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猫空からのつづきです。山頂から小10番のミニバスに乗りました。猫空散策やミニバスの日記は、こちら猛スピードで山の急坂を下って行き、あっという間に下山しました。おそらく猫空ロープウェイよりも早いと思います。ミニバスは国立政治大学の正門前を通過。この辺りからどこか知っている地名はないかと、目を凝らしながら外を見るというかなり行き当たり、ばったりです。すると木柵という停留所が見えたので降りました。MRTの文湖線に木柵という駅があるのです。ただ小10はMRTの駅には接続しないので別の木柵かな行きに乗った236番のほか、660番と666番のバスがホリデイイン・イーストの最寄の草地尾まで行くようです。よかった~台湾のバス停は表示がきちんとしているし、待ち時間も出るのでほんとうに使いやすいです。せっかくだから草地尾の先の深坑老街まで行こう、ということで666番に乗ることにしました。途中MRT木柵駅も通過しました。草地尾から5駅目の深坑で下車すると大きな木が見えます。ちなみに795番バスに乗ると直通で平渓や十分へ行けるようです。そこから九份へも行けますね。深坑老街は臭豆腐をはじめ、各種豆腐料理で有名な街です。写真の右並びに集順廟(媽祖廟)があります。臭豆腐ストリートなので独特な発酵臭がしますが、豆花や豆腐のアイスクリーム、お餅などのお菓子屋さんもたくさん並んでました。放山雞という放し飼いで飼育した鶏肉料理も有名のようです。あとピーナッツやゴマ、アーモンドなどの豆類を、水あめで固めたお菓子も名物らしい。実演販売のお店がたくさんあったので、片っ端から試食していくことにしました。土豆齋という店が一番好みだったので購入。帰国してからたべたらとても美味しかった。もっとお買っておけばよかったこのような通りが200mほど続いていました。またもと来た道をもどります。猫空の茶芸館でたくさん食べた後だったので、結局深坑老街を歩いただけでホテルへと戻りました。ここは夜に来ると雰囲気がよいかもしれませんね、つづく。
2015年11月27日
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ずっと前にタイのプーケットに行ったお友達からお土産でジムトンプソンのポーチをいただきました。象さんの柄がとても可愛いタイシルクのポーチです。 ほんとうはコイン・ケースなのだそうです。ですがアクセサリを入れて持ち歩いています。中はナイロン地になっています。縫製が完璧で美しいです コレに比べたらレスポートサックはかなり雑かも それで他のシリーズも集めたくなってしまいました。でも日本には正式な代理店がないのです。なのでシンガポールに行った時に探してみました。 ほんとうは同じ黄色地のが欲しかったのですが、私が行った時にはもうありませんでした。シンガポールではオーチャード通りのDFSギャラリアとラッフルズ・ホテルに直営店がありました。 後ろのバッグはレスポのルルみたいです。測ってみたらルルとほとんど大きさが同じでした。こちらは生地がシルクなのでとっても軽いです それでは最後にシンガポールの写真を シンガポールといえばマーライオン、世界三大ガッカリ建造物としても有名です たしかにごくごくふつうの噴水でした・・・。 その後ろにチビ・マーライオンがいるのですが、そちら側から見たマーライオンの背中です(笑)。あともうひとつ巨大なマーライオンがセントーサ島にいました。 シンガポールはちょっと行くと国境の本当に小さな国ですが、公用語は英語でとても美しい国です。その中に中華あり、イスラームあり、ヒンズーもありの面白い国でした。また行ってみたいな
2008年01月14日
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タイヘ行ったお友達に頼んだジム・トンプソンのバッグとポーチです。ジム・トンプソンが大好きなんです(前に書いた日記はこちら)。 柄はお任せだったのですが、新作を選んできてくれました 正絹なので手触りがよく、軽いです。バッグはレスポのルルとほぼ同じ大きさです。 そしてこちらがお土産のコスメ・ポーチ。 これも新柄で、まだ路面店には出回っていなくて空港で買ってきてくれたそうです。この友はタイは何度も行っていてとても詳しいのです。とても綺麗で、嬉しい こうして日本にいながら国内外へ出かけた友のお土産をもらっているのでした どうもありがとうございました。 ブログもすうかりサボり気味で、もう秋風を感じる9月となってしまいました。少し落ち着いたので、またがんばります!
