2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全30件 (30件中 1-30件目)
1
(小説は今日も、お休みです。昨日の出来事から。)昨日は前もって高輪プリンスのサクラタワーで後輩の送別会をやりました。丁度、桜の花は満開で運良く桜を見ながらお別れです。会社の後輩は福岡の博多から単身で東京に出てきて、4年で、東京で旦那さんを見つけて博多の実家を継ぐのに、旦那を連れて実家に帰ります。僕は彼女の婚姻届の保証人になりました。彼女と彼の希望により、サインをする事になりました。お疲れさん!結婚おめでとう。僕は、相変わらずこの街でやって行くよ!戦友を無くしたみたいで、ちょっと寂しいけれど、大丈夫、君が心配してくれる事など、何も無いよ。一人は慣れっこなんだ。山の様な仕事に囲まれて、いつもどうりさ。僕は、シートヒーターを入れて、車の屋根を開けて桜を見上げた。ヒラヒラと桜の花びらが車の中に舞い降りた。東京の桜は僕に優しかった。どうか、みんなが幸せであります様に。
2004.03.31
今日はちょっと、小説はお休みです。桜は何故こんなにも僕らの心に残るのか?きっと、儚い命をこんなにも美しく精一杯一瞬に生き様とするからではないだろうか?22歳の頃、4歳年下の彼女とつき合っていた。とてもかわいい、優しい子だった。彼女は僕の為に桜茶を作るんだと、桜の花びらを採りに彼女の家の近所まで付きあわされた。彼女の家の裏山には、竹林と、少しはなれた所に桜の木が木洩れ日の中に立派に生えていて、優しい風が吹くたび桜の木は、僕ら二人に微笑みかける様に花びらを少し散らせた。僕は彼女に問いかけた。「あのさー、何で桜茶を作ろうと思ったの?」彼女は恥ずかしそうに少し目をそらしてこう言った。「来年、私が作った桜茶をあなたといっしょに飲む為、ほら、桜茶って、おめでたい席で飲むでしょう?いつか、そんな日が来るでしょうから、その時に困らない様に、今から準備したいの。」僕は桜の花の咲く頃になると、彼女を思い出す。あの頃が人生で一番幸せだったのかもしれない。中野にある、病院に私の祖父は入院していた。僕が大学生の頃だった。祖父は後何日ももたないと医者に言われて、僕は彼女を連れて祖父の病院にお見舞いに行った。小さな頃から、中野坂上に住む祖父が僕にとって唯一の祖父だった。父の祖父、祖母そして母の祖母も僕が生まれる遥か昔に亡くなっていたからだ。僕が病院に見舞いに着いた時には、祖父は酸素マスクをしていた、息は荒く苦しそうだった。僕は何を話して良いのかわからず、祖父に話掛けた。「おじいちゃん、がんばって、今日は桜がきれいだよ!窓から見えるだろう?」彼の目から、一筋の涙が頬をつたった。そして、祖父と孫の僕にとってそれが最後の会話になった。病院の窓から見えた霞みがかっていた、桜を僕は今でも思い出す。 終わり。
2004.03.30
16の頃、僕は街の寂れた映画館のレイトショウに野球部の島ちゃんと、ちょっと不良ののっさんと3人で出掛けた。僕らは同じクラスと云うだけでこれといったつながりも無かったし、趣味も違うのだが、何故か気が合った仲間だった。3人の内誰が映画に誘ったのか、記憶に無いが、のっさんは確か、成人映画に行こうと誘ったのだったと思うが?何故か、僕らはロッキーを見た。時間潰しだった様な気がする。大体、この当時は映画館は人気が無くどこも閑古鳥が鳴いてた時代だった。「順ちゃん、これ見ようよ!」のっさんは、「何か、ボクシングみたいだし、面白そうだね?」と僕に二人は云うのだった。僕は面白いかわからないけど、時間潰しになるのだったら、(何故か?あまり早く家に帰りたく無い事があり)「じゃあ、これにしようか?」ゲームセンターのインベーダーゲームじゃ、時間ももたないので、三人で見ることにした。映画はロッキー1、ロッキー2の二本建てだった。僕ら3人は映画館から、出て来るころには、ロッキーになっていた。(笑)30過ぎのフィアデルフィアの夢しか持たない若者が降って沸いた様なチャンスをものにしようと、戦うシルベスタースタローンに僕らは、アメリカの懐の深さに胸躍ったし、愛するエドリアンの為に戦うロッキーはまさに僕らの理想だった。又、メガネを外したエドリアンが美人だった事にも、驚かされた。僕ら3人は、いつかこの街を出て、ロッキーの様に夢を掴む事を誓うのだった。男は単純な物が好きで、それは、大人になっても変わらないのだと思う。 つづく。
