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6月9日(日)近藤芳美『短歌と人生」語録』 作歌机辺私記(91年3月)「トータルの世界」短歌という一民族詩型が、かって、どのように発生していったかは本当には知り得ないことなのであろう。しかし、それが六世紀から七世紀、万葉集の初期成立の時期とほぼ重なると考えてよいはずであろうし、またそのころの中国詩の影響も、わたしは必ずあったことと思っている。いずれにせよ同じ日に古代歌謡であったものが詩歌となり、さらに長く、日本の文芸の根幹をなして来たことは記すまでもない。それは万葉集、王朝和歌を経て自らの歴史を重ね、その間に一文芸世界を展開して来た。今、どのような批判があろうと短歌はその歴史の事実、ないしは文学伝統であるものを背後にし、その上にあることは間違いない。そうして、わたしたちがどう思うと、現在、短歌を作ることに関わるかぎりそのことから逃れるわけにはいかず、その背後にあるものを負わないわけにはいかない。歴史であり伝統であり、その間に、無数の作品として蓄積されて来たもの、ないしはそれらすべてのトータルの世界でもある。古典、と呼ぶことばがある。短歌を作ることとは、初めからその古典に連なることを自らに負うことでもある。そうであれば、短歌を作ることは、ただ三十一文字で何かいえばよい、というだけのものではないはずである。若い日にわたしもまた歌を作り出し、はじめ、そのことを軽蔑し、そのことに反抗した。短歌の新しさはそれら伝統の意味と断ち切るところから始まるものとも思ってみた。だが、そうではないのであろう。石田波郷さんという俳人がいた。作家の横光利一のもとに若く出入りしていた。或るとき、俳人として生きる決心を告げた。それに対し、利一は、古典と競い立つ、ということばを告げ、励ましたという。波郷はまだ少年、新しい俳句を志して気負っていたのであろう。そうして彼は、それをはなむけのことばとして最初の日に刻んだものであろう。わたしがまだ初心であり、東京の一大学生として青山の「アララギ」発行所に出入りしていたころ、土屋文明先生による月一度の万葉集の会があった。歌会と違って集るものも少なく、いつも十名足らずの小集会であったが、大学生である間、わたしは熱心な出席者であった。当時、退屈でもあり、あまり面白いとも思わなかった先生の講義は、後に万葉集私注の労作として結実したはずである。わたしの万葉集の知識、ないしは古典の勉強はそれからあまり出ていない。みなさんに古典を読めなどとあまりいえた義理ではないが、それでも、それは読み、それをひそかにつねに内面に積み重ねおく必要は自分のこととして知っておかなければならない。無論、万葉集にかぎらない。(91年3月)
2024.06.09
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6月9日(日)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(7)同文舘発行(昭和41年)山桝忠恕著「東も東西も西」より(注)わたしは、39年40年に山桝ゼミに在籍しました。「なんとなく 申し聞かせて おきたくて」(7)だらしがないと言えば、手紙係のFくんにしても同様です。「手紙着きました」という応答だけでは、どの手紙が、いつ着いたのか、さっぱり判らないではありませんか。わたしは、投函のさいに、その日時、差出局ないしポストの場所、手紙のフォーム、書き出しの五、六字などを手帳に必ずメモしておりますの。そして、何日の何時に、どこで投函した手紙が、いつ日本の、どの局区内に届いたか、また日本のどの局区内から何日の何時にお差出しになった手紙が、このロンドンの宿に何日の何時に着いたかを、消印で判定したりFくんに照会したりして、所要日収や郵便局の勤惰ぶり、更には投函する曜日のいかんによる所要日収のバラツキ加減、ロンドン~東京間の飛行機の就航状況とエアメイルの届き具合との相関関係など、実にさまざまな調査を実証的・統計的に纏め上げようとしているのです。この折角の国際的な調査に対して、Fくんが、いとも冷淡にして非協力的なのは、日英両国の郵政事業の改善に寄与しようとしているわたしとしては、甚だ遺憾であると申さねばなりません。 (つづく)
2024.06.09
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5月10日(金)''新しき短歌の規定'''(6)(1947年4月) '''近藤芳美'''こうした新しい短歌が、作品自体として如何な姿をもつであろうか。無論それは正しいレアリズムにたった他の汎ての芸術作品と共通したものである筈だ。第一に健康な表現をとる事だ。病的なデフォルマチオン乃至心理のアクロバットを演じない。第二に簡潔である事だ。葬式自動車の如き剰余装飾を最も嫌悪する。所謂芸術派の短歌表現乃至語法等最も葬式自動車に近きものとして排する。吾々の美しとするものは近代建築の単純美であり、B二九のもつ科学のぎりぎりの取る姿の美しさである。その意味で素材派である事をも一つの特長とする。ザッハリッヒに投げ出された素材のもつ、素材自体の表情の美しさを新しい短歌の美しさとする。従って新しい短歌は自然在来の抒情派のいう抒情とも別種の一つの抒情をもつ。素材的であり、余剰装飾をきらう、いはば、でれでれした表情を嫌悪する。新しい短歌の抒情は、ちょうど鋼鉄の新しい断面のような美しさをもった抒情だと思う。静かな、知的な、しかも澄んだぎりぎりのところにある抒情だと思う。理知に移ろうとするあやうい一点にふみ止った抒情の美しさだ。 (つづく)
2024.05.10
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4月30日(火) 昭和萬葉集(巻十三)(127)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅱ(24) 生活の歌(7)朝の歌(1)日野きくあたたかく底より迫る潮に似て 深きねむりはあけ方きたる冷水茂太さめし夢 夢なりければまたさびし無花果(いちじく)の葉の繁るあけがた木村捨録齢たけて眼覚めの早き朝々を手のひらほどのけふの思惑(おもわく)千代國一顔洗ふ水のひやびやと十の指疲れてくぼむ眼窩(がんくわ)に触れぬ若松仲子朝顔の初咲き一つ開きたり切りて透明のガラス器にさす (つづく)
