無色透明

無色透明

2006.03.13
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カテゴリ: スピリチュアル
今日の屋久島は寒い。

朝方は風が強く、屋久島発の高速船は欠航になった。
飛行機は第二便は先程着いたが、第一便は音が聞こえなかった。

えっちゃんから次のようなコメントが届いた。

「観音様って、音を観るっていうことって聞いて、観世音大菩薩の略が観音様だとしたら、世の音を観ると言う事ですよね。
これは、サンスクリット語の音訳でなくて、ちゃんと意味のあるお名前だとしたら、この世の、または人々の波動を見守る仏様といことでしょうか?
波動はエネルギーのことかなあ?
観音様は私たちの生きるエネルギーがいい波動をしているか見守ってくださってるのですか?


手のひらの地球を見守る慈母観音・・・
ちょっと、身近にかんじました。」

観音菩薩は、観自在菩薩から転じたものらしい・・・
本来はアボロキティシュバラーとサンスクリッドでは言う。
すべてを見通せる存在という意味。
般若心経の一番最初に出てくる。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空  空不異色  色即是空  空即是色・・・」
すべては空であり、苦しみは一切ないということがわかる存在。
そのことを釈迦の十大弟子の筆頭である舎利子(シャーリープトラ)に説き聞かせたのが、600巻にのぼる大般若経。
そのエッセンスが般若心経。
日本で広まっているものは、西遊記の三蔵法師が漢訳したものがベースになっていると言われている。


しかし、私達一人一人がその存在でもある。
観音菩薩と自分自身は別々ではない。
自分の中にもそのエネルギーは流れている。
ある次元で合流している。

自分の外に見ない。

それは分離の意識。
それらの偶像を拝み、願い事をする。
そうすると、それらのものは自分から離れてしまう。
遠い遠い存在になってしまう。
ただ崇拝するだけに終わってしまう。

一般衆生に普及する方便として途中からそういう方法が採られた。
しかし、最初は偶像などはなかった。
お釈迦様やイエス・キリスト本人が生きていたから、そういう必要はなかった。
イスラム教では、今でも偶像は禁止されている。
その部分に関しては、本来の姿を保持している。

荒れてすさんだ衆生の気持を偶像に集中させることによって、やすらぎを見出させる。
それが念仏であれ、お題目であれ、それなりの効果はある。
御仏の慈悲にすがり西方浄土を求める。
それはあまりにも厳しい娑婆世界から救われるための方便。
それによって心がやすらぎ、癒されれば、それはそれで救い。
そういう時代もあった。

偶像を拝むことによって、自分の中にある仏心やキリスト意識が溢れ出るのであれば、それはそれでいいのかもしれない。
偶像とはいえ、確かにエネルギーが来ているものもある。
それはエネルギーチャージャーの役割を果たす。
ややもすると自我に流れやすい意識を、仏心やキリスト意識の方へ向ける効果はある。
そういう意味では、小さなロザリオですら否定することはない。

しかし、自分の中に仏心やキリスト意識を直に感じれば、偶像は必要ではなくなる。
元々、偶像は方便。
自分の中の仏心やキリスト意識に気づくための方便。
しかし、それを長い間やってきて、いつのまにか本来の意味が見失われてしまった。
すべてを外に求めるようになった。
自分自身の中にあるものを外に求めるようになった。

それが西方浄土であり、天にまします我らが父になってしまった。
今ここから遠く離れてしまった。
遙か彼方の憧れになってしまった。
まるで古い記憶ででもあるかのように・・・

それでは青い鳥探しと変わらない。
いつまで経っても青い鳥は見つからない。
方向が違うから。
外に求めているから。
それでは逆に自分と仏心やキリスト意識とを切り離してしまう。
真実は外には存在しない。
自分の内にしか存在しない。

外のものを崇(あが)め奉(たてま)っている限り、自分を低きに貶(おとし)めることになる。
罪の子、罪業深甚救いなし。
我らの罪を許したまえ・・・
罪悪感の虜となってしまう。
それは多くのキリスト教徒の潜在意識の中にある。
それは教会権力の民衆支配の手段にもなってきた。
贖罪(しょくざい)、免罪符・・・

自分の外に権威を認めれば、支配されるしかない。
一切の権威を認めない時にだけ、完全な自由がある。
たとえそれが仏陀やイエス・キリストであろうとも、権威を認めた途端、従属することになる。
その時、意識の自由は消失する。
同時に真実の自分に出会うこともできなくなる。

真実の自分は完全な自由。
自分の外に権威は存在しない。
完全な自由になるためには、偶像は邪魔者以外の何ものでもない。
それはプロセス。
人類の意識の発達史の途中経過。
それは単なる憧れ。
人類の憧憬。
まだ人類が夢見ていた頃・・・

もう夢から覚める時。
自分が夢を創る時。
自分の夢を実現する時。
中心を自分自身に置く時。

偶像も思い込みの産物。
自我も思い込み。
慈悲のエネルギーを、あんな小さな仏像に封じ込めることができるだろうか。
自分という偉大な存在を、どうして小さな自我に閉じ込めてしまうのだろうか。
いずれもエネルギーを歪曲しただけ。
小さく小さく封印しただけ。
イメージ。
思い込みの世界。

仏像もキリスト像も美しい。
そこにはエネルギーが流れている。
しかし、人から流れ出す愛や慈悲のエネルギーは、偶像から流れ出すものよりも遙かにすばらしい。
偶像は、愛や慈悲が人から流れ出すためのきっかけであり、方便に過ぎない。
これからは一人一人が仏像となりキリスト像となる時代。
偶像を崇めたり、拝んだりする時代は過ぎた。
一人一人が愛となり慈悲となる。
方便はいらない。
ダイレクトにそのものになる。

観音菩薩も仏陀もイエス・キリストも、すべて繋がっている。
それらは別々の存在ではない。
自分を中心に同心円のようにひとつに繋がっている。
自分自身を低からしめない。
自分を小さく規定しない。
自分の限定を外す。
無限定。
無制限。
それが自分の真実。

もうママゴトは終わり。
思い込みの夢から覚めて、真実を生きる。
偶像や自我という小さな思い込みから自由になって、無限定の宇宙に遊ぶ。
自分の夢を実現させる。
楽しく遊ぶ。

夢と知りながら夢を楽しむ。
無自覚の時代は終わった。
無意識の時代は終わった。
思い込みの時代は終わった。
はっきりと目覚める時代。
リアリティで生きる時代。


『仏像も キリスト像も 人類の 非苦の歴史の 生み出せるもの』

『観音の 願い生きれば そのままで 一人一人が 観世音菩薩』

『現世(うつしよ)は 現れ消える 一時(ひととき)の 無常の夢と 知るや知らずや』

『現世(うつしよ)の 夢とも知らず 夢を見て 夢に遊ばれ 夢に溺れる』

『現世(うつしよ)の 夢と知りつつ 夢を見る 夢と戯(たわむ)れ 夢を楽しむ』

これが436日目の心境です。






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Last updated  2006.03.13 15:20:31
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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
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