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★ 三億円事件 関連書籍と 映像作品を ご紹介! ●こちらの記事は文字数制限のため フリーページ に移動しました。 (※ 現在編集中です) (2010年 12月)
2007年01月30日
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三億円事件 ★カローラ発見は4ヶ月後! `75年、時効完成! 闇に消えた犯人・・ 三億円事件 犯人逃走ルートを追え! (完結?編) --- 切り札、平塚八兵衛は単独犯説に固執したが・・ ▲1968年 ⇒ 2007年の第二現場をパノラマにしてみました。 おまわりさんの体が・・(笑) 近年の第二 現場周辺。 雑木林はきれい な芝生の緑地に 変わった。 (A)が前回の 「七重の塔跡」 からの撮影地点。 (B)は上写真、 右側の撮影地点。 辺りはとても静か で、時折ジョギング や犬の散歩の年配 者が通る。 この人たちの 間で第二現場や 三億円事件が 話題になること も もうほとんど 無いのだろう。事件から6年後、 `74年のようす。 まだ畑や茶色い 地面が目立つ。 下の家並みは 消えてしまった。 ▼ジュラルミンケースを積み替えたカローラは「!」のT字路で 左から来た親子の車と衝突しそうになる。 親子が「バカヤロー!」と怒鳴ると男はニラミつけたそうだ。 現金を奪って逃走中の犯人がしてはいけない行為だ。 (※地図内写真・10のT字路) 親子は地図右端の病院へ向かう途中で、 「カローラは左折しようとしたが出来ないので右折した」と証言している。 この目撃証言が最後で、その先の東元町3の交差点を直進、あるいは右左折したのか不明。 右折すれば府中刑務所側で、直進した先にはこのあとご紹介する「第四現場」がある。 あとで分かったのだが私は青い矢印方向へ迷い込んでしまった(笑)。 間違っているとは知らず、そのまま国分寺駅方向へ進み、さらに迷走。 電柱を見ると「本町」の文字が。 「エエッ!?ここはもしかして・・」 ●大量の遺留品などから 捜査は楽観視されたが 年が明け、行く手に 暗雲が垂れ込めた・・。 昭和の鬼刑事・ 平塚八兵衛が捜査本部に 参加、それまでの 「複数犯説」を覆し、 「単独犯説」を主張した。 事件から4ヶ月後の`69年 4月、空のジュラルミン ケースを積んだ逃走用 カローラが発見される! 場所は第二現場から北東 3,2kmの小金井市本町 住宅の来客用駐車場。 ●さらに犯行翌日の 12月11日に航空自衛隊 が撮影した航空写真に この車が写っていた からさあ大変! (左写真は6年後の物) カローラは犯行当日に 放置された可能性すら 出てきた! 捜査の怠慢と判断され 関係者が懲戒処分を 食らった。お気の毒・・。 取材当日、私はこの近くを あいかわらず迷走していた。 くそー、カーナビさえ あればなあ・・。 ジュラルミンケースは当然、カラ。 覗き込む捜査員たちがあまりにも 間抜けに見えてしまう。 当時、犯人はこの写真を見て せせら笑ったに違いない。 ・・かくして三億円事件の 犯人と真相は闇に消え、 事件から7年後の1975年、 時効が成立した・・。 ■参考文献 『三億円事件』 一橋文哉 新潮社 『雨の追憶 図説 三億円事件』 むらき けい 文芸社 ほか
2007年01月26日
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★延べ17万2千人の捜査員・・過労死した人も! 捜査費用・9億円以上!! 疑われ、人生を狂わされた人たち・・ 三億円事件 犯人逃走ルートを追え!(中編) --- 現金輸送車発見! 事件発生から1時間も経っていた・・ 国立 東村山 川崎 府中街道 東村山 東八道路 三鷹 ▲(前回の続き) 犯人はこの赤信号を無視して ▲現金輸送車は府中街道を猛スピードで北上。 右折!このとき大型ダンプとあわや衝突しそう ちなみに車は`64年型の黒塗りセドリック。 になっている。もし事故っていたら、ここで もし犯行現場で行員がキーを抜いて車を離れ 三億円事件は終わっていたに違いない。 た場合の対策は考えていたのか否か? ▲前写真の東八道路は事件当時は無かった。 ▲写真で見るより道幅は狭く、迷路のように 資料などから現在、角にデニーズがあるこの 入り組んでいる。ここらで一本道を間違えれば 路地に入り込んだ、と断定する。 時間を食って命取りになりかねないかも。 (下の地図・6) ・・ AM 9:30 (下の地図・7) (※ 黒枠内・航空写真での「今昔比較」を次回掲載します) ▲左折し、地図・8の地点。犯人はこの先で子供を ▲地図・9の地点。広い公園になっている。 幼稚園に送って帰宅中の主婦三人に思いきり 犯人は激しい雨の中、もうすぐ手中に 「泥ハネ」したため車のナンバーを通報された。 収まるであろう三億円を思い、心臓を この110番が逃走経路解明のきっかけとなった。 バクバクいわせながらここを右折したのか。 ・・AM 9:31 (注・この手前で右折した、という説もあり) ---いつまでも現金輸送車で逃げていては危ないに決まっている。 犯人は予め別の盗難車(`68年型カローラ デラックス)を用意し、ケースごと現金を 積みかえて逃走した。 ●・・直線の道をしばらく進むと、不思議な 胸騒ぎとともに屋根付きの看板が視界に 入った。「七重の塔跡」の説明らしきもの が載っていて周囲はそれっぽい雰囲気。 「・・ここだ・・」 左奥は工事現場のような黄色いバリケード で囲まれ、中はビニールシートで覆われて 「遺跡発掘中」 と書かれていた。 「ま、まさか三億円が出土する」なんてことは? ▲「第二現場」は「七重の塔跡から北西約50m、 ▲私にはこの木立が、左写真バックの木々の 幅約2.8mの農道から入った人けのない場所--」 成長した姿に思えてならない。ナンカ、似て 隣りには「H家のお墓」がある。輸送車付近には ませんか? 雑木林を整地した際、何本か 別の車が発進したタイヤ跡と無数の足跡が・・。 残された木々がこんなに成長したのですね。 ●次回はいよいよ、完結編! 迷走する筆者の「カーナビなし車」はどこへ行く?
2007年01月21日
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★一滴の血も流さない 「昭和のヒーロー」だったのか・・?? 三億円事件 犯人逃走ルートを追え! (前編) 1968年 12月10日 朝・・ どしゃぶりの雨だった・・ 《※ 2010年12月補足・この記念すべき第一回記事、今読むと顔から火が出そうな ほど恥ずかしい出来で(笑)削除したいくらいですが、これも「通ってきた道」 ということで、あえて残しました。 出来れば飛ばして次へ行ってください(笑)》 ▲この写真は差し替えました。タイトル・「42年目の白日夢」。 いかがでしょうか。 ●日本信託銀行・国分寺支店の 行員四人を乗せた現金輸送車が 東芝府中工場社員のボーナス 約三億円を届けるため出発した。 ・・ AM9:15 輸送車は定められた輸送ルート のうち、「Aルート」を選択、 国分寺街道を南下していった。 途中の脇道で『警官』が大慌て で追いかけようとしていること も知らずに・・ 明星学苑の交差点を右折、 学園通りに入ってしばらく 走ると左側に府中刑務所の 高い塀が現れる。 そのとき、運転手は バックミラーに白バイ警官の 姿を認めた。 ・・ AM9:20 ※サイト 「「3億円事件・事件史探求」より地図を引用させて頂きました。 (写真は`07 1/2 撮影) ▲上の図のマル1より撮影。中央の斜めに入る ▲マル2より撮影。ここ(学園通り)を右折すると 道の途中にある空き地から犯人(の一人?) 「あの場所」が近づく。「ショートカット」から が白バイで出発した。 現れた白バイがバックミラーに映る場所だ。 「ビニールシート」を引きずったまま・・。 38年後の正月の街は車も少なく、あまりにも 現在は一方通行でこちらからは入れない。 静かだ・・。 (※マル4以降の写真は次回) (上写真は現在の空撮) ●・・輸送車を停止させた白バイ警官は言った。「支店長宅が爆破されました。 この車にも爆弾が仕掛けられているかも知れないので調べさせて下さい。」 これより以前に、銀行に脅迫状が届くなど、話の伏線が出来上がっていた。 警官は仰向けになって車の下に頭を突っ込み、突然立ち上がった。 白煙が立ち昇っている。 「ダイナマイトだ!爆発するぞ。危ない!下がれ!」 行員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。 ・・すると警官は車に乗り込み、急発進させると府中街道方面へ猛スピードで走り去った!・・ 煙を上げていたのは、ただの発炎筒だった・・。 ・・ AM9:25 ▲事件直後の現場。中央の監視塔は ▲ 現在。・・覚悟はしていたがあまりの変貌ぶり 防犯カメラなどの普及により姿を消した。 に驚いた。塀が当時よりずいぶん低くなり、 この監視塔の看守が騒ぎを目撃しており 明るく塗装されている。車を奪った犯人は 事態を飲み込めないまま110番している。 この300mの距離を一気に突っ走って・・・ (以下、中編につづく) この強奪場所が「第一現場」、次回お送りする 輸送車放置場所が「第二現場」、偽白バイが 出発した脇道が「第三現場」、 空のジュラルミンケースを積んだ盗難車の 発見場所が「第四現場」と呼ばれる。 ・・犯人は「単独犯」か、 それとも「複数」だったのか? 普通に考えると「複数犯」と見るのが 自然だが、”一人でも絶対に不可能ではない” ところにこの事件の難しさがあると思う。 これらの何とも言えない「微妙さ」と 犯人の異常なまでの「強運」が まんまと犯罪を成功させてしまった・・ ●次回、後編は犯人が現金輸送車を放置した「第二現場」をついに発見!
2007年01月16日
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