2024.04.30
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4月21日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(21)著者:山本健吉(角川書店)発行:昭和39年5月30日高浜虚子(10)道のべに阿波あはの遍路へんろの墓あはれ昭和十年作。阿波というと、巡礼お鶴のれんそうなどもあって、あわれが添う。遍路は春の季語である。ただ、「遍路の墓」では季感を持っていない。この句に季感があるかないかより、季語がはっきり存在することが大事なのだ。旗のごとなびく冬日をふと見たり昭和十三年作。小石川植物園にて。「冬日」は虚子が、もっとも好む題材の一つ。「旗のごとなびく冬日」と言ったのが、この句の眼目。にぶい光が、うすら赤みを帯びた、旗がなびくように感じられたのである。あるいは、夕日のさまかもしれない。万葉に「豊旗雲」という言葉がある、雲を旗のようにみなすことは、昔からあった。夕日の光がにぶくゆらめくようなさまを言ったものと取りたい。「ふと見たり」と言うのだから、一瞬間、幻想のように、光が旗のようになびくさまを見とめたのである。 (つづく)
2024.04.21
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4月19日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(19)著者:山本健吉(角川書店)発行:昭和39年5月30日高浜虚子(8)夕影は流るゝ藻にも濃かりけり昭和六年七月作。古利根での作。流れゆく藻の色に薄暮の情をとらえた。大景をささやかな一点においてとらえるのを虚子は得意とした。「藻」だけでは季語にならない。「藻の花」に準じて、夏季としたのであろう。自(おのづか)らその頃(ころ)となる釣(つり)忍(しのぶ)昭和7年作。四季吊り放しにされている釣忍。それにおのずから釣忍の季節が巡ってきたというのである。「自らその頃となる」は、虚子一流の軽みである。虚子の軽みは単純さに終らず、軽みを裏打ちするウイットともいうべきものがある。虚子の軽みは一種自在な生活倫理とも言える。 打ち捨てられてかえりみられなかった釣忍が、時機到来し、所得た存在と化す。そんなささやかな発見に、心が微妙に動く。 (つづく)
2024.04.19
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4月17日(水)短歌集(247)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版筏井嘉一(15)鴨跖(つゆ)草(くさ) の瑠璃(るり)いろ霑(ぬ)るる花群にしののめごろの光ただよふ夕しばしわがうから寄りさざめけば焼野の窓に黄なる月出づ千代紙を散らかして子は雛(ひな)つくる焼けあとの春の寒き彩(いろ)ひよ今日(けふ)を在(あ)るわが運命をさかのぼりまたしてもおもふ『もしもあの時』『未来』といふ言葉のひびきすずしきに釣られて生きしわれにやはあらぬ (つづく)
2024.04.17
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4月9日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(10)著者:山本健吉(角川書店)発行:昭和39年5月30日正岡子規(10)蝸牛ででむしの頭もたげしにも似たり昭和三十五年作。前書き:「小照自題」どういう「小照」か今ははっきりしない。この句には自嘲の気味がある。角を振りながらおずおずと頭をもたげる蝸牛に似た感じで、病床からそっと頭をもたげているのであろう。破調がかえっておもしろくなった。言葉が二重に重なり合ったような表現であり、子規の自画像の上に蝸牛のイメージが二重写しとなる。糸瓜へちま咲て痰たんのつまりし仏かな痰一斗糸瓜の水も間に合はずをとゝひの糸瓜の水も取らざりき絶筆である。 (つづく) 次は夏目漱石
2024.04.09
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3月12日(火)短歌集(203)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版五島美代子(16)風に乗らば雲にもとどかむわがをとめ母が手引くは重たかるべし花とけもの一つに棲めるをとめ子はひる深くねむり眠りつつ育つ棘(とげ)だつものいくつもつけて帰り来しわが外出着に吾子(あこ)よさはるな涙ぐみゐるかと見ゆる馬の眼(め)のめぐりひょうひょうと風流れつつ山の音かそかにきこゆ風にあらず水にも木にもあらぬそのおとジーグフリードがかばひかねけむ背の柔(やは)身(み)われにもありてこの頃うづく (以上『いのちありけり』より) (つづく)
2024.03.12
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2月20日(火)短歌集(191)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版藤沢古実(5)言はずして過ぎなば悔(くや)し言ふは苦しひたにせかるるこの心はもうち黙(もだ)す瞳(ひとみ)まもればかなしもよ吾(われ)を見つめて泪(なみだ)おとすもうち沈み帰るいましが身のまはり思ひあやぶみ胸つまり来(く)も朝まだきしづけき坂とおもへども柩(ひつぎ)かつぎて人行きにけり坂上にのぼりし柩かくろひていくばく空の光うつりし (つづく)
2024.02.20
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1月27日(土)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。「われかキリストか」われがなすのではない、キリストがわれにありてなし給うのである。ゆえにわが事業ではない、キリストの事業である。われは死んだ者である、キリストがわれにありて生きかつ働き給うのである。これゆえにわれはキリスト者であるというのである。このことを疑う者はキリスト者ではない。これは世の人から見れば大いなる秘密である、しかしながらキリスト者から見れば何よりも明らかなる事実である。ガラテヤ書二章二十節。(注)以上は、「内村鑑三所感集」(岩波書店)よりの転載です
