全169件 (169件中 1-50件目)
3月19(月)~20日(火)、埼玉の労山の仲間3人と福島の山、西大巓と西吾妻山に行ってきた。午前6時50分に新座駅を出発。登山口のグランデコスキーリゾートに11時着、準備してゴンドラで山頂駅へ、そしてリフトでさらに上にいって、12時10分に登山を開始した。ゴンドラに乗る時は雨だったが、山の上は吹雪いて15メートル先を歩く人が見えない位だった。スマートホンのGPS機能を頼りに、西大巓~西吾妻避難小屋に到着したのが、15時20分ごろ。避難小屋の屋根まで雪があったが玄関口は雪かきがしてあった。しかし、1回の扉が半開きになっていて、雪が吹き込み扉は動かないので入れなかった。鉄梯子を上って2階から避難小屋に入る。1階の扉が開いているので、風が吹くと二階にも風が吹き込んでくる。寒いので、ツェルトで寝るスペースの分だけ囲ったら、何とか快適な空間をつくることができた。夕食は、食胆が奮発してステーキを二枚焼いてくれ、焼酎のお湯割りを飲みながら舌鼓を打った。そして、トマト、玉ねぎ、ブロッコリー、ニンジン、キノコ、ソーセージの煮込み。素晴らしい夕食だった。その日は、疲れもあって18時頃に就寝した。みんなはよく眠っていたようだが、私は、飲み足らなかったのかは知らないが、1時間ごとに目が覚めて、熟睡できなかった。20日は、6時30分に起床、7時に朝食。昨日の煮込みのスープにコメを入れて、煮込んで板チーズを上に載せたリゾットを食べたが、素晴らしい朝食だった。朝食を終え、出発の準備をして小屋の外に出ると、素晴らしい天気が出迎えてくれた。太陽の下に西吾妻山、新潟、山形の山々が真っ白い雪を被っているのを見ることができた。西吾妻山に登ると、東大巓、中大巓、東吾妻山を望むことができた。昨日の苦労が報われた。西吾妻山から小屋に戻り、9時15分に小屋を出発、10時50分ごろ西大巓頂上。ゴンドラ駅に12時ごろ到着。国民休暇村裏磐梯で日帰り温泉に入って、体を癒した。温泉には、誰も入っておらず、貸し切り状態だった。
2018/03/21
コメント(0)
埼玉の山仲間がやってきて、12日は八方ヶ原をスノーハイクで楽しんだ。5日前の雨で、雪は少なかったが天気がよかった。周りの山々を眺めながら、また、林間の雪の中を歩くのは素晴らしいものだった。
2018/01/13
コメント(0)
写真は釈迦ヶ岳。隠れ家から車で30分のところにある八方ヶ原でスノーシュートレーニングを行った。「山の駅たかはら」までは、除雪してあるので冬タイヤをはいていれば行くことができる。が、朝早いとアイスバーンになっているので、運転には注意が必要だ。隠れ家の積雪は15センチ位だが、八方ヶ原は60から70センチ位だったので、スノーシューのトレーニングには最適だった。八方湖までの往復3時間のスノーシュー歩きで汗をかき、正月の運動不足の回復に少し役に立った。
2018/01/06
コメント(0)
写真は釈迦ヶ岳。隠れ家から車で30分のところにある八方ヶ原でスノーシュートレーニングを行った。「山の駅たかはら」までは、除雪してあるので冬タイヤをはいていれば行くことができる。が、朝早いとアイスバーンになっているので、運転には注意が必要だ。隠れ家の積雪は、15センチぐらいだが、八方ヶ原は60から70センチぐらいだったので、スノーシューのトレーニングには最適だった。八方湖までの往復3時間のスノーシューの歩きで汗をかき、正月の運動不足の回復に少し役に立った。
2018/01/06
コメント(0)
写真は釈迦ヶ岳。隠れ家から車で30分のところにある八方ヶ原でスノーシューントレーニングを行った。「山の駅たかはら」までは、除雪してあるので冬タイヤをはいていれば行くことができる。が、朝早いとアイスバーンになっているので、運転には注意が必要だ。隠れ家の積雪は、15センチぐらいだが、八方ヶ原は60~70センチぐらいだったので、スノーシューのトレーニングには最適だった。八方湖までの往復3時間のスノーシューの歩きで汗をかき、正月の運動不足の回復に少し役に立った。
2018/01/06
コメント(0)
昨日(12月10日)は、私が所属している石神井山の会の陣馬山・餅つき山行に参加した。29名がそれぞれのルートから陣馬山に登り、頂上で小屋に頼んでいた餅つきを行った。所属会の方々とは、久しぶりの山行で古い山仲間、新しい会員と餅をついて、雑煮を食べて楽しむことができた。帰りには、交流会にも参加した。
2017/12/11
コメント(0)
咆哮霹靂の滝を登ったところの滑10月31日、埼玉の山仲間が隠れ家に来て、沢を遡行したいとのことだったので、近くのサクラ沢を案内した。台風の直後だったので、水量が心配だったが、いつもの二倍近くの水量だったので遡行を開始した。参加した人の中に、咆哮霹靂の滝を登ったところで、紅葉を見ながら「俺が死んだら、ここに散骨してくれないかな」といわせる素晴らしいロケーションだった。サクラ沢には三つの大きな滝がある。一つ目は、咆哮霹靂の滝、二つ目は雷鳥の滝、最後の滝の名は忘れたが、テレビで放映されたので、一般観光客が県道から見学に来る滝だ。いつもは、雷鳥の滝を遡行してしばらく行くと沢は伏流水になっていて水は流れていないのだが、台風の雨のあとだけに最後まで水が流れていた。沢の最後の詰めは、藪を分けて登って登山道に出るのだが、サクラ沢は最後の滝まで行くと、あとは一般の人が歩く路ができており、滝から7~8分で駐車場に出ることができるので、楽な沢遡行であった。雷鳥の滝名前を忘れた滝(いつもは水が落ちていないので、滝壺は瑠璃色)。ここから7~分で駐車場。
2017/11/02
コメント(0)
水晶岳の山頂に登った後は、少し早かったが水晶小屋に宿泊(水晶小屋にはテン場はないため)する。建て替えたばかりの小屋は、非常に快適であったが、梁が低く頭を梁にぶつける登山者が続出していた。水晶小屋がある場所は強風が当たる場所で、伊藤正一(故)さんが二度小屋を建てても台風で壊れるという場所だった。現在の小屋は、土台を鉄筋コンクリートで固めて立ててあるので頑丈だが、強風に耐えられるように屋根の高さを低くしてある。24日(日)朝、小屋から見える空は雲一も見えない天気だ。自炊で朝食を済ませ、6時10分過ぎに出発、ワリモ岳から鷲羽岳をめざす。鷲羽岳山頂には8時に到着した。素晴らしい天気で、槍ヶ岳など360度の展望を楽しむことができた。三俣山荘を経由して、テントを張る黒部五郎小屋をめざし、13時30分に天馬に到着した。途中、草紅葉が非常にきれいに色づいていた。夜中は星を手でつかめるのではないかと思われるぐらい、素晴らしい星座が輝いていた。寒い朝を迎え、テントを畳むときフライの内側は凍っていた。25日(月)6時15分に天馬を出発、テン場から稜線を登り稜線の岩稜帯を通過して黒部五郎岳をめざす。テントを担いで岩稜帯を通過する登山者はいないので、慎重に進む。途中で反対側から来る登山者は小さなザックを担いでいる。女性登山者から「重装備でよく通過してきましたね」とお褒めの言葉を頂く。10時に黒部五郎岳の山頂に立つ。その後は、太郎平のテン場をめざす。赤木岳~北ノ俣岳を通過して、太郎平小屋に16時10分に到着した。太郎平小屋で生ビールを飲み、薬師峠のテン場に着いたのが16時50分だった。26日(月)は7時30分ごろテントを畳んで、車を置いてある折立に11時30分ごろ到着。東京に帰った。
