無色透明

無色透明

2008.02.08
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カテゴリ: スピリチュアル
次のようなコメントがありました。

「すみません、突然。
今、寂しさという感情をもてあまして、お恥ずかしい話ですが、取り乱して泣きました。
どうしょうもなく寂しくなりました。
こんなこと書いて後で後悔するかもしれません。
恥をかくのを承知で、書いています。

夫婦の問題です。
すみません、なんかドロドロした話題で。
相手から、こちらが期待しているような優しさが返って来なかった。

ただ、こちらも忍耐というか、私なりに譲歩した後のことだったので、これまで、こらえていたものが耐え切れずに噴出してしまった形です。

すみません、重い内容になって。
今、苦しいです。
私が未熟だから、キャパが狭いだけかもしれません。
今、なんとか、この感情を静めて、寂しさと一緒にいて、ただそれを味わっていればいいのですよね。
やってみます。

昨日、日記を読んでいて、私のパターンというか、心の奥底にずっとあった思いは、寂しさだと思っていました。
何かにつけて、顔を出してくる思いです。
心の癖です。
私自身がずっと握り締めてきたんでしょうか?
そうしたくてしてきたはずないのに・・・。


今私に起こっていることも、そうなんだと思うことにします。
手放すために、今、再体験しなければならなかったんだと・・・。」

その寂しさは、子供のころからあったものかもしれませんね。
ということは・・・
過去世からあったということですね。


寂しさというのは、満たされていないということです。
期待したものが返ってこなかったのですね。
望みのものがやってこない時に寂しさは生まれます。
まずそれを理解することでしょうか。

期待することが、喜びと同時に寂しさもつくり出すのですね。
期待が叶えられる喜びと満たされない落胆は、表と裏の関係にあります。
期待のなかに同時に存在するのですね。
期待のなかに満足と不満足の種が同時にあるのですよ。

期待しなければ、もちろんそのようなものは生じません。
だから一切期待しないという人もいます。
裏切られたくないから・・・
それもまた一つの生き方ではありますね。

でも、それは恐怖ベースの生き方です。
失望を避けるためのネガティブチョイスです。
後ろ向きな選択なのです。
けっして前向きなものではありません。

満たされなくて寂しがっている自分を、自分で抱きしめてあげるというやり方もあります。
抱きしめてほしかったのですね。
やさしくしてほしかった。
それを満たしてあげるのです。

それから、もう一つは、ここのところ書き続けている、思いから離れるということです。
思いと少し距離を置くことですね。
寂しさというのも、思いに過ぎません。
思いに浸っているだけなのです。

期待したものが返ってこない時、寂しく感じるのは事実です。
でも、それはその時限りです。
しっかり握った手を開いてしまえば、消えていきます。
いつまでも握っているから苦しくなるのです。

それは執着というものかもしれません。
寂しくてもいいのです。
その時だけ味わえば。
そして、手放せば。

いつまでも持ち続ける必要はありません。
でも、持ってしまう?
それは、これまでの心の癖かもしれませんね。
寂しさパターンです。

それに浸っているのですね。
それに浸って、そういう自分を自分で慰めているのでしょうか。
あきらめ?
あきらめに浸って、自己正当化しているのでしょうか。

期待とは、甘えとも言えます。
やさしくしてほしい。
大事にされたい。
満たしてほしい。

それは、依存でもあります。
依存すれば、支配されます。
支配されれば、振り回されます。
やがて、自分を見失うことになります。

自立。
自律。
自分の足で立つしかありません。
私は、そんなに強くない?

それなら泣いて暮らしますか。
残りの人生を周りの人に振り回されて過ごしますか。
それもまた人生ですが・・・
そんな一生を送りたいですか。

真に自立すれば、周りの人に振り回されることはありません。
そうなると、周りの人に期待するということも起きません。
周りの人のそれぞれの生き方を尊重するようになります。
やさしくする義務を押し付けたりはしないのです。

期待とは、相手に対する要望です。
自分に対して、やさしさを強いることです。
そうする自分は、ちっともやさしくはありません。
ギブ・アンド・テイクか、ただの自分勝手です。

相手は、相手のペースで生きればいいのです。
いつも自分に対してやさしさを要求するのは、相手を本当には尊重していないからです。
相手を自分の思う通りにしたいだけです。
相手を使って自分を満たしたいのです。

何も期待しないとは、相手の自由を尊重することです。
期待するとは、相手を自分の思うままにしたいということです。
期待された相手は、大変です。
その期待に応えなければなりません。

でも、いつもやさしく接することは不可能です。
そうなると、相手も苦しむことになります。
自分に正直に生きれなくなるのですね。
期待することによって、それだけ相手を苦しめることになります。

期待というのは、罪作りなものです。
自分も相手も苦しめます。
期待に応えようと無理をするのですね。
そして、期待されたものを与えられなくて、得られなくて苦しむのです。

実は、期待するということは、自分も無理をしているのかもしれません。
だから、相手にも無理を強いるのでしょうか。
無理の押し付け合い?
苦しいゲームですね。

その泥沼から離れるには・・・
期待の実態を理解することでしょうか。
そして、期待から離れることでしょうか。
そうすれば、失望も寂しさもありません。

思いの世界に少し距離を置くことです。
期待、失望、寂しさという輪のなかで生きているのです。
思いの輪廻です。
そういう輪から抜け出すことはできるでしょうか。

抜け出さない限り、永遠に輪は回り続けます。
ジメジメ・ジトジト・・・
ベタベタ・グチャグチャ・・・
それが思いの世界です。

思いの世界に浸りきれば、ジメジメした生き方になりがちです。
少し離れて見守っていないと、思いの泥沼に足元をすくわれて自分を見失います。
もうそろそろ思いの泥沼から抜け出す時期なのです。
泥沼のなかから美しい蓮の花を咲かせる時なのですね。

