は、元禄8年6月。▽ 町中ニ有之人に荒き犬、今度四谷新囲江被遣候、就夫向後も人に荒き犬出来候ハバ、 両番所江以書付早々可訴出者也 <江戸町触集成 3218>町中の気の荒い野犬は、今度四谷に設けた「新囲」へ収容いたす。とりわけ気性の荒い犬を発見したならば、書面にて両奉行書へ報告せよ。江戸中から野犬を一掃しようという世にも稀な一代政策は、こうして発令されたのです。このいきさつについて、山室恭子さんは『黄門さまと犬公方』でじつにユニークな説を展開します。以下、山室さんの著作に沿って、通説とは様相を異にする「犬小屋」の実態を描写してみましょう。【 貞享四年(1688)あたりから矢のように降りかかる生類憐憫令だが、そのたびに茶化したり 反発するレジスタンス勢力が一向に収まらない。ケンカ犬には水でもかけよと指示すれば 「犬分け水」なぞを用意して面白がったり、犬の紋をつけた揃いの羽織を着たりする始末。 わざと犬を傷つけたり、江戸城のお堀に殺した鳥を放り込む不届き者さえある。。。 】<四谷の犬囲>は、一向に収まらないレジスタンスに対抗する大技として繰り出されたというのです。「犬がいるから、いけないんだ。犬さえいなくなればもう犬をいじめる者もない、、、」そもそも、仁心を涵養するために発令された憐憫令。どうも本末転倒の方向へと展開していったようです。で、その後の顛末。これで<平和>が訪れたかというと、結果はまったく逆に。この年の11月には、新たに10万頭を超す犬を収容できる、16万坪の巨大な犬小屋を造営します。このいきさつについて、側近の柳沢吉保は、こう証言しています。▽ 先に将軍が犬を殺すことを禁じられたが、愚民どもは法を犯すことが甚だ多い。 それ故、御城下の民間に養っておる犬を、中野の地に集めて養わせ、もとの 飼い主にそのえさ代を出させたのである。 (『楽只堂年録』)なんと、レジスタンスへの対抗手段として、江戸中の犬、しかも飼い主のあるペットを今度は、すべて中野の犬小屋へ収容したのです。後の史料では「御犬上ケ金」と呼ばれた税金も新たに徴収することになったのです。いつ果てるともないバトルと愚行とも言えそうな展開ですが、この結果もはやり思わしく無かったようです。わずか1ヶ月後には、小石川馬場のそばに、白い子犬が2匹捨てられ、犬切り事件も後を絶たない。しかし、繰り返されるバトルの結果、江戸の町から犬は1頭もいない、「平和」が訪れるのです。元禄10年。夜中に1頭の犬の遠吠えも聞こえない、不気味な静寂が江戸市中をつつんだのでした。
March 16, 2005
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▽▲ “若いツバメ”を作った第1号は、明治時代の文豪、平塚雷鳥である ▽▲年下の男の恋人・愛人を<若いツバメ>と言いますね。これって、いったいどこから来た言い方なんでしょう???じつはこれ、明治時代の女流作家、平塚雷鳥から始まった流行語なんですね。明治時代に平塚雷鳥と恋仲になった年下の洋画家・奥村博史が、 「 静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽の燕が飛んできて、 平和を乱してしまった。 若い燕は池の平和のために飛び去っていく 」と手紙したことから流行語になったらしいです。でも、その軽快な飛翔感や寄る辺ない渡りの印象をうまく表現していますね。ツバメは本来スズメ科ですが、春先にいつの間にやら飛来し、飛翔中に補虫・飲水・交尾までこなす離れ業や軽やかさがウリ。スズメの地味な日常性に対して、言ってみれば非日常的で、いかにも生活感の希薄な印象。ちなみに、二人は離れることなく1918年に結婚しています。婚姻の瞬間、ツバメの軽やかな飛翔と渡りを捨てて、スズメの日常性の中に安住してしまったのかも知れませんね。▽▲ おまけ ▽▲ツバメは一夫一妻、いわば<おしどり夫婦>のように思われています。が、そのうち4割のヒナは婚外子。何と、メスのツバメが浮気するということ。偶然かもしれませんが、“メスの浮気”と“年下の愛人”…う~ん、妙にピッタリくるものがありますね。。。
March 15, 2005
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いわゆる”常識”というものがあります。社会常識やマナーのレベルの共通認識もあれば、学校の教科書で習ったような誰しもが知っていて当たり前の教養的な知識もあるでしょう。そういった「当然のこと」を共有することで、私たちは安心して暮らしていける側面もあります。ただ、それらの常識とされる知識の中には、時代の壁ゆえに、正しく理解されていないことがあるようです。「で、ぶっちゃけ、本当のところはどうよ?」と言いたくなることも多いのです。もちろん、知らなくても生きていけるし、命に別状はない(笑)のですが、知っているとけっこう面白い。いわゆる無駄知識かもしれません。そこで、シリーズにして、これまで気づいたマイ・トリビアを文学歴史に絞って書いてみましょう。▽▲ "生類憐れみの令"は、じつは"人類憐れみの令"だった(1) ▽▲江戸時代の第五代将軍も徳川綱吉は、異常に犬を大事にした「犬公方」として知られますね。将軍綱吉に関する記述は、教科書では概ね、次のような感じで書かれます。【 綱吉は、動物愛護に燃え、取りわけ犬を保護した。 四谷と中野に野犬を保護するための小屋を造らせ、江戸市中の犬をここに収容した。 いわゆる犬将軍の誕生である。この愛護政策はしだいにエスカレートしていく。 鳥・魚貝等々の生類全般に及び、挙げ句の果てはボウフラにまで及ぶ。 この狂気の政策は、綱吉が亡くなるまで続いたのである。 】こういった説明は、事実をなぞっていますが、その動機や背景についてははしょっているようです。記述根拠は発令された町触等の御触書に依拠しているのですが、それだけでは実像が見えてこない。そもそも、どうして「生類憐れみ令」なる珍妙な政策を実行することになったのか。まずは、そもそもの動機にまったく触れていないのです。正当な動機のない法令はないはずです。そこを捨象して「事実」だけ記述するので、300年も経つと、「とんでもない気違い将軍があったとさ」となるんでしょう。「生類」という呼称からも明らかなごとく、本来は、そもそも人間が想定されていたようです。江戸市中で行き倒れになった病者を、見捨てることなく保護すべきことなどが指示されてもいたのです。 いわば「人類憐れみ令」が当初のビジョンだったのです。人間も生き物ですから。それが(原因は解明されていませんが)どうしたことか、動物に特化されていったのです。 第一声は、こんな感じでさりげなく、遠慮がちに、江戸市中に発令されました。▲ 先日も申し渡したとおり、将軍様がお成りなされる場合、道筋の者どもは、 犬や猫が飛び出したとしても苦しうない。犬猫をつなぐことは無用である。 (1685年7月14日、江戸町触)将軍が上野寛永寺に参詣の折、通りでは粗忽のないよう、犬や猫を繋いでいたのです。それがなぜか突然、犬猫を繋いではならないという触として発令されたのでした。以後、数年のうちに五月雨式に発令され、エスカレートしていったのでした。現在確認されているところでは、発令数は計135回に上ります。▽▲ おまけ ▽▲従来、生類憐憫令は「長男を亡くした綱吉が跡継ぎ欲しさに僧隆光の進言にそそのかされ、前世の殺生の報いを改めるべく動物愛護を行った」(山王外記)という俗説がまかり通っていました。が、これは誤り。隆光が綱吉の知遇を得たのは発令の翌年、貞享三年(1686)なので、あり得ない。巷説を記述したにすぎない『山王外記』を『近世日本国民史』に採用した徳富蘇峰のミスでしょう。不用意な記述は100年単位で実像を歪めます。迷惑なことです。
March 14, 2005
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2月4日に書いた「時間管理をやめる」(1)の続編です。かなり時間が空いてしまいましたが、これもいわゆるタイム・マネジメントをやめた結果。ということにしておきます。。。^^;田坂広志氏『なぜ、時間を生かせないのか』(PHP研究所)は、時間とそこから派生する、様々な<気づき>を私たちに与えてくれます。曰く、「時間はたんに長さなのではなく、密度が大事である」曰く、「時間密度を上げるためには、集中力という基礎体力が重要である」曰く、「これからの知識社会では、<体験>という時間からしか得られないもの、 たとえば、洞察力・認識力・知恵といった、職業上の知見こそが価値を持つ、、、」 etc,etc ……時間の重要性は誰しも認めるところですね?そして、その大事な大事な時間を作ろうと、いろんな努力をしますね?でも、その捻出された時間をどう使うのが「幸福」に直結するのかは、案外問題にされていません。ただ、「仕事や勉強はテキパキ早く終わるのがよい」というのでは、これはせっかちな貧乏性でしょう。かりに「捻出した時間で何か別のスキルを身につけよう」というのも、最終的には、「経済的豊かさに奉仕するために時間はある」と、単純に思いこんでいるだけでしょう。その証拠に、収入は増えても、ちょっと小金が増えても、けっして豊かさを実感できないのが現実です。「幸福」という目的のために、手段として金稼ぎに追われたり、タイム・マネジメントにあくせくしたりで、いつまで経ってもそこから抜け出せないのが実情ではないでしょうか?これは、もう不幸の極みです。。 幸福を実感しようと時間捻出に躍起になって、けっきょくイライラだけが残るとしたら、途方もない愚行です。では、私のような凡夫は、どうしたらよいのでしょうか?● 時間グルメの生活勝手なネーミングですが、そんな感覚で生きていくと、満たされてた時間を感じられるんじゃないでしょうか?それは同時に、自らが癒される時間・生活だとも言えるでしょう。「今を充実させることに集中する」「なるべく好きなことに没頭する生活をする」というのが大事かと思います。満足感のある時間を多くもつ。充実度のある生活を増やす。時間の捉え方で言うと、「量より質」という発想が大事だと思うんですね。田坂さんが「時間の密度」と言うのも、そういうことを言っておられるのではないでしょうか?田坂さんは、こういうことを言っています。● 「夢中」になることです。 これにまさる「集中力」はありません。これこそが、80年の人生の時間を100年にも200年にもする、魔法の法則だと思います。
March 13, 2005
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■ いっちょ島 ■目の前の干潟の海には、遙か沖合に、1つだけポッカリ浮かぶ島がありました。地のことばで、1つだけのことを「いっちょ」と言います。それでこの島は、「いっちょ島」と呼ばれていたのです。一般に、「いっちょ、いってみようかあ!」とか言いますよね?あの「いっちょ」です。いつごろからか、この島に泳いで渡ってみたい、という欲求に取り憑かれました。小学校低学年で泳ぎを覚えました。都会の子どもとは違って、プールなんて気の利いたものはありません。で、どうやって泳ぎ方を学ぶかというと、概ね次のようなプロセスを辿ります。まず、近場の小さい川で、遊びの中で自然と水に馴染む。次に、同年齢やちょっと年上の近所の悪ガキとともに、川遊びの延長で、見よう見まねで泳ぎを覚え、気づくと「カッパ期」に到る。さらに、中学生ぐらいの大きな近所の「お兄ちゃん」の許可が下りると海に誘われる。そして、いきなり海水に突き落とされ、OKが出るまで陸に上がれない。力尽き、危うく溺れかけたところで「救出」される、ということを繰り返し、いつの間にか「海カッパ」が誕生する。。。まあ、ざっとこんな感じでしょうか。思うに、これは地元の生活環境から自然と生まれた「指導法」だったんでしょう。早く泳ぐとか、そのためにきれいなフォームで泳ぐ必要はないのです。海で舟に乗って漁をするのですから、海中に落ちた場合、長時間泳ぐことが必要。「溺れないこと」こそが絶対条件だったんでしょう。漁師なにるのが前提なので、それに向いた泳法が求められたのです。立ち泳ぎや犬かきの延長のようなフォームですが、潮水ということもあって、たしかに(それこそ服を着ていても)永遠に泳げるような、妙な自信がつきます。こうやってステップ・バイ・ステップで「カッパ道」を進んでいくと、必然的にその延長は「いっちょ島」の征服、ということに。ただ、遠泳を練習したわけではないので、容易ではありません。救助用の伴送船がつくスポーツとしての遠泳とは訳が違うのです。失敗するとただでは済みませんからね。親に言うと、禁じられるに決まっているので、くだんの悪ガキ連と、用意周到に計画を練りました。そして、一夏かけて手製の筏を組み、こっそりお握りや水も用意し、小学6年の夏に決行!決行当日は、よく晴れた夏の日で、8月20日過ぎでした。ちょっと風があったものの、諸般の事情で、この日しかチャンスはなかったと記憶します。イカダ班と遠泳班で交替しつつ、力尽きるまで泳ぎ続けるのです。島まで3分の1ほどの距離を順調に進んでいきました。でも、しだいに強風になってきて、いい加減に結んだイカダの紐が緩んできたのです。とうとう、紐がほどけてイカダは今にも壊れそうになってしまいました。必死で補修しながら遠泳を続けますが、もう無理だということは明らかでした。風で陸側に押し戻され、疲れ果てました。強風にあおられ、高波も危険でした。みんな海で育ったので、逆に恐さがよく分かっていたのです。……無念のリタイアでした。中学生になったらもう一度チャレンジしようと、固く誓いました。。。しかし、けっきょくリベンジすることはなく、そのまま終わりました。中学生になると部活やらなんやらで、それなりに忙しく、それにそういった冒険そのものに興味をなくしていったのです。今ときどき帰省すると、あの頃、無性に渡ってみたかった「いっちょ島」が、変わらぬ姿で横たわっています。干拓で、それはもう「島」というよりも、「小山」の状態ですが。その気になれば歩いてでも行ける状態の島は、ちょっと寂しげにそこに取り残されています。
March 12, 2005
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■ 不知火(しらぬい) ■諫早湾には、夏になると海に不知火が出ていました。どういう現象なのか、未だによく分かっていないようですが、海に火が灯るのです。蒸し暑い夏の夜、はるか沖合に、ポツリ、ポツリと赤紫色の火が灯ります。郷里では、亡くなった霊であろうとも、まことしやかに言われておりました。ちょうど旧盆の時期にも一致するので、そういう話になったものでしょう。科学的な調査の手も入ったようですが、原因はよく分かっていないようです。昨年でしたか、東南アジアのどこかの国だったと思いますが、ちょうど同じ現象が報じられていました。やはり旧暦のお盆の頃、海に一列に明かりが灯り、この国では「竜」であろうとされておりました。国を挙げた調査チームが入ったものの、すったもんだの末、やはり不明とされたようです。大勢の見物客が見守る中、縦一列にフォーメーションを変えた竜の火は、そのまま昇天して行きました。世の中には、今でもよく分からない自然現象があるものです。長崎では今も、初盆の「精霊流し」を守っています。2メートルほどの小舟を作り、亡くなった方の霊を、舟とともに海に送るのです。親族が全て手作りするのですが、釘を打つのに石で打ちます。金槌は使わないのが習わしで、たぶん、亡骸を棺に収めるのに石で釘を打つことに通じるでしょう。家から海まで、手綱をかけた精霊舟を代車に乗せて曳いていきます。悲しげなドラのねと、なぜかけたたましい爆竹の先払いのアンビバレンツな喧噪の中、舟はゆっくり進むのです。通り通りに故人をよく知る近隣の人々が手を合わせ送ります。これは祭りと言うよりも、葬儀の最終段階なんですね。魂を川や海に帰すというのですから、明らかに南方系の風習の名残でしょう。精霊舟の残骸が打ち上げられた後、うだるような夏の日の夜。遠くにか細く灯る不知火を見ていると、理屈抜きで、思わず手を合わせたくなったのでしょう。
March 11, 2005