2017/09/28
コメント(0)
9月21~26日まで、埼玉労山の仲間と北アルプス・雲ノ平周辺の山々を縦走してきた。縦走経路は、東京~折立~太郎平~薬師沢~雲ノ平~水晶岳~鷲羽岳~三又蓮華岳~黒部五郎岳~赤木岳~北ノ俣岳~太郎山~太郎平~折立の5泊6日の縦走だった。21日は、午前4時に自宅に迎えに来てもらい、登山口の折立に向けて出発、10時40分に到着した。登山の準備をして11時10分に折立の登山口を出発、キャンプ地の太郎平をめざす。テント山行なので、ザックの荷物は重い。ひたすら登っていき、16時40分に太郎平小屋に到着する。太郎平小屋から薬師峠のテンバに到着したのが16時45分だった。朝早いので寝不足と疲れで、テントを張った後はバタンキュウだった。22日は、テントを畳んで7時頃出発、薬師沢への登山路の周辺は素晴らしい紅葉につつまれていた。11時15分に薬師沢小屋に到着。小屋を畳む準備で大忙しの様子だった。昼食を済ませ、11時15分に吊橋を渡り雲ノ平への急登に挑戦する。薬師沢から木道末端までの平均のコースタイムは2時間10分だが、テントの装備などを担いでいるので、なかなか辛い登りだった。それでも、2時間30分で登り切った。雲ノ平ではキャンプの予定だったが、夜には雨が降る予報でもあったので、翌日の山歩きも考えて雲ノ平山荘に宿泊することにする。オーナーから聞いていたが、素晴らしい小屋である。テント泊もいいが、小屋にも是非止まって欲しい。夜は、強い雨が降っていて、小屋の屋根にタタキつける雨音で目を覚ました。朝は小雨だったが、朝食の自炊を済ませるころは雨が止んで、雲ノ平は霧に包まれていた。7時に雲ノ平小屋を出発。祖父岳も雲のなかで周辺の山は見ることができなかったが、鷲羽岳へのワリモ北分岐にくると、雲は多いが時折、山のピークを垣間見ることができた。11時30分ごろ水晶小屋に到着。休憩してからザックを置いて水晶岳をめざす。めざす方向は雲のなかだが、水晶岳の頂上に到着した時は、雲も切れて素晴らしいパノラマだった。ここは何回きても素晴らしい眺望だ。この日は、建て替えられた水晶小屋に宿泊することにする。小屋は、建て増しの工事と、小屋じまいの準備が同時に行われていた。
2017/09/27
コメント(0)
隠れ家の近くの山、釈迦ヶ岳(1794.9m)に登ってきた。来週、雲ノ平周辺の山歩きをするので、足慣らしの山歩き。今朝7時に隠れ家を出発、7時30分に登山口の大間々駐車場に到着。車が2台駐車していた。準備をして歩き出す。八海神社に8時30分着。若い男女が休んでいたので、声をかけると釈迦ヶ岳山頂までに行くという。休憩しないで歩く。剣ヶ峰を過ぎたところで約一時間歩いたので、おにぎりを食べて休憩。若い男女が追い抜いていく。釈迦ヶ岳の山頂には10時10分に到着。途中、風が吹き荒れていたので、山頂もそうだと思っていたが、思ったよりは風は強くなかった。山頂には石仏が鎮座している。この山には、トレーニングで何回も来ているので、お茶を一杯飲んで下山する。隠れ家には、12時30分着で、いつものコースタイムだった。帰ってから、お昼を食べて、畑に畝を作って白菜と菜の花の種まきをした。
2017/09/15
コメント(0)
8月19、20日は、日本勤労者山岳連盟・自然保護委員会主催の「尾瀬で日本シカとの共生を考える」という自然保護講座に参加した。講座では、環境省の片品自然保護官事務所の自然保護官から尾瀬のシカ対策について話を聞いた。尾瀬の生態系はシカの影響を受けていなかったが、90年代半ばからシカの生息が確認されはじめたという。尾瀬ヶ原は冬には3~5メートルの雪が降るので、シカは越冬することはできない。捕獲したシカにGPS機器を取り付けて、どこから来ているのか調査した中には、冬には足尾に帰って夏になると尾瀬に来ていることも分かっているという。尾瀬ヶ原のシカによる被害は、貴重な湿原植物の採食、ヌタ場としての利用により生じる湿原の裸地化があげられている。20日は、尾瀬ヶ原のシカによる被害状況と植物・花の見学を行った。
2017/08/21
コメント(0)
8月19~20日は、日本勤労者山岳連盟・自然保護委員会主催の「尾瀬で日本シカとの共生を考える」という自然保護講座に参加した。講座では、環境省の片品自然保護官事務所の自然保護官から尾瀬のシカ対策について話を聞いた。尾瀬の生態系はシカの影響を受けていなかったが、90年代半ばからシカの生息が確認されはじめたという。尾瀬ヶ原は冬には3~5メートルの雪が降るので、シカは越冬することはできない。捕獲したシカにGPS機器を取り付けて、どこから来ているのか調査した中には、冬には足尾に帰って夏になると尾瀬に来ていることも分かっているという。尾瀬ヶ原のシカによる被害は、貴重な湿原植物の採食、ヌタ場としての利用により生じる湿原の裸地化があげられている。20日は、尾瀬ヶ原のシカによる被害状況と植物・花の見学を行った。
2017/08/21
コメント(0)
西吾妻の山頂で、山の日を祝う私が所属する山の会の夏合宿に参加した。8月4日、福島駅からタクシーで鳥小平登山口まで行く。福島駅を出発するときは小雨で途中からかなりの雨になってきたが、標高1500m位を過ぎたころから雲海を抜け、青空が出現いい天気になっていた。最初に登る山が東吾妻山。そこから大倉新道分岐まで、登った以上に下り、1900m級の東大巓まで登りかえし、名月荘避難小屋に宿泊した。70歳を過ぎた私にとっては大変な縦走となった。荷物も重かったが尾根歩きではなく一日で1900m級の山を登って下り沢をいくつも渡渉して、私が足を引っ張ったため一日9時間の縦走となってしまった。8月5日は、朝5時30分に避難小屋を出発。人形石~西吾妻~西大巓~山頂駅からゴンドラで山麓駅まで7時間の縦走で、お昼過ぎに下山した。夏合宿は、いつも温泉ホテルを予約しておいて、夕方に様々なコースの山歩きを楽しんだ山仲間が集合する。今回は39人が東山温泉ホテルに集結し、温泉と酒宴を楽しんだ。8月6日は、温泉宿を10時に出発、貸し切りバスの中では酒好きが(私もだが)酒を楽しみながら石神井公園に15時ごろ到着、夏合宿は終了した。縦走中に磐梯山を望む
