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マンションに雑居ビルに南林寺~四年間毎日見続けていた此の風景も本日で見納めとなった。洗面用具を最後に片付けて、荷物の最終点検。物が残っていないか何度も点検し、後は引越し業者を待つだけだ。終わってみれば案外呆気ないもんだなと思った。四年間と云う短い期間であったが、恐らく鹿児島市に住まないと一生見ることは無いような景色を沢山見させていただいた。頭の中で、是まで見た光景をつぶつぶと思い出している。昼時となり、小腹が空いたので食べに出掛ける。センテラスの駐車場に併設されている謎のカフェに行ってみた。ワーキングスペースが併設されており、何やら観光産業活性化のプレゼン等をやっている横でホットドッグを食べながら、一般人が来る処じゃないなと思いながらもエアコンの涼しい風にホッと一息。引越し業者が来て、荷物の搬出開始。持ち出すだけだから早いもんで、部屋はたちまちすっからかんに。後は不動産屋の立ち合いを待つのみで、気付いた箇所を拭き掃除したり、こちらも最後の点検。不動産屋の立ち合いも終わり、四年間お世話になったマンションとも遂にお別れだ。恐らく永久に見ることは無い風景だと思う。最後にレム鹿児島に宿泊横濱への出発は明日。本日は鹿児島市のホテルで宿泊することになった。ホテルは「レム鹿児島!」~予想外に立派な部屋だった。寝室から浴室が丸見えの部屋は、新婚時にアベノハルカスに泊まって以来か。★レム鹿児島の寫眞はこちらでもちょっと自由時間が出来たので、拙者は天文館の商店街にある「スピードカット」で散髪を済ませておいた。いずろ電停から鹿児島市電に乗って鹿児島中央駅へ向かう。市電に乗るのも遂に最後となった。中央駅のアミュプラザで嫁さんと合流し、レストランで食事。ホテルへ戻って、職場の方からいただいた「アンデンケンのバウムクーヘン」をじっくり味わう。有志で開いた投資セミナー(拙者、FP技能士持ってます!)で、縁起物としてバウムクーヘンを食べたことを思い出す。鹿児島の皆さんには良くしていただいて、本当に感謝しかない。最後のバウムクーヘン、じっくり味わいました。のサイトはこちらから・・
2023.12.16
四年に渡る鹿児島生活も、遂に残り僅かとなった。執権殿より沙汰があり、来月より武蔵國横濱村の居留地内への移封を命ぜられたのだ。ハハァーッ有難き幸せ!と平伏するしかなひ訳だが、多摩村へ戻るのではなく、少し手前の横濱村とは意外だった。引越しの準備に追われたが、いよいよ鹿児島の地を離れるにあたり、まだ見ぬ風景をなるべく見ておくことにした。まず、鹿児島中央駅のアミュラン(観覧車)に乗ってみる。アミュランからは、九州新幹線がよく見えた。新幹線に乗って九州各地、例えば博多座の宝塚観劇、門司港、太宰府、長崎、それなりに九州をあちこち周遊したものだなと、旅の数々の情景を思い出してみる。貴重な経験をさせていただき感謝しかない。アミュプラザの新館にも行ってみた。カレーの匂いにつられて入った店は、シュミレーションゴルフ・カフェバー。本業はゴルフのシュミレーターを運営する店だそうで。鹿児島中央駅構内にある「シアトルズベスト珈琲」も記念に入った。JR九州のコーポレートカラーもさり気なくアピールしていて御馳走様でした。カフェ「プロイセン」も再び解体結婚してから引っ越しは二回目なのだが、自宅カフェ「プロイセン」も再度の解体となった。コロナ禍の混乱で、誰かお客様をお招きすると云うことも憚れ、何時かの機会に備えて雰囲気を壊さぬよう気を付けていたが、もう何もかも解体だ。送別会の会場は「あの店」でした薩摩藩から移封される御家人衆は、拙者以外に豊後國や畿内へ行く者もいた。今回はコロナ禍で途絶えていた送別会も実施いただけるとあって、本当に感謝しかない。場所は何と!シュミレーションゴルフ・カフェバーでありました。数年ぶりの送別会なので、プライベートの話をするのが今回で最初で最後の方も数多くいらっしゃった。拙者が小説を書いていることを初めて知った方もいて、人的交流が途絶えがちだったのは、もったいないとしか云いようがない。其れでも、新たに読者になっていただいた方もいらして、本当に感謝です。薩摩藩邸での勤務も最終日、藩邸から自宅まで荷物を持って帰るのに難儀した。私物だけでなくお菓子を沢山頂戴しまして。自慢ではないですが、みんな女の人からです。いやぁー暫くお菓子は買う必要が無いくらいの量であります。本当に感謝です。アンデンケンのバウムクーヘンも山形屋の包装紙も、遠い記憶の存在でしかなくなるでしょう。 天文館公園を横切り、タイヨーやNTTの横を通り抜け、ナポリ通りを渡って、滞在時間も僅かとなったマンションへ到着。大事ないただきものを急いで整理して、今度は山形屋へ向かった。夕食は嫁さんと二人で山形屋大食堂であります。此処も思い出の場所として死ぬまで記憶の片隅に残り続けるだろう。今回は残念ながらゆっくりしていられない。食べ終わって急いで自宅へ戻って引越しの最終準備だ。あまりに忙しくて、感傷的になっている暇も無いのは何時ものことである。↑のサイトはこちらから・・
2023.12.02
所用があって帝都まで出張することになった。天文館から出る空港行乗合自動車に乗り込んで、センテラスの前を行ったり来たりする市電や鹿児島交通の乗合自動車を暫く眺めてみる。鹿児島生活も四年近くになるが、いずれこうした光景も見られなくなるかも知れないと、目の前の景色は注意を払って眺めるようにしている。空港に着いて、待合室にある食事処で柿の葉寿司を食す。柿の葉寿司なんて奈良のイメージしか無かった。アイス珈琲も飲みたかったが、どうせ機内でも珈琲が出るし、珈琲を弐杯も参杯も飲んで便所が近くなったり眠れなくなったら困るから暫く我慢。云ってることが小學生レベルである。是から乗る全日空機が、鬼滅の刃の仕様であることに何の感激も無い拙者は明らかに時代に取り残されているらしい。東宝の株価が上がって有難かったくらいの感覚。羽田行の全日空機、窓の景色は遠ざかる夕日が僅かに空を照らすのみだ。汽車ならともかく飛行機に乗ってまでいちいち景色を眺めている拙者にとって、外が真っ暗になると暇でしょうがない。センテラスで買ったお菓子と機内で配給される珈琲を味わいながら「ウクライナの歴史」を読む。アワーズイン阪急のシングル館に宿泊羽田に着いて、もう遅い時間だから直ぐに京急や国電を乗り継いで大井まで来た。今日の宿泊はアワーズイン阪急。もう疲れて仕方なかったので、あっという間に熟睡だ。翌朝、あらかじめ買っておいた野菜サンドとバウムクーヘンを食す。ブラインドを開けると、其処はうんざりするようなコンクリートジャングルだ。東京は威張っている人間だらけだが、こんな息の詰まる処に住んで意気揚々としていられる人間が不思議でならない。チェックアウトして大井町ガルテンの建物を振り返る。「阪急」の文字が、何だか此処が梅田か西宮か三宮であるかのような錯覚と懐かしさを感じる。ちなみにシングル館が左側、ツイン以上は右側の棟になる。シングル館は、如何にも出張客御用達のような雰囲気だったから、拙書の登場人物の宿泊先にしようかと妄想が膨らむ。所用を終えて再び鹿児島へ。札幌在住時代から今日まで、京急空港線に何度乗ったか分からないが、京急を写したことが皆無だった。今回記念に壱枚撮ったのは最新式の1000型!しかも座席がロングシート・クロスシートに変換できる珍しい車両を撮ることができて嬉しくて堪らない。相変わらず小學生レベルである。無事、鹿児島・天文館に到着。センテラスの前に山車が飾ってあった。鹿児島にも再び祇園祭の季節が巡ってきた。
2023.10.28
去るX月XX日、日頃旅行ネタや鉄道ネタでお世話になっているS氏の尽力により、星組福岡公演「バレンシアの熱い花」の観劇が実現した。福岡公演のお誘いは何かと有難い。宝塚の観劇だけでなく、鹿児島から博多に出る!と云う出来事自体が嬉しいからだ。だから九州新幹線も、敢えて800系の「つばめ」に乗って、出来るだけ長く時間を掛けて旅気分を味わうことにする。相変わらずヲタク度MAXである。博多ステーションに到着!本日の福岡市は快晴であります。福岡在住経験のあるS氏より、西鉄バスの素晴らしさを散々聞かされていたので、今日は西鉄バスを乗り潰すことに決定!早速、博多駅前のバスターミナルに向かう。バスターミナルから、早速西鉄バスが登場であります。恐らく九州の何処か遠くへ行く便のようです。西鉄だけでなく、九州の色んなバス会社が乗り入れています。楽しくてたまらん!まずは博多駅前から67柏原営業所行バスに乗ります。目的は、オーストリアのパンとケーキのお店「サイラー」、九州に暮らしているうちに一度は訪問したかったお店であります。果たして目的地に無事付けるか不安ですよ。無事長住二丁目で下車!此処から五分ほど歩いたところにあるのが↓のお店。詳しくはフリーページ「ハプスブルグ文化の愉しみ」を御覧くださいませ。さて、ヨハン・シュトラウス像を眺めながらザッハトルテを食した後、次なる目的地は近年オープンしたららぽーと。長住二丁目からは乗継が必要だが、やって来たバスは「快速」と表示してあって、是が怖いんだなー。知らない街でバスに乗ると、方角が合っているのか?と云うレベルで不安になるが、更に急行とか快速とかやって来ると、降りたいバス停で降りられるのかも分からないのでスリルが倍増する。今回、途中で降りたいのは「清水町」だったが、大丈夫停まって呉れた(笑)。清水町から西鉄大橋駅前行に乗車、其処から乗り換えてららぽーとに到着!館内のスーパーに鎮座しているのは、何と引退した西鉄バスであります。飲み物の売り場になっていました。→寫眞こちらにもあります。福岡都市高速を路線バスが走る!博多駅に戻り、次なる目的地は「百道」であります。百道に用があると云うより、高速道路を走る西鉄バスを堪能したいから。相変わらずヲタク感満載の旅です。普通の路線バスが、本当に高速道路に入って行きます。全国でもかなり珍しい光景だ。のような観光バスや長距離バスなら不思議では無い光景だが、一般乗合路線バスが高速道路を走る光景は本当に珍しい!一般道に降りて福岡ドーム前を通過。阪神ファンである拙者としては、ソフトバンクとの交流戦を見たいと思いつつ未だ叶わず。さすがに簡単に実現出来そうもない。百道に到着~全く縁の無い土地なので、ふーんこんなところか、と云う感想しか出て来ない。 結婚式場?ハリボテ感満載の洋館だ。 海岸線にびっしり工場や港湾施設が建ち並ぶ北九州とは全く違う雰囲気で、何だか日本離れした光景。遠くまで来たなぁー、人生はやはり旅であります。のサイトはこちらから・・
2023.10.21
農業大国鹿児島県はコーヒーも作っている。産地は沖永良部島で、其処で採れたコーヒー豆を使っているカフェが霧島市の日当山温泉にあると知った。ローカル新聞に出てた「コーヒーゼリーパフェ」が美味そうだから、其れを目当てに行ってみることにした。まずは鹿児島駅から日豊本線に乗るのであります。竜ヶ水駅で列車交換。乱舞する昆虫の破片がフロントガラスにこびりついて前が見えにくい。普通列車の窓が異様に汚くて、折角の景色がよく見えない。植物が茂り過ぎて線路も見えにくい!是が日豊本線の日常の光景であります。帖佐駅で降りてイオンタウン姶良で昼食。バーガーキングなんて初めて食べた。何じゃこの昭和アメリカンな世界観は!スパイシーチキンバーガーを食べたのだが、小さい子供さんは無理と云えるほどの辛さ。意外と大人向けの一品なり。次は電車ではなく鹿児島交通バスを使うのであります。帖佐バス停で日当山温泉へ行くバスを待つ。道路はクルマが絶えず行き来しているが、イオンタウンから帖佐バス停まで、歩行者一人さえ出会うことは無かった。道を歩く人など皆無の超クルマ社会なんだろう。何でもいいが、バス停の後ろにある「家庭倫理の会姶良」って何なんでしょうか。乗ったバスは、鹿児島中央駅発の長距離バスであります。途中、加治木町の市街地を走るのだが、数ヶ月前に所用で加治木町の文化ホールに行ったことがある。建物の前にあったモニュメントは、無形民俗文化財に指定されている「加治木のくも合戦」~雌の蜘蛛同士を闘わせる奇祭であります。加治木を過ぎると、バスは国道10号線日向街道をひたすら東へ進む。桜島と錦江湾を望むいい風景だ。鹿児島交通バスの窓はピカピカであります。乗客が拙者と嫁さんの二人だけなんだけど、此の路線は維持出来るのだろうか。バスは約40分で日当山温泉に到着、沖永良部のコーヒーを味わえる「ノアコーヒー」に入る。店舗内は土足禁止でスリッパに履き替える必要がある。思わず反射的に駕籠の中にあるスリッパを取ろうとしたら、其れは使用済みのもので、消毒したのを店員さんが持って来て呉れた。バス停から暑い中を歩いて来たので、永良部コーヒーゼリーパフェは最適解だった。コーヒークリームにまぶしてあるコーヒーの渋みが素晴らしい。正しく大人の為のパフェである。沖永良部島でコーヒーを生産し、ブランドとして育てて行くなんて、夢のある話である。じっくり味わって応援するとしたい。隼人駅方面行のバスが来るまで「西郷どん村」で時間を潰す。日差しはいよいよ強くなり、空が燃えているような感じ。せっかくパフェで冷やした体も一気に汗だくだ。是までの経験で、酷寒や酷暑に限っていい写真が撮れるのも事実であります。→ホームページ側でもいろいろ写真展示しています。最後は隼人駅から日豊本線で鹿児島駅まで。鹿児島駅の駅舎は建替えられており、例えばトイレの入口には薩摩切子が展示されている。鹿児島駅の写真とかは→こちらからどうぞ。↑のサイトはこちらから・・