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■ ご褒美上手は生き方上手 ■誉められると嬉しくなったり、「よっし、もういっちょ、頑張ったるか!!」とやる気が出ますね?それはごくごく自然な心の状態です。子どもは誉めて育てよ、というぐらいで、人が成長する起爆剤にもなります。でも、なぜ人は、そういう気持ちになるのでしょうか?以前、その心のカラクリについて、あれこれ考えてみたことがあります。けっきょくのところ、それは案外単純で、「評価されたい」という人間の潜在的欲求のようです。たとえば、「お宝鑑定団」というTV番組がありますね。番組では、ある人が持ち込んだ「お宝」に値を付けます。そのとき、「3万円」ぐらいだと思っていた物が「300万円」の値が付いたとします。すると、それまでただ埃をかぶっていた骨董品が、とても価値のある物に見えてきます。これは、専門家による<評価>によって、そのものの価値が確認されたということです。ぎゃくに、<評価>がなされなければ、たんなるがらくたとして眠ったままだったのでしょう。物の価値が<評価>によって生まれるという、じつに象徴的な場面です。私たちの仕事にも、これと似たことがしばしばあると思います。年収600万の給与は、600万の<評価>ということです。年収1000万の給与は、1000万の<評価>ということです。もちろん、その価値が本当にあるかどうかとは別のことでしょうが。しかし、その評価がその人に満足感や、やる気を与えることもあるでしょう。1000万という自負かもしれないし、それによる自己の努力や能力の再確認かも知れません。数値による客観的評価が与えられることで、精神的安定を得るという、心のメカニズムがあります。人は、他者との関係性の中でしか生きられない生き物です。だから、(なるべく多くの)他者の認定なり評価なりがないと不安になるのでしょう。平たく言うと、「認められている」という安心感です。<ご褒美>は、そのアプリオリな心情を端的に満たす物だと思います。子どもは、両親に誉められ、ご褒美を与えられると嬉しい。大人も、表彰され、栄誉を称えられると誇らしく嬉しい。これは本能的な欲求で、お金ではないんですね。今、かつての終身雇用社会が急速に崩壊し、「実力主義」「成果主義」の社会へ向かっています。これは、私たちのライフスタイル上に、どういった変更を意味するのでしょう?村社会でもあった終身雇用社会は、メンバーが固定され、それゆえに、個人の「歴史」が集団に記憶されたということでした。「あの人は、若い頃バリバリ稼いで、会社に貢献した」「彼は組織の功労者で、彼のお陰で今の繁栄がある」そういった、具体的な個人の生きた歴史が語り継がれ、顕彰され続けたということです。ぎゃくに、「実力主義」「成果主義」の社会では、「今」の彼しか評価されにくい面が強いでしょう。「昔の名前で出ています、じゃ困るしなあ…」「この先お荷物をしょっていく力は、会社にはない(リストラ)」同じ人物が、正反対の「評価」対象になる、という時代なのです。結果的として、「評価」がなされない社会では、人は幸福感を実感できないと思うのです。自らの価値の記憶として、小出しに「ご褒美」「評価」を自らに与える。そういったテクニックが、これから大事になっていくと感じます。古くなったから(歳を取った)要らない、というのでは悲しすぎる。人間は、骨董品じゃないですからね。。。常に自分の価値を確認せざるを得ない。そういう時代に入ったんでしょうか。
March 10, 2005
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● 報酬がないと、なかなか次の目標に向かえない。 人間は古代から、なにがしかのご褒美を自分に与え続けたからこそ、 ここまでの文化を築けたのでしょう。 【新井康允】皆さんは、頑張った自分に、何かご褒美を与えていますか?とてもガマンしたり努力をして何か目標を達成したときに、お酒を飲んだり好きなものを食べたくなると思います。仕事上の達成なら、仲間とお祝いをすることがあると思います。また個人的達成なら、買いたかった物を自分自身にプレゼントすることもあるでしょう。私たちには、人に誉められたい、励まして欲しいという気持ちがありますが、自分自身で自分を誉めたいという気持ちが、そもそもあるのでしょう。冒頭に示した新井康允さんの発言は、最近のアエラに特集されたものです(05年13号)。新井さんは脳科学の専門家ですが、最近の知見では、脳科学と社会学が解き明かすところでは、男女・年齢に関係なく、人は太古より「自分への報酬」を与えてきたし、それこそが文明発達の原動力だったようです。やや専門的な領域になりますが、簡単にかいつまんでまとめると、人が自分へのご褒美を与えたくなる原因は、次のような脳の仕組みによっていると言います。【 脳には報酬系の回路がある。それは快・不快に対応する「情動脳」だが、大脳皮質と連携している。その興奮によってドーパミンが分泌され、脳のご褒美、つまり快感が与えられる。報酬系システムの中核である情動脳の左脳と右脳をつなぐ回線を「前交連」と呼ぶが、これは女性の方が太い。だから、女性の方が情緒細やかで、自分へご褒美を与えたい欲求が強い。 】ざっと、こんな仕組みがあるそうです。脳科学の専門的な知識はよく分かりませんが、これは体験的にも得心のいくことです。・自分の仕事上の小さな成功のとき、お酒を飲みたい気分になる。それが明日の仕事の活力になる。・仕事で頑張った後にサウナに行くことにしているが、気分がスッキリする。・普段はつましく節約生活をしているが、月末を乗り越えお給料が入ると、ちょっとした贅沢な食事に 行く。こういったことは、私たちもあまり意識せずに日常的にやっていることなんじゃないでしょうか?逆に言うと、そういった「小さな楽しみ」が無いと辛くてストレスだらけで、人はやっていけないんでしょうね。この人間誰しも持つ特性をうまく利用すると、うまくストレスを乗り切ることができると思います。たとえば、・ある目標を達成したときに「旅行に行ける」というご褒美を意識して乗り切る。・ストレスの多い仕事、人間関係の難しい職場に身を置いているなら、1週間乗り切れた自分に、 週末は必ず温泉に出かけたり、好きな物を買うというご褒美を用意しておく。その他にも、たくさんテクニックがあるでしょう。なにしろ、自分が好きなこと、普段欲しいと思っている物をうまく利用して「ニンジンをぶら下げる」。そうすると、ただ辛くストレスの多い状態から脱して、小さな達成感を感じることができるでしょう。これは、心理学での一般的な理解とも一致するようです。ストレスからの回避としての行動(例えば癒し行動)は、それを目標化することでストレス自体を回避できます。日常場面で言うと、「疲れたのでお酒を飲む」というマイナス思考ではなく、「ここまでの短期目標が達成できたらお酒が飲める」「この期間を頑張って乗り切ったら、予定どおり温泉に入りに行こう」と成功報酬型の行動、プラス志向型の行動に転換するといいのでしょう。アングロサクソン系の人々は、こういった特性をかなり戦略的に取り入れたライフスタイルを持っています。例えば、年に2ヶ月もの長期バカンス。日本人の感覚や現実からすると「夢のまた夢」ですが、実はその方が成果が上がると言います。バカンスがあるからどんな厳しい仕事にも耐えられるとも言います。うーむ、典型的な給与所得ライフを生きる私としては、とりあえず、「プチ・バカンス」を「ニンジン」にして、頑張ることにします。。。
March 9, 2005
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『風の歌を聞け』の中に、次のような箇所があります。何度読んでも色あせることのない、じつに印象的な寓話です。▼ 「昔ね、あるところにとても人の良い山羊がいたんだ。」 素敵な出だしだった。僕は目を閉じて人の良い山羊を想像してみた。 「 山羊はいつも重い金時計を首から下げて、ふうふう言いながら歩き回ってたんだ。 その時計はやたらに重いうえに壊れて動かなかった。 そこに友だちの兎がやってきてこう言ったんだ。 『ねえ山羊さん、なぜ君は動きもしない時計をいつもぶらさげてるの? 重そうだし、役にもたたないじゃないか。』ってさ。 『そりゃ重いさ。』って山羊が言った。 『でもね、慣れちゃったんだ。時計が重いのにも、動かないのにもね。』 」 医者はそう言うと自分のオレンジ・ジュースを飲み、ニコニコしながら僕を見た。 僕は黙って話の続きを待った。 「 ある日、山羊さんの誕生日に兎はきれいなリボンのかかった小さな箱をプレゼントした。 それはキラキラ輝いて、とても軽く、正確に動く新しい時計だったんだね。 山羊さんはとても喜んでそれを首にかけ、みんなに見せて回ったのさ。 」 そこで話は突然に終わった。 「 君が山羊、僕が兎、時計は君の心さ。 」 僕は、騙されたような気分のまま、仕方なくうなずいた。 ▲きょくたんに無口な少年だった「僕」を心配した両親は、知人の精神科医に連れて行きます。医者の家に初めて訪問したときの、カウンセリングの場面です。この後も医者の家に通い続けた「僕」は、コミュニケーションの方法を学んでいくのです。山羊が後生大事にしていた<動きもしない時計>は、「僕」の状態。そして、兎がプレゼントした<キラキラ輝いて、とても軽く、正確に動く新しい時計>は、獲得すべき言葉。この寓話の象徴性は、じつに分かりやすく、存外に単純です。でも、その意味する寓意はどうでしょう?これは、思いの外、深い意義をもっているように感じます。私が読む限りでは、たぶん「心の闇を覗きこだわっている限り、その深みから抜け出すのは容易ではない」といった心理学レベルの問題をはらんでいるのではないか、と思います。それは、私たちが直面する、さまざまな悩み、心理的葛藤でも同じことが言えそうです。どうしても上手くコミュニケーションできない。人と上手くつき合えない。他者の目が、気になって仕方がない。あなたが今、そういった「悩み」に陥っているとします。そのとき、その原因を追及し続けても、なかなか簡単には解明できないですね?さらに、それが解決方法を見つけるための原因解明であってみれば、気の遠くなる時間がかかりそうですね?この際、原因解明はひとまず置いといて、具体的な問題解決方法を探してみる・・・これは、従来の心理学の問題点を乗り越えようとする、認知心理学の手法です。心理療法家が近年実践的に用いる手法ともされているようです。● 山羊さんの誕生日に兎はきれいなリボンのかかった小さな箱をプレゼントした。古い壊れた時計の故障原因をあれこれ考えるのをやめ、新しい時計を与える。これは、医者が「僕」にこの後施していく治療そのものを指しているのでしょう。実際に、医者は具体的なトレーニングを繰り返し、「僕」は言語獲得の軌道を描いていきます。ストレスの多い現代社会に生きていると、さまざまな「悩み」に陥る瞬間がそこここにあるものです。そんなとき、「どうして私は○○から抜け出せないのか」という地点に拘泥することをやめてみる。そして、「じゃあ、とりあえず○○法を試してみようか」と行動に移してみる。そうすることで、案外身近な脱出口が見つかることがあるかも知れません。ドラスティックに社会や時代が変動するときには、そういった発想が求められるんじゃないかと思うのです。悩みのための悩みにはまると、煮詰まってしまいますから。
March 8, 2005
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□ 村上春樹 『風の歌を聞け』 □文明は伝達である。精神科医は、「僕」にそう言います。「 伝達すべきことがなくなった時、文明は終わる。パチン………OFF 」たしかに、伝え合うことで、伝え合う言葉の存在によって、人はお互いを認知しうるので、 伝達こそが人と人とを繋ぐ、重要なコミュニケーション・ツールであることは間違いないでしょう。もっと言うと、その人の考えや思いといった内面に形を与え、アウトプットすることで、他者との一体化をはかりうる、唯一の手段といってもよいでしょう。内なる「思い」に形を与える手段やスキル、と言ってもよい。それは、手話であってもよいし、筆談であってもよいわけですが、何らかの言説化によってのみ、人は、他者や社会や共同体との一体化を遂げることができるのでしょう。言語とは、広く捉えてみると、それは「技術」なんだと思います。日本語が堪能な外国人は、あたかも「日本人」のように感じますね。日本の文化や日本人の発想に馴染んでいるということもあるでしょうが、それ以上に、日本語というツール・技術を共通にもつことで、場を共有できるのです。つまり、技術は共同体を創るんですね。一般に、共同体が技術を創ると考えられていますが、これは倒錯した捉え方かも知れません。 狩猟民族でさえ、狩りの技術を共有することで、狩猟共同体社会を形成するのです。田植えや農耕技術や年中行事の知識を共有することで、農耕社会は共同代を維持してきたのです。「ほんま、こまりまんなあ!」とボケと突っこみで語り合う言語技術をマスターすることで、 大阪なら大阪の社会や文化に受け容れられるのです。共同体は技術を生み出す母胎ですけれども、同時に、技術は共同そのものを創り上げるのでしょう。で、話を少年時代の私に戻すと、、、、沈黙を破って、なぜまた私がしゃべり出したのかを、改めて思い起こしてみます。 しゃべることで、一緒に遊べるようになることに、はたと気づいたんでしょう。ただ、引きつった笑いでそばにいても、無視されるか気持ち悪がられるだけだったのに、たまたま「いっしょにパチンコやろ」と笑いながら言うだけで、楽しく遊べたのです。どうしても遊びたい。強い欲求が、固まっていた心を開いた気もします。とりあえずは、友だちと喋ったり、遊んだりして、それまで意識化にあったストレスが解消!朝起きたとき、違った風景というか、違った感じの世界になっていたことを思い出します。コミュニケーション・技術は、ストレス回避の重要なツールですね。
March 7, 2005
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□ 村上春樹 『風の歌を聞け』 □村上春樹さんが群像新人賞を受賞したデビュー作。とても無口な、というか、ほとんど失語症の少年「僕」が言語を獲得してゆく状況を描いた秀作。なぜか時々、村上春樹ワールドに触れてみたくなることがあります。どうしてなのか分かりませんが、ある種の静謐さとでも呼ぶべき、その文体に癒されるのでしょうか?もしくは、作品によって切り取られた断面や切り口が、同時代人の感性に訴えるんでしょうか?いずれにせよ、ある意味で癒し効果のある文体と世界を持っているようです。今にしては、自分自身信じがたいことですが、私も小学校低学年の頃は比較的無口な少年でした。家族や近所の人たちとは普通に話せるのですが、学校ではなぜか話せな口が重かったのです。小学校3年ぐらいまでだったでしょうか、なぜかうまく話せませんでした。幼稚園に行っていなかったこともあったんでしょうか。大集団の中の自分を持てあましていたようです。そして、小学校3年に上がった春あたりに、これもなぜか突然、爆発的に喋るようになりました。そして同時に、それまでの「観察モード」から一転して、「表現モード」へとパラダイム・シフトしたのです。インプット専用モードから、インプット・アウトプット両用モードへの変更と言ってもよい転換点でした。『風の歌を聞け』の少年は極端に無口で、両親も心配して知り合いの精神科医に診せるほどです。【 精神科医の家で治療を受けるようになった「僕」は、毎週日曜日の午後、医者の家に治療を受けに行く。 電車とバスを乗り継いで、海の見える高台にあるその家で、ディスカッションは続く。 1年ほどの治療で14歳になった僕は、堰を切ったようにしゃべり出す。14年のブランクをうめるように、 猛烈な勢いで3ヶ月間しゃべり続けた「僕」は、しゃべり終えると高熱を出して3日間学校を休み、 そして、熱が引くと無口でもおしゃべりでもない、普通の少年になっていた。 】「僕」は、精神科医の家で「治療」を受けます。たとえば、こんな感じのディスカッションやトレーニングが繰り返されるのです。「 もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いいかい、ゼロだ。 」「 …… 」「 もし君のお腹がすいていたとするね。君は<お腹が空いています>と一言しゃべればいい。 僕は君にクッキーをあげる。食べていいよ。 君が何も言わないとクッキーはない。 (クッキーの皿を意地悪そうに、テーブルの下に隠す) 」「 …… 」「 ゼロだ。分かるね。君はしゃべりたくない。しかし、お腹は空いた。 君は言葉を使わずにそれを表現したい。ジェスチュア・ゲームだ。やってごらん。 」「 …… 」(僕は、お腹を押さえ、苦しそうな顔をした。)医者は笑って、「 それじゃ、消化不良だ。 」< 消化不良・・・・ >文明は伝達である。精神科医は、「僕」にそう言います。「 伝達すべきことがなくなった時、文明は終わる。パチン………OFF 」
March 6, 2005
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■ 宝の海 ■有明海の諫早湾は、いわば有明海の子宮であるとも呼ばれていました。有明海そのものは、たぶん月の引力の関係もあって、信じがたいほどの遠浅になっていると思いますが、潮が引いた後のガタ(干潟)は、今は死火山である多良岳の太古の噴火による火山灰が堆積してできたものです。ちょうど有明海の西端に位置する諫早湾は、たんに端に位置するだけじゃなくて、そもそも有明海の干潟の創られた大本にもなっていたのでしょう。ここから有明海が拡がったものかと想像します。まさに干潟とそこに棲む生命の源だったのでしょう。遠浅のお陰で、ほとんど労せずして「漁」ができました。「漁」というより、いわば「拾う」行為にも近いものでした。潮が引いた後の海には川ができますが、そこに小石を積んで「塚」を作ると、魚がとれるのです。ガタに手を突っ込むと、アゲマキを初めとする貝類をとれるのです。小学生の子どもでも、容易に収穫することができます。岸辺にゴロゴロいるホウジャ貝にいたっては、幼稚園児でさえ遊びとして「漁」が可能でした。食い詰めて潮の引いた海に行って探せば、誰にも等しく食べ物をくれたのです。どんなダメ人間でも見捨てることなく、惜しみなく、限りなく、与えてくれたのです。その決して見放すことのない寛大さは、ほとんど母親の「愛」にも似たことでしょう。小学生の頃、私もこの海でずいぶん「稼がせて」もらいました。赤貝をとってはムキ実にして、海産物屋をやっていた父親に500円で買い取ってもらいました。塚を作って、立派なウナギをとり、旅館に売りに行きました。1000円でした。これは、よくよく振り返ると、私が生まれて初めて手にした「収入」だったのです。大人にも子どもにも区別なく、この海は豊かさを分け与えてくれたのです。「 宝の海じゃった、、、」消え去った海の話題になると、古老は遠くを見つめるような目をして、そうつぶやくのです。
March 5, 2005
