全586件 (586件中 401-450件目)
< 1 ... 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >
フォロ・ロマーノから徒歩でコロッセオへ ここまでの日記は、こちらセキュリティ・チェックを受け、ローマ・パス優先レーンから入場。ゲートは狭いので、世界各国からの観光客でごった返していました。階段を上がると、有名な巨大な円形闘技場が広がっていました。さて、ここからサン・ジョバンニ広場へ。コロッセオ近くのバス停でバスを待ってたのですがなかなか来ないのでまた歩いて行くことにサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂前の広場に到着、コロッセオからここまで1.5キロ(18分)中央はエジプトから奪ってきた運ばれたオベリスクローマにあるオベリスクの中で最も古く、紀元前15世紀のもの。右側の建物側はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。左側の建物がラテラーノ宮(ヴァチカン歴史博物館)。 ヴァチカン博物館のチケットで入場可能(5日間有効・ガイドツアーのみ)。サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は、教皇座がヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に移るまで、世界で最も権威のあるカトリック教会として君臨していました。314年の教皇シルヴェステル1世の時代から、1000年間に渡ってローマ教皇庁が置かれていたそうです。 公式HPはこちらローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の大聖堂)の一つ。 四大バシリカとは ・サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 ・サン・ピエトロ大聖堂 ・サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 ・サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)サン・ジョバンニ広場側から聖堂に入ったのですが、どうもここは正面ではなく、中に入ると、祭壇の後ろに出てしまい、折りしもミサの真っ最中でした(訪れたのは日曜日)。入口がよく分からない観光客同士で半信半疑で入ったのですが、一同ぎょっとなった瞬間です聖体用祭壇は教皇専用のもので、バルナ・ダ・シエナによる12枚のフレスコ画のパネルに覆われています。写真ではなかなか伝わりにくいのですが、この聖堂がどれだけが大きいか、想像できるかと思います。正面にまわってみました。金と青がまばゆい木製の格天井は16世紀のものです。ラテラノ大聖堂がこれだけ壮大だとしたら、明日行くサン・ピエトロ大聖堂は一体どれほど大きいのだろう。。。と思う。大聖堂の脇からキオストロ(回廊)つきの中庭へ行くことができます写真で見て行きたかったところ。ここは有料で、キオストロの入口でシスターに支払いました。ねじれた2本の円柱と大理石のモザイクが華やかで、今回とても印象に残った場所のひとつです。さてここから建物正面に回ってみますBasilica di San Giovanni in Lateranoファサード上には15体の彫像が乗っていて、サン・ピエトロ大聖堂に似ていますね。ここからメトロA線のサン・ジョバンニ駅へ行き、メトロに乗って念願のローマ水道橋とアッピア街道へ行きます、つづく。
2010年06月22日
カンピドーリオの丘からフォロ・ロマーノの全景を見てから、いよいよ広大な敷地内に向かいます それまでの日記は、こちらカンピドーリオの丘を下り、フォーリ・インペリアーリ通りへ左側にフォーリ・インペリアーリの遺跡、右側にフォロ・ロマーノ。そしてフォーロ・インペリアーリ通りの入口から入場、カンピドーリオ広場からここまで1キロ(12分)の道のりです広大な敷地に入口が2ヶ所しかないので(あと出口専用が1つ)、きちんと計画をたてて回った方がよいと思います。ローマ・パスの2回目の無料特典を、フォロ・ロマーノとコロッセオ共通券で使いました。フォロ・ローマーノは広大で、遺跡群は圧倒的な迫力で感動します。この空間だけゆったりと悠久の時が流れているようです。双子の神、カストルとポルックスに捧げられた神殿跡アントニヌスとファウスティーナの神殿パラティーノの丘の皇帝宮殿跡かつてはローマの有力貴族や権力者たちの豪壮な邸宅が立ち並んでいたところです。パラティーノの丘はローマの七丘のうちの一つで、最も歴史が古いといわれているそうです、階段を登って行くとパラティーノの丘からは素晴らしい眺めが観光客も少なく静かで、鳥の鳴き声だけがきこえます。今回はわりと駆け足でまわりましたが、ここだけまる1日かけて見学しても飽きないと思います。さて、お隣のコロッセオへ向かいますティトゥスの凱旋門近くの出口からコロッセオへ行く道。コロッセオを目指してしばらく歩くと右手にコンスタンティヌスの凱旋門が見えてきます。左奥がコロッセオの入口(フォロ・ロマーノ出口からここまで210m)。ここは一大観光地で世界中から来た観光客で激混み入場のための行列も長く続いていますただ私たちはフォロ・ロマーノで共通券を既に購入済みあとここにはローマ・パスの優先レーンがあります。左側が優先レーンです。人は多いですが、こちらはどんどん進んで行きました。いよいよコロッセオの中へ入ります、つづく。
2010年06月21日
ローマ2日目の朝(日曜日)です、快晴です。今日は古代ローマの史跡めぐりの日と勝手に決めて、フォロ・ロマーノからローマ水道橋、アッピア街道まで自力で行きます。スペイン階段の上にあるインターコンチネンタル・デ・ラ・ヴィッレ・ローマから出発昨日あれほど激混みだったスペイン広場ですが、昨夜の喧騒が嘘のように人がまばらです。スペイン広場の中心にあるバルカッチャの泉からコンドッティ通りの眺め。通りの入口左側がディオール、右側がサンローラン。スペイン広場ではここぞとばかり写真を撮りまくりました。「ローマの休日」のアン王女スポットも朝なら撮影可能コンドッティ通りを直進、コルソ通りに突き当たったところでミニバスに乗ってまずベネッツィア通りまで行く予定だったのですが、今日はミニバスは来ないよ、と通りかかった人が教えてくれました。イタリア人は外国人にもイタリア語でバンバン話しかけてくれます。でも声とゼスチャーが大きいので意味は完璧に把握できます。↑今までのドイツ語圏と大きく違うところだったらもう歩いてしまえ~と歩いていくと、コロンナ広場のマルクス・アウレリウスの記念柱が右手に見えました。螺旋状に描かれたレリーフが美しいです。ここまでホテルから950m、徒歩11分←by googleチェントロ(中心部)は遺構や遺跡が多いのでメトロは通っていません。バスに関しては警察官や地元の人に聞いてもよくわからないんですよね(謎)。皆さん仰ることがバラバラで。。。きっと道が狭い上に、一方通行が多いので路線が複雑なのでしょう。あと説明するのが面倒なのかなぁ。とにかく人当たりは良いのですが質問に対する答えがいいかげんアバウト。↑これもドイツ語圏と大きく異なることかも。。。そしてベネツィア広場に到着、ここまで直線で500m白亜の建物はヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1911年完成なので、ローマにしては新しい建物です。建物の上に4頭立てのブロンズ製の馬車が乗っています。まさに威容を誇る白亜の殿堂、大きいです。ローマというよりは何だかアメリカっぽい建物←あくまで個人的な感想このヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂を越してカンピドーリオ広場へ古代ローマには神殿が置かれ、ローマの中心地だったそうです。それをミケランジェロが美しい空間に設計しました。カンピドーリオ広場につづく階段ここをわくわくしながら登ると、ミケランジェロ設計のカンピドーリオ広場の美しい空間が広がっていました。広場の敷石の幾何学模様が印象的建築史上指折りの傑作と言われているそうです。ここまで850m(10分)、ホテルからですと1.8キロ(22分)。そしてこのカンピドーリオの丘からは、市庁舎下の遺跡群からフォロ・ロマーノまでを見渡すことができます。イオニア式の8本の柱はサトゥルヌスの神殿の跡(283年)コリント式の3本の柱はヴェスパシアヌスの神殿の跡(81年)素晴らしい眺めですここで全景を確認してから、広大なフォロ・ロマーノへ長い一日のはじまりです、つづく。
2010年06月20日
ピンチョの丘からヴィラ・メディチ(メディチ荘)に歩いていきましたヴィラ・メディチ Villa MediciVillaはイタリア語ではヴィッラと発音しますが、ここではフランス語風にヴィラとしてみました。なぜならここは入口から表示がフランス語、公式HPもフランス語なのです。英語表記は無し、徹底してます→公式HPはこちら現在はローマ・フランス・アカデミーというようです。レスピーギ作曲の「ローマの噴水」の最終楽章が「たそがれのメディチ荘の噴水」La fontana di Villa Medici al tramontoヴィラ・メディチは週末のみガイドつきで庭園の鑑賞可能ですが、今回はスケジュールが合わなくて申し込みはしませんでした。ただこの日は館内で催し物があるようで扉が開かれていました。中に入れば噴水が見られるかもと思い、係の人に聞くと、この日の展示はコンテンポラリー・アートとのこと。朝から歩き回っていて疲労もMAXだったので展示室には結局入りませんでした。今ちょっと後悔しています、入っとけばよかったこの時は噴水に気をとられていたのですが、ここはローマ大賞受賞者が滞在するヴィラということを思い出しました。ローマ賞はフランス王ルイ14世によって創設された由緒正しき賞で、フランス国家が授与した奨学金付留学制度。優勝するとここに2~4年間滞在して国費で勉強出来たのです。ドビュッシーやベルリオーズもここに留学していた、と思うとなんだか感激です。ここはスペイン階段の上にあるのでローマが一望のもと、こんな素晴らしいロケーションの豪邸にタダで国費で暮らしていたんだ。。。ただドビュッシーはフランスに帰りたくて帰りたくて、任期の2年きっかりで帰国し、その間作曲もあまりしていません。フランス人の気持ちはよくわからないです。。。さてここはもうスペイン階段の上のトリニタ・ディ・モンティ広場、お隣が有名なトリニタ・ディ・モンティ教会です。訳すと「丘の三位一体教会」、2本の塔を持つのはフランスゴシック様式です。フランス王ルイ12世が建てさせた、フランス人のための聖堂なのだそうです。メトロA線「スパーニャ」駅がスペイン階段の上にもあって、階段を上り下りしたくない時にエレベーターを使えて便利ですさて真下のスペイン広場に目をやると、激混みでした少々の人混みでは驚かない関東人の私ですが(渋谷のスクランブルとか)、さすがに階段を下りる気はしなかったです。疲れているしお腹も空いたので坂上のトリニタ・ディ・モンティ広場でぱっと目に付いたレストランで夕食にしましたDelle Nazioni(デッレ・ナッツィオーニ)のテラス席で。AntipastoPrimo PiattoSecondo Piattoローマはふらっと入ったお店でも美味しいです。夕食後は一人でスペイン階段を降りて、友より頼まれた物を探しにバブイーノ通りのMiu Miu(ミュウミュウ)へショップの方が絵に描いたような美女&イケメンで感動ソファに座ったまま預かったリストを出してあれこれ言うだけでしたが、きびきびと動いて、とても親切です。この日は免税手続きに必要なパスポートを所持していなかったので、取り置きをしてもらい、ホテルへ戻りました。くわしくは、のちほど。夕暮れのスペイン階段。長い1日が暮れようとしています。明日は絶対に晴れてもらわなくては困る日。アッピア街道を含めたローマの古代遺跡を巡る予定なので全行程ほぼ外歩きなのです、つづく。
2010年06月20日
サン・ピエトロ広場からポポロ広場に到着しました。 ヴァチカンからポポロ広場までは、こちらまずサンタ・マリア・デル・ポポロ教会へ向いますこの教会は昼休みが12時~16時半までと長いので注意santa maria del popoloこの左手に少し見えるのがローマの北の入り口、ポポロ門(フラミニア門)です。内側のファサードを装飾したのはベルニーニ。教会の中はたくさんの観光客で大混雑、今日まわった中では一番の人出でした。教会内部は礼拝の場所というより、絵画・彫刻・建築の美術館といった方がよいかもしれません。ラファエロ、ベルニーニ、カラヴァッジョなど、きら星のような芸術家たちの作品が壁や天井に飾られています。あとダン・ブラウンの小説で映画にもなった「天使と悪魔」の舞台であったことも混雑の一因かもしれないです。主祭壇と「マドンナ・デル・ポポロ(市民のマドンナ)」隣のチェラージ礼拝堂にカラヴァッジョの「聖パオロの改宗」と「聖ピエトロの逆磔」があるのですがものすごい人で撮影不可でしたここはホテルから近いのでまた出直そうと一旦引き上げました。 →でも時間が無くて滞在中行くことは出来なかったのですがチボー家礼拝堂 cappella cybo映画で出てきた「ハバククと天使」があるキージ家礼拝堂は改装中でしたさて、ここからポルゲーゼ公園のピンチョの丘へ丘の階段を登っていきます。ピンチョの丘の展望テラスからの眺め眼下にはオベリスクがそびえるポポロ広場、遠くにはサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロの手によるクーポラが見えます。ローマが一望のもと、夕方の風がここちよかったですここからホテルのあるスペイン階段方向へ丘の上の静かな道を歩いて行くと、ヴィラ・メディチ(メディチ荘)が見えてきました。ちょっと寄り道してみます、ここは館内がフランス語表示でした。もうホテルのあるスペイン広場もすぐです、つづく。
2010年06月18日
サンタンジェロ城からヴァチカン方面へは徒歩でそれまでの日記は、こちらあまりにも巨大ゆえ、見えているのになかなか着かない、遠いです。。。サン・ピエトロ大聖堂気温もぐんぐん上昇、朝から歩き回っていたので疲労もMAXにサン・ピエトロ広場やっと着いたら大聖堂への入場は長蛇の列でした広場中央にはエジブトから奪ってきた運んできたオベリスク。高すぎてこの位置ではカメラに収まらずベルニーニの設計による列柱廊を持つ楕円形のサン・ピエトロ広場は、あまりにも巨大きすぎて楕円形かどうかもわからない。。。ここに立つと列柱もはるかかなた。ヴァチカン美術館の予約は最終日なので、やっぱり当初の予定通りその日にまた来ようと引き返しました。。。美術館経由ですと今日のように参道(というのかな?)から大聖堂を真正面に見ることはないのでまあ良しとします。次はコーラ・ディ・リエンツォ通り経由でポポロ広場へ向かいます。この通りは地元マダム御用達のショッピング街なのだそうです。サン・ピエトロ大聖堂の参道を北方向へ進むと、まずレオニーネの城壁(Mura Leonine)につきあたります。Mura leonineヴァチカンとサンタンジェロ城を結ぶ城壁です。レオ4世の城壁とも呼ぶようです。サン・ピエトロ大聖堂が危機に陥ったときに、ローマ教皇がサンタンジェロ城へ逃げ込むための通路があるらしい。この城壁の門をくぐると、趣のある路地を抜けて、コーラ・ディ・リエンツォ通りに突き当たりました。Via Cola di Rienzo世界中の観光客でごったかえしているコンドッティ通りよりも、地元民率が高くて緑も多く、ゆったりとしています。高級食料品店の「カストローニ」や老舗のデリカ「フランキ」もこの通りにあります。ここではSABON(サボン)で家族に頼まれたボディケア化粧品を購入。 ローマのボサンのHPは、ここ詳しいレポはまた後ほどあらためて。日本で買うよりはかなり安いのですが、SABON製品はガラスビンに入っているので重いのが難点そこで購入したビン類を持ってポポロ広場へさすがに疲れて、途中のバールで飲み物を補給。テヴェレ川を渡るとポポロ広場です。広場の中央にあるオベリスクもエジプトから奪ってきた運んできたもの。写真右側が双子教会。ここでイベントがあるらしく、舞台の設営中ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会へ向かいます
2010年06月16日
ナヴォーナ広場からミニバスでサンタンジェロ城へそれまでの日記は、こちらイタリア語表記でCastel Sant'Angelo、英語表記でCastle St.Angelなるほど「聖天使城」なんだ←気づくのが遅い天使像があちらこちらに。テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋の天使像ベルニーニの本物は、こちら内部はサンタンジェロ国立博物館になっています。ローマパスの2回の無料特典のうちの第1回目をここで使用内部は要塞・牢獄ということで、ちょっと暗い感じです。城の上部に行くとローマ教皇の居室がいくつかあって、豪華になっていました(若干ほこりっぽいですが)。サンタンジェロ城のペストポジションは何といっても屋上ここからはローマを一望できます。先ほど渡ってきたサンタンジェロ橋とカモメ。ローマは海が近いということを実感、そしてこのカモメは近づいてもぜんぜん逃げないのです。そしてヴァチカン方向のながめ。サン・ピエトロ大聖堂のドームが見えます。ヴァチカンからサンタンジェロ城までレオニーネの城壁(Mura Leonine)でつながっています。レオニーネの城壁の中には、ローマ法王が逃げるための通路が設けられているそうです。屋上にはこの城の名前の元となった大天使ミカエルの大きな像がそびえます。さて、ボルゲーゼ美術館から始まってここまで、順調にスケジュールをこなしてきたので、当初の計画外ですがちょっとヴァチカン方面まで足をのばしてみることにヴァチカン美術館は最終日の朝一番で日本から予約をいれてあります。今日は下見ということで、もし空いていればサン・ピエトロ大聖堂に入ろうと思います。サン・ピエトロ大聖堂へ向かう道。教会、寺院としては今まで見た中で最大、それもそのはず、世界最大級の教会堂建築だそうです。そして日が出てきて気温は一気に上昇、見えているのに遠い。。。ああ、サン・ピエトロ寺院、つづく。
2010年06月15日