2017/08/09
コメント(0)
西吾妻の山頂で、山の日を祝う私が所属する山の会の夏合宿に参加した。8月4日、福島駅からタクシーで鳥小平登山口まで行く。福島駅を出発するときは小雨で途中からかなりの雨になってきたが、標高1500㍍位を過ぎたころから雲海を抜け、青空が出現いい天気になっていた。最初に登る山が東吾妻山。そこから大倉新道分岐まで、登った以上に下り、1900㍍級の東大巓まで登りかえし、名月荘避難小屋に宿泊した。70歳を過ぎた私にとっては大変な縦走となった。荷物も重かったが尾根歩きではなく一日で1900m級の山を登って下り沢をいくつも渡渉して、私が足を引っ張ったため一日9時間の縦走となってしまった。8月5日は、朝5時30分に避難小屋を出発。人形石~西吾妻~西大巓~山頂駅からゴンドラで山麓駅まで7時間の縦走で、お昼過ぎに下山した。夏合宿は、いつも温泉ホテルを予約しておいて、夕方に様々なコースの山歩きを楽しんだ山仲間が集合する。今回は39人が東山温泉ホテルに集結し、温泉と酒宴を楽しんだ。8月6日は、温泉宿を10時に出発、貸し切りバスの中では酒好きが(私もだが)酒を楽しみながら石神井公園に15時ごろ到着、夏合宿は終了した。縦走中に磐梯山を望む
2017/08/09
コメント(0)
【写真】西吾妻の山頂で、山の日を祝う私が所属する山の会の夏合宿に参加した。8月4日、福島駅からタクシーで鳥小平登山口まで行く。福島駅を出発するときは小雨で途中からかなりの雨になってきたが、標高1500㍍位を過ぎたころから雲海を抜け、青空が出現いい天気になっていた。最初に登る山が東吾妻山。そこから大倉新道分岐まで、登った以上に下り、1900㍍級の東大巓まで登りかえし、名月荘避難小屋に宿泊した。70歳を過ぎた私にとっては大変な縦走となった。荷物も重かったが尾根歩きではなく一日で1900m級の山を登って下り沢をいくつも渡渉して、私が足を引っ張ったため一日9時間の縦走となってしまった。8月5日は、朝5時30分に避難小屋を出発。人形石~西吾妻~西大巓~山頂駅からゴンドラで山麓駅まで7時間の縦走で、お昼過ぎに下山した。夏合宿は、いつも温泉ホテルを予約しておいて、夕方に様々なコースの山歩きを楽しんだ山仲間が集合する。今回は39人が東山温泉ホテルに集結し、温泉と酒宴を楽しんだ。8月6日は、温泉宿を10時に出発、貸し切りバスの中では酒好きが(私もだが)酒を楽しみながら石神井公園に15時ごろ到着、夏合宿は終了した。【写真】縦走中に磐梯山を望む
2017/08/09
コメント(0)
私が所属する山の会の夏合宿に参加した。8月4日、福島駅からタクシーで鳥小平登山口まで行く。福島駅を出発するときは小雨で途中からかなりの雨になってきたが、標高1500㍍位を過ぎたころから雲海を抜け、青空が出現いい天気になっていた。最初に登る山が東吾妻山。そこから大倉新道分岐まで、登った以上に下り、1900㍍級の東大巓まで登りかえし、名月荘避難小屋に宿泊した。70歳を過ぎた私にとっては大変な縦走となった。荷物も重かったが尾根歩きではなく一日で1900m級の山を登って下り沢をいくつも渡渉して、私が足を引っ張ったため一日9時間の縦走となってしまった。8月5日は、朝5時30分に避難小屋を出発。人形石~西吾妻~西大巓~山頂駅からゴンドラで山麓駅まで7時間の縦走で、お昼過ぎに下山した。夏合宿は、いつも温泉ホテルを予約しておいて、夕方に様々なコースの山歩きを楽しんだ山仲間が集合する。今回は39人が東山温泉ホテルに集結し、温泉と酒宴を楽しんだ。8月6日は、温泉宿を10時に出発、貸し切りバスの中では酒好きが(私もだが)酒を楽しみながら石神井公園に15時ごろ到着、夏合宿は終了した。
2017/08/09
コメント(0)
アジア山岳連盟から帰った後は、叔母が急死し告別式等に出席したあと隠れ家に戻った。8~9日は、山仲間が隠れ家を訪れ8日は近くの山「大入道」を案内した。大間々の駐車場から剣ヶ峰~大入道~大間々のコースで、シロヤシオを見ることができた。そして、満開の山ツツジ、レンゲツツジを楽しんだ。9日は栃木の山仲間と二人で、桜沢の遡行を楽しんだ。鹿股川に流れ出す桜沢のはじめは、咆哮霹靂(ほうこうへきれき)の滝の遡行だ。左側の滝に挑戦したが岩盤が崩れやすく、全会と同じ右側の滝を登った。40分ぐらい遡行すると、雷鳥の滝が現れる。挑戦したが苔がぬるぬるでなかなか難しい。歳を考えて巻くことにする。また40分ぐらい遡行すると涸れ沢になる。涸れ沢を20分ぐらい登ると、涸れ滝が現れた。滝の落ち口は緑色の苔が生えている。滝壺の水の色はコバルトブルーで、滝壺の底まで透き通ってみえた。「おしらじの滝」というらしく、道路から10分ぐらい歩くとここにこれるという。テレビを見て、一度見たいと見学に来た夫婦とカメラの三脚を担いだ人が現れた。ここで沢遡行の装備を解除し、道を10分歩くと道路へ出た。アプローチも沢の詰めも簡単な桜沢である。
2017/06/10
コメント(0)
6月3日は、会議も終わりウランバートルへのバスの旅となる。大草原の中をバスは9時間かけて走る。車窓から見えるのは、広大な大地のなかにぽつりと見える家を撮影する。大草原は乾いた大地だけではなく、低地には豊かな水を湛えた川も見ることができる。そこは緑がひときわ濃い。また、広大な土地をトラクターが耕しているところもあった。風は吹いていないのに砂煙が舞い上がっている所を見ると、遠い所にトラクターが小さく見える。トイレ休憩の場所で広大な小麦畑があった。トラクターが耕しているのは小麦の種を蒔くためのことだと分かった。昼食休憩は14時だった。遅くならないうちにウランバートルに到着するためと、まともな食事を食べるために遅い昼食休憩となった。道路は基本的に舗装されているが、舗装が剥がれているところもあり、ドライバーはハンドルを左右に切りながらの運転となる。15時を過ぎたころ、右側からパーンという大きな音がしてバスは止まった。一瞬パンクかなと思った。降りてみると右側の前輪のところから空気が抜ける音がする。ドライバーが工具と何やら丸い円筒形のゴムを持ち出して修理に掛かった。ジャッキ二つを使って、前輪を浮かしハンドルを右にいっぱいきって何やら取り出した。それは、サスペンションのところにある、ショックアブソーバーだった。円筒形のゴムのショックアブソーバーが破裂したのだった。これではウランバートルに変えることができるのか心配だったが、慣れた手つきで40分で修理が完了した。よくあることらしく、ショックアブソーバーの替えや工具を常に持っているようだ。休憩場所で、トラックがパンクの修理をしている光景を何度か見たが、悪路のためによくあるようだ。17時30分にウランバートルの市街地に到着、デパートで1時間の買い物時間だった。その後ホテルに19時に到着、19時30分から夕食となった。