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■ ムツカケ ■諫早湾を含む有明海には、ムツカケ漁なるものがあります。ムツゴロウをとる漁法です。今ではムツカケのできる人もかなりの高齢者になってしまい、伝統的な漁も危機に瀕しているように感じます。潮が引いた後の干潟を<ガタ>と言うのですが、ムツゴロウはそのガタの上をはい回る生物です。ガタに巣穴を掘って生息しており、穴の周囲数メートルほどから離れません。身を守るためです。ユーモラスで厳つい見かけに寄らず、けっこう臆病で、身の危険を察知すると、サッと巣穴に隠れるのです。なので、捕まえようとしてもすぐに逃げてしまうので、特殊な漁具でしか捕獲できないのです。そもそもガタ海を移動すること自体が簡単じゃないので、まず、<ガタ滑り>とも<ガタスキー>とも呼ばれる特殊な板に乗って移動するのです。幅50センチ×長さ2メートルほどの板で、先端がスキー板状に曲がっています。それに片足膝立ちの格好で乗って、もう一方の足でガタを掻いて漕ぐのです。ガタは、田んぼみたいな泥んこ状なので、こうでもしないと移動が困難なんですね。ムツゴロウをとるための<ムツカケ>には、特殊な専用の釣り竿を使います。普通の釣り竿状の竿に、独特な形状をした<釣り針>がついています。4センチ程度の鉛の四方八方から太めの針が出ている、ムツカケ専用の釣り針なんですね。で、釣り針の着いた釣り糸を、竿ごとグルグル振り回し、呑気に日向ぼっこしているムツゴロウにねらいを定め、一瞬のうちに引っかける、という高度なテクニックを駆使して<釣る>のです。<釣り>というよりも、まさに<引っかける>わけで、それで「ムツカケ」というのです。名人になると、1時間ほどの間にバケツいっぱいのムツゴロウの釣果があったと記憶します。高度なテクニックなので、これは修練を要します。小学生時代に私もやったことがありますが、いきなり本番だったので、鉛の針がガタの中に埋もれ糸が切れてしまいました。ズボッと埋まったまま、探しようがありません。(泣)まずは、陸で訓練を重ね、それからちょっとずつガタでの実践を積んでいくのです。夏の暑いさなか、15メートルほど先の空き缶めがけて何度もトライしました。友だち数人と、遊び半分でやっただけなので、続きませんでしたが、6年生の時、5匹ほど釣れたと記憶します。とても嬉しかった。干拓で海そのものが消失してしまったので、もうやりたくてもできませんが。。。思うに、ヒョッとすると、私はうちの郷里でムツカケのできる最後の世代なのかも知れません。ほとんど人間国宝?(笑)今にして思えば貴重な経験で、もっと上手くなっておけば良かったと思います。リタイア後、ガタ海の残る地域で、とことんムツカケに挑戦するのもいいかも知れません。
March 4, 2005
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「 ハゼやアゲマキはいらんでしょうかね? 」そのおばさんは、時折現れては、海で採れた魚貝類を天秤棒で担いできました。諫早湾で採れた海産物を売って歩いていたのです。養分をたっぷり飲み込んだガタ(干潟)には、この海にしか生息しない不思議な生き物だらけ。2枚貝のアゲマキ。長さ8~10センチ。塩ゆで、もしくは唐揚げで美味。小さな巻き貝、ホウジャ。2センチ程度。塩ゆで後、爪楊枝でほじって食す。珍味。潮の引いたガタの上をはい回る飛びハゼ、ムツゴロウ。体長12~15センチ。みお(潮の引いた状態の海の中にできる川)にゴロゴロいたハゼ。ガタの中に生息する、目のないウナギ状の魚であるワラスボ。とくに呼び名もないまっ黒なカニ。唐辛子といっしょにすりこぎで潰し、カニ漬けに。etc.etc.........何とも奇妙な生物で溢れていたのです。そのほとんど全てが食材でもあったので、じつに豊富な食材を地域住民に提供していたのです。いっぱんには「動物愛護」の象徴として認識されているようですが、ムツゴロウも海産物です。どうやって食べるのか疑問ですか?蒲焼きにすると、ウナギよりもうひと味あっさりした食感で、とても美味。酒のつまみにいけます。ウナギがペットにならないのと同じで、郷里の人たちは食材として認識。極端な遠浅の海は、潮が引くと、見渡す限りの干潟になるのです。いきなり「陸」が出現します。なので、誰でも容易に「漁」ができるのです。ちょっとコツを覚えれば、ガタに生息する貝類やみおの魚を子どもでも取れるのです。地の言葉で漁を、たとえば、「ホウジャ(貝)を拾ってくる」とか「アゲマキを掘ってきた」と言います。いわば入会地みたいなもので、誰でも「ちょっと夕食のおかずを取りに」海へ足を運びます。ですから、明確な「入漁権」みたいなものがあったはずもないのです。この地域の人たちは、太古より、いわば半農半漁の生活を送ってきたのでしょう。そして飢饉のときなど、人々の命をつないできたことも、想像に難くないことです。干拓に当たって、「漁民」に「漁業補償」をする、という報道が頻繁になされていました。それは、地域に生活を知っている私にとって、とても奇異な物言いに聞こえたものです。本来、この地域に「漁民」など存在しなかったのです。農業をやっていた人たちが、ある時期から本格的に海苔漁を始め、いつの間にか収入源になってしまったのです。それが正しい暮らしの説明でした。逆に言うと、漁業をやめても、もとの暮らしに戻るだけなのです。すなわち、太古以来、この人達は兼業農家なのです。●漁業補償をして、漁民の生活をケアした。これは、一種のフィクションでしょう。そうすることで、干拓実行の大儀が立ったのです。立派な新築の家が、当時はあちらこちらで建ったものです。
March 3, 2005
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郷里は諫早湾と呼ばれる干潟の海に面した地域でした。「でした」と過去形で表現するのは、その海はもう既に無くなったからです。そうです。国営の干拓事業で消失した、ムツゴロウの海です。今は、ただただ広大な荒れ野と化した干拓地が広がります。平野部の少ないエリアなので、農地を創出するために干拓をしようというのが当初の目的。ところが、米作ニーズの急速な減少に伴って干拓を疑問視する声も出てきたようで、目的変更。水害への対処という急ごしらえの理由をつけて、干拓は決行されたのでした。台風の時など、海水が堤防から逆流する地域もあって、旧干拓地の一部では海水が逆流。確かに被害や潜在的な脅威はあったようです。ただ、それは堤防の強化や潅漑システム技術で何とでもなる話で、要は干拓事業が欲しかったのでしょう。膨大な国費投入の公共事業は、実行側としては喉から手が出るほど欲しかったんでしょう。有史以前から営々と続く自然と地域住民の暮らし。それを金のために潰してしまったとしたら、子孫に申し開きようのない愚行です。干拓事業の存在を知らずに子ども時代を過ごしました。干拓事業の推移を遠く離れた東京で指をくわえて見ているしかありませんでした。そんな私の、子孫への「謝罪」の気持ちを込めて、今は無き、ムツゴロウの海と人々の暮らしを何回かに渡って書き記してみたいと思います。目をつぶると、瞬間、あの頃の生きていた海が蘇ります。でも、それはもうどこにも存在しないのです。帰省するたびに、ムツゴロウの海の「残骸」を目にしなければなりません。ふる里は変わり果ててしまいました。それはとても辛く悲しい事実です。人々の生活を潤しているとか、地域住民のためになっているというのならいざ知らず、ただただ広大な荒れ野が広がっているのです。しかも用途不明なままの様子。この悲しみをどう形容していいのでしょうか?そうですね。たとえば、、、大金をはたいて整形手術をした挙げ句、二目と見れないほどの大失敗をした顔…そんな感じでしょうか。。。しかも、もともと個性派美人だったのに、金に目がくらんで。。。今はただ、失業補償で立った、立派な家がそこここに威容を誇るばかりです。
March 2, 2005
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私が小学校の頃、<おったよ>と<とっし>という、2人の「異人」がいました。2人とも知的障害者で、当時すでに中年期にあったと思われます。ともに男性。<おったよ>は、名前も居所も不明でした。方言で、「~がいたよ」というのを「~がおったよ」と言います。で、「私がここに、おったよ」ぐらいのニュアンスで語っていたのが名前になったんじゃないか、そう思います。大人も含めて、誰も<おったよ>の本名を知らない、不思議な人でした。年に数度、突然現れては、奇矯な行動を取るのでした。「おったよが、はあーはあー♪、、、おったよが、はあーはあー♪」こう唄うがごとく、決まったフレーズを口ずさみながら、そこら中を徘徊するのです。ニコニコ笑いながら、楽しげに、そこら中を歩き回るのです。子ども好きでもあったようで、よく、子どもたちが遊んでいるところへヒョッコリ出現しました。だみ声で、遠くからも分かるほどの大声で唄いながら、だんだん近づいてくるのです。「おったよの、来よっぞ!」姿が見えないうちから、おたよソングが近づくと、子どもたちはみんな大騒ぎになります。「人気者」というのとはちょっと違うのですが、なぜかワクワクするのです。あるときは授業中の小学校のグラウンドに出現し、立派ないちもつを開陳しながらうろつき回りました。「おったよが、チ○チ○ば、ひっと出して回りよっぞ!!」学校中、騒然となります。「おったよが、はあーはあー♪、、、」本人はいっこうにかまわず、いつも通りの調子です。特段、なにか危害を加えたり、どうこうするということもないので、人々も大らかに放っておいた模様。そして、いつの間にかサッとどこかへ消えてしまうのです。まさに一陣の風でした。地域共同体の外に住む彼は、いわば<異人>で、一切の社会的なマーキングのない存在でした。一陣の風のごとく、どこから来たとも知れず、どこかへ行ってしまいます。ただ、その独特の「唄」とワクワク感だけを残して去っていくのです。<おったよ>と双璧を成す異人に<とっし>という人がありました。こちらは住んでいる場所も、家族も明らかで、いわば「定住型」。年老いた母親と二人、県道端の3畳ほどの、「小屋」に住んでいました。「爺やん、爺やん」と呼びかけるのが口癖で、大人でも子どもでも関係なくそう言うのです。学校帰りに子どもたちが覗くと、いつもニコニコしながら、蒸かしたジャガイモを食べていました。ときどき徘徊しては、玄人並みの按摩のテクニックで、マッサージをやってまわるのです。うちにも時々出現し、父親の肩を揉んだりしておりました。なぜかシケモクが大好きで、それが駄賃になっていました。ちゃんと1本のタバコを勧めても拒んだりで、シケモクを旨そうに吸いました。<とっし>もまた、なぜこういった存在としてここにいるのか、最後までよくわかりませんでした。不思議なことに、大人達もその来歴を語ったこともなかったのです。あるいは、どこかから母子で流れ着いて、この場所に居着いた異人だったのかも知れません。私が中学生から高校生にかけての頃、二人とも施設に入れられたということを聞きました。特に、これといった益を与えることもなかったかわりに、危害を加えることも無かったのです。おそらく、時代がそういった存在を囲い込もうとしたのでしょう。山の中の施設で、<仲間>とそれなりに賑やかに、それでもってどことなく寂しく過ごす姿を想像します。昭和40年代までは、彼らを含め、いろいろな障害を持ち合わせた人たちが身近にいたようです。仕事を手伝ったり、困っていたら何とかしてあげる、そんなことが普通になされてもいたようです。それは地域や学校でも同じで、その分、子どもたちもごく普通に受け入れることになっていたのです。多様な人間が暮らすのが社会であって、人にはそれぞれ居場所がある。そんな状態が、ごく自然にあった気もします。高度経済成長の時代と共に、彼らを受け容れる寛容も失っていたのでしょう。それは同時に、共同体社会が変容するプロセスであったように思います。今も、牧歌的な「おったよソング」が、耳の底にこびりついています。。。
March 1, 2005
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ここ数日、風邪をひいて伏せっています。3週間ほど前にも風邪だったので、風邪のひき直しですね。とくに一昨日夜から昨日の昼にかけては朦朧として、いろんな夢を見ました。熱にうなされ、もう死ぬんじゃないか、なんてことを考えてみたり。。。病床にあると、どうもマイナス思考になりがちでいけません。そう言えば、小学校5年ぐらいのとき、「遅かれ早かれ、俺は死ぬんだ」と、本気で思い詰めたことがありました。通学途中で、大きなシェパードに噛まれたのです。子どもたちの間で、その犬は狂犬病だというもっぱらの噂でした。田舎の田んぼを縫う通学路の傍らに、荒れ放題になった八幡神社がありました。だれもいない無人化した境内に、その犬は住み着いていたようでした。学校への道を急いでいました。その時は一人っきりで、周囲には誰もいません。ふと見ると、神社に続く石段の中程で、大きな犬がこちらを睨んでいます。長くて真っ赤な舌をだらしなく垂らし、その舌からはダラダラとヨダレを流しているのです。オオカミ然とした、なんとも恐ろしげな形相でした。「狂犬病のオオカミ犬だ」そう思うと、恐ろしくて仕方ありません。「走るなよ。走ったら、追いかけてくる。」そう自分に言いきかせました。ところが、オオカミ犬は、石段を下りて近づいてきました。恐ろしくてつい小走りになっていたのでしょう。オオカミ犬は、すぐに追いかけてきました。動物の習性で、背中を見せて逃げる相手を追いかけたくなるのです。数十メートル先に、大工をやっている家があります。そこまで逃げれば何とかなる。必死に逃げたのですが、あっという間に追いつかれたようです。右足に激痛が走りました。噛まれたのです。叫び声を上げた途端、居合わせた大工さんの家の人が犬を追っ払ってくれました。痛いのと、噛まれたショックでしばらくは、泣きながら呆然としていましたが、落ち着いたところで登校したと記憶しています。40年近く前の田舎町のこと。その程度で病院にいくなんてことはなかったんでしょう。普通に登校して、授業を受け、そして普段通りに帰宅したのです。狂犬に噛まれたことなど、誰にも知られることなく。。。でも、子どもたちの間で流れていた噂が頭から離れませんでした。「狂犬病の犬に噛まれると、、、狂犬病にかかって、死んでしまうんじゃ、、、」テレビでも、狂犬病対策として、野犬を捕まえて保健所送りにする場面が流れていました。「狂犬病の犬に噛まれたらやなァ、気ィ狂うて死んでまうんじゃ・・・」恐ろしいことでした。子どもたちの間で流れる噂がメディア情報と握手することで、確信に変わり、当時の私にとって、動かざる「事実」として確定したのです。それは、あたかもガンの告知にも比肩すべき「死の告知」だったのです。「あのオオカミ犬のように、ヨダレをダラダラ垂らしながら、自分も狂って命を落とす。。。」そんなシーンが、夜となく昼となく走馬燈のようにイメージされました。そして、「この後の残された人生をどう生きたらいいのか」が、当時の私にとって重要な命題になったのです。思えば、なんと不出来な親不孝息子だったことか。。。しょっちゅう喧嘩ばかりして、勉強はしない。近所の畑のスイカを友だちをけしかけて盗んでは、騒動ばかり起こした自分。ガキ大将として君臨し、ちっとも友だちに優しくなかった自分。そんなこれまでの行状が、一つひとつ思い浮かぶのです。そのたびに、両親が頭を下げて回っていた情景を思い出します。自分のために、一生懸命やってくれてたんでしょう。学校帰りの暮れゆく秋の景色がとてもきれいでした。去年もたしかに通過した、晩秋の見慣れた景色だったはずです。でも、1個だけ散り残った枯れ葉が、なんとも言えず哀れで、そして美しい。秋の夕暮れ時の景色をポツンと眺めていると、涙がこぼれそうになるのです。何気なく眺めていた景色が、じつは何ものにも代え難いすばらしい景観に感じられるのです。その当時の気分をどう表現すればよいのでしょう。「幸せだった」たぶん、そんな気持ちに近かった気がします。今、数十年経っても、未だに余命を堪能していますが。。。
February 20, 2005