パンテオンを出発した時点で正午をとうに過ぎていたので、友人からのおすすめの名店リストランテパパ・ジョバンニへ向かいましたですが、クローズでしたHPにはランチの時間は書いてあるので改装だったのかもしれません。仕方がないので、トボトボとナヴォーナ広場へ。。。ナヴォーナ広場中央にはオベリスク、そして3つの噴水が配置されています。でも一番見たかった中央のベルニーニ作の四大河の噴水は工事中この広場はリストランテやカフェがたくさん軒をつらねていました。美味しそうな香りがします、空きっ腹にひびきます。ただ昨日ライプツィヒのホテルで朝食でお隣だったスイス人夫妻から、「ナヴォーナ広場のレストランは高いから入っちゃだめよ」と言われていたのです。マクドナルドのハンバーガーが1,000円超えの超物価高のお国、スイス。そこに住んでいるスイス人が高い!と言うんだからどれだけ高いのか。でも空腹に耐えかねてカフェ・ベルニーニというレストラン&カフェに名前につられて入りました。そのスイス人ご夫妻も空腹に耐えかねて入ったらしい。。。caffe berniniオープンテラスの席で、目の前はネプチューンの噴水素晴らしいローケーションです。ローマでの初イタリアンはとりあえず無難な物を。見た目よりも量が多いです、やっぱり美味しいここでの支払いは40ユーロくらいだったと思います。ビールやワインも入れてのこの値段、場所代込みと思えばそしてお隣のジェラテリアで、ジェラートを「3つの噴水のジェラート屋」そのまんまの店名(笑)美味しかったですこのあたりはジェラート激戦区だそうです。さて食事の後はミニバス116に乗ってサンタンジェロ城へこれがローマのバス停です。この形をしているのがバス停、と言った方が正しいかも。というのも反対側から見ると広告だったり、ひどい場合には何も書いてなかったりするのです。これを理解するのに丸1日かかったよサンタンジェロ城へはナヴォーナ広場から徒歩でもすぐの距離ですが、ミニバスはテヴェレ川沿いを、ジャニコロの丘を左手見ながら走りますなので景色が素晴らしいのですこれに乗らない手はありません。ただ車内アナウンス一切なし、車内表示無し。バス停もあったり、なかったり(数を数えても違うこともある)。とにかく車窓をみて降車の判断するしかありません。あと一方通行が多いので、往路と復路のルートが違うので注意そして狭い石畳の路地を恐ろしいスピードでぶっ飛ばしますローマのミニバス、チャレンジャー向けの乗り物です。さて、エマヌエーレ橋の手前のバス停を降りてテヴェレ川沿いを歩くこと3分サンタンジェロ城が見えてきましたちょっと雲が出てきて、おどろおどろしい雰囲気になってきました。ダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』ではイルミナティの秘密集会所、歌劇「トスカ」のヒロイン・トスカはあの城壁から身を投げるんだよな。。。手前の橋がサンタンジェロ橋です、つづく。
2010年06月14日
トレヴィの泉からすぐ近くのパンテオンへ向かいます途中のピエトラ広場には11本のコリント式列柱が並んでいました。Hadrianeum最初はこれがパンテオンかと思ったのですが←ばか145年に建てられたハドリアヌス帝の神殿でした。ローマにはこういう古い遺構がいたるところにあります。中の建物は証券取引所として現在使われているそうです。パンテオンに到着半分工事中です大きすぎてカメラに全景をおさめられず。現存するローマ建築の最も完全な遺構であり、世界最大の石造り建造物だそうです。クーポラの頂上の天窓(直径9メートル)内部の唯一の光源です。その大きさ、1900年の時の流れに感動します。Pantheonパンテオンの内部には7つの礼拝堂がありました。ここも観光客が多かったのですが、内部が広いので気にはならなかったです。ここからパンテオンの左脇を抜けてミネルヴァ広場へオベリスクをのせた象のモニュメントと、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。オベリスクを象の台座に乗せたのはベルニーニだそうです。象の彫刻はベルニーニの弟子によるもの。このサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会は、「ミネルヴァ神殿の上の聖母教会」という意味。外見はは極めて簡素なファサードなのですが、中に入ると青色に金の縁取りのアーチ形天井が息をのむ美しさでした。ここは教会というより小美術館と呼べるほど、数々の美術品が所蔵されていました。フィリッピーノ・リッピ作「聖トマス・アクィナス」ミケランジェロ作「あがないの主イエス・キリスト」このキリスト像は建物に対してあまりにも小さいので、あやうく見逃してしまうところでした。さてここからナヴォーナ広場へ向かいますここの広場も狭い路地から突然視界がぱっと開けて現れる、劇的な空間演出となっていました。手前の噴水がムーア人の噴水、その奥、オベリスクを掲げているのがベルニーニ作の四大河の噴水。もう正午もとうに過ぎたので、ここで昼食をとることにしましたつづく。
2010年06月14日
バルベリーニ広場から、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へボルゲーゼ美術館から広場までの日記は、こちら広場からバルベリーニ通りを登っていきます。急坂を登り切った広場の一角に、教会がありました(ここまで約5分)。ここではこれが見たかったのです。ベルニーニ作「聖テレーザの法悦」神の愛に心を射抜かれた聖テレーザが恍惚の表情を浮かべる瞬間ドレスのドレープが彫刻とは思えない表現力です。映画にもなったダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』にこの教会が登場したせいか観光客が多かったです。入り口からふりかえったところにあるパイオルガン壁や天井のいたるところに天使の彫刻があります。美しい天井のフレスコ画ここから同じバルベリーニ通りを下りバルベリーニ広場へトリトーネ通りを行けばトレヴィの泉ですが、ちょっと右折してサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会へ。ここにあるベルニーニ作品は、祭壇の両脇にある天使像。とげの花冠を持つ天使とカルティーリョを持つ天使の2体。サンタンジェロ橋にある天使像のオリジナルで時の法王があまりの素晴らしさに風雨にさらすのが惜しくなり、ここに移したとのこと(こちらが本物)。ここから雰囲気の良い、建物が密集した細い路地を抜けると、視界がぱっと開けて、トレヴィの泉の脇に出ましたレスピーギ作曲「ローマの噴水」の第3楽章がトレヴィの泉。この周辺は地図で見るよりもコンパクトで密集しています。ここまで約5分くらいでした。さて、この空間が開ける効果は絶大なのですが、そこにいる観光客の数も半端ではありませんでした写真を撮る人、後ろ向きからコインを投げる人、四方八方から聞こえるありとらゆる言語。。。ローマは世界の観光地なんだと再度実感。そしてここでローマ滞在の3日間の行程表を無くすという大失態をしてしまいました今回の旅で個人的に一番力をいれて計画したのがローマ。とにかく見所満載なので、史跡、バス路線、レストラン情報など、ありとあらゆる情報を記入しておいたのです。ガイドブックもローマだけで厚さ2センチはあるし教会の名前は似たようなものが多いので(サンタなんとか。。。とか)、すぐ探せるように行程表とガイドブックもリンクさせておきました。それをローマの達人にチェックしてもらって、すべてを完成させたのが渡航の2週間前。完成の達成感と共に(ここがピーク)、記憶がどんどんあいまいになっていってますここから記憶を思い出しながらの観光になる、つづく。
2010年06月13日
ローマ初日はボルゲーゼ美術館から始まります。ここは予約が義務づけられているので、あらかじめインターネットで予約をしていました(19ユーロ)。時間は9時からに指定(11時までに退出となっています)。スペイン坂上にあるインターコンチネンタル・デ・ラ・ヴィッレ・ローマから、小雨の中徒歩でピンチアーノ門経由で向かいますアウレリアヌスの城壁とピンチアーナ門ここまでホテルからシスティーナ通りを下り城壁沿いに歩くこと約5分3世紀後半にアウレリアヌス帝によって作られた城壁と門が、今でも現役で使われています。ここからボルゲーゼ公園に入り、さらに歩くこと約5分ボルゲーゼ美術館に到着ここまでの道のりは人が少なかったのですが、中にはたくさんの人でごった返していました。ここは手荷物をクロークにすべて預けるシステムになっています。そして最初の部屋には、ベルニーニ作「プロセルピーナの略奪」The Rape of Proserpinaこれがローマで一番見たかったベルニーニ作品でした。細部の詳しい画像は、こちら(ウィキペディアへ)冥界の王プルトン(プルート)がプロセルピーナを力ずくで連れ去る、まさにその瞬間が凝縮されています。抱き上げられたプロセルピーナの背中から腰にかけてプルトンの指先が食い込んでいる。絶対に離さないぞというプルトン強い意志プロセルピーナの柔らかな肌の質感これが大理石で出来ているとはとても信じがたい。そしてプロセルピナの頬につたわる涙。。。すごすぎる。まさに天才の成せる技です。これが置かれている部屋がまた素晴らしく天井画は平面なのに、天使が浮き上がって見えます。ここで完全にノックアウトされました。ウィーンからドレスデン、ライプツィヒと、今まで見てきた彫刻は何だったのか。。。ローマ、すごい、すごすぎる。こういうときに出てくる言葉はなかなか見つからないものです。隣の外人女性に「すごいね」って日本語で話してしまったのですが、彼女もやっぱり目を輝かせて自分の国の言葉で返してきました。感動は国境を越える。。。そしてその後に続く名画や彫刻の数々、展示してある部屋の素晴らしいこと。そして最後の部屋にあった、ベルニーニ作「アポロンとダフネ」Apollo and Daphne画像は、こちら(ウィキペディアへ)アポロがダフネを捕まえようとするその瞬間、逃げようとするダフネの身体が月桂樹に変わっていくその瞬間これを彫刻で表しています。指先の一部が葉に、そして足の一部がすでに根に変わりつつあるのです。もう奇跡のような作品です。 この美術館は全館撮影禁止だったので 写真等はガイドブックからスキャンしたものを用いています。ボルゲーゼ美術館では約2時間費やし、出たときには雨はもうあがっていました。ここから公園内を散策しながら、バルベリーニ広場へ向かいますボルゲーゼ公園の松レスピーギ作曲「ローマの松」の第1楽章「ボルゲーゼ公園の松」の舞台はここ。ピンチアーナ門を出たところにたくさんのミニバスが待機していたので、ミニバス116に乗りました。バスはヴェネト通りからバルベリーニ広場へこの広場はヴェネト、システィーナ、バルベリーニ、トリトーネの4本の主要な通りが交差する交通の要所で、メトロの駅もあります。バルベリーニ広場にある蜂の噴水(ベルニーニ作)バルベリーニ家の紋章である蜂と、命と豊穣の象徴である貝を組合わせた形だそうです。そして広場中央にあるトリトーネの噴水こちらもベルニーニ作。4頭のイルカに支えられた貝の上に、海神トリトーネ(トリトン)が乗って、ホラ貝を吹いています。レスピーギ作曲「ローマの噴水」の第2楽章の表題は、この「トリトーネの噴水」です。さてここから同じくベルニーニ作品が置いてある、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へこの日はひたすらベルニーニの作品を追いかけていきます、つづく。
2010年06月11日
ライプツィヒからやっとの思いでフランクフルトにやって来ました それまでの日記は、こちらもともと乗り継ぎ時間が55分しかないうえに、定刻よりも遅れて出発し原因は自分たちにあるしかも飛行機からAターミナルまでバス移動そしてAターミナルでは端から端へのゲート移動だっためものすごく忙しいこのフランクフルト・アム・マイン空港はおそろしく広いのです。その間セネターラウンジへ行ってまた食べたので、もうバタバタ最後は走りに走って、ローマ行きLH3841に乗りましたローマまでは1時間45分のフライトです。機内食はプロシュットにパンナコッタなど、イタリアっぽいです。ローマ・フィウミチーノ空港に近づいてきましたイタリア半島を飛行機は地中海沿いに飛んでいきますフィウミチーノ空港はレオナルド・ダ・ヴィンチ空港ともいうそうです。かなり古くて、年期の入った空港でした。そして降りた瞬間から、今までのドイツ語圏とぜんぜん違うまず賑やか(皆さん声が大きい)、色がカラフル、香水の良い香りがする。今まで静かで「黒っぽい服に運動靴にリュック」の人が多く、無臭だったのが、カラフルな服にハイヒール、おしゃれなバッグに派手目の化粧率高し。国境を超えるとこんなに違うのかと、おどろく。。。その一方、出口はわかりにくい、建物は薄暗くて汚い、バッゲジクレームでは荷物はなかなか出てこないわで、かなり混乱してしまいました。まず構内のタバッキ(煙草屋さん)でローマ・パスを購入。ローマパスとは、 ・市内の博物館、考古学遺跡 2ケ所に無料入館 ・ローマ市内の公共交通機関(メトロ、トラム、路線バス)に3日間乗り放題 ・市内の博物館、名所、展覧会、イベントなど入場優待割引 ・各施設に設けてあるローマパス優先レーンで優先入場が出来るというお得なパスなのです(25ユーロ)。さて、レオナルド・エキスプレスでテルミニ駅まで所要時間はノン・ストップで約30分。なんか名前とはイメージと違う、これまた年期の入った列車乗る際に階段上げがありました。こんなことなら直接タクシーにすればよかった、とちょっと後悔でも切符を買ってしまったので乗るしか無いです。テルミニ駅からはメトロに乗ってホテルまで行くという手もあったのですが、とにかく荷物が重いので、ここからタクシーに乗ることにローマのホテルはインターコンチネンタル・デ・ラ・ヴィッレ・ローマで、スペイン坂の上にあります。テルミニ駅はタクシーの呼び込みがバンバンありました。誘いに乗ってタクシーに乗ると、ホテルまで25ユーロと言ってくる。それは法外に高い金額なので(メトロだと2駅の距離)、すべて荷物を降ろさせて、憤慨してタクシーを降りましたここで早速ローマの洗礼を受けたわけです。というのも、ローマの達人を含めた私の周りの友人から、「ローマは治安が悪い、ボッタクリ、ひったくり、スリには充分気をつけろ」と何度も言いきかされてきたのです。そして向かった正規のタクシー乗り場は長蛇の列でしたうーん、だから白タクが商売として成り立つのね。タクシーの運転はとても暴走スリリングここでふと、お隣の某大国に行った時のことを思いだす。。。荒い運転、喧噪、ボッタクリ、ヒッタクリ。。。むむっ、似ているくれぐれも気をつけなければ、と心に誓ったのでした。インターコンチネンタル・デ・ラ・ヴィッレ・ローマは、ドイツで泊まったホリデイ・インと同じ系列・priority clubの最上級ランクのホテルで、5つ星です。スペイン階段上のシスティーナ通りにあります。お隣はホテル・ハスラー(オードリー・ヘップバーンの定宿)。さて部屋ですが、アメリカ系のチェーン・ホテルの広さを期待して行くとちょっと狭くてガッカリすると思います。ここは17世紀の歴史ある建物を使用しているので仕方がないですね。もちろん最上ランクの部屋に泊まれば別でしょうが、このホテルは最低の部屋でも諸経費を含めると400ユーロ以上します(GW時)。今回はポイント泊にしました。priority clubではプラチナ・アンバサダーを所持しています。このホテルは全室そのインテリアやレイアウトが異なり、絵画、カーペット、家具などはアンティークでまとめられているそうです。ヨーロッパのホテルに来た、というかんじがします。InterContinental DE LA VILLE ROMA テーブルの上はウエルカムフルーツとドリンク。ここはワインが置いてありましたこのホテルが素晴らしいのは、なんといってもロケーションです。目の前がスペイン坂でスペイン広場を見渡せるのです中央の通りがブランド街のコンドッティ通り。通りの入口の左側がディオール、右側がサンローラン、そしてプラダ、グッチ、エルメス、ルイヴィトン、ブルガリといったキラ星のごときブランド店が軒を連ねています。さて、スペイン階段を降りてスペイン広場へちょっと夜の散歩をしてみました。もう夜の9時をとうに過ぎているのですが金曜日だったせいか、ものすごい人で賑わっていて、階段は足の踏み場もないくらい。酔っ払っている人も多いのか、すさまじい喧騒で頭がくらくらしてきました。そしてガンガン聞こえてくる英語、アメリカ人も多いです。ここは世界の観光地なんだ、とあらためて実感。ドイツ語圏から来るとギャップが大きすぎますこうしてライプツィヒからの長い移動を経て、ローマの初日が終わろうとしています、つづく。
2010年06月10日