2023.08.11
鹿児島県薩摩川内市の陸上自衛隊川内駐屯地が、創立37周年の記念行事を行った。37周年と云う中途半端な行事となった訳は、35周年記念行事をやろうとしたらコロナ禍で挫折したのでリベンジなのである。記念行事の初日は市内パレードが催される。陸上自衛隊車両が商店街を行進するなどと、なかなか見れる光景では無いので、早速現地にお邪魔してみた。現れたのはトレーラーに乗ったパワーショベル!自衛隊用語では「掩体掘削機」~陣地構築に活躍するだけでなく、災害派遣でお約束のように出動する機械である。続いて、74式トラックに積載されているのは92式浮橋。パカンと開いて水に浮かせて橋を架けることが出来る。橋の無い川を渡ったりするのは陸上自衛隊の必須業務だ。外見だけで水陸両用車と分かる車両。名称は「水際地雷敷設装置」~「水際」は「すいさい」と読む。自衛隊は、号令も報告もパリっとしないと商売にならないから、漢字は音読みが基本だ。この車両は、敵の上陸地点に地雷を敷設する任務に就くが、水陸両用を活かして災害派遣にも活用されている。特殊車両が目白押しだが、如何にも自衛隊な装備も続々通過。155mm榴弾砲がトラックに牽引されて登場。こう見ると、街中でも迷彩色の効果があるんだなーと感じたところ。16式軌道戦闘車が続々と行進~戦車を代替するものとして車両数を増やしている。国内の幹線道路はほとんど舗装されているから、道路を高速走行して素早く戦場へ駆け付けることを狙っているのだ。ちなみに、背景に写る「山形屋」は、鹿児島のローカル百貨店。薩摩蒸気屋は、県内でも有名な和菓子さん。自衛隊車両との不思議なコントラストを感じたところであります。↑のサイトはこちらから・・
2023.04.29
遠く薩摩の地では、ヤクルト優勝!の一報も、届いているのか届いていないのか判然とせぬ程、他人事である。御家老から、ヤクルトのお姐さんが優勝記念に色々サービスして頂いたと云って、ヤクルトを一つ呉れた。そうか、ヤクルトはヤクルト売ってる会社だよなと、球団のヤクルトと乳酸菌飲料のヤクルトが、拙者の中であまり結び付いていないことを悟る。今年(令和四年)は大坂ドームでの観戦が実現したけれども、力及ばすヤクルト飲みながら反省会と相成った訳であります。阪神戦の観戦は参年ぶりだが、プロンプトに入ったのも弐年ぶりか参年ぶりか分からぬ程久々であった。だから、何を食べる処なのかも忘れてしまっている。濃い抹茶のケーキなんかあったっけ?熱波が続く八月、図書館の帰りに寄ったタリーズ珈琲も、何の店かも忘れた程久々であった。大甘党である拙者は、シロップも全部使い切るのが基本。残りは珈琲にも入れちゃう!そしてお菓子も菓子パンも食べまくる人流とか気の緩みとか、珍妙な言説も次第に遠のき、生活リズムが徐々に正常化して行くことを肌で感じたのが令和四年の後半であったが、其れと連動して貰ったお菓子も増えました。感謝を込めてご紹介!くまもんのカスタードケーキ!拙書「誰かが見た結末」のお礼に頂きました。土佐銘菓「かんざし」~パッケージに「土佐ぁーのー、高知のぉーはりーまーや橋でー」の詩が印刷されているベタベタ高知県のネタであります。横の「ミール・マドレーネ」は、地元鹿児島は荒田八幡にあるらしい、謎のお店のマドレーネで、是がなかなか美味い!そして其の下にあるのは神戸の「ケーニヒス・クローネ」であります。恐らく初めて食べたかも。右にあるのは羽田空港から出発する前に買うと相場が決まっているキャラメルサンド。是は拙者が御家人衆に配った残りであります。最後に、菓子パンのお話。九州ローカルパンで好きな菓子パンと云えば「フランソア」なのだが、西九州新幹線開業記念のパンに惹かれて買ってしまった!パッケージ考えた人は天才だと思う。西九州新幹線の写真は→こちらでも!↑のサイトはこちらから・・
2023.02.18
全日空のエアバスA320型機で、座席毎に大きなタッチパネルが装備されている機に当たったことがある。ブラームスのハンガリー舞曲集を聴きたかったから、客室乗務員さんからイヤホンをもらった。長年使っているイヤホンも古くなったし、ちょうどいいと思って、其のまま持って帰って自宅のステレオで聴いてみたら、あまりの音響の悪さに閉口した。無料のイヤホンだけに性能も低いのは当たり前田のクラッカーで、発動機音がやかましい機内では、イヤホンの性能も気にならなかったのだろう。資源の無駄遣いをしてしまったと後悔したが、今更巻き戻しも出来ない。結局、古いイヤホンは買い替えることにした。あちこちの電器店を探し回り、ちょうどいいのを見つけた。DENONのイヤホンで、音響もなかなかよろしい。クラシック党だけに、クラシックコンサートと同じレベルの音響でないと満足しないのだ。さて、令和四年の八月、墓参や阪神タイガース戦の観戦等で大阪まで行って来た。鹿児島から伊丹まで行きも帰りも全日空機である。エアバス機だったら音楽を聴こうと、買ったイヤホンもあらかじめ持参していたが、行きはボンバルディアのプロペラ機で、音楽を聴くどころでは無かった。同じ料金を払って、サービスがこうも異なるとは。何でもいいが、珈琲の紙コップが緑と黒のチェック柄なのは有難迷惑である。帰りの飛行機はどうなるか楽しみだなと、伊丹空港最寄りの阪急蛍池駅を降りた。蛍池は、拙者が小學参年まで住んでいた地である。大阪モノレールなど無かった時代のことだ。当時は橋上駅舎も無かった。モノレールがやって来た。ホームからは、拙者が実際に住んでいた文化住宅が見えたのが感激。モノレールから空港が一望出来た。伊丹空港を利用するのは、もしかして人生最後かもしれない。もちろん、空港ターミナルも昔の面影が無く、空港と云うよりショッピングモールのような雰囲気だ。手荷物検査を終えたら、嫌でもショッピングゾーンを通らねばならぬとは、上手く出来ている。しかも通路が異様に蛇行しているところが商魂丸出しで、頼むワこうてヤーの雰囲気はさすが大阪。で、乗った飛行機はボーイング737でハズレでした!でもシートラジオのような設備もあることはある。せっかくなのでイヤホンを差してみたら、何と阪神ヤクルト戦の実況!離陸して暫くすると、テレビで紹介された「日本本土を再現した公園」が見えた。ちなみに拙者は電波を発しない廃スマホをカメラ用に使っているので念の為。機は大阪に別れを告げる。暫くして野球放送も聴けなくなってしまった。機は神戸→高知→宮崎上空を経て鹿児島へ!明日から鹿児島生活を再開であります。
2023.01.15
去る八月二五日、大阪ドームにて阪神-横浜戦を観戦するために大阪へ向かった。鹿児島空港から伊丹空港まで全日空を使うことになったが、我々が乗ることになったのは、何とボンバルディア製のプロペラ機!極めてローカルな雰囲気である。恐らく、全日空で唯一かも知れないプロペラ機だが、普通に駐機しているだけで「前輪ぶっ壊れて胴体着陸したように見える」のである。地面までやたらと低いのと、下に流れるような全日空の塗装の性かも知れない。いよいよ鹿児島空港より出発!ロビーから地面に降りて歩くのかと思ったら、ちゃんと連絡通路と接続していた。やたらと低いのが分かるだろう。機内はこんな感じ。東海道新幹線の、しょぼい普通席を思い出す。エアバスの最新型だったら、液晶画面の付いたオーディオがあってブラームス「ハンガリー舞曲」を聴けたりしたのだが、本機に液晶画面なんてある訳なーし!ブルルルル・・・と、プロペラ音を響かせて飛ぶボンバルディア。プロペラ機は奄美大島へ出張する際にも乗ったが、最近のプロペラ機は、なかなか安定した飛行を実現している。本機は翼が上にあるので、どの席に座っても景色がちゃんと見えるのが売りらしい。なので、遊覧飛行的な愉しみを期待していたのだが、あいにくの天気で雲しか見えなかった。もちろん、大阪市内の街真ん中をスレスレで飛ぶスリルはお約束である。伊丹空港へ到着!此処では地面に一旦降りることになった。地面に降りると飛行機を間近に見ることが出来るので有難い。どうです!低いでしょう。伊丹空港は、鹿児島から羽田まで行くのに乗換便の都合で降りたことがあるが、ターミナルビルから外へ出たのは、恐らく四十年ぶりかも知れない。YS11型機で花巻空港まで行き来したとき以来である。懐かしい以前に、昔を覚えていないから、初めて来たに等しい感覚である。ターミナルビルからバスに乗り換えることにした。大阪在住時代、よく目にしたのが「大阪空港交通バス」~今や所属会社も変わって阪急観光バスになっている。阪急観光バスも萌えて魅力的だが、我々は敢えて「伊丹市営バス」に乗換えた。わざわざ阪急伊丹から大阪を目指すと云う、鉄ヲタ全開の旅がスタートであります。
2022.10.16
_六月中旬に相模原市の実家に帰省したのだが、任地の鹿児島に戻る時のこと。羽田空港へ向かう為に、拙者はJR横浜線に乗っていた。拙者が居たのは前から二両目の車両である。成瀬駅を過ぎて、東急長津田の車庫が見え始めたころ、突然緊急停止の自動アナウンスが鳴って電車は急減速した。其れだけでなく、「ドン」と云う何かがぶつかったような音と、「バキバキ」「コキコキ」と云う、聞いたことも無い妙な音がして、其れから暫くして電車は停まった。拙者は、木が倒れて小枝を車輪が引き裂いた音かと早合点したが、アナウンスによると、どうも人身事故のようなのだ。では、あの音は何だったのかと想像するのも恐ろしい。 時刻は16:10頃であった。羽田空港の出発が18:55なので、20分前の保安検査を考えてもまだ余裕があるはずだが、運転開始が17:40頃と聞いて、そもそも出発に間に合わないと判断した。車窓からは、鉄道会社の職員や警察官・消防官の姿が見える。車窓からは何をやっているのか正確に分からないが、様々な「処置」なのだろう。是は時間が掛かりそうなので、その間に楽天トラベルに連絡してみた。電話は30分待ちだと云うから、問い合わせ用のチャット機能を使う。もちろん、このような問い合わせ自体が初めてのことだ。 楽天トラベルの説明によると、拙者が予約したのはパック旅行で、予約内容の変更は出来ないが、何らかの不可抗力が生じた場合、客側が航空会社に申し出て搭乗便の振替が出来るか判断を仰ぐ必要があると云う。とにかく羽田空港の全日空の有人カウンターまで行くしか無いことが分かった。 復旧作業が終わって電車が動いたのが17:50頃、其処から東神奈川まで行って、駅の改札で遅延証明をもらっておいた。遅延証明はJR東日本のホームページでも取れるが、現場付近にいることの証拠があった方がいい。 東神奈川から横浜駅京急本線に乗り換えて京急蒲田空港線に乗り換えて羽田空港へ。実は京急に乗っている際も、踏切安全確認のため急停止して「今日はことごとく駄目だ」と思った。羽田空港に着いて、時刻は19:00を過ぎていたか。まず、有人のサービスカウンターが分からず閉口した。出発ロビーがあまりにも広いのだ。ようやく探し当てて、カウンターの担当者に遅延証明を提示して事情を話したところ、上役らしき人に確認を取った後、振替を認めてくれた。遅延証明の現物が決め手だったようだ。ただし!鹿児島行はもう終わったので、明日の始発便になると云う。出発時刻は何と6:45である! もう其れでお願いすることにした。此処で注意が必要なのは、発券手続きは明日になるので、もう一度カウンターまで行かねばならない。しかも、保安検査や手続きに掛かる時間、カウンター前に行列が出来た際の待ち時間も逆算すると、30分前でも遅いくらいだと云う。是はもう蒲田駅前のホテルでも予約しようと思った。拙者のような人間用のホテルがちゃんとある 空港のロビーで座る場所を見つけて、其処でスマホからホテルの検索をして、とにかく空港線沿線のホテルを探した。京急蒲田駅前のホテル(HOTEL RELIEF Premium 羽田(ホテルリリーフプレミアム羽田))がヒットしたので即予約。京急蒲田へ戻る電車の中で、ほとんど意識が無くなっていた。 駅前の案内地図とスマホを頼りにホテルへ到着。とにかく贅沢なホテルに泊まる余力が無い状況だったが、部屋がツインルームなのは笑えた。 バスユニットも案外センス良くまとまっている。 二人だったら手狭だが、一人なら十分広い。しかも此のホテル、一階に軽食のコーナーがあって、カレーライスとうどんを自由に食べていい。器は使い捨てで、もちろんセルフサービス。カレーは具がほとんど見つからなかったが、緊急なので食べれるだけ有難い。出発前に空港で何か美味いものを食べようと思っていたのがホテル代に代わったと思えば其れでよし。食事を片付けて部屋に戻ったが、疲労困憊でくつろぐ気にもならない。絶対に寝坊出来ない朝がやって来た 実は3:00に目が覚めて、二度寝して起きられなくなったら困るので、其のまま起きていた。5:00にチェックアウトし、京急蒲田駅へ向かう。ホームは結構人がいる。5:19発空港行きの電車は混んでいた。羽田空港駅は大勢の乗客が改札口を抜けて行ったが、よく見ると空港にお勤めの方が多いようだ。早朝から本当にご苦労様であります。 例の全日空のカウンターへ行ったら、やはり何人か待っている。一人に掛かる時間が長いことが分かった。手元の時計で5:45~時間が経つほど行列は長くなるだろう。拙者が呼ばれて、昨日もらった「担当者メモ」を渡す。発券まで8分くらい掛かったか。 漸く券を渡されて保安検査場を抜けて、其処から69番ゲートまでが長い!一番端っこの乗り場で、完全にローカル線専用である。待合場に着いたのが6:05くらいで、休憩時間が20分くらいあったか。6:30頃にやっと搭乗出来て一安心。もう疲労困憊で頭もボケていて、席のA列とK列を間違えるところであった。 離陸して飛行機は一路鹿児島へ~どうも天気の影響で風が逆風らしく、10分程度の遅れがあった。10分くらいならいいかと思ったが、おかげで空港連絡バスが一つ後のバスになってしまう。しかもバスも遅れた。伊敷あたりの国道3号線で渋滞していて、警察官の姿も見えるから事故のようである。とにかく家まで無事着いただけで有難いが、もうクタクタ。然しながら、収穫だったのは蒲田駅前のホテル。前もって宿泊して、早朝便で出発すると云う発想も面白いではないか。いつか東京暮らしに戻った時の事を想像しながら其のまま睡魔の底に落ちた。↑のサイトはこちらから・・
