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酷いです。本当に誤ってのことなのでしょうか。そもそもが、『スーパーの白いレジ袋で包み、さらに半透明のごみ袋に入れられていた』ことからしても、誤ったのではなく、故意では?この病院では、日頃から胎児を火葬するのにスーパーの袋に入れているってことでしょうか。『昨日、病院で流産した胎児で、火葬予定だったが間違えて捨ててしまった』との言い訳を読んでも、全く納得できません。どんなに小さくても、棺は用意してもらいたい。火葬場では、ビニールに入れた胎児ちゃんを受け入れてくれているのでしょうか。この胎児ちゃんを亡くしてしまった親御さんは、自分のところへ胎児ちゃんが連れて来られないことを納得できていたのでしょうか。それとも、火葬は病院の方でするつもりだったのでしょうか。あと、私の実家の近くにはマンションが多く建っていて、ゴミ捨て場もそれぞれにあります。一軒家の実家は、どんなに距離がマンションのゴミ捨て場の方が近くても、マンションのゴミ捨て場にはマンション住民しか捨てられないので、もうちょっと歩くところの指定の場所まで捨てに行っています。この病院は、捨てたマンションのゴミ捨て場が、もともとの指定地だったのでしょうか?ふざけている。間違いだとしても変わらずふざけているけど、正直、間違いだとはおもえない。人権て、戸籍に載らないとないのでしょうか。人権なんてもんは、もともとが生きている人間が作ったものであって、神様はどう見ているのでしょうか。胎児ちゃんでも、神様は私たちと同じ尊い命とおもわれているのではないでしょうか。神様でなくても、私たちでもそうおもうものではないでしょうか。ばれなきゃ良いとおもっての行為としかおもえない。
2007.01.22
最愛の娘さんを車の事故で亡くした方への記者の姿勢が不快でならなかった。辛いの、あたりまえでしょうが。いちいち「大丈夫ですか?」って、とにかく風見しんご氏が泣き崩れてしまう姿をテレビで流したかったのだろうな。記者は泣いていないもんね。大変だねって言っても、そこで仕事も忘れて一緒に泣いてくれる人ではない。それが仕事だからってことなんだろうから、だからこそ不快。車の事故で最愛の娘さんや息子さんを亡くしている方は、彼に限ったことではない。どれだけ多くの方が、最愛の家族を亡くし、苦労しているのかを、私たちは忘れてはいけないのに、こうやって大きく扱われることがあると、ようやく思い出したように、口を揃えて「ひどい、ひどい」と言う。私たちは多くの尊い命や物事を、日々、易々と受け流してしまっている。感謝の気持ちも忘れ、自分さえ良ければいいんだって、そうはおもっていなくても、結局は同類項の意識になってしまっている。飲酒運転だって、未だに皆無にはならない。本当はもっと時間があるときにゆっくりと書きたいことがあり、そういうゆとりが今はなくて書けずにいるのだけど…前にもここで何度か話している、ある助産師の話。お産をやめた病院の施設を借りてお産を受けている助産師。その人のところで、昨年末にお嫁さんが初産を終えた。37週前だったかな、2300gの児で、特別な検査もなく、24時間監視されずに母子共に退院。そこは“院内助産院”ということになるのだろう、医師が立ち会っているとのことで、助産師会に聞いたけど、「医師が許可を出しているのだから問題ない」とのこと。児がその後に死んでしまっていたらどうなのだろう。児に障害が残っていたら、どうなのだろう。色々な疑問がある。(この件は、また後でゆとりをもって書きます)私たちは前進をしているのだろうか。本当に、一つ一つの尊い命の果てを、しっかりと活かしているのだろうか。
2007.01.20