ドイツ鉄道-Deutsche Bahn-ドイチェ・バーン略してDB。ドイツ国内はレンタカー移動だったので、今回の旅ではライプツィヒ中央駅からライプツィヒ・ハレ空港駅までが唯一のDB利用となります。いえ、そうなる予定でした。ここから先は長文です。ライプツィヒ・ハウプトバーンホフ(中央駅)ヨーロッパで最大の駅だそうです。今日のエアー ・ライプツィヒ 14:50発→フランクフルト 15:50着 LH1107 ・フランクフルト 16:45発→ローマ 18:30着 LH3841昨日空港までの切符を事前購入した際にもらった時刻表から、中央駅13時21分発の空港駅行きに乗ることにしました。これに乗ると13時36分に空港駅に到着します(所要時間15分)。国内線なので充分に余裕があると判断して、時刻表に書いてあった15番線ホームに向かいました。駅には高い位置にすえられたこの案内板しかありません。構内アナウンスはドイツ語のみです。一見するとライプツィヒ・ハレ空港行きの表示に見えますが、ここから本日の変更を読み取り、正しい行動に移さないといけなかったのです(後述)。悪いことは重なるもので、この15番ホームに停まっていた電車の乗客は、大きなトランクを持っている人がとても多かった。てっきり空港駅行きだと思い込んでしまいまった一因です。また一度乗ったことがあったため、行き先確認を怠ったのも敗因です。電車は定刻に出発これも疑わなかった要因のひとつ10分過ぎた頃、かつて乗車したことのある家人が、どうも車窓の景色が違うことに気がつきました。慌てて周りの人に聞くと「空港行きでは無い」とのこと。えーっちょうど駅に停車してドアが閉まりそうになったところを、無理やり足をいれてこじ開け、駅にいた若いお姉さんの手も借りながら40キロ超えのトランク2つを押し出し、降りた駅はというと。。。こんな田舎郊外の無人駅。。。中央駅の南方向にあるマルククレーベルクという駅で、北方向にある空港とは真逆です。今だからこのように書いていますが、この時はここがどこかも、なぜ空港とは違う方向に来てしまったのかも、まったく判らない状態でしたこの駅に着いたのは出発から14分経過の13時35分。本来でしたら空港駅に到着している時刻なのです。もし日本だったらこの駅からタクシーに乗り空港へ向かうのでしょうが、ドイツは電車で14分走るともう田舎郊外なのです。ベルリンのような大都会でもそうです。そして一緒に手伝ってくれたお姉さんによると、案の定タクシーは常駐していないとの事。上りの電車でとりあえず中央駅に戻るしかありません。お姉さんも反対側の上りホームに移動してくれて、時刻表(黄色いボードの発車時刻表)を調べてくれました。DBの時刻表は機能的で素晴らしいのですがドイツ語が分からないと判読不可能なので助かりました。それによると12分後の13時47分に上り電車が来るとのこと。幸い定刻に上り電車が来てくれたのですが、それは2両編成でとても小さな車両でした。。。やっぱり田舎だったのねすぐさま若い女性の車掌さんに事情を告げて、これからどうした方がよいか意見をきいてみました。この時点で私達は中央駅からタクシーで空港へ向かうつもりでしたが、車掌のお姉さんは「それはお奨めしない、あくまでも電車で向かった方がよい」との意見でした。昨日レンタカーの運転の時も街中の渋滞がひどかったので、彼女の意見にはとても説得力があります。そしてこのお姉さん、さすがにドイツ人だけあって職務に忠実で、この状況下でも乗り越した分の請求を怠りませんでした。そこまで頭が回らなかったので、有り難かったのですが。。。時刻表で調べてくれた結果、この電車が中央駅に着くのは14時01分、次の空港行きの電車が発車するのが14時21分、そして空港駅到着が14時36分とのこと。フランクフルト行きの飛行機は14時50分発です、かなり絶望的になってきました。とにかくルフトハンザ航空に連絡をしなくてはならないのですが、eチケットにはライプツィヒ空港のLHカウンターの電話番号は、書いてないんですよね、これも控えておくべきでした。仕方がないので国際電話で日本のルフトハンザに電話をしたら、なぜか通じない、スターアライアンス日本も、ANAのスーパーフライヤーズ専用デスクもダメ。。。そうこうしているうちに電車は中央駅に着きました。家人はこの時点でフライトの変更を考えていました。 うわぁ、せっかくのCクラスが。。。 そしてCクラスよりもはるかに高い当日エコノミーを買うことになるのか。 それよりも何よりも、まずローマに今日中に着けるのかしら。。。 心の叫び。。。往生際の悪い私は、空港行きの電車の若い男性の車掌さんを捕まえて、これまでの状況をまくしたて、ライプツィヒ空港のルフトハンザの電話番号を調べて欲しいと頼みました。英語が通じるお兄さんをここで手放したら、もう後はありません。私はなんとしても今日中にローマに行きたいよほどせっぱ詰まっていたのか、勢いに圧倒されたのか、お兄さんはPlease speak langsam,madam.と言ってくれたのです(この場合「=相談にのりましょう」と解釈できる)。おおっ、langsamって音楽用語だと思ってたら、日常ドイツ語だったのね「ゆっくりと」という意味もちろんゆっくりと説明しましたとも、シューマンの穏徐楽章のように。そしてそのお兄さん(=車掌さん)は、自分は仕事があるから同僚に調べてもらうから待っていて、と言って携帯で同僚の方へ連絡をしてくれました。さらにこのお兄さん、さすがにドイツ人だけあって職務に忠実で、この状況下でも空港行きの切符と(打刻済みかどうか)、乗り越した往復切符の確認も怠りませんでした。乗り越し分の切符を持っていたことにより、信頼度がよりUpしたことはいうまでもありません。 話はそれますが、ヨーロッパには改札というシステムがないので 乗客は乗る前に自分で切符に打刻をします。 これを怠ると待ったなしでキセル扱いとなり、 高額な罰金請求があります。そして待つこと10分。ライプツィヒ空港のルフトハンザの電話番号が判りました。ここから家人の出番です電話をかける人予約番号からはじまって、状況説明と、ビジネス英語での交渉のはじまりです。結論「到着するまで出発を待っていて欲しい」と告げたら、努力しますのでとりあえず来るように、とのこと電車は定刻に出発、空港駅がだんだんと近づいてきてドキドキします。この時の車内のアナウウンスは英語でした。車掌のお兄さん、優しすぎです。そして空港駅のルフトハンザのチェックインカウンターまで走る、走る連絡を受けて待機していたグランドスタッフが2名、荷物を受け取りX線検査まで走り、自分たちもセキュリティーチェックを受け、そこからゲートに向かって走る、走る間に合いました「待っていてくれて、ほんとうにありがとう」「上手くいってよかった」とキャビン・アテンダントが言ってくれました。このとき出会った皆さんすべてに感謝です。離陸したとたん、どっと汗が噴き出てきました。またここまで、朝食から何も食べてなかったので、ものすごい勢いで食べる、食べる、飲む、飲む。そして約1時間後、フランクフルト・アム・マイン空港に近づき、町並みが見えてきました。マイン川です。ここで乗り換え、いよいよローマへ次回からはローマ旅行記になります、つづく。空港行きの案内板について 帰国してから辞書で調べた結果「ライプツィヒ・ハレ空港行き」の上には、 小さい字で「注意!」そしてその上には「本日のホーム16」 と書いてあるということが判明しましたここまで読んでくださった方、長々とお付き合い下さいましてどうもありがとうございました。
2010年06月09日
6日目の朝を迎えました。この日はローマへ移動するので、朝からわくわくしてますエアーは14時50分ライプツィヒ空港発のLH1107午前中はライプツィヒの旧市街へ行きました。宿泊先のホリデイ・イン・ライプツィヒはライプツィヒ中央駅の真ん前、ここからリンク内は徒歩圏内ですナシュマルクトへ行く途中にあった朝市チーズ、ソーセージ、ピクルス、パン、ケーキ、生花、そして初夏の風物詩の白アスパラガスのワゴンなどが出ていていました。ナシュマルクト(Naschmarkt)にあるゲーテの記念碑後ろのバロック調の建物は旧証券取引所(Alte Boerse)です。メードラー・パッサージュ(ショッピング・アーケード)ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの銅像のあるところが、ゲーテが良く通ったという歴史的なワイン酒場のアウアーバッハスケラーです。このパッサージュにはアイグナーや高級食材店がありました。ここでロンネフェルトの紅茶を購入。アイグナーの長財布は日本円札を入れるのには長さが足りなくて断念マルクトにある旧市庁舎(ALTES RATHAUS) 工事中です時計塔が中央でなく向かって左寄りに位置し、左右が非対称になっています。聖トーマス教会(Thomaskirche)J.S.バッハが音楽監督兼オルガニストを務めた教会J.S.バッハ像昨日はシューマンとメンデルスゾーン博物館へ行きましたが、ライプツィヒを代表する作曲家はなんといってもJ.S.バッハです。隣の売店ではバッハグッズが売られていました。ここではバッハのステーショナリーを購入バッハ博物館バッハに関する貴重な資料を展示する博物館、内部は撮影近禁止ですが、ハイテクでピッカピカでした新ゲヴァントハウスライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地。手前はメンデの泉。昨夜はブルックナーの交響曲第5番のみという演奏会があったのですが渋めのプログラムながら早い時期で完売でももしチケットが取れていたとしても、昨日は疲れすぎて爆睡した可能性が高いです、ブルックナーだし。。。 ↑ブルックナーとワーグナーは体調の良いときでも寝る確率高しこの日はロビーの売店でCDを数枚購入。ホワイエには歴代の音楽監督の銅像がずらりと並んでいました。その時大ホールで行われているリハーサルの音が聞こえてきたのです当然ながら素晴らしいサウンドでした。新市庁舎(Neues Rathaus) ここまでリンクをほぼ半周したことになります。そしてホテルへ戻りました昨日空港までの切符を購入した際にもらったペーパーをみて、13時21分発の電車に乗れば、14時50分の飛行機に間に合うだろう、ということでチェックアウトをし、目の前の中央駅に13時到着しました中央駅から「Frughafen Express」で空港駅までは約15分です。ローマまではフランクフルト経由なので国内線だし、家人は最近行ったことがあって地の利もある、小さな空港なので(だいたい広島空港くらいの規模)まず大丈夫。多少タイトではありますが、空港駅に着いてから1時間以上の余裕はあります。ですが、ここで思いも寄らない事が起こり、昨日に引き続き大汗をかくこととなったのです、つづく。
2010年06月08日
ライプツィヒの宿はホリデイ・イン・ライプツィヒ・ガーデンコート、目の前はラピプツィヒ・ハウプトバーンホフ(中央駅)です。部屋から見たライプツィヒ中央駅ここのエグゼクティブフロアは最上階の7階なのですが、(フロアの数え方が違うので実際は8階)じつはエレベーターは6階までしか行かないのです。なので6階から7階までは階段あげする羽目にこの時点でかるく40キロ超えのトランク2つを階段上げって。。。部屋はペントハウスというのか、コネクティング・ルームといった方がよいのか。。。広さは充分で、寝室も2つあったのですが(写真の左の扉の向こう)、片方の部屋は完璧に荷物置場と化しましたさて荷物を置いたらレンタカーを返しにハーツ・レンタカーまで。営業所は駅中にあると書いてあったのですが、広大な中央駅のどこを探しても無いのです。ホテルのコンシェルジュにきいても判らないとのこと。これがアメリカだったら親切に調べてくれるのですが、ここは個人主義のドイツ、そんな気の利いたことはしてくれないのです。なので強く←これが大事!「非常に困っているし、営業時間も迫っているので、空港の営業所の電話番号を調べてそこのスタッフに訊いて欲しい」と伝えると、やっと了承して動いてくれました。ドイツの良いところは、一旦やると言ってくれた事に対しては、きちんとやり遂げてくれるところです。いろいろ調べて判明したのは、駅隣の駐車場ビルのハーツ指定の位置に車を入れて、鍵は専用ボックスに入れるシステムとのこと。なるほど、言われてみればそういうシステムはアメリカにもあるけど、そんなことはどこにも書いてないよ。。。この中央駅、ほんとに広くて大きくて探すのが大変でした。それもそのはず、ヨーロッパ最大の面積を有する駅なのだそうな。プロメナーデン(Promenaden)と呼ばれるショッピング街もあり、そこには140の店舗が入っていて、両端には大きなスーパーもある。お陰でこの駅ピルは掌握いたしました。しかし、明日もここを思いっきり走り回ることになるとは、この時は思ってもみなかったのです。。。さて、気を取り直して夕食ですカフェ・バウムというヨーロッパで2番目に古い、由緒正しきお店に行きますあのアウグスト強王をはじめ、数々の芸術家たち、シューマン、ゲーテ、バッハ、ワーグナーなどもこの店に足繁く通ったそうです。お店の一角にあるシューマンの部屋ロベルト・シューマンは1828年から1844年まで常連客として友人達とここに集まっていたそうです。今年は生誕200年ということもあり、シューマン・メニューというのもありました。もちろんシューマン・メニューをオーダーしました一人25ユーロなり。まずザクセン風じゃがいものスープ、ハムと薄切り野菜入り次はメインのロバート・シューマンが大好きだったレシピ、子豚の足ライプツィヒ風野菜の煮込み(Leipziger Allerlei)とハム入りダンプリン添え 最後はデザートのオリジナル・ザクセン風チーズケーキ←焼きたてで暖かいシナモンクリームとアップルソース、バニラアイスクリーム添えメニューの表記ではクアークケーキとなっていました。ドイツのチーズケーキはクアーク(Quark)というカード(凝乳)を使用します。チョコレートにシューマンの絵がツヴィッカウのシューマンハウスの日記は、こちらライプツィヒのシューマンハウスの日記は、こちら夕食の後はパッサージュやデパートをのぞきながら、ライプツィヒの中央駅までここで明日の空港行きの切符を買い、プロメナーデンのスーパーでお買い物をしてホテルへ戻りました。あらかじめ切符を購入したのは、前回家人が来た時に、自動販売機が英語表示に切り替わらず苦労したので、今回は窓口で事前購入しておこうと思ったためです。ただ今回は窓口の女性がまったく英語が出来ず、筆談交じりのやりとりで、同じく苦労する羽目になったのでした旧東ドイツ圏は英語が通じない場面が何度もありました。あと表示も最低限です、すべて自己責任で逆に言えばこれが個人旅行の醍醐味なのですが、ツアーだったらこんな苦労はしなくてもよいのでしょうね。しかもこの事前購入が裏目に出るとは、この時は思いも寄らなかったのです。。。いよいよ明日は今回の旅の最終地、ローマへの移動です、つづく。
2010年06月07日
ライプツィヒ初日のつづきです。ツヴィッカウからの日記は、こちらシェーネフェルト教会の次はゴールドシュミット通りにあるメンデルスゾーン・ハウスへライプツィヒはザクセン州最大の都市だけあって、街に入ってからは渋滞がかなりありました。メンデルスゾーンは非常に裕福な家庭に生まれ、裕福なまま生涯を終えた希有な作曲家でもあります。そういうこともあってか、メンデルスゾーン・ハウスはとても洗練されていました。Mendelssohn-Hausよく紹介されている仕事部屋(書斎)バッハとゲーテの胸像が置かれていました。メンデルスゾーン・ハウスから外をみたところ。とても綺麗な顔立ちの方だったのですね。さてここから今度はインゼル通りにあるシューマン・ハウスへ2階の電気がついているところがシューマンハウスとして博物館になっている場所です。また同時にここはクララ・シューマン音楽芸術学校として、児童音楽教育が行われています。訪れたときはちょうど下校時間だったので、子供の声や走りまわる足音が始終聞こえとても賑やかでした。先ほどのメンデルスゾーンハウスがとても静かだったのと対照的で、たくさんの子供に恵まれたシューマン夫妻にふさわしい、現在も生きている博物館のように感じました。ここはクララとローベルトが新婚時代に住んだ家です。そのクララはライプツィヒ出身でもあります。じつは家人が2年前に訪れたことがあるのですが、今年が生誕200年の記念の年ということもあり、館内は大々的に改装され綺麗になり、とても驚いていました。ここで作曲された作品 ・交響曲第1番変ロ長調 「春」 ・ピアノ協奏曲イ短調 ・ピアノ四重奏曲変ホ長調 ・ピアノ五重奏曲変ホ調調数々の障害を乗り越え晴れて新婚生活を送ったシューマンは、よほど幸せだったのでしょうか創作の絶頂期を迎え、きら星のごとき名作を次々と作曲しています。今でこそ「ロベルト・シューマンの妻クララ」ですが、当時は「天才人気美人ピアニスト、クララ・ヴィークの夫」と言われ花形ピアニストと売れない作曲家の超格差婚だったそうです。クララの父親には結婚を猛反対され訴訟沙汰になったくらいですから、なんとか「クララに相応しい夫」になるべく格差の溝を埋めようと頑張りに頑張ったのでしょう。ここでは思いがけぬ嬉しいこともあって、非常に思い出深い訪問となりました。前日に行ったツヴィッカウのシューマンハウスの日記は、こちらさて、ここから今日のホテルホリデイ・イン・ライプツィヒ・ガーデンコートへドレスデンから一緒に走ったプジョーともお別れです、つづく。
2010年06月07日
ツヴィッカウの朝は小雨でした。宿泊したホリデイ・イン・ツヴィッカウの朝食はたくさんのハム類、チーズ類、そしてパン類が並ぶドイツスタイル、もちろんジャガイモ料理もいくつかありました。年配の女性がてきぱきと働いているのですが、英語がまったく通じなかったです。でも一生懸命理解しようとしてくれて、皆さん優しい方々でした。朝食の後はハウプトマルクト(中央広場)までここにはどうしても見たかった物があります。トラムのボディにはシューマンの絵そのトラムの線路を渡ったところにある、ロベルト・シューマンの銅像いつも考え中。。。シューマンはこういうポーズが多いですね。後ろの建物はゲヴァントハウス(Gewandthaus)(ツヴィッカウ劇場)です。前日に行ったシューマンハウスの日記は、こちらこのあたりは市庁舎もある街の中心で、とても綺麗な建物が並んでいました。ここからちょっと商店街のほうへ進んでみますインネレ・フラウエンシェ通りH&M発見このビルはアーケード(ショッピングセンター)になっていて、中は奥行きが広くテナントもたくさん入っていました。表通りは人が少ないのですが、中は買い物客で賑わっています。つい最近日本で買った物もたくさんあって、当然値段も日本よりはるかに安く。。。なのでちょっと購入してしまいました。あとこのアーケードに入っているお菓子屋さんで、シューマンチョコレートなるものを購入。ツヴィッカウはシューマンで盛り上がっています。ここでお買い物をした後はホテルへ戻ります途中にある聖マリエン大聖堂中を見学させてもらいましたが、なかなか立派でした。この教会を最後にツヴィッカウを後にし、約90キロ離れたライプツィヒへ向かいますこの日は雨だったので、さすがにアウトバーンを高速でとばしている車はいなかったです。ライプツィヒが近づいてきます。まだ少し雨模様だったので、移動はすべて車にしました。クララとロベルト・シューマンが結婚式をあげたシェーネフェルト教会。ここは外から眺めただけです。そしていよいよライプツィヒの中心部へ向かいます、つづく。
2010年06月06日
シューマンが生まれた街・ツヴィッカウは、今年が生誕200年の記念の年ということで盛り上がっていました。ドレスデンからツヴィッカウまでの日記は、こちらクララ&ロベルトの特大垂れ幕がそしてシューマン・ハウスです。旧市街のハウプトマルクトの一角にある大きな家で、裕福だったことが想像されます。この時はもうすでに5時を過ぎていて閉館だったのですが、館内で特別講座とレセプションが開催されているようで、中に入れて下さいました。展示室では午前中のウェーバー博物館につづいて貸切状態でした。ウェーバー博物館の日記は、こちらツヴィッカウのシューマン・ハウスは生家を博物館にしていて、さすがに規模が大きく充実していました。というのも今までに家人は、 ・ライプツィヒ(数々の困難を乗り越え幸せな新婚生活を送った家) ・デュッセルドルフ(結婚指輪をライン川に投げ捨て自殺未遂した家) ・ボン(最期を迎えた精神病院)の3つのシューマンハウスに行ったことがあるのですが、「ここが一番充実している」と言っていたからです。足鍵盤付きピアノ(ペダルピアノ)この部屋の左隣で公開講座が開催されていました。ピアノ協奏曲イ短調(作品54)の楽譜と演奏の違いを実際にCDを聴きながら講義しているようでした。ここではじっくりと1時間以上かけて展示を見ました。有名なクララ&ロベルト・シューマンのレリーフ。この後は聖マリエン大聖堂の前にあるブラウハウスというドイツ料理のレストランへ出発前にホテルのコンシェルジュにきいたところです。 Gastst?tte Brauhaus Zwickau Peter-Breuer-Stra?e 12, 08056 Zwickau, Deutschlandここまで来る間ほとんど人に会うことがなく、なんだかさびれた街だなぁ、と思ったのですが、ブラウハウスにはたくさんの人がいて、そして更に後から後から人が集まり大盛況の満員御礼。順番待ちも出来るくらいで、一体どこからこんなに人が集まるのか、ちょっと驚いてしまいました。あと担当のテーブルのお姉さんが英語が出来て助かりました。というのもドレスデンに入ってから、英語が通じない状況が何度かあったからです。さて、このお料理は典型的なドイツ料理なのですが、とても美味しかったです、あとビールも最高だったようです。こうしてウィーンを出発してからここまで、長い1日が終わろうとしています。ホテルに戻るまでの道。明日はレンタカーでライプツィヒへ、つづく。ライプツィヒのシューマンハウスの日記は、こちら
