2007.01.30
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「唸る」そんな作品を一つ。

東野圭吾の「手紙」
この人の作品はテレビ又は映画でも上映されることが多いので今や知る人ぞ知る
ポップな作家と読んでもいいだろう。出張の際本を読む事が多いもので
東京駅に行くと必ず本屋に立ち寄る。そこで「読んで!」とささやきかけていたのがこの本である。

内容は日本の「罪と罰」それも加害者の視点から実に見事に起承転結を伴って描かれている。
「この手の内容なら俺でも書ける」と言い切る作家はいるだろう。
しかし実際の所被害者の立場ではなく加害者の立場で書かれた小説は数えるほどしかないだろう。
皆無かも知れない。犯罪作家と言えば佐木隆三が有名であるけど彼の本は小説ではない。

虚しさだけが残るのである。読み手をあまり想定していないからである。
だからどうしても読み手に飽きさせる面がある。
東野圭吾の「手紙」の内容は出口がないけど飽きない。
それは何故か?
簡単な事である。
彼の作品全てに通じている面であるのだけど「読み手」を想定して常に書いている。
いわゆる一人よがりではない文体で終始貫かれている。
そして何よりここが重要なのだけど文体がわかりやすい。
シンプルだからこそメッセージがストレートに伝わって行くのである。
ゆえに加害者が何度も夢を掴み掛けて落ちて行く様を気の毒だと思いながら「ざまあみろ」「やっぱり」と読み手に思わせる。
「現実は甘くない」そう思わせる事で読者をこのテーマに引きずりこんで行くのである。


しかし殺人者の弟と言うだけで何度も挫折を繰り返す。
恋人、仕事・・・何をやっても犯罪者の弟と言うだけで奈落の底に落とされる。
最後は自分の息子までがその責め苦を背負わされると予言するところまで行く。

読み手からするとテーマの「出口」がないため重苦しい雰囲気になる。

思うに東野圭吾が何故このテーマに取り組んだのか?

その先に「救いはあるのか?」
出口がないとわかっていても小説家・・というより物書きである以上
このテーマは避けられなかった。避けられない以上真正面から取り組んでみようと思ったんだと思う。

毎日テレビで殺人が繰り返されている。
被害者は必ず口を揃えて同じ事を言う。
「何もいらない。もとのままで返してくれれば何もいらない」
「死んだものは二度と生き返らないんだ!」

「罪を犯せば罰を受ける」あったり前の事だ。その中でも殺人は一番罪深い。
殺人を犯した兄は罰を受けるが弟は何も侵していないにも関わらず世間から罰を受ける。

ラストのシーン。
東野圭吾はこの場面を最後に書きたかったんだなと思わせる展開で終わる。

おいらが「唸った」のはまさにこの場面である。
ミュージッシャンになる夢を兄のために経たれた直貴が
兄のいる千葉の刑務所で音楽仲間の寺尾と一緒に受刑者の慰問コンサートで「イマジン」を歌うシーン。

「その男は深く項垂れていた。直貴の記憶にある姿より小さく見えた。彼の姿勢を見て、直貴は身体の奥から突然熱いものが
押し寄せてくるのを感じた。男は胸の前で合掌していた。詫びるように。そして祈るように。さらに彼の細かく震えている
気配まで直貴には伝わってきた」

その描写の見事さ。

「イマジン」は歌われたのか?
「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃ
ならない生き物なんだ」
寺尾の発した言葉の先にある「イマジン」が絵空事に終わるのか、リアルな言葉として発せられるのか?
イントロだけが流れて直貴の声がついに発せられないまま終わるラストシーン。

答えを読み手にゆだねたあまりの見事さに「唸った」のである。

小説って結局人間をどう表現するかであると思う。
その面で余韻の残る「手紙」は確実においらの心に届いた。





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最終更新日  2007.01.30 20:56:24
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