2024.01.27
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1月14日(日)(雑誌「短歌研究」平成18年9月号より)近藤芳美追悼特集座談会(53) 市井に紛れた一知識の生涯「森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろしの吾の黒豹」(近藤芳美)司会:篠 弘 出席者:岡井隆、馬場あき子、佐佐木幸綱「朝日歌壇」の選歌(8)馬場 だから一番の傍観者が一番過激な生涯を通したことになる。こんなに一貫して最後までやった人はいない。岡井 そう。だからそれを僕、短歌詩型というものの特質かなと、割と正直に出るという。馬場 さっきの「怒りをいえ怒りを抒情の契機とせよ今つきつめて『詩』といえる営為」も『祈念に』でしょう。篠 それが『希求』になってくると、「吾ら世紀についに思想としてありし終焉に遭うまた寂しむな」岡井 それは正直だと思う。篠 「茫々とかの日のマルキシズム幻想のすべて虚しきか虚しとはせず」(同)という。岡井 ぼくもそう思うな。「虚しとはせず」と思うな。マルキシズムの見直しというのは今いろいろな形で行われてはいるけれど、それとはまた別だな、これ。篠 近藤さんの歌を見ると、マルキシズムへの幻想を追懐するというよりも、あの人らしい理想主義的なユートピアがあって、そういうものを絶えず探っている、そういう夢に富んだ側面があった。そこが我々にとっては救いですよね。岡井 我々も同じじゃないですか。やはりあれにユートピアを賭けた時代があったわけで、それは、全然不思議でも何でもないと、むしろ思ってるんだけど、近藤さんはそれを正直に一生言い続けられたという。* * * (つづく)
2024.01.14
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12月11日(月)「幸福論」(ヒルティ)(第二部)(169)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。人間知について(99)(前日)まじめに向上しようとする男子にとっては、身分のある高尚な女性と結婚するのが、急速に前進するための最適の方法でしょう。(よりつづく) なおまた、結婚生活において静かな尊敬や友情を求め、かつ見出すのと、熱烈な愛情を求めるのと、そのいずれがよりよい結婚といえるかは、常に議論のつきないところでしょう。わたしたちは、一般的な規則という意味では、前者に賛成します。しかし――後者を知らないものは、人生が何であるかを知らない 人でしょう。 (つづく)
2023.12.10
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11月10日(金)山桝忠恕先生の文章のことなど(4)(昭和42年白秋) 「弊社の場合、電子計算機の製造を主としておりますが、研究開発から製造、検査に至る一貫した工場で部分的な製造を下請けとして行っているのではありません。東芝の重点工場として特長ある製品を担当しております。」この文章がまた、不思議な文章であり、これは恐らく、「弊社は…単に製造面の、しかもその一部の工程だけの下請けを行って暮らしているようなケチな会社ではなく、小なりとは言え、製造はおろか研究・開発から検査に至るまでのいっさいの部門を擁する、世にも珍しい下請会社につき、バカにするでないぞ」という意味なのでありましょう。しかし、これだけ苦心して翻訳して上げても、まだ読みが浅いということであれば、これはもう、徹底的に書き直していただくほかありません。 (つづく)
2023.11.10
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10月21日(土)逆説的偶感…学費値上反対について(5)(昭和40年春) 山桝忠恕大学としては、在学生の諸経費についても、紙代からチョーク代まで一律に物価騰貴のあおりを蒙っておるのです。かりにあなたがた在学生の学費をそのまま据置くとすれば、新入生に、あなたがたの分までを負担していただかないことには、計算が合わなくなるとも言えます。大学は、不幸にも、四年制(医学部は六年制)です。もしも一年生だけにその大半をカバーしていただくという方法を選ぶとすれば、一年生に関する限りは五割の物価騰貴が三倍、四倍の値上げという形で現れたとしても、そのこと自体、必ずしも不思議ではありますまい。 その場合、それが不合理だと仰言(おっしゃる)のであれば、在学生も一律に按分の上、平等に負担なさるべきでしょうし、今回御卒業になる四年生の諸君などは、せめて初任給の一か月分くらいは、大学に御送金になってはとさえ、思えてくるのですが…。 この私に言わせますならば、君たちが、いま真剣に危惧している学力水準の低下なるものの原因の一つは、むしろ過去において、大学が、今回のような反対運動の生ずるのを恐れるあまり、学費の充分な改訂を、いつも回避し、中途半端なツジツマの合わせかたをくりかえしてきた点にこそある。物価の上昇に見合うだけの充分な値上げを表面上避けようとするかぎり、トウフヤにしてもマンジュウヤにしても、質を落としたり、手を抜いたり、形を小さくしたりして、なんとかツジツマを合わせようと苦肉の策をろうするではありませんか。しかし、そのような形でのツジツマの合せ方というのは、言うまでもなく、殊に教育や学問にとっては、邪道中の邪道であります。…続く…
2023.10.21
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9月23日(土)短歌集(41)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版松村英一(22)暴力化して個性なき集団と新聞の論調ははや味方せず蓑(みの)虫(むし)をとれば一時にみだれ落つはや柿の葉は散り易(やす)くして梅雨(つゆ)まへの光は白きあゐの畑わか葉しづかにととのひにけり藍(あゐ)まきて萌(も)ゆるを待ちし若葉なりさはさはと鳴り今日(けふ)の日の雨枝たわめ採(と)り食(は)む桑(くは)の果(み)がくろしこの鄙(ひな)の香(か)も記憶のひとつ (つづく)
