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ポメラニアンのルビー(女の子)も6月25日深夜に旅立ちました。深夜に居間に水を飲みに来て、寝室に戻る途中ドアにぶつかったような異音がして見にいったら倒れており、マッサージも効果ありませんでした。15歳と6か月の短い命でした。里子となったルビーのいきさつは、保護していた動物病院の副院長からあらましを伺っていた。ルビーの症状も。最初は前犬ジュンのかかりつけ医に通ったが、自然に任せようと投薬を中止した旨を、メールで報告したら、すさまじい勢いで批難された。で、少し離れた在川崎のこの動物病院へ向かった。あらわれた、かかりつけ医は息子さん。厚いカルテを持って、「久しぶりだなー、ルビー」私は思わず「よく覚えていてくださったのですね」で、毎月車で90分ほど、予約制で日曜日に出かけた。投薬は錠剤を粉にして、オリゴ糖で混ぜシリンジで飲ませる。ご飯作りやこの投薬は習慣になり苦痛でもなんでもなく、また、毎日の短い散歩。しかし、半分くらいは抱っこ。6月25日は通院のアポを取っていた矢先だった。眠れず夜が明け、医院に電話。楽しい日々だった。以下はルビーを譲ってくださった副院長Yumi先生のブログから抜粋。ルビーちゃんが天国に旅立ったと連絡がありました。悲しいはずなのに、それ以上に「感謝」の心が沸いて沸いて、不思議と悲しみを越えました。「飼い主さんが突然亡くなった。自宅にそちらの病院の診察券があった。まわりには誰も飼える人がいないから、病院で引き取って欲しい」とご友人から電話があったのは2年前です。ルビーちゃんの飼い主のUさんは一人暮らしの女性でした。お姫様のように育ったルビーちゃんは、Uさんがいなくなってからは沈鬱した状態で、食事も拒み、持病の心疾患が悪化しないかハラハラでした。高齢で病気もある子だし、新しい飼い主さんを見つけることなんか出来るだろうか、と心配でしたが、ご縁とは不思議なもので「里親募集」とアップしたわずか20分後に「引き取りたい」と連絡を頂いたのです。・・・・・ジュンが死に、里子犬の移送サービスのボランティアもしたが、諦めきれず、ネットで応募。ルビーはジュンと1か月差の年齢だった。いまは、北側のバルコニーにやってくる雀の親子に癒されている。
2017.07.04
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目を見つめると思い出す。物語のはじまり。
2016.05.22
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浦賀沖のっこみ真鯛には時期が遅すぎた。釣りクラブの会長はマゴチに変えようかとも思ったというが・・すべて手遅れ。それでも参加者は11名。久保弘丸 むかいは小金丸 午後には横内丸がきた。第一投であたりが来たのは、このところ絶好調のKNSさん。・・・・・バレた!船長は2Kgだったな・・。その後は久里浜~浦賀沖で仕掛けをおろす。棚は27m。真鯛をのがしたKNSさん、オオアジを真鯛はどこかへ出かけてしまった。あとはサバやらオオアジ。私の釣果。オオアジ11本。サバ1本。翌日下ごしらえ。中骨の身はスプーンでこそいで「なめろう」に。1週間後の今日はルビーと福浦をデート。
2016.05.21
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私が幼稚園~小学生のころの昭和30年代、母の姉、母の父(私の爺様)が相次いで田舎(渥美)で亡くなった。爺様が風呂桶のような棺桶に納まる光景を覚えている。当時は土葬だった。その頃は、名古屋・中村の近所でも葬式をよく見た。私はこ敏いガキだったのだろう。お墓がどんどん増えれば遊び場どころか、この先どうなるんだろうと悩みを独りで抱いた。我慢できない頃、母にこの悩みを打ち明けた。母は笑いこけて、「お墓は掘り返されて元に戻されるから・・」とあれから60年後、NHK教育で「お墓のゆくえ~弔いの社会史」を観た。私の杞憂は半分当たっているようだ。NHK教育番組から土葬が残っているのは、儒教の隣国、朝鮮とシナ。イスラムも土葬。いずれも墓地面積が拡がり静かに社会問題になっているようだ。番組では世界の流れも紹介しているが、なんと100年前にスエーデンは森林の中に墓地を創り解決しているようだ。中国では海葬を奨励している模様。カワハギ釣りの大先輩・IZTさんは、奥様に散骨を遺言していたそうである。自分が死んだ後の始末。人は社会に迷惑をかけずに終わりを迎えることはできない。大学病院・医学部に検体を申し出る人たち。家族にさえ迷惑をかけまいと、「孤独死」を選ぶ人。自治体の樹木葬募集に応募する人たち。社会からの断絶を求める人が多すぎる。社会的孤立の割合は日本がダントツである。いま私はおよそ半世紀ぶりの同窓会開催の前哨戦で、工高時代の同期生の連絡先をNET、やり取りのある仲間からの情報で取りまとめている。中には連絡を取りたがらない同期生もいるようだ。個々の人生観に立ち入ることはできないが、「人やペットとの幸せ」は社会的繋がりにあると思う。「絆」・・大切にしたい。
2016.05.18
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以下は半世紀ぶりの工高同窓会(7期生)の連絡先調査過程での独り言メモです。メーリングリストに発信したものです。ルビー14歳 福浦岸壁にて 20160514「ジャリメ」:キス釣りの餌。大きさ数センチで元気なミミズの一種。名簿作成につきましては、多くの同級生の皆様のご協力をいただき、お礼申し上げます。小島さんには瀬戸・尾張旭の同期生を訪ね当たられたようで、まことに感謝いたしております。突然の電話による確認にもかかわらず、元気な声で応対していただいた皆様にも励ましをいただき、些細な作業ですが元気をいただいています。「自分でもなぜ?」と、不思議なくらい多くの同期生の名前をフルネームで覚えています。会うのが最後になるかもしれない「同窓会」で燃えているのかも?悪戦苦闘の中でFacebookから坂野さんを見つけたときは本当に嬉しかった。登録するつもりは皆無だったが、その後山田義成氏青木氏、岡田氏、皆、いい顔になった。47名の連絡先が判りましたが、会いたい「田中徹夫」、「鈴木博」「上野英夫」、「川村周二」、「亀井師郎」、「沢村文夫」、「滝 寿俊」「武馬政典」、「森由紀雄」、「山口円市」、「渡辺 茂」・・・元気でいると信じています。私なりの彼らとの思い出がよみがえります。案内を送りたくても不可能な同期生・・井村氏は若くして癌で逝去。佐藤修氏も30代で。紅一点だった木下さんも亡くなられたと教えられました。1989年版の同窓会名簿には名前のなかった「井上春樹」、「灰崎」が転校、退学?だったことも教えられました。もうすこし努力します。*タイトルは徳富蘆花の「みみずのたはごと」をもじりました。これは山岳部の親友:坂本薫氏(秋田出身)が20歳のころ、私が神田の古本屋街をしばしば歩き回っていることを知り、探してくれと依頼され求めた本です。今では彼はこのタイトルでブログを書いています。
2016.05.14
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ネットから数年前から工高時代のK氏の年賀状には同窓会開催の意向が記されていた。今年の年賀状には「70歳になったら開こう」とコメントを入れておいた。ところがH氏からの年賀状では、「闘病中のため年賀状は今年でおしまい」とのメモ。びっくりして電話。K氏に電話で今年中に開催しようと電話。M氏には1989年版の同窓会名簿のコピーを送付。彼はエクセルに移植し、幹事を引き受けメーリングリストを立ち上げてくれた。私は連絡先の調査。住所が全く分からない同期を除き、38名にダメ元はがきを発送した。20名が宛所なしで戻った。Facebookでは2名を発見。連絡を取りたくて登録、回答を得た。別の一人は「東山工業高校」でブログを発見。ブログでは個人が特定できる情報のやり取りは禁止になっている。「住所でポン」というサイトでは住所から氏名・電話番号がわかり数名が判明。 現在確定したのは37名。その中で関東圏在住は5名。早速O氏からは孫を連れて行きたいので「高尾山」に行かないかとのメールあり。結局お孫さんの拒絶に遭いN氏も誘い3人で高尾山へ。ごった返す中、ケーブルカーは40分待ち。大きな天狗のお面を見て早々に下山。八王子に出て、昼間からさくら水産で乾杯。話は尽きない。私は飲みすぎてダウン。一足先のクラス会。名古屋の同期の皆さま、くれぐれも飲みすぎないように。
2016.05.04
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父の残した戦友アルバム愛知県立東山工業高校・電子工学科7期生の同窓会を企画している。同期生80余名のうち、連絡先が判明したのは34名。幹事:光田がメーリングリストを構築してくれた。私は連絡先調査に没頭。ネット検索で2名。FaceBookから1名。「住所でポン」という住所から電話番号を探る情報もあったが、間違いやら、不掲載だったり。27年前の同窓会名簿からはがきを送付したが「宛所なし」で返送が10通。皆、健在での再会を願うばかり。アルバムを開き、半世紀前の高校時代の写真をデジカメで撮り5枚ほどメーリングリストに掲載した。さて、10数冊のアルバムの中から表紙に「戦友会」と付箋の貼られた父の遺品を見直してみる。「昭和13年 南京病院にて」の父の入院姿の写真を見つけた。「南京事件」の真相が日中間での棘になっているが、大東亜戦争に駆り出された父の思い出写真を可能な限り繊細にスキャンし、張り出していこうと思う。2016年4月30日記
2016.04.29
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ジュンより1ヶ月歳上のルビーはこの1月で14歳になった。ジュンと同じ月生まれの私は66歳。あっという間に歳をとった。先月、5年前に月賦で買い換えた小型車・ヴィッツの残金一括払いの確認でディーラーに立ち寄った。人生最後の車なので買い換える気は毛頭ない。資金もない。まだ若い担当者はマイナーチェンジした車の試乗を勧める。お断り。釣りへの同乗者のため、お金があればもう少し大きな車にはしたかったのだが・・・遊び心で数車種ほど試算してみる。やはり、やーめた。同車種のヴィッツでも月割りで1割ほど高くなる。試乗はしないまでも乗り込んでみた。安全装置は魅力ではある。(これが作動するような運転は極力注意しなければならないが・・・)昨年の1月。ジュンの散歩もおぼつかなくなり連夜、福浦のヘリ基地まで車に乗せ、着いてからは抱っこして小高い丘を夜の海・千葉方面の灯りを眺めながら散歩した。そんなある夜、すんでのところで人をはねそうになった。帰帆橋を右折するときだった。ジュンとの別れの日が近づいていることを思い、ボーっとしていた。急ブレーキで止まり、窓を開けてお詫びした。「バカヤロー」と罵られた。さて、ディーラーに買い替えを断り、ルビーとヘリ基地に散歩に向かった。試乗はしなかったものの、ドアを閉めた音で全体に改良されていることは判った。散歩中ジュンを思い出しながら、担当者に「今と同じ月払いなら買い換えてもよい」と電話した。夜半、OKとの回答あり。今日、納車を受けた。こんどこそ最後の車。