2010年06月03日
想像していたよりも実際の方がずっと良かったドレスデンとお別れです。レンタカーで122キロ離れたツヴィッカウへさて、ツヴィッカウには有名なものが2つあるのですが、どちらか一つでもすぐに判る方は、そうとうな車通か音楽好きです。ツヴィッカウについては、こちら(ウィキペディアより)アウトバーンのA4号線に入ります車はケムニッツ、ライプツィヒ方向へアウトバーンは7割弱が速度制限の無い、つまり無制限速度道路になっています。路線番号が一桁のアウトバーンは最重要路線で、片側3車線道路。一番外側の車線をトラックが走り、真ん中の車線を普通の乗用車が、内側の車線は高性能の乗用車やスポーツ車が走る、というのが暗黙のルールのようです。が、ご覧のように真ん中をトラックが走っています。トラックは制限が一応80キロなので(実際は100キロ以上出していますが)、これを避けながらの高速運転は至難の業です。この日出した最高時速は180キロでした。借りたプジョーのコンパーチブルは高速でも安定していましたが、150キロを超えたあたりで未体験ゾーンに突入した! というかんじになり、やっぱり怖い180キロでもけっこう抜かれましたので、早い車は確実に200キロ以上は出ていると思います。逆に高速を出さなければ、路面はびしっと整備されていますし(完璧にフラットな路面で、つなぎ目も全く感じられない)、カーブも少ないので非常に快適な道路だと思います。あと一桁台のアウトバーンは出口と出口の間隔がとても長いので、降り損なうと目的地からはるか遠くに離れてしまいますので要注意です。途中アウトバーンの分岐を早く曲がりすぎて20分ほどロスをしましたが、無事にツヴィッカウへ到着Holiday Inn ZWICKAU今日の宿泊先のホリデイ・イン・ツヴィッカウと乗ってきたプジョーツヴィッカウのホテルですが、アメリカ系のホテルチェーンは、事前調査ではここだけでした(2010年5月時点)。我が家はPriority Clubでもホテルポイントを貯めているので、ちょうどよかったです。コルンマルクトという広場に面していて、写真の右が学校です。そしてここのエグゼクティブ・フロアは、なんと2階でした。フロントで2階のキーを出されたときには抗議したのですが、「そこが一番良い部屋だから」と言われ、行ってみると角部屋で、落ち着いた部屋でした。テーブルの上のウェルカムギフトは、シューマン・クッキーでした。そうなんです!ここは作曲家のロベルト・シューマンが生まれた地なのです。特に今年は生誕200年の記念の年なので、 でもショパンも同じく生誕200年なので世界的には押され気味ですが街全体がシューマンで盛り上がっていました。とにかくツヴィッカウは日本語での情報が無いに等しい街なので、現地で行ったところ勝負です。夕食もとらないといけないので、とにかく街へ出てみることにしましたつづく。
2010年06月02日
ドレスデンの街並みを歩くと、建物が黒っぽいことに気がつきます。この街を語る上で、第2次世界大戦のドレスデン大空襲のことを避けて通ることはできません。この爆撃はドレスデンの街の85%を破壊したそうです。第2次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものであったといわれています。(東京大空襲の2倍以上の爆弾が投下)昔ベルリンに行く時に購入した92~93年版の「地球の歩き方」を今でも持っているのですが ← 『ベルリンとドイツ(東)』編そのドレスデンの頁を見ると愕然とします。そこには一部の壁を残し全壊し、粉々になった瓦礫が積まれたままの復興前のフラウエン教会が載っています。ドレスデンの街を歩くと、そのほとんどの建物がそこに住む人々の努力の結晶だということが判ります。現在のフラウエン教会空襲によって破壊された後に残った瓦礫を可能な限り使って、新しい石材と黒く煤けた瓦礫との組み合わせによって建てられています。2005年に修復が完成、世界最大のジグソーパズルと言われたそうです。内部へ入るとその美しさに息をのみます美しい丸天井訪れたときもたくさんの方がいて、祈りの場となっていました。コーゼル・パレーから見たフラウエン教会こちら側からですと古い煉瓦と新しい煉瓦が組み合わさっているのがわかると思います。もっとドレスデンにいたかったのですが、このフラウエン教会を最後にドレスデンを後にしました。いよいよアウトバーンを走り、120キロ離れたツヴィッカウへアウトバーンは速度無制限道路です、つづく。
2010年06月01日
ブリュールのテラスからツヴィンガー宮殿に向かって歩きます荘厳なバロック建築が立ち並んでいます。大聖堂(Katholische Hofkirche)78体の聖人石像が並ぶザクセン州最大規模のカトリック教会です。左が大聖堂、右がドレスデン城(レジデンツ城)ゼンパー・オパー(ドレスデン国立歌劇場)ここで初演されたオペラ リヒャルト・ワーグナー「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 リヒャルト・シュトラウス「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」など。主な主席指揮者(音楽監督) カール・マリア・フォン・ウェーバー 1817- リヒャルト・ワーグナー 1843-1849 カール・ベーム 1934-1942 オトマール・スウィトナー 1960-1964 クルト・ザンデルリング 1964-1967 ヘルベルト・ブロムシュテット 1975-1985 ジュゼッペ・シノーポリ 1992-2001 ベルナルド・ハイティンク 2002-2004 ファビオ・ルイージ 2007-2010個人的にはウィーン・フィルよりも←すみませんっ旧東独圏のオーケストラの音の方が好みなので、ここでオペラを聴きたかったです。。。そしてお隣のツヴィンガー宮殿へアウグスト強王の居城だったところです。2階部分に上がったところ宮殿内のドレスデン古典絵画館(アルテ・マイスター)アウグスト強王とその息子アウグスト2世の時代に収集された760点の作品を展示する美術館です。ラファエロ「システィーナのマドンナ」、フェルメール「手紙を読む少女」などの名作を所蔵。じつはアルテ・マイスターは時間が無くて入っていないのです、その時は「ウィーンでたくさん見たしいいや」と思ったのですが後から考えると惜しいことしました。さて、ここから車を泊めたヒルトンの駐車場へ戻りますつづく。
2010年06月01日
ピルニッツ宮殿からレンタカーでドレスデン旧市街へエルベ川沿いに走りること約1時間、かなた前方右に船着場、左にブリュールのテラスが見えてきたので、駐車場の標識を探します。車でドレスデン入りする人が少ないのか、詳しい情報が無かったので行ったところ勝負です。ブリュールのテラスの真ん中あたりでを見つけて急いで左折、そうすると旧市街の中心部に入りました停めたのはヒルトン・ドレスデンが入っている建物の地下駐車場でした。じつは本来ならこのヒルトンで1泊する予定だったのです。日程を急遽後ろにずらしたことにより、エアーの関係で全行程を1泊短くせざるを得ず、泣く泣くドレスデン泊を削りました。。。でももしこの時ずらさなかったらアイスランド火山の影響をまともに受けていたので、これでよかったとのだとも思っています。ドレスデン旧市街はバロック様式の重厚な建物が並んでいました。ブリュールのテラス側から見たドレスデン城と大聖堂フラウエン教会(聖母教会)朝食から何も食べていなかったので、まずは昼食です。教会の前のコーゼル・パレー(Coselpalais)というカフェ&レストランへ左側の黄色い建物がコーゼル・パレー。バロック様式の宮殿で、あのアウグスト強王が(くわしくは、こちら)側室コーゼル伯爵夫人の息子の為に建てた建物を利用していました。強王はコーゼルさんには午前中に行ったピルニッツ宮殿もプレゼントしています。 その時の日記は、こちらウィーンに比べて気温が低いのでドイツの煮込み料理が身体にしみます。この前に出されたスープも美味しかったです食後のケーキは、ドレスデン風アイアーシェッケ(Original Dresdner Eierschecke)食器はマイセンでした。マイセン磁器はあの強王が錬金術師に命じて作らせたものなのです。(そのマイセンはドレスデンから約20キロのところ)。さて、旧市内の観光へまずは着いた時から気になっていた「君主の行列」ザクセン王の居城ドレスデン城の中庭にはヨーロッパ最古の武芸競技場シュタールホーフがあり、その外壁にはこのような壮大な壁画が描かれていました。マイセン磁器のタイル25,000枚を使用、長さは102m12~20世紀初頭に至るまでの歴代ザクセン君主の騎馬像や各時代の代表的芸術家の姿が描かれています、ものすごい迫力です。ここを通り過ぎてブリュールのテラスへエルベ川のほとりに沿って500mほど続く展望テラス。ゲーテが「ヨーロッパのバルコニー」と絶賛したそうです。建物がライトアップされる夜景も綺麗だとか。ドレスデンはガイドブックで見て想像していたよりも、実際の方がはるかに良いところでした。さてドレスデン旧市街は見所満載、まだまだ続きます。次はツヴィンガー宮殿へ、つづく。
2010年05月31日
モーリッツブルク城からエルベ川沿いにあるピルニッツ宮殿へ それまでの日記は、こちらその前に宮殿に近いウェーバー博物館に寄りました。作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの夏の家だったところで、世界にただ一つのウェーバーの博物館とのこと。訪れた時は内部の改修中でクローズだったのですが、責任者らしき女性の方がご厚意で中に入れてくれました。改修中なので、ピアノの上に椅子がその女性は各部屋を案内しながら、いろいろと説明をしてくれました。説明が終わった後は自由に観ていたのですが、そっと歌劇「魔弾の射手」の序曲を流してくれたのです重く暗い音楽、厳格な構成、そして曲は暗から明へ、コントラストの素晴らしさやっぱりこういう曲がぴったりとあいます。ドイツに来たんだなぁ、としみじみ思ったひとときでした。さて、ここからピルニッツ宮殿へピルニッツ宮殿の水の宮殿は、エルベ川沿いに建っています。ドレスデン旧市街に沿う船着場から蒸気遊覧船で来ることも出来るようです。中央左側が船着場になっています。屋根が少しそり上がっているのが判るでしょうか?そうなんです、ここは中国風の建築なのです。近寄ってみると、やはり東洋風の絵が描かれています。ウィーンの宮殿も東洋趣味が随所に見られましたが、ここにも反映されていたのですね。この宮殿はアウグスト強王が側室のコーゼル伯爵夫人に与え、1718年まで同夫人の所有下にあったそうです。すでにエルベ川岸への船着場もあり、強王と夫人はこの城や周辺で時を過ごすことが多かったそうです。だからでしょうか、この宮殿はなんとなく女性らしい、華やかなところがあるように感じました。山の宮殿この宮殿内はあっと驚く内装になっていて、思わず声をあげてしまいました。壁面すべてに東洋の絵が描かれているのです。中国風の山水画のとなりが着物の女性の絵だったりして、混同されてかなりちぐはぐですまぁ今でも良くあることですが。。。当時のヨーロッパの王侯貴族の間では、アジアの国々に対して強い憧れが抱かれていたようです。ここは撮影禁止なのですが、入り口のドアを開けたままで身体は外に出ている状態で撮影しています。さてここからドレスデン旧市街へドレスデンの町が近づいてきました、つづく。
2010年05月30日
ドレスデン空港からレンタカーでモーリッツブルク城へそれまでの日記は、こちらせっかくレンタカーを借りたので、郊外やエルベ川沿いのお城にも立ち寄ることにしました。駐車場をでたところ。馬車がたくさん止まっていました。そしてお城を見ると、ただ今改修工事の真っ最中そんなこと、知らなかったよ。。。本当はこんなに綺麗なお城なのです。 お城の美しい写真はこちらをクリック(公式サイト) モーリッツブルク城とは ザクセン州で最も重要なバロック様式の建造物。 1723~36年にドレスデンのツヴィンガー宮殿を手掛けたM.D.ペッペルマンが、 強王アウグスト1世の命によって狩猟用の宮殿として建てたお城。強王アウグスト1世はドレスデンを語る時にははずせない、最重要人物になります(ポーランド王としてはアウグスト2世)。 ウィキペディアによる解説は、こちら熊のような怪力と無数の子供たち(365人から382人ほど)がいたことから、「強健王」と呼ばれています。どこへ行ってもこの王様にちなんだ建物や像があります。さて、ただ今改修中のモーリッツブルク城テンションは下がり気味ですが、アングルを左半分だけにすると綺麗かも半ば意地ただウィーンから来たばかりので、かなり田舎に感じます。観光客も地元の方ばかり、リュック+運動靴率高し、聞こえるのはすべてドイツ語。もともと狩猟用のお城ということもあり、The 男の城! というかんじです。そして驚くべきはこのお城の内部。動物保護団体が見たら腰を抜かしそうです。圧巻がダイニングで、鹿さんが壁一面びっしりと飾られてます。過去の獲物を見ながら、今日しとめた獲物の料理とワインで夜の宴が盛り上がったのでしょう。これぞ狩猟民族!ここはやっぱり男の城です。お城の裏側は広い庭園になっていました。庭は綺麗に手入れされていました。芝生には鴨がたくさんいるんですよ。遠くの点々と茶色いところが鴨さんたちです。そしてこのお城は周りをぐるりと池に囲まれているのです。王様は狩猟の翌日は湖に船を浮かべて鴨猟に興じていたそうなさて次はピツニッツ宮殿に向かいますいっしょにまとめようと思ったのですが、画像が多くなってしまったのでここで区切ります、つづく。
2010年05月29日
滞在実質2日間のウィーンからドレスデンへここでウィーンの個人的な感想を英語が問題なく通じる国際都市、ウィーン、英語だけでもまったく不自由を感じず過ごせた滞在でした。そしてドイツ語圏らしく街が綺麗で整然としているのですが、その中に華やかさがあり、これがウィーンの魅力だと思いました。いろいろ詰め込んだ2日間でしたが、結構取りこぼしもあり自分の興味の対象がある街だけに、もう少し滞在したかった。 後ろ髪を惹かれる思いでタクシーでウィーン国際空港へエアーは今回のみオーストリア航空OS218ウィーン出発が朝の8時45分です。オーストリア航空のセネター・ラウンジです。ここで朝食をそしてゲートへドレスデン経由、ライプツィヒ行きです飛行機は30分遅れ、しかもここからバス移動で機体はプロペラ機でした。雨だったので写真も無しですドレスデンが近づいてきましたこちらは晴れていますドレスデン空港ドイツ国内の移動はレンタカーです今回は初のハーツ・レンタカーの利用です。EU圏はマニュアル車主体なので、オートマ車をたくさん所有して、なおかつEU圏でも支店の多いアメリカの会社のハーツにしました。カウンターに行くと、「良いクルマにアップグレードしておいたよ~」といわれ、駐車場に言ってみると、プジョーのコンパーチブルでした。最低料金のコンパクトカーで予約を入れていたのですが。。。おそらくハーツのゴールドステイタスを所持しているからかもしれません。(HGVCのオーナーは自動的にゴールドになれるのです)しかもピッカピカ、ほぼ新車だと思われます。うー、私にとってはかえってプレッシャーだったりさてこれで出発です、ルートはドレスデン旧市街を経て、ツヴィッカウへ。最終目的地はライプツィヒです。まずは空港近くのモーリッツブルク城を目指します。空港から走ること約20分、お城が見えてきました。ドイツの旅の始まりです、つづく。
2010年05月27日
ベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスからハイリゲンシュタットへは、トラムDに乗り終点のBeethovengangまで行きます。 それまでの日記は→こちらBeethovengangとは「ベートーヴェンの散歩道」という意味、ウィーン郊外の終点まで約30分くらいゴトゴトと途中で見つけた面白い建物、ものすごく長いのです。あとで調べたらオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計によるカール・マルクス・ホーフという集合住宅でした。全長1km以上あるそうです。さて、ハイリゲンシュタットの名を世界中に有名にしたのは、ベートーヴェンが書いたハイリゲンシュタットの遺書ですが、ここはウィーンで2番目に有名なホイリゲ街でもあります。ホイリゲとは「今年の」という意味があり、「今年のワイン」つまり新酒を意味する言葉であると同時に、それを飲ませるワイン専門の居酒屋もホイリゲと言います。ベートヴェンファンにとっては2度おいしい街、それがハイリゲンシュタットなのです。トラムDの終点、Beethovengang駅まずはベートーヴェンの散歩道から散歩好きのベートーヴェンがこの小川のせせらぎを聞いて、交響曲第6番「田園」第2楽章の楽想が生まれたそうです。iPodに「田園」を入れて持ってきたのですが、鳥のさえずりがとても綺麗だったので、あえて聴かなかったです。第2楽章の最後の鳥の鳴き声のインスピレーションはここから生まれたのかしら。。。さて、どんどん道を進んでいきます。ベートーヴェンの時代は馬車で半日かかる避暑地でしたが、今は高級住宅街となっていて、大きな邸宅が立ち並んでいました。散歩道にあるベート-ヴェン・ルーエ(休憩場)には胸像がここからハイリゲンシュタット公園方向へ向きをかえます途中住宅街を抜けていくのですが、もう夕方ということもあり、ワンコとお散歩している方が多かったです。ハイリゲンシュタット公園ここでベートーヴェンは耳の治療としての鉱泉浴をしていましたが、この湯治場跡がハイリゲンシュタット公園として残っています。そしてこれが見たかったウィーンの森をお散歩するベートーヴェンベートーヴェンが1808年に詩人のグリルパルツアーと一緒に住んだ家そしてハイリゲンシュタット遺書の家です。中央の扉を入り中庭を抜けた正面にベートーヴェンの部屋があり、現在は市立の博物館になっています。ここで書かれた遺書は彼の死後、机の中から発見されました。遺書の日付は1802年10月6日になっています(当時は31歳)。ざっくりと遺書を要約すると←すみませんっ 音楽家にとっては命の耳が聞こえないのはつらいけれど、 頑張って芸術家としての使命を全うしようという、とても前向きな内容なのです。その証拠にこれを書いた後も25年生き、偉大な作品を残しておられます。 この家で作曲された作品 交響曲第2番 さて、この遺書の家の前の道をまっすぐ行くとプファール広場に突き当たりここにもベートーヴェンが1817年に住んだ家があります。 1817年の夏に滞在し、交響曲第9番を作曲した家なのですが、現在はホイリゲとなっています。この「第9の家」=Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ)で夕食をとるのも目的のひとつでした。Mayer am Pfarrplatzは「プファール広場のマイヤー」という意味。ここが入り口です。真夏だったら中庭のテラス席がよいかもここには自家製のホイリゲワインがありました。そしてそれを炭酸水と1対1の割合で割ると、ウィーン名物のゲシュプリツターにもなります。典型的なホイリゲ料理はセルフサービスになっていて、別棟のビュッフェカウンターへ行って好きなものを選びます。こうしてウィーンでの3日目が終わろうとしています。さて明日はドレスデンに移動ですホテルに戻って荷造りをし、翌朝に出発です。次からはドイツ編になります、つづく。