2017/06/05
コメント(0)
防災ヘリ救助の有料化問題埼玉県の防災ヘリは、特定のスポーツ愛好者だけを有料化するもので、山岳地域を抱える小鹿野町は、山岳救助の現場に混乱をもたらすもの、として埼玉県に意見書を提出。秩父山岳連盟と秩父観光協会も反対を表明している。日本勤労者山岳連盟も3月15日に埼玉県議会を訪問し、議長及び各会派に有料化しないよう慎重審議を要請した。防災ヘリの有料化になぜ反対なのか、「しんぶん赤旗」に投稿。今日のスポーツ欄に掲載されたので、読者の方は是非読んでいただきたい。鹿児島県曽於市で市長をやっている40数年前の友人から午前9時ごろ電話が入った。「読んだよ。いい内容だね」との励ましの電話だった。
2017/04/28
コメント(0)
4月25日、うらちゃんの隠れ家から車で30分の場所にある、スッカン沢から桜沢の遡行点まで1時間ぐらい歩くと、咆哮霹靂(ほうこうへきれき)の滝が見えてくる。ここがスッカン沢に流れ込む桜沢だ。ここで沢遡行の準備をする。今年初めての沢歩き、桜沢も初めてなので無理をしないことにする。咆哮霹靂の滝は水量が多いので、その右側の水が少ない滝で登れそうな場所を探して登る。女性の山仲間と一緒なので、ロープをハーネスに結びトップを登った。水が流れる場所は苔が生えていて滑る。慎重にホールドを探しながら何とか登ることができた。あとは支点を捜し後続を確保し、後続者も無事登った。滝を登ったところは広い滑滝になっていて、回りにはアカヤシオの群落で、木の枝の先にはピンクの花がいっぱい咲いていた。桃源郷だ。素晴らしい沢である。水は冷たいが明るい沢を感激しながら遡行する。私の隠れ家からこんな近い場所に素晴らしい沢があることを初めて知った。私が所属する山の会の会員にも紹介して一緒に来ようと思っている。沢登りを共にした山仲間には「秋にはまた来よう」と約束した。
2017/04/27
コメント(0)
ミツモチ山への山歩き4月24日(月)は、隠れ家に山友達が来て、登山口まで車で30分で行けるミツモチ山への山歩きを楽しんだ。目的はアカヤシオのはなが咲いていないかと思っていったのだが、ミツモチ山の下には雪渓が残っていて少し寒くてアカヤシオの花に出会うことはできなかった。でも、カタクリの花が咲き始めており、素晴らしい花見山行であった。ミツモチ山から大真間の駐車場までのコースでは、冬の間食べるものがなかったシカが大木の根元の皮をはいで食べた後を視ることができた。隠れ家への帰りに湧水を汲みに行ったところで、アカヤシオの群落を見つけることができた。素晴らしい群落である。
2017/04/26
コメント(0)
足尾の植樹祭22日~23日(日)の二日間、足尾の植樹祭のサポート(救助隊)に参加した。22日は1200名の参加者で、芦尾に緑を育てる会の会長は、これまでの歴史(18年)で最高の参加者だったと喜んでおられた。一日目は、高所恐怖症の方が登ってこられ、途中で座り込んでしまったので、サポートして下すことになった。高校生の女性で足に軽い障害がある子が何とか上ったのだが、降りるのが困難になりサポートして下した。22日の夜は、サポート隊でバーベキューで交流した。23日は、聞くのを忘れたが700~800人ぐらいではないかと思われる。合計で2000人ぐらいの参加者だったのではないかと思う。
2017/04/24
コメント(0)
日本勤労者山岳連盟主催で、労山の生みの親・伊藤正一さん 労山第六代理事長・山本辰平さんを偲ぶ会が労山事務所で開催された。伊藤さんは、北アルプス・黒部源流域で三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋、湯俣山荘を設立された方である。そして、湯俣から三俣山荘までの新ルート・伊藤新道を創られた方でもある。戦後、黒部源流域の山小屋を訪れる勤労者が「北アルプスの自然にひたることができて本当によかった。……おかげで明日からの生活に、勇気とはりあいが持てるようになった」というような手紙をもらうなかで、登山やスポーツが「働く者の生活に、希望と勇気とをあたえ、健康の増進に役立つものである」のかを改めて知らされたという。勤労者の登山要求が高まるなかで、伊藤さんは「勤労者による自主的・民主的な組織による山岳会を作る」構想を持ち始められる。「これからわれわれが作ろうとしている会は、勤労者のための自主的民主的な登山の会である。同時に登山にともなって生じるであろうところの様々な社会問題、生活問題を積極的にとりくんでいくことなくして、この会の存立、発展はあり得ない。またこのことによって、旧体制の登山界を改革していくものである。したがってこの会の特質は、山岳会であると同時に、登山に関連した社会運動の会でもある」と考日本勤労者山岳連盟主催で、労山の生みの親・伊藤正一さん 労山第六代理事長・山本辰平さんを偲ぶ会が開催された。伊藤さんは、北アルプス・黒部源流域で三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋、湯俣山荘を設立された方である。そして、湯俣から三俣山荘までの新ルート・伊藤新道を創られた方でもある。戦後、黒部源流域の山小屋を訪れる勤労者が「北アルプスの自然にひたることができて本当によかった。……おかげで明日からの生活に、勇気とはりあいが持てるようになった」というような手紙をもらうなかで、登山やスポーツが「働く者の生活に、希望と勇気とをあたえ、健康の増進に役立つものである」のかを改めて知らされたという。勤労者の登山要求が高まるなかで、伊藤さんは「勤労者による自主的・民主的な組織による山岳会を作る」構想を持ち始められる。1960年に労山が結成されるが、その数年前に「これからわれわれが作ろうとしている会は、勤労者のための自主的民主的な登山の会である。同時に登山にともなって生じるであろうところの様々な社会問題、生活問題を積極的にとりくんでいくことなくして、この会の存立、発展はあり得ない。またこのことによって、旧体制の登山界を改革していくものである。したがってこの会の特質は、山岳会であると同時に、登山に関連した社会運動の会でもある」と考えておられた。えておられた。この考え方は、労山の諸先輩たに脈々と受け継がれ、の登山文化として発展してきた。これからも労山の登山文化の発展に努力することが求められていると考えている。