2016.02.13
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陽日にたそがれる?ルビー地元の社会福祉協議会のボランティアグループに入会してから6年目に入る。雑多な業務が入り、お祭り気分で昂揚しおかげで認知症には縁遠い。仕事も続けているが、これも認知症予防で適度なストレスを得る。このブロは永らく更新を怠り、ルビーを授けてくださった副院長には近況報告を11月にメールした。7月ごろに投薬を止め、地場の医院にも通院をしていないこと。ドッグフードをなかなか食べないため、かぼちゃ・鶏肉でおじやを手作りして与えていること・・・深夜、返信をいただいた。「とやかくを言うつもりはないが・・・ 心雑音をみつけできるだけ長生きを願って預けた、・・・呼吸困難の状況になったら・・・近くに動物病院があるとのことで・・・添付写真を見て、毛並みが悪くなった、目力がない」と長文のお叱りをいただいた。譲渡契約書を見直した。私は延命治療ではなく、自然に犬生を全うさせようと思った結論だったが、間違っていた。私の健康の源泉である愛犬の苦しむところは見たくはない。幸い、ルビーを保護してくださった方は動物病院の副院長ではないか!翌日、診療の予約を入れた。電話に応対してくれた方はルビーのことを覚えていてくださった。それだけでも嬉しかった。通院当日、「ルビー、元気だったか」と診てくださった担当医は息子医。「覚えてくださっていたんですね」と心情を吐露したら、覚えているも何も・・と、ルビーの過去の何枚ものカルテに目を通している。なんだ。副院長は遠方から引き取り手なのでルビーのいきさつ詳細を伝えてくれなかったのか?引き取り当日は急患が入り1時間早めに来院をと多忙だったせいかもしれない。お姫様・ルビーに手間取り、通院患者ペットの診療に支障をきたしていたのかもしれない?類推・邪推、迷信・期待が亡くなった元親、いってしまったジュン達が見守っているだろうことを含め頭をよぎる。・・・・今日10日、4回目の川崎への通院。ルビーは元気です。続きは次回、気の向いたときに。手作りご飯について。
2016.01.10
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2016.01.04
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好日の長距離散歩今朝は朝寝。・・・・・とは、言ってもルビーがベッドに跳び乗りキス攻撃で7時に起こされた。気がつけば、ルビーの薬はあと1日分。一緒に朝食を済ませ、動物病院が開くまで自宅待機。その間、洗濯・鉢植えに水やり。医院の先客はシーズー。2頭連れで乳母車で来ていた。私のあとはホワイトのトイプー。四六時中震えが止まらない。ルビーは心臓を聴診器で診てもらい、体重は3.25Kg.投薬を続ける。そのまま、野島へ散歩に向かう。夕照橋下は潮干狩りの人もまばら。しかし、室之木公園の臨時駐車場はすでに満車。吹く風は心地よいが、日向の歩道を触ると初夏の勢い。心臓を気遣い、ゆったり散歩。ゴールデンウィークの初日!?(29日からかな?)。まだまだ人出は少ない感じ。私のアサリ取りはほとぼりが冷め、大きくなる頃の6月に。3時間半の2回目の散歩は無事終了。
2015.05.02
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愛犬のカメラ目線愛犬を亡くした経験のある人は、今の愛犬の「肖像」をできるだけ残そうと、努めるんじゃないかしら。私は小学生の頃の「コロ」の写真は1枚もない当時はカメラは高価でなおかつ現像・焼き付けにお金がかかった。デジカメの登場・普及で、希望は愛犬の笑顔の瞬間の写真をたくさん撮ること。ところがである。愛犬はカメラを向けると、そっぽを向く、背中をみせる。「こっちを向け!」と云っても、素知らぬ顔。ジュンしかり。ルビーもしかり。「あたしの100万ドルの笑顔は、あなたの頭の中に焼き付けておいてね。」・・・・・と、言っているようだ。
2015.05.01
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ジュンの遺志ジュンにフィラリア病の錠剤を与えたとき、飲んだと思ったらうまく判らないように吐きだしていた。ご飯に混ぜてしのばせても、舌先で判断してはねのける。しかたなく擂り鉢で粉末状にして、少量の砂糖水に溶きスポイトで飲ませていた。「不幸にして元親と死別したルビー」を保護・里親募集をかけて下さった獣医さんは心身の健康を全力で診察してくれた。歯石除去やフェルト状になってしまっている被毛(おしり)は私の方で時間をかけて慣れてから処置することにした。また軽度の心疾患が疑われるとのことで、薬2週間分と投薬用のシロップ、シリンジ注射器を無償でいただいた。朝晩の食餌後、投薬を続けている。ジュンは肝臓疾患が発覚してから半年、同じように投薬を続けた。「早く元気を取り戻して、また鎌倉天園へ長距離散歩に行こう」しかし、願いかなわず先立たれた。いまは、ジュンに代わってルビーに投薬を続ける。長生きしてほしいという思いは、投薬の煩わしさを微塵も感じさせない。その「ご褒美」なのか、ジュンは晩年でも不自由な体をおして寝室から「おかえりー」と必死に出迎えてくれた。ルビーは・・・・ジュンの遺志をを引き継いでいる。廊下でくるくる回り、走り回る。 ジュンと全く同じしぐさ。しばらくして、散歩要求。ジュンもルビーも私の長生きを願っての散歩要求なのか。
2015.04.28
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時の流れジュンの遺骨や笑顔を振りまいている写真類は額縁に入れて玄関脇においてある。ジュンが逝ったのは遙か昔のことだったような日々である。浦島太郎のような気分。楽しかった13年はあっという間に過ぎた。その後の浦島太郎はルビーと巡り逢った。奇しくもルビーとジュンは1ヶ月違い。「浦島太郎」は愛犬に巡り逢うたびに若返る。そしてまた歳を重ねる。
2015.04.25
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少しずつ4月4日。保護獣医さんから引き取ったばかりのルビーは「ご機嫌」の様子を見せた。車中では外を眺めたり、信号待ちでは助手席で前肢を私に差し出し関心を示した。うまくいくと思った。直接帰宅せず、ジュンの先輩ドンちゃん宅にお披露目に立ち寄った。小一時間お邪魔して帰るとき、ルビーを抱こうと手を出したとき、唸った。 S夫人はさぞビックリして驚愕したと思う。小型犬は臆病で「猛犬」の表情を見せることは予想していた。ルビーは体の所々に毛玉があり、尻毛に至ってはフェルト状態。抜けかかったアンダーコートを引き抜こうとすると、牙をむく。当初、保護獣医さんは「丸刈りにして」とメールを下さったが、私はまだ寒いので延期をお願いした。私の残り人生も限られている。バタバタと引き取り決定。必要な処置は、ジュンのかかりつけ医にお願いすることに。ルビーとの生活開始から2週間あまり。帰宅すると居間から顔を見せ、声にならない歓喜の声を上げ走り寄り、廊下でぐるぐる回って嬉しさを表す。しばし抱きしめる。それでも「ガウガウ」で脅されたことは10数回。噛まれても咀嚼力が弱いのでたいしたことはない。ご飯を食べたり食べなかったりなので、起床を30分早め5時頃15~20分散歩することにした。ジェル状のレトルト肉とカリカリを混ぜ与える。カリカリを1/3ほど残すが、まあまあ食べてる。今日21日はようやく晴れ。帰宅後、ジュンとのレギュラー90分コースへ。慣れさせるためルートは変えない。ルビーは途上で脱糞。肉を混ぜたのが悪かったのか、尻毛に便がついてしまった。散歩途上ではきれいにできない。帰宅後、濡れタオル・シャンプータオルで拭き取るチャレンジ。ルビーは抵抗!!? 噛むついてくるかな?膝上に仰向けに寝かせ、尻を拭く。ルビーの瞳と私の目は睨み合い。ルビーは私の思いが判ったようだった。少しずつ、少しづつ理解を深める。
2015.04.21
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ルビーの用品ルビーを引き取りに行く前に、100均でハーネスとリードを用意した。保護獣医さんからは、医療用フードと薬2週間分、他にベッド・衣服をいただいて帰った。 衣服は元親さんが買ったものなのか保護医さんも判らなかった。私は小学生の頃、譲って頂いた「コロ」を思い出した。コロは学校の給食場のおばさんが連れてきた子犬だった。ドキドキしながら「下さい」と訴え、さみしそうな顔をしたおばさん。「いいよ、放課後においで」おばさんは小屋にと木箱、コロには脱脂粉乳をビニル袋に用意してくれていた。さて、ルビーの薬はあと2日分。かかりつけの獣医さんは保護獣医さんの処方箋と同じものを用意してくれた。(高価なら釣りに行く回数を減らさなければと思っていたが、なんとか。)新しい家族を迎えると、嬉しいもので新たに用品をネットで購入した。 ハーネス&リード とベストハーネス ブラシとグルーマー 散歩用品はOKとしても、グルーミングのブラシ類はルビーが受け容れてくれるのか?過日、ジュンで使っていたブラシを体に近づけたら「ガウガウ犬」になったルビー。里親と里子の葛藤がこれから始まる。
2015.04.16
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10日目の夜13日はジュンの49日だった。ルビーが来てから10日目。月曜日でブルーマンデーを味わうような仕事ではないが、なぜか疲れた。ルビーは仕事に出かけるときは、私のベッドで「姫じゃ」を味わっているようだ。 眠りこけ見送りはない。さもなくば散歩要求。帰宅する頃は居間のソファで孤独に眠りこけているのか。玄関を開けて、「ルビー」と呼ぶと、廊下先で姿を見せ、走り寄ってくるようになった。くるくる回ってお出迎え。菓子パンを食べ、雨なので「散歩は中止」とルビーに言い聞かせる。焼酎お湯割りを飲み、眠くなってきた。9時前に寝ることにする。ルビーは前日までは、ソファで寝ていた。私がベッドに入ってから、ごそごそ音がする。そのうちに布団の上に跳び乗り、枕元にきて寝入る。ジュンとルビーの「比較」は厳に慎んでいるが、思い出さずにはいられない。仕事に出るため、平日日中の「孤独」を癒やすことは難しいが、せめて一緒の時間は、眠るときも大切にしよう。
2015.04.14
