もうちょっと書きます、2012年コンサート。
「月に憑かれたピエロ」を、能と重ね合わせたユニークな舞台を見てきました。一点を除いては本当にすばらしい舞台でした。
夢芸能 月に憑かれたピエロ
12月10日 すみだトリフォニーホール
作曲:シェーンベルク
演出:中島彰子
ピエロ(ソプラノ):中島彰子
シテ:渡邊荀之助
笛:松田弘之
太鼓:飯島六之佐
地謡:佐野登、渡邊茂人、藪克徳
指揮:ニルス・ムース
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢メンバー
Vn(Va持ち替え)、Vc、Fl(ピッコロ持ち替え)、Clの4人
ピアノ:斎藤雅昭
映像:高岡真也
プログラムノートによると、数年前の満月の夜、京都・龍安寺で座禅を組んでいたソプラノの中島彰子さんの脳裏に、ふと「月に憑かれたピエロ」のメロディが浮かんだというのです。それ以来中島さんが、この曲を、能と舞台とを重ねて上演したいというコンセプトをいだき、それにむけて準備をすすめ、この上演が実現したということです。
中島さんはシェーンベルクの子どもたちに、この上演の了解をいただいたそうで、プログラムにも彼らからの応援メッセージ文が掲載されていました。本公演にあたっては彼ら(シェーンベルクの子どもたち)の意向がふたつ出たそうで、ひとつにはプレトークで背景説明をしてほしいこと、もうひとつは字幕をつけて上演してほしい、ということだったそうです。
それでプレトークから始まりました。中島さんと、地謡で出演する佐野登さんというお二方が、能の簡単な説明も含めて、この上演のコンセプトやストーリーをわかりやすく解説してくれました。
舞台は、シェーンベルクの音楽に沿って進行し、ところどころに能の部分が挿入されるというもので、かなり楽しめました。
僕はシェーンベルクの音楽はどちらかと言えば苦手なほうで、この曲をちゃんと聴くのは今回初めてでしたが、繊細な音楽がとても美しいと思いました。中島さんの歌と演技も説得力ありましたし、アンサンブル金沢の人たちの演奏もすばらしいと思いました。
一方で、ところどころにはいる能の部分も、シテのおごそかな舞というか所作というか、それと笛や鼓の音も、非常に良くて、シェーンベルクの音楽と違和感なく結合していて、見ごたえがありました。
中島さんはじめ、出演された皆様に心から拍手を送りました。
ただ、唯一の大失敗と思うことがありました。字幕です。
今回の字幕は、舞台中央の背景に大きなスクリーンを置き、そこに映像を投影して作られていました。投影されるのは普通の文字だけではなく、いろいろなイメージを喚起するような映像が多彩に映し出され、その映像の中にときどき文字が出てくるというものでした。その文字の出方が、素直にさっと出てこないで、文字と絵の中間的な画像がでてきてそれが時間をかけてゆっくりと文字に変形していくというような、非常に凝ったものでした。
しかも、その文字が、普通の字幕のように1行あるいは2行ずつ短く出てくることがほとんどなく、数行あるいはそれ以上の長い多量の文字が、詩のようにスクリーンに映し出されるのです。そうかと思えば、歌が歌われているのに、その間かなり長いこと何も文字が表示されないということも多かったです。
思うに字幕の効用とは、まずぱっと見たときにすぐに文字を認識して短時間でそのフレーズの意味を理解するということと、もうひとつは、今歌われている部分の訳を同時に提示することにより、今歌われているフレーズがどういう意味を持つかが理解できるということ、すなわち対訳を見ているように、聴きながら同時に理解できること、この二つの効用が主なものだと思います。短時間に、同時性を持って理解できるという効用です。
しかし今回のような変に凝った提示方法では、じっと見ていてもなかなか文字の形にならないので、結果として長いことスクリーンを見なくては意味がわからないことと、一度に長く詩のように日本語を出してしまうので、現在歌われているフレーズがどこに該当するのかがさっぱりわからない、ということです。これでは、はっきり言って字幕の意味がほとんどありません。
さらに、意味がないだけならまだしも、このスクリーンを使うことが、音楽を鑑賞する上で非常に大きな妨げになってしまっていたのです。それは、ノイズです。スクリーンに画像と文字を映し出すための装置に起因するノイズだと思いますが、かなり大きい送風の音が、上演の最初から最後まで、ずーーーーっと鳴り続けていたのです。こんなに大きなノイズがあるコンサート、ありえないです。
これが大編成のオーケストラのコンサートであれば、まだ被害は多少は少なかったかもしれません。しかしピアノを入れて総勢5人の小編成、しかも非常に繊細で、微妙な音色のうつろいが美しいシェーンベルクの音楽です。この音楽を味わうためには静寂がすごく大事なのに、この大きな送風の音で、台無しでした。
能のときも同じです。虚空にゆらぐ笛の音や、ぽつんと響き渡る鼓の音。これらもまた、静寂の中に立ち現れてこそ、その真価が現れるものです。これらもまた、送風の大きな持続音で、魅力が大きく損なわれてしまったのが、非常に残念です。この笛や鼓、静寂の中で聴いたらさぞかしすばらしかったと思います。
今回の字幕、百害あって一利なし。
この上演自体の価値は本当にすばらしいと思いますので、再演を重ねていったらよいと思います。しかしその際は、この字幕に関して全面的に見直しをしたほうが良いと思います。最低条件として、ともかく音が出ない方法にすることです。そうでないと折角の美しい音楽と能が台無しです。そして上記した短時間に認識できることと、同時理解可能であるということ、すなわち本来の字幕の効用を考えた字幕にしてください。シェーンベルクの子どもたちの望む字幕とは、きっとそのようなものであるはずです。
ユニークであって、かつ上の三要件(無音、短時間認識可能、同時理解可能)を満たすすぐれた字幕は、いくつか見たことがあります。 2009年のバッハコレギウムジャパン他によるモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」
でのフラッシュ方式、それから2012年8月のサントリーサマ-フェスティバルでのクセナキスのオペラ「オレステイア」などです。
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