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● 成功に導く秘訣は、実はとても簡単なことなのです。 困ったことが起こったとき、声を出して自分自身に問いただしてみるのです。 「私は本当に困っているのか」と。 [斎藤一人『変な人が書いた成功法則』]斎藤一人さんは、今、日本で一番の成功者と言ってよい人です。中学卒業後、裸一貫から大金持ちになり、「スリムドカン」などのヒット商品でおなじみの「銀座マルカン」創業者。93年から11年連続で高額納税者番付にランキング。土地や株式売却益ではなく全てが事業所得というので、名実ともに日本一の長者でしょう。03年は1位。(累積納税額でも1位)私は、斎藤一人という方の名前を、うかつにも最近までよく知りませんでした。長者番付に書いてある名前と、書店に並ぶ名前が同一人物として一致しなかったのです。「癒し」にだけ興味があったため、「成功」というキーワードにヒットしなかったのでしょう。いわゆる「成功本」がお金儲けのことが書いてある本だという漠然とした認識しかなかったのです。でも最近思うのは、心と身体の病気にならないように「予防」としての「癒し」は、けっきょくのところ、治療としての「成功法則」につながるというです。「成功」って、広いので、お金儲けだけじゃないんですね。それは、どうも「生き方の成功」を含み込むようです。斎藤さんのユニークなところは、心の持ち方で「成功」できるという考え方を実践している点です。そして、ビックリすることに、ご自身が長者になってしまっているという点。さらに驚くべきことに、斎藤さんの本を読むと、拍子抜けするぐらいその方法が簡単だと言うことです。「困ったことなんか起こらない、そう考えるとお金持ちになれますよ。」こんな調子です。最初は、何だかバカにされた気持ちにさえなりました。でも、よくよく読み込むと、人生に起こるいろんな問題にどういう姿勢で対処すべきなの、という捉え方が私たちの人生の結果を左右する、という基本原則が述べられていると言えそうです。ちょっと、簡単に確認してみましょう。【 神様はその人の魂のステージを上げるために、(いわばゲームとして)課題を出す。 だから、その人の手に負えない困った問題を出すことはない。 そして困ったことは何も起こらないと広い心で考えられたとき(魂のステージが上がり) 現実の問題も解決する。 】斎藤さんが紹介している事例を示してみると、例えば…▲ 知り合いの小俣カンちゃんは、とても働き者。カンちゃんには、サーフィンに夢中でマジメに働かない弟がいる。 働き者のカンちゃんは「あいつは困ったヤツだ」と思い、そういうときに限って兄弟喧嘩になる。 そこで、私はカンちゃんに「なあ、カンちゃん、あんたは弟が働かないからって、本当に困るのかい?」 と聞いてみた。カンちゃんは、「確かに、弟も自分も困らないし、俺が事業家になって食わせてやる」という気持ち になった。そして、そう思ったと同時に、弟はマジメに働きだした。ここでポイントは、「働かなくて困るのは弟の方だから、べつに自分は困らない」というのではなく、「あいつ一人ぐらいは俺が食わせてやる」と広い心で「困ったことは起こらない」と考えた点だと言います。これは、<気が楽になる>というレベルのことではなく、本気でそう考えたとき<現実を変える>ことになる、ということ。この点こそが、一番のポイントです。そして、それが本当かどうかは、実際に自分で実践してみるしかないのでしょう。私たちの人生には、いろんな「困った」が満ち満ちています。・子どもが勉強の成績が悪くて困ってます。・夫が浮気ばかりで困ってます。・妻が外で働きに出ると言って(家庭をいい加減にしそうで)困ってます。・恋人にふられて困ってます。そういうときに、「でも、気になる」という地点にとどまるんじゃなくて、「じゃあやってみよう」という実行に移すこと。。。そこがストレスだらけの「困った人生」と、ハッピー・ラッキーの「成功人生」の分かれ目ですね。「俺には関係ない」という利己主義ではダメなんだ。ということも大事なポイントですね。そもそも、「困ったこと」って、考えてみるとほとんどが人間関係なんですね。仕事でさえも、当然「人間関係」の範疇にありますからね。斎藤さんの考えでは、困ったことっていうのは「前段階の魂の波動」が起こしたものです。なので、解決するためには、考え方を変えて、心を豊かにして、魂を向上させることが大事だと言います。私自身も、その実感はあります。周囲の人たちのお陰で今の自分がある。そう考え、感謝する、実際に感謝の言葉を口に出す。「ありがとう」と紙に書く、念じる。そうすることで、とても急激に外界の景観が変わり、ラッキーなことが起こります。不思議です。一番大事なのは「くだらい」と、実行に移さないことなんでしょう。
February 19, 2005
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■ 養老孟司『バカの壁』 (新潮新書、03年4月刊)人を喰ったようなタイトルです。ちょっとショック。脳の研究を専門にする養老さんのヒット作。ここでいう「バカの壁」について、養老さんは、「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。 …つまり、最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。 」と、述べています。もう少し、分かりやすく具体例で考えてみますか?筆者が大学の講義で、学生に妊娠から出産までの詳細なドキュメントを見せた。イギリスBBC放送の制作で、ある夫婦の記録。学生は女子6割強、男子4割弱。番組の感想を求めた結果、女子学生のほとんどが「大変勉強になりました」と、新しい発見に感動しているのに対し、男子学生は大方、「こんなことは既に保健の授業で知っている」という感想。まったく逆の反応だったと言います。女子は妊娠・出産という話題自体、自分の将来直面する現実としてリアリティーがあるのに対して、男子は、(加担者?であるにしても)自分とは関係の薄い事柄だというのが大きいからではないか…。つまり、自分が知ろうと思わないことに対しては、人は自主的に情報を遮断してしまいがち、と言うことです。考えてみると、私たち人間は、基本的にそういったスタンスで生きているようです。・テレビのスポーツニュースで、ボクシングを放送している。・新聞で、上野にゴッホ展が今度やってくる、と報じている。・経済新聞で、製薬会社の合併が詳細に書かれている。これらの日常的な話題に、「おっ、これは凄いことをやってる!!」と食い入るように見る人もいれば、「なあんだ、つまんない」と見ようとしない人もいるでしょう。興味・関心の有無ということですね。でも、その瞬間、一切の情報を遮断しインプットを拒否しているのだ、という意識は薄いと思います。さらに、「そんなことは、自分はとっくに知っている」という思いこみが一番恐いのでしょう。テレビでしょっちゅう流れている情報、たとえば、リストラされる人がもの凄い数に上る、自殺者が3万人に上る、引きこもりの若者が増えている…こういった話題を私たちは常に耳にします。そして、「その話題は知っている」と思っています。でも、それに直面していない人がどれほど詳細な情報、当事者の気持ちまで分かっているのか、とても心許ないのではないのでしょうか?本当のところは、何にも分かっていない…「もう知ってる」と思った瞬間、人は情報を遮断してしまうのではないでしょうか?しかし、「じゃあ、その時起こることや、その人の気持ちを簡単に説明してみろ」と言われると、何にも言えない。もっと手に負えないのは、じつは、常に接している人の「情報」かも知れません。青春期の若者にとって、親や教師は「ウザイ」「当たり前のことしか言わない」、見慣れた存在でしょう。でも、「じゃあ、お前、親や教師がどんな気持ちでいるのか、説明してみろよ」と言われると、できないはずです。そんなことは考えたこともないし、そもそも養ってもらって当たり前、教えてくれるのが当たり前と思っている。毎日見慣れて「うっせ~」ぐらいにしか思ってないから、膨大なエネルギーで向き合っていることに気づかない。こう考えると、私たちは日々「バカの壁」に取り囲まれて生きてるんでしょう。そう自覚することで、じつは人類は進歩してきたんだと思うんですね。いわゆる「常識」もそうです。数百年前までは、地球を中心に太陽や月や星が回っているというのが常識だったのです。ほんの少し前まで、光りは曲がることなくこどまでも真っ直ぐに進むのが常識だったのです。つい最近まで、退職するまで終身雇用されるのが、少なくともこの国では常識だったのです。「それって、本当に私は知ってると言えることなのかなあ…?」その謙虚なためらいだけが、「壁」を取り去ってくれるのでしょう。
February 18, 2005
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長谷川 集平 絵・文 『日曜日の歌』好学社刊父と子の関わり・生活を、小学生の少年の視点から描きます。腕白な「ぼく」の日常と、それに向き合う両親の姿が、独特のタッチで描かれます。『日曜日の歌』のテーマは何かと考えてみると、やはり、その題名が如実に示されるように、「日曜日」に父・母・ぼくの3人で歌を歌う最後の場面に収斂していくんでしょう。「ぼく」の腕白のおかげで、周囲の人たちに頭を下げっぱなしの両親です。でも、一コマづつがコンパクトに提示されるだけで、いったい両親がどんな気持ちでいるのか、さっぱり分からない。ただただ謝っているだけ、小さくなっているだけで、没個性的でさえあるのです。でも、いよいよ日曜日になる最後のシーンで、父親の心情や親子の気持ちが丸裸になるのです。「 日曜日。 」(3人とも、元気にフトンから起きあがり、ハッスルの図)「 きょうは父ちゃんの野球の試合。 」(ユニフォームに着替え、颯爽と試合に出かける父ちゃんと、弁当を持ってついて行く母子の図)ぼくと母ちゃんは、父ちゃんを応援します。父ちゃんも、家族の声援にいいとこ見せようとハッスル。ところが、父ちゃんはエラーの失態。チームも負けて、いいとこなしです。うなだれる父ちゃん。。。ぼく:「負けたね。」父ちゃん:「ばかやろう」(うつむいて、ポツリと吐き捨てる図)・・・・・・・・・・・・・・父ちゃん:「あんなことしやがって、この不良」 <注:万引き等の悪さのこと>(突然怒りが爆発して、キレて怒鳴る父ちゃんの図)ぼく:「ばかやろう」(売り言葉に買い言葉で、言い返す「ぼく」の図)せっかく日曜日に家族で野球の試合を楽しもうとしていたのに、親子げんかです。疲れも手伝って、ムシャクシャしてたんでしょう。なぜか突然、3人の親子は歌い出します。「 みんなで歌をうたっているところ。 」( 父ちゃんも母ちゃんも、原っぱに座って、大きな口を開けて歌う。 そして、「ぼく」も石を投げながら一緒に歌うの図 )そしてここで、、唐突に、、絵本は終わるのです。読み終えてみると、なんとも言えない安堵感とでもいうのでしょうか、ホッとした感じになります。その「ホッとした感じ」はどこから来るのか?きっとそれは、最後の場面が、親子の裸のぶつかり合いであるとか、本音の気持ちとか、いろいろあるけど、それでも親子一緒に大声を上げながら歌う「一体感」みたいなものを感得できるからなんだと思います。注意してみると、『日曜日の歌』は、一人っ子の家族の話なのです。そんな感じを抱かせないのは、「父ちゃん」「母ちゃん」の呼称であるとか、いかにもそれに相応しい<オヤジ><お袋>然としたタッチの絵であるとか、ガキ大将を絵に描いたような「ぼく」の設定・描写のせいなのでしょう。しかし、これは間違いなく、一人っ子・核家族という、現代のファミリーの姿です。そんなニューファミリー時代の父親の存在感をどう描くか・・・なかなか難しいテーマに迫った作品とも言えるのでしょう。「パパ」「ママ」だと、きっと最後のみんなで歌う場面は、似合わない。絵本の表紙を見ると、父親も母親も、そして「ぼく」もバラバラな方向を向いています。父親はちょっと寂しげにビールのグラスを手に持っています。家族それぞれが、それぞれ一生懸命生きているのに、でもどこか接点を見出せない。そんな今の時代の家族を象徴しているようにも見えます。子どもの教育に熱心に取り組み、必死に頭を下げて回る両親。でも、子どもは他人事で、「俺には関係ないや」とどこかを向いてしまっている。そんな、ちぐはぐな家族像なのです。家族なんだから、気持ちを思いっきりぶつけるしかない。家族なんだから、悲しかったら思いっきり泣けばいい。家族なんだから、みんなで怒鳴り声で思いっきり歌えばいい。そんな、当たり前のことを、正面から訴えるような作品です。
February 11, 2005
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最近、何かと立て込んでいて、書きそびれていました。ちょうど50本になる自分自身の書き残した跡を読み直してみました。私なりの思いを伝えたいということで「癒しと勇気」の視点から書き連ねてきました。日記の枠組みから考えると、ちょっと外れるようなコンセプトになっているようです。日々の記録ということからすると、やや軌道修正を試みたいという気もします。これから多忙期に入っていくこともあり、毎日書いていくのは難しいようにも思います。これからは、数日おきの配信になっていくかと思いますが、お付き合い願えると嬉しいです。寒さも春節まで。旧正月を過ぎ越して、もうすぐ春です。心浮き立つ季節になりますね。折々、季節の話題なども書き込んでみたいです。
February 10, 2005
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長谷川 集平 絵・文 『日曜日の歌』好学社刊父と子の関わり・生活を描いた絵本の2作目です。前回紹介した『こんにゃろ!とうちゃん』と同様、『日曜日の歌』も小学生の少年の視点から描かれます。かなり腕白な「ぼく」の日常と、それに向き合う両親の姿が描かれます。この絵本の特色は、どういったらいいのか、ある種の即物的なタッチにあります。即物的、というとちょっと違う気もするのですが、いかにも小学生の「記録」風の記述と小学生っぽい絵で、淡々とつづられています。「 ぼくが健次郎をなぐっているところ。 」(そのシーンで1ページ)「 母ちゃんが先生に注意されているところ。 」(やはり、そのシーンで1ページ)こんな調子です。小学生の男子が描いた、かなりデフォルメされた印象的な絵。友だちの健次郎をポカリと殴る場面。母親が先生の前で小さくなってうなだれている場面。1画ごと、話題と中心的人物を極端に大きく描きます。隣の女の子、くんちゃんにイタズラして泣かしては、父親が手をついて謝り、果物屋さんで万引きしては、両親が菓子折を持って謝りに行きます。注意したいのは、そのどの場面も、必ず「ぼく」も一緒に連れて行かれ、親の姿を見ている点。必ず明後日の方法を見てすっとぼけているのですが、両親の姿を見ているのです。かなりの悪ガキで、まったく堪えていない様子です。晩ご飯を食べるときも、しおれて小さく描かれる両親に対して、「ぼく」はむしろ堂々と大きく描かれるのです。親の心、子知らず。それを地で行く、悪ガキの「ぼく」。両親もどうしたものか考えあぐねたのでしょう。ある日、父親の提案で、3人で映画を観に行くことになります。映画館までの道のり、3人は無言で歩きます。「 歩いているところ。 」(遠景)「 歩いているところ。 」(近景、ズームアップ)そして、映画を観た3人は、、、「 映画を見て泣いているところ。 」(スクリーンと観客の場面で、見開き1ページ)父ちゃんも母ちゃんも、そして「ぼく」も、ボロボロと大粒の涙を流します。映画の場面は、死んだペットの犬を男の子が泣きながら揺すっている図。観客の中で、泣いている大人が父ちゃんと母ちゃんだけなのが、じつに象徴的。3人は、一つの場面を見ながら、ともに泣くのです。一切の説明を排除したタッチは、絵を通して読みとるべきメッセージをすべて込めているようです。おそらく、親子で同じ時間や体験を共有する親子の姿を、この絵本は示しているのでしょう。親の後ろ姿を見せるわけでもなく、かと言って、悪ガキの「ぼく」に説教をすることもない。ただただ、淡々と、両親は子どもと共に行動し、子ども共に体験を共有するのです。後ろ姿ではなく、親の顔を見せることで、子どもと向き合う親の姿があります。これって、案外、大事なスタンスなのかも知れません。とくに働く姿や、いっしょに過ごす姿を見せにくくなった今の社会。父親が子どもに伝えたり、教えたりするチャンスが限られた今の社会。現代の父親にとって大事なことを教えている気がします。
February 9, 2005
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梅田俊作/佳子 作・絵『こんにゃろ!とうちゃん』岩崎書店刊海に連れてってもらえなかった「ぼく」は、父ちゃんと学校の校庭でサーーカーボールを蹴りっこをします。汗だくになって、2人とも真っ裸で、大の字になって寝そべるのです。校庭の砂が海辺の砂がわりです。はあ!はあ!「とうちゃんも けっこう やるじゃない」「おう、もうじき 四人の こもちだからな。おまえも いつのまにか つよくなったなあ」はあ!はあ!はあ!「ぼくも もうじき 三人の あにきだからね」ふふ、へへへへ……。海に行けなかった悔しさはあるはずですが、それ以上に、父親と泥んこなって遊んだ満足感があるのでしょう。「ぼく」も「とうちゃん」は、「校庭の砂浜」で寝そべりながら、心地よい触れあいをします。親子でゲームをする、若いファミリーもあるのでしょう。父子で、休みの日に図書館へ行くケースもあるでしょう。どんな遊びでもかまわないと思いますが、一緒に時間を過ごすことが大事だと思います。できれば、自然の中で子どもにかえって、一緒に遊ぶ。魚取りやキャンプで火のつけ方を教える。。。それは、きっと代え難い思い出になって、親子の絆を深めることになるのでしょう。個人的には、親子で働くことが可能なら、それこそベストかも知れません。私の実家は海産物屋を営んでいたのですが、いやいや手伝った仕事と仕事を通しての親子の触れあいが、家族の絆を作っていた気がします。両親と遊んだ記憶は、ほとんどないのですが、なぜか「豊かな」思い出として残っています。それは、働く「後ろ姿」を常に見せていたことが大きかったんだと思います。会社で働く父親の姿は、まったく見えないものですね。父親不在の一番の要因は、そこにあると思います。「やっほー、おべんとうにしませんかー」突然、母ちゃんがお弁当を持ってやって来ました。「うへ、か、かあちゃんだ」二人とも、タオルで前を隠して、ビックリ。【ぼくたちは、小学校の校庭の「浜辺」でお弁当を食べます。校庭の気がパラソル替わりです。 夜までここにいて、花火をしようかという話題になったり。絵日記に書けない。格好悪いよ。】「こんにゃろ!こんにゃろ! うみ、ぜったいに あきらめないぞ。 ぼくは おにぎりに むしゃぶりついた。 」ここに描かれた世界は、子どもの目を通して捉えた「家族の生活」。それも、父親が忙しくて海に行けなかった悔しさと家族の絆という、実にユニークな設定。それは、ほとんど通常の絵本では題材にならないような「現実」です。でも、どこかほのぼのとして、心温まる話ですね。それはきっと、「とうちゃん」や「かあちゃん」の愛に溢れているからなんじゃないかと思うのです。徹夜明けで疲れているはずなのに、「ぼく」や子どもたちのために一緒に遊ぶ、父ちゃん。気転をきかせて、お弁当を作り、「プチ・家族旅行」を演出した、母ちゃん。両親の愛こそが、子どもの思い出や記憶をつくっている、そんなメッセージを感じます。旅行に連れて行く時間やお金がないから、父親不在になるんじゃないはずです。父親不在の時代とは、愛の表現方法を見失った結果かも知れません。
