無色透明

無色透明

2006.09.30
XML
カテゴリ: スピリチュアル
毎朝、トンビが電信柱に留まって、長い時間鳴いている。

なんとなく人恋しい季節なのだろうか。
もっとも、彼等の場合は人ではなくて同種のものたちが恋しいのだろうが・・・

コメント欄に次のような書き込みがあった。

【愛はイガグリみたいな人に突き刺されてながらも、貫けるかな。
愛はイヤミの言葉を避けることなく、まっすぐすすめるかな。
頑張っているけど、人に刃を向けたがる人達と、ずっと生活をともにしているのは疲れます。

以前、ナチュラルサイトに、とてもマイナス波動を放つコメントがあったとき、kimiさん削除しましたよね。


わざわざ、イガを撒き散らすような事をする人を、愛は、それでも包み込まなければなりませんか?
愛だって、傷つけられる筋合いはないはず。

愛に愛を返すなんていう美しい話でなくてもいい。
せめて、普通に普通を返す事務的対応でもいいのです。
イガをまとっている人に関わるのも、愛のキャパシティ内なんて、うんざりしてしまいます。】

愛は傷つくだろうか。
傷つくのは自我。
愛は傷ついたりはしない。

愛は何でも包み込まなければならない?
「ならない」というようなことはない。
愛は義務感で働くものではない。

無条件に包み込んでいるだけ。

無理をして包み込むのは、キャパシティとは言わない。
自分の気に入ることも気に入らないことも、そのまま包み込む。
それがキャパシティ。
見守るということ。


表面の言動だけを見ていれば、包み込むことは難しい。
自分の表面が反応するだけ。
もっと深いところを見ていないと、包み込むことはできない。

長い目で、その人の全存在を見守っていないと、包み込むことなどできはしない。
どこに意識をフォーカスするか。
意識のどの次元で生きるか。
最終的には、自分の生き方が問われる。

イエス・キリストでさえ、神殿の出店を壊したりした。
神の庭を冒涜するものを許さなかった。
愛の人が出店を壊すのもヘンな話。
そうそう完璧に生きれるものでもない。

別に神ではないので、完璧を期することもない。
愛そのものではないので、愛のない行為もする。
ありのままの自分からスタートするしかない。
このように生きるべきだという規定は、どこにもない。

愛に生きなければならないということもない。
何も定めはない。
いかに生きるのも自分の自由。
自分で選べばいいだけ。

愛の人生を生きるのもいいし、そうでなくても否定されることはない。
ほとんどの人は愛の人生を生きてはいない。
試行錯誤。
それが実際のところだろう。

愛に生きるための試行錯誤かもしれない。
自我を克服するための試行錯誤かもしれない。
苦しみを超えるための試行錯誤かもしれない。
安心立命を得るための試行錯誤かもしれない。
いずれにしても、人は試行錯誤の人生を生きている。

神のように生きる人は、奇跡に近い。
それは人類の手本のわずかな人たち。
そういう手本を見ながら、多くの人はそのようになろうと日夜努力している。
みんなその途上にある。

まず、ありのままの自分から出発する。
良いも悪いもない。
人を認められなくて、非難したり、批判したりもする。
裏切ったり、騙したりもする。
そういう自分を誤魔化さないことだろうか。

言い訳したり、自己正当化したりしないことだろうか。
ありのままの自分を、そのまま認めることだろうか。
ありのままに認める勇気があれば、変わる可能性が生まれてくる。
事実から目を逸らし、言い訳をしている限り、変化することはあり得ない。

直視すれば、醜い自分がいる。
その醜さに耐えられなかったら、変わるしかなくなる。
人のせいにしたり、社会のせいにしている限り、変化はやって来ない。
自分自身と正面から対峙しない限り、変容は起きない。

愛のないままでいいのなら、今のままでいい。
もし愛の中で生きたかったら、愛の中で生きるしかない。
そのための方法や手段はない。
ただ生き方をチェンジするしかない。

グズグズ言い訳をしている限りは、何も変わらない。
黙って事実と共にいる時、人は変わる。
ギリギリまで事実と共に踏みとどまる時、人は豁然(かつぜん)と変容する。
最後の最後まで逃げない時に・・・

愛は誰の中にもある。
それを自我が押し留める。
自分第一に考える自我が、愛の行為を妨げる。
自我がなければ、人は愛の中で生きる。

深い愛情に包まれて育った幼子は、愛の中に生きている。
無邪気に周りに愛を振りまく。
幼子のようでなければ人は天国に入ることはできない、とイエスは言った。
天国は彼等のものであるとも。

大人になると、幼子の無邪気さは消えてしまう。
自分第一の計算が働く。
身の安全。
まず自分に意識が向く。

そうなると、愛から遠くなる。
無邪気さは遠い夢となる。
無邪気に生きていた頃は、天国だったかもしれない。
自分を意識すれば、地獄が待っている。

自我を理解し、自我を超えていく。
その先に、また無邪気さが待っているのかもしれない。
天国は愛と共にあるのかもしれない。
自我を超えないことには、愛はあふれないのかもしれない。

「かく生きるべし」というようなものは何もない。
それは道徳や宗教の中にあるだけ。
それは人間がつくったもの。
自然の中にあるものではない。

自我を理解し、自我を超える。
その先に愛はある。
愛は何もしなくても、そこにある。
自然にあふれ出す。
遮(さえぎ)られることがなければ・・・


『あるものを 自分大事で 抑え込む 愛はいつでも 裡に満ちてる』

『愛がある 愛がないかは 計算の 中に自分が いるのかどうか』

『目を逸らし 醜い自分を 隠す時 いつまで経っても 変化は起きない』

『妨げる ものがなければ そのままに 愛はあふれて 流れゆくもの』

これが637日目の心境です。




* 明日の屋久島ナチュラルヒーリングのトップページに、ヒマラヤ水晶とゴールドルチルのスライ ドショーと「お譲りしますコーナー」がアップされます。
 よろしかったら、ご覧ください。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.09.30 19:55:19
コメント(5) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
emi☆@ Re[1]:こんばんは^^(06/09) 光のkimiさん >emi☆さん >>100万アク…

Keyword Search

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: