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「だから何度言われても私はそんなことをするつもりはないって言ったでしょ!」 今朝着てきた私服のオレンジ色のワンピースに着替えてからミィーティングルームに戻って来たワタシの耳に飛び込んできたのは、詩衣那さんのちょっと不機嫌そうな怒鳴り声だった。もっとも妖精の声だからキンキンと高く響く迫力のない声だったけど。「しかしだねえ詩衣那君、これは個人的な頼みというわけではなくて、会社のため、加賀グループ全体のためなんだよ」 激しい身振り手振りをしながら目の前を飛び回る詩衣那さんに押されて、防戦一方という感じの剣持主任。左のこめかみから頬にかけて、たらりと一筋の冷や汗を流している。やっぱり剣持主任っていざとなると詩衣那さんには頭が上がらないんだ。「あら、美姫さんおかえりなさい。そのワンピース、よく似合っていてかわいいわよ」 ふたりの言い争いを横目に、仁村さんがのんびりした口調でワタシの衣装をほめる。まあ、かわいいと言われて悪い気はしない。すでにもう『俺は男だ!』なんて言う気はさらさらないし。妖精少女であることを受け入れないことにはこれから先の人生が前に進まないんだもん。「なんだかもめてるみたいですけど、さっきからいったい何の話なんですか?」 ワタシはテーブルの上に置いてある本来のワタシの席には戻らずに仁村さんの左肩に舞い降りると、周りには聞こえないような小さな声で話しかけた。ああ、それにしてもいつものエプロンドレスとかメイド服と違って、ワンピースって楽♪「簡単に言えば、今度の新製品を宣伝するための特別番組を放送する予定なの。それに詩衣那さんも出演することになっているんだけど、未だに嫌がっているのよ。収録予定はもう来週になってるのに」 右手を口に添えて、ひそひそとささやき返す仁村さん。顔をワタシの方を向いているけど、目だけは詩衣那さんと剣持主任の動きを追っている。のんびりとした口調とは裏腹に、それなりに言い争いの行方を気にしているのだろう。「新製品って、あれのことですか?」 詩衣那さんは剣持主任の顔の周りを飛び回り、時には蹴りを入れたりしながら、『出ないって言ってるでしょ!』と、繰り返し言っている。剣持主任は主任で、『今回一回限りだから』と、詩衣那さんに頼み込んでいる。そんな様子を見ながらワタシは仁村さんに問いかけた。それにしても大人って大変だなあ。いわゆる会社の事情ってやつなんだろうな。「そう、あれ。美姫さんの想像通り妖精用電波ガード1号・まもるくんのことよ。美姫さんのところには確か試作品があるはずだけど、製品版はもう出荷を待つだけの状態なの。今月末には発売出来るはずよ」 とりたてて秘密めかすでもなく普通の口調で話す仁村さん。一瞬、部外者のワタシにそんなことを教えても大丈夫なのかなと思ったけど、よく考えるまでもなく既にワタシはどっぷりと関係者だった。う~ん、なんだか実感がわかない。「試作品と製品版ってどう違うんですか?」 詩衣那さんと仁村さんの攻防は終わりそうにないので、ワタシとしても仁村さんの話に付き合うしかない。「性能的には何も差はないわ。でも見た目が大違いかしらね。試作品では適当な箱に納めてあるけど、製品版ではちゃんとしたデザイナーさんにデザインしてもらったケースに入っているってことかしら。ほら、やっぱり売るとなると見た目って大事でしょ?」 ある意味、パッケージだけ変えてみました♪ ということに等しい発言をする仁村さん。大人って……。「中身とかは変えなかったんですか? ほら、普通は性能は落とさずにワンチップ化して部品点数を減らすとかして信頼性を上げたりするんじゃないかと思うんですけど」 昔読んだゲーム雑誌に書いてあった廉価版のゲーム機械のレビュー記事を思い出しながらワタシは仁村さんに訊いてみた。そういえば【妖精用電波ガード1号・まもるくん】を使えば、妖精でもTVゲームで遊べるんだろうか? 帰ったら試してみないといけないね。「よく知ってるわね。でも、あれに関しては話は別よ。だって私たちは、『どう回路をいじれば良いのかっていうことを論理的に理解しているわけじゃない』からやりたくても出来ないのよ」 その後、仁村さんが話してくれたことは、既に剣持主任や詩衣那さんからも断片的には教えてもらっていたことだったけど、要するに、『電子回路を適当に組み合わせてみたら妖精に対するコンピューター等の悪影響を打ち消す能力を持った機械が出来ちゃいました。でも動作原理は分かりませんから思うように改良することができないんですよ』ということらしい。「改良するにも適当に回路を組み替え直してテストしてみるしかないんですね。なんだかもっときちんとした研究を想像していたんですけど、すべて行き当たりばったりなんですね」 改めて口にするとため息が出そうな現状かもしれない。「あら、何かを新しく開発しようっていうような研究はどこも似たようなものよ。良い例が新薬の開発ね。ある病気の治療に対してどんな物質がどの程度の効果があるかだなんてことは、実際に試してみないと分からないでしょ? 新薬の開発っていうのはある意味、行き当たりばったりそのものと言えるんじゃないかしら。そうじゃなきゃモルモットなんて存在がいるわけないでしょ? まあ私も医薬品に関しては素人だからそういうイメージってところなんだけど」 にこやかに身も蓋もないことを言う仁村さん。まあ確かに言われてみればそうかもしれないけど……。「なるほど、ワタシはモルモットというわけなんですね」 暗く落ち込んでみせるワタシ。もちろん演技だけどね。「や、やあねえ。美姫さんがモルモットだなんて思ってなんかいないわよ。たとえ実質はそうだとしてもね」 ちょっと慌てているのか口調が早くなって来ている。ほほう、仁村さんはいつも冷静沈着な表情しか見せないかと思っていたけどそうでもないのね。メモメモ♪ それにしても本音が出ちゃってますよ。仁村さん。「やっぱり実質はそうなんだ……」 仁村さんってば嘘をつけない人なんだろうなあ。というわけでワタシは仁村さんが漏らした『実質』という言葉尻をとらえて、さらに落ち込んでみせる。何度も言うけど演技だよ。「だからそうじゃなくて……」 ちょっと焦ってるみたい。ほほう、もうちょっと遊んじゃおうかな? しかしそれは計画段階に入る前に、既に崩れてしまったのだった。「ゴホン、あ~、ちょっと良いかな?」 これは剣持主任? ワタシは落ち込みの演技をすぐに止めると、声のしたほうに向き直った。するとさっきまで言い争っていたはずの詩衣那さんと剣持主任がこれ以上はないというにこやかな顔をして、ワタシを見ていたのだった。いったい何事?「はい、何ですか?」 一瞬で落ち込みの演技をやめると、ウェイトレスので鍛えた笑顔を浮かべて返事をする。はいはい、お遊びはお終い~。「もう、美姫さんってば騙したわね」 ちょっとだけムッとした表情を作りながら、ワタシの額を人差し指でトンとつつく仁村さん。「それはそうと、いつの間にか話がまとまっていたんですね」 ワタシは仁村さんのことを意図的に無視すると、詩衣那さんと仁村さんのふたりに気軽に問いかけた。そう気軽に……。「ん~、美姫さんが想像しているようにはまとまったわけじゃないんだけど。ね、剣持さん♪」 ここにきて初めて見るような甘い雰囲気で剣持主任に話しかける詩衣那さん。紫色の蝶の羽をゆっくりと羽ばたかせながら剣持主任の顔のあたりで舞っている。なんだからぶらぶ? まさかね、さっきまであんなだったのに。「ああ、結局のところ、新製品の宣伝番組に出る妖精は、詩衣那君じゃ無くてもいいってことに気がついてね」 にこやかに言う剣持主任。え~と、それってつまり……、どういうこと?「幸いなことにうちの研究所には私以外にも妖精の職員がいるし。というわけで、美姫さん。あなたテレビに出なさい」 ワタシよりもやや高い位置で浮かんでいる詩衣那さんが、ワタシを見下ろしながら宣言する。「でも、職員って言っても、今日ここに来たばかりのワタシに【まもるくん】の宣伝番組をうまくやることなんか出来るわけないじゃないですか。ダメですよ。やっぱり」 当然のように抗議する。ワタシだってテレビに出られるかもと思うと悪い気はしない。でもそれとこれとは別問題だ。ワタシは両手で大きく『×』を作ってみせた。「出来ればやるのかね?」 しかしその程度のことは織り込み済みなのか、剣持主任は冷静にワタシの内心を読んだかのようなポイントを突いた質問をしてくる。思わずこくりと小さくうなづくワタシ。自分の感情に素直なこの身体が憎い。「ま、まあ出来れば、その、やらなくもないかな~♪ という感じですが。でも出来ないですよ」 確かに出来ればテレビにも出てみたいけど、ちょっとそれは無理な感じ。だって本当に何を話せばいいのか分からないんだもの。「じゃあ、これから一週間の間に【妖精用電波ガード1号・まもるくん】のことは開発中の裏話まで含めてみっちり教えてあげるから、私の代わりにテレビに出てよ。剣持さんも特別ボーナスを出すって言ってるからさ♪」 剣持主任に対して軽く目配せをする詩衣那さん。そして大きくうなずく剣持主任。なんだか罠にはめられたような気がしなくもない。 ともあれ結論から言うと、詩衣那さんと剣持主任、そして最後は仁村さんが加わっての説得にワタシは負けてしまったのだった。こうしてワタシのテレビ出演はなし崩し的に決まったのだった。……良かったのかな。これで?