2017/03/31
コメント(0)
福岡勤労者山岳連盟の総会出席のため、3月11~12日福岡に行った。3月11日(土)午後、福岡空港に到着、福岡労山の理事長が出迎えてくれ、福岡労山の事務所を見せてもらった。事務所は博多駅から4~5分の場所のマンションの一室で、2DKの広さ。印刷機、パソコンなどの事務機もそろっており、20~30人は会議ができる広さだった。駅から近いこともあって加盟している山の会が多く利用しているという。山屋は朝早くから行動するが、博多駅から早朝出発する場合は、前夜伯の場所としても使っているという。その後、大宰府の宝満山の登山口にある、「九州山岳情報センター"山の図書館"」を訪問した。ここには、山に関する書籍や山の情報・パンフレットが置かれており、重藤さんが常駐しておられ、山に関する様々な相談にも受け答えできるセンターだ。12日(日)は、10時から福岡勤労者山岳連盟第52回定期総会で挨拶し、会議に参加した。15時にはすべての会議が終了。17時から市内での二次会にも参加させてもらい、会員と酒を酌み交わし交流した。ここに、私が所属する石神井山の会に23歳で入会し、一緒に沢登り、縦走、バリエーションコースを歩いたT君が参加してくれた。10年前に転勤で生まれ故郷の福岡に戻り、福岡の労山に加盟して活動している。昔一緒に山歩きを楽しんだ友人に会える喜びはひとしおだ。13日(月)は、昔の職場で一緒だったK君の職場を訪ねた。もう10年前になると思うが、東京から福岡に転勤になり、年賀状はやり取りしているが、会えるのは10年ぶりだ。帰りの飛行機の時間もあり長くは話せなかったが、元気に活動しており会えてよかった。
2017/03/14
コメント(0)
3月5日(日)は香川勤労者山岳連盟の総会と50周年記念式典に参加した。午前9時から総会が始まり、11時ごろから香川労山の設立当初からの幹部が記念講演を行った。その後、記念式典で四国各県の労山の仲間が参加した。総会と式典が行われた会場は、善通寺市の元陸軍の施設だった。「旧善通寺市偕行社」という場所だ。善通寺市の文化財に指定されているという。
2017/03/05
コメント(0)
2月18~19日は。日本勤労者山岳連盟の評議会だった。二日間の会議で、疲れたので昼食を終えた後、仲間4人で「ともしび」に行こうということになり行った。17時頃「ともしび」にいくと、店はお客さんでいっぱいだった。何とかならないか相談したところ、席をゆずい合っていただいて入ることができた。しばらくすると、ボニージャックスのメンバーが入ってきて、私のテーブルの前に座った。前にも「ともしび」であったことがあり、リクエストして素晴らしい歌を聞いたことがある。今度もすばらしい歌声を聴くことができると、ウキウキして待っていると、リクエストして歌ってくれた。「ともしび」で歌って、会議のストレスも吹っ飛んでしまった。私は、「ともしび」には50年の間通い続けている。労働組合の役員をやっている頃、会社との団体交渉で疲れたときに、「ともしび」に行ってフォッカを飲んで、荒木栄の歌やロシア民謡を謳ってストレスを解消した。「ともしび」は、私にとって「心のふるさ」でもある。
2017/02/20
コメント(0)
2月2~3日の二日間新座の山仲間がスノーハイクに訪れた。うらちゃんの隠れ家から車で30分で行ける、八方ヶ原でのスノーハイクだ。一日目は、「山の駅高原」から八方湖までのスノーハイク。風が強く吹雪の中をスノーシューで歩いた。林の中を歩くと、風が当たらないところもあって楽しむことができた。八方湖では、吹雪の中で仲間が帽子を飛ばされるアクシデントもあったが、無事回収し何事もなかった。スノーシューが終わると、うらちゃんの隠れ家でピザ焼きとお酒を飲んで交流。これがまた楽しいひと時であった。二日目は、「山の駅高原」から釈迦が竹の登山口の大間々を目指す。春になると大間々までは車で行けるが冬はゲートが閉まっていて山道のルートで登った。踏み跡はなく、ルートを探しながらのスノーハイクだったがなんとか大間々まで到達することができた。帰り道に、一人の登山者がスノーシューで登ってきていたが、私たちの踏み跡を歩いてきて楽だったようだ。風が強くて吹雪の中のスノーシューハイクだったが、参加者は楽しい山歩きでよかったようだ。
2017/02/04
コメント(0)
昨年の話だが、2016年12月18日に田部井淳子さんを送る会に参加されたアジア山岳聯盟の会長が、日本勤労者山岳連盟の事務所を訪問された。その時に事務所来訪記念のプレートを頂いたが、その時の写真が手に入ったので掲載することにした。撮影場所は、日本勤労者山岳連盟事務所の1階会議室。事務所は労山の自前のもので3階建。
2017/01/18
コメント(0)
昨日の午後から、(公)日本山岳協会の信州懇談会に出席した。日本山岳協会は、スポーツクライミングのオリンピック種目化に伴い4月1日から「(公)日本山岳・スポーツクライミング協会」に名称が変更される。その後は、うたごえの「ともしび」に行ってストレスを発散させた。12月が誕生月で、「ともしび」から誕生祝のハガキをいただいていたが行けなかったので、昨日ハガキを持参してワインの小ボトルを頂いて誕生を祝ってもらった。ともしびの店では、住所と誕生日を記入して登録しておくと、割引のハガキや誕生月には誕生祝のはがきを送ってくれ、ワインボトル(無料)で祝ってくれる。4人以上のグループだと大きいワインボトルを頂くことができる、ので楽しみである。
2017/01/15
コメント(0)
昨年10月下旬に、岐阜の仲間の誘いで恵那山山行を行った。その時、岐阜、長野、大阪、私が所属する山の会のメンバーが集まって、頂上の避難小屋で飲み会交流を行った。その時の写真だ。同封された手紙には、「山での飲み会第2弾」を計画しているという。その時は、飛騨牛のすき焼きを計画しているそうで、山仲間を誘って必ず参加したいと考えている。
2017/01/11
コメント(0)