February 8, 2005
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梅田俊作/佳子 作・絵『こんにゃろ!とうちゃん』岩崎書店刊父親に遊びに連れていたもらった思い出。少年時代の思い出の中でも、それはとても鮮明な記憶になっているものです。海や山へ家族みんなで行ったことは、私たちの思い出の中でも、とても貴重。子どもとしては、その時はあまり意識しないでしょうが、後になって、「忙しいのに無理して連れて行ってくれたんだあー」と懐かしく思い出すものでしょう。『こんにゃろ!とうちゃん』は、海に連れて行ってもらえなかった少年の目で描かれた思い出です。海に連れて行くと約束していたのに、父ちゃんは約束を破ってしまうのです。急な仕事で、しかも徹夜明けで、家で父ちゃんは寝ています。ぼくは弟を見るように言われ、仕方なく学校の運動場でふて遊びをしています。今度4人目の子どもが生まれる母ちゃんも大変なのでしょう。「とうちゃんのせいだ。きょう うみへいくってやくそくしてたのに、うそついた とうちゃんが わるいんだ。くそー! ぼくはとうちゃんの かわりに ボールを けっとばした。」ガランとした夏休みの校庭に、ボールの音が響きます。「どろぼうー!」「にんげんのくずー!」「うそつきは どろぼうの はじまり。 いつも そういうの、だれだ!」「やくそくをまもれいやつは、にんげんの くず。 そういってるのは、とうちゃんじゃないか!」ぼくは、やけになって喚き散らし、サッカーボールをけっ飛ばします。ついでに、ごっこ遊びしたがる弟にも八つ当たり。弟も泣き出す。「うるさい!!」。「おーい!」「つめたいの、いっしょに くおうや」振り向くと、父ちゃんがアイス片手に手を振っています。半袖・短パンのラフな格好です。「わるかったなあ、たのしみに してたのに」「きゅうに しごとが はいっちまってね」仕事のためなら約束破ってもいいのか?ブツブツいいながら、アイスキャンディーに噛みつきます。「うみ とうちゃんも いきたかったなあ」父ちゃんは、アイスを食べながら、ポツリポツリと子どもの頃の思い出を語り始めます。【ちょうど自分の息子と同じぐらいの時、父親がたった1度の家族旅行に連れて行ってくれた。 海で泳いだり、潜って魚を探したり、カニを捕まえたり、1日じゅう父親が遊んでくれた。 夕日が沈む頃、海が一瞬息をひそめ、とても美しい絵が。そして、水しぶきを上げて泳ぐ楽しそうな親父…】二人は、サッカーボールを蹴って遊びます。「くっそー、ぼく、うみへ いきたかったんだぞー!」と、ボールをけるぼく。「こんにゃろー、とうちゃんだって、いきたかったんだぞー!」と、父ちゃんも蹴り返す。「ええい!ぼく、とうちゃんと うんと あそびたかったんだぞー!」「こんにゃろ! とうちゃんだって そうだー!」二人とも汗だくになって、ボールを蹴り合います。汗ビッショリになり、ハアハア言いながら、真っ裸で大の字になります。「すなはまみに いるみたいだね、とうちゃん」「ああ……、いいきもちだ……」「こんな かっこう、だれかきたら まずいね」「へいきさ、ここは だれもしらない すなはまだもの」海に行けなかった「ぼく」の夏休み。でも、親子でしっかり触れあうことができたのです。父親不在、などと言われる昨今です。そんな中で、父親の現実と存在をしっかり見据えた、貴重な絵本です。どこかへ連れて行ってくれるだけが、父親の役目ではないはずです。しっかりと触れあう時間をつくってやること。何でもいいから、一緒に遊んでやること、それが一番の思い出になるのでしょう。私の子ども時代の記憶としては、父親と田んぼの脇の川で釣りをした、小学校5年の思い出があります。父親と弟と私の3人で食べた、お袋さまの手製オニギリとサバの焼いたのがやけに旨かった。。。そして、やけに楽しそうだった、今はもういない父親の顔をクリアに記憶しています。後にも先にも、それっきりでしたが…昔から、親はみんな忙しかったんですねえ。
February 7, 2005
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● 自分を変えていくってこと、ほんとにできるんですか?結論から言うと、できます。和田秀樹さんも提起していますが、メタ認知の手法で人の考え方や行動を変えていくことができるのです。認知心理学の分野では、広く用いられている方法です。・いい企画を考えて準備もできている。でも上がりやさんで、うまくプレゼンできるか不安だ。。。こういったことは、よくことですね。対処法としては、とりあえず二つほどあるでしょう。1)これでもか、というぐらい十分な準備をする。その企画では右に出る者がいないぐらいに。2)2~3人の仲間内→小規模の会合でプレゼンの練習をする。小さい成功体験を積む。そのとき、やっかいなのが「本当にできるのかな?」という不安心理。人間は、もともと「不安」や「マイナスイメージ」に陥りやすいようです。失敗体験をしっかり記憶しておかないと、人類の種としての安全が保てなかったからでしょう。落下体験を覚えていて、高いところに「不安」や「恐怖」を感じるのはそのためです。それを忘れて、平気で数十メートルの高さから飛び降りていたら、今頃人類は絶滅してますものね。ですから、「おれの右に出る者はいない」と思えるぐらいの準備、「確かにこれでやれた」という小さいところからの成功体験、というのは、とても大切です。それは、たとえば引っ込みがちな性格を変えていくことにも通じるでしょう。それでも、「どうしても人前で話すことが不得手」だった場合は、どうすればいいのでしょう?・私は、人前では上がってしまう小心者だが、じっくり物事に取り組むことが好きだ。このケースだと、「気が小さい」というマイナス面、「じっくり取り組める」というプラス面が明らかになります。こうやって自己モニターをすることで、「じゃあ、まずじっくり取り組める仕事に就こう」という方向が定まり、さらには自分の長所を伸ばしていけるのです。先ほどの例であれば、プレゼンは得意な人に任せ、企画に徹することもできるでしょう。徹することで自信がつき、運やツキが巡ってくる好循環に乗り、特定の分野の第一人者になるかも知れません。要は、自らをモニターして長所を把握し、それを伸ばしていくこと、そして行動に移すことが大事だと思います。そしてその過程で、自分のマイナス面を修正し、大きく変わっていける可能性があるでしょう。得手不得手は誰にでもあるので、トータルで成長していくことを考えればいい。発想を変えるのです。その方が気が楽ですよね?そして、ちょっとずつプレゼンのパートを受け持つ、といった「ミニ成功体験」を重ねることで、圧倒的な専門知識を語ることの快感を学ぶかも知れません。いやでも、人は変わっていく生き物です。
February 6, 2005
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● いいことだけ考えているとそれが現実になる、ってほんとうですか?J・マーフィーは、日々イメージしていることが人の未来を変えていく、と述べています。具体的には、「成功した状態のイメージ」「成功者である自分自身のセルフ・イメージ」を日々、思い描くことで、そのビジョンが潜在意識に刻印され、思考の現実化が(例外なく)生まれるというもの。それは、例外なくそうなるのでしょうか?これについては、私にはまだ何とも分かりません。身近な人たちで、「そうである気がする」という人もいれば、逆に「よく分かんないなあ」という人もいます。現段階では、何とも結論が見えていません。「プラス思考」型の人の場合と、「マイナス思考」型の人の場合で、もともと差があるのかも知れません。また、J・マーフィーの言うように<科学的な事実>と言えるのかどうかも分かりません。 さらに、統計的事実かどうかも今のところ確かではないようです。もし、検証や統計がある、見たことがあるという方がいらっしゃったら教えください。ただ、一つ知っておくべきだと思うのは、「成功者」と目される方々の多くが、マーフィー理論によく似た方法(たとえばツキを呼び込むテクニックの実践)で、どうも成功しているらしいことです。「成功」の捉え方は人それぞれだと思いますが、少なくとも、こうありたいという「夢」を実現しているようです。今注目の、五日市 剛さんの『ツキを呼ぶ魔法の言葉』や、望月俊孝さんの『幸せな宝地図であなたの夢がかなう』には、じつに簡単な方法で、プラスイメージを惹起し、夢を思い描き、現実を動かすことが示されていますね。細かいことを考えてもよく分からないのですから、こういった<テクニック>に特化した方法は福音でもあるんでしょう。過去2回のこのテーマでは、「意識とは体験的知識の記憶」である点を述べました。さらに、4つ~7つ程度の成功体験の積み重ねの記憶が、潜在意識をコントロールするのではないか、 という推論を述べました。そしてそれが、「私は○○する癖がある」とか「私には○○な傾向がある」というセルフ・イメージに結びつく。そういった経験的な知識と潜在意識の関係について考えてみました。認知心理学では、こういった自己認識のありようを「メタ記憶」「メタ認知」と呼びます。 この点については、【メタ認知研究会】のレポートがありますので、ご参照ください。http://www.fuchu.pd.saga-u.ac.jp/sample/meta/kiyou.htm「メタ認知」的な手法を、「成功」への具体的な方法として提起している点で注目すべき人がいます。和田秀樹さんです。(『お金とツキが転がり込む習慣術』)メタ認知は<自己認識>と混同されますが、まったく違うものです。和田さんはこの前提に立って、こう主張します。【 メタ認知とは、自分の行動や考え方、知識量、特性、欠点などを別の次元から 眺め認識する能力のことだが、そこには、「知識」と「活動」という二つのステップがある。 ここが単なる「自己認識」とは決定的に異なるところである。 】・私は慎重派だが、用心深くて決断力に欠けるところがある。・私は明朗でオープンな性格だが、つい失言してしまうことも多い。自分自身を分析することを「自己認識」とも呼びますが、そこにとどまらず、プラスマイナス両面を認識する。そして、たんなる知識にとどめず、具体的な解決法を考えていく、というところがポイント。人の性格には、プラス・マイナスの両面があるはずです。だから、それを自覚してプラス面に意識を向けていく。その態度こそが「プラス思考」なんでしょう。
February 5, 2005
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● 我々にとっての「時間」とは、単なる「資源」という意味を超えた 「素晴らしい何か」だからです。…「人生の時間」の意味を深く掴まないかぎり、 我々は、決して「時間を生かす」ことはできないのです。 (田坂広志『なぜ、時間を生かせないのか』)ただでさえ忙しい会社勤めの傍ら、何とか時間をやりくりしてスキルを身につけようとする。こういった方が少なからずあるでしょう。それ自体はとてもすばらしいことでです。やる気と向上心があり、勤勉で熱心な方なのだと思うのです。そして、それを実現するために、夜や休日の時間をやりくりして学ぶ。立派なことなのですが、じつはそこに「幸福な人生の時間」を見失うリスクがある。著者の田坂さんは、そう問題提起するのです。この提言の意味するところは、とても重要だと思います。現代社会を生きる私たちは、多かれ少なかれ「時間の使い方で人生が大きく変わる」と考えているからです。しかし、そこにそもそも落とし穴がある、というのですから、これは行動を起こす前に、まずはじっくり耳を傾けておく必要がありそうですね?では、田坂さんが警鐘を鳴らしているのはどういう点でしょうか?一言で言うと、「タイム・マネジメント」という発想の限界です。つまり、時間管理術。24時間という限られた資源である時間をキッチリ管理し、<使える時間>を生み出すということ。そこには、時間とは資源であるという捉え方がある。そして前提として、物理的で計測可能な存在だという捉え方がある。これがすでに「不幸」になる原因だというのです。一生懸命に時間を節約して、やりくりした時間でスキルを身につける。それは語学かも知れないし、パソコンの一歩上のスキルかも知れない。そして、やっとマスターしてホットする。でも、スキルや技能はあっという間に陳腐化するので、イタチごっこに陥る。だから、いつまで経っても「安心できない」気持ちから抜け出せない。。。スキルを身につける最終目的は、利益ですね?収入なり、地位なり、優位性なり、といった見返りがあると思うから苦労してやる。う~む。何だか老子の語るところに通じますね?▼ 物や名誉を争うために、知識をいくら詰め込んだって、 世界の平安も人々の幸福もやってはこないよ。 (65章・淳徳)じゃあ、私たちはどういう点に気をつけていけばいいんでしょう?次のポイントは、とても重要な示唆を提供しています。● ” 密度 ”です。時間とは、たんに長さだけではなく、密度がある。充実した時間を過ごすためには、じつはこの「密度」を高めていくことが大事だと言います。
February 4, 2005
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「思考は現実化する」(2)「意識」は「記憶」である、ということを先回書きました。それまでの体験の積み重ねと手に入れた体験的知識で、「日頃考えていること」や「意識」が生まれてくる、という考え方です。ところで、人の記憶には容量があると言います。「 そりゃー、そうだ。無尽蔵に記憶できるはずがない。当たり前だ。 」「 いやいや、世の中には、記憶の天才がいる。個人差がある。 」こんなまったく逆の意見が出てきそうですね。これは両方とも正解、と言ってかまわないようです。というのは、個人差は確かにあるものの、せいぜい2倍程度じゃないかと考えられるからです。「2倍も違うの!!」とビックリすることもできますが、< 人間 VS コンピュータ >みたいに、何百倍も差があるわけではないのです。じゃあ、記憶の天才と私のような凡才との差はどこからくるのか?それは、「把握の仕方」「覚えるテクニック」の差と言えそうです。71079411921868…いくつまで記憶できますか?こんな感じで数字が並んでいたら、覚え切れませんね?無意味な数字や事柄の羅列だと、人間はほぼ例外なく、7つちょっとしか記憶できないと言います。それ以上だと、途端に記憶できなくなってしまうと言います。しかし、これをいくつかのブロックにわけて覚えていけば、かなりの量を覚えることが可能です。上の例でいくと、「710」「794」「1192」「1868」…そう、日本史の年号です。・710(平城京成立) → 都は奈良と決まる。・794(平安京成立) → 泣くよ坊さん、平安遷都。・1192(鎌倉幕府成立) → いい国作ろう頼朝さん。・1868(明治維新) → イヤーロッパ、明治だよ!ちなみに、上記の年号をかつてゴロで暗記した私は、忘れたくても忘れられなくなっています(笑)。ブロックごとに分け、意味づけや何らかのマーキングをすることで、かなりの情報記憶ができます。一見膨大に見える記憶や知識も、大系だった方法で「地図」のようにインプットされることで、ものすごい知識量の差となってしまうのです。こうやって、物知りや専門家は生まれます。ただ、ここで重要なのは、こうやって記憶するにしても、それはやはり「7項目」ちょっとが限界らしいことです。どんなに物覚えがよい人でも、その差は存外少ないと言います。このことから、どんな知恵を導くことができますか?私の考えでは、潜在意識をコントロールすることができると思います。たとえば、プラス思考人間になりたい、と願っている人がいるとします。<プラス思考人間になりたい>と願うからには、その人は現時点ではそうではないはずです。その人がもし、小さい成功体験を重ね、それが増えていったら、かなり<プラス思考人間>に近づくでしょう。その分岐点は、たぶん「7つ」の過半数ではないかと思います。つまり、4つぐらいの積み重ね。それまでは、<あれ、マグレじゃないの>という「不安」が顕在意識上にあるでしょう。ところが、4つ以上の積み重ねは、<いや、次も必ずできる>という「確信」に変わるでしょう。そして、最終的に、潜在意識に刻印されるはずです。「三度目の正直」という言い方がありますね。これは諦めるなという意味で使っていますが、逆に3回も失敗したら、<もうダメだ!>と完全に諦めるという心理の裏返しでもあるはずです。だから、成功も3度続くとそれは小さい自信になる。4度目には、確信に変わるのです。個別記憶として思い浮かぶのは7度ぐらい。7に近づくほど強固なセルフ・イメージになるのでしょう。● メタ認知能力とは、自己の姿を発見、理解し、 さらには自分をコントロール(制御)する能力である。 【認知心理学の知見】自分をコントロールし、自分らしさを発揮する力は、こういった積み重ねが母胎です。小さな1歩が大事だと、私たちは日頃よく耳にします。でも、その1歩がなかなか踏み出せない。だから、1年前も、5年前も、10年前も同じことを繰り返し、そして「強固なセルフ・イメージ> を作ってしまっていますね?とりあえず、やってみる。自分を変える、自分が変わるヒントって、案外そこらあたりにありそうですね?