2008年09月12日
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ハンカチの川辺のセールへ行ってきました。たしか年末にも行ったような どれだけセールへ行くのか!?というかんじですが、前回買った分は全部プレゼントしてしまったので、自分の分を中心に買いに行ってきました。 まずヴィヴィアンウエストウッドのタオルハンカチです。前回とほぼ同じ柄で変わりばえしなくてスイマセン 定価1,050円が315円でした。 リバティ・プリントの生地でトリミングしてあるのですが、このタイプは人気があるようで、あっという間に無くなってしまいました。大判のはたぶんメンズかもしれないです。 そしてちょと若い人向けのブランドなんですがBarbie(バービー)が可愛かったので、こちらはプレゼント用に買ってみました タオルハンカチは210円、ポーチとタオルハンカチのセットは525円でした。このポーチは買った時は気がつかなかったのですが、内側がとっても可愛いです。 会場の最寄り駅は馬喰横山だったので、帰りはまたまたシモジマに寄ってしまいました。楽しかったです
2008年02月08日
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アーノルド・シェーンベルクセンターから歩いて、グスタフ・マーラー(1860年~1911)が住んでいた家へアーノルド・シェーンベルクセンターの日記は、こちら昨年来た時は住所をきちんと控えてなかったので、見つけることが出来ず悔しい思いをしました。今回はすぐに見つけることが出来ましたアウエンブルク・ガッセにあります。トラム71の線路に面していて以前何度も通った場所でしたマーラーが住んでいた家 Mahler-Auenbruggergasse1階の角はカフェになっています。建物はユーゲント・シュティル(アール・ヌヴォー)の巨匠、オットー・ワーグナーの設計です。オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツの日記は、こちら現在も現役のアパートメントとして使われています。なので外から眺めるだけです。銘板には「1898年から1909年までグスタフ・マーラーが住み作曲した」と書いてありました。この間作曲家としては交響曲第4番から第8番、大地の歌まで作曲、指揮者としては国立歌劇場の芸術監督→1907年に辞任、個人としては1902年にアルマと結婚、二人の娘の誕生、長女の死、そして自身は心臓病と診断。新婚で幸せいっぱい、仕事も順調な絶好調期から夫婦間に陰りが見え、音楽監督を辞任、アメリカへ渡るまでの激動の時期です。ちなみにマーラーがアルマと結婚式を挙げたのは、カールスプラッツにあるカールス教会です。カールス教会の日記は、こちらシュターツオパーも、カールス教会も、ここからですと全部徒歩圏です。建物の中の様子さてここから斜め前のベルヴェデーレ宮殿へベルヴェデーレ下宮の入口 Unteres Belvedereウィーン世紀末散歩のしめくくりはベルヴェデーレ宮殿のクリムトやココシュカ、シーレなどの絵です、つづく。
2012年02月03日
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いよいよアテネ最終日、午後からイスタンブールに移動です。午前中は時間もあり、また日曜日ということで、正教会の聖体礼儀(カトリックのミサにあたる)に行くことに。インターコンチネンタルのコンシェルジュに聞いて、ホテルから一番近い教会を教えてもらいました。休日で静かな住宅街を歩くこと約5分、Lagoumitzi通り沿いに近代的な教会が見えてきました。アテネでは多くの教会に入ってきましたがやはり主日の教会は特別で、祈祷者もたくさんいてまさに生きた祈りの場となっていました。シャンデリアなどのすべての灯りが照らされ、イコノスタスやイコンの前にたくさんのろうそくが灯され、まばゆいばかりに輝いていました。