2023.09.23
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9月2日(土)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。神のわざそこで彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。(ヨハネ伝六の28~29)(注)以上は、「内村鑑三所感集」(岩波書店)よりの転載です
2023.09.02
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8月18日(金)歌集「ゆめのなかほど」(山田震太郎)(4)発行:平成29年12月1日発行所:ながらみ書房(注)この歌集は、山田震太郎氏が亡くなりまして四年後に、氏が主宰していた短歌結社「翔る」の会員が出版しました。Ⅰ 平成二十二年(4) 学徒動員(3)食券をもちて食堂に来たれどもすでに売り切れ十二時五分空腹に苦しみわれは渋谷の町雑炊一杯に救はれたりきスタンドの灯りの下に本を読む無上のよろこびつひに失ふサイパンの空に出撃戦死せし森脇誠二郎君軍神となる (つづく)
2023.08.18
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祝:渡辺 紘氏快挙渡辺紘氏の作品が、八月十六日付よみうり文芸(読売新聞静岡版)、短歌・俳句両欄で秀逸(一席)となりました。渡辺紘氏は、ご存じの通り渡辺つぎさん(平成二十九年九月百六歳にて逝去:賀茂短歌会会員)の御子息で長く高校(県立下田高校他)の校長をされていました。短歌作品(秋山佐和子選)乾坤のいのち集めて落陽が海坂染めて明日へ旅立つ(評)「乾坤(けんこん)」「落陽」「海坂(うなさか)」の漢語がきびきびした韻律を醸し出す。天地のいのちを集めて落陽が「海坂」(海神の国と人の国との境界)を染めるのは明日へ旅立つため。スケールの大きい歌だ。俳句作品(上田日差子選)友逝くや昼酒酌んで泣き上戸(評)友の訃報(ふほう)を聞いては悲しみに暮れる。その友はお酒を好まれて、二人でよく酒を酌みかわしたのであろう。思いたって一人昼酒を酌む。酒に酔うと泣く癖を「泣き上戸」というが、酔わずにいられない作者である。
2023.08.16
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8月5日(土)後藤早苗の短歌歌評(後藤瑞義)(59)歌誌「賀茂短歌」(平成29年2月号)より子供らに野菜を作りて送るのもいつまで続くか心もとない(評)都会に住んでいるであろう子供たちに野菜を送っている作者です。ここで注意したいのは、単に子供たちに「野菜を送る」のではなく、「野菜を作りて送る」ということです。「作りて」が重く響きます。野菜は種からあるいは苗から育てて何か月もかかるわけです。その大変さが「いつまで続くか心もとない」というつぶやきに変ったのだと思います。この作品を作ったあと十日も経たずに亡くなった不運を思うとき、なんともいえない作者の心持ちを感じるのです。
2023.08.05
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7月29日(土)歌集「沙漠の星より」(山田震太郎)(97)発行:平成23年6月28日発行所:角川書店(注)山田震太郎氏は、わたしが県の歌人協会常任委員の時の会長でした。県の会合に出席すると、常に近寄ってきて、下田から大変でしたねと声を掛けてくださいました。すでに故人となりました。文化の日(2)文化の日空晴れわたり秋の陽のこらへきれずに藤棚に降る窓あけて空気を入れむ朝の気を机もわたしも酸素がほしい夕ぐれはわが首しめるやうに来て二度とめぐらぬ今日の日終る (つづく)
2023.07.29
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7月7日(金)詩の点滅(10) 岡井隆―現代詩としての短歌―(注)角川雑誌「短歌」に連載されていました。 ただ、雑誌の欠番(紛失)が多くとびとびです。時代の変化と詩歌の変遷について(10)(平成二十五年九月号より)3(2) その点で、先に、前登志夫が詩人として出発するときに影響を受けた村野四郎の場合が思ひ出されて来た。 戦後の詩の世界で、荒地グループを中心に「戦後詩」とよばれる詩の領域があらはれる直ぐ前の時代に、西脇順三郎や村野四郎ら昭和戦前の「詩と詩論」にかかはった人達が大きな発言力をもっていた時代があった。わたしなどもその一人(前さんもそうだが)村野四郎を避けては通れなかった。そして大きな影響をうけたものだ。ところが、その後状況が変わって、今では『戦後名詩選』(野村喜和夫、城戸朱理編)などをみても、西脇や村野の名はない。西脇の場合は、また別の観点から話題になることが多いが、あれほど大きな影響力をもった村野の場合、今ではほとんど話題にならないのはどうしてなのだろう。 (つづく)
2023.07.07
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(平成14年歌誌「賀茂短歌」より)啄木のこと(五) 後藤瑞義(平成十四年十月号歌誌「賀茂短歌」より)前号に続き... はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る NHKのアナウンサーが「はたらけど、はたらけど」と続けて朗読したことは前回話しました。啄木の意図とは別に、そのように読むこと自体わたしはむしろ賛成したいと思います。畳みかけることによって、生活苦が一層強調されると思います。そして、間をおいて「ぢっと手を見る」となるわけです。その手を見る行為が、生活苦と直接的に関係するのか、あるいは人間のある理由の無いように見える行動として「手を見る」のかは作者に聞かなければ、真実ははっきりしません。解釈はかなり読者にゆだねられるように思います。そして、何故そこで行を変えたのかにもかかわってくるように思えます。しかし、「はたらけど、はたらけど…」とつづけて読むのであれば、二行書きでよいではないか、なにも三行書きにする必要はないだろう、という批判がおこるでしょう。 