リトアニアの観光名所となっており 2001 年に「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」の一つとして無形文化遺産に指定。
その発祥は分かっていませんが 初めてここに十字架が建てられたのは1831 年のロシアに対する11 月蜂起の後であると考えられています。
数世紀を経て 十字架だけでなくイエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻 聖母マリア像 肖像画 ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者によって置かれるようになったそうです。
十字架の正確な数は分かっていませんが 約50,000 だろうと推測されています。
粗大ゴミ捨て場ではありません。
かつてリトアニアのカトリック信仰は脅威にさらされたこともあったのですが 数世紀を経て この丘はカトリック信仰の長い歴史を物語るようになっていった訳です。
1795 年の第3 次ポーランド分割でリトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることとなり ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起(1831 年の11 月蜂起、1863 年の1 月蜂起)しましたが いずれも失敗。
これら2 つの蜂起は この十字架の丘の始まりに関係しており 反乱兵の家族が 彼らの遺体のかわりに十字架を丘に建てたのです。
1918 年リトアニアは独立を回復。独立期に この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちのために祈る場所となった訳です。
リトアニアがソ連の統治下にあった1944 年から1990 年 十字架の丘は特別な意味を持っており 丘へ行き十字架を捧げることで リトアニア人たちは彼らの宗教や遺産への忠誠心を示し それは 非暴力による抵抗を表していたのです。
にもかかわらず ソ連は3 度にわたりブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとしたのです。
ムーシャ川の支流 クルヴェ川の近くにダムを建設するためにこの丘が水の中に沈んでしまう という噂もあったようです 。
1993 年にヨハネ・パウロ2 世法王が この丘を訪れ ここが「希望と平和 愛 そして犠牲者のための場所」であると述べたそうです。
2000 年にはフランシスコ会の修道院がこの丘の近くに完成。内部の装飾は フランシスコの身体に聖痕が現れたとされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連しているとのこと。
この丘は未だいずれの管轄にも属していないため自由に出入りし 十字架を建てることができます。
2011年6月 ラトビアに向かう途中に訪れましたが 壮観でした。
カメラの電池切れのため 数枚ネットからピックアップした画像も有ります。
物乞い禁止マーク。礼拝禁止マークではありません。
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elsa.さん
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曲まめ子さん
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alisa.さん