無色透明

無色透明

2006.07.07
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カテゴリ: スピリチュアル
「551日目 - 反応-2」の続き


次は、Y@soleilさんですね。

【思うことがあって、再び参加させてくださいませ。

実は、丁度このホームワークが出る頃、私はいじけてました。
なんとなく、疎外感を自分の中に感じたのでした。
そして、そっとその関係性から立ち去ろうとしていました。逃げようとしたのですね。

実際誰かに何を言われたわけではありません。
周りの人はいつも温かいのです。
そしてその方はいつも、私の傍にいて下さいました。

私は愛される価値のない人間ではないかと、
そんな意識がいつもあったことに気づいたのでした。そして同時に、そんな自分に寄り添って欲しいと願ってもいました。
私は、悪い人間ではないのか?そう思う自分に怒る。それが周りに投影されていました。

私は愛に対して、自らの存在自体に対して、罪悪感がありました。
それが私の瞳と心を閉させ、自らを勝手に独りぼっちにしていたのです。

実は、最近、胎児だった頃の記憶を思い出すような機会があって、
その時に、私の思い込みはここから生まれていたのだなと感じたのでした。
私の母は、色んな事情があって、私を生むことを望んでいませんでした。
私は母のあらゆる感情を胎内でリアルに感じていました。それが私の無意識に蓄積されていました。
彼女が何度も私をおろそうと考えるので、私は恐れました。
なにより母自身も絶望し、何度も死を考えていたようです。


全てから切り離されたような孤独を不安と恐れと怒りを、母の胎内で感じていたようです。
それは母の感じているものでした。母もとても孤独を感じていたのです。
その印象が、私の孤独な自我の始まりでもあるようです。
そして、望まれなかったのいのちという印象は、生きることへの罪悪感へ繋がったように思います。

わたしの純粋な命は、ただ、生きたがっていました。

本来はとてもピュアでもあった、幼子のいのちは、
いのちの危険を感じ、恐れ、すこしの刺激でも自分を守ろうと働き、無意識の不安に駆り立てられて、
私意識の増殖を招いてしてしまったように思います。
それがこの数日の日々の中で段々と解ってきて、大分、心が軽くなったように思います。

前回のワークの、キラキラハッピー☆さんの言われるように、誰も悪いわけではありません。
母も一生懸命だったと感じるのです。母も愛されたかった、守られたかった。とても寂しかった。そして、生きたかったのです。
そして私たちはお互いにお互いの学びを計画しあっていたとも思います。
そんなことをこの数日間見つめることになりました。

言葉に出来ないのですが・・・。
私の中の塊が、確実に軽くなっています。
深々と感じるものがあります。
ゆっくり感じたいです。

ワークを提出するかどうか、迷い、丁寧に取り組めませんでしたが、
再びワークの機会を、どうもありがとうございました。
そして、みなさん、本当にありがとうございます。
このご縁にこころから感謝しています。】

胎児の頃の記憶を思い出せてよかったですね。
胎児は母親と不離一体。
母親の感情をダイレクトに感じます。
あまりに強烈な感情は潜在意識に残ることになります。

生命の危機に際し、不安と恐れが生じます。
それは生命としての本能的なものです。
生命とは、生きようとする意志。
生きようとするが故に、危険に対して不安を覚え、恐怖を感じるのですね。

自分の存在を否定しようとするエネルギーに対して、必死で抵抗します。
そのため、過度の不安と恐れに陥ることも起きてきます。
それは潜在意識に深く刻まれます。
それが後々、いろんなところで影響してきます。

母親に望まれなかったという意識は、無意識の罪悪感となります。
自分の存在を全面的に肯定できません。
肯定できるだけの愛に恵まれなかったということでしょうか。
自分を肯定するには、幼少時からの愛が必要です。

愛とは、肯定するエネルギー。
生かすエネルギーです。
生命を育むエネルギーであり、守り育てるエネルギーです。
それが不足すると、自己肯定できない子供になってしまいます。

過去の自分を理解することは、今の自分を理解することです。
今の自分は、過去によって成り立っています。
過去を理解することによって、今が変わります。
今を理解することによって、過去が変わります。

いずれにしても、変えることは可能です。
永遠に不変ということはありません。
理解されれば変わります。
理解されない限り、潜在意識に翻弄されるままです。

いのちとは、生きようとする意志です。
生きんがために不安になったり恐れたりします。
それもまた生きる意思の表れに過ぎません。
生きるという生命の原点に還ることでしょうか。
そこから派生するいろいろなものを理解することでしょうか。

生きるということに関しては、すべての存在に共通しています。
胎児を堕胎しようとする母親も、実の子を殺してしまった母親も、原点には生きようとする意志があります。
すべては、生きようとする意志から派生したものです。
生きようとする意志が、生きようとする意志を殺したりするのですね。
どこでどう間違ってしまったのでしょうか。

それを自分自身を通して理解しない限り、戦争はなくならないでしょう。
根底にあるのは、生きようとする意志です。
それはすべてのものに共通しています。
でも、それが疎外される時・・・

更に深く自分自身を理解していくことですね。
その先に光が待っているでしょう。


「552日目 - 反応-4」に続く





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Last updated  2006.07.07 23:03:35
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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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