2022.06.18
阪急阪神HDの株主だから、子会社「アルナ車両」を多数運用している鹿児島市電をつい応援したくなるのであります。最近の嬉しい話題は、鹿児島駅前電停が新しくなったこと。喜んでいる本人が市電を全然利用していなくて、鹿児島駅まで市電の線路沿いを20分くらい歩いて見に行くと云う、意味の無いことを平気でやっているのであります。乗らなきゃ意味無いでしょ!と云うことで、鹿児島駅前電停から鹿児島中央駅まで記念乗車。やって来た電車は特別仕様車「キリコ」で、テンションはMAXであります。ちなみに「キリコ」とは、磯野貴理子さんとは関係無くて、要は薩摩切子をモチーフにした電車だから。キリコの車内は、木目調を多用したクラシカルな意匠。路面電車なのに、展望席まである。隣りの番線に入って来たのは、「ライカ」の宣伝を貼り付けたラッピング車。ライカなどと、何だかドイツのカメラみたいな名前だが、鹿児島中央駅前の再開発事業で出来たビルの名前である。色彩の鮮やかさでかなり目立っている。ラッピング車は目立つが勝ちです。キリコに乗って出発進行!まず見えて来たのは鹿児島市役所。旧本館の建物は文化財級の重厚なデザイン。鹿児島交通のバスとすれ違った瞬間だが、市電の車窓だからこそ拝める光景。鹿児島中央駅に着いて、暫くして「ライカ」が追いかけて来た。最近、チャギントン電車が走り始めた。アニメのキャラクターで、本物そっくりな電車を岡山電気軌道が走らせているのは有名だ。さすがにラッピングだけなんだけど、これもまた目立つなんてもんじゃない。子供さんは大喜びである。キリコとの贅沢ショット。キリコやチャギントン電車の写真はこちらでもあります。 ちなみに一年前の鹿児島駅前電停の工事現場はこんな感じ。のサイトはこちらから・・
2022.06.11
本年もバレンタインデーがやって来た。鹿児島のローカル百貨店「山形屋」では、薩摩おごじょ専用の特設コーナーが設けられ、フォルクスワーゲンのオブジェがドカーンと飾られるなど、大盛況らしい。北海道出身の嫁さんは、やっぱり北海道資本の商品(ロイズ)を買って来た。JR北海道札沼線でロイズタウン駅なる新駅が出来たらしく、遠く鹿児島の地から密かに応援しているのである。ホワイトデー前日、拙者も山形屋へ買い物に行った訳だが、デパ地下は一種異様な雰囲気であった。普段デパ地下などと歩いたことも無いような中年男性諸君がふらふら彷徨っていて、非常に歩きづらいのだ。そう云う拙者もかなり迷ったのだが、困った時はユーハイムと決めていて、見て即決したのが「エルトベアハイム」~写真は一人前に切った後で、実際は景気良く「一本買い」であります。イオンモールへ行ってわざわざ昭和喫茶を探す二年ぶりにイオンモール鹿児島へ買い物に行った。クルマ(ラパン)を手放してから、イオンモールに全く行かなくなったのである。市中心部から遠く離れた臨港地帯にるから、クルマが無いと行く気になれないのだ。超久々だからバスに乗ってでも行って来たが、天文館から50分も掛かってしまった。前を走るバスは特攻観音行で、それよりは遥かに近いけど、50分バスに揺られるのは旅行に近い。イオンモールと云えば騒がしいフードコートがあるイメージで、武蔵村山店の「ニナス」のような落ち着いた店があるのは奇跡だと思ったが、鹿児島店内もイオンモールらしく無い喫茶がある。トローンボーンコーヒーと云う謎の店で、コーヒーカップをコーヒー注ぐ前から温めている純喫茶らしいお店だ。ケーキの手作り感と果物食った感が凄い。イオンモールなのに静かな時間が過ごせるからゲミュートリッヒな気分を味わった気になるのであります。落ち着いた時間を過ごしたければ初めから天文館の昭和喫茶に行けばいいだけの事ですな。煙草の香りを嗅ぎながら飲むコーヒーは、大昔に祖父と喫茶店に行った時のことを思い出すのだ。コーヒーもケーキも、懐かしい思い出と食器の意匠を含めて味わうから美味しい。アメリカさんのスイーツ&コーヒーの話を少々天文館電停の前に「センテラス天文館」がオープンした。鹿児島で初めてエッグスンシングスが入ったと云うから、久しぶりに行ってみることにした。エッグスンシングスと云えば、クリームを蟻塚のように積み上げるパンケーキがあって、是は嫁さんと二人で割ることになった。ところが、蟻塚は思ったより低かった。平成28年当時はこの高さ 昔は途方もない高さだったのだが、是が低くなったと云うことは、もしかして円安と物価高によって我々が実質的に貧乏になった性なのか。最後にスターバックスコーヒーのお話。嬉しいことに、拙書「相生橋にて」の読者様からスタバのエスプレッソコーヒーの差入れがあったのであります。どうせなら、ドーナツを付けていただきましょうかとスタバへ買いに行って来た。何かねぇー、感激するほど美味しいんだなー。苦いめのエスプレッソがドーナツに合い過ぎたこともあるが、やはり人様からの善意の味が格別なり。お蔭様でゲミュートリッヒなひとときを過ごさせていただいて、また明日からいろいろ頑張る所存であります。↑のサイトはこちらから・・
2022.05.08
令和参年中は、天文館にあるセリアに通っては、JR貨物コンテナの小物入れが入荷しているかチェックしていた。よくコンテナ船に積み込まれる外資系物流会社のコンテナは何時も売っているが、JR貨物がなかなか見つからない。ある日、JR貨物や旧国鉄、引っ越しのカンガルー便とか、本邦のリアルなコンテナが並べてあるのを見つけて狂喜乱舞(笑)。※天文館:プラネタリウムでは無くて鹿児島市中心部の歓楽街のこと。迷いに迷った結果、やっぱりJR貨物のコンテナを買うことにした。水色のコンテナは、微妙に使い古した雰囲気があって、リアルそのものである。ちゃんとコンテナの番号やエコレールマークまで入ってある。鉄道模型の一歩手前のリアルさだ。令和参年の年末に、CD専用のケースを買った。中森明菜:Best-3のCDは、平成参年製の年代物。とっくに参拾年以上経過していて、そもそも弐拾年くらい前にブックオフで買った中古品。確か250圓だったと記憶している。以前から外装が傷だらけで、せっかく何拾年も聴いてるCDだからケースくらい交換しようと思ったが、是も探すのに苦労した。鹿児島中央駅のビックカメラで漸く発見!未だに、こんな物を買う人も存在するんです。交換を終えた名盤はキラキラ輝いています。来年の年賀状は、例年どおりロフトで売っている大日本帝国郵便時代の復刻年賀状であります。虎さんがクラシックカーを運転している面白い絵を見つけましたよ。干支のシールと櫻のシールを貼るのが伝統で、バンザイしてる男の子みたいに浮かれた気分に浸って令和参年も幕であります。2017年はこんなものを使ってた気持ちを新たにパスケースを買い替える令和四年が明けまして、おめでとうございます。新年は帰省先の相模原市:橋本天満宮に参拝。五カ月遅れでこんなことを書いているのであります。さて、旧東ドイツの信号機キャラクター「アンペルマン」のパスケースが古くなってしまった。パスケースはアンペルマンを代々使っていたのだが、最近アンペルマンのパスケースがネットで全然見つからない。今回はやむを得ず他のデザインを探すことになった。試しに購入したのが、クラシックスタイルなマルーンのパスケース。ちなみに猫の免許証のネタが分かる人は、年齢が一定以上進んでいる証拠ですな。正面の見える所にダミーで付けているんだけど、本当に免許証を出す時に間違えて出すところだったのが何度かあって本当に恥ずかしい。時代は下ってもナメ猫は健在らしく、オンラインで自分の名前を入れてナメ猫免許証を作ることが出来るサイトがあった。試しに作ったのがであります。時代を感じさせる・・・↑のサイトはこちらから・・
2022.05.05
スケルトンの鳥居が青空に美しく映える神徳稲荷神社に別れを告げて、我々は旧鹿屋駅に向かう。旧鹿屋駅は、鹿屋市役所のすぐ近くに位置しており、往時を偲ぶ鉄道記念館となっているのだ。神徳稲荷神社から徒歩15分くらい歩いた。途中、旧大隅線の線路跡地を見ることが出来る。旧鉄道橋が道路に転用されたことを示すプレートを発見。道路は緩いカーブが続いているが、鉄道線路としては急カーブと思われる。此のカーブした道路を歩いて行くと、旧鹿屋駅だった地点に行けるのだ。鹿屋市鉄道記念館は、公園の中にある整備の行き届いた施設だった。入場料は無料で、施設管理者の方が入鋏した入場券を記念にくれる。記念館内は、当時の資料が数多く展示されている。鹿屋駅の構内図を見て、なかなか大きな駅であったことを実感。最盛期は貨物も扱っていたようだ。大隅線が廃止された際に掲げられた横断幕があった。鹿屋市の人口は決して少なくないのに、鉄道を維持出来なかったのが不思議である。もっとも、鹿児島市へ出るのに大隅線は不便だった。錦江湾沿いを国分までずっと北上して、日豊本線に乗換えて鹿児島市へ向かうことになる。通勤通学は無理と云えよう。大隅線を走っていたキハ20が保存されていた。乗務員が非常時に使うと思われる消火器が其のままになっていた。しかも、車体外部に消火器格納庫があるのを発見!消防設備士の免状を持ってる拙者は、ついつい消火器に目が行ってしまうのであります。(→消火器のマニアックな写真はこちらでも)鹿屋市鉄道記念館を後にした我々は、帰りのバスに乗るために「リナシティ」を目指す。中心市街地と思われる道路を一キロばかり歩いたが、途中はいわいる「シャッター通り」のような様相。何だか神戸電鉄小野市駅前を歩いたときを思い出してしまった。本当に不思議なのは、中心市街地だと云うのに、リナシティへ着くまで一人として人と擦れ違わなかった。一キロ歩いて誰にも会わないとは・・・。 リナシティの建物は真新しいもので、品数豊富なスーパーもあった。人影の無い旧商店街との落差に戸惑う。リナシティ内に立派なバス待合所があって、其れなりに交通の要衝なのに鉄道が維持出来ないのがやっぱり不思議。だって鹿屋市より小さい街を走るローカル線なんて、いくらでもあるからだ。バスとフェリーを乗り継いで、鹿児島市側の鴨池港へ到着。対岸の大隅半島は、やはり近くて遠い存在だった。 さて、鹿屋市をブラブラ歩いた記録をまとめてみた。「鹿屋航空基地資料館」の様子は→こちらから! 「神徳稲荷神社」や「鹿屋市鉄道資料館」のベストな写真は→こちらから!のサイトはこちらから・・
2022.04.24
鹿屋市は近くて遠い。九州新幹線沿線が短時間で結ばれる反面、在来線沿線や鉄道も無い地域へ行くのはやたらと時間がかかるのが鹿児島県の現状なのである。だから、鹿児島市中心部(天文館)から鹿屋市へ行くとなると、バスで鴨池港まで行ってフェリーに乗換えて錦江湾を横断して垂水港まで行き、其処から更に路線バスに乗り換えて鹿屋へ行くと云う行程になる。全行程ざっと二時間、鹿屋は博多より遠い街になった。フェリーが鴨池港を出港すると、甲板から県庁などの建物がよく見えた。船からは、もちろんのこと桜島も見える。沖合に出ると奄美まで行くA-LINEのフェリーとすれ違ったり、船のすぐ横を泳ぐイルカの群れも見ることが出来た。水鳥が集まっているところは、きっと魚が群れているのだろう。垂水からバスに乗っていよいよ鹿屋市内へ入る。鹿屋体育大学を過ぎて暫くして見えて来るのは海上自衛隊鹿屋航空基地。陸の孤島のような場所に海軍航空基地とは、神奈川県の厚木基地によく似ている。基地の入口に旧海軍時代の飛行艇(二式飛行艇)が保存されていた。間近に見るとめちゃくちゃ大きい!実際に大東亜戦争で活躍した本物で、米国に接収された実物が返還されて、こうして保存されているのである。鹿屋航空基地資料館は、旧海軍時代を経て海上自衛隊で使用され続けている鹿屋基地の、長い長い歴史を網羅している。なので、収蔵されている資料は膨大なものだ。大東亜戦争当時の、海軍特別攻撃隊に関する資料も多く展示されているが、特攻隊関連の展示コーナーは、英霊への敬意から撮影禁止。なので、それ以外の資料だけ写しています。(→詳しい写真はこちら)資料館のとなりにある観光物産総合センターでは、映画「永遠の0」の撮影で使われた零戦コックピットのセットが展示されてある。こんなしょぼいセットでも、映像技術で本物のように見えるのであろう。セットは売店の真ん中に展示されている。売店の横は食堂で、其処で供されている海自カレーを食べるのは「当たり前田のクラッカー」なのであります。スケルトンの鳥居が目を引く神社鹿屋基地の敷地から直ぐの所に、神徳稲荷神社と云う小さな神社がある。此の神社、「スケルトンの鳥居がカワイイ」と評判なので、拙者も参拝に行って来た。参拝と云うよりビジュアルを鑑賞するためである。此の通り、何とも爽やかなスケルトンの鳥居が建てられています。接合部は金属で、何ともメタリックで近未来な鳥居であります。参拝前に天気は必ず確認するべきであろう。青空のキラキラと輝くビジュアル感からパワーをもらう気になるようなものだ。さっきから鳥居の足元や燈篭に何か白い物が散らばっていると思ったら、全て「狐さん」である。確かに境内の売店でも売っていて、買った人は気に入った所にお供えするようである。何でもいいが、燈篭の上に置かれている「狐さん」は、台風でもあったらみんな地面に落っこちそうな気がする。(→神社の詳しい写真はこちらでも) 参拝を終えて、次は旧鹿屋驛の鉄道史跡などを巡るとしよう。お話の続きはまた今度の機会に。↑のサイトはこちらから・・
2022.04.16
国家としてはクソなのに~のくだりは、拙書「誰かが見た結末」の登場人物のセリフであるが、拙者自身のロシア感そのものである。例のウクライナ侵略で露わになったのは、「あの国は本当にクソだ」と云う、動かしがたい事実である。年末年始に相模原市に帰省した。二年ぶりの帰省である。羽田空港に着いた後、キキ&ララの羽田モノレールに乗ったり自動運転バスに乗ったり、いろいろ道草食いながら都心へ。日比谷シャンテで嫁さんと食事をした。嫁さんが「赤の広場に行きたい」と言い出したので、何の話かと思ったら、赤の広場と云うロシアの雑貨店(経営者はウクライナ人なので誤解のなきよう)が何やら「かわいい」と評判らしいのだ。場所は東銀座だと云うから、運動がてら其処まで歩いて行った。なるほど、ロシア産の食品や雑貨の店なのだが、壁に吊ってあるのを見て驚いた。それは何と「プーチン大統領のTシャツ」なのである。誰がこんなん買うねん、と突っ込むところだが、売れるから置いてあるのだ。「あのオッサン、自分のことカッコイイとか思ってんだろうか」と、苦笑を禁じえなかった。 そう、日本国内ではあの国のことが「ネタ」として消費されていたのだ。あまりのバカバカしさに、ディスる気力も萎えるとは此の事か。こうした傾向は、例えば最近のロシア大使館のツイッターが象徴的であろう。「日本は二度もナチスを支持する挙に出た。かつてはヒトラー政権、今回はウクライナ政権を支持した」 まるでぶっ壊れた翻訳機のような支離滅裂さが乙で、これでも彼らは心理戦を仕掛けていると本気で思っているらしい。だが、もう笑い話で済まされない。我々の言ってることが分からなければ、核弾頭を撃ち込んでやると、彼らは大真面目に考えているのだ。もちろん、広島や長崎の人々が何を叫ぼうが屁のカッパだ。チャイコフスキーを聴き続けて四十年が経ち 実家に帰って、掃除をしたり私物の整理をしたのだが、古いステレオに仕舞ってある古いレコードに見入った。チャイコフスキーの悲愴(カラヤン指揮)、チャイコフスキーのピアノ協奏曲(リヒテル演奏!)~いずれも小学生の時分から聴き慣れていたものである。小学生の頃から悲愴とは、何とも先が思いやられる訳だが、逆に聴いてて心が洗われるような気になるものだ。こんな訳で、拙者はロシア作曲家の曲は浴びるほど聴いている。ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、最近はグラズノフも聴いた。CDの枚数ではドイツ・オーストリアを超えるかもしれない。 本来なら、魅力的な文明国は自然と人間が集まって来る。19世紀末のハプスブルグ帝国は、軍隊は弱くても文化力のおかげで大国として君臨したではないか。それなのに、東欧やバルト三国やウクライナがロシアを見限ったのは、国家としてクソ過ぎて、バレエの本家だとか、マリインスキー劇場が素晴らしいとか、そんなのでは埋め合わせ出来ないほど重症だからだ。 さて、父親の書斎は歴史モノが結構多いんだけど、「バルバロッサ作戦」とか「焦土作戦」とか、いわいる独ソ戦の分厚い本がある。だから、ハリコフとかジトミールとか、独ソ両軍が激突した地名や位置関係は前から知っていた。キエフ近郊バービー・ヤールでは、ナチ親衛隊によって大勢のユダヤ人が虐殺されたことでも知られ、キエフに追悼施設がある。その施設もロシア軍のミサイルで被弾してしまい、現地のユダヤ教徒が憤慨している訳である。ここでロシア大使館の妄言をもう一度読み返して欲しい。ガス節約に電気ケトルを購入拙者は急遽「電気ケトル」を買った。湯を沸かすのをガスから電気に転換するためだ。ロシアへのLNG依存を少しでも減らしたい!購入したのは、ヒロ・コーポレーションの電気ケトル。電源をオンにすると、LEDが光り輝く。空焚き防止にもなる訳であります。(背後に映っているのは旧東ドイツ軍の制服なので誤解のなきよう) それと、ウクライナ支援のバナーを急遽作りました。しょぼいけど、技術が無いので。それと、トイレットペーパーの「ネピネピ」の外装パッケージがウクライナ国旗の配色であることに感激してしまった。
2022.03.06
他県の人に「ニシムタでポンタ五倍だから与次郎のフレスポ行って来た」なんて言ったところで何のこっちゃ、となるだろう。「与次郎のフレスポ」とは、ダイワハウス系の会社が運営する鹿児島市与次郎一丁目にあるショッピングモールのこと。そこにオープンした「スイート・スイーツ」と云うケーキ店が気になっていたのである。ピンクピンクの店構えから、おっさん一人では入れる訳ないオーラが漂っているから、嫁さんと買い物のついでに行きましたよ。ケーキセットを食べてみたが、さすが有名なパティシエの先生のお店だけあって、レベル高過ぎる!モンブランの栗の表面には金箔が散りばめられている!金価格も上昇中だし、是でテンションが俄かに上がった。其れからと云うものの、年末の愉しみとして、ひたすら甘いものを食べまくることになった。そして親戚から頂いたお歳暮はユーハイムのバウムクーヘンとクッキーのセット~是は人類が創造した最も美しい菓子箱ではないだろうか(笑)。テーゲベックとか、同じの何十年やってんのよと云う感じだが、伝統的ドイツ菓子は変わらなくてもいい。こっちも飽きることなく何十年も食べ続けているのだ。クラシック音楽を飽きずに何十年も聴き続けるのと同じ感覚である。感覚を忘れない為に面倒でもケーキ作りは続けてますクリスマスイヴは平日だから、嫁さんが「タイヨー」で買って来たケーキで凌いだが、仕事納めになって時間が出来たから、自作でケーキを作る。東京時代の時のようにお客様をお迎えして何かやる訳にもいかないので、技術を落とさない為に作っているようなものである。なので、基本に忠実な「普通のケーキ」で。そして食べながら令和参年の反省会を行う。とうとう令和参年も終わりに差し掛かり、二年ぶりに相模原市へ帰省する。帰りに日比谷シャンテに寄ったら、果実園が出店していたので、そこで「フルーツサンド」を食べる。落ち着いた店内でゲミュートリッヒなひと時を過ごさせたいただいた。もう甘いものは是でいいやと思って実家に帰ったら、何と!母がケーキを用意して呉れていて、結局其れも食べてしまう!大晦日もケーキを食べて、もう甘いものはいいやと思っても、まだまだ!母から「鎌倉小川軒」だとか、嫁さんのお友達からもお菓子をいただいて、自宅に戻っても暫くお菓子漬けである。そして仕事初めになって、帰省から戻った人から貰うお菓子もあるのだ。もうお菓子いらない!と思っても、「タイヨー」でカップに入ったティラミスに半額シール貼ってあると、ついつい手が伸びてしまうのである。こんなに甘い物ばっかし食べていいのかねぇと、さすがに罪の意識が芽生えて来たのだが、スーパーの半額シールの誘惑には勝てないものである。自作バナーであります。
2022.02.26
久大本線に乗って日田へ行って来た。九州生活も弐年になるが、大分県内に入ったのは生まれて初めてである。拙者は、別府のような開けた観光地よりも、奥深い盆地に残る小京都の方に興味がある。なるほど、幕府直轄領だった往時を偲ぶ街並みが保存されていて、其の多くは観光客向けのお土産店なんかになっておるが、一番面白かったのは、醤油店に併設してある雛人形の博物館であった。拙者はひねくれているから、こう云う所へ来ると、ついつい変に斜めな角度から対象を見ようとする。笑っていると云うより悪態をついているような雛人形。江戸時代のものです。アップで見るとやっぱり怖い。微妙に寄り目だし。こんな雛人形が市販されても、みんな敬遠するだろう。此のお姉さんはどう云う体形してんのよ、と突っ込みたくなる雛人形。光で表情が見えにくいけど、コンビニで買い物してたらバックしてきたクルマが店のガラスを割っちゃって「あーびっくりした!」と云うような驚きの表情に近い。此の人形が市販されても怖くて誰も買わないだろう。一体々々眺めていたらキリがないが、江戸時代の雛人形は総じて顔が怖い!よくよく考えたら、現在市中に出回っている雛人形達は、無難な顔つきと云うか、少なくとも不気味さは感じない。上手く出来てるんだなーと感心した。誰が見ても気持ち悪くない顔と云うのは、案外難しいのではないか。リアル過ぎる人形は気持ち悪い?今にもこちらに向かって来そうな圧を感じる、市松人形の皆さん。人形はリアル過ぎると気持ち悪くなるのは、科学的に立証されているそうだ。何か言いたそうな顔してません?「一緒にあそびましょ」と言いそうだし、「バーカ!キモいんだよ!」とも言いそうだ。今にも笑いそうだし、キレる寸前みたいでもある。だから生きているように見えて気持ち悪いのだ。小面が廊下に飾ってあったら、夜中トイレに行けなくなるかも知れない。なんで能面が気持ち悪いのか。その理由は、無表情なようでて、実は表情豊かに表現出来るところにあるようだ。驚いたことに、見る角度によって喜んで見えたり悲しんで見えたりするのだ!是が能と云う芸術の凄まじい所である。一個のお面で喜怒哀楽を全部表現できるように仕組まれているとなれば、もはや単なるお面ではなく生きている人間と同じである。さて、雛人形の館を出て、日田の天領時代的風景をいろいろ眺めた。是から日田駅に戻り、特急ゆふいんの森に乗車し、日田市を後にするとしよう。(続きは一週間後くらいに出します。ホームページ側の写真集はこちらから)のサイトはこちらから・・
2021.11.07
マイナンバーカードの取得もやっと完了し、マイナポイントも受け取ることが出来た。何を買うのか迷ったが、古くなったマウスの交換をすることに。ただのマウスでは面白くないので、メルセデスベンツ300SLのマウスを買ってしまった(なぜか国産車より安い)。ちゃんとヘッドライトも光ります。マウスと思えないリアルさである。確か、同型車が石原裕次郎記念館(今はもうありません)に飾ってありました。拙者は西部警察車両がお目当てだったので、ほぼスルーしていたけど。クリックは、ボンネットを押して操作します。あまりにもリアルなので、何だか使うのがもったいない!コロナ禍で外食も激減してしまったが、鹿児島に来たのだから、黒豚のトンカツを食べたい!と云う欲求は抑えることが出来ない。嫁さんと専門店に食べに行った。御存じの通り鹿児島県は畜産王国。食肉加工場が新規オープンしたとか、〇〇さんちの牛が賞を取ったとか、学校給食に地鶏をどーんと出したとか、そんなニュースが凄く多い(笑)。店内に品の良い雛人形が飾ってあった。すみません、だいぶ前の出来事です。リアルタイムな発信とか全然出来ないから、拙者はツイッターとか、一切やりません。東京時代、若い姫君に何度か奨められたが、面倒だから嫌だ!と断った。ラフマニノフの旋律以上に息が長いだけ、逆に十何年もブログを続けられたのかも知れない。拙者もたうたう四十七歳を超えました・・・もう五十代まであっと云う間ですよ。コロナ禍で自宅カフェ「プロイセン鹿児島」も開店休業状態。博多阪急ブレンド珈琲も底を尽き、かと云って買い物に福岡に出るのも控えざるを得ず、創作意欲を失う。嫁さんが買って来た市販のケーキと緑茶で、しばしゲミュートリッヒなひととき。藩邸の御家老や御家人の方々からもお菓子とか頂いてしまって、ホントに感謝です。甘い物食べたら、運動をせねばならない。昨年、クルマが故障して廃車にして以降、遠くまで歩く癖がついた。ちょうど、ウォーキングコンテストのような行事を藩内でやっており、図書館まで歩く。国道沿いをひたすら歩くんだが、決まって一回か二回は牛さんや豚さんを積んだ家畜運搬車を見る。是からお肉になるところらしい。外を不安げに見ている牛さんと目が合ってしまうこともある。そして、家畜運搬車以上に頻繁に見るのが、奄美諸島行きのコンテナトラック。鹿児島県は離島が多いから、鹿児島港から物資が頻繁に行き交っている訳です。頻繁に見るA-LINEのコンテナさて、今年も図書館でいろんな本を借りた。小説の次回作、次々回作のネタ探しも兼ねてである。井伏鱒二や原民喜、松本清張と云った重たい物から、全国方言小辞典、正確な題は忘れたけど、北海道の国鉄の写真集とか、「ななつ星」が出来た経緯を書いた本とか、まぁいろいろ借りた。「スマホを見るのやめて本にシフトだ」を心掛けたけど、一番よく読んでるのが先月買った全国時刻表なんだよなぁ。富山地鉄の特急が新幹線シフトになっとるとか、石巻行快速が仙石線経由でなくなっとるとか、マニアックな視点で楽しませてもらってます。図書館との行き来で歩数が増えた性か、御家老よりプール・ル・メリット勲章(バイキンマン)をもらった。ちなみに鉄十字章は両面になっていて、国防軍時代ではなく、ナポレオン戦役の時代を常に表にしているので誤解のなきやう。のサイトはこちらから・・
2021.07.10