ここで、いっそのこと一行書きにしたらという意見もあるかもしれません。「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」ただ、一行にするとやはり歌のニュアンスがまた若干異なるでしょう。「ぢっと手を見る」にしても、前述のような生活苦との関係というより、手そのものに視点が移るような感じがします。「荒れ果てた手」、「あかぎれの手」、そういった、いたいたしい手への直接的な思いを感じます。間をおかず、一気に詠みきった作者のせっぱ詰まったような、一直線の思いが強調されるのではないでしょうか。一行書きにすることによって、芸術だとか、文学だとかいうことではなく、泥まみれに働いても、働いても、手から血を出して働いても、例えば一向に借金が返せない、そういった実際の作者自身の絶望感が伝わるように思うのです。ただそれを啄木は避けました。なぜか避けているのです。東北出身の、明治生まれの啄木がかたくなに、茂吉がしたように直接的な思いを表現することを避けました。 ここにわたしの啄木にたいする謎を感じるとともに魅力も感じるわけです。 最後に、三行書きの場合の、「はたらけど」についてちょっとふれましょう。啄木は初句の「はたらけど」で切っています。「はたらけど」は独立の一行です。「働いたけれども」とまずは、言っているのです。遊んでいたわけではない、実際に働いたけれどもと言ったことでしょうか。誰かにぶらぶらしていないで、働きなさいと忠告されたのかもしれません。そして、二行目の「はたらけど…」になります。この「はたらけど」の繰り返しは、三行書きの場合は、強調というよりは、一行目の働きかたが不十分と思い、あるいは誰かからそう言われ、いっそう熱心に働いたけれども一向に生活は楽にならない…、というようなふうに思われます。 問題は、三行目の「ぢっと手を見る」でしょう。この歌は、一行書きにした場合は、前にも少し触れましたように、貧困に喘ぐ労働者の切実の歌になるでしょう。泥だらけの手、油まみれの手、皹やアカギレで赤くあるいは血のにじむような手をじっと見ている作者が浮かびます。 啄木の歌の手は、どうなんでしょうか。もちろん前に書いた手の連想も当然あるでしょう。一方啄木自体の手は青白い手だったのではなかったでしょうか。手、手、手…色んな手がこの世にあります。 人類は手で道具を発明し、それによって今日の文明を築きました。四十八手、手段の手であります、色んな手があります、千手観音の救いの手もあります。 「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり」これに対し啄木は、これはおかしいのではないか、これが文明の生活であろうか、何かが狂っているんじゃないのか…。この状態を打破する根本的な変革なりがあるのではないだろうか。何か良い手がないだろうか…、そういう、「ぢっと手をみる」ではなかったろうか。 短歌に思想をもとめるのは難しいといわれています。ただ、この啄木の歌を、三行書きの歌を読むとき私はなにか思想的なものの滲み出ているのを感じたのです…。 この問題は、もっとよく考えたいと思います。 (つづく)
2023.06.26
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5月21日(日)正岡子規句集(66)中公文庫:日本の詩歌3より昭和五十年九月十日初版俳句稿(5)明治三十年丁酉(5)秋(3) 清女か簾かゝげたるそれは雲の上の御事これは根岸の隅のあ はらやに親一人子二人の侘住居いもうとが日覆ひおひをまくる萩はぎの月 根岸雑咏ノ内 貧しさや葉は生姜しやうが多き夜の市 蓮はすの実の飛ばで小僧に喰くはれたる 草の実の赤くして馬もくはざりき (つづく)
2023.05.21
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5月8日(月)「幸福論」(ヒルティ)(第一部)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。幸福(28)二(9)(前日)世間に対していつも満足していられる最上の方法は、世間から多くを期待しないことです。また、世間を恐れないことです。そして、世間に(もちろん思い違いなしに)善を認め、悪は無力なもの、永続きしないもの、やがては自滅するものと見ることです。(より続く) わたしたちが最後に、一般に言いたいことは、およそ地上のものはあまりこれを重要視してはならないということです。わたしたちが「天に頭をさし入れて」(天のことを常に考えて:後藤)生活していれば、地上の多くのものはじきにどうでもいいものになってきます。主要な事さえうまくいっていれば、そのほかの小事に重きをおく必要はありません。この小事を重大視するために、ことに人や人の判断を重大視するために、むだに心を痛めている人が、最もすぐれた人々の中に非常に多いのです。彼等はそのために彼等の日常の仕事を、そうでなかった場合よりも、ずっと難儀なものにしています。 (つづく)
2023.05.08
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4月11日(火)正岡子規句集(26)中公文庫:日本の詩歌3より昭和五十年九月十日初版寒山落木(26)明治二十七年甲午年(5)夏(2)(橘)橘や都のあとの只(ただ)の家(牡丹) 夕風や牡丹崩(ぼたんくづ)るゝ石の上 (麦)家ちらほら小山つゞきの麦畑(瓜)喃(なう)お僧初瓜(はつうり)一つめすまいか (つづく)
2023.04.11
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4月9日(日) 正岡子規句集(24)中公文庫:日本の詩歌3より昭和五十一年四月十日初版寒山落木(24)明治二十七年甲午年(3)春(3) 二月一日徒移に梅さくや本箱荷(にな)ふ破(や)れ袴(ばかま)(梨花)有明のきえきえに梨(なし)の花淋し(夕桜)灯(ひ)のともるたそかれ桜静かなり(菜花)村ところところ菜の花見ゆるかな(山吹)山吹(やまぶき)を踏んで驚く雀(すずめ)かな (つづく)
2023.04.09