泥沼から顔を出さないと、蓮の花は咲きません。
泥沼のなかに潜(もぐ)っていたのでは、永遠に開花はあり得ません。
美しい蓮の花は、泥沼の上に咲きます。
泥沼の体験を肥やしにして咲くのですね。

だから、泥沼自体を否定することはありません。
貴重な体験にすればいいだけです。
でも、いつまでも浸っていると苦しくなるだけです。
これからますます苦しくなるでしょう。

光が強くなっています。
光に照らされて心の闇が浮かび上がってきます。
そういう時は、チャンスです。
闇に溺れないことですね。

泥沼の上に顔を出し、明るい太陽を浴びるのです。
その時に初めて花が開く可能性が生まれます。
やがて蕾をふくらませ、大輪の花が咲くのです。
そのために泥沼はあるのですから。

泥沼の性質を理解し、泥沼に溺れないことです。
泥沼とは、思いの世界。
思いの世界のなかで溺れて苦しんでいるだけなのですよ。
思いの世界の性質がわかっていないから・・・

そんなこと誰にも教えてもらわなかった?
と言いたいでしょうか。
それもわかります。
少なくとも学校では教えてくれませんでした。

なぜなら、学校の先生もわかっていないからです。
文部省も教科書を書くような偉い人たちも、何もわかってはいません。
ただ表面的なことを教えているに過ぎません。
ほとんどは、生活のためのテクニックです。

そうでなかったら、堅苦しい道徳でしょうか。
あるいは、ただ信じなさいという宗教でしょうか。
いずれにしても、自分自身を理解するという観点はありません。
自分自身を見守るというスタンスは、まったく欠落しています。

周りに期待しないでください。
失望するだけです。
誰も真理は教えてくれません。
誰も常にやさしくはできないのです。

泥沼は、もがけばもがくほど下に沈んでいきます。
泥沼を理解してください。
泥沼から抜け出すには、泥沼の性質を理解するしかないのです。
闇雲に生きても、美しい花は咲きません。

静かに自分自身を見つめ、理解することです。
静かに落ち着いて。
焦ることも、慌てることもありません。
ゆっくりと自分自身と一緒に生きればいいのです。

自分の思いを見つめ、それを理解することですね。
自分の思いを見守っていれば、だんだんと思いから離れていきます。
いつまでも思いに執着しないことですね。
少しずつ思いから距離を取ることですよ。

強く握った手を放してみてください。
パッと放すと、スッキリしますよ。
重たいものが消えていきます。
重たいものとは・・・

寂しがっている自分自身を見てみてください。
どんな状態になっていると思いますか。
頭の上を黒い雲が覆っています。
重たくて暗い雲です。

それはどこからわいてくるのでしょうか。
発生源は?
周りを見渡してもありません。
あなたを寂しくさせた相手でもありません。

それは・・・
ありました!
いや、いました。
モクモクと黒煙を出している人が・・・

それは・・・
ハイ、間違いなく自分自身です。
自分で自分の周りに暗雲を張り巡らせていたのですね。
自縄自縛です。

誰が縛ったのでもありません。
自分で自分を縛っていただけです。
いや、煙に巻いていた?
そして、行き先を見失っていたのですね。

自分で縛った縄は、自分でほどくしかありません。
ほどくためには、まず自分で自分を縛っていることに気づく必要があります。
そのためには、自分を見つめ、理解する必要があるのですね。
どうしてこうなっているのか・・・

このサイトへ来て、日記を読みながら自分自身を見つめるという方法もあります。
それが一番楽?
またまた他者依存?
まあ、もうしばらくは日記も続きそうですから、それも一つの方法ではあります。

でも、この日記にも依存しない方がいいですよ。
いつ突然終わるかもしれません。
そうなった時、落胆したり路頭に迷うことがないように。
あくまで少し距離を置いて読んだほうがいいでしょう。

何事も、ほんの少しだけ距離を置くのですね。
のめり込まないことです。
のめり込むのは、思いの世界です。
静かに見守るのが、思いを超えた世界です。

また何かわからないことがありましたら、コメント欄に書いてください。
ゆっくりやってくださいね。
自分のハートに中心を持ってきて。
頭だけではなく、心を込めて全体で生きることですよ。


『無理をして 我慢するから 相手にも よけいな期待 持って苦しむ』

『期待する ことが寂しさ つくり出す 満たされぬ時 思い沈澱』

『期待せず 相手そのま 認めれば 失望もない 寂しさもない』

『泥沼の 思いのなかに 足取られ 抜け出せなくて もがく人類』

『もがいても もがいてもまた もがいても 理解しないと 底は見えない』

『泥沼の 上に花咲く 蓮の花 浸っていては 花は咲かない』

『泥沼を 味わいきって 理解して 泥沼抜けて 花を咲かせる』

『美しい 水晶見れば 泥沼は 心のなかに あるだけのもの』

『いつまでも 握ってないで 手放して 楽に自由に 生きればいいのに』

『ありのまま 生きればいいよ いつまでも 終わったことに とらわれないで』

『何事も 少し離れて 距離を置き 静かに推移 見守るといい』

『目の前の 事実ベースに 生きるだけ よけいな思い みんな手放し』



これが日記を書き始めて1133日目の心境です。









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Last updated  2008.02.08 16:03:28
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
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