ドーム天井のハリストス像そして堂内に朗々と流れる聖歌の響きに引きこまれます。聖歌はモノフォニー(単声)で無伴奏、テキストはギリシャ語でした。西方教会のローマン・カトリックのグレゴリオ聖歌に近い、と言うとわかりやすいかもしれません。もちろん東方教会の正教会の方が歴史が古いのです。この教会で歌われていた聖歌はニコライ堂などの日本正教会や、ロシア正教会の和声付けされた聖歌とは全く違う、まさにビザンチン聖歌(ビザンツ聖歌)でした。生まれて初めて聞くビザンチン聖歌。西洋音楽の調性の範疇に入らない独特の神秘的な響きでした。また教会内には椅子が置かれているのですが、終始起立したままでお祈りする日本正教会と違って、大事なお祈り以外は座ったままで良いようです。ロシアから伝導された日本正教会は、ロシア正教会寄りなのだとはっきりと認識しました。参拝者は時間がたつに連れどんどん増えて活気があります。長く厳しいトルコ支配下でも失われることなく守り抜いたビザンチン式の奉神礼を見ることが出来て、言葉では言い表されない深い感銘を受けました。私にとっては貴重な体験でした。こうしてアテネの旅は終わりに近づいてきます。さて旅はいよいよ現在はトルコのイスタンブール、その昔はビザンチン帝国の首都・コンスタンチノープルへ、つづく。
2011年12月10日
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ベルヴェデーレ宮殿からトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。それまでの日記は、こちらトラムのハイリゲンシュタット駅今回はベートーヴェン関連はまわらずホイリゲ直行ですベートーヴェンの家をまわった日記は、こちらベート-ヴェンガング(ベートーヴェンの小径)の入口ベートーヴェン・ガングここを歩いていると自然と頭の中で交響曲第6番「田園」が鳴ります。ハイリゲンシュタットの街並み Heiligenstadt そして着きましたお目当てのホイリゲです。Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ)プファール広場のマイヤー、ホイリゲであるとともにベートーヴェンが交響曲第9番を作曲した家でもあります。ベートーヴェン・ハウスであることを示す銘板そして新酒のワインが置いてある目印入り口の軒先に小枝の束が目印としてぶら下げられています。マイヤー・アム・プファールプラッツの入口中庭中庭をはさんで左側がビュッフェ・コーナー(デリ)、右側がレストランに鳴っています。ビュッフェ・コーナーの入口ビュッフェ・コーナーホイリゲでの食べ物はビュッフェ・コーナーで購入します。チーズや自家製ハム、ソーセージやサラダなどがあり目移りします。店内ウィーン名物のゲシュプリッター Der G’spritzteその奥のワイングラスに入っているのが今年の新酒です。当然ですがまだ若いです。お料理ドイツ風のお料理はボリュームがあって美味しい長い旅の最終日ということもありゲシュプリツターをがぶ飲みしてしまいました。最高に楽しい一時でした帰りはU4のハイリゲンシュタット駅まで歩いたつもりが、道を間違えてドナウ川に突き当たってしまい。。。ドナウ川通りかかった犬の散歩のおじいさんに道をきき、トラムでU4のハイリゲンシュタット駅までカール・マルクス・ホーフ Karl Marx Hof駅前にはオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計によるカール・マルクス・ホーフという集合住宅がありました。こちらもユーゲントシュティルの建築で、長さが全長1km以上にもおよぶそうです。ハイリゲンシュタット駅こうしてヒルトン・ドナウ・ウィーンの最寄り駅スタディオンに戻ってきました。ヒルトン・ドナウの日記は、こちら駅前のスタジアムの広場にあるバスターミナルでびっくりなんとハイリゲンシュタット行きのバスがある今度来ることがあったらこれに乗ろう。。。ヒルトン・ドナウのエグゼクティブ・ランウジこうしてロサンジェルスから始まった長い旅は終わろうとしています。明日はいよいよ帰国です、つづく。