2004.03.29
16歳って、子供でも無く大人でも無くあやふやな年齢だけど、僕の人生において、沢山の事を感じていた事だけは確かだったと思う。僕が多感なこの頃過ごした街は、どちらかと云うと、裕福では無い街だった。街の駅をはさんで、千人ほど人が入るコンサートホールが在り、その反対には映画館とバーなどが同居している、アーバンヒルと云う、モダンな建物があった。16歳の僕は、数多くのアーティストのコンサートに出かけて、勉強するんだと決心した。暇があれば、この街の映画館と、コンサート会場に足を運んだ。 この街の良い所は、東京からも近い事もあり、ブレイク前のアーティストが、その足がかりとしてやってくる事が多かった。名前も知らないミュージシャン、ザ ベストテンなどほとんど無関係な人達!だから、千人程のコンサートホールなど、プロでありながら、ほとんど観客も居ないコンサートが多かった。まるで僕はニューヨークのアポロシアターに居るように、いつもワクワクしていた。街から街へ、夢を運ぶアーティスト!この人達は本当に何の為に、歌うのだろう!本当に、みんなハングリーだった。幸いにも、この小さな街のコンサートホールに通っているうちに、おそらく、この人は成功するだろうと云う予感みたいなものは、感じる事が出来る様になっていた。80年代はまさに夢を見るミュージシャンが毎日どこかのコンサートホールでコンサートをやっていた。僕の住むこの街のコンサートホールも御多聞に漏れず、当時無名の人達が沢山やって来た。アルフィーはコンサートホールで欲しくも無いレコードを自分達で、サインを付けて売っていた。メインボーカルは坂崎さんだった頃、ファンは女の子ばかりで、売れないフォークグループだった。又、浜田省吾は、まったく無名で僕を含めて、千人入るホールで客は20人しかいなかったが、ロックしていたし、ハウンドドックは、300人入る映画館でコンサートをやっていたり、森田童子や、因幡晃それに中島みゆきは暗かったし、長渕剛は、感動と勇気を僕に与えてくれた。僕は早くこの街から、抜け出したかった。必ず、ビックマネーを掴んで、この街を出て行くんだと、16の夜決心するのだった。 つづく
2004.03.28
僕がサッカーが好きだったのは、シュートを決めればヒーロに成れたから。とても単純な動機だった。ただ、ドリブルで相手を抜き去る事が好きだった。野球だったら、空にボールが吸い込まれるのが、好きなのといっしょだと思うし、高橋尚子選手が走る事が楽しいと云う気持ちはよくわかる気がする。元々、スポーツにしても、音楽にしても、楽しいから、始めるのだが、僕も御多聞にもれず、そこに、大人達のエゴが見え隠れするようになると、一気に冷める。それは、組織だったり、強制だったり、好きで始めたサッカーだったが、僕らは、三年生の春までで、見切りをつけるのだった。こんな試合じゃ、県大会で勝てないぞ!お前達全員ボーズ頭だー!とか、学校の為に恥ずかしくないのか!とか、根性が足りない!何やってるんだー!!とか、もううんざりしていた。僕は自分が好きだから、サッカーをうまくなりたいんだ。こんな少年時代だったから、大人になっても、組織という物に馴染めないのかもしれない。だから、高校野球は大嫌いだった。ヤキュウハイイヨナ。ウマクイケタラ、プロガアル。ヤキュウダケ。春の大会には、ベスト4に入り県大会に出る事が出来、高校の特体生のスカウトも来た。僕は2回同じ所を骨折して、3ヶ月でレギュラーに復帰していたので、ドクターストップもかかっていた。100人以上補欠がいて、怪我の一つで、お払い箱になったら、たまらない!僕は悩んだ。変わらない物を選びたい。大人達の思惑に振り回されるのは、もうたくさんだった。僕が僕であるために。 つづく。
2004.03.27