昨日は、埼玉労山の仲間に誘われて東吾野駅から車で10分ぐらいの「阿寺の岩場」でトレーニングを行った。広い岩場ではないが、それなりに楽しみながら、リードでの支店へのからブナトロ^プのセットの練習。そして、懸垂下降の練習を行った。帰りに阿寺の岩場への支点を設置しトレーニングができるようにしてくれた、大野さん宅を訪ねた。大野さんは若い頃から山登り押しておられる方で、ヨーロッパの山にも登られたことのある方で、自宅横の倉庫を改造し、雨の日などにクライミングの練習ができるようにしておられる。また、自分の岩登りの経験から登攀用具を安全に使えるような改造なども行っておられる方だ。酒好きの登山者にはとっておきのことだが、自宅の庭の隅に写真のような東屋を作り、ストーブや燻製器を設置し、簡単な料理を作れるような素晴らしい場所を持っておられる。私たちが訪ねたときも、登攀用具の話や登山の話で盛り上がり、途中で大野さんがストーブを焚いてきたからと、素晴らしい東屋に招待してくれ、ビールや焼酎のお湯割り、キノコの佃煮をご馳走になった。阿寺の岩場でトレーニングした後、また寄りたいものである。その時は、酒とつまみを持参してきたい。
2016/12/10
コメント(0)
写真は、大判山より恵那山への尾根を撮影したもの。向こうに見える平らな尾根が恵那山の山頂。紅葉が綺麗だった。10月22~23日恵那山への山歩きを楽しんだ。10月21日16時に石神井公園を出発し、当日は中央高速道の神坂(みさか)PAで車中泊。4時に起床。神坂峠の駐車場がいっぱいにならないうちにと思い、5時には神坂峠へに向かう。中津川インターを降りて、妻籠宿から暗くて狭い林道を走ること30分で神坂峠に到着した。思った通りに駐車場は私の車を入れて満杯になった。途中コンビニで買ってきたおにぎりとみそ汁で6時に朝食をとる。岐阜労山の仲間と合流する予定だったが、遅れるという連絡が入ったので先に登ることにし7時40分に出発する。頂上の避難小屋で、岐阜や大阪、長野の労山の仲間と一緒に過ごすため、コッヘルやコンロ、寝袋、食料、お酒を65のザックに詰め込んだため、15キロ以上の荷物になり、久しぶりに重いザックを担いでの山歩きとなった。頂上までの歩く時間は4時間以上の行程なので、ゆっくりバテないように歩く。でも重たいザックは肩に食い込む。できれば後から来るメンバーと合流したいと考えていたため、休憩も多めに取りながら登って行ったが、追いつかれないで、12時40分に頂上に到着した。待っても後発のメンバーは来ないので先に頂上に行って記念撮影を済ませる。頂上から帰ってくると、長野のメンバーが到着し、岐阜のメンバーが到着していないのにがっかりしていたようである。岐阜のメンバーは15時になってやっと到着した。遅れた理由は、集合時間に遅れたのと、名古屋方面からきて中津川インターで降りるのを間違え、先のインタ―まで行き、引き返してきたために送れたようだ。全員集合してから、交流会を楽しんだ。23日(日)は5時に起床。私たち東京組は遠いので、早めに朝食を済ませ下山することにした。6時40分に避難小屋を出発。11時に神坂峠に到着。途中温泉に入って汗を流し、東京へと向かった。高速に乗ると、大月から小仏トンネルまで20キロの渋滞の表示が出ていた。私たちが大月に着くころは渋滞も解消しているのでは、と思いながら大月まで順調に走ってくるが、予報通りに渋滞だった。この渋滞のせいで、石神井公園着は20時30分ごろになったが、楽しい恵那山の山歩きだった。 大判山から恵那山に向かう登山道で見かけた、ゴゼンタチバナの実
2016/10/25
コメント(0)
昨日の午後、「全国登山研究集会」(11月5~6日)のための資料をつくるために全国労山の事務所に行ったが、東京の労山会長から、午後7時から「山のうた集会」をやるので参加してくれと言われ参加した。500円で飲み放題で、アコーデオンの伴奏に合わせて午後9時まで楽しんだ。昨年は10数名だったようだが、今年は35名の参加者で盛り上がった。昔は山に行くとテントの中で酒を酌み交わしながら先輩から山のうたを教わったものでが、このごろのテント場では、テントの中で歌っていても「ウルサイ」と言われる。山の歌を謳うのも「登山文化」のひとつと考えているので、このような催しをドンドン開いてもらって、山の歌を継承してもらいたいものだ。
2016/10/18
コメント(0)
昨日の日曜日は、練馬区内の労山組織で作っている練馬区連盟主催の岩登りのトレーニングに参加した。場所は埼玉県日高市の日和田山の岩場。8時過ぎに到着した時は、2~3のグループだったが、10頃になると他のグループの参加者が増えて、岩場は過密状態になった。写真の岩場は男岩と言われているもので、すぐ横に女岩があるがそこもトレーニングする人でいっぱいになっていた。私たちは12時に切り上げて、巾着田の河原で登山中の搬出・応急手当訓練を行っていたグループと合流し交流を行った。河原でトン汁つくってくれたものを美味しく頂いて、それぞれが持ってきた酒とつまみで大いに楽しんだ。
2016/10/17
コメント(0)
8月4日(木)から6日(土)まで、私が所属する「石神井山の会」の夏合宿で、八ヶ岳を縦走してきた。4日(木)7:00に新宿駅をあずさ1号で小淵沢まで行き、タクシーで編笠山の登山口まで行って登山を開始した。押手川を過ぎたころから雨に降られ、合羽を着用しての山歩きで、笠ヶ岳の頂上に着いたが雲の中だった。今年から国民の祝日となった8月11日を祝うための印刷物を持っていき、山頂で撮影した。編笠山の頂上で編笠山から青年小屋に下る途中で雨は止んだ。権現小屋に宿泊する予定で、権現小屋には水場がなく、雨水仕様なので、青年小屋の水場で水を補給して権現小屋に向かった。権現小屋に向かう途中で、またもや雨に降られ、雨の中岩稜帯を越して16時前に権現小屋に到着した。権現小屋はランプの小屋で、毎日夕食はカレーライスだということだった。5日(金)の朝、権現小屋の玄関で編笠山をバックに権現岳の頂上は岩の上。天気は良かったが、足場が悪く登山客もいないので交代で記念写真を撮る。権現岳から赤岳に向かう。キレット小屋まではなんとか天気が持ったが、キレット小屋で休憩しているうちに段々と雲が出てきた。赤岳へ登る核心部の岩稜帯で休憩していると大粒の雨が降り出し、あわてて合羽を着用し終わる頃には大雨になっていた。岩稜帯は漏斗を二つに割ったようなところで、滝のように流れる雨水を股下に滑らないように注意して登る(滑ったらおしまいだから)。11時頃に赤岳頂上に到着したが、雨の中だった。赤岳頂上で、登山者に頼んで記念撮影。「山の日を祝う横幕がいいですね」とほめてもらった。この日は、阿弥陀岳に向かう予定だったが、阿弥陀岳も雲の中だったので行者小屋に降りて6日(土)に登ることにした。6日は快晴。阿弥陀の頂上からは、私たちが縦走してきた権現岳から赤岳への稜線がくっきりと見えた。よく歩いてきたものだと感慨もひとしおだった。写真を撮影してくれたグループも、「山の日」を祝う印刷物を「いいですね」と感心してくれた。どこから来たのか聞くと、「横浜から」だという。山の会にHPはありますかと聞かれたので、後ほどアップするはずです、というと「あとで観ます」ということだった。小さな印刷物が、頂上で出会った登山者との会話ができるチャンスをつくってくれる。阿弥陀岳から美濃戸口に降りて、他のメンバー30数人が八ヶ岳をそれぞれ好きなコースを歩いて終結する野辺山の宿に向かった