2010年05月26日
ホテルで少し休憩をとった後は、まず徒歩圏内のベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスへヒルトン・ウィーン・プラザから徒歩で5分くらいでした。この階段を上がるとパスクァラティ・ハウスの裏側に出ます。昔の城壁の上に建っているため周りの建物より高くなっています。ここの住所「ウィーン1区、メルカーバスタイ8」からも、高台にあたることがうかがえます。バスタイは「稜堡」という意味で、城の突出部のこと。かつてはちょうどこの場所に城壁があったことを示しています。家の名はベート-ヴェンのよき理解者でもあった家主のパスクァラティ男爵の名をとっているそうです。Beethoven Pasqualatihaus重い扉を開けると、中が真っ暗でびっくりします。タイマー式の電灯なので自分でスイッチを入れなければ灯りがつかないのです。以前に訪れたことがある家人がいなかったら、階段を上るのをためらうところでした。このらせん階段を5階まで上ると、展示室があります。日本とフロアの数え方が違うため、表示では4階。ピアノとライフマスクに基づいた胸像生前の様子そのままのライフマスクと、W.J.メーラー作の肖像画(後方右)引越し魔で知られているベートーヴェンですが、ここは生涯で最も長い間住んで作曲活動の場にしていたそうです。パスクァラティ・ハウスの窓から外を撮影ベートーヴェンは見晴らしのよい住居を好んだそうです。左手に見える建物はウィーン大学です。 ここで作曲された主な作品(パンフレットによる) 交響曲第4番、第5番、第7番、第8番 歌劇「フィデリオ」ここも子供の頃から訪れたかった場所だったので、念願がかなって嬉しかったです次はトラムに乗って郊外のハイリゲンシュタットへ同じくベートーヴェンにゆかりのある場所です、つづく。
2010年05月26日
美術史美術館を観た後は、トラムでカールスプラッツへ それまでの日記は、こちらここはターミナル駅なので、滞在中何度も通りました。今回はセセッシオン方面の出口に向かいます地上に上がる階段の途中からセセッシオンの黄金のドームが見えてきましたウィーンの芸術家グループ「分離派」が自ら築いた、ユーゲントシュティール(アールヌボー)の至宝といわれている展示館です。正面からみたところ黄金のドームは「金色のキャベツ」と呼ばれているそうです。その下には、 時代にはその芸術を、芸術にはその自由をという分離派のスローガンが刻まれています。青銅の扉はグスタフ・クリムトの弟ゲオルク・クリムトの作。ここの目玉は地下にあるベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにした、グスタフ・クリムトの連作壁画「ベートーヴェンフリース」です。ゴリラみたいな怪物も描かれていて不思議。。。その理由はパンフレットにも書いてあるのですが。あくまでもクリムトの解釈にもとづく第9なので、観る側はそれにとらわれなくても良いように思いました。次はシューベルト最後の家へ行くことに。地下鉄U4に乗って一つ先のKettenbrueckengasse駅へドイツ語の駅名は長くて最初は慣れなかったのですが、道路の名前がついていることが多いという事が判ってきました。この「Kettenbrueckengasse」も「Ketten-bruecken-gasse」と分解して、「ケッテン橋通り」となります。シュトラーセが大通り、ガッセが小さな通りになります。Kettenbrueckengasse駅を降りたところ。あまりにも綺麗なので写真におさめたのですが、この先にユーゲント・シュティールの傑作といわれているオットー・ワーグナー作のマジョリカハウスがあったのです←あとで気がついた マジョリカハウスの美しい画像は、こちら(独ウィキペディア) 後日行ったときの日記は、こちらこれを見逃したのは痛恨のきわみものすごく近くまで行っただけに悔しさ倍増です。。。(涙)さて、シューベルト最期の家は駅から5分くらいのところにありました。ここは開館が水曜日と木曜の10時から13時、14時から18時の2日間のみという情報を事前にもらっていたのですが(この日は火曜日)、どうしても外観だけでも見たかった場所です。兄フェルディナンドの家で、シューベルト最期の家。3つのピアノソナタ(D958、D959、D960)はここで生まれました。ここからまたU4でカールスプラッツへここまで美術館をふくめてかなりの距離を歩いたうえに、荷物も多かったので(塩とかチョコとかケーキとか)U2に乗り換えいったんホテルに戻ることにしましたヒルトン・ウィーン・プラザのラウンジのテラスです。この後も予定があるのであまりゆっくりもできないのですが、ちょうど出ようとした時に3時のティータイムのお菓子が並べられました。ささっとつまんでからホテルを後にしました。次は徒歩圏内のベートーヴェンのパスクァラティ・ハウスに寄ってから、郊外のハイリゲンシュタットへ、つづく。
2010年05月25日
王宮(ホーフブルク)から美術史美術館へは徒歩で移動 それまでの日記は、こちらリンク内の観光をこの順番にしたのは、王宮が9時開場、美術館が10時開場だから。入場料はウィーンカード割引で9ユーロでした。ウィーンで美術館をひとつだけ見るのなら迷わずここへ、と「地球の歩き方」に書いてありました。ヨーロッパ三大美術館の1つだそうです。昨日行ったベルヴェデーレや、ルーブル美術館などが、昔の宮殿や王宮を利用した美術館であるのに対して、ここはハプルブルク家が集めた美術品を展示するためだけに作られたとの事。その建築にあたっては期間・予算の制約を一切受けなかっただけあって建物そのものが既に超一級の芸術作品の域に達しています。エントランスホールです色大理石を惜しみなくふんだんに使い,床から天井装飾まで絢爛豪華そのもの。中央階段にあるのはカノーヴァの彫刻です。じつはここにはクリムト兄弟の作品もあるのです。絵画ではなく、壁面の装飾画の一部がクリムトによるものです。2階の絵画室にたどり着く前に、既にノックアウト状態でした。所蔵は世界最多を誇るブリューゲルのコレクションをはじめ、フェメール、ラファエロ、ルーベンスなどの傑作が目白押し。むかし美術の教科書で見た名画が、至近距離でこれでもかというくらいに登場します。しかもここは写真撮影もフラッシュを使わなければOK。ビデオを回している人もいました。時間が許せばまる1日かけて鑑賞する価値はあると思います。もう一つ特筆すべきはここのカフェです。美術館内にあるカフェ・ゲルストナーは美術館の中にあるカフェの中で世界一美しいといわれているそうです。1847年創業のハプスブルク家御用達のお菓子屋さんで、ここでお茶するのも目的のひとつでしたちょうど階段を上がったところにあります。左からマリア・テレジア(オレンジリキュールと生クリーム入りコーヒー)アプフェル・シュトゥルーデル(ウィーン風アップルパイ)とメランジェここから高いドーム天井を見上げたところ。中央部分が1階からドームまで、吹き抜けになっています。最後にここで一番心に残った絵画を。フェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」です。さて次はカールスプラッツまで行き、シューベルト最期の家ウィーン分離派(ユーゲントシュティール)建築のセセッシオンへ行く予定、つづく。
2010年05月25日
ウィーン第2日目はまずリンク内の王宮(ホーフブルク宮殿)からスタート、ホテルのヒルトン・ウィーン・プラザからトラムに乗って行きますヨーゼフ2世の騎馬像があるヨーゼフ広場昨日見たミヒャエル門からではなく、ブルク門からの入場です。 昨日の日記は、こちらシェーンブルン宮殿のシシィ・チケットで王宮も入場可能ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで、約600年以上にわたって住居としてきた王宮だそうです。郊外にあるシェーンブルン宮殿と違って都心の宮殿のため敷地が限られているところに歴代の君主たちが建て増しを繰り返したため、ご覧のように色々な形式の建物が並んでいます。そのためごちゃごちゃした印象がゆがめないうえに、最低限の標識しかないため入口が分かりにくいのですまず「銀器コレクション」からスタート銀器だけかと思ったら、金器、陶器など、ハプスブルク家の膨大な食器などがずらりと並んでいました。東洋趣味を反映する伊万里や景徳鎮のコレクションもあります。ここから3階へ上がり「シシィ博物館」から「皇帝の部屋」へシシィ博物館の入り口です。シシィとはハプスブルク家の事実上最後の皇后エリザベートのこと。シルエットに注目です身長172センチ、体重50キロ(そのうち髪の重さが5キロ)、ウエスト50センチこのプロポーションは生涯変わらなかったとか。そのために過酷な絶食と過度の運動を続けたそうです。シシィの部屋には吊り輪やハシゴなどの運動道具がおかれていました。あと実際に着用したドレスも展示されていたのですが、たしかにウエストは細かったです。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の執務室には、こちらのシシィの肖像画が飾られていました。シシィの肖像画ではヴィンターハルターが描いた星のドレスを纏った舞踏会姿のものが有名ですが、私はこちらの方が好きです。質実剛健だった皇帝の部屋は質素そのもので装飾のない簡素なシングルベッドが哀愁を帯びていました。この日は朝一の入場だったせいか来場客がいなくて貸し切り状態、係員のほうが多い、という贅沢な環境でした。王宮内のアウグスティーナ教会へ17世紀からハプスブルク家の儀式が行われた宮廷教会で、マリアテレジアとフランツ1世、ナポレオンとマリールイーズ、フランツヨーゼフ1世とエリザベートの結婚式も行なわれたそうです。ここでは随時音楽会を開催しているようです。訪れた時にはパイプオルガンとチェロのリハーサルが行われていて、1730年に作られたロココ様式のパイプオルガンの音を聞くことが出来ましたさてここからトラムで美術史美術館へ行きますここでは名画の数々に圧倒されることとなります、つづく。
2010年05月24日
ウィーンでのショッピングで代表的な通りをまずは前にもかいたのですが、シュテファン寺院のはす向かいのグラーベン通りです。グラーベンは歩行者天国で一番道幅が広い通りです。カフェのパラソルがたくさん。ここにあったH&Mは歴史ある建物をそのまま使ってました。リーズナブルな価格でウィーンでも大人気、人でいっぱいでしたが、ここはH&Mの上位ラインのコレクションラインの商品が中心だそうです。けっこう寒かったのでストールと、旅行に持ってくるのを忘れてしまったチークをパパッと購入。メイクはまだ日本には入っていないのではないでしょうか。二つ合わせて10ユーロ以下だったかと。次は正面に絢爛豪華なハプスブルク王宮ミヒャエル門がそびえるコールマルクト通りです。たった150m間にカルチェ、バーバリー、Gアルマーニ、シャネル、グッチ、ルイヴィトン、フェラガモ、D&G、ティファニー、ブルガリなどの高級ブランド店が並んでます。デメルもここにあります。この密集度は他になく、あまり動きたくない人にとっては非常に便利な通りだといえます。ここではついついこれをGETネヴァーフルは日本でも良く見ますが、EU圏でも大人気。石を投げれば持っている人にあたるのでは?と思うくらいの所持率で、なんだかつられて購入してしまいました(440ユーロ)。ここでタックスリファウンドの手続きをしましたが、気をつけなければならないことがあります。オーストリアではブランド品はバッグと財布を一人一個ずつしか申請出来ないとの事。免税で購入出来るのは自分の分だけでした。EU外居住者で購入した品物をEU外で消費することが証明できる物として、パスポートを提示する必要があります。(場合によっては帰りの航空券も)この申請用紙をEU最終出国空港の税関で購入品と共に提出し、EU税関からスタンプとサインをもらって、用紙をポストに投函して終了です。付加価値税(消費税)20%のうち諸経費を差し引かれた金額が数ヶ月後に口座に戻ってくる予定です。さてルイ・ヴィトンですがやっぱり人が多いです、特にロシア人と中国人が多かった。ちゃんと中国人の店員さんもいるんですよね。私は旅行するとスーパーマーケットに行くのですが、ウィーンではBILLA(ビラ)とSUPER(スパー)をよく見かけました。こちらはカールスプラッツにあったスパーです。ザルツブルクの岩塩やモーツアルトチョコレートなどを購入しました。お土産屋さんで買うよりもお徳ですよさて次からはウィーン2日目の日記になります、つづく。
2010年05月21日
ベルヴェデーレ宮殿・下宮からトラム71に乗って中央墓地へそれまでの日記は、こちら中央墓地の第2門(Zentralfriedhof Zweite Tor) で下車。広大な中央墓地はトラムの停車所だけ4駅ありますので、停車駅には注意が必要です。ここまでかなり距離があり、トラムで30分近くかかりました。まず入り口のお花屋さんでバラを買ってから、ウィーンに縁のある有名人が眠る名誉区のうち、楽聖たちの眠る第32区Aに向かいました左がベート-ヴェン、右がシューベルトのお墓です。お花がたくさん供えられていました。ブラームスのお墓です。ここは子供の頃から行きたかった場所なので、静かな感動に浸っていました。さて、ここから旧市街へもどります。帰路はトラム71では時間がかかりすぎるので、Simmeringで途中下車して地下鉄U3に乗り換えシュテファンプラッツ駅で下車、旧市街へウィーンの象徴・シュテファン大聖堂教会内部です。いずれも大きすぎてカメラに収まらずさてここまで当初の計画通り順調に進んだので、ちょっと町歩きをしてみることに表通りを一歩抜けると、それは美しい路地や町並みがあります。街全体が美術館のようです。そして何らかの歴史的な事が起きた場所には、オーストリアの旗とプレートが置かれています。上の画像の左手にもみえますが、じつは赤い建物にも旗は無いのですが銘板がかかげられていました。ロベルト・シューマンがウィーンで過ごした家だそうです。さてここからお買い物へ(内容は次回に詳しく書きますね)シュテファン大聖堂のはす向かいのグラーベン通りです。グラーベンは歩行者天国で一番道幅が広い通りです。長さ200m程度の通りの真ん中にあるのはペストの記念柱。そして正面にハプスブルク王宮ミヒャエル門がそびえるコールマルクト通りへたった150m間にカルチェ、バーバリー、Gアルマーニ、シャネル、グッチ、ルイヴィトン、フェラガモ、D&G、ティファニー、ブルガリなどの高級ブランド店が並んでます。ザッハトルテのお店「デメル」もここにあります。そのコールマルクト通りの入り口には、アドルフ・ロースが設計したロースハウスが絢爛豪華なハプスブルク王宮に向き合うように建っています。世紀末芸術の建築で、今回見たかったものの一つです。装飾を完全否定した先鋭的なデザインで、これもウィーンのもう一つの顔になっています。ここから地下鉄を乗り継いで、宿泊先のヒルトン・ウィーン・プラザに戻りました。エグゼクティブ・ラウンジからの眺めです。軽いお食事をとる事もできました。長い一日がおわろうとしています。明日は王宮を中心としたリンク内の観光と、郊外のハイリゲンシュタットへ行く予定です、つづく。
2010年05月21日
シェーンブルン宮殿から地下鉄U2でカールスプラッツ駅へ。 ここまでの日記は→こちらここはU1、U2とU4が通るターミナル駅です。地上には大通りを渡る横断歩道が無いので、移動はすべて地下道経由となります。とは言っても新宿や大手町、梅田などの地下街に比べたらはるかに規模が小さく、ご覧の通り地下部分も浅いので、日本人だったら楽勝だと思われます。ベルヴェデーレ宮殿はここからトラムで向かうのですが、その前に国立オペラ座(シュターツ・オパー)に寄りますオパー方面の出口地上に上がれば、すぐにシュターツ・オパーです。滞在中は「カルメン」や「トスカ」などの上演があったのですが、早い時期にソールドアウトでした、遅かったオペラ座の一つ隣ブロックに、ホテル・ザッハーがあります。そして面白いことにザッハーの前には、スターバックスがカフェ文化のウィーンのど真ん中で営業中。さてホテル・ザッハーでは、ザッハ・トルテとメランジェを美味しかったですこのあたりはショッピング街にもなっています。そこでロクシタンを発見ここで家族に頼まれたものを購入。そしてシュターツ・オパーの前からトラムDに乗り、ベルヴェデーレ宮殿へベルヴェデーレ宮殿の上宮です。20世紀のオーストリア絵画を展示した美術館になっていて、特にグスタフ・クリムトのコレクションは世界最大だそうです。ここでは上宮+下宮のコンビチケットを購入、ウィーンカード割引で10.50ユーロ。「美しい眺め」の意味を持つヴェルヴェデーレ宮殿。オスマン・トルコ軍を撃退したオイゲン公が建てた離宮で、現在は上宮・下宮とも美術館となっています。特に上宮の所蔵は圧巻で、クリムトの代表作「接吻」やエゴン・シーレの「死と乙女」ココシュカなどウィーン世紀末の作品を中心に納められていました。この旅行を通して絵画や美術品をを浴びるように見たのですが、ここのクリムトがなんと言っても一番印象深かった実際のクリムトの絵画は色が淡くて、とても繊細、しかも若い頃の作品は「まとも」で驚く。ピカソもそうだけれど、端正な絵も描ける方だったのですね。内部は撮影禁止なのですが、数々の名画をほんとうに至近距離で鑑賞でき、絶妙な色遣いやタッチを間近に見ることが出来ます。まさに手を伸ばせば触れられる距離で、囲いなども無く、所蔵する側と鑑賞側の信頼関係で成り立っています。上宮を出て、下宮へ行く途中で振り返ったところ。下宮にかけてはゆるやかな下り坂になっていて、その間に噴水や美しい庭園がありました。下宮です。こちらはオイゲン公を中心とした展示ですが、そもそもこの方をよく知らないのでさくっと見ただけそして下宮の出口から出てトラムの駅へ最寄り駅はUnteres Belvedere(ベルヴェデーレ下宮)になります。 ここからトラムで郊外の中央墓地へベートーヴェンやシューベルトなど音楽家の眠る墓地をお参りしてからウィーン旧市街へ戻る予定です、つづく。