僕は焦っていた。学校やら社会やら、これからの未来について、何一つ答えを見つけだす事が出来なかった。何の為に勉強するんだろう?将来のために!本当にそうなんだろうか?何が好きなんだろう?ギターは相変わらず好きだったし、コンサートも聴きに行くのは好きだし?何の為にサッカー続けるんだろう?(先輩達は、ラグビーに転向したりしていた。野球以外は将来食べて行けないから。)サッカーで進学しても、将来プロは無いし、僕が社会人になる頃には、サッカーは食べて行けないし(事実、サッカーのプロ化は、ずーと先だった。) そう、答えは出ていた。サッカーは今年の夏まで。県大会で、優勝する事その後は、好きな音楽で、飯が食える様に成る事。と、自分の中で目標を立てる事にした。ムラカミが僕の中に残してくれた事は、悔しさと、情けなさと、諦めと、それでも彼女を好きだと云う気持ちが、リアルな現実に立ち向かわしてくれたのだと思う。ムラカミが居なくなってから、ミワとはあまり話さなくなっていた。いや、僕がミワを避けていた。もし、僕がムラカミに交換日記を頼んでいたら、彼女は受けていてくれたのだろうか? 「順一君、話があるの!」ミワの声が背後でした。僕は素直に聞ける気がしなかったので、聞こえない素振りでその場を去った。「ミワを支えてあげて!」とムラカミの声が頭のどこかから聞こえて来たが、とてもそんな気持ちになれなかった。ミワに対して被害者意識まで芽生えて来たのも事実だ!僕の気持ちは、ミワのせいで、ムラカミに伝わらなかったのだ!もう一方でそんな気持ちが頭をもたげて来た。暫くはほっておいて欲しかった。僕は、将来の事、生きている意味について、ムラカミの事、すべてが、ごちゃ混ぜになって何も考えられなくなっていた。ただ漠然と思ったことは、好きな事で生きて行けたらどんなに幸せだろうと云う事だけは、唯一僕が出した答えの様な気がする。 つづく。
2004.03.26
すっかり、日が暮れるのも早くなり、とぼとぼと帰る頃にはどこの家にも窓越しにツリーの明かりが見える季節へと変わって行く頃に、ムラカミの一家の去った商店街の呉服屋は、すぐには、借り手も付かず、借り手を捜す看板が、ショーウィンドウーに張られてままだった。あの日、僕の鞄の中には二冊のうちの一冊の日記帳と、手紙が入っていた。 順一様前略先日のあなたの話とてもうれしかったです。どうもありがとう。こんな私の事をあんなふうに思ってくれていたなんて、本当に感謝です。あなたや、みんなに逢えなくなるのはさびしいけれど、じきに、みんなの記憶から私の事は消えてゆくと思います。ただ、あなたの気持ちは、どうぞあなたにふさわしい人にどうか向けてあげて下さい。心からあなたの事を思っている人がいます。その人は私の親友でもあります。お願いだから、彼女の気持ちに気付いてあげてください。あなたとの日記は彼女が私に勧めてくれました。どうか、私がいなくなってからは、私の親友ミワを支えてあげてください。遠くから、あなたの幸せを祈っています。又、逢いましょう。さようなら。 ムラカミ ヨウコ一瞬僕は心臓の辺りが締め付けられ、真っ暗になり、手紙の内容がよく理解出来なかった。どこまで、お人よしなんだろう。君の気持ちはどこにあるのだろう?誰も攻める事など、出来やしない。僕はただ途方に暮れるのだった。 つづく。
2004.03.25
長渕に歌にこんなのがあります。もっと銭が欲しい!でっかい家も欲しい!欲しい物は山ほどあるー!だったかな?人間なんて、よくもまあ、欲深く神様は創られたものです。だから、清く美しいものに憧れるんでしょう!でっかい夢を見る事は人間の特権でしょう!いい人よりも、人に感動を与えられる人間になりたいです。 今日は元、仕事先の先輩と恵比寿の九十九ラーメンでご飯でした。出世よりも、上司に媚びるよりも戦う事を選んだ先輩と僕です。いつも仕事は命がけ!どの世界でも、プロは結果出して何ぼです。野球選手にサッカー選手、水商売も変わらないかも。僕が小説で、伝えたい事は実は愛だと思う。無償の愛!!人間として、愛する者を守る為にと云う事が、実は核になってます。まだまだ、小説は実は始まったばかりです。主人公、順一の成長をお楽しみに!ps-いいタイミングで九十九は食べれました。僕らの後は、20人ぐらい並んでしまいました。マイウーでした。
2004.03.24