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4月7日(金)「幸福論」(ヒルティ)(第一部)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。時間のつくり方(27)以上が、今日の状況のもとにおいて可能な、そして応用できるだろう時間節約法です。 これらの方法を利用するにあたり、次のことを付けくわえます。つまり、「時間はありあまるほど無い」ということです。そして、このことがわたしたちがこの世で到達出来る幸福のもっとも重要な要素であるということです。 人間の幸福の最大部分は、たえず続けられる仕事と、これに基づく祝福とからなっているということです。この祝福は、仕事をよろこびに変えます。人の心は、正しい仕事を見出した時ほど、うれしい気分になることはないでしょう。みなさんは、幸福になりたいならば、まず正しい仕事をさがすことです。失敗の生涯、不幸な生涯は、全然仕事がないか、仕事が少なすぎるか、あるいは正しい仕事を持たないことによります。人間の心臓は、活発な、そして心に満足を与える仕事をしている時に、もっとも平静に鼓動すると言われています。注意したいのは、仕事を偶像化してはならないということです。むしろまことの神様に仕えるように仕事をすることです。このことを心掛けない人は、老年期になって、精神と肉体の錯乱に陥りやすいのです。 (つづく)
2023.04.07
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3月28日(火)「幸福論」(ヒルティ)(第一部)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。時間のつくり方(17)(前日)手早く仕上げられた仕事を最も良く、また最も効果的だというのがわたしの持論です。たぶん、仕事をするたいていの人は、経験上この意見に賛成してくれるでしょう。(ここからつづく)(七)手早く仕事をすること、(2) 手早く仕事をすることの重要性について書いてきました。一方、「徹底的」という言葉があります。たしかに、それが徹底的に究明するべき真理に関するかぎり、たいへん結構な、また必要なことです。しかし、偽りにたいする徹底的ということもあります。これは骨折って探究する価値のない、重要でないことです。こまごましたこと、そのむらがりに迷いこんだら終わりのない世界に生きなければなりません。しかし、ある場合は、このことが時に博識という偉大な後光を放つことがあるのも事実です。学問の対象、高遠な、目に見えぬ目的と利益をさえ持たず、全生涯を一冊の書物に注ぐというような、まさしく学問的な場合に、その仕事にたいして後光が差すこともあるでしょう。 (つづく)
2023.03.28
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3月7日(火)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。愛の奇跡神様は愛です。愛であるために神様は奇跡を行うのです。愛なるがためにこの驚くべき宇宙をお造りになったのです。愛なるがために神様は死者を生き返えらせることができたのです。愛は全能です、出来ないことはありません。神様を愛と理解すれば、神様について信じがたいことは一つも無くなります。愛は超自然的力があります。聖書が愛である神様についての記事と知れば、聖書とはなんとわかりやすい書物なのだろうと思うでしょう。(注)以上は、「内村鑑三所感集」よりの転載です。
2023.03.07
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1月30日(月)岡井隆の選歌作品(NHK:「近藤芳美賞」(15首詠)より)平成25年第一回近藤芳美賞作品奨励賞(岡井隆選)「だまし絵」(1) 宮本加代子(岡山県)エル・グレコ「受胎告知」のある街に生れて遠のくことなきままに遠き遠き記憶の中のかなしみが一瞬宝石のごとくきらめくモノクロのジェームス・ディーンのプロマイド「潮騒」の中からはらりと出でて睡られぬ夜ふけの独りのものがたり起承転結の結なきままにほんのすこしさみしい時の遊びにて睦言のごとく独りごとをいふ(つづく)
2023.01.29
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1月2日(月)後藤早苗の短歌(47)歌誌「賀茂短歌」(平成十八年十月号)よりきじわが行けば慌てて逃げし雉の子がいつしか親と同じ大きさこの店に万引きジーメン居るのかとそれとなく客の顔を伺う発芽せし大根の根が地中にと伸びているだろう恵みの雨にくちなしの木の葉無くなると思いつつ巨大な青虫殺せずにいる西空に青空見えきてこの雨もすぐに止むらし日照りは続く(つづく)(注)わたしは、結婚して十年経った頃妻より短歌の手ほどきを受けました。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/write/
2023.01.02
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9月11日(日)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。わたしがこの世に来た理由(マルコ伝第2章10-12節)パリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や卑しい税の取立人などと一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうしてあなたたちの先生は卑しい税の取立人や罪人と食事をするんですか。」と言いました。それを聞いていたイエスが言いました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしがこの世に来ましたのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためなのです。」後藤:関連はないのですが、親鸞の「善人でさえ浄土にうまれることができます、まして悪人が浄土にうまれないわけはありません。…」を思い出しました。
2022.09.11