2016/08/08
コメント(0)
2(土)~3(日)は日本勤労者山岳連盟の全国遭難対策担当者会議に出席した。山岳遭難は年々増加傾向にあり、「遭難対策の現状と課題」について議論した。近年心疾患などによる山での突然死が多くなっているが、国際山岳医の橋下しをり医師に「山での突然死」の原因と対策について講演していただいた。 4日(月)は、以前から計画していた沢遡行(沢登り)へ知り合いの方と行ってきた。場所は奥多摩の川乗谷・逆川ではじめていくルートで緊張気味だった。F1・2段11mの滝を無事登ったところで緊張も解けてきた。相棒もザイルで確保しながら無事登り、東京は酷暑だったらしいが、涼しい沢登りを楽しんだ。F3・2段11mの滑滝を登り、F4・7メートルのトイ状の滝では、筋肉の衰えもありヒヤリとする場面もあったが無事登り、支点がないので相棒を肩がらみで確保して登らせたが、なかなか苦労しており力尽き野ではないかと思われる頃に何とか登ってきてくれた。想ったより時間がかかったので、ウスバ林道のところで、14時50分に沢の遡行を終え、装備を解除して着替え下山するころから大粒の雨が降ってきて、その後はどしゃ降りの雨と雷の大音響の中の下山となった。合羽は着ていたが暑くて汗で来ているものはびしょ濡れ状態だった。が、最高の沢登りを楽しむことができた。
2016/07/05
コメント(0)
6月25日の「しんぶん赤旗」のスポーツサイトに投稿したものが、「国民の祝日『山の日」』を「登山と平和を考える機会に」と題して掲載されました。以下は全文です。 今年の8月11日は、新しい国民の祝日「山の日」です。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日として、16番目の祝日になりました。山に関係する祝日は、世界で初めてといわれています。 登山者・登山団体は、「山の日」の制定を長い間,望んできました。1961年7月に開かれた「夏の立山大集会」の閉会集会で、「山の日」制定が提案され、全会一致で決議されました。 国際山岳年の2002年7月には、富士山エコ・フォーラムで「富士山からのメッセージ」を発表し、「山の日」をつくることを提案しました。しかし、これらの提案は、具体的な運動に結びつきませんでした。 しかし、10年4月に日本山岳協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本ガイド協会、日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストの山岳5団体で「山の日」制定協議会を設立し、行動を起こします。「山を考える」4種類のリーフレットを作成し、「山の日」制定を会員内外に訴えました。 翌年には、自治体、省庁、環境保全団体、山小屋の代表者ら約100人が参加して、「山の日」ネットワーク東京会議を開催。制定運動を呼びかけました。 これらの運動がきっかけで、超党派の国会議員による「山の日制定議員連盟」も発足。議員提案によって14年5月に法律が改正され、祝日となりました。 当日は、北アルプスの登山口でもある長野県松本市の上高地で、第1回「山の日」記念全国大会が開催されるなど、各地でさまざまな形の集会等が計画されています。ただ、登山者からは、「お祭り騒ぎで終わらせるな」という声も上がっています。 上高地の梓川沿いの広場には、日本の山の素晴らしさを世界に紹介した登山家で英国人のウォルター・ウェストンのレリーフがあります。1937年に設置されましたが、太平洋戦争が激化するなか「敵国人の像を掲げるのはよくない」という軍部などの圧力によって一時、取り外されていた歴史があります。 この時代、陸軍主導で「大日本体育会行軍山岳部会」が結成され、多くの登山者が協力させられました。「ハイキング」という用語の使用も禁止され、国民は自由に登山ができない状態でした。 いま、日本の平和と立憲主義が重大な危機に直面しています。8月は、「山の日」と同時に、広島・長崎に原爆が投下され、日本が敗戦に追い込まれた月でもあります。登山文化の発展が阻害され、ウェストンのレリーフが二度と取り外されることがないように、「平和と登山」を考える8月にしたいものです。
2016/06/28
コメント(0)
昨日25日は、大阪府勤労者山岳連盟の50周年記念事業に来賓挨拶に来ました。午後2時から、鹿屋体育大学の山本教授の「大きな山でもバテないために 普段からのトレーニングと山での対策」の記念講演を聞きました。その後は、記念レセプションで大阪労山の音楽チームのオープニングのあと来賓挨拶で私と大阪府山岳連盟(日本山岳協会加盟)の会長が挨拶、乾杯と進み、大阪労山の楽団の演奏で山の歌をたくさん歌いました。交流する中で、私長崎県出身ですが、同じ長崎県出身が3人いて話が弾みました。
2016/06/26
コメント(0)
昨日12日兵庫県勤労者山岳連盟第53回定期総会で挨拶した。会議修了後は交流会に参加して親睦を深めた。
2016/06/13
コメント(0)
8日は、10時から午後5時までアジア山岳連盟理事国会議だった。参加国からそれぞれの活動報告が行われ、会計報告、総会の日程などが報告され決定された。9日は、12時の飛行機で成都空港を出発し北京国際空港経由で21時30分に東京羽田空港に到着予定だ。会議参加者の多くは、中国山岳協会が計画し四川省山岳連盟の案内によるトレッキング(一週間)に朝8時に出発した。私たちは、日本での会議日程が詰まっているので参加しなかった。
2016/06/08
コメント(0)