2012年02月05日
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念願のローマ水道橋とアッピア街道へ自力で向かいます。古代ローマ帝国2大インフラの旅のはじまりまずルートですが、チェントロ(中心部)から郊外へ下るか、郊外からチェントロへ上るか、ギリギリまで決めていませんでした。「すべての道はローマに通じる」という言葉がありますが、ここでいうローマは正確には「カンピドーリオの丘」を指します。午前中行ったミケランジェロが設計した美しい広場があるところです。 その時の日記は、こちらまだ体力も残っているので、アッピア街道を歩いてローマを目指そうやっぱり郊外からローマ中心部を目指すことに決めました。大好きなレスピーギ作曲「ローマの松」の終楽章「アッピア街道の松」でも勝利の凱旋軍はカンピドーリオの丘を目指してます。 新たに昇る太陽の輝きの中、 執政官の軍隊は神聖街道を勢いよく進み、 勝ちてカンピドーリオの丘に登る (作曲者自身による説明文より)この上りルートのデメリットは、途中で棄権が出来ないこと。郊外へ向かう下りルートでしたら疲れたらバスやメトロで引き返せます。上りルートの場合は基点を自分で設定するので、ひたすらゴールの市内の城壁を目指すしかないのです。(まぁ義務ではないので途中で棄権してもよいのですが。。。)さて、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂から、アウレリアヌス城壁にあるサン・ジョバンニ門をくぐり城壁外へ城壁の外から見たサン・ジョバンニ門 Porta San Giovanniサン・ジョバンニ駅からメトロA線に乗ってジュリオ・アグリコーラ駅へこの間なんと9駅、けっこう遠いです、そこはもう郊外です。今メトロに乗ってきた距離を、徒歩で市内へ戻るんだ。。。と思うとかなり不安になる。ジュリオ・アグリコーラ(Giulio Agricola)駅を出たところここは新興住宅地のようで、同じような団地が続いています。持ってきたのはGoogle mapをプリントしたペーパー。辺りに通り名を示す看板が無かったので、方向が判らないそこへ通りかかった強面のおじさまに、 「アッピア旧街道はどちらの方向ですか?」ときくと、英語混じりのイタリア語で、 「アッピア街道へ行くだって!? 正気なのか、ここから恐ろしく遠いぞ」と驚かれてしまいましたイタリア語は渡航前に1ヶ月特訓しましたが、まだ上手く喋れません。でもイタリア人は手振り身振りが大きいので分かりやすいのです。言っている内容はでほぼ間違いないです。 「それはよく分かっているので、とにかく方向を教えて欲しい」と頼むと、 「悪いことは言わないからコッリ・アルバーニ(Colli Albani)駅まで戻って そこからバスで行くことだ」と目をむいて言ってこられたので、本当は 「ローマ水道橋を見てからアッピア街道に行きたいから」と言いたいところ、肝心のローマ水道橋のイタリア語&英語がわからず、 「ほんとうに大丈夫だから教えて欲しい」の一点張りで頼むと、しぶしぶと指を指してくれました。今までで一番真剣に道を教えてくれたイタリア人おじさま、グラッツィエ・ミッレしばらく行くと最初の目標である公園が見えてきました。アクエドッティ公園(Parco degli Acquedotti)です。水道橋のイタリア語はアクエドッティ(Acquedotti)でした。。。ローマ水道橋は、Acquedotti di Roma、水道橋公園は、Parco degli Acquedottiになるんですね~。 今頃分かっても遅い。。。公園内は日曜日だったこともあり、たくさんの家族連れがサッカーをしたり、ワンコのお散歩やサイクリングをしたりしてくつろいでいました。入口に、 PARCO REGIONALE DELL'APPIA ANTICA(アッピア旧街道州立公園 ) の地図つきの看板があったので、ここで間違いありません。公園内をどんどん入っていくとインフォメーション・センターがありました駅からここまで750m、約10分。ここのお兄さん達からパンフレットをたくさんいただきました。アッピア街道の資料は少ないのでとても嬉しい ここでいただいたパンフレットの内容はここからダウンロード出来ます。 PARCO REGIONALE DELL'APPIA ANTICA の公式サイト公園には土手のような煉瓦造りの堤が続いていたのですが、これがフェリーチェ水道橋だそうです。いただいたパンフレットによると、次のように書かれています。 1585年~1590年の間にローマ教皇シクストゥス5世の命によって造られ、 市内のサン・ベルナルド広場にあるモーゼの噴水まで引かれているすごい、今も現役の水道橋なんですね。古代ローマではなくルネッサンス期の水道橋ですが。さて、肝心の古代ローマの水道橋を探しに、このアーチをくぐって野原に出ると、Acquedotto Claudioありました クラウディオ水道橋です。先ほどのパンフレットによると、 カリギュラ帝の時代の38年から建設が始まって、 52年の次のクラウディウス帝の時代までかかったと書かれています。約2000年前の水道橋です。ここは水道橋が分断されていますが、もっと連続した水道橋を見るべく、さらに奥へ進みますああ、さらに市内が遠ざかる。。。つづく。
2010年06月22日
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今年のGWもオアフ島へ行ってきました。今回は過去最大の宿泊数でなんと9泊まずは序章から書こうと思ったのですが、写真を整理しても驚くほど何もしていないことが判明その中でなんといっても個人的に特筆すべきは(笑)ヒルトン・グランド・バケーションズ(HGVC)の3つのタワー、カリアタワー、ラグーンタワー、グランドワイキキアンを梯子したことでしょうか。まずは広いヒルトン・ハワイアン・ビレッジにあるHGVCの、3つのタワーの位置関係をおさらいしてみます。まずはイリカイのヨットハーバーから見た,3つのタワーとなります。次はヒルトン・ラグ-ンから真正面に見てみます。ラグーンタワーはヒルトンラグーンに面していて、3つのタワーの中では一番海に近いです。ワイキキアンはビレッジの一番西側、カハモナク通りとアラモアナ大通り(バス通り)に面しています。そしてカリアタワーはカリア通り(バス通り)に面しているので、ビレッジの正面ゲートに一番近いタワーになります。ビレッジにはそのほかホテル棟としてあと4つのタワーがありますが、総合的に一番海に近いのはレインボータワーとアリイタワーになると思います。今回の滞在では最初の2泊をオープン予約にて、カリアタワーの1ベッドルームを抑えました。カリアタワー・1ベッド(シティビュー)一番ポイント&室料の低い山側シティ・ビューですが、中層階以上の部屋(12~18階)が確約されているため、リピーターの人気が高い部屋らしいです。しかもカリア通りの向こうはフォート・デ・ルッシー公園なので、シティー・ビューでも前に遮るものがありません。特に夜景が素晴らしいということでしたが、刻々と変化していく様子が素晴らしかったです。実際は宝石のように輝いていてもっと綺麗でした。本当は海側1ベッド・プラスを希望していたのですが、なにせオープン予約のため取れるという確約がなく、この部屋に空きがあった時点で速攻抑えたのでした。その後ワイキキアンを抑えるために予約画面をウォッチしていましたが、海側も含めてカリアの空室はついぞ見ることはありませんでした。海側に泊まった時の日記は、こちら と こちらちなみに1ベッドと1ベッド・プラスの間取りはまったく同じ。ビューのみの違いです。改めてカリアタワーの隠れた人気を思い知ることになったのでした。今年のカリアの詳しい日記は、こちらそして次は家人と合流したので、ラグーン・タワーの2ベッドルーム・プレミアへ移動。ラグーンタワー・2ベッド(オーシャンフロント)今回は久々にラナイから虹を見ることが出来ました。