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9日目 復活の日今朝はルビーに起こされた。「おはよ」布団の上にひょいと飛び乗り、顔を覗き込んでから駆け回る。朝ご飯の用意ができて、呼んでもこない。どこに?寝室を見たら・・・ベッドの上で鎮座まします。「お姫様気質」復活。今日はズーッと一緒。心臓疾患が心配だが野島へ出かけることにする。踏切を渡った先で同じマンションに住むA婦人と出会う。「NKMさんの話を聞きました?」・・・「いえ」「昨年の暮れに亡くなられたそうですよ」NKMさんにはジュンとの散歩の帰路、立ち寄ってよく可愛がって頂いた。八景駅前で果物屋さんを女性3人で営んでいた。再開発で数年前に店をたたみ、近くのアパートに一人住まいだった。釣行の帰りにはキスやらアジ、カワハギなどをお裾分けし、これが果物に化けたりした。お悔やみ申し上げます。あとから逝ったジュンをよろしくお願いします。10時頃、野島公園に。潮が引いていないので潮干狩りの人はいない。バーベキューの材料などを運ぶグループが数組。野島を出る頃、下がり気味だったルビーの尻尾が垂直に立つようになった。ある夫人は「犬も年をとると尻尾は下がるものなのよ」と、言っていたが。(あなたのダンナの○○じゃあるまいし。・・・・・シモネタごめんなさい)あと10分ぐらいの所で、ルビーを抱いて園芸店で花巡り。ブルー花のデルフィニウムと白花ゼラニウムを求めて帰宅した。
2015.04.12
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保護元の動物病院からいただいたベッドで。8日目は・・「いやだー!」今日は土曜日だが、厚木のビルの3年に一度の電気停電保安点検の立会い。ルビーは私の期待以上に散歩が好きなようだ。ご飯と薬を済ませ、私は出かけなければならない。ルビーはついてくる。「お留守番だよ」と、言っても扉の前で待つ。「お留守番!」と、語調を強め再び言うと靴脱ぎに戻るが、すぐに扉の前にくる。 数回繰り返してもダメ。玄関をあけると、足元をすり抜けスタスタとエレベーターの方にいく。抱き上げて、「留守番」と言い聞かせ本厚木に向かった。17:10帰宅。しばらく私とじゃれ合っていたが、そのうち甲高い声で「さんぽー!」今日はお犬様が1年で一番厭な「狂犬病予防接種」かかりつけの医院に予約しておいた。そして、住民票異動ならぬ住犬票(畜犬登録)をお願いしてある。* 最近はマイクロチップで飼い主・愛犬の登録が主流のようだがパスした。3月中旬に里親宅へ届けた黒ラブミックスは1歳くらいだったが、すでにマイクロチップが埋め込まれていたそうである。飼い主が判るので連絡を取ったが「なしのつぶて」で、飼育放棄として保護したと、ボランティアさんは話してくれた。先約を待つ間、看護師さんにルビーの尻のフェルト状の被毛の対策、ブラシを近づけるとガウガウ犬に豹変するが、そんな犬でもトリミングしてくれるのかを尋ねた。ルビーの体重と体温を測り接種。 予想外に大人しかった。ルビーの鑑札ナンバー 横浜市第13673号。接種は第114974号「心臓」も雑音があるそうだ。処方箋は保護医さんのものに従うが、一部取り寄せが必要とのこと。2週間分をお願いした。この先、ずーっと投薬が必要か? かかる費用はわからないが、ルビーには少なくとも5年は私と「ウォーキング」してほしい。*診療を終え出てきたらコーギーを連れた同じマンションに住む若夫婦。 (名前知らず。総会には出てこない) ルビーを引き取りに出かけた4日、エレベータでコーギーを連れた夫人と話をした。 院内でルビーを紹介して、帰る途中思い出した。 彼女は確か以前からコーギーを飼っていた。 今日のコーギーは6ヶ月と言っていた。 若夫婦も辛い別れを経たようである。ご飯を食べ、薬を飲み・・・うつらうつら。
2015.04.11
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7日目の朝ジュンの闘病生活が始まった頃から夜中に目が覚めるようになった。それは私の老化現象と闘病生活が、偶然重なったのかも知れない。今日も2時頃いったん目が覚めた。まだ早い。2度寝して4時半頃起床。 居間の明かりを点ける。ルビーは一瞬顔を上げるが、また丸くなってソファで寝入る。自分とルビーの朝食を作り始める。 まだ起きないので、5時頃に先に心臓の薬を投薬した。5時半頃に起きだし、ようやく食べ始めたが大半を残す。保護されていた獣医さんからは、「お預かりしてからは、きちんと投薬しているので、何も症状は出ていません。ドックフードを食べるようになりましたので、その習慣は崩さない様にお願いしますネ。」カリカリは3日目までは食べたが、その後は「わがまま」が通じると「お姫様」に戻りはじめたのか。仕方なく水でふやかして、肉を少し混ぜた。ルビー用の炊き込みご飯か?食べた直後は、ご機嫌になり早朝から「遊ぼ!」とじゃれてくる。私は出勤時間。ルビーは玄関についてきて一緒に出たがる。「ダメ、お留守番!」・・・いうことを聞かない。明日は土曜日だが、厚木のビルの電気保安点検の立ち会いで留守番を強いる。どうせ早く目覚める。早朝のルビーとの老々散歩を習慣づけようか。 散歩後のご飯は美味いだろう。 フリージアは野生化してあちこちのプランターに子孫を残す。昨年見事な大輪を魅せてくれた百合も負けじと、子供を従え伸びてくる。
2015.04.10
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6日目の散歩要求帰宅してルビーの大歓待を受ける。ゼーゼー感激を表しながら、次第に落ち着いてくる。長時間の留守番は申し訳ないと思う。めいっぱい体をなで回し、テレビをつける。ルビーは少しかすれ気味の声で吠える。ん。 散歩要求か?試しに立ち上がって玄関に向かうと・・・ルビーは足下をすり抜け、玄関に飛びついて「いこ、いこ、いこ」のサイン。昨日に続き、完全にジュンの霊が憑依している!ショートコースかロングコースか、はたまたミドルに行くか。新しい環境にまだ慣れていないルビーは落ち着かない。 カメラの充電切れで古いCOOLPIX L21で撮影。 ジュンに逝かれてから歩いていない90分ロングコースに決めた。休み休みで、途中抱っこしたとしてもジュンより軽い。ところが、歩く歩く。まだ当然ながらきょろきょろして落ち着きはないが、道草・臭いとり、マーキングも禄にしない。マンションまであと5分の帰路で、以前よく立ち話をした夫人に出会った。(名前は知らない)「あれ」、「最近出会わなかったわね・・・」、「ん!」・・・ルビーを見る。ルビーを紹介した。ジュンの病気のことは以前、話していた。長話し後、「ルビーちゃんごめんね、よかったわね」とお別れした。ジュンとのロングコースはルビーの早足では60分だった。ルビーとジュンの霊にせっつかれ、散歩の日々がまた始まった。願わくばこの先10年・・・と、私が吠える。 ワン!
2015.04.09
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5日目の「おかえりー」、「さんぽー」5日目。玄関で待ち受けていた。保護して下さった獣医さんは随分「メンタル面」を心配されていたが、ルビーの適応力は心配するほどではなかったようだ嬉しさを全身で表しながら、廊下を行きつ戻りつして帰宅を喜ぶ。ソファで飛び跳ねたり、仰向けになったり・・・孤老の私には愛犬のこの喜ぶ姿が、日々の元気の素。しばらくすると、吠える。「散歩か?」反応してまた吠える。ジュンの霊が乗り移ったか。雨でしかも寒い。昨日の書留の不在通知で、車でルビーと郵便局へ出かけた。
2015.04.08
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ルビーの宿題玄関の物音で居間側に避難しようとしたのか、「ルビーちゃん、ただいま」と扉を開けたら廊下先から振り向いた。喜び勇んで駆け寄ってくる。廊下でくるくる回って嬉しさを表しながら居間へ。老犬ながら予想外に早くなついてきたが、宿題が山積。1. 畜犬登録・狂犬病予防接種2. 心臓に軽度の疾患3. 歯石とり4. 毛玉とり トリミングまだまだ新たな環境に慣れてないだろう。保護宅の獣医さんからいただいた薬のこともあり、「ルビーのメモ・検査表」のコピーを持って、かかりつけの動物医院へ出かけた。(3日は診療中で看護師さんにルビーを引き合わせただけ)朝からの弱雨で「患者」も少ないだろう。ジュンのときもそうだったが、看護師さんは名前を覚えていてくれた。「ルビーちゃん!」獣医とは心臓薬が切れる前に新たに処方して頂き、まずは畜犬登録・狂犬病予防接種。毛玉・トリミングは頭が痛い。今は手櫛で抜けかかったアンダーコートは取り除いているが、ブラシ・櫛を近づけると・・・・・・・・・・【ルビーではありませぬ。ネットから】・・・・・の状態。トリミングのプロはどうしているのかしら。
2015.04.07
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2015.4.6 食餌の用意を始めるとキッチンで見上げて待機する。初留守番・初散歩5時起床。ルビーはまだソファで眠りこけている。ご飯をあげて、私はコーヒーとトーストと「飲むヨーグルト」食後、薬を与える。保護して下さった獣医さんが「身を削って」無償で提供して下さった。(ボラ獣医さんのブログでの表現で、よく分かります。)心臓薬・朝晩とシロップと投薬用注射器6時頃に職場に出かけるので朝の散歩はできない。新鮮な空気を入れたいので、気候が良くなってくるとバルコニーの戸は開放している。以前ジュンが駅に向かう私に、泣き叫ぶことがあり、ある日の朝、ドアに張り紙がされていたので、網戸で閉めるようにしていた。今日も網戸状態。エレベータに向かう中、ルビーも甲高い声で泣き叫ぶ。そのうち諦めるだろうと思ったが、駅に向かいはじめても泣き止まない。早朝。 また張られてはクレームの方と互いに厭な思いをする。一旦戻ったら、喜び勇んで迎えるが私は仕事。バルコニー側の戸を閉め、また駅に向かう。カラスが鳴く。ルビーも泣く。いい勝負の声量。数日で治まるだろう。17時10頃帰宅。「ルビーちゃん、ただいま」・・・・・・寝室にはいない。ひょっとしてソファで眠りこけて・・・・・・いない。ん!・・・・寝室から飛び出してきて、喜び勇んで飛び回る。ジュンと同じくベッドの下にいて眠っていたか?ジュンに逝かれてからの日々は長かった。ルビーでひさびさに私も生き返った。「散歩、いこか。」ショートコース30分。カメラを持たず、慣れないスマホで撮影。ルビーは予想外に早く歩く。厚着のせいもあるが、少し汗ばんだ。
2015.04.06