Jan 16, 2006
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「仮に痛みを感じたとしても、羽を完全に出してしまえば痛みは無くなりますから、一気にやってください」 力強く言い切る仁村さん。これが剣持主任や詩衣那さんだと、ちょっとその言葉を疑ってしまうんだけど、仁村さんのことばなら何となく信じても良いように思えるから不思議だ。ふたりにはないしょだけど。「今、何か失礼なことを考えてたでしょ?」 詩衣那さんがワタシのほうを見ながら決めつけたように話す。す、鋭い。「え、そんなことは無いですよ」 とりあえずとぼけてみる。基本だね。でも、どうやら信じてはくれそうにない。詩衣那さんは、じとっとした目で静かにワタシを見つめつつ、笑顔を浮かべる。「隠してもダメなのよねぇ。妖精になってからの私は、こういうことには何故か感覚が鋭いのよ」 詩衣那さんはワタシの前に半屈みで立つと、つんつんとワタシの胸を軽く指でつついた。「やめてくださいよぉ~」 慌てて胸を押さえてガードすると、身体をよじりながら、ワタシは詩衣那さんに抗議した。ゆ、油断も隙もないとはこのことをいうんじゃないだろうか。あうう、詩衣那さんの指の感触が胸に残っちゃってるしい。「失礼なことを考えた罰よ♪ いいじゃない減るもんじゃなし」 ワタシの胸を触ることができて機嫌が良くなったのか、笑顔が無駄にまぶしい。「詩衣那さん、今はそういう場合では無いですよ。それから剣持主任、カメラを出すのは禁止です」 やんわりとした口調ながら反論を許さぬその雰囲気に、詩衣那さんは名残惜しそうにワタシの胸をぷにぷにするのをやめた。あ、でもちょっと残念。微妙に気持ち、……良かったし。「仁村君、美姫君のあらゆる状況を記録するのは仕事の内だと思うのだが?」 剣持主任がまた勝手な理屈を持ち出してきたけど、詩衣那さんがワタシの胸をつついてぷにぷにしているところを写真に撮るのは、仕事じゃないと思う。「記録を取るのは私の仕事で剣持主任の仕事じゃありませんし、第一、そのカメラは主任の私物ではありませんか? もしも仕事なら、仕事上知り得たあらゆる情報を個人所有の情報機器へ記録すること自体が禁止されているはずですが」 正論で反論する仁村さん。剣持主任は言葉に詰まると、無言のまま手にしたデジカメを内ポケットの中へとしまったのだった。ちなみにその間、私はちょっとだけ荒くなった呼吸を整えていた。だって妖精少女の身体って感じ過ぎちゃうんだもん。「詩衣那さんも良いですね?」 最後に詩衣那さんにも念を押す仁村さん。もしかしなくても影の実力者?「OK、触るのは後にするわ」 影の実力者に屈しない妖精がここにひとり。両手を上に上げて、【今この瞬間は】ワタシに触っていないことを仁村さんにアピールする詩衣那さん。何かがずれているし。「まあ、良いでしょう。それでは美姫さん、雑音はカットしましたので安心して羽を出して下さい」 何が良いのか少々疑問が残るものの、仁村さんが言うならこれ以上状況が改善することはないのだろう。ワタシはうなづくと、羽を出してみることにした。それにしても今のちょっとした騒ぎで、またあの激痛を感じるかもしれないという羽を出すことに対する恐怖心が薄らいでいるのは、計算されたことなんだろうか? まさかね。「出します」 一言だけそう言うと、ワタシは目を閉じて意識を集中し、背中から羽が生えてくるイメージを脳裏に思い浮かべた。そしてイメージ上のワタシの背中から光とともに白い鳥の羽が伸びて、夜空に浮かぶ満月に吸い寄せられるように身体が浮かんだところで目を開けてみると、現実のワタシもテーブルから数十センチほど浮かんでいた。