2011年07月08日
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http://www.kkc.or.jp/plaza/magazine/201005_14.html?cid=1
 パブリックリレーションズの盛り上がりに照応するように、PRが新しい仕事として出発していく。1948年福田渉外事務所(後にジャパンPR)、1949年ジョージア・デイ・アンド・アソシエーツ、1952(昭和27)年ファルコン・アドバタイジング・アンド・ピーアール、1956(昭和31)年日本国際PR研究所などである。
 福田渉外事務所の福田太郎は、満州電電、GHQを経由して独立、その後ロッキード事件への関与で有名になった人物である。
 ジョージア・デイ・アンド・アソシエーツのデイ婦人について1949年日経が「珍しい職業」として紹介、「官廳(かんちょう)、会社の情報提供、日本の実情紹介に米婦人が開業」と報じた。
 ファルコン・アドバタイジング・アンド・ピーアールの社長は、GHQの情報将校(少佐)を退役したローズ・C・フォルケンシュタイン。スカンジナビア航空のPRで兼高かおるを起用、その後「兼高かおる世界の旅」がテレビで人気を博すことになる。
 この時期のPR会社のトップはGHQ、外務省、満州に関係のある人物ばかりである。

企業や団体の広報活動というのが 諜報の世界と親和性があるといういいサンプル 児玉誉士夫と福田太郎という言い方でなく 福田太郎と児玉誉士夫という見方が正しいのかもしれません





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最終更新日  2011年07月08日 12時32分23秒
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