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今日は天気ヨシ。そんな日は気分もヨシ!更にイイ事が起きた。なんと初掲示板へのカキコ!!これはうれしいゾ!!日記を書き始めてから3ヶ月。色々と身辺では起こったりしたが、こんな日がくるとは。。これからも色々と書いていこう。さて、司馬遼太郎がおもしろい。現在読んでいるのは「坂の上の雲」。秋山兄弟と正岡子規を中心にして日露戦争までの日本を描いている物語。言わずと知れた名作である。基本的に本はかなり好き。小学生の頃からずっと読み続けている。20才を過ぎた頃から村上龍や馳星周などにはまり東野圭吾や五木寛之、遠藤周作などを読んできた。最近は現代社会の病理を描いているような精神病、裏社会、ドラッグなどがテーマの小説を中心にしていたが、ここにきてやっと名作へのきっかけをつかんだ。というよりは戻ったって感じが適切かもしれない。もちろん司馬遼太郎は読んだことなかったし、読みたいとも思った事もなかった。しかし、「戻った」のだ。現代の問題から根っこを探ることもあるいは可能かもしれない。しかしながら、歴史を知り現状にいたるまでの過程から現代の問題の原因を探るのも手ではなかろうか?私はそう思い、今読んでいる。まぁぶっちゃけて言っちゃえばスゲー面白いんだけどさ!!そんな理屈なんて無意味なくらいにはまるよ。
2004/01/29
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昨日の日記にも書いたが彼女との仲が悪くなってしまった。とりあえず復活はしそうであるが、それにしても腑に落ちないことがある。例の女(A)は私にとっては人生に何か影響を与えるほどの人間ではないと思っている。つまり私にとっては何の意味もなさない価値のない人間。もちろん他人にとってはそうでない場合もあろうが。そういう存在でしかない"A"が私にとって非常に重要で価値のある人間との関係を崩壊寸前まで追い詰めることが出来てしまう。不思議でならない。もちろん"A"は悪くない。それに振り回されてしまう私と彼女が悪いのだ。だからといって両方のバランスをとる事は非常に困難であるしそんな気は更々ない。人間関係というものは元来そういうものなのかもしれない。崩れはひとつの小さなゆがみから生じる。私なりの結論。"A"は存在しないものとする。
2004/01/28
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昨晩は最悪であった。きっかけは一本の電話。知らない番号からかかってきたと思ったら例の女。話した瞬間に分かって相当むかついていたからスグに電話を切った。既にメモリーから登録を抹消していたから誰だか分からなかった。不覚。彼女に嘘をつくのも嫌だし正直に誰から電話きたか言った直後に雰囲気は一変した。。。一見何事もなさそうだったが、布団に入ると彼女はガタガタ震えている。寒気がするという。俺なんてカッカして暑いくらいなのになんで??もう反射的なものなんだろう。しばらく体を擦っていたが一向に休まることはなく、別の部屋でボーっとしていて戻ったらだいぶ治まっていた。しかし、また一緒の布団に入ると再発。結局ほとんど眠れなかった。。俺なんか悪い事したかよ!!
2004/01/27
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私はなぜ裏側に興味があるのだろう??社会の裏側。それは一般の人が普通に生活していてはなかなか見る事の出来ない世界。しかしながら、いったん入り込んでしまったが最後、抜けるのはとても難しい世界。好奇心を刺激する。アドレナリンが全身を駆け巡る。どんどん深みに入っていってしまう。それがとめられない。止められないというよりはむしろ止めたくないのかもしれない。麻薬みたいなものか。
2004/01/25
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本が好きだ。幼少の頃からずっと読んでいる。色々と趣味は変わるけれども読書だけは変わらない。基本的に裏社会が興味の対象となる。外国人犯罪、裏経済、性、薬物、暴力団。。なぜだろう?決して自分がそういう社会で生きていきたいわけではない。特に素敵だとも思わないし、うらやましいとも思わない。それではなぜ??単なる好奇心か。。少数派にこそ真実があるという価値観。これがおそらく原因なのだろう。ではこの価値観とはどういうものか?分析してみよう。自分がいる場所は多数派である。そしてこの世界には嘘、欺瞞、建前、見栄、虚栄が満ち溢れている。それは曇りガラスのようにガラスの向こう側にあるものをはっきりと見えなくなるようにしてしまっている。具体的にはどういう事か?自分の思った事、感じた事を正直に表現する前に「それでイイのか?」というワンステップが生じる仕組みだ。みながそうしているので真相が見えにくくなってしまう。もちろんそういった事は少数派の世界にもある。しかし、多数派に対して敢えて見せる必要がないため、より生の状態に近いものが多い。そして生の状態に近いものは真実に近い。建前では通用しない現実がそこにはある。それを知る事が快感だ。知らない人が多い事を知っているという優越感。自尊心が満たされる。結局、自分はエゴの塊って事だ。
2004/01/21
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最近友人の定義に変化がでてきた。自分が自分の事を考えずに自分を投げ出せる相手。それが真の友人と言えるのではないかと。何も言わなくともその人を見ているだけで影響を受け、与えるような人。弱っている時もその人を見ればそれだけで復活できるような人。そして何より自分の事を良くわかってくれている人。こうなると子供の頃から付き合っている人達に限るのではなかろうか。なぜなら彼らの前では守るものが何も必要ないから。つまり、社会で生きていくのに必要は防御服が一切いらない。元々そんなのがなかった時を一緒に過ごしてきている。例えば明日誰かに会うとしよう。とても素敵な人で性格もあう。趣味もあう。的確なアドバイスもくれるし知的だ。それがその人に対する第一印象となる。そこが始まり。そこが始まりであるから今後その人に変化があった場合、それは違う一面となる。人は常に変化している。環境や状況、長い年月をかけて段々と変化していく。その電車に途中から乗ったのでは最初は当然わからない。そうなると刻一刻と変わる行き先に振り回されてしまわないか??物事には始まりがあり、終わりもある。始まりは起源であり、最低限の要素しかない。つまり、生きていく上で必要なものだけがある。それは一番大切なものなのではないだろうか?人間の成長過程で一番大事なのは3歳までといわれるのもそういう理由なのであろう。最初を知ること、成長の過程を知ることが非常に重要な事である。この年になってから新たに知り合った人をよく知ろうと思ったら、どうしてもここに行き着く。そして、その人の起源を考える。生い立ちを考える。そうやって頭でわかることも多くあるだろう。しかし、幼少の時代に体でその人を体験してきた幼馴染にはかなわない。だから思う。人間関係を作るのは難しい。
2004/01/20
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なんか年末とかご無沙汰になっちゃったけど無事に新年を迎えられてヨカッタヨカッタ。今年はどんな年にしようか。やっと25歳にもなったことだし、仕事も私生活もいろいろと頑張ろう!!とりあえず今日は初出社だったけど、まったくやる気なしなのでダラダラしときました♪
2004/01/05
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