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2023.11.24
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テーマ: 歴史の足跡(80)
カテゴリ: 歴史散歩



ブラじゅんこです


今回は板橋区にある 赤塚城 に登城してきました





赤塚城は石神井城を拠点としていた豊島氏を追放した
太田道灌の援助を受けて
千葉自胤 が入城

自胤は千葉氏の内紛に負けてしまったそうですが
道灌に従って各地を転戦して



千葉城にあった千葉胤賢は鎌倉公方と関東管領の争いに巻き込まれ
関東管領側につきますが
それに反対だった重臣・原胤房が千葉城を急襲
胤賢は兄や甥と、多古町城、志摩城へと逃れる
しかし、原に多古町城を陥落され、甥・胤宣は自刃
志摩城の兄・胤直も東禅寺まで撤退して自刃
胤賢は2人の息子、実胤、自胤を連れて小堤城へ脱出
そこも陥落し胤賢も自刃
2人の兄弟は市川城へと逃れますが
梁田氏に襲われ、扇ケ谷上杉氏を頼って武蔵へ
そこで道灌に助けられるわけですね



関東の歴史も
なかなかに興味深い

しかし、千葉氏
名前に「胤」がついていて
似ていてわかりにくい・・





溜池公園





ここはもともと
内堀になっていたそうで
今は池になって残っています

皆さん、のんびりと釣りを楽しんでいましたよ


その池の脇にある細い階段から登城します






階段を見るだけで
急な崖だとわかりますね

一気に登ります


登りきると広い広場






本丸


この辺が一の郭あたり
けっこう広くきれいにならされています


赤塚城に入った自胤は
兄亡き後、千葉氏を継承して
和光市、大宮市、足立区の一部まで領土を拡大して
武蔵千葉氏の基盤を作ったそう


そんな説明版とともに
碑がたってました










階段があったので降りてみた






こう見ると
かなりの高さがありますよね





ここが堀切になるのかな


また戻りまして・・・





少し高くなっているところが
二の郭

今は梅園になっています






土塁のあとなのか。。。
ちょっと高くなっているのが分かるかな?






また階段を降りてみます

おお、結構な高さびっくり
このあたりは坂も多いし
起伏が大きいけど
実際に見るとびっくりしますね






抜けるとこんな場所に
そのまま外へと出てみます





城っぽい


郭の周りも高くなっているので
高低差があまりなくなってますね





さて、ここから西側にある
氷川神社 まで歩きます

かなり高低差がある道で
歩いていても楽しかったです






赤塚氷川神社

赤塚城主・千葉自胤が武州一宮氷川神社の御分霊を
祀ったのが始まり
今の大宮の氷川神社ですね





境内には
富士塚 がありましたよ





登頂しようと思ったけど
登れなくなってた号泣


ここから来た道を戻って
赤塚城の二の丸だった場所へと移動しますよ






赤塚城裏にある 乗蓮寺 にやってきました






乗蓮寺は昭和46年にここに移転してきて
それまでは板橋仲宿にあったそうです

8代将軍吉宗が鷹狩の際に参拝したことから
将軍の「御膳所」に指定されたそうです

高速道路や17号線の拡張工事などのために
この赤塚に移転したそうですが
つい最近引っ越してきたんですね

それまでは
この場所は 二の丸跡 として
色々遺構が残ったりしていたのかなぁ






立派だ~~~

ここで御朱印をいただくときに
お手伝いにきているという係の方といろいろとお話して
人生相談みたいになっちゃったけど
またゆっくりお話しに行きたいなぁっと思っちゃいました
30分くらいしゃべったな



乗蓮寺といえば
東京大仏






想像よりも大きくて
かなりびっくりしたびっくり


ここには
板橋忠康氏のお墓 があります

板橋氏は武蔵豊島氏の末裔で
忠康は北条氏直に仕えていたそう
その息子の忠政は徳川家康に仕えて
旗本として幕末まで続いたそう

板橋氏は赤坂浄土寺を菩提寺としていますが
忠康のみ乗蓮寺にお墓があります







また、このお寺には
いくつかの面白い石造があるのですが・・・

現在の駒込あたりにあった
津藩藤堂家 にあった石造だそう




そのうちの1つ
文殊菩薩さま


そして
赤塚城二の丸跡 っという碑もきちんと建っていましたよ











乗蓮寺から歩いてすぐ
松月院 にやってきました






松月院は
赤塚城主である自胤が中興の祖として
菩提寺としたそう





この門をくぐると
すぐに幼稚園があって
ちょうど帰りの時間で
賑やかでしたよ大笑い


その奥に進むと
素敵な山門が・・・






この門の瓦には
千葉氏の御紋である 「月星紋」 があしらわれています






なんかかわいい紋
おしゃれですよね






本堂





千葉氏一族のお墓



このお寺や赤塚城の北側は
今では高島平と呼ばれていますが
その由来となった高島秋帆が
ここに本陣を置いて西洋式砲術を指揮したそう

高島秋帆といえば
去年の大河「晴天をつけ」で玉木宏さんが演じてましたね

高島秋帆先生紀功碑










ここから少し歩いて
大堂 へと向かいます






大堂は古墳の上に建てられた阿弥陀堂で
大寺院でにぎわっていたそうですが
上杉謙信の北条攻めの時に焼き討ちにあってしまったそう

そして江戸時代に
松月院の境外堂になったそう

なるほど
だからこのお堂だけ別の場所にあるのかぁ
しかしビックネームが出てきましたね
テンションあがる~~~






今度は
お城の東側にある 諏訪神社 に向かいます







赤塚城主・千葉自胤が
信濃国の諏訪神社を勧進したそう

こうやって
あちこちに自胤由来の場所があると
なんだかしみじみしてしまう。。。






諏訪神社には
夫婦いちょう がありました





おおきい~~~びっくり


近くには
たけのこ公園 なんていう公園もありました






竹がきれい

この竹林はもともとあったのかなぁ
きれいに整備されてました






さて
ここからお城方面へと戻っていきます


このあたりは
崖線からあちこちに水が湧いていたそうで
その1つである 「不動の滝」 が残ってます






むかし、富士講や大山講へと向かう人が
ここで水垢離をしたそうなんです
神聖な場所だったんですね






今回の赤塚城は
遺構がほとんど残ってなかったけど

廻りの高低差や
自胤由来の場所など
当時の様子を想像するのは楽しかったです

もうちょっと勉強したら
もっと遺構や由来の場所があるのかもしれないな




ではでは
また次のブラじゅんこで








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最終更新日  2023.11.24 03:14:44
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