無色透明

無色透明

2006.01.12
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カテゴリ: スピリチュアル
屋久島は暖かい日が続いている。

なんとなく春が近づいているのだろうか・・・

自我とは何だろう?
主観的に見れば、
それは自分が掴まえているものだろうか。
執着であり、囚われであり、こだわりだろうか。
自分がしっかりと握って放さないもの。
それが自我だろうか。


自分はリッチとか、プアーとか。
自分は学歴があるとか、無学歴とか。
自分は幸せとか、不幸とか。
自分は友達に恵まれているとか、孤独とか。
自分は将来性があるとか、夢も希望もないとか。
自分は歌がうまいとか、音痴とか。
自分は有名とか、まったく無名とか。

要は、自分に対するイメージ。
自分についての思い込み。
それが自我ではないのだろうか。
それ以外に自我=「私」というものが存在するだろうか。

それが自我ではないのだろうか。

そういうイメージがなければ、自我もない。
そういう思い込みがなければ、「私」もない。
あるのは、透明な意識だけということになる。

客観的には、

やがて肉体と同化していく。
肉体と自己同一化していくのだ。
肉体には自己保存の本能がある。
それは自動的に働く。
やがて思考力が発達する思春期になると、自分に対してイメージを抱くようになる。
それは必然的に自己保存の本能に沿ったものになる。
つまり、自己中心的なイメージとなりやすい。

自分は成績が良いとか、成績が悪いとか。
自分は異性にモテるとか、モテてないとか。
自分はスゴいとか、自分はダメだとか。
自分は何でもうまくできるとか、いつも失敗ばかりするとか。
幼児期には思ってもみなかったような自分に対するイメージを持つようになる。
それが自意識と呼ばれるもの。
つまり、自我。

幼児の頃には人前で歌ったり踊ったり平気でできたものが、自意識が発達するにつれて、恥ずかしくてできなくなる。
恥ずかしいという感情は、自意識から生まれる。
自意識過剰になれば、自由が縛られる。
他の人から自分がどう見られるか、それが一番重要になる。
つまり、自分のイメージが最重要課題となるのだ。
それがプライドというもの。
それがアイデンティティというもの。

小さな子供にはアイデンティティなどというものはない。
自意識も自己イメージも薄い。
それは思考力が発達していないから。
まだ自分に対する複雑な思考ができないのだ。

傷つくということは、自己イメージを傷つけられるということ。
別に体を傷つけられたり、衣服を傷つけられたりするわけではない。
自分が傷つく。
自分とは、自分に対して自分が持っているイメージ。
ブスと言われたり、みんなに嫌われていると告げられると、簡単に傷ついてしまう。
それは、そんな自分ではないと思っているから。
少なくとも、そんな自分ではありたくないと思っているから。
人を傷つけるのは簡単だ。
その人が劣等感を抱いている部分をストレートに言えばいいだけ。
いや、間接的に言うだけでも効果がある。
劣等感とは、まさに自分に対する思い込み。
それは事実というより、思い過ごしに近い。
まったくのイメージでしかない。
その劣等感も、また自我の一部に他ならない。

自我とは、成長過程で思考力が発達する時、自分について持つイメージ。
その自分のイメージとの自己同一化。
それが自我だ。
自分とは、肉体でも感情でも思考でもない。
それは自分が自分に対して持つイメージなのだ。
それが自我の正体ではないのだろうか。

正体が明らかになる時、なぜ自我が存在するのかという疑問は自(おの)ずから消える。
ただそういう事実があるのみ。
自我の存在理由も、また思考の産物なのだ。
事実として、人は自己イメージを持っている。
それが自我と呼ばれるものである。
そういうシンプルな事実だけが残る。
どこにも自我の存在理由はない。
そもそも自我などというものは存在しない。
それはイメージ。
つまり、幻なのだ。
刻々と移ろいゆく幻想。
どこにも実在することのない思い込み。
それが自我の実体ではないのだろうか。

意識はある。
しかし、自我という実体はない。
ただ自分にまつわる思い込みがあるだけだ。
そのイメージに基づいて、思ったり行動したりする。
自己保存の本能と思考が一体化して、自己中心的に動いているだけだ。
しかし、それは極めて短絡的な思慮の足りない思考に他ならない。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がある。
暗いところで見ると、枯れた花が幽霊に見えてしまう。
ところが、明るいところでゆっくり見れば、ただの枯れた花。
単なる思い込みなのだ。
自我というのも、そういうものではないのだろうか。
光を当ててみれば、何も実体はないもの。
ただの思い込み。
それが真に理解される時、自我は力をなくす。
自我ではない、別の生が始まる。

第一チャクラは、生命力のチャクラ。
生まれて自分の肉体をコントロールできるようになる過程で、肉体感覚が発達する。
第二チャクラは、感情のチャクラ。
肉体を自分のものにすると、快・不快という感覚から徐々に複雑な感情が発達してくる。
第三チャクラは、思考のチャクラ。
感覚、感情と発達してきた意識は、次に思考力を発達させる。
その思考力が自分を肉体や感情と自己同一化させていく。
思考力が自己イメージをつくり出す。
それが自我。
第一チャクラから第三チャクラまでが一つになったもの、それが自我の実体なのだ。
意識の成長過程の中で生み出された自己イメージ。
その自己イメージに基づいて生きているのが、今の人類の現状なのだ。

それは意識の肉体における発達過程の産物。
良いも悪いもない。
ただの事実。
まだ深く理解されていない事実。
理解されていないために、人類が振り回されている事実。

事実は理解するしかない。
理解されれば翻弄されることもない。
注意して見ないから、枯れた花が幽霊に見えてしまう。
事実と共に生きる。
事実を見極める。
それがシンプルに生きることに通じる。

以上のことは、
本からの知識でも、誰かに教えてもらったのでも、もちろんチャネリングでもない。
自分自身で見極めたこと。
だから、正しいという保証はない。
人生のどこにも正しいという保証はない。

事実を見極めきる。
それが人を自由にする。
元々、人は自由なのだが、自分で自分を縛っている。
肉体と共に生きる中で、
思考力が発達する中で、
周りからの影響も受け、
自我という幻をつくり出してしまう。
そして、それに基づいて生きるようになる。

そのプロセスを自分自身を通して理解してほしい。
ここに書かれていることは、みんな忘れていい。
知識はいらない。
理解することだ。
自分自身を。
自分自身の実態を。
自分自身の行動原理を。
そうすれば、本来の自由に戻れる。
ひとたび不自由になって、真の自由を知る。
人は新しい次元へ進む。

地球の人類は、今、第三チャクラから第四チャクラへ移動しようとしている。
これまでの自我を中心とした文明から、次の文明へ移行しようとしている。
それはどういうものだろうか。
第四チャクラとは、いかなるものだろうか。
それは明日のお楽しみに。
今日は、まだホームワークを見る必要がある。
先へ行きすぎると、ホームワークがつまらなくなってしまう。
ゆっくり進もう。

『自我という 自分を縛る 思い込み 光を当てて 理解するのみ』

『縛られて 解(ほど)いてみれば 初めから 自分で自分を 縛っていただけ』

これが376日目の心境です。








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Last updated  2006.01.12 13:00:51
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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
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