「ンパダケイ」の配達用トラックが、ヤマザキパンの中古車?と思えるほどデザインが似ている。しかも、トラックに描かれる逆読み文字の本家とも云える「ターャジス」が、世間に安易に迎合して逆さ文字を放棄してしまったのだが、イケダパンのトラックは、クラシカルな逆さ文字をしっかり保持しているところが素晴らしい!逆さ文字に萌ぇ~イケダパンは鹿児島ローカルな会社。パンだけでなく、いろんな物を作ってます。お雑煮の為に買った丸餅もイケダパンだったな。そう言えば、イケダパンの菓子パンの幾つかは、ヤマザキと激似で、両者はどうも資本的に繋がりがあるらしい。トラックのデザインが似ている理由も納得であります。甘い菓子パンを食べたくなったら「フランソア」のパンに手が伸びてしまう。モンブランも甘いが、カスタード入りメロンパンも甘い!生クリームが入ったクロワッサンなんか、食べるたびに罪悪感を感じる甘さだ。フランソアは、福岡県のメーカーで、個性的な商品が多いのが特徴だ。の写真右側は、最近其の存在に気付いた「九州づくり」と云う謎のパン。九州は小麦の産地なんですよ。阿蘇の高原で放牧している乳牛から絞った牛乳ホイップとの黄金組み合わせであります。地元農協の牛乳と一緒に頂くことにしましょうか。鹿児島農協の牛乳もまた地方都市らしい雰囲気を持っていて、パックの余白には、地元の治安当局からの「余計なお世話」的な啓発広報が印刷されておるのがお約束だ。秒速5センチメートルと云えばあの飲み物新海誠先生の「秒速5センチメートル」~此の映画はねぇ、しんどいですよ。火垂るの墓の次の次くらいに気が滅入る映画。秒速5センチメートルを観たくらいで鬱になったとか言ってんじゃねーよと云う意見は、全くもって其の通りなんだが、グサッと突き刺さるのは、やはり心理描写の巧みさ故かも知れぬ。要は、東京在住時代に此の映画見て、んでもってヨーグルッペの存在を知った訳ですよ。いなげや(懐かしい!)で何故かヨーグルッペが山積みになっていたのを嫁さんが見つけて買って来た。南九州で流通しているのは、都城の会社だから。まぁ普通の乳酸菌飲料なんだけど、保存が効くから種子島などの離島に流通しやすいんだって。だからあの映画でも種子島のシーンで出て来た訳です。此の会社のグループ企業が北海道にもあって、其処でもヨーグルッペを作っているとのことだが、札幌在住時代に見たことが無かったなぁ。北海道と云えば、カツゲン、ハミンでしょう(何の話か分かります?)。天文館で味わった極上の黒豚去る11月〇日、北海道開拓時代にお世話になったS氏と、黒豚しゃぶしゃぶを初めて食べることになった。我々日本臣民は年々貧しくなっていることを痛感していて、普段の買い物で黒豚は高いから敬遠している。S氏の割引クーポンでやっと黒豚にありつけると云う訳なのだから、鹿児島に生活しておるのに情けないものである。実際食べるとね、こんな美味いもの、初めて食ったと言えるほど美味かった!とろけるような食感でね、さすが畜産王国鹿児島であります。のサイトはこちらから・・
2021.03.21
去る11月×日、仕事の関係で急遽奄美大島に出張することになった話の続き。奄美空港からレンタカー店へ向かうことにする。前日渡された案内では、当店まで奄美空港から徒歩3分、無料送迎いたします、と書いてあるのを見て、印刷誤りかと思った。徒歩3分では送迎などいらぬ。しかも「混雑時は10分ほどお待ち頂くこともございます」だって。意地でも歩かない人間がいるらしい。もちろん、レンタカー店まで歩いた。本当に3分で着いた。幹線道路沿いは、なるほどレンタカー店がズラリと並んでいる。空港は、名瀬市内から遠く離れた陸の孤島みたいな場所にあるから、需要が多いのだろう。レンタカー店の手続は直ぐに済んだ。いよいよ名瀬市街に向けて出発だ。信号などほとんど無い県道をひたすら走って行くが、時折エメラルドグリーンの海が見えてくる。はっきり言って、宝石のエメラルドよりも美しい。こんな綺麗な海が日本にあったのか?と思うくらいの輝き。こんな海を見ちゃったら、江ノ島なんか肥溜めかと思ってしまう。よっぽど海岸に降りてみようかと思ったが、時間に余裕が無いので残念だが、其のまま通り過ぎた。せっかくなので、名瀬の手前で撮った風景がこちら。入り江の奥に見えるのが名瀬市街である。山と海の狭間に街がひしめいている。市街地は、かなり賑わっている印象だ。本土によくあるチェーン店が幹線道路沿いに集まっている。指定の集合場所に到着、とにかく日差しが照りつけて暑いには恐れ入った。現地の皆さんと昼食を食べたが、初めて鶏飯なるものを食べる。けいはんけいはんと言うから、こっちは大阪の京阪電車を想像してしまう。けいはんと云えば京阪電車のことやろ?現地での用務を終えて、現地の方から「遅くなると渋滞が激しくなりますから、急いで街から出た方がいいです」とアドバイスされる。奄美大島は、他の地方都市と同様、超クルマ社会のようである。確かに、時間が進むにつれて道路は混んで来た。島の皆さんね、全然急ぐ雰囲気じゃない。前を走るクルマを見て思ったのは、なんかフラフラしてて危なっかしい。名瀬から龍郷町へ向かう途中も、車列は至ってのんびりしているから、こっちは焦って来た。飛行機に間に合うのか?と。ようやく空港前まで着いて、ガソリンスタンドに立ち寄る。ガソリンスタンドも、レンタカー提携店である大看板が立っていて、嫌でも分かるようになっている。レンタカー店でクルマを返却して「送迎バスが出ますからどうぞ」と勧められた。其処まで歩きますよと言ったら、まぁ直ぐ出ますからどうぞと、しきりに乗るように勧める(笑)。仕方ないから送迎バスに乗ったが、他のお客さんが来るのを待って、やっと発車したと思ったら、空港入口の信号の無い交差点で直進車が通り過ぎるのを待って、どう考えても走った方が早い(笑)。でも何とか飛行機に間に合った!あと1時間あれば、いや、30分でも余裕があればなー、白い砂浜とエメラルドグリーンの海を間近で見るくらいは出来た訳だが。仕方ないから、城南海の「月と月」でも聴いて、奄美の夕暮れを飛行機から堪能するとしよう。「奄美の里」で、観光してきたつもりに鹿児島市電谷山電停を降りた。路面電車の電停としては、日本最南端に位置している。電停前は、ごちゃごちゃした市街地なんだけど、此処から海側に歩いて行くと、奄美の里と云うリゾート施設がある。結婚式場やレストラン、スポーツ施設がメインなのだが、奄美大島の文化を伝える施設があるのだ。とにかく、此処で観光して来た気分を味わっておくか。はっきり言ってオッサン一人で来る所じゃないんだけど、嫁さんが忙しかったから仕方なかった。でも入場券を一人で買うのは恥ずかしかったな。 こんな感じで奄美大島の風景が展示してあります。もちろん今はこんなじゃありませんよ。お人形さんが大島紬を織っている風景などが展示されています。大島紬の工房もあって、もちろん専門店も入っている。頼むわこうてや、と云うアピールなんだけど、大島紬の高額さには溜息が出る。嫁さんへのお土産を買う。「あおさ味噌汁」は、想定外の美味さだった。インスタントだけど、あおさがお椀一杯に広がって、あおさの風味で味噌汁が甘く感じるくらい。タンカンチョコ黒糖も美味い!ゴディバより美味いよ。タンカンの酸味がいいアクセントで、チョコを食している罪悪感を忘れてしまい、ついつい何個も食べてしまうのだ。奄美の里を出て、谷山電停まで戻る途中、忌まわしい記憶が蘇った。東京から連れて来たラパンが故障したのが、まさに奄美の里の横の道路だったのだ。ラパンは廃車にしてしまった。お陰様で運動がてら歩くようになりました。↑のサイトはこちらから・・
2021.02.23
去る11月×日、仕事の関係で急遽奄美大島に出張することになった。本当に急に決まったことで、行くと決まったのは前日の2時半頃なのである。もちろん、現地の地理なんか何も分からないが、用務地は名瀬であることは分かっている。奄美大島の中心都市だ。急いで当日の段取りを確認することとなったが、空港から名瀬まで相当な距離があることが分かった。空港から路線バスに乗ると云う選択肢もあったが、時間的に余裕が無いので、現地でレンタカーを借りることになる。本当はオタク的興味で島のバスに乗ってみたい気もしたが、本当に時間が無いから断念せざるを得ない。出張当日、鹿児島中央駅から始発バスに乗って鹿児島空港まで来た。時刻表を見て、上から喜界島、奄美大島、沖永良部島、屋久島、種子島、徳之島と、鹿児島県内の離島へ向かう航空便がズラリ。改めて鹿児島県凄いなーと思う。もちろん、離島は是だけじゃない。与論島にトカラ列島、甑島列島も加えると、鹿児島県の島々は広大な範囲に散らばっているのだ。そして飛行場の方を見ると、離島へ向かう飛行機はプロペラ機みたいです。プロペラ機に乗るのは、三十数年前に東亜国内航空のYS-11以来だと思う。写真のとおり、本日は天気もあまり良くない。沖永良部島へ向かう便は、悪天候のため運休するとのこと。せっかく奄美大島まで行くのに、天気が悪いとはがっかりだ。奄美大島行の飛行機は、遠くの駐機場にあって、バスに乗って移動することになった。本当に小さな飛行機だなこりゃ。機内の様子は写真のとおりです。日本エアコミューターの訓練用機材が空港に飾ってあります。機内は閑散としていると思ったら満席だったいよいよ奄美大島行は鹿児島空港を出発。ブルルルルと云うプロペラ機独特の音色が面白い。実は、我々が乗る機体はATR42-600と云う最新の飛行機。全く振動を感じず、はっきり言って帰りに乗ったジェット機よりも揺れなかった気がする。やはり技術の進歩は凄いものがある。離陸後、鹿児島市の市街地が良く見えた。薩摩半島も良く見える。プロペラ機なのでスピードも至って遅いのである。いよいよ太平洋へ出ると、雲が途切れ途切れになって来た。時々、島が浮いているのが見える。十島村の何処かの島なのだろう。いよいよ奄美大島に到達、確かに途中に浮いている島々とは比較にもならない大きさである。徐々に見えて来たのはサンゴ礁?本当にサンゴ礁なのかも知れない。飛行機が徐々に高度を下げて行くに従って、海面もみるみる真下に迫って来る。澄み切ったエメラルドグリーンの海、そして白い砂浜が太陽に反射して真っ白に輝いている。こりゃ仕事で来るような所じゃないな。此のまま砂浜に降りて遊びに行くしか無いような風景だ!いゃー奄美大島は晴天じゃないですか。沖永良部島が悪天候で奄美大島が快晴ってどういうこと?しかも此の気温は真夏ですよ。11月下旬だと云うのに最高気温二十五度、見事な南国リゾート天気である。こりゃ仕事する雰囲気ではないな。さて拙者は是から空港を出てレンタカー店へ向かうとしよう。(続きはまた追って書いていきます。恐らく一週間後か二週間後です。)↑のサイトはこちらから・・
2021.02.14
此のブログは2ヵ月以上遅延していて、11月に福岡へ出張したことをやっと書けるようになった。ちなみに、博多駅まで此の列車で来ました。特急「ゆふ」ですよ。東京から出張したんじゃありません。鹿児島から。鉄ヲタと云うものは、ただ新幹線に乗るだけじゃつまらないと考える。どうせ博多まで行くのなら、久留米で在来線に乗り換えてみよう、などと考えるのであります。ちなみに特急「ゆふ」は、久大本線経由のローカル特急だから、僅か三両編成。恐らく復旧区間だけ走っているのかな。肝心の由布院までの区間は、まだ復旧出来ていない。驚いたことに、由布院駅の構内に「ゆふいんの森」の車両が取り残されたままだと云う。7月豪雨が如何に凄まじかったかが分かる。「コココッペ」で明日の朝食でも買っておくか所用を終えて博多駅へ戻ると、駅ビル前はクリスマスのイルミネーションが。博多阪急で意地でも何か買うつもりである。其の訳は、宝塚の会員カードを使っておかないと、カード年会費を徴収されるし、ポイントも使っておきたいから。鹿児島赴任で宝塚観劇が難しくなったが、さらに東京や関西方面の旅行も予定すら立てられないから、阪急系のカードを使う機会が無いのだ。博多阪急前まで来た。何だか梅田へ来たような錯覚を覚える。懐かしさが込み上げる。此処で、明日の朝食のパンを買った。コココッペのコッペパンと、博多阪急ロイヤルブレンド珈琲を買う。阪急百貨店の紙袋も久しぶりにお目にかかった。本当に懐かしいなぁ。帰りの新幹線に乗って、コココッペを食べたくて仕方なかったが、嫁さんへのお土産を兼ねてだから此処は我慢だ。
2021.01.31
待ちに待った九月の四連休は、門司港散策を愉しんだ(此のブログ、どんだけ記事書くの遅れてんだか)。お気に入りの写真の数々は、ホームページ側に保存した(→こちらのリンクから)ので、其れ以外の諸々のネタをつらつらと。昼食は、門司港名物「焼きカレー」を食する。日本人は、とにかく勝手にいろんな料理を生み出す民族である。海軍発祥のライスカレーと何処が違うかと云うと、お皿に盛った後にオーブンで焼くところ。チーズと卵が乗ってて、卵は半熟になっとるから、其れを溶かしていくと更に味わい深くなる。溶岩のような状態で、猫舌の拙者にとっては地獄の料理だった。かと言って、冷め切ってしまったら美味しくないのだ。門司港散策に、貸し自転車は有効であった。潮風に揺られて自転車を漕ぐのは気持ちがいい。飛沫云々を心配することも無く、思い切り潮風の匂いを愉しんだ。自転車を海峡ミュージアムに返却に行ったついでに、展示物も見て回る。かつて門司の街を走っていた路面電車が不自然なので、よくよく観察すると、カットボディであった。鏡が貼ってあって、カットボディを壱両分に見せようと云うのである。海峡ミュージアムの展望室で、拙者は珈琲、嫁さんは門司港サイダーを飲む。青空と海の碧さが反射して、テーブルやサイダーを碧く照らす様子に見入ってしまった。午後のゲミュートリッヒなひととき。JR九州~独特の意匠をじっくり観察門司港から小倉に出て、小倉から博多まで在来線の特急に乗った。日豊本線からやって来た汽車(883系)が独特の意匠である。少しして気付いたが、荷物棚が航空機のように閉鎖式になっとるのが面白い。日除けを降ろしてみたら、此の通り。JR九州が、此処まで遊び心がある会社とは思わなかった。夕日が次第に山間に消えて行く。東京から移住した人間に言わせると、日が落ちるのがやたら遅く感じられる。昔、平和台球場の中継を見て、なんで此の時間でこんなに明るいんだよーと笑ったことがあった。いよいよ博多駅に到着!先頭車両の顔は、こんな感じです。骸骨のような、人工的に造った深海魚のような、少々怖い顔。本日は天神で一泊し、明日は生まれて初めて「西鉄電車」に乗る予定!↑のサイトはこちらから・・