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2015.4.5 ルビー・ポメラニアン老々生活のはじまりポメラニアン・ルビー13歳、里親65歳。「お姫様気質」のルビー。私は・・・自分のことは一番分からない。4月4日 12:30の約束で10分ほど前に着いた。 保護者さんは新たに引き取ったという生後間もない子猫5匹を見せてくれた。 しばらくしてから、看護師さんがルビーを抱いてきてくれた。 毛玉やら歯石がひどい状態と言われていたが、毛玉はなんとかなりそう。 元親さんの話を伺い、ルビーの状況のメモと検査結果を頂く。 予約診療の医院は午後、多忙との通知を頂いていたので、そそくさとルビーを乗せ 「退院」する。 心臓の薬2週間分と器具、真新しいベッド、医療用ペットフードをいただいた。 これ以上の迷惑はかけられないので、歯石除去やリミングはかかりつけの医院へ お願いする。 ルビーは車中では助手席側で立ち上がり窓の外を眺める。 ブレーキをかけたとき危ないので、「ルビーちゃん」と呼ぶとお座りの姿勢に戻る。 途中、膝上に乗るようになってきた。 帰宅する前に、ジュンに線香を手向けてくれたSZK氏宅へ。 町内会の花見帰りで酔っている彼からはボロクソにけなされた。 ルビーは部屋の中をかぎ回る。 PCで原稿を書いているとき、すり寄ってきた。 夕方、かかりつけの医院へご挨拶。 途中よく会っていたキャバリアを連れた夫人と会う。 ジュンが亡くなったこと、ルビーのこと。 知らなかったが、キャバリアも里子だったそうである。 いただいたベッドは居間に、AMAZONで発注したベッドは寝室の私のベッド下へ。 寒いのでホットカーペットを下に敷く。4月5日 ルビーは昨夜は居間で寝たらしい。 私は9時におきた。「おはよう」 ルビーは瞬間に下がっていた尻尾を振った。 弱雨で花見どころか散歩の気分消失。 ジュンには適当にカリカリやらオヤツを与えていた。 保護して下さった病院からいただいた医療用ロイヤルカナン。 「誤った使い方をすると健康を害する・・・・」 キッチンスケールを買いに日曜大工センターへ。 電話をかけても不在だったMRIさんから着信。 「事情を話して、ルビーのお披露目へ向かう」 ご夫婦でいた。(私より10年位年上) 「ルビー」のいきさつを話した。 奥様は「電話相談室」のボランティアをしている。 「ひょっとしたら元親さんは生活保護を受けていたんじゃない?」 「いまは、30代40代でも多いのよ」 「鬱になる人が多い」 「ルビーちゃんは言いづらいからジュンちゃんでいいんじゃない」 「ジュン」は長嶋さんの永久欠番ではないが、私には唯一の「ジュン」。 2時間ほど長居して、保護した愛猫が食べないという「花ささみ」 私には「もうじきタケノコご飯ができるから」といただいた。 帰宅後早々にルビーのご飯。 食べ終わったら、「遊ぼ!」とご機嫌に飛びついてきた。 心疾患に油断はできないが、メンタル面はパスしたか。
2015.04.05
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2013.1.4 ジュンめぐりあわせ・縁愛犬ジュンに逝かれてから、鬱ぎ込むというよりさらに老け込むというか、自分の歳を思い知らされた。50歳を期にリストラ風が吹き荒れる前職を「キレて」辞めた。ハローワークで年齢の厳しさを思い知らされた。その後は職を転々とした。コネでの短かかった正規職。・・・アルバイト。契約社員。後輩が立ち上げた会社。派遣社員。その間にジュンを得た。 それから15年。ジュンのおかげで、医者にかかることはほとんどなかった。充実した日々。ジュンがなくなり、彼女に対して後ろめたさと自分のズーズーしさ、破廉恥さを感じながら、ネットで「里親募集」を探る。私のこのブログ冒頭に、おざなりに「いつでも里親募集」をリンクしている。 あらためて他の「里親募集」を検索してみた。「ペットのおうち」が出てきた。犬・猫以外にも、小動物などのペットが網羅されている。また「里親希望者への条件設定」やら「募集地域」等々・・・細かな点で進歩している。私の半生で、年齢による制約を2度思い知らされた。1度目は50歳過ぎの求職。2度目はこの里親条件。ここで更に老け込んだ。60歳以上は「高齢者」。しかも私は「単身」。「ペットのおうち」への掲載者は非法人の保護活動者が多くさらにそのサイトにとぶことができる。そしてそのペットの状況やら更に厳しい里親条件が詳細に記載されている。高齢者・単身OKの募集もあるが、ほとんどは付加条件として「後見人」を求めている。諦念を抱きながら、ネットを見ているうちに「一時預かり・里親宅への搬送」のボランティアで、ひょっとして「一時預かり」の犬との生活が再開できるかも知れないという、悪智惠が浮かんだ。早速、搬送依頼が舞い込んだ。「里親募集」のボラさんと車の中で色々なことを話した。私が「実は5~10歳くらいの保護犬を探している」と話したら、言下に「あなたの歳では犬がとり残される・・・」と。私は表情には出さなかったが、相当傷ついた。若い里親さんが羨ましかった。命を救おうとする「ボラさんや動物愛護センターの方々」の義憤・自己犠牲・命を助けようという意欲には私は及ばない。話は変わるがリタイヤした高齢者、特にサラリーマン男性はその住まい近在に気の許せる友人も少なく、することなく居酒屋に通う。初対面の店の客達に話しかけて、不幸にも無視され荒れることも。最悪はアル中になる。社会的なやる気と、経済的にゆとりあるリタイヤ組はボランティアやシルバー人材センターで自己のボケ封じ。あるいは「歩け歩け運動」で集まってハイキング。【飼い犬の効用】私にしてみれば心身の健康への効用とコミュニケーションの場を散歩時に犬同士がつくってくれた。昨秋、釜利谷緑道でトイプードルを連れた老夫婦としばらく立ち話をした。「年齢からもう犬は飼えない」と思っていた。が、息子から「犬を飼え」と言われてこの子を飼い始めた。年寄りの生活を理解する孝行息子と思った。羨ましい老夫婦と思った。閑話休題(本旨)ネットニュースを読み、ブログを更新しながら「里親募集」を見ていた。手放さざるを得なくなった「人」の諸々の事情を鑑みる。その方々への感情にまかせた非難は私にはできない。3月28日付けでこんな募集があった。「飼い主死亡につき里親様募集します(代理投稿)」高齢の飼い主が亡くなっての募集と思った。募集条件は甘い。【募集経緯】一時預かり中の動物病院からの依頼で投稿します。飼い主が急死したため里親を探しています。飼い主は天涯孤独の身で引取り手がいません。高齢ではありますが、悲しみを乗り越え、何とか幸せな第二の人生を歩んで欲しいと願っています。【性格・特徴】一人っ子で甘やかされて育ったため、お姫様気質です。攻撃性はなく、心を許した相手にはべったりになります。見た目は若々しく毛ぶきも良く美人さんです。トイレは室内でペットシーツで出来るそうです。【健康状態】本日保護しましたが、全身毛玉があり歯石の付着がひどく、軽度の心不全兆候があるそうです。丸刈りと歯石除去、心不全の治療をこちらで予定しています。肉付きは良く、小さい身体で3キロありました。ダメ元で応募。帰宅したら回答があった。・・・・OK。あとは全力投球。ショックを受けたのは飼い主死亡の原因。そこから、元親はまだ若い女性と類推した。保護預かり宅は、動物病院の先生だった。私にしてみれば幸いに幸いが重なった。その後は、メールで幾度もやりとりをした。(以下、抜粋)「ルビーちゃんは、飼い主さんの心が壊れていく様も、自殺する所も見ています。 始めは道づれにされる所だったと聞いていますので、飼い主に殺されかかった可能性もあります。トラウマにならないと良いのですが。 支え合って一緒に元気になって下さると嬉しいです。」「私たちも、ルビーちゃんの日常を知っているわけではなく、お預かりも今回が初めてのことで、彼女のことがよくわかりません。なので、お引取り後はすべて**さんにお任せいたしたいと思います。もちろん、お名前を変えることも構わないと思います。心配なことは、飼い主と死に別れ、生活環境が急変したことで、かなりメンタル的に痛んでいることです。病院に来てから今日で3日目ですが、ほとんど食事をとっていません。」「ペットのおうちに、里親決定の通知をしました。ルビーちゃんは人と同じものを食べていたので、今ドックフードに慣れる練習をしています。そのためにハンストをしているのです。体調が悪くて食べないのではありませんから、ご安心ください。」「お預かりしてからは、きちんと投薬しているので、何も症状は出ていません。ドックフードを食べるようになりましたので、その習慣は崩さない様にお願いしますネ。お散歩が出来ないくらい具合が悪いことはありません。それこそ、不妊手術にも充分耐えられるくらいです。でも、飼い主さんをアゴで使うような13年を過ごしてきた彼女にとって、今回の環境の変化は、命に関わるほどの大事でしょう。男性との生活もマイナスイメージしかないかも知れません。飼い主さんは、結婚して直ぐに離婚されていますので。」メンタル面での「里親の責任」は予想のつかないことがおきるだろう。ルビー、2002.1.7 生まれ。ジュンと1ヶ月違い。・・・・・・・・・「縁」。今日(4/3)は「里親経験者」のお悩み相談を見ていた。私は淡泊な性格で一方しつこいところがある。ルビーと気が許せあえるようになるまで、根比べの生活に入る。 記:2015.4.3心配は杞憂だったか。その後、疲れたのか熟睡。
2015.04.04
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2015.5.3 海の公園・・・だと思う。異種動物間の愛情通勤の行き帰りに、三毛猫がいる。ジュンを得る前からだから、齢は13年以上は間違いない。その当時は、よぼよぼで痩せこけた老犬がノーリードでその三毛猫のいる周辺をうろついていた。あるとき、三毛猫がその老犬にすり寄ってゴロゴロしているシーンに出会った。・・・・ エッ!と、気持ちが癒やされた。今日もその三毛猫が待機していた。たまに、かまってほしいのか目が合うとニャーニャー鳴く。さて、暇つぶしにスマホで見た記事。【これぞ運命】野良イヌを保護したら “生後10日の子ネコ” がくっ付いてきた!「子と親をなくした2匹が巡り会ったのではないか」と獣医師私にしてみれば、愛犬を亡くした親と、飼い主を亡くしたポメ。記事と似たような状況。異種間の動物の愛情。昔々、NHKで「タモリのウォッチング」という番組があった。ワニに捕まり、川に引きずりこまれようとしている鹿(の一種)の子供。カバが現れ、その子鹿をワニから救う。30年くらい前の番組を記憶している。今では、ネットでそんな異種間の心温まる映像をよく見かける。人の世界は・・・ISのテロ、異種どころか我が子への虐待・・・「惜しみなく愛は奪う」という言葉の意味は、この歳になっても理解が混沌としているが、自らの命・他人の命を奪う宗教は邪教である。動物を見習った方が良い。* ジュンの闘病記8と反省はなかなか著せない。
2015.04.01
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2013.6.9 福浦ヘリ基地そして里親になるジュンに許しを乞わなければならない。「里親」になることに決めた。ジュンの写真とかぜにはるるさんが描いて下さったジュンと、お骨を傍らに、 ペットのおうち を探っていた。昨日、「飼い主死亡につき里親様募集します(代理投稿)」の募集条件を見て、プライバシーをそこそこさらけ出して勤務先から応募した。帰宅後PCを開いたら、励まされるメッセージ。メールのやりとりは深夜におよび、今日「見合い」もせずに決定した。元親は甘やかしたらしく、「お姫様」状態。ジュンとどっこいどっこい。私もしばしばジュンを「ヒメー!」とか「お姫様」と呼んでいた。ジュンの生年は2002.2。・・・13歳。彼女は里親募集では推定年齢が多い中、2002.1.7 生まれ。ジュンと私が果たせなかった20歳齢を目指す。ルビーちゃん。心臓に若干支障があるとのことだが、一病息災!いざとなったら治療費捻出で酒・タバコはやめる。土曜日に迎えに行く。日曜日は一緒にジュンとたどった花見かな。
2015.03.31