February 3, 2005
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「思考は現実化する」(1)ナポレオン・ヒルが盛んに提唱しているので、多くの方が耳にしているかと思います。日常的にイメージし、日常的に実感していることが現実化するという考え方です。本屋さんに並ぶ成功本等でも、それに類した見解が唱えられています。うちの嫁さんもそれにならってか、自分なりに実践しているみたいです。アポロなる機器も買い込んだりして、けっこうはまってるようです。もとは、J(ジョセフ)・マーフィーあたりが唱えた「潜在意識理論」がベースになっていると思います。膨大な著作を通してマーフィーが述べている説をごく簡単に整理すると、だいたいこんな内容です。【 私たちの意識は、普段感じ、考えている<顕在意識>と無意識の<潜在意識>に別れる。 顕在意識で思い浮かべる内容やセルフ・イメージどおりに、私たちの未来は創られる。 たとえば、成功している自分自身の姿を繰り返し、絵のようにイメージするとそれが現実化する。 これは、顕在意識に繰り返しイメージされた内容が潜在意識に投影され、潜在意識はそれを 実際に現実のものとするパワーをもっているから、その通りの現実がもたらされるのである。 】J・マーフィーの著作はネットで簡単に検索できますので、ご興味のある方はお読みください。今回、私が考えておきたいと思うのは、これら「成功哲学」が前提とする「意識」の問題です。いわゆる「プラス思考」の重要性がさまざまな著作で説かれるのも、<日頃の意識やマインドが現実を動かす>と考えているからなのでしょう。では、その「日頃考えていること」や「意識」の中身とは、いったいどこから来るんでしょう?どうすればコントロールできるんでしょう?それが簡単にできないから、成功哲学本をいっぱい読んでも、うまく行かないんだとおもうんですね。私は個人的に、それは「記憶」「体験的知識」だと思っています。もう少し詰めて言うと、「優先的にイメージする自分自身に対する記憶」だと思うのです。たとえば、前に書いた「ヘッドホンのうるさいお兄さんとのコミュニケーション」の記事(1月30日)の場合、 A,気になるけど、触らぬ神に祟りなしを通す。 B,小さい勇気を出して、こちらの意志を伝える。という二つの選択肢がありました。このとき、Aを選ぶ人は、それまでの(本人も忘れているほどの)体験の積み重ねで、「逆ギレされても困るので、ガマンした方がよい」という経験的な知識や記憶が、優先的にイメージされているのでしょう。Bの人は、「上手な方法で伝えれば大丈夫」という(ほとんど無自覚な)記憶が思い浮かぶのでしょう。それは、それまでに経験した「小さな成功体験」の記憶や知識がベースになっていると思われます。こう考えると、「セルフ・イメージ」と言われるものも、じつは、成功体験に支えられた「記憶」と言えそうです。認知心理学の言葉を借りると、・ 顕在意識 = 短期記憶・ 潜在意識 = 長期記憶と、読み替えることができそうです。長期記憶とは、<構造的に記憶された情報で長く残るもの>で、メタ記憶とも言うようです。たとえば、「速読する時には○○が役立つ」「私はこのような場面ではよく間違える」など。私たちは普段、こんな感じで、「体験的によした方がいい」とか、「おれってこういうタイプなんだよねー」と考えていますよね?けっきょくのところ、それまでの体験の積み重ねと手に入れた体験的知識で、「日頃考えていること」や「意識」が生まれてくるんだと思います。逆に考えると、「小さな成功体験の積み重ね」が「意識」を作っていくのでしょう。ちょっとした勇気で積み重ねられた行動。それが、「私」を染め上げるのでしょう。
February 2, 2005
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● 予防 … 「あらかじめ防ぐこと。事前に防御すること。」 <国語辞典>病気になると医者にかかりますね?視力が落ちると眼科に行ったり、メガネ屋さんにすぐ行こうと思います。歯が痛くなるとすぐに歯医者へ駆け込むし、ガンにでもなれば一大事と手術するはずです。でも、健康だと病院に行くことはめったにありませんね?歯医者で歯垢・歯石をとってもらう人、半年おきに必ず人間ドッグに行く人も比較的少ないでしょう。病気という「一大事」に到って「金に糸目をつけず」に対処する人も、なぜか「予防」には消極的です。たとえば、虫歯の予防。歯垢・歯石を取り除いてもらうと、かなりの確率で虫歯や歯槽膿漏を防げます。でも、なかなか歯医者さんに足を運んでまでお願いすることは少ないと思います。面倒だし、今現時点で歯が痛いわけでもないし…まっ、いいか。実際には、虫歯や歯槽膿漏に罹ってしまってから、苦痛に顔を押さえて歯科医に通う。。。これほど、私たちは「予防」にお金とエネルギーをかけることに消極的みたいです。どうしてでしょうか?私が思うには、根っこに「何もないこと」を軽視する発想があるんじゃないでしょうか?「平時」や「安全」や「平和」といった<何もないこと>が、タダだという思いこみ、とも言えます。人は、どうも、「目立つ出来事」や「特別なこと」に目を奪われがちです。「歴史」を見ても明らかですが、戦争とか政治的な事件といった<出来事>が注目されますね。9・11同時多発テロや昨年末のインド洋の大津波災害は、間違いなく「歴史」に刻まれるでしょう。後世の日本史教科書に記載されることは疑いないです。でも、実際の私たちの生活で「大事件」が起こることはめったにありません。当たり前のことです。たとえば年末になると、必ず「今年の出来事」として、記憶に残る事件や出来事が放映されますが、毎日が事件や「ビックリ」の連続だったわけではありません。一年中オリンピックが行われているわけではなく、国内で毎日人が殺されているわけでもない。「何もない」ことが普通だし、それは「歴史」でもまったく同じだと思うんですね。「何も起こらないこと」、それって立派な「歴史」なんですね。むしろ、歴史そのものだと断言してもいいんでしょう。毎日の生活の積み重ねこそが歴史です。ハプニングだらけの人生だったら、大変ですものね。何も起こらないように努力を積み重ねる。むしろ、それこそが健全で生産的な生き方と言ってよいでしょう。イラクに自衛隊を派遣したことを報道するようじゃダメなんだと思います。むしろ「今年も自衛隊の派遣をしなくてすんだ」という実績を報道した方がよい。紛争や戦争を「予防」し、回避した地味な努力に目を向ける必要があるんだと思います。ブッチャケ、マスコミの責任です。事件や事故やトラブルを報道しないと食べていけない。それを見て面白がっている国民もいけない。病気に話を戻します。ストレスを回避し、生き方上手になることは、広い意味で「予防」です。心を病み、肉体まで病んでしまう前に、それを未然に防ぐのが人間の知恵です。このコラムでは「癒し」を中心に飽きることなく書き続けています。それは「心の予防」だと思うんですね。私たちは、もっともっと、心のからくりを学ぶ必要があるのでしょう。
February 1, 2005
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● 粘土をこねくってひとつの器をつくるんだが、 器は、かならず中がくられて空(うつろ)になっている。 この空の部分があってはじめて、器は役に立つ。 中がつまっていたら何の役にも立ちやしない。 [第11章「無用」加島祥造・訳]章題は「無用」。役に立たないことを「無用」と言いますが、老先生は、「むしろ、その無用こそ役に立つのだ」と主張するのです。器を具体例に上げたこの論理は、やけに説得力がありますね。「そりゃー、そーでしょう」と言うのは簡単ですが、案外こういった事実を忘れてしまいがち。老先生は、これに続けて家と部屋の例を上げ、トドメを刺すのです。「 どの家にも部屋があるじゃろ。その部屋はうつろな空間じゃ。 もし、部屋が空でなく、ギッシリ詰まっていると考えてみよ。 まるっきり使い物にならんじゃろ?さよう。 うつろで空いていること。それこそが、家の有用性なのじゃ。 」私たちは「物が役に立つ」と考えがちですが、じつは物の内側の何もない虚のスペースが役立ってるんですね。一見すると「無駄」「無用」に見えることが、じつは一番大事なことも多いです。「物」だけではなくて、これはあらゆるものについて言えそうです。・たとえば、会話。コミュニケーションをとるとき、のべつくまなく喋っていたら、うまく行きませんね。「間」があって初めて、人と人との会話はスムーズにいくのでしょう。・あるいは、服装のコーディネイト。単色だけだと落ち着きに欠ける組み合わせも、ワンポイント入れることで決まることも。・忙しい毎日。息せき切って走り続けると続きませんね。ちょっとした休息があって初めて生活になります。土日の休みがない1週間は、、、地獄です。「うつろ」と見える部分は、じつは、むしろ人の生活の実体かも知れません。仕事をするためだけに生きているわけではありません。働いたり、友人や家族と過ごしたり。そういったすべてが「生活」ですね。収入に結びつかないからと言って、それを無駄とは言えませんね。「遊び上手は生き方上手」という言い方があるぐらいで、むしろそこに豊かさの実体があるんでしょう。● 歴史は毎日つくられる。ずいぶん前に、朝日新聞のテレビ・コマーシャルで、そんなコピーを流していました。たしか、<寅さん>の渥美清さんが出てましたね。何か変わった出来事とか事件が「歴史」じゃないんだ。そうじゃなくて、日常の何でもない、平凡な暮らしこそが「歴史」そのものなんだ、というメッセージだと思いました。考えてみると、殺人事件や戦争や政権交代がしょっちゅう起こってるわけではありません。静かな、地道な、平凡な「暮らし」が続いているだけです。一見すると、取り立てて新聞記事にはならない「空白」の時間。でも、それが「歴史」の実体なんでしょう。その何気ない普段の生活をもっともっと、大事にしていこう、という主張。毎朝、気持ちよく散歩する。毎日、おいしく食事を取る。毎晩、楽しく家族と過ごす。。。これはもう、立派に歴史の一コマを生き抜いていると言っていいんじゃないでしょうか?「歴史」の記録はメインストリートだけが記述されがちです。でも、路地裏があって初めて大通りがあるんですね。メインストリートだけの空間というのは存在しませんからね。路地裏にこそ、生活や豊かさがあるんでしょう。毎日のさりげない生活を、さりげなく、そして意識して楽しみたいですね。それってきっと、幸せの中身だと思います。
January 31, 2005
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■ よりよい「コミュニケーション」を考える (3) ■ << 「不満」を伝える >>コミュニケーションを考える(25日、26日)の3回目です。前2回は、お互いの欲求と感情を伝え合う、というポイントを書きました。今日は、「不満を伝える」という観点から考えてみます。人が生きていく上でトラブルは避けがたいことです。トラブル回避の有効な手段は、相手の立場に立って考える、という点がポイント。そういう意識で対処すれば、大概のトラブルは回避できると思います。でも、実際問題として、相手のことばかりを考えて過ごすことなどできませんね。誰だって聖人君子じゃないわけで、相手のことだけ考えて生きることは不可能です。つい、ムッとすることや腹が立つこと、イヤな気持ちになることがありますね。そんなとき、トラブルにならずにうまく回避できる方法はあるのでしょうか?私が普段心がけていることは、◇ 感情や欲求を言葉で説明するという方法。たとえば、腹が立ってムッとなったときに、「バカヤロー!」と怒鳴ってしまうと、お互いの間には、修復不可能なほどの溝ができてしまいますね。仮に相手に非があったとしても、「バカヤロー!」の罵声だけが相手の心に残ってしまいます。感情は感情の連鎖を呼び、相手も「ジョーダンジャネー!!」となるはずです。最悪のシナリオを避け、上手く関係を構築するには、自らの感情や思いを「説明する」していくのが一番だと思います。「 あなたに○○して欲しいと思っています。 」ということを説明し、依頼するんですね。もちろん、状況に応じたTPOは必要です。そうすることで、相手もそう抵抗なく要求を受け入れることになり、こちらも、ガマンの連続で、<一気に爆発>ということも避けられます。次に紹介する一例は、私自身の体験です。< 朝の通勤電車。今風のちょっとトッポイお兄さんがヘッドホン・ステレオを堪能中。 本人は気づいているのかいないのか、かなり”シャカシャカ”音が気になるほど。 周りの乗客も気になったんでしょう。チラチラ見ているものの、 目を合わせないよう努める様子。みんな困ってるけど、ちょっと勇気が必要。 >よくある光景です。私のすぐ隣に座っていました。そこで、お兄さんの方をポンとたたき、イヤホンを外した彼に「音が高すぎるよ」と伝えました。意を決して起こしたアクションでしたが、「あ、はい」と、何のことなく無事終了。ただ、これだけのことでした。降車駅まで、小さな<平和>が訪れました。こちらの「困っている」状況を「説明」し、ボリュームを落とすように「依頼」しただけです。たぶん、お兄さんも、「これぐらい、いいんじゃないの」と思っていたか、あるいは全く迷惑だと思ってなかったんでしょう。これをもし、「オイ、音うるさいぞ!!」と「感情」をぶつけていたら、たぶんちっちゃなトラブルになったかも知れません。人前で怒鳴られて、相手も面白くないし、格好悪いですからね。あくまで、客観的な事実を伝え、こうしてほしいと思うことを頼むことです。ただ、キッチリ伝えればいいのです。こういったことは、私たちの日常生活にはいろんな形で起こることですね。家庭内でもそうですし、学校や職場でもそうです。そういったときに、ガマンの果てに一気に感情の爆発、とか、感情のままに相手に文句を言う、というのは、事の解決にはならないです。スムーズなコミュニケーションには、こちらの感情や欲求を、「事実の伝達」としてキチンと伝えることが大事だと思います。人は感情の動物です。
January 30, 2005
