無色透明

無色透明

2008.03.21
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カテゴリ: スピリチュアル
昨日の続きです)


次は、みるちゃん♪さんですね。

「はじめて参加します。
よろしくお願いしま~す!
難しそうですね!
この週末じっくりと自己観察してみます。

週末で仕事がないので時間的な制限もなく、さあ今起きよう、○○しようと自分の気持ちに正直に行動していました。
でも、顔を洗う時や洗濯など家事をする時は無意識で何も考えずに、いつも通りに行動していることに気づきました。
これは過去ベースですね。


何を求めて私はKimiさんの日記を何度も何度も読んでいるんだろう?
何をベースに意思決定しているのかな?

今年に入ってから、いのちの島でぴあのさんが紹介してくれたKimiさんの拠り所という日記に感動し、瞬間、瞬間、ありのままの自分と一緒にいようと決意したところなのですが・・・
朝起きるタイミングも、ありのままの自分と一緒にいようと思う決意も、自分がただこうしたいという思いから決めているのですね。
自分ではそれが自然なことと思っていましたが、その思いが私の自我なのですよね?

真の意味の自由とは、思い込みから自由ということ。
過去から自由。
自我から自由。
何ものにもこだわらない。
完全に自由な心ということ。
というkimiさんの言葉も大好きです。


過去から、自我から自由だとどのような意思決定になるのでしょうね~?
結局、ホームワークの答えは見つかりませんでたが、週末、ホームワークを意識して過ごし、今までいかに無意識に生きてきたかを再確認しました。
自分と向き合う機会をいただきありがとうございました。」


答は見つからなくてもいいのですよ。
大切なのは、答ではありませんから。

その行為のなかに答はあるのですから。

頭でわかったつもりになっても、結局は机上の空論です。
実際に自他を見守ることなのですね。
見守るなかで実感することです。
過去ベースではない意思決定というものを。

まずは、いかに自分が無意識に生きているかということに気づけただけでも、すばらしい収穫ですね。
そこからすべてが始まるのですから。
いかに自分自身を知らないか。
無知ということですね。

最もわかっているつもりで、まったくわかっていないのが自分自身です。
自分のことが一番わかりづらいのですね。
普段から自分を見るという習慣がありませんから。
外にばかり意識が向いているのですね。

まずは、その意識を内に向けることです。
自分自身を理解することが、人を理解することです。
自分自身が理解できない限り、真に人を理解することはできません。
自己理解が、すべてのベースです。

その自己理解を深めていくプロセスのなかで、見守る意識が育っていきます。
その意識が、過去ベースではない意思決定を可能にします。
見守ることがベースにない意思決定は、ほとんど過去ベースです。
あるいは、たまに閃きとして訪れるだけのものです。

見守るなかで自分自身が理解され、自我が静まる必要があるのですね。
そうでなければ、過去ベースでない意思決定は不可能です。
すぐに比較したり判断したりします。
ただ静かにしていることができないのですね。

だいぶ本質的な部分に近づいてきましたね。
次は、誰でしょう?

ぴあのさんですね。

「ホームワークが出てから四日間、注意深く自分の思考の動きを見つめてみました。
そして、過去ベースを用いずに意思決定ができるか、試みてみようと思いました。

四日間ワークしてみて、気づいたことを書きます。
私達は、過去ベース、比較の世界で生きている ということは理解していたつもりです。
が、意識を曖昧にせず常に自分を見つめ続けてみた時に、今まで見過ごされていた無意識にいつも通り過ぎていたことが、見えてきました。

それは、過去ベースというものが、どれほど事実を見る目を曇らせているのか、ありのままを感じることを妨げているのか ということでした。
仕事をしていても、音楽を聴いていても、美しい芸術に接していても見ていても・・・
無意識に今その場の状況を、過去との比較を通して感じている自分がいました。

もちろん、そんな比較をしながら見たり聴いたりするつもりは全くないのです。
ただ、過去が常に意識のベースにあって、何をするにも感じるにも、思考が過去を持ち出すのです。
それはこの四日間、日常の些細なこと、四六時中、すべてにおいてそうでした。
そしてそのことは、向き合う対象すべてにおいて、その対象の何にも歪められることのないそのもの、そのまま、ありのままを感じることを妨げている ということが言えます。

さて先日、私の中に常に根強くある、あるネガティブ思考が、いつものパターン、癖で表面化し、私の意識いっぱいに広がりました。
その時の私の意識、頭の中は、そのことに纏わる過去のイメージで占領されていました。
過去が蘇り、過去を恐れていました。

咄嗟に思いました。
「こんな意識には占領されない!」
次に思いました。
この意思決定は、過去をベースにしている。
占領される自分と占領されまいとする自分に分離している。
そして次に、一切のイメージを排除しました。(なぜか、ふとできました)

イメージ、つまり、過去の記憶、時間の外へ出る。
途端に、今までであれば必ずその次に訪れる意識の連鎖反応がピタッとやみ、過去に占領されていた私の意識が開放感と共に広がりました。
そして、今この瞬間のみ、時間のない今を、その時に一瞬ですが感じることができました。
その時、自分も見える景色も今いる空間も、何をも通さないありのままを感じることができたように思います。(これは少し感動でした)