今日は小説はお休みにして、たまには、他愛無いお話でもしようかな?と云う企画です。昨日今日と、ドラマに釘ずけでした。もちろんプライドと僕と彼女の生きる道です。たかがドラマなんですが、主役の二人をみていると、僕はどうしても、剛君の役が好きなんだよね!自分なりに分析してみると、木村君は自分の力で成り上がるみたいな力強さ感じるんだけど、本当の強さ感じないんだよね。剛君の強さは、とことんどん底から這い上がる強さが見えるんだよね。つまり、木村君は挫折はかっこ悪いで、かっこよくこなすんだけど、剛君はカッコわるいんだけど、挫折によって、優しさを学習するみたいな所が自分に身近で、共感出来るのかなー、と分析しています。自分に回りにも、俺は仕事で一回も負けた事が無いと言う友達がいるけど、僕自身はあまり、羨ましいとは思わないんだよねー!負けたり、悔しかったり、挫折する事によって、学ぶものたくさんあるから、要は、どの様に失敗から、立ち直るか?が、重要だと思います。皆さんはどう思いますか?ご意見お待ちしております。
2004.03.23
次の日、帰りのホームルームの時間、担任の、ハイ皆チョット集まれ!の号令で、ムラカミは担任と一緒クラスの前の黒板の前に立っていた。担任は、辺りが静かになるのを待ってこう言った。皆さんにお話があります!皆さんといっしょにお勉強してきたムラカミさんがお父さんのお仕事の関係で、今月いっぱいで、隣町に引っ越すことにまりました。少し寂しいですが、皆さんにお伝えします。ムラカミは下を向き。小さくペコリと頭を下げるのだった。その日、僕の鞄に日記が戻って来るのだった。前略 順一様昨日はごめんなさい。そして、ありがとう。あなたは、私にとってもったいないぐらい、優しい人です。私にとっても、あなたはかげがえの無い友達です。あなたにとって、一番の友達でいたいです。お別れするのはとても寂しいし、みんなと卒業出来ないのは、寂しいですが、私の事は忘れないで欲しい。最後に、この日記は、一人一冊ずつで思い出として分けたいのですが、いかがでしょうか?と、提案があったので、僕は承諾した。ムラカミの引越しはかなり急だった。その理由は。家庭の事情と云う事なのだが、2週間は、あっと云うまであった。その間、ムラカミと仲の良かった(特に僕や、大谷、ミワ)が中心となってムラカミの送別会を企画するのだった。僕と大谷はムラカミが好きだった、曲を覚えたてのギターで、練習するのだった。朝に晩にギターケースを抱え、ひと気の無い音楽室で、ギターのコード進行を覚えながら、大谷と練習をした。今考えるととても恥ずかしくヘタなギターだったがクラスのみんなも、物珍しい事もあって喜んでくれた様に思う。 つづく。
2004.03.22
僕はせっかちな性格なのかもしれない?会話はお互いのキャッチボールなのに、どちらかと云うと、自分が話す方が聞き手に回るより、好きだし、おしゃべりの方では無いが、何よりスッキリするような気がする。今回も、ピノキオでまずは自分のムラカミに対する思いを、恥ずかしいながらも話した。彼女は、少してれながら、ありがとう。と言った。 順一君ありがとう。私みたいな子にもったいないよ。順一君の事もっと思っている子たくさんいるよ。だから、その時まで、とっておこうよ。その気持ち。と云うと、ムラカミは明るく笑った。実は、私からも話があったんだ。とムラカミな飲みかけのミルクティーをスプーンでゆっくりとかき回しながら話始めた。実は学校では、誰にも言って無いのだけれど、私の家の呉服屋が、父の都合で商店街から、引越しをする事が決まったの。同じ市内で、ここからは近いのだけれど、残念ながら学校は転校しなければならないの。ムラカミは小さな声で言った。僕は一瞬彼女が言った事が理解できず、この世のすべてのノイズが消えて何も聞こえなくなった。どれぐらいの時間二人は黙っていたのだろう。沈黙を破ったのは、僕だった。いつまでいるの、引越しはいつ?ムラカミは小さな声で答えた。今月いっぱいだと思う。急に決まったから。そして、言葉を続けた。順一君の事は好きだよ。友達として、一番の親友だと思っているよ。順一君程優しい人には、いまま出会った事が無いし、だから、大切にしたいと思っているの。そう言うと、下を向く彼女の目から、涙がこぼれていた。ピノキオを出て、商店街を抜けて僕は彼女の家の呉服屋の近くまで彼女を送った。僕の心は、鉛の様に重くなり、何とも言えない様な灰色な気分のままだった。友達、親友、彼女が消える、振られたわけじゃなく?嫌いでもなく、好きでもない?僕が欲しかった答えは白か黒だったはず。これじゃ、何だか、僕の思いは、どうしたらいいのか解らないまま、友達は、それ以上になれるのか?それ以下なのか?男の僕には、この辺の感情と云うのが理解出来ず、ましてや、恋愛の当事者には見えて来ないものがたくさんあるから、この辺の事が理解できるにはまだまだ時間がかかるのだった。ただ、ムラカミとの交換日記の時間はあまり残されていないと云う事実だけは、この日の唯一の答えだった。