「痛みは無いでしょ?」 ワタシを見る仁村さんの表情は、ワタシが痛みを感じることが無いことを確信したような、自信のあるものだった。確かに痛みは感じない……、かな。ワタシは背中の羽を軽く羽ばたかせると、仁村さんの顔の高さまで上昇した。そしてくるりと身体を半回転させて、背中を仁村さんに向けてみる。「痛みは感じないんですけど、見た感じはどうです。怪我の跡とか残ってたりしませんか?」 怪我の跡が残ってないかどうかを訊くだなんて、まるで顔に怪我をした女の子が傷跡が残っているかどうかを心配するかのようかもしれないが、きっと切実さでは今のワタシのほうが上だと思う。だって妖精にとっての羽って、人間にとっての足以上のものなんだもん。「大丈夫。むしろより綺麗になってるぐらいよ。それから羽を出して新しい感覚を脳が記憶したから、もう幻肢痛は感じないわよ。保証するわ」 仁村さんは手元の端末を操作しながら太鼓判を押す。ワタシの体調とかモニターしているんだろうな。「ありがとうございます」 何がありがとうなのか自分でも分からないけど、とりあえずお礼を言うワタシ。空中でぴょこんと頭を下げる。「大丈夫と言うなら、もうスーツを脱いでも良いんじゃない? 剣持さんもそれで良いでしょ?」 詩衣那さんが、仁村さんと剣持主任のふたりに対して提案する。「あ、もう脱いで良いなら、ワタシも着替えたいです」 このプラグスーツってやつはとても良くできていて、身体全体を覆われているのに、暑いと感じたり、圧迫感があるとかいうことはまったくないんだけど、身体のラインが完全に出ちゃっているから少々恥ずかしいのだ。「そうだな。では美姫君、着替えてきなさい」 剣持主任は軽くうなづくと、普通のドアの上にある妖精用の出入り口を指し示す。「じゃあ、一緒に行きましょ。手伝ってあげる♪」 ワタシが返事をするよりも早く、詩衣那さんがワタシも左腕につかまるようにくっついてくる。「え、ひとりで大丈夫ですよ」 詩衣那さんの手伝いってアレなんだもん。ワタシは慌ててお断りをしたのだが、詩衣那さんがワタシから離れていく気配は微塵も無い。うう~、どうしよう。「だ~め♪ 病み上がりなんだから独りだけにはしちゃおけないわ」 やっぱり離れてくれない~。ワタシは助けを求めるために仁村さんと、ついでに藁をもつかむ気持ちで剣持主任を見上げてみる。「仁村君、そういえば例の件のことだが、そろそろ先方に返事をしなければいけなかったんじゃないかね?」 ワタシの視線を受けた剣持主任はワタシを見返すのではなく仁村さんのほうを向き直り、一見するとまったく関係ないような話をし始めた。「もう、こんな時にそんな話を蒸し返さないでよ」 仁村さんに向かって話しかけた剣持主任の質問に反応したのは、仁村さんではなくて詩衣那さんだった。急に怒りだした詩衣那さんは、紫の蝶の羽を出すと、剣持主任の顔の高さまで羽ばたいていった。いったいどうしちゃったんだろう。「ささ、今のうちに着替えていらっしゃい」 ワタシのことなんかすっかり忘れてしまったかのような詩衣那さんに驚いていると、仁村さんがこっそりとワタシに耳打ちをする。なるほど。訳が分からないけど、そうしちゃおうかな。気にはなるけど。「じゃ、そうしてきます」 ひそひそとそう言うと、ワタシはその場を飛んで離れて行った。ま、気にはなるけど、とりあえずワタシには関係ない話みたいだし。その時のワタシは気楽にもそう考えていたのだったが、それは大間違いだった。まさかあんなことになるだなんて……。
Jan 2, 2006
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