2010年05月20日
ウィーンの滞在は3泊ですが、実質動けるのは2日間ですので、今回は綿密なスケジュールを立てました。1日目はウィーンのリンク外の観光です。まずは今回の滞在先、ヒルトン・ウィーン・プラザの朝食からここは10階のエグゼクティブラウンジです。外のバルコニーにはテラス席もあり、そこからは近くのヴォティーフ教会から旧市街のシュテファン教会まで見え、とても居心地が良い場所でした。ここはいつ行っても人が少なかったです。お客様は単身のビジネスマンが多かったです。でもシェーンブルン宮殿は8時半から開園なので、あまりゆっくりしている時間もありません。ホテルから地下鉄U2で終点の「カールスプラッツ」まで行き、U4に乗り換え「シェーンブルン」で下車ここから正門まで約5分くらいで到着シェーンブルン宮殿は、1695年レオポルド1世が夏の離宮としてハプスブルク家の狩猟の森に建てた宮殿だそうです。世界遺産に登録されています。各種のチケットが発売されていますが、私たちはシシィ・チケットに決めていました(ウィーンカード割引20ユーロ)。シシィとは最後の皇后・エリザベートの愛称です。これは待ち時間無しでグランドツアー(見学可能な40室すべて見学可能)と、旧市街の王宮(皇帝の部屋、シシィ博物館、銀器コレンクションなど)への入場が可能、購入日から1年間有効というお得なものです。宮殿内部はもう豪華で、シシィも綺麗でため息ものなのですが、それが次から次へと続くので、だんだん感覚がマヒしてきます。当時流行の東洋趣味も至る所に反映されていて、中央の小ギャラリーの隣には「中国の小部屋」があったり、高価な中国の美術工芸品や日本の食器が展示されていて面白かったです。内部は撮影禁止なので、画像がないのが残念です。さて宮殿の見学が終わり、庭園にでます。大噴水はネプチューンの泉、その奥の小高い丘に上にはグロリエッテがあります。画像の人の大きさで判断していただきたいのですが、写真で見るよりも奥行きがあり、丘も高いのです。この間日陰が少ないので、真夏はきつそうです。今回グロリエッテまで登り、そのまま東に進み(写真では左上)、東門にあたるマリア・テレジア門から出て、公共バスに乗る予定ネプチューンの泉の横に動物園の入り口があります。ここにはパンダがいるというので、パンダフリークとしてははずせす、ちょっと寄り道を動物園はマリア・テレジアの夫フランツ1世が、1752年に創立した、世界最古の歴史を誇る動物園だそうです。動物園の中央にあるパビリオン。こちらもテレジア・イエローの外観になっています。ここで皇帝夫妻が動物を眺めながら朝食を取ったらしいです。今はカフェレストランになっています。さてこの動物園、どこに何がいるのかという標識が極めて少なく、観客に見せる気は無いのでは?と思われても仕方が無いような作りでした。なのでいきなりトラが現れたりしてビックリします。逆に「見せる」というよりは、周りを木で囲ってあったりして、わざと見にくいようになっていたりする場所もあり、あくまで動物中心の展示になっているのだともいえます。その分動物たちはゆったりと過ごしているように見えました。パンダさんはシェーンブルンの豪邸で静かに暮らしていました。着いたときはそわそわと外を動き回っていたのですが、どうやら食事の時間の直前だったようです。そうなのです、さすがにドイツ語圏だけあって、お食事の時間がきっちりと決められているらしいのです。北京動物園ではつねに笹が置かれていて出入り自由だったので、これはちょっと意外でした。北京動物園の日記は→こちらこちらはコアラです。もともと夜行性なので睡眠中ですが、照明がついていて明るいです。だれも騒がず子供を含めて皆さん大人の対応なので、安心しきってぐっすりと眠っています。そして目玉の双子の白クマです。こちらも穏やかな表情をしていました。シェーンブルン動物園、おすすめです動物園のあとは丘の上のグロリエッテを目指します急坂を息を切らしながら登ると、素晴らしい風景が広がり息をのみます。ここから東門のマリア・テレジア門までの道は、まさにウィーンの森とよぶに相応しい静かな道でした。門を出たたところにバス停があります。ここからU4のMeidling-Hauptstr駅まで行き(シェーンブルン駅の1つ手前)ふたたびU4に乗り「カールスプラッツ」まで戻りました次はクリムトの絵画をたくさん所蔵しているベルヴェデーレ宮殿へその前にオペラ座のあたりを散策予定お目当てはザッハ・トルテです、つづく。
2010年05月19日
GWにかけてヨーロッパに旅行していました。これからすこしづつ書いていこうと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。エアーはルフトハンザ航空LH715まずミュンヘンまで。この時はアイスランド火山の噴火は沈静化され、定刻に成田を出発。初ルフトハンザでしたが、機内が美しかったです。びしっと掃除が行き届いていて、空気が澄み切っている、ゴミを置いてもすぐ片付けてくれる、などさすが掃除大国ドイツ。CAも優しくて親切で、とても快適なフライトでした。清潔さにおいては日本のエアラインよりも上だと思いました。振り返ってアメリカの航空会社って、何なんでしょうね飛行時間は約12時間10分。機内では「アバター」を「ふつうに」観ました。何もしないでただ食べ続けるだけの半日ですので食事はすべて日本食をチョイス(ミールサービスは2回)。ミュンヘンへはほぼ定刻着入国審査を経て、ルフトハンザのセネター・ラウンジへルフトのラウンジはファーストクラスラウンジ、セネターラウンジと、ビジネスラウンジの3つあるようです。食べ物もスイーツもドリンク類も豊富に揃っていました。ミュンヘンの免税店です。この写真を後から見て気がついたのですが、ミュンヘンにジョー・マローンがあったのね気がつかなかった。。。。MACの裏面に大好きなジョー・マローンありお隣のカウンターはNYのキールズです。このあたりはアメリカコスメのブロックでしたが、ものすごく高かったです。ここで国内線に乗り換え、LH3560でウィーンへ飛行機までバスで移動、あいにくの雨です今回特典ビジネスで行ったので、国内線もすべてCクラス、ここではCクラスのみ食事がでました。所要時間は1時間なので、CAは大忙しです。。国内線は通常のシートの前4列のみCクラスで、3席を二人で使用します。真ん中の席はデスクになっています。機内持ち込みバッグはレスポ・シルバーグリッターのアンナです。ウィーンに近づいてきましたドナウ川です、こちらは晴れてましたこの時で夜の8時近くです。サマータイムを採用しているせいもありますが、まだ明るいです。ウィーン国際空港ではまず「ウィーン・カード」の72時間を購入。これは交通機関がすべて無料、美術館の割引もある、というお得なカードなのです。ただし空港はウィーン市外にあるため、差額分(1.8ユーロ)を支払います。空港からリンク内へ行くのはシティ・エアポート・トレインという快速列車が早いのですが、せっかくウィンーカードを購入したので、Sバーン+Uバーン(地下鉄)で行くことにしました。ぜんぜんバリアフリーではないので、電車に乗るのにトランクの階段上げがありますEU圏の電車はこのようなケースが多かったです。プラーターシュテルンでU2に乗り換え、ホテルの最寄り駅のウニヴェルジテートの階段を上がると、ライトアップされたヴォティーフ教会がこの2つの尖塔はとても高くて、圧倒的でした。ここでやっとウィーンに着いたんだ、という実感がわいてきました。そしてウィーンのホテル、ヒルトン・ウィーン・プラザに到着。エグゼクティブ・フロアの部屋です。バーコーナーとソファー、机の上はウェルカムフルーツ&スイーツです。アメニティはお約束のクラブツリー&イヴリンウィーンのホテルは最初は「ヒルトン・ウィーン・ドナウ」を予約していましたが、やっぱりリンク内のほうが便利ではないかということで、予約を変更しています。リンクにはあともうひとつ「ヒルトン・ウィーン」があって、こちらはウィーン・ミッテ駅の隣でアクセスが非常によく、最後まで迷いました。ですが以前に仕事で来たことがある家人が、プライヴェートの時くらい昔のヨーロッパ風のホテルがよい、ということでプラザにしました。結果的にこちらにしてよかったと思います。非常に居心地の良いホテルでした。エグゼクティブ・ラウンジからの展望もすばらしかったです。この日は移動だけでおわり、長い1日でした。観光は明日からです。
2010年05月18日
長い間お休みしておりました。 また少しずつ書いていこうと思っております。 この北京日記は最後まで書きたいので、 もうかなり時間が経ってしまいましたが、 これで完結とします。 また、本調子になるまでコメント欄を閉じさせていただきます。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 北京からの帰国便はユナイテッド航空です。 ちなみに往路は羽田発のANAです。 こちらの日記 北京首都国際空港を11時15分に出発するので 最終日はもう帰るだけ このUA北京線、往路は深夜着で復路は午前発なので、 観光には不向きかも。 UAはスターアライアンスなので中国国際航空のラウンジを使えます。 前回の日記で詳しくかいたので省略 こちらの日記 ただ食事は11時からのスタートなので、食べられず この日は結局機内で食べることになったのですが、 UAの機内食はホノルル線と同じトレダーヴィックス監修でした。 フライト時間が短いので、お料理からデザートまで、 全部一緒にサーブされます。 これで北京日記をおわります。 できれば昨年中に終わらせたかったのですが、 お付き合い下さいましてありがとうございました。 追記:ユナイテッド航空の北京線の運行は3月27日までで終わりました。 次からはまた別の旅行記になります。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
2010年01月04日
前門大街(大通り)の「都一処」で軽い昼食をとった後は 徒歩で天安門広場から王府井を目指します それまでの日記はこちら 前門大通りの都一処 前門大通りは清代の古い町並みが復元されています。 町全体がまるでテーマパークのよう 前門大通りの入り口にある牌楼、奥に見えるのが箭楼です。 そして入り口近くにあるスターバックス。 中国語表記は「星巴克珈琲」。 中国のスターバックスの値段は日本とほぼ同じ。 どうやら価格調整されているようです。 でも現地の物価を考えるとかなり高いと思う 店内は欧米人が多かったです。 ここで買った物は、 中国限定の万里の長城と龍のマグ そして箭楼をくぐります 奥に見える門が前門(正陽門)。 北京で一番大きな門らしいです。 ここを超えると天安門広場になります。 天安門広場に入るには手荷物検査があります。 奥に見えるのが故宮の入り口、天安門。 前門大通りから箭楼~前門~天安門広場~故宮と、 ここまで南北に一直線に並んでいます。 この広場の東側にどーんと鎮座しているのが国家博物館。 これはほんの正面玄関部分で、 天安門広場の南北いっぱいに広がってます。 現在改装中で、2010年にオープン予定。 完成時は世界最大級の博物館になるそうです。 ここは私の中国語の先生の前の職場だったところ。 じつは私は大学の社会人講座で学習しているのです。 なので先生の専門は中国古代史(考古学)で、 学者(=教授)であり、語学の専門ではないのです。 授業は時々脱線して歴史のお話になったりします。 それがすごく楽しかったり さて、ここから王府井へ 途中の東方新天地で見つけたSONYのショールーム、 ソニー・スタイルです。 SONYは人気があるようで、たくさんの人がいました。 そこで目が釘付けになったもの 最近VAIOのWシリーズの白を買ったばかりなのですが、 このケースは日本では見たことがなかった。 マウスも見たこと無いかも。 私が買ったのはこの右の純正のケース、約5,000円なり。 北京の方がバッグ型だし、ポケットもたくさん付いていて、 使いやすそうな気がする。。。 約200元(1元=13.75円)なり、安い。。。 よっぽど買おうかと思ったけど、ぐっとこらえました。。。 この日は寒かったので、夕食は中国語の先生おすすめの、 羊肉しゃぶしゃぶ店「東来順飯庄」へ このジャンルでは老舗にあたるお店です。 ヒルトン北京・王府井の隣の新東安市場に入っていました。 北京に行く前の授業で、先生がホワイトボードに、 「○○さんは東来順で羊肉しゃぶしゃぶを食べました」と書いて、 皆で口頭練習したっけ。。。うー、恥ずかしい なので絶対に行かなければならなかったのです。 おいしかったです 内蒙古の専用牧場で飼育された、2歳未満の雄の羊肉だそうです。 鍋に香草が入っているので、とても体が温まります。 こうして4日目もすぎていきました。 明日はいよいよ帰国です、つづく。
2009年12月22日
北京3日目はベタな世界遺産の観光です。 前回行けなかった天壇公園がメイン この日は昨日と打って変わって雲ひとつない晴天 でも雪の翌日なのでおそろしく寒いのです。 信じられないかもしれませんが、昨日の方が暖かかった。 (雪の金山嶺長城の日記はこちら) どのくらい寒かったかというと、 デジカメのバッテリーがあがってしまうほど。 市内がすっぽりと冷凍庫の中ようでした。 さて、ヒルトン北京・王府井から徒歩で故宮へ 故宮については前回行った時の日記で詳しく書いたので(こちら) 今回はざっくりと。 王府井から前回泊まった北京飯店を通過。 そして朝一番の故宮博物院(紫禁城)の大和門です。 ちょうど牛門をくぐったところ。 前に人がいないので気持ちが良いです。 故宮に入るのには1人ずつ手荷物検査があるので ↑空港と同じX線検査 頑張って朝一番を狙った方がよいですよ。 故宮の中心となる正殿の大和殿。 そしてこれが見たかった 珍宝館(別料金)にある九龍壁です。 「9」は皇帝の数字だそうです。 日陰のところは昨日の雪が氷となっています。 そして故宮を南から北へ抜けて、景山公園へ 頂上からの眺めはやっぱり最高 ここから路線バスで天壇へ。ここも世界遺産です。 地下鉄5号線の天壇東門駅が見えたので 思わず降りてしまったのですが、 結果的には終点の天壇南門から歩いた方がよかったかも その理由は後ほど分かるのですが、 基本的に「南門から北門へ」向かう方がよいと思います。 故宮も頤和園も、日本の社寺仏閣もみなそうです。 そして天壇はおそろしく広かった。そして寒かった。 その広さ273万平方メートル、故宮の約4倍あります。 その広い敷地に3つの建造物が並んでいました。 ます最初に現れたのが有名な祈年殿。 瑠璃色の瓦が青空に映えて、 それはそれは美しかったです。 皇穹宇 こちらも鮮やかな瑠璃瓦が綺麗でした。 この青空を想定して作られているのでは、と思ったほどです。 圜丘壇 そして天壇南門からみた景色。 南門から入ると、このように3つの建造物が、 南北に一直線に並んでいるのが分かります。 おそらくすべて計算されて配置されているのだと思います。 だからこれだけ広大な敷地が必要だったのでしょうね。 南門の前から路線バスで前門大街(大通り)へ。 この時乗ったバスは2階建てでした そして前門大通り、ここからの景色がお気に入り 乾隆帝も通ったという「都一処」で昼食を その乾隆帝の好物だった「乾隆白菜」と名物の焼売(シュウマイ)。 焼売の皮はフリルのようになっています。 画像が多いのでここでいったん区切りたいと思います。 つづく。
2009年12月16日
雪の金山嶺長城から司馬台長城への縦走、 12キロのトレッキングのつづき(最終章)です。 北京から金山嶺長城までの日記はこちら 金山嶺長城入り口から后川楼までの日記はこちら さて金山嶺長城を一旦離れて、全行程で一番の難所を避け 迂回するコースに向かいます。 長城から急坂を降りてきたところは雑木林で、 こんな獣道のような小道が続いています。。。 ガイドのお姉さんは勝手知ったる道のようで、 どんどんと先を歩いていかれます 左上方にずっと金山嶺長城が確認できるので安心。 どうやらここは地元の方々の生活道路のようで、 何組かのガイド兼物売りの集団とすれ違いました。 お天気が安定してきたのでこれから仕事を探しに 金山嶺長城の入り口に向かっているのだと思われます。 皆さんお年を召された方(おばあさん)でした。 前方に欧米人のバックパッカー発見 ガイド無しの単独走でした。 この道は途中で通行料を徴収されます(1~2元だったかな)。 このバックパッカーはその徴収人の直前で左折し、 道なき崖を長城へ登っていきました、すごすぎる。。。 そして麓を歩くこと約30分 城壁が近づいてきました。 道は城壁にどんどん近づいていきます。 長城の庸道に到着、後ろは小胡同楼。 ここで突然ガイドのお姉さんが、 「司馬台長城に着きました、ここでお別れです」と。 え、えっ、そうなんですか なんだか突然でビックリです。 ガイド同士でテリトリーが決まっているのかもしれません。 お姉さんはバッグから写真集を取り出してきました。 私たちは既に写真集を買うことを約束していたので、 最初の言い値の150元を渡しました(約2,000円)。 これは破格の値段だとわかっていましたが、 彼女たちがいなければ雪の縦走は到底無理だったので、 納得して支払っています。 この後は二人だけで司馬台長城へ向かったのですが、 雪の歩道は思ったよりも判りにくく、 お姉さんたちの有難さが身にしみました。 突然長城が川によって分断されます。 これはダム湖だそうで、つり橋を渡って対岸に行きます。 吊り橋に向かって急な階段を下ります。 今回もっとも緊張したところの一つ。 雪が積もっているので滑らないように、 細心の注意を払いました。 吊り橋にも雪が積もっています。 対岸が司馬台長城。 木製の橋の隙間から下が見えます 歩くたびにゆれます、かなり怖いです←高所恐怖症ゆえ 渡りきったところで吊り橋の通行料を徴収されました。 5元なり(約70円) ここからまた長城まで登りです。 途中から見下ろしたダム湖。 そして司馬台長城です。 ここまで約3時間の行程でした。 司馬台長城の方が、金山嶺長城よりも傾斜がきつそうです。 この先に最高地点の望京楼もあります(現在は立ち入り禁止)。 私たちはここからチャータータクシーの北京散歩さんとの 待ち合わせの駐車場へ向かいました もう昼過ぎということもあり、 長城の麓はあまり積もっていなかったです。 やっぱり長城の方が雪深かった。 そしてチャータータクシーで北京のホテルへ 暖房が効いた車内は居心地が良く、 市内に入るまでうとうととしてしまいました。 約2時間ちょっとでヒルトン北京・王府井に到着 今回の感動は忘れることは出来ないと思います。 ほんとうに行ってよかった ここまで3回に分けて長々と書いてしまいましたが、 お付き合いくださいましてどうもありがとうございました。 ヒルトンに戻って部屋から見た景色。 北京市内もずいぶんと降ったようですが、 夕方は晴れてきました、明日は天気がよさそうです。 つづく。。。