2004.03.21
焦らすみたいでごめんなさい。今日はちょっと休憩です。今日は寒かったですねー。今日も仕事だったので、帰りに、新橋の赤提灯で、一人で焼き鳥なのだー!!なので、ちょっと今日は眠いのです。いつも、皆さん遊びに来てくれて本当にありがとう。日記書く事で、癒されます。本当に読んでくれて、ありがとう。本当に、ホームページ作って良かったです。今後共よろしく。PS-そうそう、プロフィールの所の写真は、ニューヨークの セントラルパークのジョンが好きな、 ストロベリーフィールドです。ファンがいつも、 お花を持ってきていました。 行きたかった、場所に一つだったので、 夢は、一つ叶いました。
2004.03.20
後から考えると、何故僕はこんな事にこだわったのだろう?こだわらなければ、みんなと楽しくやれたのに!自分を捨てても構わないじゃない!君が幸せになれるなら!言葉じゃ、色々ポーズとるけれど?最後にゃオイラの意地がある!真っ赤なマグマの様にフツフツと、心の底にドロドロと。裏と表のジキルとハイド!!ドウショウカ、ヤッパリ、ショウブする?彼女はミルクティー、僕はブラックコーヒーを頼みながら、フト、窓の外に目をやる。深呼吸一つしてから、こう言った。僕は君の事が好きで、切ないぐらい好きでこの思いを伝えたいと思った。君が何を考え、君が僕の事をどう思っているのか?知りたい。そして、出来る事なら、君の一番でいたい。と。どうしたら、この思いがムラカミに伝わるのか、一生懸命、照れない様に順一はうつむきながら、小さな声で話すのだった。 つづく。
2004.03.19
新聞配達の自転車の音が、家の前を通過すると、鳥達の声がして、夜から朝へと変わって行く事を知る。僕は日記帳の右半分に何を書こうかと迷って、朝を迎えた。 前略ムラカミ様いつも日記をありがとう。折入ってあなたにお話したい事があります。今日の夕方、もしよろしければ、街のはずれにある喫茶店ピノキオで待っていてくれませんか?あなたのお家の呉服屋の、一本裏の商店街のはずれの喫茶店です。待ってます。よろしく。 順一日記を鞄にしまうと、シャワーを浴びて、僕は朝のサッカーの練習に向かうのだった。グラウンドのゴールマウスの後ろは、通学路だった為、いつも、ゴールポストの脇からボールを転がしてもらいゴールキーパー目掛けてシュートするのだった。ボールを転がして貰う待ち時間僕は、ムラカミと親友のミワが登校して来るのを、発見するのが楽しかった。二人は、小さく手を振ってくれるのだった。 つづく。
2004.03.18
校舎の周りを囲む木の葉も落ち近所の農家の柿の木も実を付け、季節はいつの間にか秋になっていた。僕らの関係も、これと言って進展する事も無く唯、日記の交換だけは続いていた。書き綴る内容は日に日に少なくなっている事は明白だった。ムラカミからの日記はその日のクラスの出来事や、家族の事などが主で僕は部活の事や深夜ラジオのDJの話や、気に入った音楽の話などが主だった。いつの間にか日記帳は2冊目になっていた。僕はムラカミとの関係がこのままつづくにしろ、自分の事をどう思っているのか?僕がムラカミの事を好きな事を伝えなければ、僕の人生が前に進まない様な気がしてならなかった。僕の気持ちは真さにロックで、 I LOVE YOU ,I NEED YOU,IWONT YOU,だったのだ。この気持ちだけは、もう止める事が出来ない状態だった。まるで、真っ暗な青春という出口の無いトンネルで光を求めて走り続ける暴走機関車の如く!純粋にそして一途に生きる事が僕である証の様な思いだった。ある夜、ムラカミの写真を見ながらある決心をした。日記に書けないこの思い、伝えなければこのまま続くかもしれないけれど、もし、ムラカミを失う事になっても、後悔しない、彼女にこの思いを伝えたい!賭けにでるんだ。(そうだ、大丈夫!うまくいくさ!ウマク。)ラジオから、午前四時の時報が静かに街が寝静まった闇に響いていた。 つづく。
2004.03.17