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妻の歌集「野菜とわたし」の紹介記事が伊豆新聞に今朝掲載されていました。大袈裟に言えば朝から電話が鳴りっぱなしです。新聞の威力を感じました。
2022.08.05
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7月11日(月)亡き妻の机より歌集(サイン入り)が出て来ました…「日日炎炎」(篠弘歌集)(24)発行:2014年11月30日司会者 (24) 2009年書棚のしじま(2)この辺の棚占めゐしに時さだ過ぎてコミュニズムなる書は霧散せる場をゆづるわれに礼ゐやする客の居て人無きごとき書棚のしじま常連の客のひとりとならび立ち高き書棚に胸をそらせりかつてここに立ち読みしたる衝撃のいまだ残れり暗き灯下に(つづく)
2022.07.11
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4月26日(火)閑吟集(90)新潮社: 昭和五十七年九月十日 舟(7)136 ・月は傾(かたぶ)く泊り舟 鐘(かね)は聞えて里近し 枕(まくら)を並べて お取舵(とかぢ)や面舵(おもかぢ)にさし交(ま)ぜて 袖(そで)を夜露(よつゆ)に濡(ぬ)れてさす(月は西へと傾いた。暁の鐘が聞えて人里もどうやら近い様子。泊り舟の中に枕を二つ並べて、取舵面舵さながらに、左に右に転び寝る。袖を夜露に濡らしつつ、しっぽりと。) 137・また湊(みなと)へ舟が入(い)るやらう 唐(から)櫓(ろ)の音(おと)が、ころりからりと(湊へまた舟が入ってくるらしい。唐櫓の音が、ほら、ころりからりと聞えて来るよ。)(つづく)
2022.04.26
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2月11日(金)長塚 節歌集(37) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版明治四十二年 広丘村へ単身移り住みし柿の村人に贈れる歌二首家にあらば妹(いも)が干すらむ洗ひ衣(ぎぬ)わが手と干すか森の木のまに蚕豆(そらまめ)の花おしわけてひよこらの遊ぶを見れば家思(も)ふらむか(つづく)
2022.02.11
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NHK主催:令和三年冬の誌上短歌大会(十二月二十七日発表)大会大賞(文部科学大臣賞 候補作品)自由題:障害を持つゆえ喧噪厭う子とショー無き時のイルカ見ている 静岡県 後藤瑞義小島なお選;特選(評)もし障害がなければほかの子に混じってイルカショーに歓声を上げていたかも知れない。けれど、いま水槽をのびのびと泳ぐイルカのあるがままのうつくしさ。子とイルカとの静かな深い交感のひととき。伊藤一彦選:佳作
2021.12.28
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後藤瑞義入選歌(読売新聞静岡版)回覧板と告げて返事を待ちいたり独り暮らしなり隣の人も 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月八日 入選 松平盟子 選)
2021.12.08
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11月12日(金)『歌を創るこころ』(抜粋)岡井 隆著:平成八年十二月二十五日発行発行所:日本放送出版協会第四章 素材をさがす(42)田園の春秋(4)山暮らしこの切なさにあり狎(な)れてけふは辛夷(こぶし)の木となりて佇つ 清田由井子『草峠』作者は病弱な人、山暮らしの孤独さを辛夷の花でいやしているようです。春が来て花の咲いた辛夷の木を見ているのでしょうか。わが生命(いのち)棲(す)まねばならぬたしかさに火山(ひやま)を据(す)ゑて村低きかな 清田由井子『草峠』人間はなぜ、ある場所に「棲まねばならぬ」のでしょうか。いくつかの偶然のせいか、一つの宿命でしょうか。
2021.11.12
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10月18日(月)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています(後藤)。発行:昭和39年教文館ホームとはホームというのは、平安を求めるところではなくて、平安を与えるところだということです。ホームというのは、幸福を貯めるところ、幸福の貯蔵所と考えるのです。決して幸福を見つけ出す、幸福を採掘する所ではないということです。幸福を求めようとして、ホームを造った人は破たんするでしょう。与える場所として造ったホームのみ幸福なホームとなるのです。ホーム、ホーム、マイホームと若い人は口をそろえて言います。しかし、理想的なホームを造れる人は少ないのです、それは求める場所としてホームを考え、与える場所としてホームを考えないからなのです。
2021.10.18
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6月7日(月) 「選択本願念仏集」(法然著)(107) 岩波書店:1997年4月16日発行 (五)念仏利益の文 これ上(かみ)の一念を指すなり。この大利とは、これ小(しょう) 利(り)に対するの言なり。しかれば則ち菩提心等の諸 行をもつて小利となし、ないし一念をもつて大利 とするなり。また無上功徳(むじょうくどく)とは、これ有上(うじょう)に対す るの言なり。余行をもつて有上とし、念仏をもつ て無上とするなり。既に一念をもつて一の無上と す。まさに知るべし。 (つづく)(注)有上:限りあること。
2021.06.07