2ベッド・プレミアの詳しい日記は、こちら今年のラグーン滞在の日記は、こちらここで6泊したあと家人が一足先に帰国したので、残りの1泊をグランドワイキキアンにしました。こちらもオープン予約で1ベッドルームを2泊分おさえました。実際の宿泊は1泊でしたがオープン予約は最低宿泊数が2泊からなのです。なので前日から予約を入れたので、ラグーンのチェックアウト後にすぐに部屋へ入ることが出来ました。こちらもシティービューだったのですが、グランドワイキキアン・1ベッド(シティビュー)一番下の5階でしたなんとヤシの木ビューといううーん、繁忙期のオープン予約だとこうなってしまうのかラグーンのオーシャンフロントから移動すると、この落差には凄まじいものがあります。ただヤシの木の借景があると思えば、中途半端な低層階よりはマシかも、とどこまでもポジティブに考えるわたくし(笑)最終日に各部屋に洗濯乾燥機のあるワイキキアンは、やはり捨てがたい魅力があります。しかしグランドワイキキアンには過去に3回宿泊したことがありますが、部屋のカテゴリーによって印象が全く異なるタワーだと痛感しました。1ベッドプレミアの日記は、こちら2ベッドプレミアの日記は、こちら と こちら今年の1ベッドルームの詳しい日記は、こちらさて今回はタワー間の移動を2回行ったわけですが、荷物の移動はベルさんにお願いせずすべて自力で行いました。貧乏性ゆえ、自分でやらないと気がすまないという。近道などもおいおい書いていきたいと思います。そのほか今回はこちら、公共バスで出雲大社へ行ってみました。出雲大社へ行ったのは初めてです。目新しいことはそのくらいで、あとはいつも行くところばかり行っているというよく言えばHGVCのキャッチフレーズ、暮らすように過ごすハワイを実践したような滞在でした。それではこれよりハワイ日記を書いていきます。よろしくお付き合いくださいませ。クカニロコ・バースストーン
2016年06月11日
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イギリスへ行ったお友達にお願いしたジョー・マローンのコロンが届きました嬉しいです、嬉しすぎますこの包装がシンプルで素敵ヒースロー空港のターミナル5でgetしてきてくれました。ヒースローのターミナル5は一番新しいターミナルで、ブリティッシュ・エアウェイズ(英国航空)単独のターミナルです。中はというと、Amber & Lavender, Nectarine Blossom & Honey Cologne左がアンバー&ラベンダー(100ml)で、右がネクタリンプロッサム&ハニー(30ml)です。お値段は免税で30mlが£27.20、100mlが£54.40。ちなみに市内ですと£36.00と£72.00です。じつはヒースロー空港のHPには、ターミナル3と4にはジョーマローンのショップが記載されていましたが、ターミナル5にはありませんでした。 ターミナル3のジョー・マローンの日記は、こちらですがジョーマローンUKのHPには、ターミナル5の支店が記載されていました。今回どちらの情報が正しいのかわからないまま旅立たれたのですが、こうして実際に手に入ってとても嬉しいです。ネクタリンブロッサム&ハニーは伊勢丹新宿店の方曰く、日本でとても人気がある香りだそうです。フルーティで甘い香りです。アンバー&ラベンダーはジョー・マローンさんが夫への記念ギフトとして贈ったそうです。つけている自分自身がとてもリラックス出来る香りです。ジョーマローンの香水はフレグランスコンバイニングといって、重ね付けを楽しむことが出来るので、香りの可能性は無限に広がります。おのずから自分のコレクションも広がってしまいます作戦にしっかりとはまる私。。。・アンバー&ラベンダー・ハニーサックル&ジャスミン・ブラック ベチバー カフェ・レッドローズ今のところレッドローズの使用が一番多いです。・ネクタリンプロッサム&ハニー・オレンジブロッサム・ホワイトジャスミン&ミント・ライムバジル&マンダリンホワイトジャスミン&ミントは単独で使用することは無いのですが、ほかのフレグランスとの相性がとても良いので重宝しています。