今朝から、アジア山岳連盟理事国会議に出席している。午前は、各国の活動報告が行われているが、まだ終わらず、ランチタイムのあとに継続して行われる。この調子だと、予定時間がオーバーするだろう。明日は、朝ホテルを出発して、成都空港から北京国際空港へそこで羽田空港行きに乗り継いで日本に帰る。
2016/06/08
コメント(0)
ホテルの入り口ロビーで会議参加者の受付風景。
2016/06/07
コメント(0)
アジア山岳連盟の理事国会議に出席するため、6日の13時55分に羽田空港を出発。北京国際空港に17時25分(現地時間)に到着。19時の成都行きに乗り込んだ。出発時間になっても、出発する気配はなく、そのうち中国語の案内があり、乗客達が荷物を持って乗降口に歩き出した。短い英語の案内も有ったが、同行している英語の達者な人も聞きとれなかったようだが、他の乗客達と機内から出ることにした。搭乗口で同僚が聞いたところ成都が悪天候で着陸が困難ということで一時飛行を見合わせるということだった。待ち合わせロビーでカップラーメンを購入し、お湯のサービス場所でお湯を煎れて食べた。空港でカップラーメンを食べるのは初めての体験だった。21時過ぎに搭乗の案内があり、再び飛行機に乗り込んだ。が、なかなか動き出さない。そのうち疲れてウトウトしていると、22時30分過ぎ頃、食事のサービスがあった。とっくに成都に到着している時間だ。その後、23時過ぎに飲み物のサービスがあった後やっと飛行機が動きはじめた。中国南部では悪天候による飛行機事故が発生していおり、北京国際空港も雨の中のフライトになり悪天候が心配だった。成都空港には午前3時過ぎの到着となった。ホテル到着は4時過ぎだった。同僚が持ってきた焼酎を飲んで眠り、9時過ぎに朝食をとった。成都は内陸部で、真夏日で暑い。現在、旅の疲れもあり、ホテルのソファーでボゥーとしている。
2016/06/07
コメント(0)
昨日、大入道に白ヤシオの花を見に行きましたが、花は散っていて花弁さえ見ることができなかった。今年は暖かいので山の鼻が咲くのが1~2週間早い感じだ。その代わりに、中腹あたりから頂上の下あたりまで、山ツツジの群落を見ることができた。素晴らしい花の色だった。大入道から剣ヶ峰~大間々駐車場へと回ってきたが、大間々のレンゲツツジも満開を過ぎていた。
2016/06/04
コメント(0)
佐渡の山のトレッキングで出会った花々を追加で紹介します。この花は、名前が分かっているもので、まだたくさんの花と出会えました。オオイワカガミタニウツギヤマオダマキツバメオモトキンポウゲハマナスエチゴキジムシロトリガタハンショウヅルシャクナゲ
2016/05/30
コメント(0)
5月26日から29日まで、私が所属する石神井山の会の仲間と佐渡の山をトレッキングしてきた。今年は暖かいので、いつも見ることができる花は終わっていたが、でも多くの花を見ることができた。上の写真は、シラネアオイの花。標高が低いところでは、花弁が落ちていたが、標高900メートル近いところで一カ所咲いていた。ヤマシャクヤクの花だ。この花も標高の高いところで観ることができた。後日になるが、いろんな花を紹介したい。
2016/05/30
コメント(0)
今日(13日)は、隠れ家の近くの山を歩いてきた。山の駅の駐車場に車を止め、小間々~大入道~剣が峰~大間々~山の駅駐車場のルートで4時間30分かかった。小間々ではトウゴクミツバツツジと白ヤシオを観てから、大入道に登ったが大入道の白ヤシオは月末頃と思われる。
2016/05/13
コメント(0)
4月23~24日(日)は、足尾に緑を育てる会主催の第21回足尾植樹祭に参加した。弧の植樹差の参加者のサポートを栃木勤労者山岳連の救助隊が行っているが、私はサポートのお手伝いを二日間行った。参加者は23日の土曜日は、1050名の参加だった。みどりを育てる会の会長は、土日の二日間実施するようになってから、土曜日に1050名参加したのは初めてだということだった。簡易につくられた階段を約800暖登ったところが植樹する場所だったので、サポート役の登山者は気を引き締めて配置についた。土曜日の参加者で、アブに刺された方一人、降りてから気分が悪くなった子ども一人だったが、救護所のドクターが対応し、大した事故者もなく無事終了した。下の写真は、参加者の植樹風景。
2016/04/25
コメント(0)
17日(日)は、筑波山にカタクリの花を見に行ってきた。天気予報では雨模様だったのですが、ネットで筑波山周辺の予報を調べると、曇りだったので、山行を強行した。自家用車に4名が搭乗し、筑波山の北側にある筑波高原キャンプ場の駐車場に車を止めて登山開始。天気は曇りで今にも雨が落ちてきそうな模様だった。キャンプ場の敷地には、カタクリの花がいっぱい。でも太陽が出ていないので花は開いていなかった。筑波山の頂上が近づくにつれ、ものすごい轟音が響いている。何の音かな~と思いながら、女体山(筑波山頂上)に登ると、轟音の正体が明らかに。頂上付近には、通信施設の大きな鉄塔が3本ほどたっているのだが、突風がこの鉄塔にあたり、轟音を発しているのだった。頂上の岩場に発つと、瞬間的に吹く突風に飛ばされそうなので記念撮影は、筑波山山頂の石碑の前で。男体山に登った後に昼食の予定だったが、雨が降らないうちに下ろうということになり、急いで下山、登山口に着く5分ほど前に雨に見舞われ、ザックが少し濡れただけで、下山することができた。あとは、温泉に浸かり家路に。
2016/04/18
コメント(0)
昨日(4月10日)は、私が所属する山の会の新人歓迎山行に参加した。参加者は24人。場所は、栃木県益子町の山で、雨巻山で標高が533.3メートルで、益子町で一番高い山だという。私は、主に栃木に住んでいるが、益子町にこのような山があることを知らなかった。参加者が多かったので、無線機でリーダーと連絡を取りながら事故がないように注意し、全員が無事に下山した。山頂では、新人歓迎のためトン汁を作ったが具沢山で出しも良く出ていて美味しかった。私はどんぶりで二杯も食べてしまった。登山口は桜が満開、山には赤や紫のつつじが少しだけ咲いていた。シュンランも二株ほど発見、花が咲いていた。低山だったが、いろんなバリエーションが楽しめる山だった。帰りは、真岡の温泉に入り、汗を流し暖まって帰った。今度の日曜日(17日)には、裏筑波からカタクリの花を見ながら筑波山への山行を予定している。私の所属する会員で、参加できる方は連絡をいただければ幸いだ。
2016/04/11
コメント(0)
全169件 (169件中 1-50件目)