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さて、3日付けの地元紙の分化欄で見つけたコラム『深呼吸』では、美術家でいらっしゃる、高嶺格氏のこんなタイトルが付けられていて目を惹きましたので、そのまま引用させていただきます。
『今の自分が現在に至るまでに、一体どれだけ意識的だったか?人生の選択は無理にあるわけで、99%の偶然と無意識。そして残りほんのわずかの「オレが選んだ」選択によって、現在を生きるわけだ。人間は自我の形成とともに価値観(らしきもの)を身に付けるが、適性と価値観はほとんどの場合関係なく、両者のすり合わせは一生かけて行われる悩ましい作業だといっていいだろう。
幼い時から人の手を煩わせる子だった。祖父の一周忌のときに読経していた坊さんは、僕が池に落ちる「ドボン」という音をきいて、袈裟のまま飛び込んで助けてくれた。僕は逆さにされ大いに水を吐いたが、池に落ちたのは集まったみんなの注目を引くためだった。
祖母の葬式も2歳のときだった。葬儀の邪魔にならぬよう、子供はみな二階に集められた。僕は「しょーちゅうびんにへーをひってかすんでみーたらくーさかった」(焼酎瓶に屁をこいて嗅いでみたらくさかった、の鹿児島弁)という、自作のいいかげんなメロディーを延々と歌い続け、一階の葬儀を台無しにした。
祖父の家の前は竹林で、親戚の子供が集まるとよくオニごっこをして遊んだ。ヨチヨチ歩きの僕はまだオニにされることはなく、竹林の中に逃げ込んだ姉をただただ追って、ある日転んだ。振り返った姉は、真っ赤に染まった僕の顔を見て腰を抜かし、泣き叫んだ。その声にびっくりして僕も泣きはじめた。鋭く斜めに切られた竹の切り株が、頭の真ん中にグサリと突き刺さったのだった。
大人数人に両手をつかまれて、身動きがとれない。僕は命の限りに泣き叫びながら、いったんはほどいて病院の廊下まで出たものの、どっちに逃げるか一瞬迷ったすきに、再び取り押さえられて銀色に光る針を続けさまに頭に刺され(麻酔だった)、「殺される!」と思った。これが、僕の最初の記憶である。
たかみね・ただす
… 68年鹿児島県生まれ。京都市芸大、国際情報科学芸術アカデミー卒。映像や立体、パフォーマンスなど多様な表現で注目されている。2003年のベネチアビエンナーレなど、内外の展覧会に参加
』
何だか、とんでもないイタズラっ子という気がしたけど、どことなく憎めない。。。って、お葬式をめちゃめちゃにしてしまう。といっても、子供には理解し難い儀式だし、大勢人が詰め掛けて、一体何事?というのが正直なところなんじゃないかな?でも、池に飛び込むだなんて。これは絶対に真似をして欲しくないなぁ。
年始早々、悲しい火事の話が飛び込んできて、なんともいたたまれない。おまけに、今日の淡路島の空といったら、元旦とはまるで違う冬空。穏やかな一年であります様。。。とお祈りしたばかりだったのに、やはりお友達が仰る様に、今年も波乱に満ちた年となるのかなぁ?
銭湯地域で米軍に弾薬提供 2016.10.18
本日付地元紙『正平調』から。。。 2012.09.25 コメント(4)
5日付地元紙『正平調』より。。。 2012.09.06