皆さん、ここまでの小説はいかがでしょうか?まあ、この物語は、これで完結するまで、続けるつもりなのですが、独りよがりかなー?皆さんのお役に立つような企画も、書こうと思っています。なかなかこの物語も、音楽の話に発展しませんが、長編を始めて書くので、本人も、チョット大変です。この主人公はの性格は?とか、舞台設定は?とか、ご質問お待ちしております。よろしくですぅー。
2004.03.16
それからの僕は、毎日が充実した毎日だった。部活にギターの練習にそして何より毎日の楽しみは彼女との交換日記だった。日記のやり取りは相変わらず廊下に置かれた僕の鞄の中だった。お互いに日記を手渡し出来る様な度胸も無いし、クラスの奴らに知られて冷やかされるのも困るしお互いの秘密と云う事だったが、お互いの友達である大谷と彼女の友達ミワだけは、この事を打ち明けていた。そんな事もあり、四人で休みの日に出かける事もあった。所謂、グループ交際かな?しかし、大谷とミワはどんな気持ちでいつもいっしょだったのかは、わからないが、四人で後楽園遊園地に行った。ムラカミの提案で、お化け屋敷に行く事になり、僕とムラカミ、大谷とミワのペアーで入り、僕は情けない事に冷や汗をカキながらほとんど下を向き青ざめて出て来たのを覚えている。ミワも性格的にムラカミとは反対で、どちらかと言えば大人しい感じの子で、活発で男の子っぽいムラカミとは正反対のタイプだったために、ムラカミは、順一、次のジェットコースターは、大谷君と行ってくるから、ミワの面倒見ててね!と云うと二人は笑いながら、行ってしまった。僕とミワはその場に残されるのだった。あまり、ミワとは面と向かって話した事が無かったので、少し話しが途切れた。ムーコは明るくていい子だよねー!結構男子から人気あるし、とミワは僕に話かけて来た。順一君が、ムーコの事好きなの解るよと言うとミワは下を向いた。それを見ていた僕も下を向くだけだった。こんな、たわいも無い、四人でのデートは何回続いたのだろう。確か、アリスのコンサートにも四人で行ったように記憶している。何とも、甘酸っぱい記憶だ。つづく。
2004.03.15
今日は、大変よく移動しました。仕事とは云うものの、全開でした。朝一番で、横浜から、神奈川県の逗子市に移動して、次は池袋に行きそしたら、川越のお客さんの所に行き、池袋へ戻って、後楽園に行き、終わって千葉県の流山市に行き最後に横浜へ戻って帰宅と。いったい、何のお仕事なんでしょう?(笑)クレームやら、商談やらでテンション上がったと思ったら、クレームで傾聴でしょう?何だか相手に合わせている分何だか性格が竹中直人の様に、顔笑いながら怒ったり出来そうです。あー今日も小説書けないや!明日書きます。皆さん御機嫌よう!!
2004.03.14
ちょっと、一休みで小説から2回ほどはずれます。今日は会社の後輩と渋谷で飲んでいました。途中から、後輩の彼氏もやって来て、食事をしながら飲みました。私の後輩は実家が福岡で、今回寿退社で、彼と実家の福岡に帰ります。東京に憧れて飛んできた彼女もこの4年で東京もお別れで、福岡に帰るそうです。東京なんて街は寄せ集めの文化で、地方から出てきた人間ばかりで、狭い街にこれだけ、ごちゃごちゃして、刺激的な街は世界中探しても東京だけでしょう。人情も薄っぺらく、嘘つきな人ばかりで、信用なんて成り立たないかも?東京で生まれてこよなくこの街を愛して、これからも、僕はこの町で仕事を続けて行く!戦友みたいな後輩が居なくなるのは寂しいけれど、どうかお幸せに!僕はこの街にいるよ。そうやって、いままでも暮らして来たのだから!寂しく感じるのは、年のせいで、少し涙もろくなった今日この頃です。
2004.03.13
僕には、忘れられない人がいます。どうしても逢いたいけれど、逢うすべが無い人が。あの人は僕の事を思い出してくれる事があるのだろうか?逢えなくなった原因はきっと僕にあったのだと思う。悲しいのは、君がその訳を教えてくれなかった事。僕の気持ちはあの時から止まったまま。時は流れ、今の生活があるけど、辛い時は何故かあの頃の二人思い出す。何故、こんなに君の事を思い出すのかわからないけど、一生のうちにこんなに人を好きになれるのは、たぶん無い。君にアイタイ。
2004.03.12