教育テレビの『美の壷』。今日のテーマは“藍染”。中で、子負い帯の説明があり、「昔は幼くして子供を亡くすことが多く…」とのことから、子供の健康を祈った模様が彩られていた。由来を知らないままに見ていても素敵な模様だったし、知れば尚、愛しさも増して、素敵な染めにおもえた。今は“おんぶ紐”よりも“スリング”の方が流行、浸透しているのだけど、このような意味のある染めや模様のものがスリングにもあれば良いのになぁ。藍染は蟲がつかないという利点もあるというのだから、私ももっと自分の生活の中に取り入れたいのだけど、日本のものはお値段も良く、なかなか手が出せない。義母が洋裁の仕事をしていて、一度、とっても素敵な藍染の服が安かったので、その場に一緒にいた義母にどうだろうかと聞いたら、「縫製からして、日本製じゃない」と言われ、買うのを控えた。何がなんでも日本製じゃないといけないとおもっているわけではないのだけど、なんとなく私なりのこだわり。理由の一つとして…今日の子負い帯のように、なんかこう意味や想いが込められているような気がするから、日本製の方が好き。現代では『素敵な模様ね』と見るばかりのものでも、昔々、当時の人たちにとっては、医療が身近ではなく、どんどんと亡くなっていく幼い命への想いや悔いが多くの文化を生んだのだろうな。そういう想いにも感謝を込めて…
2007.01.19
今日、スーパーで買い物をしていたら、びっくり仰天どころか、あんなのが今は常識となりつつあるのかと、その場で注意できなかった自分自身も含め、軽蔑的な場面に遭遇した。2歳くらいの女児を連れた30代中頃の夫婦。スーパーの中にパン屋があり、そこの店先にフランスパンのような細長いパンの上に、明太子のソースがかかっているようなものがあったのだが(私は通路の反対側にいたので、商品名とか、詳細までは分からなかった)、そのパンには中央に切れ目があったようで、どうやらその夫婦はパンの中身が知りたかったようなのだけど、まず、そうならば私なら店員さんに聞く。多分、商品名のカードにそれらが表記されていないから分からないのだろう、それ事態は別に可笑しくはおもわないのだけど、その夫婦がとった行動は、パンを取るトング(パスタじゃないけど、であっているかな?)の先で、そのパンの中央の切れ目を開き、中身を確認している!!!えーっっっ!!!?更に、中身が気に入らなかったのか何なのか、買わずに立ち去った!!!!一体、この場面を目にしたのは私以外に何人の人がいたのだろうか。唯一、私だけだったのだろうか…だとしたら、やっぱり私が注意するべきだったのだろうか…神様は試したの?えー、でも正直言って、なんていうのかな、一見、本当に普通の人たちで、当たり前に居るような人たちが当たり前のような顔してやっているから、こっちの方が小さくなっちまうというか、もうびっくり。これだもんなー、本当、今ってなんかおかしくなっているって感じてしまう。昔は(って、一体いつのことを言っているのかが曖昧だよね)こういうことを子供がしてしまって、それを大人が注意していたのに、今では子供の目の前で親や大人がやってしまっているんだから、常識も非常識も完全に個人主義になってしまっていて、もしあの場で私が注意していたら、ナイフかなんかで逆切れされちゃっていたのかもしれない。正直、こういうことが怖くて、言うべきことを言えなくなっているのも事実。せめてもの悪あがきというか、こうやってブログで「こんなの、おかしいよね!!??」と言うのが精一杯で(助産院の安全性は別ですよ、出会った人には話しています)、自分も悪い方向への社会貢献をしてしまっているような気がしてならない。やっぱり『言わない・注意しない』っていうのは、その行為を認めてしまっているのと等しくなってしまうもんな。やっぱり駄目だよね、見過ごしてはいけないよね。でも、あんなことを平気にしてしまう人に、私の言葉は通じるのだろうか…
2007.01.13
今日、子供たちの集まる場所で、2003年の6月に生まれた子供と出会った。男児なので、女児とどのくらいの差があるのかはわからないし、男女問わず、個体差は当たり前にあるわけだから、その子が2003年の8月に生まれた琴子とどのくらい近いのかさえもわからないけど、私は琴子の成長を感じるばかりだった。こんなにも大きくなっているんだなぁ、こんなに色々なことを理解して、そしてそして…2003年が遠くて、そして近くてたまらない。神様は時折、こうやって私に琴子の成長を教えてくれているのだなって、感謝感謝。神様、またそのうち、琴子の成長を教えてください。また会える日まで、琴子のことを宜しくお願いします。