2020.12.19
待ちに待った九月の四連休がやって来た(此のブログ、どんだけ記事書くの遅れてんだか・・・)。鹿児島に移り住んで間もなく一年、初めて県外を観光することになったのだ。どっぷり鉄道旅を愉しむつもりで、鹿児島中央駅から、わざわざ全駅停車の「つばめ」に乗った。N800系の豪華な車両に乗りたかったし、車窓に映る九州の景色を眺めたかったから。在来線を乗り継いで辿り着いたのは門司港!門司港駅は、鹿児島本線の起点でもあり、此処から鹿児島駅まで線路が繋がっていると思うと、気が遠くなる。国鉄にしては珍しい、終端部のある駅だ。向こう側は海なんだから、行き止まりなのは仕方ないのである。駅舎も往時の雰囲気を今に伝えており、大正浪漫を満喫できる門司港界隈を代表する存在でもある。もちろん、門司港レトロ散策も目的の一つで、あちこち周遊して来たところ。写真は相模太郎ホームページに保存されてあるので、見たい方はこちらのリンクから。門司港駅は、ちょっとした博物館である。公衆便所も便所だけでなく、大正時代の便所が展示されている。当時としては先進的な水洗便所だ。駅の便所と聞いて、日本放送協会が作った一昔前のドラマで印象深い場面を思い出した。終戦直後、満州から逃げる途中の話だ。中国人に変装したつもりが、何かの拍子に日本人だとバレる危険が大いにあった。鼻をかむ際も鼻紙なんか使うんじゃないぞ!と、いろいろ注意したつもりが、駅へ着くなり「便所何処ですか?」とか聞いちゃうのが日本人。あっと言う間に捕まっちゃった、と云う場面に笑うしか無かった。某国に言いたいが、空母を作るカネがあったらニーハオトイレを何とかしろよ。関門トンネルが出来る前は、関門連絡船なるものが存在したのである。さて、是から関門海峡の景色を見に行くことにしようか。港に出ると、舟が沢山係留されていた。海上保安庁の巡視艇も多数が休憩中。狭い海峡だから、巡視艇も小さい方が都合がいいのだろう。港には、福岡県警の巡視艇も。警察の巡視艇なんか初めて見たかも知れない。「山口県」まで行って来たつもりに・・・さて、我々は関門国道トンネルの「人道」へ向かった。関門国道トンネルは、海峡の一番狭い所を掘っている。なので、門司港駅からは少々距離を要する。是が関門トンネルの「人道」ですよ。エレベーターで下に降りて行く。歩道の構造も特徴があって、下り坂をずっと降りて行って、海峡の真ん中辺りからずっと登り坂になるのだ。そして、是が福岡県と山口県との県境。本当に県境があるのである。残念ながら、我々が行けるのは此処まで。旅券を所持して無いから、とか云う次元の話ではなく、単に時間が無いのである。門司港散策を夕方までに終えて、福岡市内のホテルに泊まる予定なのである。山口県の観光は諦めるしか無かったが、予想外の事で「行って来た気に」なることが出来た。御家老が長州藩に出張して来て、新山口駅を降りたのである。新山口?小郡じゃないの?と思った自分は相変わらず昭和の人間だが・・・。たまたま汽車が出発する時間だったそうだが、煙しか見えなかったそうだ。SLやまぐち号乗りたいなー、展望デッキ付きの「マイテ49」に乗りたい!という拙者の趣味をよく分かっていらして、汽車のマグネットを頂きました!貴婦人(=C57)のお写真は、名古屋のリニア館で撮った写真があります。あれは本当に恰好良かった!↑のサイトはこちらから・・
2020.12.13
新屋敷電停から甲東中学校前電停にかけて、広大な空き地が広がっていたが、何と公園が出来ていた!鹿児島の中心市街地に、これほど広い公園が出来たとは驚いた。オープンしたばかりとあって、家族連れで賑わっている。というか、子供ってそんなに居たのか?加治屋まちの杜公園の様子。電車の一駅分の公園などと、どんだけ広いんだ?と思われるかも知れないが、所詮路面電車でのお話。一駅と言っても、日豊本線の一駅とは訳が違う。陸上の選手だったら走った方が早くね?と思うくらい近さなので念の為。市内唯一の百貨店、山形屋の向かい側にある鹿児島銀行本店ビルも完成している。1階や2階は、各種店舗や鹿児島県内のPR施設のようになっていて、1階の吹き抜け空間はこんな感じ。恐ろしく不格好な「ドクターイエロー」が突っ込みどころ。・・・映像に写っている珍妙な獅子舞は、「市来という集落の七夕」に現れるそうで、次々と村人に襲い掛かって田圃にうっちゃるのだ。田圃に放り投げられた人を見て、あれでよく腰の骨折れないな、と不思議に思う。2階の一角に、肝付町のPRコーナーが出来ていて、何でもJAXAのロケット発射基地があるらしい。種子島宇宙センターに比べれば地味な存在だが、画像のとおり幾多のロケットを粛々と打ち上げているのだ。売店で、宇宙飛行士が食べる前提で作られた焼き鳥の缶詰が美味そうだったから買ってしまう。無機質な船内で過ごしていると、日本人は焼き鳥の煙が恋しくなるのかも知れない。これは明日の弁当のおかずに。運動不足解消のため、出来るだけ外は歩くようにしている。この通り、海岸線の道路なんか、誰も歩いていない。穏やかな錦江湾から心地よく吹く海風、もちろん右側にそびえるのは桜島なのだが、もう一年も暮らしていると、桜島も飽きて来る(笑)。桜島フェリーくらい乗ろうと思っていて、まだ乗っていないのだ。海岸沿いの公園の鳩もこの通り。地面にぺたりと腰を降ろす様子がかわいい。平均的に東京の鳩よりボケーッとしている。鳶とカラスは鹿児島市内の制空権をめぐって喧嘩ばかりしているが、鳩は「どこ吹く風」といった感じで意に介さない。人が居ると、エサをくれるのか様子を窺っている感じ。座布団カバーにアイロンをかける。札幌に赴任する際に、母親から譲り受けたのだから、10年は経つ。もうあれから10年も経ったのか・・・。以上、心地よい秋晴れに恵まれた鹿児島の、まったりした休日の模様です。↑のサイトはこちらから・・
2020.11.08
令和2年7月豪雨で球磨川が氾濫し、JR肥薩線が大きな被害を受けた。明治時代の米國製鉄橋が流されてしまい、旧鹿児島本線の遺構とも云うべき貴重な歴史遺産が消失してしまった。肥薩線は、「SL人吉」とか「やませみ・かわせみ」とか「いさぶろう・しんぺい」とか、三種類もの観光列車が走っていたので、何時か乗っておこうと思っていた。ところが、コロナ禍で観光どころではなくなってしまい、やっと落ち着いて来たので何時か訪ねようかと思っていた矢先の出来事なので本当にショックだ。特急「はやとの風」肥薩線は、隼人―吉松までの鹿児島県内区間は健在だから安心していたが、この区間を走る「はやとの風」が、9月下旬で休止すると云うから、8月最後の週末に急いで乗って来た。肥薩線の超田園地帯霧島アートの森湧水町は「その名のとおり湧水が出る」日豊本線は海岸沿いを道路と並走!世界遺産を展望室から覗き見したり・・南九州の秘境とも云うべき田園地帯を通り、栗野から霧島アートの森を訪ねる旅。築100年を超える駅舎を見学したり、プラットホームに米軍機の銃撃の跡を見たり、肥薩線の長い歴史を十二分に堪能することが出来た。此の旅の様子は、相模太郎ホームページに「ベストな写真」を掲載しています。(→詳しくはこちらから)「古き善き時代」を遺すことの難しさそして次の関心事と言えば、肥薩線は復旧出来るのか?と云う問題。旧鹿児島本線時代なら、政府は陸軍を総動員して復旧しようとしただろう。ところが現在の肥薩線は、典型的な閑散線区。しかも、明治時代の発展途上な技術で作られていたため、其のまま復旧することが難しいらしい(要は保安上よろしくない)。何となく「これは無理そうだな」と云う感じがするが、是では人吉駅やくま川鉄道が孤立してしまう。肥薩線の吉松から先、人吉までの復旧は可能なのだろうか。「幸せの鐘がある真幸駅」「肥薩線最高地点の矢岳駅」など、魅力あるスポットがあり、スイッチバックにループ線など、貴重な鉄道遺産が残っている。球磨川氾濫の被害もあまり無い区間だ。ところが、此の界隈は秘境の秘境の其のまた秘境。運休前の時刻表を見ても、通過する列車は片道たった三本だけ!生活路線としての機能は、ほとんど無い。ただし、人吉に直通する唯一の鉄道と云うことになれば、新たな需要も生まれるような気がするが、肝心の「はやとの風」が運休では、前途は多難なようだ。↑のサイトはこちらから・・
2020.10.25
緊急事態宣言が解除されて、少しだけ解放感があったのは6月頃。鹿児島市は梅雨真っ盛りで、出掛ける気も起きなかったが、天文館で昭和レトロな喫茶室を見つけて、久しぶりにゲミュートリッヒなひと時を味わった。商店街の雑居ビルの地下にある、本当に隠れ家的な喫茶店だ。煙草の香りを嗅ぎながら飲むコーヒーもまた、懐かしい味わいがする。ホットケーキセット~猛烈な昭和感がいいそして七月に入って、鹿児島市でも「クラスター」が発生して大騒ぎになった訳で、またもや出掛ける気力を失ってしまう。事実上のステイホーム状態となった。そんなある日、宝塚友の会から封書が来て、中を開けるとジェンヌ様達のポストカードが。宝塚歌劇も休演が相次ぎ、ここでファンの士気高揚を狙ってるみたいだが、こりゃいいもの頂いちゃったなーと思った。何に活用しようか考えた結果、当管理者の拙書「相生橋にて」の読者向けメッセージカードを作ろう!という事になった。職場の人向けに貸出をやっているレベルなので、4枚もあれば十分である。そして、読者の方からポン酢しょうゆを頂いてしまった!高知県産ですよ。ありがとうございました。そうなると、自然と食べたくなるのが鰹のたたき。鹿児島県産の鰹がスーパーで簡単に手に入る。次の週はズバリ焼肉のタレで使う!梅雨が明けると暑いのは当たり前梅雨も明けると、鹿児島市内は連日猛暑に見舞われた。鹿児島市が暑いのは当たり前と言えば当たり前だ。少し海風が吹くだけ、東京在住時代よりも過ごしやすいかも知れない。猛烈な日差しが桜島の山肌を鮮明に映し出し、いい写真が撮れる。猛烈に暑い日か猛烈に寒い日に限って、なぜか映える写真が撮れる訳である。今更、桜島を撮ったりしているのは拙者ぐらいで、地元の人は当たり前過ぎて気にも留めないようだが・・・。県庁の展望台からの眺望が素晴らしい!本当はもっと遠出したいのだが、新型コロナの流行が収まらないので、やはり出掛ける気力が起きない。部屋に居る時間が長くなると、身の回りの片付けをやりたくなる。もう使えなくなったシェーバーやデジカメを処分することにした。見た目は綺麗でも、経年劣化が進んで本当に使えなくなってしまったのだ。最近のスマホ内臓カメラが優秀なので、デジカメの新しい機種を買おうという意欲が起きない。確かにデジカメは使わなくなったコロナ渦の派生的騒動(日用品とか食料とか)に懲りた感があるので、備蓄食料の管理を進めている。レトルトカレーも、普通過ぎると面白く無いから、横須賀海軍カレーを調達。試しに食べてみたが、これぞ日本人が勝手に考えた昭和のカレーだ!毎日食べろと言われても、直ぐに飽きてしまいそう。士気高揚に、ご飯の上に立てる軍艦旗でも作ろうか(笑)。具も意外と入っていた・・・海上自衛隊の写真集もあります 写真集はこちらから・・・
2020.08.23
鹿児島市に住んで九ヶ月、街のあちこちに西郷さんの影を感じることは出来るが、太平洋戦争の傷跡を感じることは不可能だ。鹿児島空襲で三千人の死者を出したのは事実だが、西南戦争では、もっと大勢の命が奪われた。先の戦争とは、西南の役である!これが鹿児島市内の「雰囲気」だ。鹿児島市内に城下町の風情は消えているが、それは空襲以前に、西南の役や薩英戦争で壊されてしまっている訳である。明治維新のインパクトが如何に大きかったかが分かる。 しかしながら、鹿児島県内は太平洋戦争の最前線であった。鹿児島空襲は前哨戦に過ぎず、連合軍は南九州への上陸作戦を決行する予定であった。8月15日を過ぎてもなお戦争を続けていたならば、水平線の向こうから史上空前の上陸船団が姿を現したのである。そして九州全域に毒劇物がばら撒かれ、文字通り草木も生えない地獄が待っていた。本土決戦に備えて、県内の多くの箇所は要塞化され、厳戒態勢であったのは言うまでもない。今現在の、のんびりした鹿児島県内の雰囲気からは想像も出来ないことだ。 ところが知覧へ行くと、やはり特攻平和会館がある性か、太平洋戦争の爪痕を感じることが出来る。というか、ここまで来ないと太平洋戦争を感じることは出来ない、という言い方も出来る。75年も経てば、記憶の風化は避けられない。 木立の中で翼を休める戦闘機は、映画の為に作られたレプリカ。点在する林の中に飛行機や兵舎が巧妙に隠されていた。米軍機も必死になって特攻基地を捜索していたのだ。 三角兵舎も復元されている。特攻隊員が、出撃までの日々を過ごした場所だ。特攻隊員に対して、地元の女学生が「なでしこ隊」を結成して奉仕活動を行った。こういう事になると、必ず起きるのが思いがけないトラブル。ある女学生が「私も連れてって!」と、彼氏の乗る戦闘機に乗り込もうとして大騒ぎになったとか。月光ソナタのピアノ 平和会館の出入口に、フッペル社のグランドピアノが飾ってある。京都嵐山にて、SLとベーゼンドルファーのグランドピアノが一緒に飾ってある光景が気に入っていたが、グランドピアノと零戦の残骸がセットで飾られる光景は、創造と破壊の恐ろしいコントラストを示している。 「月光の夏」という映画がある。鳥栖国民学校の音楽室で、音大出身の特攻隊員が知覧へ出発する前に「月光ソナタ」を弾いた、という言い伝えを映画にしたものだ。てっきり、その通りの話かと思ったら危なかった。史実は正しく理解しなければならない。鳥栖国民学校に来た士官は、パイロットではあったが、後で調べたら特攻隊員では無かったらしい。しかも、このピアノは鳥栖国民学校のピアノでは無く、実物は鳥栖にあるそうだ。おいおい、紛らわしいよ。 いつか、ここで月光ソナタを演奏する事もあるのだろうか。個人的に思ったのは、月光ソナタに特攻機は「似合わない」ということ。ベートーヴェンは、そんな事をイメージして作曲した訳では無いのだ。この空間に、音楽が介在する余地は見い出せない。下手にBGMなんかが流れると、間違った感情が増幅するような危険を感じる。それほど此処は、デリケートな場所なんだと思う。 さて、この辺はまだ特攻平和会館の入口に過ぎない。ここから先は撮影不可の聖なる場所である。英霊に最大限の敬意を払いつつ、じっくりと展示を見学するとしよう。
