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2023.03.02
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カテゴリ: 60歴史

先日に、前々から行きたいところだった袋井市にある旧跡「木原畷・許禰(こね)神社」と「久野城」を訪問してきました。


( 撮影筆者 )



( 撮影筆者 )

<「木原畷」古戦場>
「木原畷」古戦場はまさに、信玄遠江侵攻の初戦の戦闘の場です。『元亀三年 (1572) 十月、遠江に侵攻した武田軍は怒涛の勢いで天方城、飯田城、各和城、久野城を襲い、東海道へ達し木原 ( 現袋井市 ) 付近に布陣した。武田軍の侵攻を抑えるべく徳川軍が出陣、偵察に出ていた本多忠勝と内藤信成は木原で武田軍と遭遇し戦闘となった。偵察隊は退却するが武田軍の追撃を受け三箇野川や一言坂で戦闘となった。その後の「三方ヶ原の戦い」につながる前哨戦でもあります。


( 出典:岡部英一氏著書「一言坂の戦い」から )


( 田園)にあるところで、信玄軍の 2 万人を超える軍勢がここに集結している風景はさぞかし緊迫感があったと思います。

<「久野城」>
久野城は平山城で岡部氏の著書「一言坂の戦い」によれば、久野城はもともと今川方で、家康遠江進出に際し、城主の久野宗能を徳川方につかせ、天竜川に舟橋


( 撮影筆者 )

…信玄が侵攻時は宗能に 300 人で任せたが信玄 3000 人で城を囲んだようである・・・、結果的に武田軍の軍配に下ったが、多勢に対した時の城の守備方はどんな気持ちだったのでしょうか、などいろいろと思いが浮かんできました。双方ともに平日であまりメジャーな旧跡でもなかったせいか?私一人で、ゆっくりと堪能することが出来ました。以上






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最終更新日  2023.03.02 08:42:25
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