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2013.1.3 横須賀・貝山高齢者と里親「里親」とは本来、人を対象にした制度だが、今では「里親募集」は犬猫などのペットを対象にしたものが主流のようで、この用語の使い方に異論を唱える方々の意見もネットで散見する。「里親」に求められることは、その愛情力のみならず心身の健康、そして、経済力。 全面的な責任能力。実の子供への虐待事件がこのところよく報道される。「人の子供」への責任は何倍も何倍も重い。比べることは不遜ではあるが、ペットへの責任も考慮せざるを得ない。一緒に生活して「互いの豊かさ」を求める姿勢は同じだから。里親制度さとおやせいど里親とは、児童福祉法(昭和22年法律第164号)に基づき、家庭に恵まれない児童を自分の家庭に預かって養護することを希望する者で、都道府県知事が適当と認めた者、里子とは里親に委託された児童をいう。(ネットから 以下略)なにげにネットニュースを見ていたら、こんな記事があった。高齢者とペット 飼い主の病気や入院で行き場失い…安心して飼える仕組みを この記事のリンクは不可でした。産経新聞からです。シニア世代にとって、ペットを飼うことは心身の健康維持につながる。しかし、飼い主の病気や入院で飼育が困難になり、行き場を失うペットは少なくない。高齢化が進む中、シニアが安心してペットを飼うための仕組み作りが広がっている。(平沢裕子)(以下略)「民家で飼われていた約60匹の犬。飼い主には最後まで責任を持つことが求められている」暇にあかして数多くの「里親募集」や「一時預かりのブログ」に目を通す。里親を求めるボランティアの条件は高齢者には厳しいが、中には犬の推定年齢と平均寿命を鑑みているボランティア団体もある。たとえば、人がペットの世話のできる平均寿命とペットの平均寿命20年。ペットの推定年齢が5歳なら里親希望の方が60歳なら、75歳まで「責任をもって最後まで看取ることができるか」である。先のことは誰しも分からない。予見できることは、ペットのエサ・オヤツ代のみならず晩年の医療費と自らの医療費がどうなるのか。生き物への責任は重い。
2015.03.29
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野島公園のバーベキューで古いPCにろくに整理もされず、ファイリングされていたジュンの写真。以下は2009年の野島でのバーベキュー時のもの。スナック「おいしい香り」の常連が40名くらい集合。ジュンはノーリード。もちろんつまみ食いはしない。マスターが仕入れた高級な食材を与えられても食べない。コンロ周辺から離れることもない。可愛がって抱っこしてくれる人たちで満腹だったのだろう。 メモ散歩の健康への効果はけっこうあったようだ。ジュンに逝かれてから歩くことも、これといった運動もしていない。一駅前で降りて歩くのだが、ジュンがいないとつまらない。さみしくて釣りに行く気もおきない。ジジーのボランティアグループ「助さん」からの依頼は少ない。ネットで「里親募集」のサイトを探る。単身高齢者OKの募集は極めて少ない。介護保険料の納付通知だけが積極的に届く。まだまだ元気なうちに・・・と、新たなボラを申し込む。「一時預かりと里親さん宅への搬送」簡単な返信があったが、10日位前突然携帯が鳴った。誰から? ・・・・ 里親ボラさんからの搬送依頼。先週土曜日、里親さん宅へ「トライアル」でボラ主催者さんと届けた。 しつけの方法やらもろもろの注意事項を伝授していた。私はジュンにはあそこまで厳しくはできなかったし、知らなかった。里親さんはフローリングをカーペットタイルに改装済。黒ラブ+柴のミックスと思われる**ちゃんはハイテンション。里親がまだ見つからない有名ブロガの「飯のためなら何でもするずら」のユキちゃんみたい。(岡山在?) トライアルを経て、実の里親さんになってくれることを信じている。ドッグレスキュークラブ・東京
2015.03.28
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2008.10.24 ジュンの笑顔ジュンのとっておきの笑顔一世代前のノートPCから、ジュンの写真ファイルを抜き出した。この写真はデスクトップの背景にしていたものだ。いつも元気を与えてくれた。カメラを向けるとジュンはいつも顔をそむけた。数少ないジュンのカメラ目線の笑顔。写真では表現しきれないジュンの活力に満ちた笑顔は私の頭の中のアルバムにある。
2015.03.26
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2014.1.4 ジュン犬がいる風景ジュンが2歳ぐらいの頃だったか、夜の散歩を終え自宅マンションはもう目の前。すぐ近くの公園には誰もいなかった。こっそりリードを外した。ジュンは喜び勇んで、広場をぐるぐる円を描き走り回り喜ぶ。これには私も自分のことのように嬉しかった。それからである。なんとかジュンをノーリードで散歩したい。夜の散歩が多いが、できるだけ人と車の往来の少ない散歩コースを探した。散歩後、テレビを観る。ジュンとの生活の中で、いつしか犬のいる風景を注目するようになっていた。映画、ドキュメンタリー、ドラマ・・・東南アジアや南の島ではほとんどの犬は人の生活の中で放し飼い。やせた犬が自由に闊歩している。一方、「先進?文明社会」の中ではつながれている。私の幼い頃、昭和20-30年代は名古屋の下町でも放し飼い。犬は皆おとなしいものだった。あるとき飼い主の分からない犬が数日間、うろちょろしていた。私は一度だけの経験だが、「犬獲り」が車でやってきてその黒犬を捕まえた。犬は恐怖と観念からか脱糞していた。惨めだった。哀れだった。前後を確認して、人がいないのを確認してリードを外す。人影を見つけたらリードをつなぐ。ジュンには「車道に出ちゃだめだよ」と言い聞かせ、散歩道でリードを外す。ジュンはおのずと私に寄り添い、時には遅れ時には先を行く。先を小走りして、「ちゃんと始末してね」と排便する。毎回挨拶する人は分かっているので、次第にそのままノーリード。そのうち犬がだめな人、好きな人は遠目でも分かるようになってきた。好きな人はジュンを触りたがったり、「抱いてもいいですか」と諒解を求めてくる。中には勝手にジュンに別の名前をつけ、呼んだりする。あるときは、後ろから「すいませーん」、「うちの子にわんちゃんを触らせていただけませんか」と声をかけられたこともある。小さな子供から触らせて下さいと申し込まれたことも多々あった。シャイな子が親に頼んで「さわらせて」ということも多かった。すべて私には嬉しくジュンは自慢の娘だった。犬を怖がる大人・子供の存在は認める。しかし、私はそんな人を情けないと思う。犬アレルギーのひとはしょうがない。私は登山で熊に出会ったことはないが、カモシカや雷鳥、岩雀、サンショウウオ等生き物に出会ったときは嬉しかったのだが・・・人を最優先にする社会だが、害のない生き物に先入観で怖れを抱かれることにいささか残念な思いがする。ジュンとの散歩で2度ほど「青大将」に出くわしたことがあった。私は蛇が苦手である。犬が苦手な人の気持ちは、私が蛇を怖れるのと同じなのかしら。さて、犬のいる昔の風景。忠犬ハチ公の2つめの銅像が先日お披露目された。あのころ、ハチは大型犬で放し飼いにもかかわらず地域の人から愛されていた。いい時代だった、と思わざるを得ない。東大 赤門に設置されるそうな
2015.03.24
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2012.12.2 ジュンジュンの闘病記 71月25日(日) ヘリ基地へ。フリースケットで抱いて1週。 腹水が流れ出るので、医院へ相談。明日止まっていなければ 処置することに。 砂肝3羽分ぺろり。今思えば、私はアホな飼い主だった。病の愛犬を散歩に連れ出すなんぞ。ジュンの歓心を得んがために・・・腹水が溜まるのは投薬の副作用だったのでは?「闘病記」の最後に反省を記したい。以下、闘病記7へ*********************************明日でジュンに先立たれてから1ヶ月になる。随分長い時間が過ぎたように感じる。仕事をしていなければ、外出することもなく引きこもっていたかも知れない。散歩-ウォーキングすることもなく、食事も乱れがち。仕事先に向かう足が重い。ジュンの闘病記を書き残すことは無意味に思えるが、「登山」と同じで、もうじき山頂。いつか、自分で書いたこのブログを読み返して思い出に耽ることもあるかも知れない。1月26日(月)砂肝2羽分食べる。17:00過ぎ帰宅。腹水で ペットシーツが血混じりで濡れていた。 それでもヘリ基地へドライブ。散歩不可。 小便数回。1月27日(火)朝、砂肝・肉缶を食べる。17:30帰宅。 ジュンは不自由ながらも寝室から出迎え。 元気づけられる。 砂肝3羽。ビーフステーキも少し食べる。 腹水は止まった。安心。1月28日(水)朝、砂肝・肉缶・カリカリ少々食べる。食欲旺盛 17:30帰宅。ジュンは必死で玄関にお出迎え。 嬉しくて思わず涙。 手羽元⒉羽。軟骨部も食べる。腹水孔は完全に塞がれた。1月29日(木)朝、肉缶少々のみ。食欲減。 帰宅後ヘリ基地へドライブ散歩。ほとんど歩けず。 砂肝⒉羽+アジの開き半分食べる。1月30日(金)朝、砂肝1羽・ジャーキーかけら・肉缶とカリカリ少し。 帰宅後、メロンパンの底周りの甘いところ1個分。 雪・雨で外出中止。砂肝・アジ・肉缶 食欲復帰。1月31日(土)砂肝2羽分だけ。水を大量に飲むが尿・便がでない。⒉月 1日 (日)朝、砂肝1羽分+もも肉1/4。午後、侍従側沿い~ ヘリ基地をドライブ。抱いて散歩。 16:30 アジ少しもも肉残り。その後もジャーキー カリカリ、ホームパイを食べる。 20:00 砂肝⒉羽。食欲復帰⒉月 ⒉日(月)朝、砂肝1羽/ジャーキー・肉缶。軟便あり。 ウェットタオルで拭き取り。 帰宅 寝室入り口に敷いたマットに排便あり。 排泄にほっとする。メロンパン底の甘いとこ。 砂肝。⒉月 3日 (火)砂肝1羽・肉缶2。帰宅後医院へ。薬。 メロンパン底甘いとこ。~ ヘリ基地へドライブ。 夜、砂肝⒉羽・もも肉。 23:20 大便。⒉月 4日 (水)朝、砂肝・もも肉。 帰宅後いつものメロンパン。 夜、砂肝4羽分。夜中尿便あり。⒉月 5日(木)砂肝⒉羽・肉缶。排便あり。夜、砂肝⒉羽。⒉月 6日(金)免許更新のため仕事休み。とり軟骨をかみ砕いて 与える。ヘリ基地へドライブ。 ジュン夜泣きが激しい。苦しいのか!? ベッドに上げて一緒に寝る。排便なし。⒉月 7日(土)疲れたのか午後まで寝入る。起床後、ジュンは 砂肝は顔をそむける。とり軟骨は食べる。 肉缶少し。 22:15小尿 22:40排便 ジュン お座りの姿勢で首を落として不調。 ⒉月 8日(日)ジュン食欲なし。午後ヘリ基地へドライブ・抱っこ散歩。 18:20嘔吐、吐瀉物なし。脱糞。尻周りが汚れシャンプー タオルで拭き取り。その後、ジャ-キーを食べる。このころから、ジュンの食欲と排便に気をもむようななった。尻周りが汚れウェットタオルで拭き取ることは、苦痛でも何でもなく、ただ安心感を私に与えた。暖かくなる時節までもってほしかった。このころは私も「覚悟」を決めはじめていたのだろう。それでもまだまだあきらめなかった。以下、ジュンの闘病記 8へ***********************************小泉八雲の「怪談」の中の話だったと思うが。ある男が妻を看取るときに後添えはとらない約束をする。しかし、約束を違え後妻をめとる。その後の顛末は・・・ 淋しさを紛らわすために「里親募集」のサイトを開き、手放さざるを得なくなった方々の事情や、ボランティアの里親希望者への厳しい条件を読む。高齢・単身、後見人選定では私はもうあきらめざるを得ない。せめて、里親への搬送・一時預かりだけでもと、さるボラ団体に申し込みを入れておいた。メールで簡単な返信があったが、所在地やメンバーなど詳細は不明。へたに所在地を明かすと、犬が捨てられることが多いので理由は理解する。先週水曜日に突然携帯が鳴る。登録されていない電話から。名前を明かさず受信したら、搬送依頼だった。三多摩地区から藤沢まで。環七、第三京浜が予想以上に渋滞し、午後に到着。里親さん宅はすでにフローリングの床に、カーペットタイルを敷き犬が滑らないよう準備していた。黒ラブと柴のミックス。ボラさんはしつけ方やら注意事項・・・時間をかけて丁寧に説明する。ペットショップではここまではできないだろう。まったく敬服した1日だった。里親さんもトライアルではあるが、そのまま犬のいる充実した日々を過ごすことになるだろう。