2020.06.19
3月21日現在、薩摩藩内は「新型コロナウイルス感染者なし」という、本当なのか嘘なのかよく分からない状況ではあるが、ご家老より正式に「不要・不急の外出を控える」旨の沙汰があったのは先月のこと。既にスポーツジムに行くのを止めている。天文館をブラブラするのも止めている。家にいる時間がぐっと増えた訳だが、それによって進んだのが小説の見直し作業。後でゆっくり述べるつもりだが、昨年より少しずつ書き溜めていたものがあって、それの最終的な見直し作業が少し捗った。でも、どうしても遠出してまで買う必要が出たのは掃除機。嫁さんが札幌時代に使っていたものが、ついに壊れた。在宅時間が増えるのだから、部屋は綺麗にしたいのだ。なのでイオンモールまで出動。駐車場から桜島が綺麗に見えた。この日は雲一つない快晴であった。PM2.5とか、普段どれほど酷いのか拙者はまだ分からない。この澄み切った青空が、中国国内における経済活動の鈍化の性だというのなら、何とも複雑な気分である。ある研究によると、大気汚染の劇的な「改善」で、数万人の命が救われたというから、何が何だか・・・。イオンモール内に、鹿児島県のお土産コーナーがあって、改装工事中。これは明らかに市電のオブジェだ。随分と攻めてますね。さて、掃除機は近隣のケーズデンキでパナソニック製のを買った。実は、ファーストオーダーの「カイロ・レン」仕様の掃除機が売ってて、これまた攻めてるなーと思ったのだが、サイズが小さすぎて断念。そう、拙者は帝国軍のファンなのである。制服がドイツ軍っぽい所が好きでね(笑)。甘いものにコーヒーがあれば何とか・・・先月のバレンタインは、拙者の趣味に合わせてか、ユーハイム&LISA LARSONがコラボしたバウムブリュッケをいただく。さすがに鹿児島でデーメルとか無いんだけど、ユーハイムが頑張っているのが嬉しい。ホワイトデーは、ニシムタで苺が異様に安かったから、基本的な苺のケーキを製作。この辺りの消費動向は去年とあまり変わっていない。ニュースを見た。イタリアが大変なことになっている。人々は、アパートのベランダでマンドリンを演奏したり、イタリア国家を歌ったりしながら、住民同士で励ましあっていた。何ともお国柄を表すシーンだが、彼らからすると、何でもないのにマスクで顔を隠している日本人が異様に感じるのだろう。拙者も、マスク依存症が怖くてマスクをすることに抵抗があったが、ついにそれどころでは無くなった。だから、マスクを洗うという日課が出来た。 イタリア人の距離感は、確かに人間として真っ当なものだが、それが仇となっているなら皮肉なもんだ。そして日本人の多くが孤独であるが故に、ある程度感染が抑えられているのなら、それもまた皮肉。拙者の住むマンションは、もちろん歌声なんか聞こえないし、住民の名前も顔もろくに分からない。コミュニティなど皆無だ。だから、部屋を要塞化するしか無い、という発想になる。寂しいけどね。そうそう、昨年10月から撮りためた写真をまとめたコーナーを製作中。まだまだ工事中だけど。
2020.03.22
年末年始は、実家のある相模原市に帰省する。鹿児島空港の手荷物検査で早速引っ掛かった。無印良品の乳液・敏感肌用(しっとりタイプ)が怪しいというのだ(笑)。男のくせに乳液なんて怪しい!と思ったのかどうか分からないが、それだけ工作員共の監視を厳重に行っているとみられ、ある意味頼もしい。東京オリムピックの賑やかな塗装を施した機体が眩しい。搭乗受付を待っていたら、動き出して行ってしまった。これに乗るんじゃなかったのね。我々の乗った飛行機は、何の変哲もないANA機であった。今回のルートは、予約の都合で伊丹乗継で羽田へ向かうというものだ。この「伊丹乗継」~薩摩藩から土佐藩に帰省するご家老も利用したという。随分遠回りだが、最短ルートで行くと泳いで渡るしか無いらしい。伊丹空港へ着陸する寸前が楽しい。ハルカス、大阪城、梅田、阪急宝塚線の線路とか、全部見える。高度がギリギリまで下がると、街中を走る電車の車窓のようで、異様なスリルがある。 伊丹から羽田へ向かう途中の景色も素晴らしかった。機長が、左手に富士山が綺麗に見えております!とか言うけど、限りなく左の窓側の人間しか見ることが出来ない。運がいいことに、拙者はたまたま左の窓側だったので、かなりの時間、富士山を眺めることが出来た。なるほど、米軍のB29が東京を目指す良い道しるべだったことが理解できる。それだけ目立つのである。羽田に着いて、小腹が空いたのでドーナツとコーヒーを。店はメルセデスベンツがやってるというのが、嫌味ったらしい東京そのもの。伊丹空港に飾ってあったのはダイハツだったもんなぁ(近所に工場があるから)。ドーナツは美味いけど、コーヒーは美味しくなかった。そこもまた東京らしい。店内は、いろいろベンツのグッズが置いてあって、確かに父親へのお土産に靴下とかちょうどいいよな、てな感じで買い物をしてしまう。世の中上手く出来ている。お正月で見た、あんな光景、こんな光景そして羽田から京急で横浜へ→相鉄で西谷へ→そこで新宿発の特急海老名行に乗り換え!この路線も大きく変わった。乗った電車は群青色で、わざと戦前のような渋い色彩にしてブランド価値を得ようと企むなんて、まるで阪急の猿真似のように感じる。そして最後は大和から小田急で相模大野へ。伊勢丹相模原店跡の廃墟を見る。屈辱的な光景だが、拙者だって伊勢丹で買い物などしなかった。阪神グッズでも置いてあれば行ってあげたのに。今後、跡地利用の動向に注目しよう。伊勢丹跡地~まるで巨大な石棺お正月のテレビで唯一見たのは箱根駅伝か。青学の黄金時代と言っていい状況だが、スポーツとはマネジメント次第なんだということがよく分かる。彼らの本拠地は、実家からわりと近い。また淵野辺駅前で優勝パレードを盛大にやって頂きたい。青学のキャンパス~手前は横浜線近隣の神社でちょっと参拝実家に残してあるステレオ一式を久々に動かす。カセットデッキはもう動かない。CDは動いた。ここでスメタナ「我が祖国」を聴く。古いスピーカーから溢れる音は、レコードのように「ふんわり」して感じる。東京でしばしの間、自由行動になった。嫁さんとの集合場所は、京王百貨店のタイガースショップ前だ。一番分かりやすい場所なのである。早速、そこで面白い製品を見つけた。スマホの保護フィルムだが、阪神タイガースのマークが電源をオンにした時だけ「消える」という優れもの。消費者が求めているものって、こういう物だよね(笑)。続いて、渋谷へ移動する。相変わらずゴミゴミしている。嫁さんお勧めの店は、ヒカリエの果実園というカフェ。果物がぎっしり詰まったフルーツサンドが千円。果物は高いのに、ここまで盛って千円とは・・・東京でもこんな良心的なお店があるのである。銀座線渋谷駅がリニュアルされたというので、帰りがけに寄ってみる。銀座線開業当時を再現した黄色いレトロな車体は、実は拙者のお気に入り。ちなみにこの電車は、鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞したのも納得だ。ベルリン地下鉄を模したデザインも素敵だし、タイガース電車に見えなくもない。もう何でも阪急や阪神と重ね合わせたりするのが癖になっている。
2020.01.09
東京時代の「自宅Bar:プロイセン」においで頂いた皆様、本当に今でも感謝しております。鹿児島市に遅い冬がやって来ました。澄み切った青空には、街中だというのに鳶が大きな羽を広げて優雅に旋回しております。鳶とは対照的に、自分自身は忙しい毎日ですが、地元の皆さんに支えられながら、まぁ何とか元気にやっております。さて、最近思ったのは、身近に話されている言葉のイントネーションが何となく東北弁に似ているような印象を持ったこと。例えば鹿児島県警の警察官がしゃべったのを再現してみると、免許証ぉ↑の↓手続き↑はー↓住民票↑がぁ↓要りま↑すぅ・・なかなか文字で表現するのが難しいが、大阪生まれの拙者は絶対に真似が出来ない。ここでバリバリ関西イントネーションで話しかけたら、相手は「えっ?」と身構える訳である。阪神ファンもいてへんし、少し寂しいなぁ。でも生粋の鹿児島弁で話す男性を見ると、やっぱり薩摩隼人!という貫禄が感じられる。逆にご婦人が話すのを聞いていると、何だかとても可愛らしい。ちなみに、熊本みたいに「ばってん」とか言わない。当たり前やけど。いつだったか、桜島がものすごい噴火した。濛々と上がる噴煙を見て「これ凄いじゃないですかー!」と言ったら、職場の人はみんな「ふーん」という感じ。この人達は、一体どのくらい噴火したら驚くんだろうと思った。とあるレストランで、となりは日本人と外国人コンビだった。日本人の側は、噴火の様子を撮影した動画を見せている。外国人の側はそれを見て「オーマイガァー・・」と、大真面目にぶったまげていたのだった。まぁ普通びっくりするよな。目の前でこんだけ濛々と噴煙が上がっていて、逃げなくて全然構わないって、ほんと不思議な火山だよな。さて、東京時代の「自宅Bar:プロイセン」をたたんで、今度は鹿児島の地で復活を模索した訳だが、かなり時間を要した。引越にともなう諸々の出来事が重なって忙しくてね。ダイニング側は、「自宅Bar:プロイセン」のデザインを踏襲だ。東京時代とレイアウトが大幅に変わってしまったが、プロイセン軍旗や東ドイツ軍の制服はもちろん、ビスマルクのポスター、リヒトホーフェン男爵の愛機のポスターも再利用だ。作業も一息ついて、久々にコーヒーを淹れることにした。カルディで買った豆の残りを挽いて作ったら、いやーむちゃくちゃ美味い。ケーキはイオンで買った安物だが、コーヒーが美味ければ、何だって美味しいよ。ここで久しぶりに「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲」を聴く。三〇年以上聴き続けているCDだ。全然プロイセンじゃないけど。宝塚ゴーフルも食べてもうたラグビー日本代表の健闘を祈願して桜のシールを・・・リビング側の完成は大幅に遅れた。これまでのカーテンのサイズが全然合わないから、改めて計測して注文をかけた。ソファは引越前に処分していたので、こちらで買うことにする。そして、結局のところ同じようなデザインのソファになってしまった。サイズに限りがあるので、選択肢がほとんど無いのだ。今度のマンションも狭いからね。備え付けの電灯が全くない部屋なので、シャンデリアも新たに購入。ダイニング側の電灯の光が届くので、リビング側は最小限の電球数にした。リビングでくつろぐ時は、少々暗いぐらいがちょうどいい。 東京のアパートを引き払う際、和室に貼った桜の木のステッカーを丁寧に剥がして、サランラップに広げて保存した。次の新居でも再利用出来ないか、と考えたのだ。今度の部屋は和室が無いから、リビングに貼り付けることにした。作業をしていたのは、ラグビーワールドカップの日本代表が活躍している時で、チームの勝利を祈念すべく、桜の花弁を丁寧に貼り付けておいた。鹿児島まで持って来た「ラパン」のナンバープレートも、ワールドカップ仕様である。ナンバープレートの色を白に出来るから、という不純な動機から来たものだが、結果として良かったと思う。忙しくて試合もろくに見れていなかったが、断片的に伝わって来たのは、ラグビーはやっぱり紳士のスポーツだということだ。頼むから、見苦しい「テコンドーサッカー」などを繰り広げている某国なんか、関わって欲しくない。それと、日本人の誰もが真似したくない珍妙な髪型の男が牛耳る某国もだ。日本のラグビーが強くなったのは、偏狭な民族主義や国家主義を克服し、紳士の居る国になれたからだろう。大事にしてた電機暖炉、これまではダイニング側にあったが、今度はリビング側になった。暖炉にシャンデリアにクラシック音楽、あとはコーヒーとケーキですかな。頑張ってまたケーキの自作に取り掛かるとするか。
2019.12.13