夢中になる事があると、時間が止まると云うけれど、それは本当かもしれない。それからの僕は、どの様な時間にギターを練習していたかよく覚えていない。部活が終わってから、そして、休みの日もひたすら練習していた。レコード盤からテープに曲を落として、何回も何回も同じ曲を聴きそして、本屋で買った、薄いソノシートのレコード盤付きの教本をコードブックを見ながら何度もギターのフレットと格闘した。そのうち、左手の指の弦を押さえる指の皮が剥けて、豆が出来るようになり、そのうち、血が出て、この繰り返しをしているうちに指の頭は固く平らになって行くのだった。そうこうしているうちに休みに日は、大谷の家に自転車の後ろにギターケースを抱えて、練習に行くのだった。初心者の僕は色々と大谷から学ばなければならない事が多く、教えを奴に乞うのだが、まあ、暗黙のルールみたいな物があり、セコイ話、大谷にとって後から始めた僕がうまくなって行くのは、脅威なのだ。だから、僕は耳を澄まして、奴のプレイを見逃さない様にと勤めるのだった。それが、慣れてくると、歌いながら、ギターを弾く練習に入るのだ。これが又難しく、得にアリスの曲はハモリがあり、この頃には画期的なグループだったが、歌などあまり歌った事の無い僕には大変な作業になった。何しろ、大谷はサイドボーカルの難しい所を僕にやらせるのだった。 つづく。
2004.03.11
今日は、初めて100軒越えました。皆さんどうもありがとう。今日は休みだったので、ホームページ、リンクを増やしたり、私の好きなアーティストのコメントなど、増やしてみました。ホームページの左右もクリックしてみて下さい。久しぶりの剛は、元気そうで何よりです。歌い続けると云う彼の仕事は大変だよね!恋愛にして、色々な思いも、年齢と共に変わって行くのに、ファンはそれを許さないからね、尾崎もそんなギャップに苦しんだと思うし、だから、今日も剛をテレビで見ていて思いました。苦しい時に、本当にあなたの歌に救われました。ありがとうございます。と。そして、いつか、あなたにお逢い出来ますように、今の私の仕事をがんばらなければと思う今日一日でした。
2004.03.10
ムラカミとの交換日記は、たわいも無い話題で順調に続くのであった。時々彼女は日記帳と家庭科の授業で作ったお菓子をこっそりと鞄の中に入れてくれたりと、どんなに僕にとって嬉しかった事か、懐かしく思う。そんな日記の中に度々、大谷の話題が上がるのだった。大谷君て、体育会系じゃ無いけど、ギター弾ける人って素敵だよねー!。私最近アリスの曲好きだなー、え、僕は君にとって、何?友達以上、恋人未満の関係デス。男は純情です。一途かも?でも、私はムラカミの事が好きだったし、友達以上と云う事はきっと恋人に昇格する事だってあるはずだ!今はその方法を見つけ出そう。そう思う事にした。ある時僕は大谷に声を掛けられた。大谷とは同じクラスで席も近くお互いムラカミの友達(僕は交換日記をムラカミとしてたから、友達以上だ!)と云うこともあり、彼はこう言った。ジュンイチ、俺と組まない?アリスのコピーをやろうよ!え、でも俺、ギター弾けないし、アリスって三人だろー?もう一人は?いいのいいの、アリスといっても、二人でいいんだよ!俺が谷村をやるから、ジュンイチはベーヤンのパートやればいいんだよ!ギターなんか簡単、俺が教えてやるよ!僕はこの大人っぽい、針灸師の息子大谷が神様の様に見えた。(何故、俺を誘ったんだろう?)とにかく、ムラカミにもいいとこ見せたいし、早速、次の休みの日に親に駅ビルの中の楽器屋のギターをねだるのだった。最初のギターは今でも忘れない、モーリスMO-25¥25000-のギターが僕の宝物になった。 つづく。
2004.03.09
同じクラスに大谷と云うクラスメイトがいた。彼は鍼灸医院も一人息子で、マセタた子供だった!彼の得意は、物真似で特にアリスの谷村新司が旨かった。当時文化放送のセイヤングで、パーソナリティーをしてい谷村新司はニューミュージックの最先端であり、アリスも売れてきた頃だった。何よりこの大谷がすばらしく思えたのは、何と、大谷はギターを弾けるのであった。それも、モーリスのフォークギターを奴が持っているらしいと云うことだった。ある音楽の時間にグループで演奏をする授業があり、大谷はオモムロにナイロン弦のクラッシクギターを取り出すと、ポケットから音叉と一枚のピックを出し、膝で音叉を叩くと口に咥え弦をピックで弾きチューニングを始めそれが終わるとストロークが大きな音に変わり大谷はワンマンショーを始めるのであった。そんな大谷を見つめるムラカミが大谷に声援を送る所を僕は見逃さなかった。何故なら、彼女はアリスのファンだったのだ。 つづく。