過去から自由になること、それは一切のイメージを持たないこと、
一切のイメージなく、今ありのままのこの瞬間で意思決定する。
その時、『過去ベースを用いない意思決定は可能』 ということになるのではないでしょうか。
そして、意思決定することにイメージをつけないことも重要ではないかと思います。

ps
以上です。
いつも長々とすみません。
ズレているかとも思いますが、イメージ、過去から一瞬自由になれたあの感覚、体験は、自分ではとても大きなものでした。
昨夜もふと一瞬ですが、一切の過去から自由になった瞬間がありました。

自我の内にいる時には到底感じることのできない暖かさ優しさ、根源の愛、何か不動のものを感じました。
私にとって実りあるホームワークでした。
ありがとうございました。」


真面目にホームワークに取り組んでいるのが、伝わってきますね。
一切の過去から自由になった瞬間を体験できたのですね。
すばらしい!
ホームワークの成果ですね。

そういう状態で物事を見れば、おのずとわかってくるのではないでしょうか。
何を為すべきかが。
あるいは、何を為すべきでないかが。
自然にわかるのですよ。

それは、過去ベースではないのですね。
思考は動きませんから。
もちろん過去のデーターベースでもありません。
でも、過去のデーターを無視しているわけでもありません。

過去のデーターも踏まえてトータルなのですね。
トータルな状態で自然に意思決定がなされるのです。
とりたてて決定するまでもなく、明らかなのですよ。
そこまで見きる必要があるのですね。

事実と直面し、事実と共にいる。
まずは、居きることですね。
事実から目を逸らさない。
ギリギリまで事実と一緒にいる。

事実と居きり、事実を見きる。
そのエネルギー状態なのですよ。
そのエネルギー状態があれば、過去ベースでない意思決定が可能です。
トータルな状態ですね。

そういう意識状態でなければ、すべて過去が介入します。
無意識のうちに過去が潜入しているのですね。
過去の影響から外に出るには、時間の外に出る必要があります。
思考の次元の外にいる必要があるのですね。

思考も含めたトータルである必要があります。
その時に、過去ベースでない意思決定が可能です。
それは自然に起きます。
意識的に起こそうとするのは、自我です。

自然にそうなるのです。
そして、自然に取るべき行為がわかる。
為すべきことがわかるのですね。
わからなければ、わかるまで一緒に居きり、見極めるしかありません。

なかなか厳しい意識状態です。
安易な意識状態ではありません。
深く静かな状態です。
意識のポイントは、後頭部の後ろの方にあります。

ぴあのさんは、その後も書き込みをしていますね。

「今回は、kimiさんの回答がアップされるのに期間があいているということもあり、先週見つめた四日間から後も、絶えず自分の中にホームワークが意識された
状態で日常を過ごしています。
ホームワークを書き込んでから、その後さらに見つめてみて思ったことをシェアします。

これは、既に提出期限の過ぎた自分の一人ホームワークであるので、取り上げていただき回答を望んでいるものではありません。
日記でアップされるkimiさんの皆様へのコメントを読んで、自分が見つめてみたことを再度見つめなおしてみます。

今回のホームワークで一番よくわからなかったのは、”決定” という言葉でした。
この言葉にかなり考えさせられました。
日記を読んで、瞬間に思ったことは、
『決定はできないのではないか・・・ 決定は自我ではないのか・・・』
ということでした。

でも、過去ベースを用いず(つまり自我を使わず) 決定ができるものなのかどうかを、よく見つめてみようと思いました。
その結果、一週間前に書いたような内容になったのですが、それからも
決定という言葉が引っかかっていて、ずっとワークしていました。
一週間経ち、今は自分の中でこのような答えになっています。

いくらその瞬間白紙の状態、何もイメージを持たない過去から完全に自由な状態物事のありのままが感じられる状態があったとしても、そこで何かを決定しようとする行為が成される時、それはやはり思考を使う訳なので、思考が持ち出された瞬間、純粋思考でない限りはイコール自我、過去から来るもの になってしまうのではないだろうか・・・

という考えに行き着き、私の、”一切イメージを使わない時に過去ベースを用いない決定は可能ではないか?” という答え(答えじゃないですね、何て言うんだろう?)は、今現在自分の中で脆くも?崩れ去っています。」


あまり言葉にこだわることもないでしょう。
厳密に言えば、確かに決定は思考の行為とも言えます。
でも、自然に決まるのですよ。
自然に落ち着くところに落ち着くのですね。

思考で考えて決めることは必要ありません。
無理がないのですよ。
それこそ、しっくりくるのですね。
葛藤も後悔もない。

自然にわかり、自然に決まるのですよ。
無理に決定する必要はないのですね。
事実と一緒に居きったら、為すべきことは明らかになっていくのですよ。
あらためて決定するまでもなく。

それが、自我の行為ではない行為ですね。
無為ということでもあります。
作為がないのですね。
意図がない。

意図というのは、やはり自我の場合が多いのですね。
自然な流れ。
宇宙の流れに沿った行為になるのですよ。
みんなと調和した行為ですね。


(明日に続きます)





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Last updated  2008.03.21 10:40:49
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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