さて、引越後の混乱も一巡し、少し遠出をしてみようということになった。まず目標に上がったのが指宿だ。周囲の人達は、ちっとも遠くないよ!とおっしゃるが、汽車の片道運賃が1,020円もする。江戸詰め時代の感覚では、箱根の関所を超えるくらい遠く感じる訳である。今回は初めて鹿児島市から外に出る訳で、しかも指宿枕崎線の様子を観察出来るとあって、また子供みたいに前夜から寝付けなかった。あまり恰好良くないキハ200車内はこんな感じ作戦決行当日、鹿児島中央駅から汽車で指宿駅へ向かった。指宿枕崎線は、鹿児島市内は通勤通学路線として運転本数もかなり多い。だんだん遠くになるにつれて本数が減って行き、指宿からさらに枕崎へ向かう本数は激減する訳である。まるで枕崎に人が住んでいないかのような扱いだ。乗った車両は通勤型列車で、黄色い車体は、阪神タイガースというより西武電車の雰囲気だ。菜の花号という名前が付いているが、工事用車両みたいな塗装でお世辞にもセンスいいとは言えない。まさか水戸岡先生のデザインではあるまい(笑)。車内はクロスシートでトイレ付だった。でもトイレの水を流そうとしたら、なかなか出なくて閉口した。10回くらい押したらやっと出た。指宿駅に到着し、南国らしい雰囲気を堪能する。生えてる植物から違う訳である。天気も素晴らしいが、桜島の灰もこっちに来ない日なので安心だ。鹿児島県内を行動するためには、降灰予報も確認せねばならない。 さて我々は、そこから路線バスに乗って長崎鼻へ向かう。バスの車窓も何だか長閑そのもの。地の果ての雰囲気である。長崎鼻とは、いわいる岬の先端みたいな場所で、そこには竜宮神社なるものがある。要は、浦島太郎伝説の場所らしく、竜宮というのはそもそも琉球のことだそうだ。まぁ地理的に沖縄の方を向いている岬だから、はるか南方の島々へのロマンを掻き立てる雰囲気はある。なんか作り物っぽい神社で、どれほどのご利益があるか分からないが、素晴らしいのは開聞岳を望む絶景であろうか。もう絵葉書レベルの被写体があちこち転がっている。ちなみに、このブログでUPする写真は「B級」のものだけとする。A級の写真は、自作ホームページにUPしようと思っている。さて、長崎鼻周辺は、中途半端に前時代的な土産物店や飲食店が並んでいて、かえって購買意欲が萎える。行きたかった店はそこには無くて、長崎鼻より県営フラワーパークに近い所にある、マンゴー農家が自分でやってるカフェ。 超絶美味かったホットサンドマンゴーのパフェもなかなかだが、地元産カツオのツナを使ったホットサンドが絶品なり。大将がドヤ顔だったが、これは自慢していい一品だと思った。こんな美味いサンドイッチを食べたのは、阪神百貨店のモロゾフ以来のことだ。その店ではフラワーパークの割引券までもらえた。なんかついている。と思ったら、フラワーパークの受付嬢曰く、割引額が少し減ったそうで、どーもすいませんとか言っている。この適当さが地方らしくていい。フラワーパークとは、県庁が運営しているらしい有料公園で、まぁ花が咲いているだけなのだが、欧風庭園はそこそこのクオリティーだった。拙者好みの雰囲気(笑)フラワーパークを出発した我々は、徒歩でJR西大山駅へ向かう。その駅は、JRでは最南端の駅で、「幸せを運ぶ黄色いポスト」があるのだ。そこで出したい郵便物があるのである。長くなったので続きはまた今度・・・。
2019.11.24
さて、休日なので嫁さんと二人で外食に行ったが、「白くま」を食べようということになった。白くまとは、鹿児島を代表するスイーツなのだそうだ。ジャンル的には氷菓である。白熊生誕70周年、とあるから、随分と昔からやっているのである。ホッキョクグマとは縁の無い南国で、それが代表的スイーツだというのだから不思議である。自分はかき氷を食べる習慣が無いから、ミニサイズを嫁さんと二人で食べることにした。何となく冷えそうだったので、白くまラテと一緒に食す。かき氷もコーヒー味にしたが、予想以上に美味かった。ところが、冷たくてミニサイズを半分食べるのが精一杯だ。みんな、よくも平気で一人前を食べられるものだ。もはや「花電車」という言葉は絶滅寸前?鉄ヲタを自認しながら、そういえば長い間電車に乗ってないな、ということに気付いた。鹿児島市に赴任してから、藩邸までは歩いて行ける。江戸詰め時代のように、国電に乗って通勤ということが無くなったのだ。寂しいから、代わりに鹿児島市電をウォッチするのが習慣になった。鹿児島市電は、デザインも色彩も広告もバラエティーに富んでいて、見ていて飽きないのだ。何と!花電車を発見!花電車でイメージすることと言ったら、祝南京陥落!などと装飾された花電車が走る前では提灯行列が延々と続き・・・などという、古い歴史映画の世界でしかイメージ出来ない。その花電車は何を祝っているのかと言うと、第〇〇会おはら祭が行われるから、だという。11月の連休中、天文館界隈の電車通りは、無数の踊り手で埋め尽くされた。かかっている曲は、その歌詞からして、鹿児島由来の〇〇音頭、のたぐいであろうが、盆踊りのようなまったりした踊りで、実のところ良さが理解出来なかった。奥に見える大きな建物は、建設中の鹿児島銀行本店ビル。そんなに大きなビルを建てて、テナントがちゃんと入るのか心配になってくる。ちょうどその頃、親戚へ住居変更のお知らせを作っていて、どうせなら鹿児島の記念切手を貼りたい!と考えていた。何年か前、おはら祭の記念切手を売っていたそうだが、今年はそんな気配がない。郵便会社殿は、何やら販売ノルマが度を越えているだの批判されることがあるが、そのくせ自分が欲しいなーと思う品をタイミングよく作ってくれない。しかしながら、秋の植物やら動物やらを描いた、秋のグリーティング切手を発見!鹿児島オリジナルの絵葉書と組み合わせて、なかなか面白いものが出来そうな気配。これを「JR最南端の西大山駅の黄色いポストから投函しよう!」と思い立った。さて、JR九州のホームページで情報収集だ。
2019.11.13
新幹線・鹿児島中央駅を降りた。何もかも未知の世界故、緊張の度合いが半端無い。不動産屋に向かうべく、まずは市電に乗ったが、早くも「池田泉州銀行STACIA・PITAPA」が使えないことが判明、じゃらじゃらと小銭を両替することになった。市電は高頻度に運転されていて、街の顔として君臨しているのが何とも頼もしい。市電とかごしまシティバス不動産屋で鍵を受領して、新居のアパートへ向かったが、どうも足元が不自然だ。路面は常に砂っぽいのだ。もしかして火山灰?アパートまでの道のりは、雑居ビルがひしめく雑多な街で、はっきり言って死んでいる。何だか寂しい感じだが、何もかも決まった以上、与えられた条件で生活するしか無い。引越荷物を受領し、出来る範囲の片付けをやっていたら、すぐに夕方になってしまった。とりあえず、夕食を買いに外へ出たら、何だか景色が変わっている。煌びやかなネオンが灯り、人通りも増え、微妙に活気がある。代行業者のクルマがあちこちに停車している。明らかに今からご出勤とみられる、着物姿のご婦人とか。そうか、ここは夜の街だったのか。どうも我々は、南九州最大の歓楽街「天文館」にほど近い物件を借りたらしいのだ。タイヨー銀座店、というスーパーがあった。目を引いたのは営業時間。深夜3時まで営業するそうだ。さすが夜の街だ。その店に入ったら、寒いには恐れ入った。まるで店全体がそのまま品物の冷凍庫みたいな感じ。パートのおばちゃんは、よく凍えないで生きていられるもんだ。店内は珍妙なお祭り風の有線が「ジャンジャガジャン、ジャンジャガジャン!」と流れていたが、急に「タイヨー、サンサンサン!」という、四〇年くらい前に録音したみたいなテーマソングに変わった。何ともディープなスーパーだ。とりあえず、家の中は最低限の衣食住だけ優先的に整理して、後は嫁さんに任せる。もう次の日には出勤せねばならないのだ。翌朝、突き抜けるような青空に響くのは、「ピーヒャララララ、ピーヒャララララ」という鳶の鳴き声。鳶が街中に住んでいるとは驚きだ。鹿児島スゲー。電線にとまっている鳶を間近に見た。日本人は鳶を一段低く見ているが、こう見ると、鳶の風貌は立派な猛禽類だ。そんな風景を眺めながら、藩邸まで歩く。東京の国電の、うんざりするような混雑からは、しばし解放されたって訳だ。でも、朝の市電はかなり混雑しているようだ。藩邸に着いてからも緊張の連続だった。まずは藩主に挨拶を申し上げ、ご家老にも挨拶を申し上げ、前任の藩士から仕事の引き継ぎを受けて、早くも頭が一杯だ。深夜の天文館界隈そんな頭一杯な状況が数週間続き、一区切り付いたところで藩内の懇親会が行われる。夜遅くの天文館は壮観だった。客引きの男達が辻々に立っていて、さらに呼び込みのお姉さん方も大勢いる。一体どこから湧いて来たのか、と不思議に思うほどの人出だ。閉口したのは、解散となっても方角が全く分からないこと。昼は城山が見えるから、おおよその位置関係が掴めたが、夜のテカテカと煌めくネオンの樹海にいると、自分の家の方向が分からない。他の藩士の方に、電車通りまでの行き方を教えてもらい、ようやく脱出できた(笑)。どんなに遅くなっても終電を気にする必要もない。天文館を過ぎて、数分も歩けば家に着いてしまうからだ(笑)。桜島から噴煙がもくもくと上がる休日が少し楽しみだ。片付けも一段落して、嫁さんと海岸線の方へ行ってみた。家からは、時々汽船の警笛が聞こえる。数分も歩くと港へ出られるのだ。港内は、鹿児島県内の離島へ向かうとみられる汽船が停泊していた。しかも桜島が見えた!確かに、頂上からは噴煙がもくもくと上がっている。この時は、わーい桜島だーと喜んでいたが、火山灰との闘いに明け暮れることになるのは、もう少し先の話だ。続きは追ってまた書いていきます。
2019.10.26
東京から鹿児島まで、引越荷物の受け取りに中2日も要することになった。その間どうするかというと、大阪の家族のマンションに泊めていただき、しばし時間を稼ぐことになる。御茶ノ水のホテルを早朝に出発した我々は、まずは東京駅に向かい、新幹線に乗り換えた。東海道新幹線は、小学の時分から通算して数えきれないぐらい乗ったが、今度ばかりは勝手が違う。明らかに片道切符なのだ。さて、京都を降りて向かった先は三条大橋にほど近い池田屋。そこで長州藩士と合流して御所を襲撃する訳じゃない。盟友の執権北条四郎氏と会食するのである。もっとも、このお店は新撰組の牙城のような店で、店員さんも皆、あのお決まりのユニフォームで迎えてくださる。根っからの佐幕派である四郎氏は、貴様はこれから薩摩へ向かうのか!警視庁抜刀隊でも入って芋侍でも斬りに行くのかい?と冷やかす。薩摩藩士の皆様とは仲良くやって行かねばならない。それなのに新撰組はマズいでしょう(笑)。それでも土方歳三定食は予想外に旨くて大満足。この豪華さで特別料金を取らないとは!三条から四条河原町に出て、そこから阪急電車に乗った。ここで株主優待を使っておくのである。昼に出発する汽車は、なんと京とれいん雅楽!たまたま空いてて、今度こそ嫁さんと二人でボックス席に座ることが出来た。桜の装飾も鮮やかな車内は快適この上ない。どうせなら、このまま鹿児島まで行って欲しかった。今日はうめだ阪急に寄る時間も無く、すぐに阿倍野まで移動して大阪の家族に再会!イタリア料理店で盛大なる激励の会を催していただき、感謝するのみ。今後の転居先の詳細や、先日の東京宝塚劇場の報告などで、大いに盛り上がる。とにかく、鹿児島で多くの経験を積んで、お土産を持ち帰らなければならない。九月の最終日、いよいよ現地へ向かうこととなった。新大阪駅から鹿児島中央行の汽車に乗るのだ。鹿児島中央行の汽車は、一番奥の端っこのホームから出発する。それだけ特別な、異次元の存在であるらしい。案内表示を見たところ、速達列車は一時間毎の出発のようだ。昔では考えられないほど近くなったのだ。グリーン車並みの豪華さ!?汽車に乗り込んだだけで、何だか緊張する。行き着く先は、全く未知の世界なのである。この車両はゴールデンウィーク中、広島から新大阪駅へ行く時に乗った。九州新幹線との直通列車は指定席でも2列+2列でお得感がある、などと呑気なネタを上げた記憶がある。まさかこれに乗って鹿児島まで赴任するとは予想もしていなかった。とりあえず、阿倍野ハルカスで買ったダイヤ製パンのサンドイッチを食べる。時間がたっぷりあるので、食後はじっくり歯磨き。席へ戻る時に気付いたが、乗客の多くは外国人観光客だった。となりの2列は、白人女性と日本人のおっちゃんで、ラグビーワールドカップのネタで盛り上がっている。お互い英語や日本語が出来なくとも、断片的な単語で話は通じているんだから凄い。列車は広島駅を過ぎた。ここで乗客の多くが入れ替わる。この先は未知の世界だ。関門海峡をくぐる箇所は、何とも呆気ないものだった。青函トンネルとえらい違いである。博多駅で再び乗客が大勢入れ替わる。熊本を過ぎると、方々は峻嶮な山々が続き、人を安易に寄せ付けない異郷に来た気分だ。なるほど、徳川殿も手出しが出来なかったのが分かる気がする。薩摩藩は、かつては琉球をも支配した、植民地帝国でもあった訳だ。そんな一独立王国のような辺境領に移封され、果たして自分の居場所を見出せるのかが不安でならない。山々が途切れる間もなく、急に列車は減速し始めた。ついに鹿児島中央駅に着くのである。新幹線の、南の最果ての駅である。終着駅に相応しい堂々とした停車場だ!ついに鹿児島中央駅に到着!ここは予想以上に大きな停車場であった。正に小林一三先生の思想をそのまま継承したようなターミナルデパートを有している。しかも駅前の電停からは、昔ながらの路面電車が発着している。このターミナル然とした雰囲気が素晴らしい。さて、記念すべき第一歩を踏み出したところで、続きはまた次の機会で。忙しくてネタを書いている暇があまり無いのである。
2019.10.19
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