2007.01.09
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『ちいさなお地蔵さま』堀部幸男著日本助産師会に初めて出向いたときに、当時の事務局長から帰りにお花とお線香と、そしてこの本をプレゼントしてもらった。帰りの電車の中で、旦那と何気なく本を開いてみたら、そこら中に、本の中いっぱいに琴子の姿があった。琴子の死後、初めて目にすることが出来たような、そんな気持ちになれた。嬉しくて、寂しくて辛いときに、何度もこの本を開いて救われた。著者の堀部氏宛てに、出版社に手紙を出したら、奥様から心温まる返事を頂くことも出来た。ネットで堀部氏の他のお地蔵さまを見ることは出来ないかと調べたら、ある宗派で出しているポスターにお地蔵さまが使われていることを知り、購入もした。そのポスターを寝室や仕事場に貼り、また、知人にもプレゼントした。とにかく夢中になった。今でも変わらない。何度もこの本を開いている。私にとっては琴子だけど、他の方にとっては、他の愛しい我が子に見えるだろうし、我が子を亡くしたことのない方でも、この本の中にいっぱい舞うお地蔵さまの姿には、きっと癒してもらえるとおもう。この本をプレゼントしてくれた日本助産師会の当時の事務局長さんと、著者の堀部氏、出版社の方には感謝しています。琴子の姿を見せてくださったこと、ありがとうございます。
2007.01.05
ながら見だったので、ちょっと集中しきれなかったのだが、『オーラの泉』の新年会特別番組を堪能した。(やっぱり内容からいって、この番組はゴールデンタイムを避けてもらいたい! 集中して見たい!!!)綾戸智絵さんの息子さんとのお話、以前に出演された際の内容でも十分に感動できたのだけど、今回も心新たに感動できた。私もいつか、琴子と再会できるかな、来世では親子になれるのかな、恋人かな、現世では無理でも、またいつか一緒に生きられるかなって、私もいつか、また琴子を迎えにいきたいって、見ているうちに、どんどんと涙が溢れてきた。悲しいから流れる涙ではなく、期待に胸膨らませたような、まだその時を迎えていないのに、先に感極めての涙とでもいうかなんというか…『ありがとう』の力も信じている私としては、他にも感動できる話はあった(特に第二部のゲストの方)。でも、綾戸さんのお話が一番自分に重なるような気がして、心に一番残っている。生まれ変わってから琴子に出会うとき、江原さんのような人がいなければ私には気が付くことが出来ないかもしれないけど、それでも良いから、琴子ともう一度一緒に生きたい。来世では“誕生死”という別れではなく、一緒に歌うとか、一緒に笑うとか、一緒に怒るとか、一緒に悲しむとか、一緒に一緒に一緒にと、欲が尽きないのだけど、一緒に生きたいな。
2007.01.04
ブログ開設以来、なんとなく使っていたブログのデザインに飽きたわけではないのだけど、他に良いのはないかなぁと、何気なく見てみたら、大好きな『蓮の花』があった。仏教との繋がりも深いことからか、日本人としてのDNAに組み込まれているのか、深い意味はないのだけど、なんとなくずっと好きな花だった。琴子が死んでしまってからは、余計に好きになり、自分で栽培することなどはないのだけど、絵でも写真でもなんでも、蓮の花を見るのは気分が高揚する。蓮の花が咲くと、そこには琴子や天使ちゃんたちが座ったり舞ったりしているような気がして、心が温かく、そしてちょっとだけ寂しくもなる。でも、泣くような寂しさじゃない。いるはずだけど、見えないっていう寂しさだから、この寂しさには随分と慣れてきていて、泣くことはない。生きている以上、会いたいけど会えないっていうことだけはしっかりと理解出来たから、会えないことには我慢が出来るようになった。蓮の花を見ていると、こういう自分の中の気持ちの整理がつくような気がする。心霊写真は怖いけど、琴子のような可愛い姿が写るのなら怖くないかな?やっぱり他者にとっては怖いか。琴子が寒くないように、お腹が空かないように、楽しくあるように…
2007.01.02
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