2011年06月05日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
http://senmon.fateback.com/syamintou/suematsu_syougen03.html
こういう例が面白いことには、社会党にもう一人いるんですよ。亡くなった伊藤卯四郎さん、この人は西尾末広氏と一緒に民社党を作った人です。
いわゆる社会主義運動の労働組合の発祥地は八幡製鉄所なんでしすよ。製鉄所の労働組合なんですよ。浅原健三が始めてストやったでしょう。溶鉱炉の火は消えたりってね。あの浅原健三がね。
3-7.九州政界と八幡製鉄
浅原健三というのはもともと職工なんです。あの頃、八幡製鉄(現新日本製鐵)は官営でしょう。ですから全体的にのんびりしていて、昼休みになると卑猥な話ばっかりするんです。ところが面白いことに上の人の悪口をいうことは、軍隊でも同じやけど、話が合うわけだ。
その中心が浅原やった。それがだんだんと広がってとうとうストライキをやった。八幡製鉄所はそれまで官営でのんびりしたところがあったわけだが、あのストライキで目がさめた。
それで製鉄は守衛にちから入れたんです。コレが限定法なんです。つまり守衛、これに絶対的な権力を与えたんです。そして労働組合をちゃんと抑えたんです。守衛さんに就職を斡旋する権利を与えた。それでそのころからこの守衛さんが毎年の就職に力を持ち守衛が紹介するとだいたい人事課はOKなんです。
そうすると、その人たちが選挙のとき「あの人いいよ」と言ったら100%聞くわけです。そういうふうで守衛に偉大な力を与えた。復員軍人、兵役を終えた将校だとか曹長だとか軍曹とか、海軍のいいとこなどが、帰ってくるでしょう。そうすると守衛になる。製鉄の守衛はみんな軍人上がり。だから非常に迫力あるわけ。抑えがきくわけです。
これが何万の職工たちをグッと握った。そして製鉄は溶鉱炉に火を止めるなというちゃんとした管理法を作った。職工(労組)に入る人は、守衛さんやらその他の紹介者が入れる。東大出とか専門学校を出た人は中央で人事をきめるわけです。これは日本の企業でいちばん充実した労務管理だった。これを真似したのが大手の各企業です。

この人と浅原健三とはものが違うために格差をもって浅原が落ちて、亀井氏が当選した。そのときの一人の弟子が伊藤卯四郎さんだ。この伊藤さんは終戦後一貫して製鉄の、いわゆる左派を除いた票をガチッと握ってトップ当選をいつもやっていた人です。
ところがこの伊藤さんの同じ選挙区の戸畑市に、明治鉱業の松本七郎さんという慶應出の大学教授がいた。この人は、世は猫も杓子も社会党の時代だから、戦後の最初のインテリとして社会党を希望したんです。
この人が松本治一郎のところに、いちばんに行った。松本治一郎がヒョイと見たら、相手は松本七郎でしょう。
「ははあ、こいつうまいこと社会党から出て、当選したら自民党に鞍替えする」
と思って松本治一郎が断ったんですよ。
だから七郎さんは、行き場がないから同じ選挙区の八幡の伊藤卯四郎さんのところに尋ねて行った。それが12月の暮。そのときにちょうど、たまたま伊藤さんがおられたんです。
3-8.当選者を横取りする
そして中央で西尾末広、片山哲。地元の伊藤さんの力で松本七郎さんの公認を取った。そしたら松本七郎は伊藤さんの次の得票で当選したんですよ。
伊藤さんは製鉄の票と、それから炭鉱に強い票を持っていた。それと、酒屋のおやじとか、一般の商売人がいるでしょう。この人たちに伊藤さんは人気があったわけです。そういう個人的な人気と、それから製鉄、そういう方面と関連企業。そういったキチッとした基盤があるわけなのです。
だからどんなものが隣にこようが、同じ選挙区でこようが、微動だもせんという見通しをつけておられた。同じ選挙区に、一方は小学校しか出てないけれども、労働組合で芯からたたき上げた真の労働者、働く者の味方、製鉄の方の指示をも受けているのが、左派の浅原健三。
しかし浅原健三はもう落選して、今度はあとがまに青野武一、ところがこの青野武一先生が、初めて当選して・・・ちょうど私が松本治一郎に会った後ですよ。東京でタクシーの運転手を殴ったんですよ。それで青野はパー。「この野郎」ってポーンと殴った。それが新聞にでて次の選挙で落選したんです。

そして当選したでしょう。そしたらこんどは松本治一郎が、同じ松本姓でしょう。これはいいわということで自分の側近に入れたんですよ。だからいつのまにか、松本七郎さんはこんどは伊藤卯四郎さんの敵になったわけです。同じ社会党だけどこっちは左派だから。左派の系統やから。こっちは右派の系統やから。ウマが合わないんだから。将来別れたけれど。
そしてその後の票の戦いは、こんどは伊藤さんとの直接対決になったんです。それで伊藤さんの奥さんが言うんですよ。
「まあ末安さん聞いてください。私は松本七郎が、先生一つお願いしますといってきましたから、私は寒い中、市場に肉を買いにいって、野菜と肉と豆腐をいっぱい買ってきて、そして鍋を囲んですきやきをしながら、初対面で、これからの社会党はあなたのような毛並みのいい、教養のあるといって、お互いに意気投合して一杯飲んだのは、うちのここですよ」と。
その七郎が当選したら松本治一郎の子分になったというんですね。それで奥さんがムクれるんですよ。
そして彼は国際局長までなったんです。だが、それから上がらない。弥之助とウマが合わない。年齢が同じぐらいだから。それであの人はとうとう社会党の中におって、継子扱いされて、選挙には8回か10回ぐらい当選したんじゃないですか。

私は末路のころ七郎さんと会いましてね。元気がなかったですね。顔色も悪くて。利用されるだけ利用されたんです。
あの人は民社党のときに伊藤さんと一緒に出馬すればよかったんですが、松本治一郎が離さないんです。その時点までは側近だった。本来ならば伊藤さんが民社党を作られたときに一緒に民社党にいくべきなんです。そういったところで、七郎さんの人間性が失われたわけ。
そしてとうとう末路哀れやったですね。松本治一郎からも捨てられ、弥之助あたりからも捨てられて。本来だったら順調にいったら書記長になる人なんですよ。委員長になる人なんです。それがとうとう中途半端で哀れな末路やったですね。
この弥之助にうまーく利用されて追い出された。松本七郎、田英夫、みんな毛並みがいいし、一般のウケがいい。田さんは男爵ですからね。なんであの人が社会党から出なければならんのか、それは社会党のイメージをよくするためです。
お坊ちゃんだから利用される。議会の楢崎は、爆弾男でしょう。そういう異名を取っている。だが、彼は心ではなく、頭からものを見ている。だから人は高く評価しているけれども、弥之助がいちばん困るのがこの論文ですよ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年06月05日 19時54分07秒
コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

くれど

くれど

コメント新着

aki@ Re:ザコン館跡地利用のことなど(11/26) 日本有事と急がれる改憲、大変恐縮とは存…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: