龍水御朱印帳

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2016.01.29
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倭姫宮(やまとひめのみや)   皇大神宮別宮
伊勢市楠部町5
徴古館などがある倉田山に鎮座。
14ある別宮の中で最も新しいもので、創建は大正時代。
遷御の儀が執り行われたのは2014年12月。
前回の参拝は2014年8月でした。
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2014年8月の倭姫宮
何がきっかけだったのか忘れましたが、
神社巡りを始めた頃から「元伊勢」と呼ばれる神社に興味がありました。
元々は大和の宮中に祀られていた天照大神が、
なぜ大和を出なければならなかったのか。
皇祖神である天照大神が
大和の神や出雲系の神(三輪山等)と共存できなかったのはなぜなのか。
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疫病が流行り、国が乱れたとき
宮中に祀っていた天照大神と倭大国魂神の二神を共に祀るには不安があるとして
それぞれ別の場所に祀ることになったと日本書紀・崇神天皇紀に記されています。
天照大神は豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託され、
倭大国魂神は渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に預けられたと書かれていますが
渟名城入姫命は体調を崩してしまったとのこと。
日本書紀には明記されていませんが、つまりは天皇家には三輪の神(出雲系)や
倭(大和)の神を祀ることが出来なかったということでしょうか。
そして天照大神が大和を出ることになったのも、
天皇家は大和では「よそ者」であったということなのかも知れません。
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天皇の祖先が高天原から降臨したという神話はともかく、
記紀に記された「神武の東征」はあったのかも知れません。
天照大神は豊鍬入姫命から倭姫命に引き継がれ
倭姫命が御杖代となって皇祖神の鎮座地を求めて各地を巡行したと言われています。
そして最終的に伊勢にたどり着いたのですが、
鎮座地をなぜ伊勢に定めたのかも気になります。
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その理由のひとつは「海」だったのではないかと思っています。
伊勢の地が、山や川や海の景色や雰囲気が
天皇の故郷の地の光景に似ていたからではないかと勝手に想像しています。 
倭姫命の巡行の記録は古事記にはなく、日本書紀にも詳しくは記されていません。
それらは「皇大神宮儀式帳」や中世に記されたとされる「倭姫命世記」に書かれています。
どちらも「歴史書」ではありませんが。
倭姫命の苦難に思いを馳せながら、これからも「元伊勢」や
倭姫命の伝承が残る地を訪ね歩こうと思います。









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Last updated  2019.06.01 22:06:39 コメントを書く
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