ネクタリンプロッサム&ハニーともばっちりで楽しみあとお友達情報によるとブリティッシュ・エアウェイズの機内販売が、香りは決められているもののさらにお買い得だそうです。今回はほんとうにどうもありがとうございました。優雅で優しい香りで、皆に喜ばれます! ジョーマローン 1番人気のレッドローズ コロン30ml Jo MALONEジョー マローン ブルーアガバ&カカオ[ ジョーマローン ] ブルーアガバ&カカオ 30ml
2011年07月24日
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ヴァチカン博物館で充実した時間を過ごしたあとは、お隣のサン・ピエトロ大聖堂へ初日に下見に行った時よりは人は少なかったですが、それでもものすごい観光客がいました(この時点で11時30分)。Basillica di San pietro色鮮やかな制服のスイス・ガード(スイス傭兵)。セキュリティー・チェックがあるので行列は仕方がないのですが、クーポラへ登る行列がまたまた凄まじかったです。ここで並んでいる時が今までの旅の中で、正直一番きつかったです。クーポラへの登りはとりあえずエレベーター・コースを選択。ただしチケット売り場付近に、下記の注意書きが。 クーポラに到達するには、 エレベーターを使っても、320段の階段を登らなくてはなりません。 お年寄りや、慢性の病気をお持ちの方、 心臓病の方は、ご承知おきくださいちなみにエレベーター・コースは7ユーロ、階段コースは5ユーロ。あまり差が無いのね。さて、エレベーターで登り、しばらくスロープを歩くとちょうどドームの下に出ました。壁の天使のモザイクが間近にとても綺麗です。Cathedra Petri でも高所恐怖症にとっては恐ろしく怖い大聖堂の下の人がもう豆粒くらいの大きさなのです。後陣(アプス)のベルニーニによって手がけられた聖ペテロの司教座(カテドラ・ペトリ)がはるかかなたに見えます。ミケランジェロが設計したクーポラの天井の方が近いさて、ここからが階段になります。心の中で一段ずつ数を数えていきました。階段は、ドームに沿って作られているので上れば上るほど、どんどん狭くなり、しかもだんだん傾いできます。真ん中が磨り減っている階段。大きい方からどんどんドロップアウトしていきます。↑アメリカ人率高し。私は数を数えていたので、もう150段だよ、あと半分だよ、とか周りに声をかけながら上りました。段数を数えているのか?とかなり驚かれましたが、ええ、数えますとも。几帳面で計画的な日本人ですから。個人的にこの階段は楽勝でした。ステップの段差が低いし、私自身小柄ということも幸いしました。8月のダイヤモンド・ヘッドのほうがはるかにきつかったです。ただここも盛夏の晴天だときついかもしれません。ですが上りきった後が怖かった。びゅーっと吹き付ける強風、空が近い。「疲れが吹き飛ぶ」という言葉の意味を身をもって体感したのですが(ちなみに昨日は「足が棒になる」です)ふと下を見ると、360度のパノラマが広がるでも正直、怖いです、怖すぎます。もう地平線が丸いではないですかっ。なんか床が外に向かって斜めになっているような気がするし、柵が、柵の隙間が広くて、風も強い。これがもし日本の建物だとしたら、もっと囲ってしまうと思う。こんなにむき出しの状態って、無い、絶対に無いもう中央の壁に背中をつけたまま、カニ歩き状態で出口へ向かいました。階段は一方通行なので、出口に向かって約半周しなければならずいったい何のために登ったのか。。。今、あらためて家人が撮った写真を見て、すごいところだったんだなぁ。と思います。クーポラへの注意事項に、高所恐怖症と閉所恐怖所も付け加えた方がよいと思う。。。さて、これからサン・ピエトロ大聖堂の中へ つづく。
2010年07月05日
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