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● 恐竜はどうして絶滅したんですか?息子が4歳のとき、こんな質問を投げかけられたことがあります。ちょうど、恐竜の絵本を読んでやっていたときでした。いくつか頭に浮かんできましたが、う~ん、案外むずかしい。確定的な説はまだないみたいです。私の知りうる限り、恐竜絶滅の原因には次のような主説があります。1,隕石衝突説 現在のユカタン半島のあたりに巨大な隕石が落下し、地球上が灰燼と帰した。 衝突の衝撃が巨大なエネルギーとなり、地球上が火事になったという説。 地球上のあちこちで炭化した地層が発見され、年代的にも一致する。2,氷河期突入説 体温を一定に保てない恐竜は、氷河期に適応できず死滅した。種の限界。 概要大陸が移動し、海流が変わったために、四季の変化がはっきりした。 つまり、冬は一層寒くなり、夏の暑さは激しくなった、そのため植物が枯れ、 恐竜は飢えかつこごえて死に絶えた。 3,食性変動説 概要被子植物(花をつける植物)にはアルカノイドという成分が含まれていて、 そのために、食中毒になった。また、花は恐竜たちに花粉症を起こさせた。 4,火山噴火説 6500万年前に大規模な火山の噴火がおき、そのために恐竜が死滅したという説。 この噴火は、地球のシステムの一環だという。 緩やかな滅びのプロセスを辿ったという。まだまだ他にも諸説があるようで、いずれも反証があるらしく、確論には到っていないようです。私には、俄には事の真偽は判断できないのですが、個人的に、5,「自分さえよければ」という自己中心性で絶滅したという説を提起しておきます。つまり、ジコチュウ絶滅説です。私たちの現在知りうる自然界は、「食物連鎖」の仕組みによって営まれています。微生物は小動物に生命を提供する。小動物は大型動物に命を与え、そして、食物連鎖の頂点に立つ動物は死んで微生物に命を与える…こういった完璧な”連鎖”の上に成り立っているんですね。ところが、恐竜はこのシステムを、自らの手で壊してしまった。植物を根こそぎ食べてしまい、植物は花も実も根っこも無くし、最後に恐竜自体も滅びのプロセスを辿っていったのでしょう。数が増えすぎた生物が絶滅する理由は、自然界のバランスを壊したことによります。鳥は植物から実をもらいますが、その種を運ぶことで協力していますね。同様に、ミツバチは花から蜜をもらい、花粉を渡してくれます。みんな何らかの形で助け合っているんですね。地球共同体で命をつなぐための、それは唯一の条件です。これって、人間もおんなじですね。与えてもらったら、必ず返す。協力する。相手に返せないなら、将来、社会に還元していく。これは人と人が共に生きる基本です。ペイ・フォワードあなたは、”絶滅種”へのリスクを回避していますか?
January 29, 2005
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< 使えば使うほど”増える”もの、な~に? >こんなナゾナゾがよくありますね?私たちの身の回りの物は、たいがい、使えば減って無くなっていきます。ドラえもんの何でもポケットがあったら、こんな願いは不要でしょうか?答えは「知恵」。頭は使うほどパワーアップして、いっそう”増える”からです。ドラえもんも真っ青? (笑浪費を戒める言葉は数多くあります。お金は使うほど減ってしまうと考えられているからです。でも、貯蓄を戒める言葉は聞いたことがありません。しかし、「貯蓄の先には何がありますか?」という発問はとても大事です。お金の使い方次第で、人は幸福にもなれるし、不幸にもなります。それこそが、一番大事な幸福の条件です。お金の「貯め方」でモメルことはないです。お金をどこに貯金するかで夫婦喧嘩したり、離婚に到ったという話も聞いたことがない。トラブルは常に「使い方」を間違ったときに起こります。・稼いだ金を無計画に浪費してしまった。・赤字続きで、家計が火の車。・息子が消費者金融で金を借り、えらいことになった。考えてみると、私たちの生活上のトラブルは、お金の使い方に関係するものばかり。でも、私の知る限り、「お金の使い方をしっかり勉強しろ!」という言い方は聞いたことがありません。学校でもそういうことは教えません。問題は、「使い方」であって、いかに賢く社会に還元していくのか、そこなんでしょう。「消費」という使い方しか知らないと、いつまで経っても心は穏やかにならない。それどころか、収入を超える消費は、破産へのパスポートになるでしょう。消費の欲望は青天井で、蓋ができませんからね。「投資」の視点で資金投入をする考え方が必要だと思います。たとえば何かの技術を身につけるために100万のお金を使う。そうすれば、永久に減ることもなく、むしろ姿を変えて増殖し続けるでしょう。「自己投資」ですね。それは、教育投資でもいいし、海外旅行でも、人脈構築でも同じでしょう。何かを作り続けるために、「道具」を手に入れるという発想。”生み出すこと”が目的で、消費はそのための手段、という考え方。『荷車ひいて』で描かれていた世界です。「投資」としてお金を還元していくなら、100万円は2倍にも3倍にもなって永久に減ることもなく、より「豊かな」生活にしてくれるでしょう。そして、周りの人たちも幸福になると思います。自由になるヒントは、案外シンプル。● 自分を磨きつづけること
January 28, 2005
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● 財産 = 収入 + 支出「 財産 = 収入 - 支出 」の間違い?いいえ、そうではありません。「 財産 = 収入 + 支出 」です。使ったお金より残ったお金の量が多いと「財産が増えた」と考えがちですね。つまり、「 収入 - 支出 」の額が多いほど、財産が増えたという考え。でも、これは、本当の意味での財産ではありません。少なくとも、「豊か」な人生の保証にはならないのです。なぜなら、使わないお金はいくらあっても、それは無いに等しいからです。かりにウン十億のお金があっても、使わないのであれば、無いに等しい。世の中には、先祖代々の広大な田畑や屋敷を譲渡される人がいますね。でも、だからと言って、それを売っぱらうわけにはいかない。それは、先祖代々受け継いだもので、その身一代の管理を任されているのです。ウン十億のお金も、使わずに「保管」しているだけなら、お金の管理人と同じです。それだけで「豊か」な人生を過ごせるかどうかは別問題なのです。では、正しい「財産」の定義とは何でしょうか?中谷彰宏さんが面白い意見を述べています。「 入ってくる量と出ていく量の合計が、財産なのです。 」財産とは、稼いだ金額と、使った金額の合計が財産だというのです。あまりに残りすぎるのは、バランスが悪い。差し引きゼロがもっともバランスがいい。じつに、面白い考え方ですね。学んだだけで自己満足しているのは、お金を貯め込むのに似ています。それを社会に還元して初めて「生きた財産」になるんですね。「 学問をした者には、それを伝える責任がある 」そういった意見を聞いて、ハッとしたことがあります。勉強は自分のためにしているわけですが、それだけでは十分ではないのでしょう。インプットした知識とか手に入れた知恵も、使わなければ意味がない。見方を変えると、社会に還元するということです。蓄えた知識を人に伝えることで、さらに発展させてくれることが期待できますね。科学にしろ、何にしろ、世の中とはそうやって発展してきました。つまり、使うことで、もっともっと大きな価値を生み出すのです。それはお金にしても同じ。使うことで、初めて価値を持つものでしょう。100万円の蓄えは、使うことでもう100万円の価値を社会に提供します。数字を眺めて安心しているだけなら、100万円を骨董品にしているのと同じ。
January 27, 2005
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■ よりよい「コミュニケーション」を考える (2) ■自分の<感情>や<欲求>を伝えることに意識を向けてみる。コミュニケーションをとる際の有効なスキルじゃないか、ということを前回述べました。同時に、相手の<感情>や<欲求>は何か?ということを考えてみる。そうすると、思いの外スムーズなコミュニケーションが取れるかも知れません。人は、根っこのところでは、自分の欲求や感情を伝えたくてコミュニケーションをするのではないですか?あなたはどうですか?おしゃべり好きな人がいますね。あれやこれや、何くれとなくおしゃべりする。大体の場合、楽しく笑いながらしゃべっているでしょう。じゃあ、その目的は?もちろん「楽しみたい」という欲求を満たすためだし、「楽」の感情を共有するためです。そこで交わされる「情報」そのものは「材料」に過ぎないでしょう。他人の噂話をしたり、悪口を言いたがる人がいますね。その目的は?間違っても、ネタにされた相手を陥れようなどという大それた事は考えてないんでしょう。聞いていて気持ちのいいものではないですが、ヒソヒソ話をすることに「楽しみ」を見いだし、どうも「スッキリ」感を味わいたがっていたり…人は、様々なコミュニケーションをしながら、要は<感情>や<欲求>を伝えようとしているんですね。そこを見誤ると、とんでもないトラブルに発展しかねない。要件を伝えることが、<コミュニケーション>だと思っている限り、スムーズな人間関係は結べないんじゃないでしょうか?<伝達>内容ではなく、相手の<感情>と<欲求>に耳を傾けるとき、あなたは、聞き上手になるのです。そして、自らの<感情>と<欲求>をスムーズに伝える工夫は、あなたを話し上手に育てるんでしょう。そうです。”サル”時代から、人は、感情の生き物なんですね。
January 26, 2005
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■ よりよい「コミュニケーション」を考える (1) ■以前、人間関係が上手くいくと、そこが”パラダイス”になる、ということをお伝えしました。逆に、人間関係が上手くいかない結果、ストレスが溜まったり、辛いことが多くなります。そのためには、相手の立場に立って、相手の気持ちを想像する力が大切だとお伝えしました。他者の立場になったつもりで<ロール・プレイ>してみる、と言い換えてもいいでしょう。ただ、実際の場面では、こちらの思いをしっかり伝えられるかどうか、が問われることが多いと思います。つまり、コミュニケーション・スキルの問題なんですね。コミュニケーションを上手く取れないばっかりに、無用なトラブルになってしまうことってありますね?<トラブル>とまでいかなくっても、「ああ、なんであんな風に言っちゃったんだろう…」なんて、後悔することって多いと思います。むしろ、キッチリと伝えきる方が珍しいかも知れません。人間関係に成功する者は人生に成功する者である、と言われるほどです。そして、そのカギはコミュニケーションにかかっている、と言っても差し支えないでしょう。それほどまでに、コミュニケーション・スキルは重要なカギを握っているんですね。ところで、なぜ人はコミュニケーションを必要とするのでしょうか?よりよくコミュニケートするためには、じつはそこが一番大事な出発点だと思います。私が想像するところでは、人類が言葉を欲しがったその訳は、欲求や感情をストレスなく伝えるためだと思います。食べ物やメスの取り合いでトラブルになる。そして、バトルに敗れた方が「ゴメン」と謝罪することはあったと思います。サル族は、<マウンティング>することで、自らが低位であることを示したり、謝罪しますね。合図の延長として、自ずから言葉が生まれてきたんでしょう。たとえば「すみません」「ごめんなさい」。これでケンカしなくて済む。それによって、ストレスを回避したんだと思うんですね。人間が”サル”だったころ、食欲や性欲などの基本的欲求はあったはずです。また、喜怒哀楽などの原初的な感情もあったに違いありません。欲求や感情を「言葉」で伝えることで、一々バトルをする必要はなくなるんですね。考えてみると、現代人という”サル”も、お金をめぐる「欲望」でケンカしたり、ちょっとした言葉が原因の「感情」の行き違いでモメたりします。言葉のない”サル”時代に、たとえば「ありがとう」に該当する感情があったかどうか疑問です。たぶん、「ありがとう」の言葉が発生すると同時に、その感情も明確に意識されたものと思います。それは、<感謝>という感情やそれを現す言葉がかなり高度だということなんでしょう。感情を豊かに伝えることで、ストレスやトラブルを回避できるようになるんですね。欲しいものを手に入れるために言葉で<交渉>する。それでトラブルを回避できますね。これは見方を変えると、コミュニケーションをとる際の重要なポイントを教えてくれます。まずは、感情や欲求を伝えることに意識を向ける。そうすると、案外うまくコミュニケーションができるということです。
January 25, 2005
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『聖水番』今の日本では考えられないことですが、小さい子どもがさらわれる話です。生き別れになった親子は、長い年月、会うことなく暮らします。そして、あることが決め手となって、偶然にも親子の再会を果たす。この物語は、そんなストーリー。小さな我が子に、両親は初めての言葉を教えます。「 パパのピエール、ママのジャン 」息子が繰り返す度に、幸福な笑い声が溢れるのです。男の子は、旅回りの一団について行ってしまいます。そして、二度とは家に戻ってこなかったのです。父親のピエールと母親のジャンは、嘆き悲しみました。でも、どうすることもできない。世の中には、様々な不幸や悲しみがあります。つい最近のインド洋での大津波では、17万ともいわれる人々が亡くなりました。日本でも、阪神淡路大震災で沢山の方々が亡くなりました。中東では今でも戦乱と混沌の中で、人々は苦しみの中にあります。そのたびに、数え切れない人たちが家族との別れを経験しています。死に別れはもちろん大変な悲しみですが、生きたまま親子が別れなければならないというのは、それは言葉に尽くせない苦しみに違いありません。「いつか生きて会えるに違いない」そんな気持ちを永久に捨て去ることができないはずです。あまりにも辛い別れです。生木の皮を剥ぐような苦悩。。。昔の日本でも、人さらいの話はよくあったことでしょう。森鴎外の『山椒大夫』もそんな歴史の一齣です。オリジナルの説教節『さんせう大夫』は、そういった人買いの暗躍する歴史をストレートに反映しています。・姉は海で日長、潮を汲み、弟は山へ幾度も柴を刈りに行かされる。これはたぶん、塩を作るための労働ですね。中世までの日本海沿岸では、人買いにさらわれ、製塩労働を強いられた悲しい歴史があって、たとえば、山椒大夫もそういったこの地方の製塩業の一族だったのでしょう。成人し復活した「あんじゅ王」は母親を救い出し、そして、人買い達に復讐するのです。母の恨み、姉の恨みを晴らすべく、地中に埋めた賊の首をノコギリでひかせるのです。通行人達が通るたびに、いっぺんづつノコでひかせるという、ちょっと残酷なシーンは、鴎外『山椒大夫』が切り捨てた、民衆の怨念、ルサンチマンの歴史を伝えるのです。ピエールとジャンも、さらわれた我が息子を捜して回ります。長い年月、息子を捜す旅に出て、今はもう老境に差しかかっています。そして、もう今は青年となった息子と巡り会います。聖水番という賤業で生き延びていたのです。悲しみの果てに巡り会える物語です。
January 24, 2005
