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松山英樹さん
と知り合うきっかけを作ってくださったのは、地元淡路島のハム。(事情があり、現在リンクは外させていただいております。)この、松山さんを通して、一気にネットの世界が広がり、そして、夫なんかより遥かに深い会話を続けていました。ところが、10月10日にはお父様が、そして、その13日後にはご本人が他界され、その後、お母様との手紙のやり取りが始まり、昨夜、私の帰宅時間が遅かったため、気が付かなかった手紙に、こんな素敵な押し花が添えられておりました。ご自宅で開いた桜と、私が母の日にお送りしましたブーゲンビリア。もう、こんな風に押し花にしてくださったんだ!と感激しました。
松山さんが他界されたいきさつについては、交通事故が元で。としか知らなかった私ですが、今回のお便りで、詳細がわかりました。相手が居たこと。相手が市立幼稚園の送迎バスだったこと。。。
バイクはナナハンだったようです、確かに身長もおありでしたから、丁度良かったのでしょうか。そして、お母様のお便りで驚いたのは、事故を起こしてからハムの試験にチャレンジされたことでした。
バイクによる転倒、首を骨折。全身麻痺、そして2年間の入院生活。このときにいただいた、さだまさしさんからのお葉書をとても大切にしていらっしゃいました。
頭をガードレールにぶつけながらも、無事だったこと、機械いじりがお好きだったことで、ご両親を操りながらパソコンの修理ができたこと。。。ご両親には迷惑をかけられないと、ほぼ独学でパソコンの技術を習得されたことなどが記されておりました。
ご本人からのメールで、“カメラのシャッターは口で”ということに、正直驚きました。それだけ指の感覚が麻痺していたということでしょうか。友人に作って貰った機械を通して、シャッターを口で操ることができるようになったとのことでした。
とある日、山のように沢山のCDやらFDが送られてきて驚いたことがあります。ご本人は、もう自分では聴けないと悟っていらっしゃったのでしょうか。生真面目な性格を思わせる文面のメッセージが添えられており、私は、宝物だと思っております。
月命日は23日。私の誕生日とは一日違いですので、忘れることはありません。五ヶ月後には、丸三年ですから4回忌ということになりますね。
大事な人があちらへ行ってしまう。。。「もう、あなたの役目は終わったよ」という日を迎えてしまった。。。ただ、後に遺られましたのが、お母様であったことは彼にとっても幸いだったのかもしれません。
改めて、松山英樹さんのご冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。
ものの見事に、こけた、こけた! 2016.03.22 コメント(9)
既に卒業されて。。。 2016.03.14 コメント(1)
田植えは済んだけれど。。。 2013.06.20 コメント(2)