2004.03.08
グランドでは、江戸川の河川敷も近いせいもあって、春が近くなると、春一番が、グランドの砂を巻き上げて視界が霞む様になると、春が近い事を知る。ムラカミとの日記はいつもたわいない内容のやり取りだった。左のページに彼女が今日の出来事や楽しかった事を書き、右のページはそれを読み今日の部活の出来事や、テレビ番組の話や、好きなラジオ番組の話など、携帯メールがあの頃あったら、どんな会話を僕は彼女と交わしていたのだろうか?今みたいにリアルタイムじゃ無いだけ、思いは膨らんでいったのかもしれない。
2004.03.07
いやー、皆さん感想ありがとうございます。うれしいです、こんな私に小説にお付き合いいただき、ありがとう、御座います。今日は、クレーム処理で疲れました。今日は、本当の日記かも?こんな日もあります。人間だから、よろしくです。
2004.03.06
授業中、僕の斜め前にすわっているムラカミから、ミワへ、そして隣に座っている僕へと、綺麗に折ったノートの一頁にその手紙は丸い女の子らしい文字で、書かれていた。(ジュンイチへ、ミワに聞きました。お友達として、もし、良かったら交換日記かじめませんか?)そうかー友達かー?恥ずかしいから、ムラカミはそう言っているのかなー?まあ、自分の事嫌いだったら、交換日記やらないだろうから、喜ぶべきことだろうと、(日記は、サッカー部がいつも置いてあるカバン置き場のあなたの鞄の中に人目に付かない様に入れておきますので、私が書く時は、勝手あなたも鞄の中から日記をお借りしますのでよろしくね!ムーコより。)と書かれていた。僕はこの恋がうまく行くと確信したのだった。 続く。
2004.03.05
初恋っていつだろう?本当に意識して始まったのは13才の頃だったと思う。今考えるとあの頃の恋愛の方が大人になってからよりも、非常に複雑で感情よりも、セオリーを大切にしていた恋愛だった。当時僕は同じクラスのムラカミと云う女の子に恋をしました。街の商店街の呉服屋の娘で彼女は演劇部で、いつも、仲良し3人組のといっしょで(あれ、不思議だよね、リーダー格の子以外は絶対自分よりかわいい子仲間にいないよね!)帰りには部活があり、中々二人で話すチャンスはなかった。彼女は好きな奴おるのかなー?と考えながら、なかなか彼女と話す機会も無く、もちろんストーレートに聞く訳にも行かず、隣の席の女の子ミワはたまたま僕の隣の隣で例のムラカミの3人組みに一人だったと云うこともあり、色々と話す様になった。この、ミワと云う子はお世辞にもちょっとぽっちゃり目で、おとなしく僕のタイプではなく、ただ、彼女は僕の気持ちを察してくれたみたいで、ムラカミと交換日記をしたらどうか?と提案してくれるのだった。ミワがムラカミに何と言って交換日記を勧めてくれたかは、わからないがとにかく交換日記は、始まった。
2004.03.04
ラジオから流れて来る吉田拓郎は、静かに歌っていた、部活が終わって、朝早く起きた僕の心に確かに心に突き刺さり流星この歌が、僕の心を確かに動かした。当時サッカーは野球に比べると、プロも無く高校もラグビーなどに転向して、推薦入学する先輩も多かったので、本当にやりたい事は何なのか?考える事が多くなったのも、14の頃でした。そんな頃深夜のラジオはまさに僕らの人生の羅針盤のごとく同じ悩みを抱える同胞達の憩いの場所だった。音楽業界もまさに転換期だった。少し前から、テレビでは、ザ ベストテンが久米宏と黒柳徹子のコンビで始まり、ジャパニーズポップスはまさに演歌や歌謡曲から、アイドルやニューミュージックというジャンルでひとくくりにされた。60年後半から70年後半まで、フォークから始まりニューミュージックへと、進化して行った。そんな激動の時代に自然と音楽へ目覚めるのでした。
2004.03.02
今日も月初で忙しくたまりません。中々お話しが進みませんがもう少しまってくださいね。今日はいい夢みれるように、がんばります。それじゃ又あした。
2004.03.01
全30件 (30件中 1-30件目)
1

![]()