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● いまあるもので充分、と知る人だけが、いま生きることの豊かさを知るんだよ。 自己否定をしろとか、欲するなとか言うんじゃないんだ。 いいかい、ただ、どこで止まるかを知ること、それだけさ。 [第46章 倹欲]「足るを知る」という言い方を、折々、耳にすると思います。とどまることのない欲望を抑え、満足する…そんな意味合いで理解されていますね。今よりもっと若かった頃には、この言葉がとてもイヤでした。なんだか、夢とか希望とかロマンといったことと対極にある言葉のようで、生きていくエネルギーが無くなった人の、年寄りくさい考えみたいな気がしたのです。でも、人生のステージを進んでいくうちに、少しづつ分かってくるんですね。欲望を追いかけても、キリがないことが。「○○が欲しい」、という欲求は自然にわき上がるものです。○○は、ブランド品かもしれないし、車、家、別荘、ヨットかもしれない。それがなんであれ、物欲の対象である限り、キリがないんでしょう、もちろん、その全てを私自身がもっているわけではありません。でも、物を追いかけている限り、それは青天井だという気がします。以前、年収の話を書きました。500万の年収の人は100万あればと思い、700万の人は150万あればと思い、900万の人は200万あれば「楽になる」と常に感じる。。。どこまで行ってもキリがない。もちろん、生きていくための衣・食・住は必要です。学生の頃と社会人になってからでは「欲しい」ものも違うでしょうし、未婚者と既婚者では「必要」なものが違っていて当然です。子どものない人が子供服を欲しがるわけはないですから。でも、「それって本当に今の私に必要かな?」と、厳しく考えることはあんまりないですね?どうしても欲しいと感じるものでも、しばらく寝かしておくと、案外ほしくなくなったり… 欲望は、触発されたり、伝染するところがあります。私が言いたいのは、消費生活だけに追い回されると心の平和は実現しないまま人生が終わってしまうんじゃないか、ということ。心の豊かさというのは、毎日の生活の中で「今」味わわないと消えてしまうんじゃないでしょうか。トレーニングが必要なんですね。放っておくと、心の豊かさは、物の豊かさに負けてしまう。 「今」を心豊かに心穏やかに生きるためには、<物欲>だけではダメだし、<心欲>だけでも難しい。 その辺のバランス・かねあいを、老子はこう語るのです。「 いまあるもので充分、と知る人だけが、いま生きることの豊かさを知るんだよ。 … いいかい、ただ、どこで止まるかを知ること、それだけさ。 」 <どこで止まるかを知ること>、そこがポイントだと言います。そうしないと、際限のない<欲しい地獄>に落ちてしまいかねない。。。食欲と違って、物欲には終わりがないですからね。食べ過ぎて身体を壊すことはだれでも実感できるけど、物欲で人生をダメにすることは、なかなか実感できないです。老先生は、<自己否定をしろとか、欲するなとか言うんじゃないんだ>とも言い添えます。「食べずにガマンしろ!」とか「食欲自体が悪だ!」と言えないのに似ていますね。それでも、必要な物はどうしても欲しくなりますね。そんなとき、「欲望のクールダウン期間」を設けるといいかもしれません。たとえば、半年たっても「欲しい」と感じないものは、じっさいには「必要」のないものか、あってもなくても困らないものなのでしょう。「 人は、感情で物を買うのです。 」(神田 昌典)
January 23, 2005
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癒しの本: 『にぐるま ひいて』< 文 ドナルド・ホール 絵 バーバラ・クーニー>親子4人の自然の中での暮らしはシンプルで、それ自体で完結しているものに見えます。でも、実際には、経済社会の循環の中にあるものなのです。家族4人の1年間の汗の結晶は、市場で売られ、お金に交換されます。「 うしを ひいて 10日 がかりで おかを こえ たにを ぬけ おがわを たどり のうじょうや むらを いくつも すぎて ようやくのこと ポーツマスの いちばへ ついた 」 父さんは、ポーツマスの市場で、家族が作った品物を次々の売っていきます。「 とうさんは ひつじの けを うった。 かあさんが つくった ショールも うった。… りんごも はちみつも … かえでざとうも がちょうのはねも うった。」そして、一切合切を売り払うのです。「 それから とうさんは かえでざとうの あきばこを うり りんごの あきだるを うり じゃがいもの あきぶくろを うり それから からの にぐるまを うった。「 さいごに うしを うり げんきでなと はなに キスをした。 うしの くびきと たづなも うった。 」荷車や牛まで売ってしまうのですから、身軽になって、ポケットにお金があるだけです。そのお金で、買い物をします。・暖炉で煮炊きするための鉄の鍋。・娘のための刺繍針。・息子にはほうきを作るバーローナイフ。・家族みんなのために、ハッカキャンディー2ポンド。そして、また長い道のりを、家族の待ちわびる家路につくのです。この家族の生活は、経済社会のシステムに汲み入れられたものでしょうか?そうとも言えるでしょうが、ここではあくまで必要最低限の「道具」の調達ですね。生産が生活の中心にあって、そのための道具を買っているんですね。道具を手に入れて、またいつもの、ゆったりした、変わらぬ生活が営まれるのです。この話を通して、伝えようとしたメッセージはなんしょうか?私には、この話が、消費社会に生きる人たちへのメッセージのように思えます。あれも欲しい、これも必要。友人が持っているアレが欲しくてたまらない・・・でも、手に入れたから満足感が得られるとは限らない。消費には、際限のないところがありますね。いつまで経っても「幸福」の後ろ姿しか見えない。。。この作品は、「○○みたいな生活をやめよう」とか「○○ライフを実践しよう」といった、何かを提案したり、主張したりは、決してしないのです。ただただ、謙虚で穏やかで、そして満たされた家族の生活が描かれます。それは、必要以上に蓄えたり、必要以上に消費したり、逆に不足をガマンしたりという状態とは無縁なメンタリティーですね。そして着実に、次の世代に、その生活技術やメンタリティーは受け継がれていくようです。シンプルな描写を通して、心が満たされる条件が表現されます。実際にはまねが出来ないのでしょうが、「そういう生き方もあり」と感じさせてくれるところがあります。それは失われた「伝統」とも言えそうな生活。ドナルド・ホールは、この作品のいきさつについて、次のように語っています。「 そもそも、この話は、近所に住んでいたいとこから聞いたものです。 そしてそのいとこは、幼い頃、ある老人から聞き、その老人は、 子どもの頃、大変なお年寄りから聞いたのだそうです。 語り継がれたこの伝統のすばらさし! 」
January 22, 2005
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癒しの本: 『にぐるま ひいて』< 文 ドナルド・ホール 絵 バーバラ・クーニー>自然の中で暮らす親子4人の生活は、とても質素でシンプルです。あらゆる物を、自分たちの手で作り育てる生活です。ゆったりとした時間が流れます。「 とうさんは ふゆじゅう あたらしい くびきを けずり あたらしい にぐるまの いたを ひき そして やねいたを きりだした。 」「 かあさんは ふゆじゅう あまを リンネルに しあげ むすめは ふゆじゅう リンネルに ししゅうをし むすこは ふゆじゅう しらかばから インディアンふうの ほうきをつくり そして みんなで ろうそくを つくった。 」子どもたちも、それぞれ自分の仕事がある。家族みんなで力を合わせて作り出す仕事もある。そして自然と、親の仕事を覚えていくのです。自然のリズムの中で営まれる生活は、じつに自然で無理がない。3月には、みんなでカエデの樹から樹液をとってカエデ砂糖をつくり、4月には、羊の毛を刈り取った糸で織物や編み物をし、5月には、ジャガイモやキャベツを植える。リンゴの花が咲き、ミツバチが密を集める。裏庭では、ガチョウの群が雲のように軽い羽を落とす。『にぐるま ひいて』では、基本的に4人の家族の”生産”の場面やそれを中心とした暮らしが描かれます。逆に言うと、それ以外の場面はほとんどないのです。ご近所との交流とか村の行事といった”社会”は描かれない。子どもたちは、当然、学校へ通うはずですが、それも描かれない。それどころか、夫婦の会話や親子の会話、家族の会話さえ一言も登場しません。おそらく、「自然と生活」というテーマを描こうとしているのでしょう。そこには、ただただ、静かで謙虚な「生活」が表現されているのです。「人びとの生活と自然のために」作者自身、そうコメントしているように、『にぐるま ひいて』の世界は、”生活”と”自然”にあえてフォーカスしたもの。「あれっ、これだけで”暮らし”が成立してしまうの?」と心配になるぐらい、じつにシンプル。実際には、人間が生きていく社会はもっと複雑だし、ややこしい。トラブルもあれば、大自然の脅威もあって、もっと厳しい側面があるでしょう。でも、そういったものを捨象していって、「じゃあ、家族がシンプルに幸福に生きていくためには、最低何があればいいの?」ということを見つめていくと、「案外、必要なものって、そんなにいらないんじゃないの?」という主張しているようにも思われます。作者のメッセージは、これまたきわめてシンプルなんでしょう。自然のリズムに身を任せた、謙虚な生活。そして、家族の愛。
January 21, 2005
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癒しの本:『にぐるま ひいて』< 文 ドナルド・ホール 絵 バーバラ・クーニー>(ほるぷ出版、80年刊。原本は前年発表)自然のリズムの中でゆっくりと、つつましく暮らす4人の親子の1年が語られます。淡々とした調子で、ほとんど「写実的」とも言えるタッチの描写です。バーバラ・クーニーの描く絵も、スッキリ無駄がなく、素朴で丁寧なタッチ。テレビドラマ『大草原の小さな家』の時代を彷彿とさせる世界で、自然の移り変わりやリズムを中心にした、家族の生活が丁寧に描かれます。本の扉をめくると、「人びとの生活と 自然のために」とあります。そう、この絵本を通して伝わってくる感触は、「丁寧な生活」といってよいものでしょう。小学生ぐらいの女の子と男の子、2人の姉弟。そしてお父さんとお母さんの小さな家族の1年間の生活です。秋になると、父親は荷車にいろんな物を積み込みます。「 10月 とうさんは にぐるまに うしを つないだ。 それから うちじゅう みんなで この いちねんかんに みんなが つくり そだてたものを なにもかも にぐるまに つみこんだ。 」ポーツマスの市場へ売りに行くのです。荷物は、この1年、家族みんなで作った汗の結晶です。「 4月に とうさんが かりとった ひつじの けを つめた ふくろ。 とうさんが かりとった ひつじの けを かあさんが つむいで おった ショール。 かあさんが つむいだ いとで むすめが あんだ ゆびなしてぶくろ 5くみ。 」「 みんなで つくった ろうそく。 あまから そだて しあげた リンネル。 とうさんが きりだした やねいたの たば。 むすこが りょうりナイフで つくった しらかばの ほうき。 」その他、畑で作ったジャガイモ、リンゴ1樽、ハチミツと蜂の巣、カブとキャベツ、カエデの樹液を煮詰めてとったカエデ砂糖の木箱詰め…なにしろ、この1年家族で作った物をぜんぶ、一切合切荷車に積み込みました。読み進めるうちに分かってきますが、荷物を積み込んでいる荷車とか、さらに、それを繋いでいる牛。それでさえ、じつはぜんぶ”手作り”なのです。冬から夏にかけ、コツコツ手作りした荷車。仔牛から丁寧に育てた牛。。。考えてみると、開拓民達は一からすべて自分たちの手で作り上げたんですね。住む家から始まって、森を開き畑を興し、家畜を育て増やし、そして自分たちの子孫も増やす、、、作品が描こうとする世界は、家族が自分たちの手で物を作っていく生活の場面です。でも決して、「死にものぐるいで、必死に働く姿」とか、「貧しさを脱出しようと頑張る姿」とか、そういった世界ではないのです。むしろ、淡々として、あくまで丁寧でゆったりとした時間の流れに身を委ねた生活。間違っても「お金持ち」の生活ではないのですが、それでも穏やかで落ち着いたいい表情が描かれます。こういう生活状態を何というのでしょう?幸福です。
January 20, 2005
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● タオにつながる人は、蓄えた知識を忘れていくんだ。いわば損をしてゆく。 ドンドン損をしていって、しまいに空っぽ状態になったとき、 その人は、内なる自由を獲得する。 それを無為というんだ。 (加島祥造 『タオ ★老子』 )私たちの周りには、膨大な情報が溢れていますね。インターネット時代になって、溢れる情報に振り回されることも多いです。 いきおい、ストレス気味になってしまいがち。人間関係でも、似たようなことが言えそうです。毎日たくさんの人に接する仕事をしている人は、きっとそれだけでストレスを感じますね。適度に距離をとったり、ひとりになる時間をつくっていかないと、精神的に辛い。過剰。それが諸悪の根元なんでしょう。そんなとき、2500年ほども前に語られた古代思想家のことばは、じつに有効なヒントをくれます。「道(タオ、Tao)」は老子(老先生)の思想の根幹をなすものだと言われます。でも、老先生自身も「 これがタオだと名づけたって、それは本物のタオじゃないんだ[名可名也] 」と言っているので、下手な説明はやめておきます。それを説明することが目的でもありません。ただ、老先生のきわだってユニークな点は、こんがらがった現代の社会やストレスだらけの現代人へ向けてメッセージしてるんじゃないか、という気がすること。そう思わせるほど、いわば現代的で「新しい」発言にハッとさせられます。 いわく、そのままのあなたでいいんだよ… いわく、エンジョイ・シンプルライフ… いわく、あなたの内なる宇宙のリズムに身を委ねよう…単発コメントを拾っていくと、そのまま「新しい」コピーができちゃいそうですね。自然と一体化した思想や暮らしも、今はやりの自然回帰の風潮とマッチしそう。で、知識と自由の関係について老先生は、物静かに、こう語りかけます。「 誰だって初めは、知識や礼儀作法を取り入れるさ、利益になるからね。 けれども、それから、タオにつながる人は、蓄えたものを、忘れていくんだ。 いわば、損をしてゆく。 どんどん損をしていって、しまいに空っぽ状態になった時、その人は、 内なる自由を獲得する。 それを”無為”というんだ。 」ちょっと難しい言い方ですね。私は、こんな感じで考えています。”礼儀作法”とは、私たちの言葉で言うと「ノウハウ」とか「スキル」ぐらいの感じ。時代や社会のもとめる情報やノウハウやスキルを身につけることに躍起になる。そして、ある程度「人並み」になった気がしてホッとする。でも、そういったものはドンドン陳腐化するので、いつまでたっても心の平和がない。なんだか、今の私たちのライフスタイルをビシッと指摘されてる感じです。では、どうしたら心の平和が得られるのか…情報化社会で心穏やかに生きて行くには、どうしたらいいの?老先生は「忘れることだ」と言います。これはどういうことでしょうか?私が思うに、これは「車の運転みたいに、運転技術を忘れるぐらいになりなさい」ということだと思います。知識やテクニックやコツをキチンと身につけて、そして、それを意識しなくなると、自由で楽しくやれる。そういう状態を言っているんだと思います。無為とは「無不為」だと書いてあります。それは「何もしないこと」とか「何も知らないこと」ではないんでしょう。「知識を体内で消化した人が、何に対しても応じられるベストな状態のこと」(加島祥造 訳)知識のインプット、逆にアウトプットだけに熱中する現代人に、貴重なヒントをくれる気がします。自分のペース、自分のスタンスを大事にする。そして、「 あとは、存在の内なるリズムに任せて、黙ってみていること… 」自分の中に、最初から、答えは用意されているのかも知れませんね。
January 19, 2005
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