2015.03.23
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2013.1.4 福浦のヘリ基地丘へ別れと終活ジュンを看病している頃、トキオの「山口達也と愛犬じゅのんの16年間」を観た。(2月14日放送の天才!志村どうぶつ園。) 番組の中で、彼は「もっとジュノンにしてあげることがあったのでは」と自然に涙を流しながら語っていた。私も2代目コロを亡くしたとき同じ思い、「もっともっと何かを・・・」。11歳の6年生の時である。その頃は人とか犬とかを忘れ、「死」を考えた。「死別」を考えた。最も死に向かいやすい職業。軍人。戦争映画では同僚を亡くした兵士が泣く。上官はその事態を冷静に受け入れる。上官はあまりにも多くの悲しみを乗り越えてきたのだろう、と思った。こんな番組も観た。『中居正広の「終活」って何なの?ー僕はこうして死にたいー』 2月21日(土) フジテレビ2時間特番 「乳がん」を宣告されても、治療には応じず自然にいきたいとかたくなに意思を貫く女性。インタビュー中にも急な激痛におそわれひっくり返る。手術、放射線治療、化学療法・・・彼女はすべてを拒絶し、自然の宿命を待つ。頻繁に襲う苦痛にもかかわらず。番組終盤で医師が「緩和治療」について、苦痛を和らげるのも治療の一部と解説しする。ジュンにしてあげられたことは何だろう。ジュンに苦痛が襲っているだろうことは類推できる。しかし、ジュンはのたうち回ることもない。⒉月の中旬。私はジュンの治癒が不可能なことを悟り始めていた。ジュンとの13年間。コロと死に別れてから54年目。あのときの反省からジュンとは思いっきりしたいことをし、ジュンの望むことを推し量り、楽しく過ごしてきた。ジュンの写真をめくり、彼女の残してくれた笑顔で癒やされる。「ジュンにもっとしてあげられたことはなんだったのだろう」
2015.03.17
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2011.9.25 一番のお気に入りの写真ジュンの闘病記 6 腹水の抜水せめてもの慰みは毎朝晩、食事を摂ってくれること。ジュンの腹水は次第に大きくなり、歩行が困難になってきた。長時間散歩は無理だが、毎晩車で好きな福浦のヘリ基地丘へ。岸壁で夜釣りをしている人たちの様子を見ながら足を延ばしたことも。ある晩、「2日前に亡くして泣き明かした。」という、初老の釣り人に声をかけられた。以下、闘病記6へ********************************ジュンは仔犬の頃、フィラリア病のペレットを与えたら飲んだ。と、思ったら私に分からないよう、こっそりはき出していた。で、すり鉢で粉末にして水に溶いてスポイトで無理矢理飲ませていた。今回は5種の薬剤を粉末にして、蜂蜜水に溶かして飲ませていた。肝臓薬、抗生物質、利尿剤、胃腸薬、消炎剤正月明けには「ニカショウハーブ」が届いたので、これと併せて飲ませるようにした。10日からは手帳にメモを残すようにした。1月10日(土)午前中、福浦ヘリ基地へ散歩。夜、侍従川沿いを散歩1月11日(日)福浦に車を停め、海の公園のフリーマーケットへ散歩1月12日(月)図書館まで散歩。夕方、六浦駅周辺を散歩。1月13日(火)ジュン元気が無い。福浦へ車で散歩。手羽元は食べる。1月14日(水)薬を10日分医院へ。ヘリ基地へ車で。散歩1月15日 (木)雨 散歩中止。ジュン、ストーブの前に陣取るようになる。1月16日 (金)福浦ヘリ基地を散歩。ジュン食欲旺盛。1月17日 (土)福浦ヘリ基地へ。SDカリカリを購入。1月18日 (日)釣り例会。帰宅後、ヘリ基地・岸壁を散歩。1月19日 (月)小水多便。ヘリ基地では100m位でストップ。 食は旺盛。砂肝2.5羽分。1月20日 (火)ヘリ基地へ。抱いて散歩。食欲旺盛。多便。砂肝2.5羽分1月21日 (水)雨、散歩中止。食旺盛。多便。1月22日 (木) 朝、SDカリカリ+肉缶。夜、砂肝3羽、手羽元2本。 腹水でお腹が異様に膨らんでいるので24日に処置する ことで医院と話。1月23日(金) 雨で散歩は中止。食欲は旺盛。1月24日(土) 9:15 入院-腹水抜水。16時頃迎えに。 腹水中に出血が見られたので、エコーで調べたら 腫瘍らしき影と、空洞が認められるとのこと。 万事休す。しかしジュンは元気!帰宅後、SDカリカリ 1時間後砂肝も食べた。1月25日(日) ヘリ基地へ。フリースケットで抱いて1週。 腹水が流れ出るので、医院へ相談。明日止まっていなければ 処置することに。 砂肝3羽分ぺろり。今思えば、私はアホな飼い主だった。病の愛犬を散歩に連れ出すなんぞ。ジュンの歓心を得んがために・・・腹水が溜まるのは投薬の副作用だったのでは?「闘病記」の最後に反省を記したい。以下、闘病記7へ
2015.03.16
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2013.1.5 金沢七福神巡りで。シーサイドラインのホームにてジュンへのお守り、ジュンからのお守り数年前、ネットで「ペットお守り」が売られていることを知った。「お守り」は買うとか言ってはいけないそうで、私も縁起物ゆえ違和感を感じていた。「授かる」と言わなければならないそうで。お守りは「気休め」と言っては身もふたもないが、「神は自ら助ける者を助く」というのは真実だろう。いつだったかは忘れたが、ジュンを連れて遠征散歩を兼ねて自宅から鎌倉の鶴岡八幡宮まで授かりに出かけた。行きは釜利谷の山を登り鎌倉天園まで、授かってから帰りは電車。いつも散歩バッグとハーネスに付けていた。ジュンのおかげで色々なところに出かけた。今はジュンから私へのお守りを首に提げている。
2015.03.15
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2013.1.3 ジュンの闘病記 5投薬を始めてから二ヶ月。薬の副作用だと思うが、ジュンのお腹が膨らみ腹水が溜まりはじめたようだ。それでもジュンは朝晩ご飯を食べてくれ、薬も大人しく飲んでくれた。17:30頃帰宅の日々。ジュンは相変わらず散歩を要求。私は晩ご飯前の散歩では腹が空くので、菓子パンを食べてから。ジュンもご相伴。特にメロンパンが好きだった。それも、底周りの堅くて甘い部分だけ。食べてくれるのはいつにも増して嬉しかった。散歩コースは次第に短く、車で夜のヘリ基地横丘に向かうことが多くなってきた。以下 闘病記5へ***********************************ジュンは心の中を読み取る天才だった。私が暗い気持ちを抱いているのは良くない。あえて、アホになり陽気を装うようになった。それでも不安がよぎる。「早く良くなってまた鎌倉天園へいこう。」と抱き上げる。留守番中も暖かく過ごすために、ベッドの大きさに合わせたホットカーペットを購入し、下に敷いた。年末、4回目の検査に医院へ。H26.12.27 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 111U/L 117(11/24) ←97U/L(10/25) ←43U/L(9/26)GOT/AST(肝障害 筋肉の壊死)17~44 → 27U/L1 29U/L1(11/24)← 52U/L1(10/25) ← 52U/L1(9/26)GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 68U/L 29U/L (11/24)← 88U/L(10/25) ← 88U/L(9/26)ALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1309U/L 1248U/L(11/24) ←1597U/L(10/25) ←1591U/L(9/26)CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.8mg/dl 1.8mg/dl (11/24) ← 1.7mg/dl(10/25) ←9.26は7mg/dl(9/26)投薬を始めてから三ヶ月。 効用はほとんど認められない。ネットで犬の肝障害の項目を調べる日々。「ニカショウ」というハーブを見つけ、獣医に相談。獣医は納得してくれ、また漢方の「小柴胡湯(ショウサイコトウ)」も紹介してくれ、年末年始の救急連絡先を教えてくれた。ジュンに、「がんばるね-」とかけられる声は、治る見込みが無いように聞こえた。小柴胡湯については人用であり、帰宅後調べたが投薬は辞めた。せめてもの慰みは毎朝晩、食事を摂ってくれること。ジュンの腹水は次第に大きくなり、歩行が困難になってきた。長時間散歩は無理だが、毎晩車で好きな福浦のヘリ基地丘へ。岸壁で夜釣りをしている人たちの様子を見ながら足を延ばしたことも。ある晩、「2日前に亡くして泣き明かした。」という、初老の釣り人に声をかけられた。以下、闘病記6へ
2015.03.15
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2013.1.3 横須賀・貝山公園ジュンへの狂犬病予防接種通知ジュンへの狂犬病予防接種の案内が届いた。例年ははがきだったが、今年は封書。いつも届くたびに、小学生の頃の「コロ」を連れて行くときのことを思い出し笑いして、回想にふけっていた。私自身が幼い頃、母が予防接種で連れ出すために嘘をついて外出しようとしたとき。コロとジュンと私を較べていた。ジュンは素直だった。あのころの私とコロはひたすら逃げた。コロは直感で前年の予防接種の時を思い出したに違いない。コロをなだめすかして、会場の小学校の前まで来たときひたすらに帰ろうとする。ぎゅっと抱きかかえ、はがきを出して順番を待つ。ジュンはけろっとしていた。それでも、晩年の数年は注射針が刺さった瞬間は悲鳴をあげるようになった。今年はもうない。
2015.03.14
