無色透明

無色透明

2012.06.04
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カテゴリ: スピリチュアル


そこで、長くこの日記を読んでおられるTさんにお会いした。
メールのやりとりも多く、これまでに何度も日記に引用させてもらっている。
帰宅したら、またメールが届いていた。




素敵な水晶とたくさん出会えましたでしょうか。
鎌倉ではお世話になりました。
Kimiさんにお会いできて、すごく嬉しかったです。
たった3時間でしたが、私にとってはものすごく濃い3時間でもありました。


「お腹にあるネガティブなものは自分では取れない」
そうお店のオーナーさんに言われた時には、すごく動揺してしまいました。
教えてもらったヨガ教室に行ってみようかという気持ちにもなっていました。
でもそれは恐怖心から行こうとしてるだけで、結局、それも依存ですよね。

後でkimiさんから「大丈夫だと思いますよ。」と言ってもらえて、どれだけ気持ちが落ち着いたことか。。。
今はお腹のネガティブさんといっしょにいてあげようという気持ちでいます。

これが何なのか、そのうちわかる日がくるでしょうか。
これからは瞑想などの時に感じてあげる時間を持とうと思っています。
でもわからなくても、kimiさんが言ってくださったように、私がもっともっと光で満たされれば、もうどうでもいいことなのでしょうね。

Kimiさんとお別れしたその後はとっても気分が高揚してて、ぽわんとした温かい気分になっていたのですが、次の日になると寂しい気分でいっぱいになってしまいました。
過去世でご縁があってその関係からこんなに寂しくなるのかと思っていましたが、今朝、瞑想をしてた時にkimiさんのお顔が浮かんできたのですね。


Kimiさんの側にいると、とってもとっても心地よかったのですね。
すべてを包み込んでくれるような、なんでも許してくれるような、何とも言えない安心感。
このエネルギーにずっと包まれていたい、そんな思いが寂しさに結びついたのかもしれません。
私自身の中からも同じような慈愛がどんどん湧いて出るような、そういう存在になりたい。
Kimiさんにお会いして強く強くそう思いました。


後2週間ぐらいで貯まりそうなのですが。。。
日記や水晶のアップを楽しみにしています。

ありがとうございました。





このメールに対して、こちらから送ったメール。





無事に屋久島に戻りました。
お店のオーナーには、少し驚きましたね。
あんなパワーがあるとは・・・

でも、大切なことは、やはり自他を見守りながら自分自身を生きることですよ。
瞑想中にお腹のネガティブなものを感じてあげるといいでしょう。

排除しようとしないで、あたたかく包み込むことですね。
それが何ものにも増して貴いことです。

そこからしか慈しみのエネルギーは生まれませんから。
排除からは、慈愛のエネルギーは生まれないのですよ。
ゆっくり落ち着いて進んでいけば大丈夫ですよ。

(後略)





水晶のお店のオーナーは、不思議な人だった。
人のチャクラの状態がわかり、それを開いたり閉じたりできた。
また、体に憑いているものも見えるようで、それを取ったりもできた。
なんとなく霊能者のような人だった。

本人に言わせると、霊能者の次元は超えているとのこと。
もちろん霊能者にありがち悪意はなく、善意に満ちていた。
Tさんは、彼から腹部に何かネガティブなものがあると言われた。
それは、一生自分では取れないとも・・・

Tさんは、以前から腹部に違和感を感じて病院で検査したりしていた。
でも、特に異常は見つからなかった。
そういうこともあり、気になった様子。
お店で教えられたヨガ教室に通ってみようという気にもなったようだ。

何かが憑いていると言われると、すぐにでも取ってもらいたくなるのが人情。
得体の知れないものは、すぐにでも排除したい。
その気持ちは、わからないでもない。
しかし・・・

取ってもらっても・・・
また憑いてしまう。
一時的に良くなっても、また元に戻ってしまう。
それが多く見られるパターン。

自分自身が根本的に変わらないことには、本質的な意味はない。
確かに一時的には楽になるかもしれない。
しかし、それは一時しのぎ。
それだけでは、他力本願の依存のまま。

Tさんの基本スタンスは、賞賛に値する。
ネガティブなものと一緒にいて、それを理解する。
いたずらに排除しようとしない。
すべてを抱(いだ)き参らせる。

排除の論理からは、慈しみのエネルギーは生まれない。
それは、結局、身を削ることで終わる。
いらないものは取ってしまうというのが、現代医学。
なんでも手術して排除するというのが現在の西洋医学。

手術して速く楽になりたいと思う。
しかし・・・
手術したが故に更に悪化したり、挙げ句の果てに亡くなったりするケースも多く耳にする。
そもそも・・・

いらないものは取ってしまうという考え方そのものにイージーさがある。
表面しか見ない浅はかさがある。
本質を見極めようとしない生きるスタンスに問題がある。
そこには、この世オンリーバージョンの生き方が垣間見える。

イージーな生き方は、イージーな結果を生む。
落ち着いて、じっくり見極めることだろうか。
わからなければ、わかるまで一緒にいる。
そんなに急いで排除しようとしない。

基本は、すべてを抱き参らせる。
すべてを大きく包み込んで、それぞれを尊重する。
たとえネガティブなものでも、それにはそれなりの存在理由がある。
それを見極め、理解する。

ガン細胞は、体の他の部分を守るためにできる。
忌み嫌うべきものではなくて、それこそが救生主。
身を犠牲にして全体を守ろうとしている勇者。
それを悪者視して排除しようとするのは、あまりにも浅はか。

すべてのものに存在理由がある。
それを理解することが、この世を十全に生きるためには必要。
理解するためには、いたずらに排除しようとしないこと。
すべてを抱き参らせて、わかるしかない。

抱き参らせていれば、ネガティブなものも変化していく。
自分自身の光が強くなれば、ネガティブなものは自然に消えていく。
自覚し、意識し、光と共にある。
そうすれば、すべては光化していく。

排除の論理というのは、この世バージョン。
自我の世界。
自分を個と思うが故の錯覚。
全体であれば、排除という発想はあり得ない。

慈愛のエネルギーは、全体のなかにある。
個のなかにはない。
排除しようとしない時にのみ現れる。
排除がある時に慈愛はない。

個として生きる際には、選択も必要。
しかし、それだけでは排除の論理。
全体的な無選択があって、その上で個としての選択をする。
個としての選択だけで生きると、混乱が生じる。

個から慈しみが生まれることはない。
慈しみは、全体からしか生まれない。
愛は、慈しみの子供。
個々の愛は、慈しみに続く道。

個としての愛は、全体としての慈しみにつながる。
氷が融け、水が温まり、やがて水蒸気となる。
個として固まっていたものが、愛によってゆっくりと融けていく。
その愛は、やがて水蒸気となって全体に広がる。

個別性を持たない愛は、慈しみへと変容する。
それが、人類史。
一人一人が歩いている道。
愛から慈しみへの道。


『繊細に 静かに満ちる 慈しみ すべてを包み すべてを活かす』

『個々の愛 通して至る 慈しみ 抱(いだ)き参らせ 抱き参らせ』


これが日記を書き始めて2710日目の心境。





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Last updated  2012.06.04 06:50:40 コメント(1) | コメントを書く


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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
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