2009年12月11日
雪の金山嶺長城から司馬台長城への縦走、 12キロのトレッキングのつづきです。 北京から金山嶺長城までの日記はこちら 金山嶺長城の敵楼からのながめ ここまでの道はよく整備されていました。 でもところどころにこういうところがあります。 両サイドの細いところを歩いていきます。 真ん中は階段なのでそちらを上り下りしてもよいのですが、 かなり急なので疲れます。なのでちょっと怖いけど楽な方へ。 階段ではなくこんな坂道もありました。 油断していると滑ります 左上の長城から離れた丘の上に陣取っているのは、 地元のカメラマン軍団です。 雪の長城は絶好の被写体のようです。 金山嶺長城はその美しいたたずまいから、 「カメラ愛好家の天国」と言われているそうです。 この軍団、こちらに向かって大声をだしてます。 家人は「なんだかご機嫌で明るいね」って笑ってましたが。 じつは「そこの旅行客を早く遠ざけろ」って、 ガイドのお姉さんに向かって叫んでいるのです 言葉がわかっちゃうのも何だか。。。ですね。 このあたりから荒廃したかんじがでてきます。 だんだんと未修理、未舗装の部分がふえてきました。 前を行くガイドのお姉さん、 足元はハイヒールなのに足取りは軽やか 危ないところでは、さっと手を貸してくれます。 そして何度も何度も「シャオシン(小心=気をつけて)」 「マンマンゾウ(慢慢走=ゆっくりゆっくり)」 と優しく声をかけてくれます。 この方たちは勝手についてくる「ガイド兼物売り」なのですが、 この言葉は心からの気遣いだと思いました。 このあたりでは両側の壁がなくなっています。 そして目の前が開け、この景色が広がりました。 急坂の上にある敵楼は「将軍楼」、奥に「麒麟楼」。 ここでお姉さんたちが歩みを止めて、 「ここから先の雪道は危険なので迂回コースを行きましょう」 と提案してきました。 日本からプリントアウトしてきた地図にも、 「ここから未舗装で急なアップダウンの連続」と書いてあります。 私は出来ればそのまま決行したかった。。。 ですが何事にも慎重な家人が、お姉さん達の提案どおり 長城を一旦はずれて、全行程で一番の難所を避け 迂回するコースを行くことを決断しました。 泣く泣く長城を降りていきます どんどん遠ざかる金山嶺長城。。。 急坂を下り、着いたところには。。。。 こんな獣道(けものみち)みたいな道しかなく つづく。。。。
2009年12月08日
3日目の朝です。 カーテンを開けると、なんと一面の雪景色 北京の初雪だそうです。 今日は金山嶺長城~司馬台長城の12キロのトレッキング予定で、 チャータータクシーを日本から予約していたのです。 こんな時に限って雪。 昨日はあんなに晴れていたのに。。。。(こちらの日記) すぐさまチャータータクシーの北京散歩さんに電話。 出てこられたのは社長の劉さんです。 劉さんは日本語が完璧 それで「とりあえず行ってみてはいかがですか」とのお答えが。 私はこの時点で行き先変更を考えていたのですが、 確かにそういう考え方もあるな、と思い直し とりあえず行ってみることに。 現地の様子をみて、場合によっては縦走を中止して、 金山嶺と司馬台をそれぞれ別に行くことも可能。 臨機応変に対処できるのがチャーターの強みでもあります。 北京市内はまだ雪がざんざんと降っていて、積もってます。 その中、7時40分にヒルトン北京・王府井を出発。 エグゼクティブ・ラウンジの朝食は6時半からなので、 朝食はホテルですませることが出来ました。 高速道路を走ること2時間、走行距離にして約120キロあたりで 司馬台長城の案内板が見えてきます。 さすがにここまでの間、渋滞は一度も無いです。 途中から長城が見えてきます。 そして金山嶺長城の駐車場に到着 ここまでただひたすら走り続けて北京から2時間半、130キロの道のり。 東京からだと富士山や八ヶ岳、軽井沢と同距離にあたります。 北京の密雲県と河北省の境で、かなりの長距離ドライブです。 ラッキーなことに雪はやんでいました。 とりあえず長城まで上がってみて、 トレッキングを決行するか、戻るか決めるので、 ドライバーの方には駐車場で待っていてもらうようにしました。 さて、この駐車場には物売りの人がたくさんいました。 登山杖を持ったおじいさんが「50元だよ」と言ってきます。 ひとこと「高すぎっ!」って言ったら、 「じゃあ40元。。。30元。。。」と追いすがってきました この後の行程を考えると、登山杖があっても良いと思います。 ここで現地調達する手もありかな、と。 ぱっと見たカンジではちゃんとしたトレッキングポールでした。 そしてなぜだか若いお姉さん二人が私たちにピッタリとついてきます。 道を教えてくれたり、写真を撮ってくれたりとても親切です。 私たちはとりあえずロープウェイで長城まで登りたかったのですが、 あいにく雪で運休でした。 左側の建物がロープウェイの駅舎です。 上に見えるのが金山嶺長城の敵楼。 長城は山の稜線に沿っているので、 とにかく自力で登らないといけません。 長城に到着です、雪はやんでいます。 また幸いなことに風がなく、ほぼ無風状態。 積もっている雪も新雪なのでふかふかしています。 なのでこのまま司馬台長城を目指すことにしました。 ここから日本の携帯電話(docomo)で北京散歩さんに連絡、 ちゃんと通じましたよ。 なぜかまだついてくる二人のお姉さん。 肩には大きな荷物、右側の女性の足元はなんとハイヒールです。 ここではじめて、この方たちが金山嶺長城でもれなくついてくる 「ガイド兼物売り」なのだと気がついたのでした。 事前調査では「物売りのおばあさん」と聞いていたので、 まさかこんな若い女性だとは思わなかった、ハイヒールだし 頼みもしないのに勝手についてきて、 ガイドが終了すると写真集などを売ってくるそうです。 なのでキッパリと断る言葉も中国語で練習していたのですが、 今回は雪中トレッキングなので、案内してもらうことにしました。 左側の方は英語も少しゃべることが出来ました、 この方は家人担当。 私は右側の方が担当してくれて、 しっかりと中国語の練習をさせてもらいました。 このような庸道がつづきます。 まさに天空の階段です。 このあたりはびしっと整備されていて歩きやすかったです。 障壁と呼ばれる防御壁がありました。 この長城の特徴で、八達嶺長城では見られないものです。 かなりの急坂を登ったり、降りたりの繰り返しです。 敵楼が見えます、中はこんなかんじです。 ここまでお姉さんたちは的確に案内してくれました。 下りの方が滑りやすくて危ないのですが手を貸してくれたり、 写真を撮ってくれたり。 おかげでここだけ2ショット写真がたくさん。 良い記念になったと思ってます。 静寂の雪の金山嶺長城。 この感動を言葉で伝えるのはむつかしいです。 まだまだ道のりはつづきます、つづく。
2009年12月03日
「北京動物園」から地下鉄4号線で「西単」で1号線に乗り換えです。 せっかくなので西単で降りることにしました。 地下鉄を降りたところ。 広場のようになっています。 ここは特に若者に人気がある街らしいです。 大きなデパートがたくさんあります。 なんとなく新宿南口に似ているような。。。 「北京の原宿や渋谷にあたる」と言う人もいるそうです。 ここでのお目当てはJOY CITY(大悦城)にあるH&M じつはホテルが結構暖かくて、半袖が欲しかったのです。 寒さ対策は万全だったのですが、これは予想外でした。 H&Mの入り口です。左隣はZARA。 中はものすごい人であふれかえっていました。 まるでセール会場のようです。 土曜日の夕方だったからかもしれませんが、 でも週末のH&M渋谷店より混んでいたと思います。 日本のH&Mの方は、支店が増えて ブームも沈静化したのかもしれません。 地下は子供服ですが、こちらは空いていました。 とりあえず半袖のTシャツのみゲット。 49.9元(約686円)でした、この時のレートは1元=13.75円。 日本やアメリカより安いかんじがしました。 中国には消費税にあたるものが無いのもよいですね。 でも家人が早くホテルに帰りたそうだったので、 日を改めて来ようと思ったのでしたが、 結局滞在中は時間が無くて行けませんでした。。。 これ1枚買うのにも結構レジ待ちしました そしてここから1号線に乗ってヒルトンのある「王府井」へ。 ヒルトン北京・王府井のお隣の新東安市場へ。 ここは今回の滞在中、ヒルトンへ行く通路と化していました。 新東安市場は巨大ショッピングモールで、中はこんなかんじ。 ちょっとサンフランシスコのショッピングモール、 ウエスト・フィールドに似てるような気がする。 こちらがそのウエスト・フィールド 家人もそのようにつぶやいていたので、 たぶん似ているのだと思います。 ウエストフィールドはアバクロをはじめとする有名ブランドや、 ノードストロームなどのデパートが入っている、 巨大ショッピングモールです。 話はそれますが、サンフランシスコ旅行記も、 ハワイ旅行記も未完のまま、ほったらかしで、 すみません。。。 それで新東安市場にあったユニクロです 定番のフライスタートルネックT(長袖)の売り場。 期間限定セール価格で、79元(約1,086円)なり。 日本では同じ物がセール価格で690円だったかな。 お値段はどれも日本よりやや高め。 中国の物価を考えると、かなり高級品になるかと思います。 H&Mは前門大街(大通り)にもありました。 こちらは別の日に行ってます、時間が無くてざっとみただけ やっぱり近くにZARAあり。 ZARAはまだオープン前でした。 こちらは古い建物を生かして作ってあるので、 売り場が細長く、ちょっと見にくかったです。 前門は外国人や中国国内の観光客向けのエリアなので、 お店はとても空いていました。 こうして2日目もすぎようとしています。 翌日は金山嶺長城~司馬台長城の12キロのトレッキングの予定。 初日にお願いしたチャータータクシーの北京散歩さんが、 朝の7時半にお迎えにきます、つづく。
2009年11月28日
頤和園(いわえん)の次は北京動物園をめざします。 それまでの日記は→こちら 家人は「なぜ大の大人だけで動物園に行くのか」と、 テンションかなり低し。。。 もちろんお目当てはパンダなので引きずるようにして 地下鉄4号線「北宮門」から「北京動物園」へ 駅を降りるとすぐに北京動物園の正門がありました。 とってもレトロな建物です。 清代の建物で、皇帝に献上する珍獣が集められた 「万勝園」が起源だそうです。 熊猫(パンダ)館は入ってすぐのところにありました。 ただそこには1頭、のんびり笹を食べているのみ。 ちょっとがっかり。。。 ただその熊猫館を出ると、 奥運熊猫館というのがありました オリンピック・パンダ館です。 ここに入ると、いた、いました たくさんのパンダさんが この写真で5頭いるのですが、おわかりですか? 後ろの2頭は完全にお昼寝中。 この裏側が「露天熊猫館」になっています。 こちらも木の上でお昼寝中。 どんな木かというと。。。 こーんな高いところで寝ているのです。 もう一頭もお昼寝中。 完全に体がのびてます、まさに「たれパンダ」状態。 ここまで7頭のパンダを確認。 後から教えてもらったのですが、ここにいるのは、 地震があった四川省の臥竜から北京動物園に運ばれた 8頭の「オリンピックパンダ」なのだそうです。 8は中国では縁起の良い数字です。 そういえばオリンピックも2008年8月8日の 午後8時開始でしたっけ。 あと元気に動き回るパンダが見たいのなら、 午前中がおすすめだそうです。 北京の朝は早いので、7時半から開園しています。 パンダ、ほんとうに可愛い 癒されました。家人も感動してました。 ここには「小熊猫」さんもいました。 レッサーパンダです。 こちらも可愛かったですよ あとこのエリアには金糸猴(キンシコウ)という、 絶滅の危機にある中国の猿がいました。 金色の毛におおわれていて孫悟空のモデルらしいです。 ただものすごく気性が荒くて撮影できませんでした。 この動物園は面積が50万平方メートルで、 中国最大規模らしいのですが、 今回はこれだけ見て終わりです。 地下鉄4号線「北京動物園」から「西単」へ。 西単はデパートがたくさんあって、 北京の新宿みたいなところです。 次はお買い物へ、つづく。
2009年11月26日
2日目は今年の9月下旬に開通したばかりの 地下鉄4号線に乗って頤和園~北京動物園へ行くことに 頤和園(いわえん)はサマーパレスと呼ばれる離宮で、 世界遺産に登録されています。 ここは3月に行ったときに詳しく書いたので(こちらの日記)、 今回は前回行っていなかったところを中心に書きます。 「王府井」から地下鉄1号線で「西単」へ ここで4号線に乗り換えです。 土曜の朝だったのにもかかわらず車内は激混み 途中駅の「北京大学」で学生がどっと降り、空いてきました。 頤和園や円明園、そして北京大学は、 今までは都心からのアクセスが悪いところでしたが、 4号線のおかげでとても便利になったと思います。 頤和園の最寄り駅は「北宮門」です。 駅をでたところに案内の人がいて、 「頤和園はこちら」と誘導してくれるので 迷うことはなかったです。 この駅名からもおわかりかと思いますが、 ここからだと頤和園の裏門にあたる北宮門からの入園になります。 でもそれではつまらないので、北宮門から入園した後、 万寿山をぐるっと迂回するルートをとり、 表門にあたる東宮門へ向かうことにしました。 途中にあった蘇州街です。 ここは乾隆帝の「お買い物遊び」のために作られた街だそうです。 今でもたくさんのお土産屋さんが並んでいました。 値段はちょい高め、なぜか値引き交渉NGです。 そして昆明湖畔に到着。 万寿山と仏香閣が見えました この長廊をずっと西へと進みます。 今回ぜひ見たかった西の端にある石舫。 石部分は乾隆帝により作られたもので、 沈まない王朝を象徴しているそうです。 細かな装飾がとても綺麗でした。 ただもう既に沈んでいるのでは、石の船だし と思うのは私だけ? 家人は頤和園は初めてだったので、 ここまでかなり時間をかけて回りました。 そこでここで早めの昼食を。 清代の建物を利用したレストランです。 宮廷料理のお店だそうです。 とても美味しかったです。 ここでもかなり時間をかけて食事をしました。 いよいよ万寿山に登ります。 頂上からの眺めはやっぱり素晴らしかったです。 この時点でもう2時近くだったので、 急いで万寿山を下り北宮門へ 当初の予定では円明園へ行く予定でしたが、 時間がないのでパス、北京動物園へ行くことに 再び地下鉄4号線に乗り、パンダさんに会いに行きます。 つづく。
2009年11月25日
南鑼鼓巷からバスと地下鉄を乗り継ぎ王府井にやってきました。 それまでの日記は こちら 地下鉄1号線「王府井」駅のA出口は 東方新天地(ショッピングモール)の地下に直結していました。 地下はレストランなどの食品関係が集まっています。 そこでスーパーとかのぞいたり。 その前に夕食を何とかしなければ かといって女性一人で入るお店はかなり限定されてしまいます。 中国に来たらやっぱり中華なんですが、 量が半端なく多くて、一人ではちとツライ ↑1品のみをひたすら食べ続けなくてはならず。。。 やっぱりファーストフードが手っ取り早く、 マックもケンタッキーもスタバもいたるところにあるのですが、 それだとあまりにも芸が無さ過ぎる。。。 なので前に来た時から気になっていた、 中国系のファーストフードのお店に行ってみることにしました。 それがこちらの「真功夫」というお店。 直訳すると 真のカンフー 。 謎である。。。 でかでかと書いてあるこの中国語は このチェーン店のキャッチコピーらしいです。 直訳すると、 栄養はやっぱり蒸した方が良い なんだか妙に納得。 蒸すに力が入っていて説得力があります。 そりゃ油で炒めるよりも蒸した方がカロリー的によいでしょう、 ということで入ってみることにしました。 ここはメニューも写真付きなので、 オーダーもいたって簡単。 出てきた物はこれ このチェーン店のキャラクター(食器に注目)が、 ブルース・リーに限りなく似ています。 北京では珍しい白米の上に牛肉が乗ってます。 米文化の南方が資本の会社だと思われます。 詳しい値段を忘れてしまったのですが、 日本円で300円くらいだったと思います。 それから書店で頼まれた本を探したりしながら、 王府井大通りを北へ 王府井百貨大楼という老舗デパートです。 この大通りはいつも歩行者天国なので、歩きやすいです。 そしてヒルトン北京・王府井に到着 まだ時間が早かったので、 エグゼクティブ・ラウンジに行ってみました。 なんとそこには、たくさんのお料理が並んでいました。 温かい料理もたくさん 18時からのカクテルアワーに、 オードブルをはじめ、食事もサービスされるようです。 常駐のコックさんもいて、 お料理も作ってくれます(これは日替わり)。 この方は、朝は卵料理担当になります。 こんなことなら真功夫で食べるんじゃなかった でも食べたかったからよしとします。 あとここにいるスタッフの皆さん、 美人で、背が高くてスラリとしていて、英語が堪能で、 ちょっとはにかんだ笑顔が素敵で、優しくてよく気がついて、 もう完璧でした ここは無線でインターネットがOKです。 客層は単身の男性ビジネスマンが半分、 世界中から来たカップルが半分←いろんな言語が聞こえた。 それでここで頼んだもの。 オ-ドブルを少し(本当は点心とか食べたかった)。 マンゴープリンとかスイーツをたくさん。 フルーツとコーヒー(デカフェを指定)も。 ここから見えるビューです。 先ほどのデパートの時計台と、 その奥にライトアップした故宮の天安門が見えました。 さて、部屋に戻ろうとドアの前に立つと、 なんだか中国語がきこえてくる、誰もいないはずなのに おそるおそるドアを開けると、良い香りもします。 ターンダウンサービスが入ったようです。 謎の中国語はラジオの音でした。 (なぜ音楽とかではなくて、中国語のラジオなのか?) こんなサービスに慣れないもので ほんとうにギョッとしてしまいました。 良い香りの正体はこちら。 そして家人が日にちを超えた深夜に到着しました ユナイテッド航空も1時間遅れだったそうです。 家人(中国語は全くNG)は日本から予約した 北京散歩さんのチャータータクシーを利用しました。 こちらは前回利用した会社で、 とっても良かったのでリピートです。 「空港送迎プラン」をお願いしたのですが、 今回も素晴らしい対応でした こうして長い初日も終わろうとしてます、2日目につづく。