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2014.1.4 向こうがヘリ基地 ジュンも私も海が眺望できるここが好きだった。それでもその頃のジュンは、まだまだ連日散歩を要求してくるほど元気だった。休日には急坂は抱っこしながらも、大楠山へ出かけたくらいである。以下 闘病記4へ************************11月24日、3回目の検査に医院へ。 今度こそ。H26.11.24 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 →117(悪化) 10.25は97U/L 9.26は43U/LGOT/AST(肝障害 筋肉の壊死)17~44 →29U/L1 (良) 10.25は 52U/L1 9.26は 52U/L1 改善GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 43U/L (良) 10.25は 88U/L 9.26は 88U/L 改善ALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1248U/L 10.25は 1597U/L 9.26は 1591U/L 改善CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.8mg/dl 10.25は 1.7mg/dl 9.26は 7mg/dl 投薬を始めてから二ヶ月。薬の副作用だと思うが、ジュンのお腹が膨らみ腹水が溜まりはじめたようだ。それでもジュンは朝晩ご飯を食べてくれ、薬も大人しく飲んでくれた。17:30頃帰宅の日々。ジュンは相変わらず散歩を要求。私は晩ご飯前の散歩では腹が空くので、菓子パンを食べてから。ジュンもご相伴。特にメロンパンが好きだった。それも、底周りの堅くて甘い部分だけ。食べてくれるのはいつにも増して嬉しかった。散歩コースは次第に短く、車で夜のヘリ基地横丘に向かうことが多くなってきた。以下 闘病記5へ***********************************以前からちょくちょく訪問させていただいていた「Photo USMさん」のブログ。Wander Photo Life Photo USMさんのブログ 中国の写真を興味を持って閲覧させて頂いておりました。今日は「あー!」という記事が書かれていた。愛犬ホープ君の嘔吐。奥様の看病、ホープ君の看病。USMさんが、気丈に希望を持ち続けられることを祈ることしかできない。* コメント欄がないので諒解も得ず、写真も張らせていただきました。お許し下さい。
2015.03.13
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2013.5.18愛想のいいジュンジュンとの散歩では、臭い取りやら排泄、マーキング歩速の違いでリードでは不便を感じるようになってきた。それで、散歩コースを長くするようになってから伸縮リードに換えた。ジュンは同類のおいぬ様より人が好きなようで、犬好きの人が関心を持って呼ぶと、尻尾をふりふり飛びついていく。そんなときはストッパーを外してリードを伸ばす。あるときは学校か塾帰りの小学生がジュンを見つめ無言でジュンを抱き上げたことがあった。私は不気味さを感じ、また挨拶無しの行為に少し腹が立ったが、しばし抱きしめるのを容認した。また、足をのばして追浜のアーケードを散歩しているときは前方から来る少し知的障害があるのかなといった男性が両手を左右に広げて通せんぼをする。それで私にジュンを抱かせてくれというサインを目で送ってきたこともあった。ジュンを連れて駅で定期券の更新をしているときにはいつのまにか後ろでしゃがみ込んでジュンを相手している太めの女性がいて、気がつけば「可愛いですね」と挨拶してくることもあった。ジュンは見知らぬ人たちと私の間を潤す、かけがえのない存在だった。平日日中は孤独にさせてしまった。その反動で人恋しかったのかも知れない。
2015.03.12
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2014.01.13ジュンの闘病記 3私はまだまだ楽観的だった。しかし、獣医は「肝障害治療は難しい」と・・・このとき、彼は恢復は不可能と察していたのかも知れない。以下 闘病記3へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一ヶ月、投薬を続けて、10月下旬にまた検査を受けようと5日分乃至10日分の薬をもらいにジュンを連れながら通院した。1回目の検査後はなかなか食事を取らず、悩まされた。食事を取らずに薬だけでは余計悪化するかも知れないから。特に好きだったオヤツ類。ささみのジャーキーはあまり食べない。砂肝ジャーキーを細く切って与えたら食べる。ステーキ肉を焼いて与えたが食べない。スーパーで砂肝を買い、4mm位にスライスして焼き、甘だれで仕上げ、与えるときは甘だれを私が軽く舐め取り、これを与えたら2-3羽分を食べるようになった。次第に食が進むようになり、たまに「チキンの肉缶13歳以上用」も一握り食べるようにはなった。連日、砂肝ではさすが飽きる。もも肉や手羽元を炒めたり煮てほぐして与えた。ジュンは手羽元の軟骨がとりわけ好きなようだった。10月25日、再検査に医院へ。H26.10.25 血液生化学検査GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 97U/L 9.26は43U/L・・・悪化GOT/AST(肝障害 筋肉の壊死) 17~44 → 52U/L1 9.26は 52U/L1・・・変わりなしGPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 88U/L 9.26は 89U/L・・・ほとんど変化無しALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1597U/L 9.26は 1591U/L・・・悪化CRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 1.7mg/dl 9.26は7mg/dl これは若干改善薬効が効かないのか?獣医は「薬が効いていないのかあるいは進行を抑えているのかは判断できない。」と話す。私も分からない。誰も・・・ただジュンの罹病とその治癒への責任は私にある。獣医の話には納得した。その理由は、6月頃からジュンに白内障進行防止剤ライトクリーンを朝晩、点滴していたからである。それでもその頃のジュンは、まだまだ連日散歩を要求してくるほど元気だった。休日には急坂は抱っこしながらも、大楠山へ出かけたくらいである。以下 闘病記4へ
2015.03.11
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2012.11.17寂しさを紛らわす一つの手段。ジュンとの楽しかった思い出が多すぎて、ブログを書くのにあれもこれもと、頭の中が混雑している。ジュンがいる生活の中で、最高に感激したことは数多くの思い出の中で、なんだろう?・・・・ジュンが伊豆で犬かきで泳いだこと。伊豆富戸のカワハギ釣り 2009.08.06今は亡き釣りの大先輩IZTさんに、彼が若い頃から通った伊豆富戸へカワハギ釣りに誘われた。彼もかつて犬を飼っていて、私のジュンにもお気遣いいただき、ペット宿泊可のペンション(IZTさんは先代からの上客)から仕立て船へのジュンの同乗の諒解まで手配していただいた。富戸へ向かう車中、いろいろな話をした。「昔、蛸がバカ釣れしたときがあり、愛犬に与えたら、もっともっととせがまれ、与えすぎて病院へ」・・・「高くついた」「大手の輸出入業務の下請けをしていたが、会社の解散を余儀なくされ、社員への退職金などをせしめたこと」「若い頃は登山をしていたこと」趣味が似ていて話が弾んだ。・・・・・・・ペンションに到着したら、好奇心旺盛なジュンは勝手に1Fを駆け回る。他の客はなくペンションの夫婦も大目に見て下さった。翌日はペンションの主人とIZTさん3人とジュン。漁港に向かう。リードをつないでいれば、こんな「奇跡」には遭遇しなかった。ジュンを陸に残し、まずタックルを船に積み込む。船のオオトモ寄りに降ろしているとき、ペンションのご主人が「ジュンちゃんが海にはまった!」 と。私の後を追い、跳び乗ろうとして落ちたのか?気が動転し、不安を抱いてジュンを探しに戻る。頭の中では「腹打ちして、気絶?!プカーンと浮かんでいる光景を浮かべた」私自身小学生の頃プールに飛び込み、よく腹打ちして痛い思いをした経験があったから。船縁からジュンを探したら、なんと犬かきで岸壁に向かって泳いでいる。これが一つ目の感動しかし船べりから海面は、はるかに深く手が届かない。岸壁にたどり着いても高さが2~3mあるので陸に上がることはできない。海に飛び込もうかと思っていた矢先、船長が「たも網ですくってもいいか」 と。「お願いします。」と平身低頭、お願いする。しかしジュンは船首の先を泳いでいる。無我夢中でジュンを呼び寄せてみた。「ジュン、こっちにこい!」ジュンはUターンしてこちらに犬かきで向かってくる。ジュンはこんな状況でも、冷静に私の声を聞き届けていた。これが二つ目の感動。ジュンへの最高の思い出。
2015.03.10
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2014.1.13 釜利谷にてところが昨年9月中頃から、吐瀉物はないのだが、吐く仕草の回数が目立つようになり、ようやく獣医の門をたたいた。以下、闘病記2へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ1ヶ月ぐらいで治癒するだろうと、ノー天気に考えかかりつけの動物病院へ診察に出かけた。H26.9.20 診療費明細から 1.皮下注射、点滴 2.血液一般検査・CBC 3.血液生化学検査 4.X線検査 5.超音波断層検査(産科領域を除く) 6.内服薬朝一に出かけ、夕方ジュンを引き取りに。21項目からなる血液生化学検査表を示され、以下の5点の指摘を受けた。GGT(胆汁うっ滞性肝疾患)参考正常値 5~14 → 43U/LGOT/AST(肝障害 筋肉の壊死) 17~44 → 52U/L1GPT/ALT(肝細胞の障害壊死) 17~78 → 89U/LALP(肝障害 胆汁うっ滞性肝疾患)47~254 → 1591U/LCRP(炎症反応の指標) 正常値:0.7mg/dl → 7mg/dl獣医からは困った顔で、もっと詳細に検査するにはCTスキャンが・・・近いところではマーサ動物病院に装置があるが、麻酔を・・・ジュンの年齢と、この検査結果では麻酔をかけた途端・・・私が麻酔を怖れていることは、ジュンが抜歯した頃から彼は承知のはず。しばらく投薬して、1ヶ月後再検査をお願いします。私はまだまだ楽観的だった。退室するとき、獣医は「肝障害は難しい」と・・・このとき、彼は恢復は不可能と察していたのかも知れない。以下 闘病記3へ* 昨晩はしっかり寝た。玄関でジュンがお出迎え。 夢を見た。 夢の中で、これは夢だとわかっているが、いつまでも続いてほしかった。
2015.03.09