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6月5日(土) 岡井隆「現代短歌講座」(100) (2014年1月「NHK短歌春秋」より) 小島ゆかり『純白光』について(2) また出版社側の提案で、「短文と歌」を併せるというスタイルが とられることになりました。実例をだした方がわかりやすいと思い ますので挙げてみます。 1/8 早朝だけ、自分が木や鳥や獣に近い感じがする。 窓際に置くシクラメン一月の純白光となりて奔(はし)れり この歌には、歌集名ともなった「純白光」が使われていますし、 シクラメンが白い光となって「奔る」ったという修辞(言葉使い、レ トリック)にしましても、極めて詩的な、よく考えられた表現であ ります。一人の読者としてこうした修辞を愉しむことができます。 と同時に、「早朝だけ、自分が木や鳥や獣に近い感じがする。」とい う詞書のような短文は、歌とあわせて読めます。それは、短文だけ でも詩の一行のように読めますが、歌(これも一行の詩です)とあ わせて、カップルとして読めます。
2021.06.05
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4月12日(月) 昭和萬葉集(巻十一)(34)(三十年~三十一年の作品) 講談社発行(昭和55年) Ⅰ(34) 原爆許すまじ(3) 水爆実験(3) 武川忠一 放射能に肌ただれしが死者なしと彼ら人間のことを伝ふる 樋口与四郎 ビキニ環礁に水爆あがると聞きしより雨戸(あまど)を出でてわが心おづ 島田修二 無警告の核実験が続く日か朝にしてすでに暑き陽の射す 長谷川富明 一枚の地図にいくたりもかたまりてビキニ環礁のありかを探す (つづく)
2021.04.12
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2月12日(金) 新古今集(922) 岩波文庫:佐佐木信綱校訂 新古今和歌集巻第十八(75) 雑歌下(75) 題しらず 西行法師 千八百四十五 ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 崇徳院に百首歌奉りけるに、無常歌 皇太后宮大夫俊成 千八百三十六 世の中をおもひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲 (つづく)
2021.02.12
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12月8日(火) 岡井隆特集 平成23年角川書店雑誌「短歌」2月号より <新作100首> 歯痛をこらへながら作つた歌(4) ドライブインに出た 運転(ドライヴ)して大通りへ出る感覚だ昨日から今日なにが待つやら 長い長いドライヴむろん独りだつた木曽谷(きそだに)あたりかなあ雨が来た だつて仕方ねえぢやないのか三十年以上前から核武装派だ (つづく)
2020.12.08
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11月20日(金) 内村鑑三「一日一生」より (注)文語は口語にし、意訳しています(後藤)。 発行:昭和35年教文館神様は愛 天にいらっしゃるわれらのお父さん、神様、あなたは愛のかたまり、愛しかないとわたしは信じています。ですから、わたしは信じています、神様はわたしたちに罰を与えようとしてわたしたちを苦しめることは決してないと…。神様を本当に信じる人の辞書には「罰」という言葉はないでしょう。「罰」という言葉は、単なる法律上の言葉で、キリスト教では用のない、意味もない名詞です。もしどうしてもこの言葉を使いたいのであれば、「暗く見える神様の恵み」というようなことばを付け加えるべきでしょう。神様、どうか、あなたが愛しなさる人間を威嚇するために「罰」という言葉を使う牧師がいましたら、もう一度正しく聖書を学び直せと叱って下さい。
2020.11.20
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10月6日(火) 歌集「黙契」(昭和30年)(6)(抜粋)上田三四二 なにを言ひたかりけむわが白髪(しらが)を四五本抜き妻の立去る ふり放けて松山にさす夕ひかりいましばらくの光とおもふ 安静時間すぎ貯水池にかがむみればいつの日もおなじ鮒をつりゐる ひとたびの眠りは覚めてはかなきに酔ひし靴音の乱れつつ過ぐ (完結)
2020.10.06
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7月16日(木)短歌鑑賞(岡井 隆の一首) (4) 後藤瑞義 酒が来て肴が来(こ)ぬ間(ま)言ふべきか迷ひたれども一語言はずき わたしも、酒には肴がどうしてもほしい口です。そうでないと落ちついて飲めないのです。この歌の作者もそのようです。わたしの経験ですが、酒はすぐ持って来ますが、肴がなかなか来ないのです。大事な話をしたい時には、間があいてしまって困ります。作者も話し出そうか迷われたようですが、結局肴の来るのを今かいまかと待ったようです。 「言はずき」と過去の回想の助動詞「き」が使われていますので、内容は分かりませんが、何か大事な思い出にまつわるエピソードなのでしょう。そうしたちょっとしたことが長く忘れられないものです。 さて、話相手は誰だったのでしょうか。男性、女性、年上、年下、または同僚、肉親、他人などなど、色々なケースが考えられます。それによって「言わなかった一言」が色々と考えられます。例えば、息子、娘、恋人などなど…。
2020.07.16
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7月8日(水)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より) (注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。 大正三年より修羅の巷(ちまた)わたしたちは、神様から見れば等しく罪人です。ですから、誰かが上に立てば必ず誰かがそれを非難するのです。誰が上に立っても同じです。罪人は罪人を攻めるのです。それは、血を血で洗うようなものとも言えるでしょう。ますます汚れてしまう譬えです。罪人の住む地上は依然として修羅の巷のままでしょう。その罪人たちの作った文明をもってしても憲法をもってしても、地上を完全に天国のようにすることは難しいということです。地上を天国とするには、神様に頼るしかないと思うのです。
2020.07.08
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