2009年11月15日
さてホテルを出たのはもう夕方になってしまいました。 ここからどこへ行こうかといろいろ考えた末、 最近の北京で注目のストリートの南鑼鼓巷に行くことにしました。 四合院という昔ながらの伝統的な家屋が並ぶ町並み、 それらを改装したインテリアのカフェやショップが、 外国人観光客の話題を呼んでいるらしいです。 でも旅行前に今習っている中国語の先生に、 「南鑼鼓巷へ行こうと思うのだけれど」と言ったら、 「知らない」といわれてしまった どうやら最近ブレイクしたストリートらしいです。 日本の古いガイドブックにも載っていません。 ANAのサイトには出てます→こちら さて南鑼鼓巷を日本語で何と読むのか謎ですが、 中国語では ナン ルオ グゥ シァン と読みます。 ピンイン(発音記号)では、 nan2 luo2 gu3 xiang4 となります。 後ろの数字は声調記号で、2声とか4声という意味。 南鑼鼓巷は最寄の電車駅が無いので、 ちょっと行きにくいところではあります。 まずヒルトン王府井の最寄り駅の地下鉄5号線「灯市口」から、 2つ目の「張自忠路」で下車。 北京の地下鉄は一律2元(約27.5円) どこまで乗っても均一料金です。 「張自忠路」駅のA出口を上がったところ 張自忠路という道路に面しています。 出たところにバス停がありました。 Googleで調べた地図によると、 ここから南鑼鼓巷まで歩けない距離ではないのですが、 せっかくだからバスに乗ってみようと思い、 旗を持ったバス会社の係員に聞いてみました。 北京のバス停には常駐の係員がいることが多いです。 そうしたら「ここで待っていろ」と案内され、 そこへバスが来たので「それに乗るように」といって、 バスに押し込まれました。 バスの運賃は1元(13.75円)。 車掌さんに行き先を告げて払います。 降りる停留所は「鑼鼓巷」というところらしい。。。 どうやら南鑼鼓巷のほかに北羅鼓巷というのもあるようです。 ↑あとで判明 バス停を降りて進行方向に歩くと、 すぐに入り口を示す牌楼がありました。 ここの街並みはこんなかんじ。 おーっ、何だか良いかんじです。 ここは欧米人が多かった。 というか欧米人だらけ、というか。 聞こえる言語も英語だけではなく、スペイン語などいろいろ。 皆さんガイドブック片手だったり、 (外国のガイドブックに詳しく出ているのかな?) ツアーの車で乗り付けたりされてました。 今回このストリートを南から北上するルートにしましたが、 その理由はこちらの店に寄りたかったから。 北京巨亨刻字社という判子屋さん(印章といった方がよいかな)。 まずここで印鑑をオーダーしようと思ったからです。 彫ってもらうのに時間がかかるのと思ったのですが、 店番の女性がまるで売る気無し。。。 なんだか期待はずれで店を出ました。 ひょっとしたら単なる留守番の方だったのかもしれません。 欧米人が多い客層を反映してか、 アルファベットの名前の印鑑も置いてありました。 デザインも洗練されていただけに、残念 このメインストリートの横道にあたる胡同は、 こんな昔ながらの風景でした。。 この周辺の胡同は清時代後期の高級官僚の住居だったそうで、 保護指定を受けている四合院も多くあるそうです。 南鑼鼓巷には素敵なお洋服屋さんや、 雰囲気のよいカフェとかもたくさん。 ここは同性のお友達と来ると楽しいかも 行列のお店を発見! 宮廷風ミルクデザートのお店です。 並んでいる人の頭で判断していただきたいんですが、 ここだけものすごい人でごった返しています。 行列を見ると反射的に並んでしまう関東人の私。 この時は見本がショーケースに無くて、 オーダーにかなり手間取りましたが なんとか頼んで出てきたもの。 コーヒー味でした。 かなりサッパリしています。 ただ飽食の国からやってきた私にとっては、 特に美味しいとは思わず、まあ普通のお味でした。 ここらあたりでポツポツと雨が もう南鑼鼓巷の北の端に近いので、 急いで鼓楼東大街(大通り)に向かいました。 この大通りは名前とは違って2車線の狭い道で、 おそろしく渋滞して、車がまったく動かない状態でした。 その道を地下鉄の駅方向の東へ 3~4分くらい歩いたところでバス停発見! 「小経廠」という停留所でした。 中国のバス停には行き先と停留所名が全部書いてあり便利です。 見てみると地下鉄の「北新橋」駅付近まで行くバスがあったので、 雨だったし、バスを待つことにしました。 雨の中、大渋滞の中、待つこと20分。 これまた激混みのバスがやってきました これに乗らなくちゃ帰れない~、と思い 係員の旗を振りきり乗り込む私。 ↑地元民の横入りで後ろになったけど、 最初の方から並んでいたし。。。 足の踏み場も無いほどの満員バスに乗ったものの、 最寄の「北新橋路口西」で降りれるか心配だったのですが、 周りの人も皆さんそう思っていたらしく、 お互いに「シャーチャー」と聞き合ってました。 私にも聞いてこられたのですが、 巻き舌が強くて意味がわからず しばらくして「下車」=「降りるの?」ということが判明。 こんな簡単な中国語が理解出来ずに、しばしへこむ。。。 「北新橋路口西」は地下鉄の最寄り駅ということもあり、 降りる人も多く、無事に降りることが出来ました。 アメリカでバスを降りる時は「揚げ豆腐=I get off」ですが、 中国では「シャーチャー」で! 「北新橋」は来る時に降りた「張自忠路」の次の駅なので、 南鑼鼓巷をちょうど地下鉄一駅分歩いたことになります。 これに乗ればヒルトンの最寄り駅「灯市口」駅まで3駅ですが、 まっすぐ帰るのもつまらないし、夕食もとりたかったので、 ここを通過して「王府井」駅まで行くことにしました。 「東単」駅で1号線に乗り換え「王府井」駅へ、つづく。
2009年11月13日
今回泊まったホテルはヒルトン北京・王府井です。 それまでの日記はこちら 北京にヒルトンは3つありますが、 こちらはオリンピックに向けて2008年にオープンした、 新しいホテルになります。 5つ星のホテルですが、 ヒルトンのカテゴリーでは5になっています。 (最高はカテゴリー6) 今回はエグゼクティブ・ルームに宿泊しました。 お迎えしてくれたのはベッドの上の、 くまさんです。 ここまで1人旅だったのでとっても嬉しかった シャープ42インチのアクオス、DVDプレーヤー、 そしてiPodプレーヤーが完備。 デスクは広くて、仕事がガンガンはかどりそうです。 きっとビジネスで宿泊の方もおおいのでしょう。 キャノンのプリンターまで置いてありました。 机の上にあるのはウエルカム・フルーツと、 羽田空港で確保したおにぎりです。 北京は白米を食べる習慣がないので(小麦主体です)、 いざというときの非常食に カーテンは上下に締まる障子風ロールカーテン、 左右に締まる遮光カーテンとも電動式です。 デスクから見た客室です。 窓からドア横のクローゼットまで一直線に並んで見えますが、 可動式の壁がついているので、 それぞれを区切ることができます。 ソファ横のキャビネットを開けると、ミニバーです。 コーヒーメーカーもありました。 洗面台横のバスタブ。 バスの丸いミラーの下はテレビです。 テレビを見ながらバスタイムも可能 日本の番組はNHKを受信できました。 ヒルトン・ハワイアンヴィレッジのワイキキアンと同じく、 部屋の中にバスタブがあります。 北京は恐ろしく乾燥しているので、これは助かりました。 今回の滞在では部屋の乾燥に悩まされることはなかったです。 ここでお迎えしてくれたのが、 あひるさんかな。 「あなたのお家のお風呂場につれてってね」 と書いたタグをつけてます。 アメニティはいつものクラブツリー&イヴリン ボトルがチューブタイプで、かなり大きいです。 ここのバスタブレットは初めてかも。 洗面周りのメーカーはこれもおなじみのコーラー社製。 その他バスローブが人数分あり。 この後ろにシャワーブースとトイレが それぞれ独立してあります。 シャワーブースは天井からのレイン・シャワーと 角度を自由に変えられる2つのシャワーが設置。 特に天井一面から降り注ぐレインシャワーは優秀で これだけで身体は充分に暖まります。 ただドアが両方ともガラス張りなんですよね。 まあここが1ルームだと思えばよいのですが、 基本的にカップルか、シングルユース向けなのだと思います。 クローゼットはドアを入ってすぐ横にあります。 かなり広くて、ここにも誰か泊まれそうです。 スリッパも完備。 全体に落ち着いたトーンで、 モダンで洗練されたインテリアです。 ここで電気のスイッチの位置を確認したり(多いんです)、 パッキングをといたりしていたら、 もう4時近くになってしまいました。 でもせっかくだからこれから街へでかけます。 ただ予定していた美術館や史跡関係は、 入場時間の関係でもう無理です(どこもだいたい16時まで)。 今にも降り出しそうなお天気がちょっと心配。。。 つづく。
2009年11月11日
北京首都国際空港から王府井にあるヒルトンへ向かいます。 それまでの日記はこちら 王府井は東京で言えば「銀座」みたいなところ。 故宮、天安門広場の近くです。 さて、今回家人より言い渡されたミッションは次のとおり。 ・先に北京入りしてチェックインをすませる ・水物・刃物類を全部持っていく 家人は東京で仕事をしてから深夜到着のため、時間短縮で 荷物は預けず、手荷物のみで北京入り予定。 その分、私の荷物が巨大に 上から2番目のサイズのリモアをコロコロと引きながら、 北京機場快軌 (北京首都空港エアポートエクスプレス)乗り場へ。 右奥が有人のチケット売り場です。 北京の交通機関全部に使えるチャージ式のICカードを 購入したかったから有人カウンターへ。 これは東京のSUICAやPASMOにあたるもので、 切符を買う手間が省けるのであれば便利ですよね。 でも窓口では「売っていない」と言われてしまい 私の中国語がまずいのかと思い、英語でも確認したのですが やっぱり無いといわれてしまいました。 結局滞在中、このカードは購入できず。。。 どこの駅の窓口で聞いても「メイヨウ(没有)」と言われ もしわかる方、お教えくださいませ。 そしてこれがエアポートエキスプレスです。 途中第2ターミナル経由で、終点の東直門まで。 料金は25元、所要時間は約25分です(1元=13.75円)。 右側の車窓にIKEA発見! (スウェーデンのインテリアのお店です) 中国のIKEAは安いらしいです この日は厚い雲におおわれています。 天気予報では夕方から雨だそうです。 終点の東直門から地下鉄2号線に乗り換えて、 一つ目の雍和宮へ。 そこで5号線に乗り換えて、4つ目の灯市口に ここまで多少の階段上げはあったものの、 自分でもビックリするほどスムーズに到着しました。 googleで調べた最寄り出口のC出口へ。 じつは私は方向感覚が無いに等しく、 地下鉄から地上へ出ると、都内であっても 現在地が把握でき無いことが多いのです 今回も同じで、出たところがサッパリわからない! Googleの地図をみてもわからない! 出口をあがったところの交差点。 大きなビルがザ・リージェント・ホテル←あとから判明 地下鉄の出口はその隣のベージュのビルの左端です。 このあたりは3月に来たときにバスで通ったはずなんですが、 この道、こんなに広かったっけ? リモワをコロコロと引きずりながら、 完全に方向を失う自分。。。 ザ・リージェントのドアマンが数人外にいたので、 道を尋ねると「あっちだ」と指をさす。 リージェントのドアマンは英語もOK。 まだ北京に着いたばかりなので、中国語に慣れなくて、 必ず英語で確認する私←怪しいアジア人かも。。。 で、「あっち」の方向に横断歩道を渡ると、 目印にしていた金魚胡同(フートン)がありました 上の写真はちょうど道路を渡って、 今たどってきた道を振り返ったところです。 ここまでくれば、もう大丈夫 ザ・ペニンシュラ北京を過ぎ、 澳門中心(マカオ・センター)が見えたら、その角を左折。 マカオセンターのビルに沿って歩き、 ビルの端を右折すると、ヒルトンの正面玄関です。 後ろのビルは、巨大ショッピングモールの新東安市場です。 この裏門から王府井大通りに出ることが出来ます。 ここにも数人のドアマンが立ってました。 チェックインを告げると、 リモアを受け取りフロントまで案内してくれました。 ヒルトンのスタッフは皆さん英語OKです。 日本語は使っていないので断言はできませんが、 おそらくNGだと思われます。 フロントには結構宿泊客がいましたが、 Hオーナーズの優先レーンがあったのでよかったです。 そこで家人から託された予約確認書を見せると、 16階へどうぞ、荷物はあとでお持ちします、 と言われました。 16階は最上階で、エグゼクティブラウンジでした。 ソファーに案内され、飲み物のリクエストをきかれ、 座ったままで無事にチェックイン終了。 これでミッション完了です。 Hオーナーズに個人情報が登録されているので、 宿泊カードはサインだけでOK。 中国の場合はこのほかパスポートと クレジットカードの提示が求められます。 部屋はエグゼクティブ・ルームだったので、 これからこのラウンジを利用できるようです。 さあこれから4泊を過ごす部屋へ、つづく。
2009年11月09日
さて、北京への一人旅のはじまりです。 今回は羽田空港(東京国際空港)からの出国です。 10月25日より、羽田=北京線が就航したばかりで、 フライトは9時30分発のNH1285です。 羽田からの出国ははじめてだったので、 事前にANAスーパーフライヤーズに確認しておきました。 その他もっといろいろ情報を集めたのですが、 羽田の情報量がとても少なかったので、今回はちょっと詳しく。 まず羽田第2ターミナルの到着ロビー(要注意)からバスに乗ります はバスを降りたところ。 このバスがもう超満員で この人達がみな国際ターミナルへ向かうのです 国際線ターミナルは、びっくりするほど小さいです。 たくさんの人でごった返していました。 それもそのはず、この9時半までの1時間の間に、 こんなに便があるのです。 スターアライアンスには優先レーンがありました。 これはとても助かりました。 このすぐ左隣がJALのカウンターです。 出国ゲートは2階にあります。 この時間帯は非常に混雑しているときいて覚悟はしていましたが、 やはりこちらも混んでいました。 とりあえず、ラウンジに直行です。 羽田にはエアライン単独のラウンジは無く、 全エアライン共通のラウンジになります。 スターアラインスの人も、JALの人も同じラウンジです。 ですので混んでいる時は「喫茶券の配布で対応」と聞いていたので、 とりあえず席だけは確保しようと思いました。 ラウンジはビジネスマンが圧倒的に多かったです。 こちらも最初は混雑していましたが、 ソウル行きが出発したら空いてきました。 ラウンジには食べ物は無いと聞いていましたが、 おにぎりとパンがありました。 ただこれを撮影中も、どんどん持っていかれてしまい、 あっという間に無くなってしまいます。 あーっ、ラス1の鮭のがぁ。。。 皆さんラウンジを出るときに2、3個わしづかみにして 持って行かれてしまうのです。 そして規模は小さいながら免税店もありました。 個人的には関空と同じくらいの規模だと思いました。 化粧品はアナスイがど真ん中です。 ここまでなんだかんだと羽田については ネガティブなことを書いてしまいましたが、 なんといってもアクセスは良い!(成田は遠い。。。) 羽田、やっぱり便利です ただハブ空港化への道のりはまだまだ遠そうですね。 ここからまたバスに乗って飛行機に向かいます。 その前に優先搭乗があるので、 ステイタスの高い人からバスに乗れます。 介護が必要な方、赤ちゃん連れの方も大丈夫ですよ。 ここは昔懐かしいタラップでの搭乗でした。 北京空港での受け入れが整っていないとのアナウンスが入り、 この日は45分遅れの離陸になりました。この間は機内待機です。 ただ到着は定刻どおり、12時35分に北京首都国際空港に到着 時差は1時間、気温はかなり低く感じました。 新しい第3ターミナルです、広いです。 この歩く歩道を延々と歩きます 途中で新型インフル対策の健康申告カードの提出があります。 体温も赤外線で測ってますので、機内の飲みすぎには注意ですよ。 そしてシャトルに乗ること5分。 ようやく到着ロビーに着きました。 まず空港内のATMで両替をしました。 レートは1元=13.75円でした。 そして北京機場快軌 (北京首都空港エアポートエクスプレス)と 地下鉄を2つ乗り継ぎ、宿泊先のヒルトン北京・王府井へ。 荷物もあるのでタクシーの方が圧倒的にラクなんですが、 1人なのでタクシーはちょっと怖いし、渋滞も心配。 なので公共の乗り物で向かいます。 これですと1時間以内にホテルに到着できるはず。 料金は25元+2元でOK。 さあ、無事に着くことができるのか、つづく。 2009年10月の情報です こちらの中国語は初級レベル、英語はOK(のはず) 両言語とも会話学校にて現在学習中
2009年11月06日
年末近くなると家人がつぶやく言葉。。。 それは、「足りない!」。 それが年によってエリート会員維持のためのマイルであったり、 ホテルポイントであったり。 今年足りなかったのは、ずばり「ユナイテッド航空のマイル」。 ヨーロッパに行かなかったのが大きかったらしい。。。 足りないのはあとほんの少しで、近距離でOK。 となるとユナイテッドが運行している近距離は台北か、北京。 皆さんならどちらへ行かれますか? 私は北京へ。コレに乗って。 10月25日から運行した羽田発の北京線 新しい物好きなんです。 今回の修行僧は家人。 私はユナイテッドとは関係ないので、ANAの特典で(=タダです)。 一足お先に1人で飛び立つ←ユニテッドは夜着ゆえ そこでは可愛い方々との出会いが。 そして観光地化されていない万里の長城へ。 雪です、初雪だそうです まさに銀世界の「天空の階段」。 金山嶺長城から司馬台長城への12キロのトレッキングを敢行! この尾根づたいに歩いて行きました。 SMAPの草薙くんと香取くんが二人三脚で走破したところです。 そして前回時間切れで行けなかったところへのリベンジも。 天壇(世界遺産)です。 この日は雲一つ無い「ど快晴」 前回(3月)空き店舗が目立った前門大通りは、 ほぼテナントが埋まっていました。 H&Mは日本より安いような気がする。。。 ここでちょこっと足りない物を購入。 中国だから安いのかと思ったら、 ユニクロは日本より高かったりする(謎)。 近くにZARAもあったり(近々開店予定)。 ということでハワイの日記も完結していないのですが これからは北京日記をくわしく書いていこうと思います。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 今回のエアー:往路 ANA 復路 ユナイテッド 宿泊ホテル:ヒルトン北京・王府井 ←とても良かったです
2009年11月05日
全586件 (586件中 401-450件目)