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2013.6.9 海の公園にてジュンがまだ仔犬だった頃。食卓の向かいに椅子から跳び乗って、私と目線を水平に合わせた。しばし目を合わせた後、「これ、そこに乗ってはだめ。」と手を伸ばそうとしたら、目を合わせたまま横飛び。「へへーん。捕まらないよ。」小憎らしくも、可笑しかった。そのとき、昔のある事柄を思い出した。有楽町で降り電子機械工業会の会合に向かう途中、英会話の勧誘をしている女性がチラシのはがきを差し出した。「まあ、受け取ってやるか。」とはがきを取ったら、彼女は魚を釣るように、はがきを離さず私を引き寄せる。え!?しばらく勧誘の話を聞き、さよならした。イヌは飼い主に似る―あなたとイヌのいい関係22の法則 (王様文庫) 文庫 – 2002/9 利岡 裕子 (著) 今ではアマゾン・マーケットプレースで¥1で出ています。表紙裏扉には「おどろいたことに飼い主の方が、犬に合わせて自分を無意識に変えて、愛犬と寄り添っていることもあります。いったい、なぜ犬はこんなにも人に影響されるのでしょうか?あろうことか人までも、愛犬に影響を受けるのはなぜでしょう?」ジュンのおかげで些細なことに苛つくことは無くなった。知的障害児(とはいっても20歳前後)のプールでの介添えボランティア(昨8月に退いた。)も、ジュンがいなければ4年間も続けられなかっただろう。
2015.03.08
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はじめに私の気まぐれ更新ブログを閲覧していただいている、「かぜにはるる」様にお礼申し上げます。早々と愛犬ジュンの絵を描いていただきました。正式なご了解を得ておりませんが、プリントアウトし、お骨とともに飾っております。一筆一筆の線がジュンの様々な表情の記憶を呼び覚まします。来年の納骨の時に添えようと存じます。重ねてお礼申し上げます。「&#私の生きる道2&#&」かぜにはるるさんのブログです。闘病記1 徴候今思えば、あのとき医院へ診察に出向けば、まだ救われたかも知れない。2年ぐらい前の休日長距離散歩の時のこと。レギュラーコースの大道から山道~釜利谷緑道~金沢文庫駅に向かう途中、農協横の有人野菜販売所で柿やら野菜を買った。店のおばさんとハクビシンが家の天井を荒らすとの話などを伺っている間、新たにお客さんが来て私に、「わんちゃん、震えているよ」と。一時的な震えで、その後は治まってしまった。その後も何回か「震え」が起こることがあったのだが、歳のせいだろうと安直に受け止めていた。ところが昨年9月中頃から、吐瀉物はないのだが、吐く仕草の回数が目立つようになり、ようやく獣医の門をたたいた。以下、闘病記2へ2014.3.3 ジュンは「不二屋のホームパイ」が好きだった。 袋を開けても喜ばない。自分で袋を破って舌で吸い取ることが好きだった。飽きたときにはベッドの下へ、へそくっていた
2015.03.06
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今年の年賀状は久しぶりにジュンの写真を貼り付けた。そして、愛犬家バカ丸出しのコメントを添えた。 「 愛犬は今年14歳になります。犬年齢では私を超えたかな?老々愛護で、休日には金沢/横須賀/逗子/鎌倉/三浦半島をいたわりながら、ゆっくり・ゆったりウォーキングしています。 」年賀状の原稿を創っているときは、こんなに早くジュンとの死に別れが来ようとは夢にも思わなかった。この数年は、長距離散歩時の長い階段の上り下り、盛夏で地面が熱くなる時間帯は日陰を選び、また抱いて散歩した。昨9月頃から投薬を始めてからも、ジュンの恢復を信じて大楠山にも出かけた。朝晩、薬を飲ませるときには、ノー天気に「早く良くなって、また鎌倉天園へ行こう。」と、楽天的なことを自らにも言い聞かせていた。ジュンはごはんより、おやつより何よりも散歩へ私を駆り立てた。ジュンから私への「老々愛護」だったのかもしれない。いまはジュンとの明日がなくなり、ただただむなしい。2012.11.25 釜利谷西 関東学園横の長い階段上にて
2015.03.04
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H23.3.19 BW:5.1Kgこの年の秋には大手術が・・・・3へ続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011年のある日、本屋で立ち読みをした。イヌを長生きさせる50の秘訣 危ないドッグフードの見分け方とは? 肥満犬を走らせてもやせない理由は? (サイエンス・アイ新書)その中に乳腺腫瘍の項目があり、あわててかかりつけの獣医にとんだ。以前からジュンのおなかを撫でると、シコリがあったからである。H23.9.23 BW:4.8Kg (体重)手術で除去することになった。乳腺は血管が集中しており、はなはだ困難な手術らしい。母乳が血管を通り乳房に蓄えられることが良く理解できたが・・・医師との話でいで、再発を避けるためにも子宮も摘出することにした。H23.10.1 手術 血液検査、レントゲンジュンを入院させた当日はこんなブログをアップしている。 [ポカーン] 2011.10.01 退院するまでには [愛犬ジュン] 2011.10.3 短い間なのだが、待ちにまった退院日 [大切な家族の退院] 2011.10.4 エリザベスカラーをつけざるを得ないジュンは可哀想だが、それでも散歩に出かけた。手術後の抜糸は1回では治まらず、15日に終えている。私の父の7回忌を控え、名古屋に帰るので、ジュンとお風呂に入りシャンプーしたことも記されている。 [ジュンが呼ぶ声] 2011.10.20 腫瘍の検査結果も良性でホッとしている。この先、定期的に健康診断をしていれば・・・・と、今は後悔している。H24.8.25 BW:4.5Kg 内服薬 とある。H24.9.10 BW:4.55Kg ユニバーサル・メディケート・シャンプー と記されているので、皮膚病だったのかも知れない。 ジュンの健康手帳から 3 (終わり)ジュンの闘病記へつづく。2013.6.8 野島公園にて アサリ獲り
2015.03.03
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投薬3ヶ月になるが改善の徴候なく、それでも観音崎公園の山の中を散策H19.2.8 歯の検査 BW:5.05Kg 自宅で歯垢・歯石をチェックしたら右犬歯ががたつくので 慌てて診療に行く。要抜歯になってしまった。H19.3.1 抜歯:犬歯と前臼歯2本、歯石除去 その後、犬用の歯磨きガム「グリニーズ」の存在を知り、 毎夜就寝前に夜食として与えるようになった。 いまでは無麻酔で歯石除去できるようになっているようだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この手術の記事は「ジュンの抜歯手術」 に記した。H19.5.26 フィラリア検査 BW:4.55KgH20.5.27 フィラリア検査 BW:4.42KgH20.11.5 皮膚 アカルスH20.11.13 皮膚 アカルスH20.11.20 皮膚 アカルスH20.12.10 皮膚 アカルス 完治このいきさつは「ジュンの脱毛 イヌニキビダニ症」 に記してある。当初は人の軟膏を塗っていたが、症状が改善されないのでかかりつけの医院へ。その場で患部に器具をこすりつけ、顕微鏡で見せてくれた。帰宅してからネットで調べたら、不治の病!?ジュンは幸い完治した。H23.3.19 BW:5.1Kgこの年の秋には大手術が・・・・3へ続く
2015.03.02
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2012.11.25 大道から釜利谷への山道でジュンの散歩デビュー ジュンにはできるだけ言葉を掛けるよう心がけた。ジュン、ごはん。ジュン、散歩に行こう。ジュン、車道に出ちゃだめだぞ。ジュン、こっちに行こう。・・・・しかし、しつけについてはトイレだけ。お手やお座り、伏せなどなにも教えなかった。芸なんぞは不要である。散歩は本来朝夕の2回が望ましいが、仕事があるので帰宅してからの夜しか連れ出せなかった。仔犬の頃は近隣を20-30分。ジュンは出会う人、誰にでもしっぽを振って愛想を振りまく。関心を引こうと誰にでも尻尾を振る。あるときは、おばさん否、妙齢の女性から「あなた、気をつけていないと、このわんちゃん誘拐されてしまうよ」と、注意を受けるぐらいだった。また、「これでは番犬にはならないわね」と、古くさいことを言われたこともある。最寄り駅方面へのショートコース散歩では、仕事帰りで疲れてむすっとした顔をした人たちが、愛想を振りまくジュンを見てニコッと顔付きを変えるのが私には嬉しかった。ジュンも同じだったと思う。20150225記
2015.02.28
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2012.12.9 福浦ヘリ基地の丘でおよそペットという存在は病を訴えることはできない。飼い主は目に見える外傷などには対処できるが、体内疾患については、うんちやおしっこで判断するぐらい。ただし嘔吐した場合はビビって獣医に行くか電話で相談する。ここまで書いて人間も多くの場合、自分が病に罹っていることに気がつかないことが多い。・・ことに気がついた。私自身もう10数年健康診断なんぞはしていない。ん。ジュンとの生活が始まってからは健診は不要だった。ジュンとの散歩のおかげで、風邪とかもあまりひかなくなったし、医者にかかったのは昨春の歯医者ぐらい。さて、かかりつけの動物病院からいただいた健康手帳に簡単な「健康管理メモ」が残されている。ジュンの健康管理履歴をこのブログで再整理記録しておきたい。H14.2. 埼玉県比企郡にて茶の母から生誕(父が黒みたい)H14.4下旬 私のところへH14.5.11 2回目のワクチン注射で近所の獣医さんへ BW:1.95KgH14.8.31 狂犬病接種とフィラリア検査 BW:3.2Kg *BW:体重H14.10.12 股関節レントゲン検査 BW:3.3Kg これは部屋でぴょこたんして歩行したため、驚いて受診したもの。H15.5.31 ワクチン接種とフィラリア検査 BW:3.95KgH17.6.4 ワクチン接種とフィラリア検査 BW:4.25KgH18.2.22 歯石除去 ある愛犬家から「麻酔」を受けたらそのまま逝ってしまった。 という話を聞いていたので、念押しして除去していただいた。 犬用歯磨きは購入して不定期にしていたが、いやがるのと 口が小さく内側は私の指が入りづらいので・・・H18.8.2 フィラリア検査 BW:4.85KgH19.2.8 歯の検査 BW:5.05Kg 自宅で歯垢・歯石をチェックしたら右犬歯ががたつくので 慌てて診療に行く。要抜歯になってしまった。H19.3.1 抜歯:犬歯と前臼歯2本、歯石除去その後、犬用の歯磨きガム「グリニーズ」の存在を知り、毎夜就寝前に夜食として与えるようになった。いまでは無麻酔で歯石除去できるようになっているようだ。以下 次回2へ
2015.02.28
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